源氏物語  若紫・注釈

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5 若紫

瘧病 (わらわやみ)周期的に発作の起こるマラリヤ風の病気。
まじなひ加持 「まじなふ」は、神仏祈り、その霊力によって病を治療する祈祷。「加持」は、密教で行う祈祷。印を結び金剛杵(こんごうしょ)を握り陀羅尼(梵語のままの呪文)を唱えて祈祷する。
行ひ人 修行者。次に「聖」と語られる。
なにがし寺 古来、鞍馬寺とするのがほぼ通説。
まじなひわづらひしを 世間に流行したために、行い人達が呪っても、呪いがきかなくて困っていたのを、すぐさま。「わづらう」は、「事が滞って困苦する」意。
ししこらかしつる しそこなう。病気をこじらせる。
おはす ③「来(く)」の尊敬語。④「行く」の尊敬語。
入りもておわするままに 「・・・もて・・・」は動作が次第に進行する意。どんどん踏み入る。
験方 (げんがた)病気治療など、加持祈祷をもって現世のために効験をあらわすやり方を忘れ、の意。往生の行念に傾いているからである。
さるべきもの作りて 「さるべきもの」は、ここでは仏の徳を表す梵字一字を書いた護符。「すかす」は飲ませる意。
小柴 小柴垣。木や竹の小枝で編んだ垣根。
心恥づかしき人 こちらが気後れするような、立派な人。
閼伽 (あか)仏に供える水。梵語 argha。
行ひしたまひつつ 君も仏に祈願のため、読経などされるのである。
日たくるままに 日が高くなる。まひる頃か。
人の国 都に対する地方の国々。
心に思ひ残すことはあらじかし 心中に雑念や妄想を思い残すことはあるまいなあ。(岩波大系)/ あらゆる感興を残りなく味わい尽くすであろう、の意。(小学館古典セレクション)/ 自然美にたんのうすることだろうね。(玉上)/
ゆほびかなる ゆたかに広々していることの意らしい。
新発意 新たに発心して出家した者。
かしづきたる 子供を大切に育てる。
いたしかし 「いたし」はきわめてすぐれている、の意。ここは豊かな財力をいう。///
大臣の後にて 大臣の子孫。この家系からして、ある程度の出世はできたはずである。
ひがひがし 甚だしくひがんださまである。ひにくれている。正常でない。
人離れ心すごく 人けを離れ、考えても恐ろしく。/ 人家も遠く感じもおそろしく。/ 人家も遠くぞっとするほど寂しく。
心をやれる住まい 自分の気晴らしの住い。/ [心を遣る]①思いをはせる。考えを及ぼす。②心のうさを晴らす。心を慰める。③思う通りにする。思いのままに振る舞う。
なほこと もともとの名所だが、やはり格別で。「こと」[異・殊]すぐれている。特別。「なお」[猶・尚]やはり。なんといっても。
所得ぬやうなりけれ 素性家柄に相応するような、しかるべき官職位階をあたえられないこと。
そこらはるかに はるばると広大なさま。
さは言へど 「かの国の人にもすこし侮られ」た人であるとはいえ。
法師まさりしたる人 俗人であるときよりも世を捨てて法師となり、かえって人柄が円満になったとする。
至り深き隈 奥ゆかしい感じを与える人知れぬ所。
二なくしたり 「になし」[二無し・似無し]くらべられるものがない。二つとない。///
けしうはあらず、容貌、心ばせなどはべるなり 「容貌心ばせなど、けしうはあらずはべるなり」の会話らしい倒置。「けしうはあらず」は、悪くない、の意。良清は娘の器量や気だてを直接は知らない。「なり」は伝聞推定。
思ふさまことなり 自分自身(入道)の沈淪さえ無念なのに。以下、なおさらどうして娘を国司ふぜいに許せるものか、の気持ち。
蔵人より、今年、かうぶり得たるなりけり いわゆ巡爵(じゅんしゃく)。六位の蔵人を六年つとめて、従五位下に叙せられること。この「かうぶり」は叙爵(五位)になること。
たたずみ寄るならむ 「たたずむ」は、徘徊する。うろつく、の意。
情けなき人なりて行かば、さて心安くてしも、え置きたらじをや (国守が)情けなき人なりて、(播磨に)行かば、(入道は)さて心安くてしも、(娘を)え置きたらじをや。/ でも心ない人が国の守となって赴任したら、とてもそんなふうに気楽に放っておけまいな。(小学館古典セレクション)/ 国守がひどいのになって赴任したら、そんな、いい気になって、家にはおいておけまい。(玉上)/ 心ない人が国司になって赴任して行ったら、そんなふうに安心して、置いておけないのでは。(渋谷)
「みるめ」も、ものむつかしう 「みる(海松)」に同じ。▽「め」は、食用とする海藻の意。「見る目③」にかけて用いることが多い。/ 海の底へ行けば、娘はそこに生えているみるめでも(何でも)何となしにむさ苦しく思うであろう。表は「底に生えているみるめも、むさ苦しく思うであろう」であるが、同時に、入水せよなどということは、世間の人が見ても大層うるさく(いやらしく)思うであろうの意をかけていった。
いとなやましげに 病気で大儀そうな様子。
いと白うあてに 「あてなり」①身分が高い、高貴である、家柄がよい。②上品である、気品がある。/同じ「高貴である/家柄がよい」を意味する「やむごとなし」との違いは、「やむごとなし」は最上級の高貴さ/家柄の高さを表すのに対して、「あてなり」が一般的な高貴さ/家柄の高さを表す。例えば源氏物語では、光源氏に対して「やむごとなし」は用いるが、「あてなり」は用いない。 以上以下のサイトから、http://manapedia.jp/text/4018。
白き衣、山吹 「白き衣」単衣。下着である。「山吹」は襲(かさね)の色目(いろめ)。表が薄朽葉、裏が黄色。ここでは、童女の上着である汗衫(かざみ・汗取りの単の短衣。平安時代以降、貴族の童女などの上衣となる)。「萎えたる」は、糊気が落ちてくにゃくにゃになっている。
顔はいと赤くすりなして立てり 泣いたあと手でこすった顔である。
おぼえたる 「おぼゆ」は、似る意。
なめり 断定せず婉曲にいうのに用いる。・・・であろう。・・・であるようだ。・・・であるらしい。
人なくて 渋谷栄一氏の原本に沿った。「日もいと長きに」(小学館古典セレクション)。「日も、いと長きに」(岩波大系)。「日もいと永きに」を底本「人なくて」と誤る。諸本によって改めた。(玉上)。
大人 女房。
犬君 (いぬき)。召使いの女童の名。「き」は「あてき」「なれき」のように童名をつくる。///
