源氏物語  東屋 注釈

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されど、寂しうことうち合はぬ、みやび好める人の果て果ては、ものきよくもなく、人にも人ともおぼえたらぬを見れば、すこし人にそしらるとも、なだらかにて世の中を過ぐさむことを願ふなり けれども、家運衰えて万事不如意な、風雅を愛した人々の行きつく果ては、小奇麗な暮らしもできず、世間からも人並みに思われていない有様を見ると、少し人に悪口を言われても、暮らしに困らないで世の中を過ごすことを願う。
警策きょうざく 字音語。「警策」人柄や容姿のすぐれていること。
一わたりはつらしと思はれ、人にはすこし誹らるとも、長らへて頼もしき事をこそ< やはり、一度はひどい男だと思われ、世間からは少々悪口を言われても。/ やはり一度はひどい男だと思われ、世間の人には少し悪く言われても、長い目で見て頼りになることこそたいせつと、/ やはり、一度はつらいと恨まれ、人からも少しは非難されようとも、長い目で見れば頼りになることこそ大切だ、
我を思ひ隔てて、吾子の御懸想人を奪はむとしたまひける、おほけなく心幼きこと 私に隠して、、うちの娘を好いてくださる大事なお方を横取りしようとなさったとは、何と大それた浅はかなことか。
かしこく思ひ企てられけれど、もはら本意なしとて、他ざまへ思ひなりたまふべかなれば、同じくはと思ひてなむ、さらば御心、と許し申しつる (あなたは)うまく計画を立てられたけれども、少将が自分の意に反する話だと言って、よその家の婿にと考えを変えておしまいになりそうだということだったので、同じことなら「我が家に」と思ってではお望みのままにとお受け申した」
ことなることなくてかたみに散りぼはむも たいして幸せな目にも会わず、どちらも落ちぶれたりしているのを(新潮)/ 特別なこともなくて、互いに散り散りになっているようなのも(渋谷)/ 特別の事もなくて、互いにちりぢりになるのも(玉上)
大輔たいふがもとにも 宇治以来の中君付きのの年輩の女房。
わが継子の式部丞にて蔵人 先妻腹の息子。「式部の丞」は、式部省(朝廷の儀式、文官の考査、選叙をつかさどり、大学寮を管理した)の三等官。「蔵人」は、蔵人所の職員。いずれも六位相当。ここは、式部丞で蔵人に補せられたのである。
なほなほしき人のあたりは、口惜しかりけり 身分の低い者のすることは、どう気張ってもたかが知れているのだ。
けはひこよなきを思ふも (浮舟とは)まるで人柄が違っている(さすが八の宮の娘は、受領の娘とは比べものにならない)/同じわが子といいながら、感じがまるで、と思うと/同じわが子ながらも、感じがまるで違うのを思うと。/ 「こよなし」(「越ゆなし」の意か。よい場合にも悪い場合にもいう)程度がこの上ない。格別である。ことのほか違っている。(広辞苑)
かやうになりぬる人のさがにこそ (私どものように)親のいない者の常です。
浮島のあはれなりし 「浮島」は陸奥の国の歌枕。常陸の介が陸奥みちのくの守であったことは、宿木にも見える、「浮島」に憂きを響かせ、奥州赴任時代のつらかった思い出なども語ったことをいう。「塩釜の前に浮きたる浮島の浮きて思ひのある世なりけり」(『古今六帖』三、ひほがま)
いとよく隠れてゐたまへり (近くに控える中君の女房たちにも)上手に几帳のかげに姿を隠していらっしゃる。みだりに姿を見せないのが姫君のたしなみ。
なまめかしうあてにきよげなるや 優雅な感じがして上品でおきれいでいらっしゃる(新潮)/なよやかで上品でお綺麗だ(玉上)/ 優雅で上品に美しい(渋谷)
すずろに見え苦しう恥づかしくて うっかり対面するのも憚られるほど立派なお姿で(新潮)/ 何となく見られるのがきまり悪く気がひけて(玉上)/ 何となく対面するのも遠慮されて(渋谷)
見し人の形代ならば身に添へて恋しき瀬々のなでものにせむ 亡き大君の身代わりならば、終始そばにおいて、恋しく思う折々は、その思いを移して流す撫物にしましょう。「なでもの」は紙製の人形。これで身体を撫で、罪、災厄、穢れなどを移して、水に流す祓えの具。(新潮)/亡き姫君の形見ならば、いつも側において恋しい折々の気持ちを移して流す撫物としよう(渋谷)
