源氏物語  竹河 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 44 竹河
後の大殿わたりにありける悪御達わるごたち 後の大殿のご一家。髭黒一族のこと。髭黒は、今上の即位とともに右大臣になり、政権の座についていた。その北の方は源氏の養女分、玉鬘。髭黒が、冷泉朝の太政大臣(故致仕の大臣)と区別するために「後の太政大臣」と呼ばれたこと。おしゃべりな女房たちで、生き残った者が問わず語りに話したもの。
尚侍ないしのかみ 玉鬘。髭黒太政大臣の北の方。
あへなく亡せたまひにしかば 故髭黒太政大臣。その死去は、ここに初出。
折りて見ばいとど匂ひもまさるやとすこし色めけ梅の初花 手折って見れば、いっそう匂いもまさりはせぬかと思うほどに、少しは愛想よくしてください、梅の初花のようなお方(新潮)/ 手折って見たらひとしお匂いもまさりはしないかと思うほど少しにっこりなさってはどうかしら。梅の初花さん(玉上)
よそにてはもぎ木なりとや定むらむ下に匂へる梅の初花 付き合っても見ないで、わたしを枯れ木のようだと決めているようですね。心の中は色香に匂う梅の初花なのに(新潮)/ 他の人は私を枯れ木だなどと決めているらしいね。この心のうちでは咲きほころびている梅の初花をね(玉上)
匂ひ少なげに取りなされじ。好き者ならはむかし 風流っ気もないように見られたことだ、ひとつ洒落者の真似をしてみようか。/
ゆゑありてもてないたまへるあたりぞかし 高貴な趣味でくらしていらっしゃるお邸なのだ
人はみな花に心を移すらむ一人ぞ惑ふ春の夜の闇かし 人は皆、花に心をひかれているのだろう、私一人が春の夜の闇に迷っていることだ、心は悲しみにくれている(新潮)/ 人はみな花に心を寄せているのでしょうがわたし一人は迷っております、春の夜の闇の中で(渋谷)
をりからやあはれも知らむ梅の花 ただ香ばかりに移りしもせじ 時と場合によって心をも背もするのです、梅の花の香だけで心が引かれるわけではありません(新潮)/ 時と場合によって心を寄せるものですただ梅の花の香りだけにこうも引かれるものではありませんよ(渋谷)
竹河の橋うちいでし一節に深き心の底は知りきや 竹河を謡いましたあの文句の一端に、私の深い心の内はお分かりくださいますでしょうか、姫君を慕う気持ちを汲んでほしい、の意。(新潮)「はし」は端と橋をかけている。/ 竹河の歌を謡ったあの文句の一端からわたしの深い心のうちを知っていただけましたか(渋谷)
竹河に夜を更かさじといそぎしもいかなる節を思ひおかまし 竹河の水駅―私方で夜を更かすまいと急いでおかえりになりました。一体どんなことを心に止めておけばよろしいのでしょう(新潮) /竹河を謡って夜を更かすまいと急いでいらっしゃったのもどのようなことを心に止めておけばよいのでしょう(渋谷)
桜襲さくらがさねの細長、山吹襲の袿 大君の服装。桜襲さくらがさね(表白、裏赤、または蘇芳すおう)の細長に、山吹襲(表朽葉、裏黄色)の袿などの。
薄紅梅襲の 薄い色目の紅梅襲こうばいがさね(表紅梅、裏紫)。細長か。
はじめよりやむごとなき人の、かたはらもなきやうにてのみ、ものしたまふめればこそ 最初から大層なお方が傍らにならぶ人がないような勢いでいらっしゃるので。夕霧の大姫のこと。
藤侍従 玉鬘の三男の侍従。薫と区別ためこう呼ぶ。
いとど異ざまになりたまひなむこと、わびしく思ひまさらる よその人のものにおなりになっては、いよいよつらいつらい思いが増す気がする。
桜ゆゑ風に心の騒ぐかな思ひぐまなき花と見る見る この桜のせいで、風が吹くたびに気がもめます、思いやりのない花だと知りながらも(新潮)/ この桜のせいで風の吹くたびに気がもめます。わたしのことを思ってくれない花だとは思いながらも(玉上)「思いぐまなき」思慮分別がない、一方的である、思いやりがない。
咲くと見てかつは散りぬる花なれば 負くるを深き恨みともせず 咲くと思うまもなく散ってしまう花ですから、負けて、あちらのものになりましたのをさほど恨みにも思いません(新潮)/ 咲いたかと思うと片方では散ってしまう花ですから、負けて木を取られたのを深く恨みもしません(玉上)
風に散ることは世の常枝ながら移ろふ花をただにしも見じ 風に花が散るのは、これは世の常のことですから、枝ごと私の物になってしまった桜をば、平気でご覧になれないでしょう(新潮)/ 花が風のために散るのはあたりまえです。でも枝ごとこちらのものになった花は平気でご覧になれますかしら(玉上)