伏籠 (ふせご)。香炉や火鉢の上にかぶせ、衣をかけて香をたきしめたり暖めたりする竹の籠。それを鳥かごに代用した。
心なし 「心なき者」に同じ。無分別者。不注意者。
さいなまるる 「さいなむ」はしかる、責める、の意。お咎めを受ける。
心づきなけれ 気にくわない。
めやすき 見苦しくない。感じがよい。
後見 (うしろみ)。世話役。ここは養育係り。
もこそ 「もこそ」は懸念する気持ち。・・・したら大変だ。カラスに見つけられたら大変だ。
ついゐたり 膝をついて座る。ひざまずく。
うちけぶり 「煙り」③ほんのりと美しく見える。
いはけなく こどもらしい。あどけない。おさない。
ねびゆかむさま 将来の美貌が予見される。「ねぶ」は年をとって成熟する。さきに「生い先見えて」あり。
ゆかしき 「ゆかし」①何となく知りたい、見たい、聞きたい。好奇心がもたれる。
さるは 「さるは」は、上述の内容を受けて補足説明する場合の接続詞。ここでは、源氏がこの少女にひきつけられる心の真相にふれ、単にその美しさによるのではなく、実はこの少女が藤壺に似ているからだとする。・・・後に明らかになるように、彼女は藤壺の兄の兵部卿宮の娘、すなわち藤壺の姪にあたる。
まもらるる 「まもる」は凝視する。「るる」(連体形)は自発。「けり」は発見の感動。しぜんに視線が少女にひきつけられる。
うしろめたけれ あとのことが気にかかる。心もとない。
すずろに 無性に。「すずろ」は思いがけず、ある状態に進んでいくさま。
うちまもりて 「打ち」接頭語。「まもる」目を離さずに見る。見つめる。
生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき これからどこでどう生い立っていくのかも分からぬ若草を、この世に残して消えてゆく露の身は、消えようにも消える空がありません。/ 「生い立たむありか」は、生い立って行く先、結婚の相手をさす。「おくらす」は、少女を残して死ぬ意。「露」の縁語で「消えん」という。幼児をひとりこの世に残しては、死にきれないと嘆く歌である。
初草の生ひ行く末も知らぬまにいかでか露の消えむとすらむ 萌えはじめたばかりの若草が生い立ってゆく先も分からぬうちに、どうして露が先に消えようとするのでしょうが。/ 紫の上に代わって、女房が返歌。この幼い人の行く末も見届けずに、尼君が死ぬことがあってよいものか、と反発する歌である。
今日しも、端におはしましけるかな 源氏の一行が来ている今日に限って、外から見られやすい、こんな端近くの場所にいるとは、と注意した。
とぶらひ [訪い]おとずれること。見舞うこと。
ののしりたまふ 「ののしる」は、やかましく評判する意。「たまふ」は尊敬語。「 ののしられたまふ」と同じと考えてよい。
御消息聞こえむ ご挨拶申し上げよう。「消息」訪れること。来意を告げること。案内。
あはれなる人 あらためて少女に感動する。
この好き者どもは 「この」は、源氏の周囲の色好みの人々を広くさし、「すき者ども」を強める語と解される。
かの人の御代はりに 「かの人」は藤壺。紫の上が藤壺と面ざしが似かよっているので、その身代わりにと思う。
過り 「よぎり」素通りする。。僧都の寺に寄らず、聖の所にいく。
おどろきながら、さぶらべきを (源氏の北山来訪に)驚いて、取るものも取りあえず伺候すべきところ、の意。
草の御むしろ 草を敷物とする意で、旅先での粗末な御座所。
かやうなる人の 験力が優れていると定評のある聖が、すぐれた験力をあらわさなかった時。
はしたなかるべきも 「はしたない」③きまりがわるい。みっともない。
ただなるよりは 普通の行者の場合。それなら失敗しても別段の事はないが、相手が有名な聖であるだけに、失敗したらずっと気の毒だ。
いとほしう ①見ていられないほどかわいそうだ。気の毒である。いたわしい。///
つつみてなむ つつむ[慎む]②はばかる。気がねする。遠慮する。
すなはち すぐ、ただちに。
心恥づかしく こちらが恥かしく思うほど、感銘を与える人。
軽々しき御ありさま お忍びの軽装で来た姿。
つつましう [慎ましい]遠慮される。気恥ずかしい。
あはれなりつるありさまも 可愛らしい児の様子も。
いぶかしく 気がかりである。(様子が分からないから)知りたい、見たい、聞きたい。
南面 南向きの部屋は正面で、客を招じ入れる所。「しつらふ」は几帳や屏風を立てたり、客がすわるための茵(しとね)を敷いたりすること
そらだきもの [空薫物] どこからとも分からぬように室内に漂わせる香。線香を薫焼くするので「たきもの」という。/ 来客のある際、香炉を隠しおき、また、別室に火取りを置いて、客室の方を薫(くゆ)らせるためにたいた香。
追風 ③着物にたきしめた香の匂いを伝えてくる風。
いみじかるべき 「いみじ」①(忌避したいものの程度が甚だしい意)大変悲しい、つらい、困った、恐ろしい、情けない、など。②(賛美したいものの程度が甚だしい意)たいそううれしい、すばらしい、立派だ、など。③(修飾語として、程度のはなはだしいことを示す)はなはだしい。たいそうな。
世の常なき御物語 世が無常であることを、世間の実例をひいて話す法話。
我が罪のほど恐ろしう 僧都の弁舌に引入れられていた男君は、ふと我にかえる。「わが罪のほどおそろしう・・・」源氏の罪業とは何だろう。これだけの人が世の栄花をすてて出家生活をし、罪業を軽くしたい、とまで考えるとは、よほど大きな道徳上の罪である。「わが罪のほどおそろしう・・・」以下の、このものものしい表現は、読者の胸に強く焼き付けられるに違いない。うべなるかな、これこそ、この物語全編を貫くテーマなのである。それは、いずれ判明するだろう。それまで読者は待たなくてはならない。(玉上)
心劣り 予想したより劣って感じられること。
按察使大納言 あぜちのだいなごん。大納言で按察使を兼ねる人。按察使は養老三年(719年)に設置された地方官だが、平安時代には陸奥・出羽按察使を残し、納言・参議らの兼官となって名目化した。
かしこういつき 大変に(えらく)大切に世話しておりましたけれど。「かしこい」⑤尊貴である。たいそう大事である。/ 「いつき」[斎]大切に養育すること。
過ぎはべりにしかば この「過ぐ」は、死去する意。
兵部卿宮 桐壷によれば、藤壺の兄宮。後に式部卿となる。
忍びて語らひつきたまへりける 「語らひつく」は、男女の仲についていうことが多い。「忍びて」とあり、側室以下の愛人関係であった。