みそぎ河瀬々に出ださむなでものを身に添ふ影と誰れか頼まむ 禊河の瀬ごとに流し出す撫物でしたら、一生おそばに置いていただけると誰が頼みにしましょう(新潮)/ みそぎを川の瀬々に流し出すなでものですもの、一生おそばに置いてくださるものと誰が頼みましょう(玉上)/ 禊河の瀬々に流し出す撫物をいつまでも側に置いておくと誰が期待しましょう(渋谷)
牛頭栴檀ごずせんだん 牛頭ごず山(牛頭に似た峰を持つインドの高山)に産する栴檀(香木)法華経24品 薬王菩薩品に依拠する。
高きも短きも、女といふものは、かかる筋にてこそ、この世、後の世まで、苦しき身になりはべるなれ、と思ひたまへはべればなむ、いとほしく思ひたまへはべる 身分の高い人でも、低い者でも、女というものは、男女の仲のことで、この世だけでなく後世まで、嫉妬愛執の罪に苦しむことになるのだと存じます。
車など率て来て、守の消息など、いと腹立たしげに脅かしたれば、  (常陸邸から)迎えの車を持ってきて、常陸の介の言伝など、大層腹を立てているように伝えたので。娘の婚礼をよそに長居をしているのを咎めた趣。
女の心合はせたまふまじきこと 女君がご同意であるはずもないこと/ 浮舟が同意してのことではないと(渋谷註)
あたらしう 「あたらし」(可惜し)アタラはアタル(当る)と同源か。アタは相当する意。対象の立派さ、すばらしさを認め、その立派さに相当する状態にあればよいのにと思う気持ちを表す。平安時代以後「新(あたら)し」と混同した。①このままにしておくのは惜しい。もったいない。②(そのままにしておくのは惜しいほど)立派だ。すばらしい。
少将 中君付の女房。
いな、まだしかるべし いえ、まだそこまではいっていないでしょう。実事には及んでいないだろうと、露骨な推測。
中務宮なかづかさのみや 匂い宮の弟宮か。
大夫だいぶ 中宮職の「大夫」は中宮職の長官。
なき名は立てで 無実の罪は着せないでください。「思はむと頼めしこともあるものをなき名を立てでただに忘れね」(『後撰集』巻十恋二、男のもとより、今はこと人あんなればと言へりければ、女にかはりて 読み人知らず)「愛するとお約束下さったこともありましたのに。いまさら私に他の男があるなどと無実のうわさを口実にして私から離れようとはなさらないで、いやならいやで、はっきり私をお忘れになるがいい」この歌によって「なき名はたてて」と言ったのである。本文を「たてで<立てないで>」とする説はとらない。なお、山岸博士は「なき名はたてて」を「常に、取りない給ふこそ〔つらけれ〕の上に来る句、とされる。(玉上)
上、いとほしく、うたて思ふらむとて、知らず顔にて、 奥方(中の君)は、(浮舟)がかわいそうで、いやな気持でいるだろうと心配して。「知らず顔にて」何も知らぬ顔で。
かたはらぞいたくおはすらむ  (浮舟は)さぞかしきまり悪くお思いでしょうね。匂宮との間に、何かあったと思っている口ぶり(新潮)/ きまり悪くお思いでしょう (渋谷)/ 上(中の君)も、さぞかし苦々しくお思いでしょうね(円地)/ 「中君がきまり悪く思召すだろう。匂宮の仇心から起こった事故」(吉沢博士説)。(浮舟が、『ただ、いと苦しく侍り』と言うのに対して、原因が匂宮にあるから、実事もあったかと)いかにも、心中苦々しく、中君は御思いなされるであろう」(山岸博士説)。いずれも中の宮を主語と解していられるが、妹を主語と解した。この異母妹に、右近は敬語を使っているなお、「かたはらいたくぞ」とする本が河内本や別本にあり、「ぞ」のない別本もある。その方が普通の言い方と思う。 (玉上)
かく乱りがはしくおはする人は、聞きにくく、実ならぬことをもくねり言ひ、またまことにすこし思はずならむことをも、さすがに見許しつべうこそおはすめれ あのようにしまりがなくていらっしゃる方は、匂宮のこと。聞くに堪えないような、ありもしないことにも難癖をつけて文句を言うが、一方また、実際、多少心外なことがあっても、(ご自分の日ごろのことがあるから)さすがに大目に見るというようなところがおありのようだ。(おおざっぱでいい加減なところがおありのようだ)
白い衣一かさねばかりでいる  白いお召し物。袿姿であろう。濡れ髪のため、表着など着ていない姿。
言はで憂しと思はむこと、いと恥づかしげに心深きを 口に出さずいやだと思うような点は、気がひけるほど考え深い方なのだ。/ 表には出さないで、心の中で恨めしいと思うような点は、ひどく気がひけるほど立派だが。
