私の万葉集 巻第三

長忌寸奥麻呂ながのいみきおきまろみことのりこたふる歌一首
238

大宮おほみやの うちまで聞こゆ 網引あびきすと 網子あごととのふる 海人あまこえ

地引網を引く漁師たちの声が、皇居の中まで聞こえてくる。おおらかなものだ。漁師たちの声も聞こえてくるようだ。
238
大宮の内まで聞こゆ―大宮は皇居。ここは難波宮をさす。
山部宿禰赤人やまべのすくねあかひと富士ふじの山を望む歌一首
317

天地あめつちの わかれし時ゆ かむさびて 高くたふとき 駿河するがなる 富士ふじ高嶺たかねを あまはら け見れば 渡る日の 影もかくらひ 照る月の 光も見えず 白雲しらくもも いきはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語りぎ 言い継ぎゆかむ 富士の高嶺は

反歌
318

田子たごの浦ゆ うちでて見れば ましろにぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

描写にすぐれ、言葉も平易で、調子もよく、全体のバランスもよい。万葉の代表的歌。
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太宰少弐小野老朝臣ださいのせうにをののおゆあそみの歌一首
328

あをによし 奈良ならの都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり

この歌一首で後世に名が残った。当時の平城京建設の息吹が伝わってくる。710年平城京へ遷都。
328
小野老朝臣―養老3年(719)従五位下、天平元年(729)従五位上。この前後太宰少弐として帥(そち)大伴旅人の配下にあった。公務で上京していた老が帰府しての報告であろう。
山上憶良臣やまのうえのおくらおみえんまかる歌一首
337

憶良おくららは 今はまからむ 子泣くらむ それその母も を待つらむそ

どのような宴なのか、招かれた宴を中座して帰るのは、なかなかできないこと。まして子と母が待っているので帰るというのは、当時にあっても変わり者に見られたかも。あるいは憶良なら、と一目置かれていたのかも知れない。非常に率直で個性的な人だったと思われます。万葉の中でもこのような歌は、稀である。
337
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太宰帥大伴卿ださいほそちおほともきょう、酒をむる歌十三首
338

しるしなき 物を思わず 一杯ひとつきの にごれる酒を 飲むべくあるらし

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338
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341

さかしみと 物言うよりは 酒飲みて きするし まさりたるらし

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341
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348

この世にし 楽しくあらば む世には 虫にも鳥にも われはなりなむ

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349

生けるひと つひにも死ぬる ものにあれば この世にあるは 楽しくをあらな

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349
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350

黙居もだをりて さかしらするは 酒飲みて きするに なほかずけり

大伴旅人の歌。家持の父。大宰帥の時、家を離れ、都を離れて、気持ちが荒れていたようです。自由奔放で率直な人柄だったらしい。このような歌は、旅人しか詠えなかったと思われます。13首のうち5首ここに採った。
350
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巻第三終了。10首採集―全249首。

更新2007年7月26日