本の北の方 兵部卿宮の正室。その威勢を笠にきた威嚇があったらしい。
あてにをかしう 気品高く美しく。宮家の高貴な血が通うことを思う。/ あて[貴]身分の貴いこと。高貴。・貴くみやびなこと。上品なこと。
さかしら心 でしゃばって利口ぶる性質。
見まほし 「見る」妻にする。
教へ生ほし立てて見ばや 「おほしたつ」は、育て上げる。「見る」は妻とする。/ 「見る」は二行前の「見まほし」の「見る」と同じく、妻にする意。
亡くなりはべりしほどにこそ、はべりしか 死に際に忘れ形見がありました、生まれました。
幼き御後見に思すべく、聞こえたまひてむや (私をその)お小さい方のお世話役とお思い下さるよう、お話下さいませんか。(玉上)/ この私を幼いお方のお世話役にお考えくださるよう、尼君に申し上げてくださいませんでしょうか。(小学館古典セレクション)
行きかかづらふ方もはべりながら 通って行って交渉をもっている所。左大臣の娘葵の上をさす。仲が冷たいので、実際には独り暮らし同然とする。
まだ似げなきほどと まだ不似合の年齢なのにと、世の常の好色者と同列にされ、自分が引っ込みのつかぬ間の悪い立場に立ちはしないか、とする。
はしたなくや 「はしたない」③きまりが悪い。みっともない。
いはきなき いわけなし[稚し]こどもらしい。あどけない。おさない。
御覧じがたくや 「御覧ず」は、「見る」(妻とする)の尊敬語。
すくよかに きっぱりと。
ものごはきさま 「ものごわし」[物強し]かたくるしいさま。うちとけないさま。
初夜 そや。一昼夜を晨朝(じんじょう)・日中・日没・初夜・中夜・後夜の六時とし、それぞれに念仏誦経などの勤行(ごんぎょう)をした。初夜は戌(いぬ)の刻(午後八時頃)。
すずろなる人 これといった関心のない人。
そよめく音なひ 「そよめく」②人の動く気配がする。ざわめく。「音ない」音がすること。耳に感ずる気配。様子。
あてはか 高貴なさま。上品なさま。
扇を鳴らしたまへば 人を呼ぶ合図。扇を掌に当ててぱちぱちならす。
仏の御しるべは 案内をたのむ女房を釈尊に見立てる。「従冥入於冥永不聞仏名 冥きより冥きに入りて、長く仏名を聞かざりしなり」(法華経・化城喩品)
おぼめきたまはむ 「おぼめく」そらとぼける。
初草の若葉の上を見つるより旅寝の袖も露ぞ乾かぬ 「初草の若葉」は紫の上をさす。/初草の若葉のようなかわいらしい方を見てからは、旅の宿りの衣の袖も恋しさの涙の露にぬれて、まったくかわく間もないのです。(小学館古典セレクション)/ はつ草の若葉のことを知ってからは、旅の宿りのわたしも袖さえ涙の露がかわきませぬ。(玉上)
消息 (しょうそこ)①動静。安否。様子。②訪れること。往来。③文通。手紙。/ 源氏の消息を聞き分け入る人はいない。紫の上が幼くてとても源氏のお相手はできない。僧都の話によっておよそ実情はお分かりでしょう、と女房の推測。
おのづからさるやうありて聞こゆるならむと思ひなしたまへかし 「さるようありて」申すべき理由があって。/ 自然、仔細があって申すこととお考えいただきたい。(玉上)/ 自然と、しかるべきわけがあって申し上げているのだろうとお考え下さい。(渋谷) 
いとむつかしき御けはひに (校正)いと恥づしき御けはひに(小学館・玉上・岩波大系)「むつかしき」とするのは、渋谷氏の原文だけ。しかも、その訳は、「まことに立派なお方に、・・・」となっている。「はずかしい」③こちらが恥かしくなるほと相手が優れている。「むつかしき」②機嫌が悪い。⑤見苦しい。「いとむつかしき」ではこのような訳にはならない。(管理人記)
ついでなる御消息は 校正(小学館古典コレクション)「つてなる御消息は」(玉上)「人づてなる御せうそこは」/ この物語に登場する方々は、すなわち当時の貴婦人は、直接男と言葉をかわすことは極めて珍しく、侍女をして取り次がせるのが普通で、直接だとことわらないかぎり、「聞えたまふ」とあっても、侍女の取次を通じてである。すなわち、「申させたまふ」と同じだと見てよいようである。また、高貴な人の訪問をうけた時、侍女に取り次がすのは失礼になるようである。それで、「まださらに聞え知らず、ならはぬ事になむ」と言って、直接の対談を求めた。(玉上)
うたてもあらめ 「うたて」③(次に「あり」「侍り」「思ふ」「見ゆ」「言ふ」などの語を伴い、また感嘆文のなかに用いて)心に染まない感じを表す。どうしようもない。いやだ。情けない。あいにくだ。
思ひたまへ寄りがたきついでに 思いも寄らないこうした折りに。「思い寄り」思いつくこと。→思いも寄らない。
いかが 「浅くはいかが思ひたまへむ」ぐらいの意。 / お志を浅いなどとどうして(思いましょうか)。(玉上)/どうして浅いおぼしめしとは。(小学館古典セレクション)/ どうして浅い縁と申せましょう。(渋谷)
御覧じ許さるる 「見ゆるす」の尊敬語。[見赦す]見ても咎められずにそのままにしておく。見のがす。/ 大目に見てもらえるところもございませんようなので。
うけたまはりとどめられざりける 「聞きとどむ」の謙譲語。「られ」は可能。
聞こしめしひがめたる 「聞きひがむ」(聞き違える)の尊敬語。源氏が紫の上を一人前の娘と勘違いしている、と尼君は思っている。
おぼつかなからず 「おぼつかない」[覚束無い]はっきりしない。ぼんやりしている。/ (否定なので)みな詳しく分かっている、意。
所狭う 気づまりである。窮屈である。わずらわしい。めんどうだ。
吹きまよふ深山おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな 「上句、せんぼうの声を聞きて、煩悩の夢のさめぬるここちす、といふ意をふくめて、感涙をもよおす意をかねたるか」(玉の小櫛)/ 懺法の声をのせて吹き廻る山おろしの風に、煩悩の夢が覚めて、感涙をさそう滝の音であるよ。
さしぐみに袖ぬらしける山水に澄める心は騒ぎやはする 「さしぐみに」不意に。「さしくむ」(涙がわく)の意も含め、「汲み」をひびかす。「すめ」は「澄め」「住め」をかける。「汲み」「濡らす」「山水」「澄め」が縁語。/あなたがいきなり感涙に袖をお濡らしになった山水にも、ここに住んで行いすましている心は動かされることもありません。
法華三昧 法華経を一心に読誦し、その真諦を観念する行。