あいなく思ふこと添ひぬる人の上なめり 難儀なことに、心配事が増えたらしい妹の身の上だ。
思ふ人もなき身に 思ってくれる人もない私ですから、亡き姉君同様、私を思ってくださるなら。「思ふ人」が、自分を愛してくれる親きょうだいのこと。
これに思しつきなば、めざましげなることはありなむかし (匂宮が)この人(浮舟)にご執心なさったら、目に余ることが起こるだろう。右近たちの思い。
かの御乳母の、ひき据ゑてすずろに語り愁へしけしき、もて離れてぞ言ひし。宮も、逢ひても逢はぬやうなる心ばへにこそ、うちうそぶき口ずさびたまひしか そうでもなさそうです。あの御乳母が(私を)掴まえて、何やかやと泣きごとを言っていました様子では、何ごともないような口ぶりでした。宮も逢って逢わぬような意味合いに、そんな歌を歌ったり口ずさんでいらっしゃいました(新潮)『釈』以下古註は「臥すほどもなくて明けぬる夏の夜は逢ひても逢はぬここちこそすれ」(出典未詳)をあげる。/ そんなでもないでしょう。あの乳母殿が、私をつかまえて、とりとめなく愚痴をこぼした様子では、何もないように言っていました。宮も会って会わないような意味の古歌を吟じ口ずさみなさいました。(玉上)/ 「もて離れてぞ言ひし」何ごともないような口ぶりでした。
いたち鼬のはべらむやうな まるで鼬と同じような気持ちがしますので。「いたちは狐の性の類也。狐は狐疑とて物をつよく疑う心のある物也。そのごとくにいたちも疑いの心ある物也。うしろやすくは思へども疑わしき心のあると也。いたちのまかげなどいふも疑心のある故也」 (『細流抄』)
かたはらいたう許しなかりし筋は、何にかかけても聞こえさせはべらむ。その方ならで、思ほし放つまじき綱もはべるをなむ、とらへ所に頼みきこえさする お恥ずかしいことながら(故宮が浮舟を)実の子とお認めくださらなかったことについては、一言も愚痴を言うつもりはなく、その方面ではなくお見捨てあそばすはずもない絆もありますので(自分が、中の君の母北の方の姪にあたることを言う)。
ことやうなりとも 粗末な家でも。「こよやう」は「異様」。普通ではないさま。
出で消えは 「出で消え」人前に出て普段よりも見劣りがすること。
しめ結ひし小萩が上も迷はぬにいかなる露に映る下葉ぞ 標を結った小萩は少しも乱れていないのに、どんな露が置いていったからといって、色変わりする萩の下葉なのでしょう「しめゆふ」は領有を示すためにしるしの標縄(しめなわ)を引き渡すこと。約束をした浮舟の方はそれを守っているのにあなたはなぜ妹娘に心変わりしたのですか、の意(新潮)/ 囲いをしていた小萩の上葉は乱れもしないのにどうした露で色が変わった下葉なのでしょう(渋谷) / 囲いをした小萩の上葉は乱れもしないのに、どうした露で色の変わった下葉なのかしら/「標結(ゆ)う」 占有、道標のしるしとして草などを結ぶ。縄などを張って立入りを禁ずる。また、反対に、出て行くのを止める意にも用いる。
宮城野の小萩がもとと知らませば露も心を分かずぞあらまし 宮城野の小萩ー八の宮の姫君と知っていたら、かりそめにも心をほかに分けはしなかったでしょうに。「宮城野」は陸奥の歌枕。「宮城野」の「宮」に皇族の意を響かす。(新潮)/宮城野の小萩のもとと知っていたならば露は少しも心を分け隔てしなかったでしょうに(渋谷) /宮様の姫君と知っていたなら、少しも心を分けはしなかったでしょうに(玉上)/
この君は、さすがに尋ね思す心ばへのありながら、うちつけにも言ひかけたまはず、つれなし顔なるしもこそいたけれ この君(薫)はさすがに、気にかけて言い寄ろうというお気持ちはありながら、何のきっかけもなく、言い出したりもなさらない、何気ないふりをしていらっしゃるのは大したものだ (新潮)/ 薫の君は、さすがに尋ね求めるお気持ちがありながら、だしぬけにも言葉をおかけにならず、素知らぬ顔でいるのはたいしたものだ(玉上)/この君は、何と言っても言い寄ろうとするお気持ちがありながら、急にはおっしゃらず、平気を装っていらっしゃるのは大したものだ(渋谷)
ひたぶるにうれしからまし世の中にあらぬ所と思はましかば 何もかも忘れてうれしいことでしょうに、もしここが憂き世を離れた別世界と思うことができましたら(新潮)一途にうれしいことでしょう、ここが浮世でない別の所だと、仮に思いますなら(玉上)/ 一途に嬉しいことでしょう  ここが世の中で別の世界だと思えるならば(渋谷)
