源氏物語  蓬生 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 15 蓬生
藻塩垂れつつわびたまひしころほひ 「わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答えよ」(古今十八雑下 在原行平朝臣)
竹の子の世の憂き節を 「今さらになにを生ひいづらむ竹の子の憂き節しげき世とは知らずや」(古今十八雑下 凡河内躬恒)
下の心 内心。
常陸宮の君 末摘花。
おほかたの世の事といひながら (源氏が訪れなくなったのは)ご政治向きのこととはいいながら。世間一般に関わる事件のこと。須磨退去。
さる方にありつきたりしあなたの年ごろは そうした貧しい暮らしに慣れてしまった以前の長い年月は。
いふかひなきさびしさに目なれて過ぐしたまふを 嘆いても詮ない貧しさも当たり前のことになって過ごしていた。
なかなかすこし世づきてならひにける年月に (源氏の援助のお陰で)なまじ多少は世間並みの生活に馴染んだ年月を送ったため。
すこしも、さてありぬべき人びとは 多少とも役に立ちそうな女房たちは、(源氏がお通いと聞いて)招かずともやってきて、居ついてお仕えしていたのだが。
女ばらの命堪へぬもありて 老齢で寿命の尽きる者もあって。/
人気にこそ 人の住む気配があればこそ。そのようなあやしい物も阻まれて姿を隠していたが。「さようなもの」とは、「木霊など」をさす。
放ちたまはせてむやと、ほとりにつきて、案内し申さするを 手放してくださいませんかと、つてを求めてご意向をお伺い申させていますが。「ほとり」は宮家に仕えている女房たち。
思し移ろはなむ 移ろうとお考えくださいませ。
なまもののゆゑ知らむと思へる人 にわか仕込の骨董いじりをこころざす人が。「なま」未熟。「もののゆゑ」ものの由来。
生ける世に、しか名残なきわざ、いかがせむ わたしの生きている間に、お父様の形見をなくしてしまうことなど、どうして出来ましょう。
さるもの要じて そのような調度類を欲しがって。
わざとその人かの人にせさせたまへると尋ね聞きて (故宮が)わざわざ特別に誰それに作らせた。
あなづりて 侮る。見くびる。
たづきなく 処世のすべを知らず。
総角あげまき /髪を左右に分け、耳の上で輪にまく少年髪型。転じて少年のこと。
ひたぶる心ある者 無鉄砲な連中。情け容赦のない者。
心遅くものしたま 遅れていらっしゃる。不得意である。
唐守からもり』、『藐姑射の刀自はこやのとじ』、『かぐや姫の物語』 当時の物語の名。「唐守」は散逸して伝わらない。「藐姑射の刀自」は藐姑射の刀自を育てた照満姫をヒロインとする求婚譚らしく、中世まで伝存した。「かぐや姫の物語」は現存の竹取物語。当時の物語は絵を見て物語を楽しんだ。
かく人疎き御癖なれば 人見知りする性格なので。
おのれをばおとしめたまひて、面伏せに思したりしかば 亡き姉上は(末摘花の母親)は、私を見下していて、一家の恥と思っていたので。
もとよりありつきたるさやうの並々の人は 並々の人としてありつきたる。平凡な受領階級として生まれついた人。もともと生まれついての受領のような低い身分の者は。
思ひ上がるも多かるを お高くとまっている者も多い。
心すこしなほなほしき 心が卑しい。「なほなほしき」普通の。平凡な。劣っている。下品な。
人にいどむ心にはあらで、ただこちたき御ものづつみなれば 人と張り合うつもりでは なく、大変な恥ずかしがりやなので。「ものづつみ」(物慎み)引っ込み思案。
大弐 太宰の大弐。大宰府の次官。従四位下相当。長官はたいてい赴任せず、大弐が実務をつかさどることが多い。地方官では最高の職。
心細き御ありさまの、常にしも訪らひきこえねど あなたのおさびしい暮らしを、普段はお見舞いしていませんが。
近き頼みはべりつるほどこそあれ お近くにいて安心していた間はともかく。
今は限りなりけり 今はもうおしまいだ。
たびしかはら 下賎な者。「たびし」石ころ、「かはら」瓦。
語らひつきて、とどむべくもあらざりければ、心よりほかに出で立ちて  「語らひつきて」口説いて。「とどむべくもあらざりければ」その甥とかいう人が、侍従を都に置いときそうにないので。「心よりほかに」心ならずも。やむを得ず決心はしたのだが。
わが身は憂くて 私の果報が悪くて、こんなふうに源氏から忘れられてしまったのだ。こうなったのは源氏が冷淡なせいではない、という気持ち。
山人の赤き木の実一つを顔に放たぬと見えたまふ 樵夫などが、赤い木の実をひとつ顔に放さずにつけているといったふうでいらっしゃる横顔などは、末摘花の鼻の先が赤いことをいう。
おぼろけの人の見たてまつりゆるすべきにもあらずかし 薄情な男ならこらえてさしあげることも出来ないであろう。
かき付かむかたなく すがりつくものとてなく。「かきつく」とりつく。しがみつく。頼りにする。
眺め過ごしたまふ 思いに沈んですごす。
生ける浄土の飾りに劣らず この世の極楽浄土の荘厳さながらで。「生ける」この世に現じた、の意。