そこはかと たしかに。はっきりと。
護身 護身法。加持の力で身を守護する修法で、印を結び陀羅尼を誦する。
すきひがめる 抜けた歯の間を漏れる発音がゆがむさま。
おこたりたまへる 「おこたる」は病気が快方に向かう意。
陀羅尼 梵語。Dharani 善法を保ち、悪法をさえぎる意。真言とも。仏菩薩の説いた呪文で、翻訳せず原語で読誦される。
いとなみ 「いとなむ」は、いそしむ、熱心に用意する。
宮人に行きて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく 帰って大宮人たちに語って聞かせましょう、この見事な山桜のことを。花を散らす風が吹かないうちに、来て見るようにと。
優曇華の花待ち得たる心地し深山桜に目こそ移らね 君にお目にかかっては、優曇華の花を待ちに待ってついにそれを見ることができたような気持ちになりまして、この山奥の桜などには目も移りません。「優曇華」は梵語 Udumbara 三千年に一度開花し、その時は仏陀または転輪聖王(正しい法をもって全世界を統治するという理想的な王者)が世に出現するという。「是の如き妙法は、諸仏如来、時に乃ち是を説く。優曇鉢華の時に一たび現ずるが如きのみと}(法華経・方便品)
土器 (かわらけ)素焼きの陶器の杯。
奥山の松のとぼそをまれに開けてまだ見ぬ花の顔を見るかな 「とぼそ」戸、扉。/ こうして引きこもっています奥山の松の戸をめったに開けないことながら開けて、まだ見たこともない花のような君のお顔を拝見することでございます。
独鈷 (とこ)密教で用いる仏具。煩悩を打破した悟りに表象。真鍮や銅で造り、両端がとがっている。
金剛子の数珠 「金剛子」は菩提樹科の喬木の実。核は固く美しい花紋を有するので数珠玉に用いられる。
所につけたる 場所柄にふさわしい。
御誦経などして 法師に布施などをやって。「誦経」は布施のこと。
かの聞こえたまひしこと、まねびきこえたまへど 僧都は尼君に、源氏の懇願をありのまま伝える。「まねぶ」はそのとおりに語り知らせる。
「さなむ」と同じさまにのみあるを、本意なしと思す 僧都が「そうですね」と尼君と同じ意見であるのを、源氏は残念であるとお思いになる。「本意なし」①残念である。③期待外れで気に入らない。
夕まぐれほのかに花の色を見て今朝は霞の立ちぞわづらふ 昨日の夕暮れ時ちらりと美しい花の色を見ましたので、今朝は、霞がたつのとともに立とうとしましたが立ち去りかねております。
まことにや花のあたりは立ち憂きと霞むる空の気色をも見む 本当に花のあたりを立ち去り難いのでしょうか、そうはおっしゃるけれど、はっきりとしない空、・・・あなたの様子を見ておりましょう。
いとあてなるを 「あて」[貴]①身分のたかいこと。高貴。②貴くみやびなかなること。上品なこと。
たてまつる 「乗る」の尊敬語。
左中弁 夕顔の巻の蔵人弁。頭中将の異腹の兄弟。左中弁は太政官の左弁局の次席。
あさましく 「あさましい」[浅ましい]①意外である。驚くべきさまである。②興ざめである。あきれる。④なさけない。みじめである。
大殿 ここは左大臣家。その子息たちも迎えにくる。
吹きすましたり 澄んだ音色で笛を吹くこと。
飽かぬ 満ち足りない。名残惜しい。
乱り心地 病気、気分がすぐれないこと。
引き入りて 源氏を先に乗せ、降り口(上席)に座さしめ、自分は引っ込んで遠慮して乗り口(末席)に座す。
玉の台 (たまのうてな)りっぱな御殿。「玉台」玉で飾った高層建築
はひ隠れて そっと身をかがめて姿を隠す。こそこそ引っ込んで姿を見せない。
し据ゑられて 人びとに座らされたままである、自分の意志は働かせない。
うるはしうてものしたまへば 「うるはし」端正、欠点のない親しみがたい美しさ。
思うこともうちかすめ・・・ 「かすめ」わずかに触れる。ほのめかす。源氏が思う事をそれとなく言う。 / 以下岩波大系より、主格を補う。(源氏が)思ふことも(葵に)うちかすめ、山道の物語をも聞こえむ、言ふかひありて、(葵が)をかしういらへたまはばこそ、あはれならめ、(葵は)世には心も解けず、(源氏を)うとく恥づかしきものに思して、年のかさなるに添へて、(葵の)御心の隔てもまさるを、(源氏は)いと苦しく、思はずに。
思はずに 「思わずなり」連用形中止法。心外で、気に入らないで。
後目 (しりめ)顔は動かさす目だけ動かして後方をみる。
いとど いよいよ。ますます。
聞こえわづらひたまひて・・・ (君は)申すべき言葉も見つけられず、嘆息してお休みになったが、何か気まずい所があるのであろう。ねむそうな風をなさって、あれこれと苦悶されることがおおいのである。(玉上)/ 女君は、すぐにもお入りにならず、お誘い申しあぐねなさって、溜息をつきながら横になっているものの、何となくおもしろくないのであろうか、眠そうなふりをなさって、あれやこれやと夫婦仲を思い悩まれることが多かった。(渋谷)/ 申し上げる言葉もさがしあぐねられて、ため息をついて横におなりになるが、君は何となく面白からぬお気持ちなのであろうか、眠たそうなふりをなさって、あれこれと男女の仲の難しさを思いあぐねていらっしゃる。
なま心づきなきにやあらむ 「なま」副詞、何となく。「こころづきなし」気に入らない。心がひかれない。
とかう世を思し乱るること多かり 「世」は男女の仲。源氏は自分の恋愛事件をああかこうかと考え、胸中千々に乱れる、そういうことが多い、というので、源氏は今思っている女が何人かいることを暗示する。
ゆかしき ①何となく知りたい、見たい、聞きたい。好奇心がもたれる。
問はぬは 「君をいかで思わむ人に忘らせて、問わぬはつらきものと知らせむ」(源氏釈)。「言(こと)も尽き程はなけれど片時も問わぬはつらきものにぞありける」(古今六帖・五)。心を開いて素直に源氏を待ち迎えることのできない葵の上は、かろうじて古歌により恨みを述べる。
似げないほど 結婚には不似合な年齢
もて離れたりし御気色のつつましさに こちらの願いを取り上げてくれなかった、そちらのなさり方に遠慮されて。(小学館古典セレクション)。取り合って下されなかったご様子に気がひけて。(玉上)/ (尼君が)源氏の願いを取り上げてくれなかった、そのなさり方に、(源氏が)遠慮されて。/ 「つつましい」[慎ましい]①ある事柄をしたり、ある状態を他に知られたりすることが遠慮される。気恥ずかしく感じられる。②その行為が他から見て控えめである。慎重である。→遠慮する。気がひける。慎重である。/ 「もて離る」ひどく離れる。遠ざかる。願いを取り上げてくれなかった(取り合ってくれなかった)、までの意味はないのだが。学研全訳古語辞典「もて離る」(管理人)
