仏説観無量寿経

宋の元嘉(げんか)のとき、 畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳す

序説 韋提希夫人いだいけぶにん 王舎城おうしゃじょう の悲劇

如是我聞にょぜがもん  わたしはこのように聞いた。 あるとき釈尊はマガダ国の首都 王舎城おうしゃじょうの郊外の 耆闍崛山(霊鷲山)ぎしゃくつせん・ りょうじゅせんに居て、千二百五十人の僧たちと一緒だった。 また菩薩たちも三万二千人おり、文殊師利菩薩が上席であった。
当時、王舎城に阿闍世あじゃせ という名の太子がいた。 堤婆達多だいばたったという悪友に そそのかされて、父王の頻婆沙羅びんばしゃらを幽閉し、厳重に室内に閉じ込めて、 家臣の者も接触することを禁じた。妃の 韋提希いだいけは王を敬愛していたので、身を洗って清潔にし、乳製品に蜜を入れそれを 麦粉に混ぜて身に塗り、もろもろの装身具にぶどう酒を入れて、ひそかに王に差し入れした。王はそれらを食べかつ飲み、それから水で口を そそいだ。それから耆闍崛山にむかって合掌し釈尊に礼して、こう言った。 ⌈ 大目犍連だいもっけんれんよ、 あなたはわたしの親友だ。願わくば、慈悲心を起こして、わたしに八戒を授けてください ⌋ すぐに、目犍連は鷹・隼のごとく王の処にきた。こうして毎日、王に八戒を授けた。 釈尊もまた富楼那ふるなを遣(つか)わせて、王のために説法をさせた。 このようにして二十一日がたった。王は蜜入りの麦粉を食べ、説法を聞いていたので、顔色もよく柔和であった。
ときに、阿闍世が牢番に聞いた。⌈ 父王はまだ生きているか ⌋
牢番は答えた。⌈ 父王の妃は、蜜入りの麦粉を身に塗り、もろもろの装身具にぶどう酒を入れて差し入れています。 目連や 富楼那が空中から来て、王のために説法しています。わたしが禁ずることはできません。⌋ これを聞いて阿闍世は、母に怒りをおぼえた。⌈ 母は賊だ、賊に通じているからだ。沙門たちは悪人だ、妖術を使って 父王を生かしているからだ ⌋こうして阿闍世は、剣を取って母を殺そうとした。そのとき月光という家臣がいた。聡明で知恵があった。 医師の耆婆ぎばとともに王のもとに行き、礼して言った。 ⌈ ヴェーダ聖典を見るに⟨大昔よりこの方、悪王は数限りない、王位を取るために父を殺した者は、 一万八千人いる⟩という。だが母を殺したという話は聞いたことがない。このような非道な殺人は、高貴な階級のクシャトリアがすることではない、 賎民のなすべきことだ。そんなことをすれば、ここには住んでいられないでしょう⌋ 二人はこう言うと、手で剣をなでつつ、後ずさりして退いた。 阿闍世はこれを聞いて驚き、耆婆に言った。⌈ お前は王の味方をしないのか ⌋耆婆は王に言った。⌈ 王よ、 母を殺してはいけません ⌋王はこれを聞いて悔い、剣をおさめて、母を殺すことを止めた。役人に命じて、母を深窓の宮に幽閉させた。
韋提希は幽閉されると、憂愁に落ち込み、遥か耆闍崛山に向かって、釈尊に礼して言った。⌈ 如来よ、世尊よ、 昔はよく阿難を遣わせて、わたくしを慰めてくれました。今わたくしは憂愁に落ち入っています。世尊はあまりにも尊いお方、お目にかかるには 恐れ多い。願わくば目連・阿難を遣わせて、わたくし会わせてください ⌋ こう言って涙を流し、世尊に向かって礼をした。しかしまだ頭を上げない 間に、世尊は耆闍崛山にいて韋提希の心を知り、ただちに大目犍連と阿難に言って空中から来させた。釈尊もまた、耆闍崛山を去り王宮に来た。 そのとき、韋提希は礼し終わって頭を上げると、そこに世尊・釈迦牟尼仏を見た。身は紫金しこん 色に輝き、百宝に飾られた蓮の華に座っていた。目連が左に侍し、阿難が右に侍していた。また帝釈天・梵天・護世の天なる神々が空中にいて、あまねく天の 華をふらして釈尊を供養していた。そのとき、韋提希は釈尊を見ると、自らの装身具をはぎとり、身を投地し、釈尊に向かって号泣して言った。 ⌈わたくしは昔どんな罪があって、こんな悪子を生んだのでしょうか。世尊もまたどんな因縁があって、 堤婆達多だいばたったの親族なのでしょうか。