憂き世にはあらぬ所を求めても君が盛りを見るよしもがな つらいこの世以外の所を捜し求めてでも、あなたがお栄えになるのをみたいものです (新潮)/ この世ではない所を尋ねて住んででも、あなたの花開く時を見たいものです(玉上)/ 憂き世ではない所を尋ねてでもあなたの盛りの世を見たいものです(渋谷)
絶え果てぬ清水になどか亡き人の面影をだにとどめざりけむ 昔ながらに絶えることなく流れるこの清水に亡き方々はどうして面影だけでも映しとめておいてくださらなかったのだろう(新潮)/ なくなってしまわないこの清水に、どうしてなきひとは、面影だけでもとどめておかなかったのだろう(玉上)/ 涸れてしまわないこの清水にどうして亡くなった人の面影だけでもとどめておかなかったのだろう(渋谷)
御文などを見せさせたまへかし。ふりはへさかしらめきて、心しらひのやうに思はれはべらむも 先にお手紙をおやりになってくださいまし。そうでないと、私がわざわざ差し出がましく取り持ちを買って出たように思われますのも、今さら伊賀とうめのようではないか気がひけますので。
佐野のわたりに家もあらなくに 「苦しくも降りくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」(『万葉集』巻三、長忌寸奥麻呂ながのいみきおさまろ)「苦しくも降りくる雨か」の意を利かせて口ずさんだもの。
九月にもありけるを。心憂のわざや 三月・九月は季の終わり。季の終わりは結婚を避ける風習があったらしい。「節分」は季節の変わる前日。明日立冬の前日ゆえ、多少のことはこだわるに及ぶまいの意か。
長月は、明日こそ節分と聞きしか 九月といっても明日が節分と聞いております。ここは明日立冬の前日ゆえ、多少のことことはこだわるに及ぶまいの意か。
さしとむる葎やしげき東屋のあまりほど降る雨そそきかな 戸口を閉ざして葎が茂ってでもいるのか、あまりにも長い間待たされて、軒の雨だれに濡れることだ(新潮)/中に入るのをふさぐ雑草が繁ってでもいるのか、外で、長すぎるほど、雨を受けて待たされることだ(玉上)/ 戸口を閉ざすほど葎が茂っているためか東屋であまりに待たされ雨に濡れることよ(渋谷)/
ものの初めに形異にて乗り添ひたるをだに思ふに、なぞ、かくいやめなる ご新婚早々なのに、異形の尼姿でお供しているのでさえ縁起でもないのに、どうしてこうめそめそしているのか。侍従の思い。(新潮 )/ ご結婚早々に尼姿で乗り添っているだけでも不吉に思うのに、何で、こうしてめそめそするのか(渋谷 )/ ご新婚早々に尼姿でお供しているだけでも不吉なのに、何でこうめそめそしているのか(玉上)
形見ぞと見るにつけては朝露のところせきまで濡るる袖かな 亡き大君の形見の人と思うにつけて、朝霧がしとしと置くように、涙に濡れる私の袖なのだ(新潮)/この人を(大君の)形見と見るにつけては、朝霧のように、すきまもないくらい涙で袖がぬれる(玉上)/ 故姫君の形見だと思って見るにつけ朝露がしとどに置くように涙に濡れることだ(渋谷)/
宿り木は色変はりぬる秋なれど 昔おぼえて澄める月かな 宿木はすっかり紅葉して色が変わってしまった秋ですが、昔にかわらず月は澄み渡っています(新潮)/ 宿木は秋になって色が変わってしまいましたが、月は昔に似て澄んでいます(玉上)/ 宿木は色が変わってしまった秋ですが昔が思い出される澄んだ月ですね
恥づかしくもあはれにも思されて、  きまり悪くも、もの悲しくもお思いになって・浮舟のこと、大君のことを思ってである。
里の名も昔ながらに見し人の面変はりせる閨の月影 宇治という里の名も昔のままで、世を憂しと嘆くわたしも昔のままだが昔の人が面変わりしたかと思われる(新しい女と共に過ごす)閨の月影です(新潮)/ 里の名も昔のまま(宇治)だが、私も世を憂しと嘆いているが、閨に差し込む月影で見た人は変わった閨の月影だ(玉上)/ 里の名もわたしも昔のままですが昔の人が面変わりしたかと思われる閨の月光です(渋谷)
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公開日2021年2月13日