いかでか 下に、「迎えとらむ」ぐらいに意。
あてになまめいたまへれど 「あて」[貴]①身分の高いこと②貴く雅なこと。「なまめく」[艶く・生めく]①若々しく見える。ういういしい。②しっとり上品なさま。優雅である。
一族 一門。ここでは叔母の藤壺。/ 「おぼゆ」は、似る、の意。
またの日 北山から帰京した翌日。宮中参内と左大臣邸訪問は当日であった。
ほのめかしたまふ 「ほのめかす」それとなく見せる、それとなく言う、それとなくにおわす。
おしなべたらぬ 「おしなべて」普通に、世間並みに。否定なので、尋常ならざる(熱意)。
引き結びて 「ひき結び」は、結び文のこと。立文(たてぶみ)が書状を包んだ白紙の上下をひねり折にして正式な要件に用いられるのに対し、これは、書状の端や中を折り結んで、よく恋文の用いられた。尼君宛の立文の中に紫の上への小さな結び文を入れた
面影は身をも離れず山桜心の限りとめて来しかど 山桜の美しい面影がわたしの身を離れません。わたしの心のありたけをそちらに置きとどめてきたのでしたが。
夜の間の風も、うしろめたくなむ 「朝まだき起きてぞ見つる梅の花夜の間の風のうしろめたさに」(拾遺・春 元良親王)「うしろめたい」気がかりです。後のことが気になる。
さだすぎたる 盛りの年齢を過ぎた尼君たちの。「さだ」は本来「時」のこと。
ゆくての御こと 「ゆくて」は、行きがけ、物事のついで。源氏の行きずりの執心とする。
なほざり 本気でない。いいかげんだ。注意を払わない。おろそかだ。
ふりはへさせたまへる 「ふりはふ」は、わざわざする意。
難波津 百済からの帰化人王仁(わに)が、仁徳天皇即位を祝って奉ったといわれる歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」(古今・仮名序)・・・
嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ 嵐が吹いていずれは散ってしまう峰の桜の、まだ散らないでいるほんの一時だけ、お心をとめられたのは頼りないことです。
あさか山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらむ あさか山というその名のようにけっしてあなたのことを浅くは思っていませんのに、どうして山の井に影の宿らぬように、あなたはわたしからかけ離れておしまいなのでしょうか。前の「難波津」と並び称されるもう一首の手習歌「浅香山影さえ見ゆる山の井の浅き心をわが思わなくに」(万葉3807.古今仮名序)を引く。「影は」覗き込む人の影まで映るほどの浅い、の意。
汲み初めてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見るべき 「あさか山」の類歌。「くやしくぞ汲み初めてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」(古今六帖・二)を引く。本歌は、山の井は見ただけでは分からぬが、汲んでみて初めて、袖を濡らしただけの浅い泉だとして、浅い仲を恨む歌。尼君の歌の「影」紫の上。/ 汲んでみて後悔するとか聞いておりました浅い山の井のように、あなたのお心の浅さのままでは、どうして姫君をさし上げることができましょう。
悩みたまふこと 「なやむ」は病むの意。
おぼつかながり ①はっきりしない。ぼんやりしている。②意味不明。あいまいである。③(状況がはっきりしなくて)気がかりだ。頼りない。
いとほしう 源氏の帝に対する憐憫の気持ち。「いとおしい」①見ていられないほどかわいそうである。気の毒である。
王命婦 王族出身の命婦。本来命婦には、五位以上の女官(内命婦)と、五位以上の官人の妻(外命婦)の区別があったが、平安中期以降は中﨟の女房の称となった。
たばかりけむ 「たばかる」策をこらす。/ 一挙に密会場面への展開する。
いとわりなくて見たてまつるほど とても無理な算段でお逢い申したので。(玉上)/ まったく無理な手だてによってお逢い申しあげるが。「わりなし」は藤壺にしたいよる情熱の理不尽さ。その理不尽さゆえに、(逢わずにそれを夢見ていたときはもちろん)今の逢瀬という現実までも、現実ではなく夢としか実感できない気持ち。(小学館古典セレクション)/ とても無理算段してお逢い申している間さえ(渋谷)/ (源氏は)いとわりなくて(藤壺を)見たてまつるほど。(岩波大系)// 「わりなし」を(いろいろ算段し)無理な手段を使って逢引までもっていく、の意味に取っているが、小学館のコメントでは、逢おうとする源氏の気持ちが「わりなし」(①道理がない。分別がない。わきまえがない。②やるせない。③一通りでない。ことのほかである。)であると解している。訳はそうなっていないが。(管理人)
わびしきや 「わびし」は予想外の事態に処しかねる気持ち。源氏の心内に即した語り手の感想である。(小学館)/嘆かわしいことである。(小学館)辛い事である。(玉上)/ 辛いことであるよ(岩波大系)/ 辛いことであるよ。(渋谷)
あさましかりしを思し出づるだに 「あさまし」は、あまりに意外なことに驚く気持ち。「し」の過去表現に注意。物語の叙述にはなかったが、以前にも藤壺は源氏と密会したことになる。(小学館古典セレクション)/ 驚くべきゆゆしい事を、お思いなさるだけでも。(岩波大系)/ 「あさましかりし」あきれはてた事。(玉上)
いみじき 「いみじ」①(忌避したいものの程度がはなはだしい意)大変悲しい、つらい、困った、恐ろしい、情けない、など。
世とともの 「世と共」つね日ごろ。つねづね。
なかなかなり かえって。逆に思いが募る。
見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがて紛るる我が身ともがな こうしてお逢いすることができても、またお目にかかれる夜はめったにないのですから、いっそこの夢の中にこのまま紛れ消えてしまいとうございます。/ 前の「くらぶの山」とも響きあって、自ら夢の中に溶け込んでいきたいとする歌。