世尊よ、わたくしのために悩みのない世界を説いてください。わたしはそこに往生したい。この濁悪(じょくあく)の世に 住むことを願わない。この濁悪の世は、地獄・餓鬼・畜生が満ちあふれ、悪人が多い。願わくば、わたしの未来に悪声を聞かず、悪人にも会わないことを願う。 今、世尊に向かって五体投地し、慈悲を求めて懺悔します。願わくば、わたくしに清浄な世界を見せてください。⌋
そのとき世尊は、眉間から光を放った。その光は、金色で、あまねく十方無量の世界を照らし、還(かえ)ってきて世尊の頭上にとどまり、 また台座にとどまった。全体の形は須弥山のようで、十方諸仏の清浄な国土はみなそのなかに現れていた。ある国土は七宝からなり、ある国土は 蓮の花がいっぱいであった。またある国は自在天のようであった。またある国土は玻璃の鏡のようで、十方の国土がそのなかに現れていた。このように、 諸仏の国土が無数あり、その光景は素晴らしく荘厳の極みであった。釈尊はこれを韋提希に見せた。そのとき韋提希は釈尊にいった。 ⌈ 世尊よ、この諸仏の国土はみな 清浄で光輝いていますが、わたしはそのなかでも極楽世界、阿弥陀仏のところに生まれたいと願っております。どうかそれをしっかり見ることができる方法を教えて ください。 ⌋その時、釈尊は微笑し、五色の光を口から発し、頻婆沙羅びんばしゃら王の頭上 を照らした。その時王は幽閉されていたのであるが、心眼はくもることなく、はっきりと世尊を仰ぎ見て礼拝すると、王の心は自然に増進して、 阿那含あなごんの境地に 達した。
その時釈尊は韋提希に言った。⌈ おなたはご存じか。阿弥陀仏はここから遠くないのだ。おなたは一心にかの国を見たいと願いなさい。そうすれば 浄土を観ずることができるであろう。今あなたのためにもろもろの譬えを説き、未来の一切の凡夫や浄土に至りたいと望む者たちをして、 西方の極楽国土に生まれさせよう。その国に生まれたいと望む者は、まさに三善をなすべきである。一つには父母に孝行し、師を敬い、慈悲心を持して人を殺さず かくして十善を修すること。二つには仏法僧に帰依し、もろもろの戒を守り、常住坐臥その威儀を正しくすること。三つには菩提心をおこし、因果の法をよく理解し、 経典を読誦し、他の人々にもこれを教え勧(すす)めること。この三つをなすことによって、浄土を見ることができる。 この三つは、過去・未来・現在の三世の諸仏の修すべきことであり、浄土を観ずるはじめなのだ。⌋
釈尊は、阿難と韋提希に言った。⌈よく聞け、よく聞け、よくよく思え、わたしは今、未来世のすべての人々、煩悩に悩む者たちのために、 浄土を観ずる方法を教えよう。よいか韋提希、よくぞこれを問うた。阿難よ、お前はよく理解し、わたしの言葉を人々に広く教えなさい。わたしはいま 韋提希と未来のすべての人々をして、西方の極楽浄土を見ることができるようにしよう。如来の力のゆえに、かの清浄国土を鏡に映るがごとく明らかに 見ることができるだろう。かの国土の楽しいことを見れば、心が歓喜するゆえにただちに 無生法忍むしょうほうにん を得るだろう。 ⌋ 釈尊は韋提希に言った。⌈ あなたは凡夫だ。心想が劣っているため、天眼を得ることができず、遠くを見ることができない。 もろもろの仏・如来はそれぞれの方便をつかって、あなたが見れるようにするのだ。⌋韋提希は釈尊に言った。⌈世尊よ、わたしはいま仏力をもって かの国土を見れますが、仏滅後は、人々が濁悪・不善で五苦に苦しめられます。どうして阿弥陀仏の極楽世界を見ることができますでしょうか。 ⌋