心ありて池のみぎはに落つる花あわとなりてもわが方に寄れ 右方に心を寄せて池の水際に落ちる花よ、あわとなってもこちらがわに流れて来ておくれ(玉上)/ こちらにお味方して、池の水際に落ちる花よ、水の泡となってもこちら側に流れておくれ(
大空の風に散れども桜花おのがものとぞかきつめて見る あたり一面、空吹く風に散ったのですが、わたしたちのものだと思って、かき集めて賞玩します(新潮)/ 大空を吹く風に散りましてもここ桜の花はわたしたちのものと思って、かき集めました(玉上)
桜花匂ひあまたに散らさじとおほふばかりの袖はありやは 美しい桜の花をあちこちに散らすまいとなさっても、空を覆うばかりの風をふさぐ袖がありましょうか(新潮)/ そちらの桜の美しい花びらを方々に散らすまいとしても大空を覆う程の大きな袖はないでしょうね(玉上)
ここに聞こえ疎むるなめりと、 私の方で何かいらぬことを申し上げて、邪魔をしているらしい、
つれなくて過ぐる月日をかぞへつつ もの恨めしき暮の春かな 私の気持ちも知らずに、過ぎてゆく歳月を数えながら、何やら恨めしい春の果てになりました(新潮)/ 私の心も知らない顔で過ぎ去ってゆく月日を数えているうちにあれこれと恨めしい春の暮れになりました(玉上)
あはれとて、言ひやるべき方なきことなり 気の毒だと思っても(院参はもう決まったことゆえ)どうしようもないことだ。以下中将のおもとの心中。
いでやなぞ数ならぬ身にかなはぬは人に負けじの心なりけり いやもう何ということだ。人数でもない身にとって、持ってもどうしようもないものは、人に負けまいとする心なのだ(新潮)/ いったい何の因果かしら、人数にも入らぬこの身なのに抑えることのできないのは、負けじ魂だなんて(玉上)
わりなしや強きによらむ勝ち負けを心一つにいかがまかする 困りましたこと、強い方が勝つに決まっている勝負事を、あなたの心ひとつでどうなりましょう(新潮)/ 無理おっしゃい。強い方が勝つはずの勝負事をあなたの心ひとつでどうなりましょう(玉上)
あはれとて手を許せかし生き死にを君にまかするわが身とならば かわいそうだと思って姫君を私に許してください、生きるか死ぬかはあなた次第の私だとお分かりくださるならば(新潮)「手を許す」碁で相手に何目か置き石を許すこと。/ 可哀そうだと思ってもう一度考え直しておくれよ。この先の生き死には君にゆだねている私だと思って(玉上)
藤中納言 故髭黒の長男。母は式部卿の娘。真木柱の兄。
あはれてふ常ならぬ世の一言もいかなる人にかくるものぞは あわれという、無常の世に使われる一言も、一体どういう人に言いかけたらいいのかしら(新潮)/ あわれというこの変わりやすい世の中で使われる一言を、どんなお方に言いかけたらよろしいのでしょう。そんな方はいませんもの(玉上)
生ける世の死には心にまかせねば聞かでややまむ君が一言 生きているこの世、死ぬことは思い通りできませんから、こうしてまだ命のある限りは聞かずにあきらめられましょうか、あなたのあわれというお言葉を(玉上)/ 今日をかぎりとは思いましても、この世にあれば死もおもうにまかせませんから、ではあなたのあわれという一言を聞かずに終わってしまうのか(玉上)
手にかくるものにしあらば藤の花
松よりまさる色を見ましや
 手にとれるものなら、あの藤の花が緑の松よりもきれいに咲いている美しい色をこうして眺めていたりしましょうか(玉上)/ 手に取ることができるものなら、藤の花の、松よりも濃い紫の色を空しく眺めていましょうか(新潮)
紫の色はかよへど藤の花心にえこそかからざりけれ 紫の色は同じだが、あの藤の花は私の心のままにできなかったのです(玉上)/ 姉上とは、血の通った姉弟ながら、思うに任せませんでした(新潮)
二所ふたところして申したまへば 兄弟二人。中将と右中弁。
男踏歌おとこどうかせられけり 正月十四日。宮中で行われる儀式。女踏歌が毎年行われるに対し、隔年、または数年を隔てて行われる。頭歌(6人)、歌掌、舞人、楽人などに選ばれた殿上人や地下の者が、清涼殿東庭の帝の御前で、歌を歌い足拍子を踏んで舞う。終わると禄に綿を賜り、宮中を退下、続いて院、中宮、春宮、を廻って同じく踏歌を行い、暁に宮中に帰る。