世語りに人や伝へむたぐひなく憂き身を覚めぬ夢になしても 後の世までの語り草にならないでしょうか。類なくつらいこの身を覚めることのない夢の中のこととしましても。
悩ましさ ①悩みを感ずる。難儀である。苦しい。②病気などのため気分が悪い。
御物の怪の紛れ 当時は病気は「物の気」(怪異)のたたりと考えることが多かった。藤壺の病気も物の気のしわざで、その副作用で懐妊の様子が急には見えず、奏上も遅れた、という風にを奏上したのである。藤壺の宮についた物の気だから御がつく。
中将の君 源氏。近衛中将。
おどろおどろしう 驚くべきさま。
合はする者 「夢とき」ともいい、夢占いをするもの。
及びなう思しもかけぬ筋のこと 想像を絶するような運勢とは、源氏が帝の父になるという内容であろう。しかし源氏はすでに臣籍の人ゆえ、その子孫の即位はありえない。
違ひ目 意に反する事態。逆境。後の須磨流謫を暗示するか。
わづらはし うるさい。面倒である。
まねぶ ①まねてならう。まねする。②見聞したことをそのまま人に語り告げる。
むくつけう 気味悪い。
おぼえず (何事も)考えることができない。途方にくれている。
いとかたはらいたきことかな 源氏の君のお見舞いであるとは、まったく困ったこと(具合の悪い)であるなあ。
かしこまり 源氏訪問に対する返礼。
つつまれはべりてなむ 「つつむ」[慎む]①堪えしのぶ。用心する。②はばかる。気がねする。遠慮する。
乱り心地 取り乱したここち。気分の悪いこと。病気の状態。/ ここからの尼君の言葉は、直接述べたものではなく、侍女の女房を介して話したものである。
限りのさま 「限り」③死に臨んだ時。臨死。死。
たまさか 万一。
数まへさせたまへ 「数まふ」は、人並みに扱う。///
いみじう心細げに見たまへ置くなむ ひどく頼りない身の上のまま残して逝きますのが。(渋谷)何とも心細いありさまを見残してまいりますのが。(玉上)たいそう心細い有様のまま、この世に残してまいりますのが。(小学館古典セレクション)/ 「見たまへ置くなむ」「みおく」[見置く]③見捨ててお気宇。残し置く。
ほだし ①馬の足などにつなぐなわ。②足かせ手かせ。③自由を束縛するもの。
かたじけなきわざ 「かたじけない」①恥ずかしい。面目ない。②(過分の恩恵や好意を受けて)身にしみてありがたい。③(尊貴さがそこなわれるようで)もったいない。恐れ多い。/ ほんとに畏れ多いことでがございます(小学館)。まことに恐れ多い事ございます(玉上)。まことに、もったいないことでございます(渋谷)。
浅う思ひたまへむことゆゑ、かう好き好きしきさまを見えたてまつらむ (源氏が)浅う思ひたまへむことゆゑ、かう好き好きしきさまを(尼君が)見えたてまつらむ。/ わたしが浮ついた気持ちでしたら、尼君に好き者と見られるような行動をするでしょうか。/ わたしが浅く思っているなら、尼君に好き者と見られるような振る舞いをするでしょうか。/ 「見えたてまつらむ」そんな自分をお見せもうしましょうや。
上こそ おばあ様。「この寺」の「この」は「あの」の意。/ 「うえ」とは一家の主人をいう。
かたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞こゆ 「大層、具合が悪い」と思って、「ああ、やかましい、静かに」と言っている。
など見たまはぬ 男女は必ず物ごしで(御簾や几帳をへだてて)会う。顔を見ようとすれば、すき見をするのである。そして、当時はすき見、のぞき見はさほど失礼ではなかった。
いさ 「いさ」は否定的語気の感動詞。女房たちが制するのに対し反発している。
いはけなき鶴の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ 幼い鶴の一声を聞いてからというもの、早くそちらへという思いに駆られながらも、葦の間を分けて行き悩むこの舟は、やりきれない思いなのです(小学館古典セレクション)。幼い鶴の一声を聞いてからは、そちらへ行こうと思いつつ、葦原を行き悩む舟は、たまらない思いです(玉上)。
同じ人にや 「堀江漕ぐ棚無し小舟漕ぎかえり同じ人にや恋わたりなむ」(古今・恋四 読み人知らず)。ここでは幾度断られて、やはり同じ人、紫の上を慕うことだ、の気持ち。
秋の夕べは、まして、・・・ 秋の夕暮れは、常にも増して、心の休まる間もなく恋い焦がれているお方のことに思いが集中して、無理にでもその方のゆかりの人を尋ね取りたい気持ちもお募りなさるのであろう。尼君が「死にきれない」と詠んだ夕暮れを自然とお思い出しになられて、恋しく思っても、また、実際に逢ってみたら見劣りがしないだろうかと、やはり不安である。(渋谷)/ 「あながちなる」無理をして。強引に。しいて。「ゆかり」は縁続きのことで、ここでは紫の上。
べし 語り手の推測。
手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草 手に摘んで早くみたいものよ。紫草の根につながっているのであった、あの野辺の若草を(小学館古典セレクション)。「紫」は紫草のことでその根を染料とした。ここではその紫(藤)色から、藤壺をさす。「ね(根)にかよひける」は血縁関係をさしす。
朱雀院 三条の南、朱雀の西にある後院(天皇譲渡後の御所)。嵯峨天皇の造営。
つきづきしき 似つかわしい。ふさわしい。
立ちぬる月 先月。九月。
のどかなる 他に用事がなく暇なとき。
忌み 「拾芥抄」服忌部によれば、母方の祖父母死亡の際、二十日間忌み、三ヶ月間喪服を着る。ここは前者。
中空 中途半端。
宮に渡したてまつらむ 「宮」紫の上の実父、兵部卿宮。父の兵部卿宮に預けようとする。
故姫君の、いと情けなく憂きものに思ひきこえたまへりしに、 「故姫君」尼君の娘、紫の上の実母。以下尼君の生前の言葉。/ (北の方が・宮の正妻)情がなく嫌な人と故姫君が思っていたと話をする。
あなづらはしき人 「あなずらはし」[侮らはし]見くびり馬鹿にしたい気がする。力がなくて馬鹿にされること。実の姫君が大勢いる中で、ただ一人の継子として、虐待されるのを懸念している。
過ぎたまひぬるも 過ぎたまひぬる(人)も。亡くなった人も。尼君のこと。
しるきこと多くはべるに 「しるし」[著し]①きわだっている。はっきりしている。②予想通りの結果になる。継子いじめが必定と思われる。その証拠がある?
