ある遍路日記  第5日目

2002年1月10日(木)  
晴れ

金蔵寺は境内がきれいですがすがしい。若い坊さんが清掃し落葉を燃やしていた。お参りしていると、 北海道から来たという逆打ちで回っている青年にまた会った。途中まで同行をお願いしたが、 これから金毘羅さんへ行くんです、遠回りですが海の仕事をしているもんですから、という。 笑顔がすがすがしい、感じの良い青年だ。

善通寺は空海生誕の地である。幼名は「真魚(まお)」。「和尚、生まれて聡明。 よく人事を識(し)る。五、六歳の後、隣里の間、神童と号す。」両親から大事にされ 「貴物(とおともの)」と呼ばれていた。十五歳で奈良に上京するまで、この地で育った。 幼少のころにすでにあったといわれる大きな楠が、境内に残っている。

空海の幼少の頃からあったという善通寺境内の楠
空海の幼少の頃からあっ
たという善通寺境内の楠
首だけ出してお遍路の 写
真が撮れるボードがある
悪趣味

寺の敷地はさすがに広く、道路を挟んで両側にまたがっており、時間をかけて回った。 境内の一角に、昭59年4月弘法大師1150年御遠忌とか、弘法大師御生誕1200年大法会とかの寄付金が石碑に彫りこんであった。 大きいのはひとつの寺院で2000万円とか個人で1000万円とか大変な金額である。 金一封をこうして大書して公示するのは何のためだろうか、いつからの習慣だろうか。

善通寺で、M氏から紹介された『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協力会編宮崎建樹著)の本を買う。 地図を見慣れるのに大分時間がかかったが、慣れるに従い手放せなくなった。大変な労作だと思う。 全行程にわたって歩く道路沿いの目標物になりそうなもの、バス停やガソリンスタンドや食堂やその他公共施設などが克明に記入してある。 市井にすごい人がいるものだ。

この辺りは、大師幼少時の遊び場だった処、のどかな陽光のなかを行く。甲山寺を打ち、出釈迦寺へのゆるやかな坂道を登っていると、 西行庵の案内標識があったのでその方面に向かう。なだらかな山腹、平地と海が眼下に見え、後ろは山に囲まれて風も吹かない。 気候温暖で、庵を結ぶにはいい場所だなあと思う。少し汗ばみながら歩いて行くと、案内標識が出てこないので、やって来た地元の人 に聞くと、この先には何もないと言う。西行庵の話をしても、聞いたことがないと言う。

出釈迦寺の納経所のお坊さんは、にこにこして穏やかな人だった。西行庵のことなどを尋ねる。
「いや私は行ったことはありませんが、あの先2km位のところにありますよ。今は庵の跡も何もないと思います。 地元の人が一時造ったようですが」
「ここに本当に西行が住んでいたのですか」
「そうです、何年か住んだようです、文章に残っていますよ、あなたが登られる捨身が嶽にも行っております」
「そうですか。それにしても住むには実に快適なところですね。なだらかな山の中腹で、風もないし、下界に平地と海も見えるし、 気候温暖で・・・」そばに居た寺のおばさんがびっくりしたような顔をして聞いている。
「はあ、当時は近くに人も住んでいないかったろうし、山の中で独り住むには不便だったろうと思いますが」

我拝師山に建つ奥の院鐘楼 その上が捨身ヶ嶽禅定
我拝師山に建つ奥
の院鐘楼 その上
が捨身ヶ嶽禅定

出釈迦寺の奥の院は、ここから1.8km急峻な坂道を登った我拝師山にあり、その上に捨身が嶽の禅定がある。 伝説によると、大師7歳のとき衆生済度を誓願し、もし成就しないのならこの身は仏にささげ奉ると言って身を投げたところ、 菩薩が現れ天女が大師を中空で救ったと言う。伝説とはいえ素通りできないところだ。出釈迦寺の境内に、 公衆浴場で見るペンキで描いたような絵が、看板代わりに杭に打ち付けてあった。もっと何とかならないものかと思う。 あまりに崇高な精神が、映画の看板の類と同列に扱われている。奥の院までは行ったが、その上の禅定までは岩だらけの崖を、 鎖をつたって行くようになっている。怖くて登れなかった。私以外には人が誰もいなかった。

曼荼羅寺を打って国道11号線を歩いていると、道の反対側から声がかかった。あんちゃん、これお接待や、 そこで買(こ)うたもんやけど、何ならそこらで食事どうか。宿が近いと言ってお礼を言って別れる。 それにしても若いあんちゃんに見えたのかなあ、ワールドカップのキャップをかぶっていたからかなあ。

宿まであと2kmくらいのところで、道に迷った。天霧城址跡をぐるぐる回っていると、小型トラックが来たので道を聞く。 乗せてってあげるよ、と何度も言われたが、歩いていく旨説明してやっと道順を聞きだす。かなり込み入った道で、あまり要領を得ない。 あたりは急に暗くなり、山道になった。どんどん登っていくと、あの人が言葉の端に言っていたように、元来た道に戻ってしまう のではないかと思い始めたので、麓まで引き返す。やっと四国の道と遍路道の道標を見付けたが、すでに真っ暗でライターをつけても 良く見えない。田圃の畦道のような方向を指していたので、その道を行く。すぐ林に入り、足元が見えないので、 両側から突き出た木の枝を頼りに、人ひとり通れる山道を登ってゆく。星が出てきた。暗闇の中から下のほうに寺の屋根が見えた時は、 ほっとした。

山門を下りて、宿の駐車場につくと、驚いたことに先ほどのおじさんが、駐車場に車を停めて待っていた。家に泊まらないかと言う。 予約してあったのでその旨説明したが、残念そうに、お接待なのになあと言う。一年に50人くらいは泊めているそうだ。 横浜のひとは初めてだと言う。何故お接待を受けなかったのか、のちのちまで後悔した。

本日の行程

BHさくま
07:30
3.6km

77番 道隆寺 どうりゅうじ
08:10
3.9km

76番金倉寺(こんぞうじ)
09:30
3.9km

75番 善通寺 ぜんつうじ
11:30
1.6km

74番 甲山寺 こうやまじ
12:45
3.4km

73番 出釈迦寺 しゅっしゃかじ
15:00
2.2km

捨身ヶ嶽禅定
15:45
0.4km

72番 曼荼羅寺 まんだらじ
16:45
3.9km

ふれあいパークみの
19:00

距離 22.9km
所要時間 11:30

2006年5月更新