ある遍路日記 般若心経について  付録3

遍路日記にも書いたが、日本人としてあるいは東洋人として般若心経も知らないようでは恥ずかしいと思い、少し勉強してみた。 ここに全く私自身の覚えとして、漢訳とその読み下し文と英訳を載せ、用語解説を付した。

調べてみて驚いたことには、定本として日本語で書かれたものがないことである。お経は漢訳を棒読みで唱えている。これは日本語 ではなく、聞いていても意味は分からない。読み下し文も特殊な日本語である。千数百年にわたって、仏教の経典に日本語で書かれたもの がないのは、何故だろうか。カトリックでラテン語を使うような類であろうか。

サンスクリットの原語は、内容から推定して思弁的言葉、抽象的概念を表す言葉が多くあり、私は漢文は読めないのであるが、漢訳は 充分それに対応しているように思われる。英語の翻訳も可能である。私の貧弱な英語の知識でもそれが分かる。日本語の翻訳もいくつか 読んだが、意味をやっと追いかけているだけで、こなれた美しい日本語はなっていない。してみると過去色々やってみたが、まともな 日本語にならなかったというのが実情ではなかったかと思う。あるいは日本語に出来なかった、日本化できなかった、日本語に取り込めなかったのだろう。日本的思考には無い異質なものが、仏教的なものの考え方の根幹にあるのではないかと思う。

すでに仏教は、世間一般在家の人々の心のよりどころにはならなくなっている。かといって人間の生きる意味を求めたり、如何に生きる べきかの永遠の問いが、時代とともに若い世代の人達からなくなったとも思われないのである。