いとむげに児ならぬ齢の、まだはかばかしう人のおもむけをも見知りたまはず かわいがられやすい稚児でもなく、人の思惑を見抜ける大人でもなく。
なぞらひなるさまにもものしたまはず 「なずらふ」自動詞、肩を並べる。準じる。 他動詞①同程度とみなす。比べる。②似せる。まねる。源氏の君と比べられる程でなく。源氏と似合いではない。源氏と釣り合いが取れない。
なげの 「なげ」は口先だけ。なおざり、の意。源氏の希望をかりそめの懸想と見ている。
あしわかの浦にみるめはかたくともこは立ちながらかへる波かは 「あしわかの浦」は葦の若芽が生えている和歌の浦のことで、若いに紫の上をさし、波を源氏をさす。「みるめ」は海草の海松布と「見る目」(逢うこと)。「かは」は反語、磯に打ち寄せる波が返すように、自分もこのまま逢わずに帰れようか、いや帰れない。/ 若君にお目にかかることは難しかろうとも和歌の浦の波のようにこのまま立ち帰ることはしません(渋谷)。
めざましからむ (逢わずにかえるのは)あんまりだ。/「めざましい」②目の覚めるような思いがするほど、心外である。気に入らない。
寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむほどぞ浮きたる ここに言い寄ってくる波(源氏)の本心も知らず、和歌の浦において、もしも玉藻(姫君)が波になびき従うとすれば、その様子は、浮いた軽率なことである。/ 和歌の浦に寄せる波に身を任せる玉藻のように相手の気持ちをよく確かめもせずに従うことは頼りないことです。
わりなきこと 「立ちながらかえる波かは」など仰せられるのは、わたしには無理なことです。
なぞ越えざらむ 「人知れずぬ身は急げども年を経てなど越えがたき逢坂の関」(後撰・恋三藤原伊尹)「など」以下を「なぞ恋ひざらん」に変えて引き、どうして紫の上に逢わないですまそうか、の意に転じた。
思し放つ お思い捨てては(他人扱いしては)まあいけませぬ。
うたて 物事の状態が心に染まぬ不快な状態に移り進んでゆくのを嘆く気持ち。紫の上が、反射的に身構える。
ゆゆしう この「ゆゆし」は程度のはなはだしいさま。軽々しく喪中の幼女に求愛するとはあんまりなという気持ち。
御格子参りね 寝殿造の四面の柱と柱の間にかける戸で、一間ごとに上下二枚にして上のを外側に吊り上げ、下のを掛け金で止めておく。この「格子まゐる」は、下げる意。
御帳 貴人の寝所。寝殿の母屋に一段高く台を設けて畳を敷き、その四方に帳をたらしたもの。
あやしう思ひのほかにもと、あきれて 「あやし」は「あるまじきこと、けしからぬこと」の意。/「あんな少女と一緒に寝るなんて、あるまじく、意外の事にもあるよ」
うしろめたなうわりなし 気がかりであり、困ったこととおもうけれど。
うたておぼえたまへど (紫の上と共に寝てはいるものの)一方では、こんなことをしているのを、浅ましく思う。「うたて」心に染まない感じを表す。どうしようもない。いやだ。情けない。
いざ、たまへよ さあ、わたしの家にいらっしゃい。来給え。
ことあり顔なりや しのんで通う女の所は、夜の深いうちに、明けるには間のあるうちに、立ち去るのが普通である。いま同様な立ち方なので、実事ありげに見えると言ったのである。
いとあはれに見たてまつる御ありさまを、今はまして、片時の間もおぼつかなかるべし 全くしみじみと可愛いと見申しあげる紫の上のご様子に対して、私(源氏)は以前にもまして、ほんの一寸の間でも紫の上に逢わないと、気がかりで心配であるだろうと思う。
よそよそにてならひたまへる 実際には別々の暮らしになれておられる方は。
まことの懸想もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはす 幼女である紫の上では、まだ「まことの懸想」の相手にならない。それを源氏は「さうざうしう」(物足りなく)思う。/ 「さうざう・し」物足りない。心寂しい。張り合いがない。
何の所狭きほどにもあらず /「何の」は反語。「ところせし」は、精神的に窮屈だ、気詰まりだ、の意。
曹司 本来女官・官人のために宮中に設けられた個室をいうが、一般貴族の舘の場合にも使われる。
いとようものしたまひなむ 大層具合よくきっと過ごしなさるがよいと思う。
さだ ①時。時期。②若い盛んな年頃。
ものせし 「ものす」は代動詞。ここは「言う」の意。「物する」ある動作をする。「言う」「食べる」「書く」など種々の動作を婉曲にいう語。
心置くめりし ①気にかける。心にとめる。③気を使う。遠慮する。/ 人も、の人は北の方(父宮の正妻))
きこしめさず 「聞こし召す」③「飲む」「食う」などの尊敬語。お召し上がりになる。
あてに 「あて」[貴]身分の高いこと。上品なこと。
まつはしならひて 「まつわす」[纏はす]①まつわるようにする。②絶えずつきまとわせる。
屈したまへば 「くす」[屈す]気がふさぐ。めいる。
心苦しう見たてまつりしも、しづ心なく お気の毒なと拝見したご様子も気がかりで。「いづ心なく」気が気でなく。/ 人少なでお気の毒に紫上を見申したにつけても、気が気でなく、落ち着いておられません。
あなかしこ ③(下に禁止の語を伴い)けっして。/ あな、かしこし。恐れ多いこと。転じて決して、絶対に。
いはけなく 子どもっぽく。あどけない。おさない。
あり経て後や 「あ(在)り経」は、月日を送ること。
かけても 少しでも。いささかも。
うしろやすく あとの心配がない。あとに心残りがない。
心幼くもてなしきこゆな 軽率に扱ってはならない、の意。
ただなるよりは 「ただなる」は、普通である、の意。ここは、「ただなる時」のことで、兵部卿宮の注意がなかったこれまでの日々。