御息所の御方 大君のこと。《「みやすみどころ」の音変化。天皇の御休息所の意から》 1 天皇の寝所に侍する宮女。女御(にょうご)・更衣(こうい)、その他、広く天皇に寵せられた宮女の称。また一説に、皇子・皇女の母となった女御・更衣の称という。みやすんどころ。「六条の—」(デジタル大辞林)
竹河のその夜のことは思ひ出づやしのぶばかりの節はなけれど 竹河を謡ったあの晩のことを覚えていますか、思い出すほどの出来事ではございませんが(新潮)/ 竹河を謡ったあの夜のことをおぼえておりますか、思い出すほどの事もありませんですが(玉上)
流れての頼めむなしき竹河に世は憂きものと思ひ知りにき 行く先の希望も空しくなったあのことで、なべて世は憂きものとゆくづく分かりました(新潮)/ 今まで過ごしてきて望みがありそうに思わせられていたあの事も駄目になってしまい、世間は面白くないものだとしりました(玉上)
かかる仰せ言のあれば、さまざまに、あながちなる交じらひの好みと 「かかる仰せ言のあれば」しかじかの仰せごとがありましたので、帝が不興を漏らされたこと。「さまざまに」は大君が院へ、中の君が帝へ参ることをいう。「あながちなる交らひの好み」は院には女御がいられ帝には中宮のいられるところへ無理に加わっていく、無理おしの好きなこと。
わづらはしき御心ばへのなほ絶えねば あの厄介なお気持ちが相変わらずおありなので、冷泉院が今も玉鬘に懸想していること。
さる罪によりと そうした憚りがあるからとは、これは、御息所にもお話できないので。
数ならぬ人の仲らひにも、もとよりことわりえたる方にこそ、あいなきおほよその人も、心を寄するわざなめれば 世間の例として、身分の低い者たちの間でも、もとからの妻だという言い分のある者の方に、事情を知らない第三者も味方するものらしい。
聞こえし人びとの、めやすくなり上りつつ、さてもおはせましに、かたはならぬぞあまたあるや かって御息所に懸想申していた人々が、それぞれ立派に昇進して、薫や蔵人の少将たちである。/ 求婚していた人々が、順調に昇進してゆき、婿におなりになっても、不似合いでない方々がたくさんいる。
やむごとなき親王たち、大臣の、御女を、心ざしありてのたまふなるなども、聞き入れずなどあるにつけて 結婚させたいと思って申し込まれるというのなども(薫が)受けつけないなどと聞くにつけても(新潮) /高貴な親王たちや、大臣が娘を結婚させたいとの申し出を、(薫は)断っていると聞いて(管理人)/She knew indeed for a fact they had rejected offers from one great prince and statesman after another.(by Arthur Waley)彼ら(匂宮と薫)が宮様たちや大臣から娘の婿にどうかの申し出があったのを、次々に断った、と玉鬘は聞いていた。
右は左に、藤大納言、左大将かけたまへる右大臣になりたまふ  「左大臣亡せたまひて」ここは、髭黒のことか。夕霧右大臣が左大臣に。ただし後の宇治十帖を通して、夕霧は右大臣のままである。藤大納言は按察使大納言(紅梅の大納言、柏木の弟、玉鬘の弟)左大将兼任の右大臣になった趣。ただしこの人後の宿木、東屋の巻には、按察使大納言のままである。「この御族よりほかに人なきころほひになむありける」夕霧と致仕の大臣ゆかりのご一族以外には、人もいないといった時勢であった。
宇治の姫君の心とまりておぼゆるも、かうざまなるけはひのをかしきぞかし  あの宇治の姫君が忘れがたく思われるのも、こんなふうな感じがすばらしいからなのだ。「宇治の姫君」は、橋姫の巻以下と読み合わせると、八宮の大君のこと。紅梅巻末の「八の宮の姫君」と同様の唐突な書き方である。
大臣の殿 右大臣家。玉鬘の弟。先に右大臣に昇進した。「藤大納言、左大将かけたまへる右大臣になりたまふ」
左の大殿の宰相中将 左大臣夕霧の子息、もとの蔵人少将のこと。薫と同時に昇進している。
宰相は、とかくつきづきしく 「つきづきしい」いかにも似つかわしい。ふさわしい。好ましい。調和がとれている、の意である。夕霧の子、蔵人少将がやって来て、自分の方が似つかわしい・・・。と書いているようである。蔵人少将は、まだ大君をあきらめずにいる。(新日本古典集成では)玉鬘の姫君にかかわる貴公子として、薫よりはこの人を終始表面に立てた書き方、と註している。蔵人少将を主人公に物語を語ろうとしているふしがある。
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公開日2020年9月17日