正説 1 心を統一して浄土を観想する13の方法

釈尊は韋提希に言った。⌈あなたがたは、一心に思いを込めて西方を想いなさい。どのように想いをなすのかと言えば、盲人でなければ人は皆、 日没を見るでしょう。まさに、想いをこらし、正座し、西に向かって、日没を見つめなさい。心を落ち着かせ、気を散らさず、思いをこらして、天空にかかった太鼓 のように日の没する処を見なさい。見終わったならば、目を閉じても開いても、日輪がはっきり現れるようにしなさい。これを「日想」といい、「初観」という。
次は、「水想」をする。清らかに澄んだ水を見て、心に刻み付け、思いを集中する。水を見終わったならば、氷想を起こさなければならない。氷の 透き通ったさまをみれば、瑠璃想をなさなければならない。この思いをなせば、瑠璃の大地の内外が透き通っているさまを見るだろう。その下に金剛と七宝でできた 金の幢(はたぼこ)があり、瑠璃の大地を支えている。その幢は八方に面し、八角形をなしている。それぞれの面は百宝からなり、ひとつひとつの宝石には 千の輝きがある。またひとつひとつの輝きには八万四千色の光があり、瑠璃の大地に映じて億千の色に輝き、つぶさに見ることはできない。瑠璃の大地の上には、 黄金の縄がはりめぐらされて区画分けしている。ひとつひとつの宝石には五百色の輝きがあり。その光が花のようで、また星や月のようだ。それらが虚空に かかり光輝いている。千万の楼閣がたち、すべて百宝からできている。土台のヘリにはそれぞれ百億の幢(はたぼこ)と無数の楽器があり、 壮観である。虚空から八種の清らかな風が吹いてきてこの楽器を鳴らし、苦・空・無常・無我の音を奏でている。これを「水想」といい、「第二観」と名づける。
この観想ができるようになったら、これを心にとどめ、目を閉じてもはっきり残像が残るようにする。眠るとき以外は、いつもこのことに思いをこらすこと。 これができれば、「極楽国土をみた」といえるだろう。さらに心を集中し続ければ、かの国土を明瞭に見るようになるだろう。これを「地想」とし、「第三観」 と名づける。⌋ 釈尊が阿難に言った。⌈ 阿難よ、わたしの言葉を心にとどめ、未来世のすべての人々、苦を逃れんと欲する人々のため、 この観地の法を説きなさい。もし大地を観想すれば、八十億劫のあいだ生死を繰り返す間その罪を除き、死後には必ず極楽に生まれるだろう。疑うことなかれ。 この観法が正しく、もし他の観法があるとすれば、それは邪道である。⌋
釈尊は阿難および韋提希に言った。 ⌈ 「地想」が終わったら、つぎに宝樹を観ること。一本一本の樹をみて、七重の並木の宝樹を観想するのだ。 それぞれの樹の高さは八千由旬ゆじゅん ある。種々の宝樹には宝の花や葉が茂っている。それぞれが異なる宝石の色をしている。瑠璃(るり)の宝石から金色の光をだし、玻璃(はり)の中から 紅の光をだし、瑪瑙(めのう)のなかから硨磲(しゃこ)の光をだし、硨磲(しゃこ)のなかから緑真珠の光をだし、 珊瑚(さんご)・琥珀(こはく)などもろもろの宝石が飾りとなっている。美しい真珠の網が樹上にはられ、それぞれの樹に七重にかけられている。それぞれの網の 間には五百億の美しい宮殿があり、梵天宮ぼんてんぐうのようだ。もろもろの天童子がその中におり、 一人ひとりが五百億の如意宝珠にょいほうじゅを飾りとしている。その如意宝珠の光は百由旬の遠くまで照らす。 それは百億の日月を合わせたようで、その光景は言語に絶する。種々の宝石入り混じるさまは素晴らしいものだ。樹木の列はふれあい、葉と葉は重なり、葉のあいだに 様々な花が咲き、七宝の実がなる。一枚一枚の葉は縦横は同じ長さで二十五由旬ある。その葉は千種の色があり、百種の模様があり、天の瓔珞のようだ。もろもろの 美しい花は閻浮檀金えんぶだごん の色に輝き、火輪のように葉の間で回っている。果実は尽きることなく生り、 帝釈天の瓶のようだ。果実から大きな光がで、それが幢幡(どうばん)と無数の宝蓋(ほうがい)となる。宝蓋のなかに三千大千世界の一切の仏事が 現れ、十方の仏国もそのなかに現れる。この樹を見終わったら次々に見てゆくべし。樹の幹、枝、葉、花、果実をしっかり見て心に刻みなさい。 これを「樹想」とし、「第四観」と名づける。
次に、水を想うべし。「水を想う」とは極楽国土には八つの池がある。それぞれの池は七宝からなり、その宝石は柔らかい。 如意宝珠にょいほうじゅから生じた池水は 十四の支流をつくる、一つ一つの支流は七宝の色をして、金の渠(みぞ)のなかを流れている。渠のなかは、様々な色のダイヤモンドが底に敷かれている。一つ一つ の渠のなかに六十億の七宝の蓮の花がある。花は丸く、十二由旬ゆじゅん の大きさがある。池の水は花の間を流れ、木々をめぐる。その音は微妙で、苦・空・無常・無我・ もろもろの波羅蜜はらみつ の法を説き、また諸仏の姿形を讃嘆するものもあり。さらに如意宝珠から金色の美しい光が放たれ、その光が化して百種の宝石がきらめく色の鳥となる。 その声は心地よく和して、仏を念じ法を念じ僧を念じることを讃える。これをが「八種の功徳がある水の観相」であり、「第五観」と名づける。
もろもろの宝石に飾られた国土のそれぞれの境界の上に、五百億の宝石でできた楼閣がある。その楼閣のなかに数えきれない天人がいて、天の音楽を奏でている。 また楽器が天空にかかり、宝幢神ほうどうしんの楽器のように、演ずる者がいないのに鳴っている。 この種々の音のひとつひとつが、仏を念じ、法を念じ、僧を念ずることを説いている。この観相に達したら、ほぼ「極楽世界の宝樹と宝地と宝池を観た」といって いいだろう。これを「すべてを観る観相」といい、「第六観」と名づける。もしこれを観たなら、数えきれない極悪非道の悪行が除かれ、命が終わって後、 必ずかの国に生まれるだろう。この観法が正しく、もし他の観法があるとすれば、それは邪道である。⌋
釈尊は、阿難と韋提希に言った。⌈よく聞け、よく聞け、よくよく思え、わたしはまさにおまえたちのために苦悩を除去する方法を ⌋

結語

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— 観無量寿経 完—
公開日2014年8月5日