仏菩薩の変化の身にこそものしたまふめれ 源氏の君は、仏か菩薩の化身でおたっしゃろう。
五つの濁り深き世に 劫濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、命濁(みょうじょく)、煩悩濁、衆生濁。悟りを開く妨げになるこの世の濁り。
三つの径 隠者の家の庭。門へ行く道、井へ行く道、厠へ行く道の三つ。//
心憂く思し隔てて 私をお嫌いでしょうから。
おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば (亡き姉上が)わたしを一家の恥だとのけ者にお思いでしたから。
年ごろも、何かは 今までだって何の粗略にお思い申したことでしょう。今までも粗略に扱っておりません。
げに、しかなむ思さるべけれど ほんとうにそうお思いなのもごもっともですが。
たぐひははべらずやあらむ (そのような)例はございますまい。
大将殿の造り磨きたまはむにこそは、引きかへ玉の台にもなりかへらめとは、頼もしうははべれど 大将殿がお手入れしてくだされば、打って変わって美しい御殿にもなりましょうと望みももてますが。「造り磨きたまはむ」の「む」は仮想の助動詞。もしもお手入れなさればそのときは。
式部卿宮の御女 紫の上のこと。
心きよく我を頼みたまへるありさまと尋ねきこえたまふこと 貞淑いちずにご自分(源氏)を頼りになさってのことと思って、訪れてくださるとは。
いとど音をのみたけきことにてものしたまふ ますます、声をあげて泣くことばかりを、せめてものことにしていらっしゃる。「たけきこと」この際できる精一杯のこと。
絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる あなたとは絶えるはずのない間柄だと頼りにしていましたのに、思いもかけず遠く別れてしまうのですね(新潮) / あなたとは絶えるはずのない間柄と頼りにしていましたのに、思いもかけず遠く別れてしまうのですね。乳母子だから切っても切れぬ縁があると思っていたのに。
故ままの 「まま」乳母を親しみをこめて呼ぶ。
かひなき身なりとも、見果ててむとこそ思ひつれ ふがいないわたし(末摘花)だけれど最後まで世話してくれるに違いないと思っていました。「見果てる」最後まで見る。
玉かづら絶えてもやまじ行く道の手向の神もかけて誓はむ 姫君とのご縁は決して切れるものではございません、行く道々の手向けの神にかけてお誓いします(新潮) / 姫君とのご縁は決して切れることはございません、行く道々の手向けの神にかけてお誓いいたします。/ たとえお側に仕えるご縁が切れて、遠くへ離れて行っても、お世話申すことがなくなる(お見捨てする)ことはないと思います(やまじ)、道々の神々もわたし同様お誓いするでしょう。
えこそ念じ果つまじけれ 「念じ果つ」堪えがたきをこらえる。最後までがまんを通す。
めづらし人に、いとどもの騒がしき御ありさまにて 源氏は、久々にやっと再会された方(紫の上)に、ますます大層なご熱中といった有様で。/ 「めずらし人」は紫の上と見るが、山岸博士は源氏を指すと言われ、久しぶりに帰京した、珍しい源氏のために、二条院では歓迎のため、大騒ぎなのである、と解している。
忍びて対の上に御暇聞こえて出でたまふ こっそりと紫の上にお暇をいただいてお出かけになる。
いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに ひとしを物思いのまさるこの頃なので、思いに沈んでいらっしゃったが。
亡き人を恋ふる袂のひまなきに荒れたる軒のしづくさへ添ふ 亡き父宮を慕って袂の乾く間もないのに、荒れた家では雨まで降って濡らし添えるのも、おいたわしい折柄なのであった(新潮) / なき父君を恋い慕う涙で、袂の乾く暇もないのに、荒れた廂の雨水までかかって、袂はいっそう濡れる。(玉上)/ 亡き父上を慕って袂のかわく間もないのに、荒れた家では、雨まで漏って濡らし添えるのも、おいたわしい折柄なのであった。( 新潮日本古典集成)
しかしかなむ これこれの次第で。
ふと入りたまはむこと、なほつつましう思さる 今出し抜けに邸内にはいることは、憚られるようにお思いになる。
ゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど きちんとした歌など差し上げたいのは山々だが。
尋ねても我こそ訪はめ道もなく深き蓬のもとの心を 捜し捜ししてでも私は尋ねよう、道もないほどに深く茂った草のもとに、昔の人の変わらぬ心を(新潮) / 捜し捜ししてでも私は訪ねよう、道もないほどに深く茂った草のもとに、昔の人の変わらぬ心を。(新潮日本古典集成)/ 人の通う道もないほど深く蓬の茂った宿だが、昔ながらの姫の真心を尋ねて自分は訪問しよう。(玉上)
無徳なるを 「無徳」不体裁。
もしるく 「も著く」予想通りで。まさにその通りで。
さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに (あなたの方から)それほどにもお尋ね下さらなかったことが恨めしくて。「さしも」自分が思っているほどには。「おどろかす」便りをすること。
今までこころみきこえつるを 今までお気持ちをためしていたのですが。
杉ならぬ木立のしるさに 「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらいきませ杉立てる門」(古今集巻十八雑下 読み人しらず)
負けきこえにける 根負けしました。
なべての世に思しゆるすらむ おしなべて誰にも同じ男女の仲として。「世」は男女の仲。/ 誰に対しても同じことだと大目に見てくれるでしょう。
さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、あむめり さほど深くも思っていらっしゃらないことも、いかにも愛しているふうに、お上手におっしゃることもいろいろあるようだ。
まばゆき御ありさまなれば 何もかも目もあてられないご様子なので。/④いとわしくてまともに見られない。
つきづきしうのたまひすぐして 適当に言い逃れをおっしゃって。
「 
引き植ゑしならねど 「引き植ゑし人はむべこそ老いにけれ松の小高くなりにけるかな」(後撰集巻十五雑一 躬恒)
藤波のうち過ぎがたく見えつるは松こそ宿のしるしなりけれ 松にかかる藤の花を通り過ぎがたく思ったのは、松に見覚えがあったからでした、変わらずに待つ、そのことが思われたからでした(新潮) / 松にかかる藤の花通り過ぎがたく思ったのは、松に見覚えがあったからでした、変わらずに待つ、それが思われたからでした。(新潮日本古典集成)/ 松にかかった藤波をみて通り過ぎがたく思ったのは、松があなたがわたしを待っているという宿のしるしであったのだ。(玉上)
年を経て待つしるしなきわが宿を花のたよりに過ぎぬばかりか 長の年月、ひたすらお待ちするかいもなかった私の家を、ただ藤の花を愛でるついでにお立ち寄り下さっただけなのですね(新潮) / 松にかかった藤を見て通り過ぎがたく思ったのは、松が、あなたがわたしを待っているという宿のしるしであったのだ。(玉上)/ 長の年月、ひたすらお待ちするかいもなかった私の家を、ただ藤の花をめでるついでにお立ち寄りくださったのですね。(新潮日本古典集成)
忍草にやつれたる上の見るめよりは 軒しのぶが生い茂って見る影もない外観よりは。
昔物語に塔こぼちたる人もありける 未詳。昔、願叔子(がんしゅくし)という婦人が夫の留守中に、夫の疑いを避けるため、塔の壁を壊し、夜通し明かりをつけていという貞淑な女の話。
さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを 末摘花をそういう人として(恋人としてではなく、庇護すべき人として)忘れずお世話しようと、おいたわしく思っていたのに。/ これを取り得の人として忘れまいと思っていた。
ほれぼれしくて隔てつるほど 「ほれぼれし」ぼんやりして。うっかりしご無沙汰して。
つらしと思はれつらむと、いとほしく思す 薄情者と思われていたことだろう。
御目移しこよなからぬに そちらと比べても大した違いがないので、末摘花の欠点も大目に見られたのだった。「目移し」は、あるものを見ていた目を転じて、ほかのものを見る。見比べる。
祭、御禊ごけいなどのほど 賀茂の祭。四月中の酉の日に行われる。「御禊」は、祭りに先立つ午の日(未の日のことも)、斎院が賀茂川で禊を行う。
さるべき限り御心加へたまふ しかるべき方々(源氏の庇護を受けている女君)には、みな気をつけてお上げになる。献上の品々をそれぞれに配るのである。
なげの御すさびにても 一時のおたわぶれでも。
おしなべたる世の常の人をば、目止め耳立てたまはず 並の平凡な女には興味を示さず。
何ごともなのめにだにあらぬ御ありさまを、ものめかし出でたまふは なにをやっても人並みでさえないお人柄の方を、ひとかどの人のように扱うのを。
埋もれいたきまでよくおはする御ありさまに お気立てなどは、それはもう、内気さの度が過ぎるほど人がよくていらっしゃるお人柄なので。「うもれ」引っ込んでいること。「いたき」は甚だしく。引っ込みすぎる。内気すぎる。
眺めたまひて 「ながむ」とは、物思いに沈むという意味だが、源氏の後見・厚遇のある今、物思いに沈むとは、いかにも悲しげでおかしいではないかと思われるので、「お過ごしになって」と国語訳をした。が、源氏の訪れもなく、たまさかの御消息を待つ生活は「ながむ」生活、もの思いに沈む生活以外の何ものでもない。住む、暮す、ということと、もの思いに沈む、ながむということとが同義語なのだ。(玉上)
東の院といふ所になむ、 二条の東の院。二条の院に大層近い所にお邸をお造らせになって。二条の東の院のこと。源氏は帰京以来、この院の造営を急いでいた。
近きしめのほどにて 「しめ」一区画の距離。所領。所有。

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公開日2018年8月29日