すずろなる この「すずろ」は行き過ぎという感じ。
蓬生 蓬などの雑草が生い茂った所。
をさをさあへしらはず 「おさおさ」きちんと。(否定後を伴って)ほとんど。全く。「あへしらう」応答する。
ことあり顔にや思はむ 「事あり顔」は、源氏と姫君との間に夫婦関係が生じたふうに、の意。
蓬生 蓬など雑草の生い茂った所。荒廃した邸の象徴。ここは故大納言邸。
君は大殿におはしける 「大殿」左大臣邸。次の「女君」は葵の上。
あづまをすががきて 「あづま」東琴(あずまごと)で、六弦。和琴(わごん)とも倭琴(やまとごと)。「すががく」本格的でない一奏法、心やりのできる奏法であろう。
常陸には田をこそ作れ 風俗歌「常陸」に「常陸にも 田をこそ作れ あだ心 や かぬとや君が 山を越え 雨夜来ませる」大意は、私は常陸で田を作って余念がないのに、浮気しているのではないかと疑って、あなたは山を越えて、この雨夜においでになった。相手になってくれない葵の上への不満をかこつ。一説に、「置かぬ」の意とし、夜雨をおして来訪した男への感謝と解する。
もどき とがめること。非難。「もどき負ひなむ」非難を浴びる。
わが御方にて 左大臣邸の源氏の自分の部屋。
たてまつる 「着る」の尊敬語。
かたはらいたく 「かたわらいたい」[傍ら痛い]②きまりが悪い。恥ずかしい。いたたまれない。
おどろいたまはじな 「おどろい」は「おどろき」の音便。目が覚めること。
 「や」は呼びかけの感動詞。この場合源氏を制する言葉。(古女房たちは驚きあきれて、声も出ない)
君は何心もなく寝たまへるを 「君」を源氏と解するか、紫の上の説もある。
まして聞こえがたかべければ お話することは、今でさえ面倒なことなのに、父宮邸に移られたとしたら、まして。(小学館古典セレクション)/ 今まで以上に消息も申しがたくなるのであるから。(岩波大系)
西の対 西の対屋(たいや)。寝殿の西側に渡り廊下でちながる建物。
やすらへば 「やすらう」は躊躇(ちゅうちょ)すること。
いと思ひやりなきほどのことにはべれば [「思ひやり」を、移転のための用意思案と解したが、紫の上の思慮分別ととる説もある。/ 今は何の用意もない突然のことでございますから。(小学館古典セレクション)/ 何とも考える暇もない急な事でございますので。(渋谷)
あたりあたり あちらこちら。
 「帳」は部屋の上部から垂れげて、隔ての具とする布。
御几帳 「几帳」は貴人の脇に立てて内外をさえぎる道具。高さは三尺と四尺の二種あり、台に柱を立てて横木を渡す。そこにかけた垂れ布を帷子という。
御宿直物 「宿直物」は宿直の際使用する衣服や夜具。ここでは寝具。
むくつけく おそろしい。気味が悪い。
おぼろけにはあらじ 「おぼろけ」②通りいっぺん。いい加減。
すずろなる人 いい加減な男。薄情な男。「すずろ」[漫ろ]④無関係なさま。気のないさま。
鈍色のこまやかなる 「鈍色(にびいろ)」濃いねずみ色。喪服の色。母方の祖母の喪は三ヶ月。「こまやか」は色の濃いさまをいう。
ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露分けわぶる草のゆかりを まだ共寝はしていないけれど、あわれに思う、武蔵野の露わけ行っても逢いがたい紫草のあなたを。/ まだ共寝はして見ないけれども、可愛いとどうしても思う、武蔵野におく露をわたしが分けるのに思い悩む(逢いたいが逢いがたく思いわびている)草(藤壺)の縁者(紫の上)を。(岩波大系)/ まだ枕を交していないけれども、しみじみとかわいく思う。武蔵野の露を分けあぐねるように、逢いかねている紫草のゆかりのあなたを。(小学館古典セレクション)
うちそばみて 「そばむ」[側む」横を向く。
らうたうのみおぼゆれば ただもう可愛いとばかり思わずにいられないものだから。自分の心ながら、変(わけがわからない)だと思う。
かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ わたしは(紫の上)御身が(源氏)[武蔵野の露わけわぶる草のゆかり」などと、わたしを言い立て(かこつけ)なさるような理由を存じませぬから、不安に思います。一体わたしは誰の縁者なのでしょうか。(岩波大系)
せちに口固めやりたり 「や(遣)る」とあり、二条院にいる少納言から、故尼君邸へ伝言した。
いとものし 「ものし」は、不快だ、の意味。
おいらかに 穏やか、素直なさま。
便なし 都合が悪い。不都合だ。
はふらかしつる 「はふらかす」放り出す。身を寄る辺なくさらす。
あとはかなくて 跡形がない。手がかりがない。
あたらしかりし 「あたらし」は惜しい、もったいない、の意。
ものより 外出先のある場所。
さるかたに そういう(遊び相手という)点から見て、紫の上の態度は(状態)は、大変可愛いものであるのだっけよ。
さかしら心あり、何くれとむつかしき筋になりぬれば (されど大人になって)女がかしこ立てし、思慮分別があり(嫉妬心などを起こすようになり)、何やかやにつけ、男女の間が面倒な事情になってしまうと。
わが心地もすこし違ふふしも出で来やと、心おかれ、人も恨みがちに、思ひのほかのこと、おのづから出で来るを 妻に対する自分(男)の気持ちもいくらか違う点(妻への情愛が変わって他の女に移っていく場合)も出てくるか、と女(妻)に気がね(遠慮)も自然にせられ、女(妻)の方でも、その「違うふし」から、男を恨みがちで、夫婦間に意外な問題が(離縁・別れ話等)自然に出てくるけれども。(岩波体系)
かしづきぐさ 「かしづきぐさ」で秘蔵っ子。「くさ」は種、材料の意。

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公開日2017年7月8日