今月の言葉抄  2014年2月

キリスト論と死海写本

ダビデ的メシアに関するクムランの考え方は、その他のユダヤ教の考え方と同じであり、この宗団は必ずしも、彼ら自身の目的に合わせてメシア的 希望を作り上げたわけではなかった。メシア待望は、長年の間にある程度の枠組みが固まってきており、クムラン宗団も基本的にそれを受け入れていた。 それは、メシアがダビデの家系から出ること、彼が将来王位に着くこと、「メシア」という称号を受けること、「不義なる支配者たちを滅ぼす」(ソロモン の詩篇17:22.227、244ページ参照)任務を担うべきこと、などである。彼らは、後代のユダヤ教を初期キリスト教が用いたのと同じ旧約聖書のプルーフ テキストを使用した。
イエスは、これとは別の仕方でメシアの役割を果たした。彼は私的に(マタイ16:13-20)、また公的に(マルコ14:61-62)、「メシア」の称号を 受け入れたが、異邦人の圧制者たちに対する武装闘争と報復を不可欠なものとみなすメシア主義の側面を拒絶した。そのため彼は、「メシア」の称号を あまり重視しない姿勢を示さなければならなかった。新約聖書はイエスがダビデの子孫であることを強調しているが、イエス自身は、メシアのわざはダビデの 軍事的業績の単なる繰り返しではないことを強調した。メシアはダビデの主であり、従ってメシアに関する当時の一般的通念の限界を超えている(マルコ12:35-37)。 イエスはメシアとして、彼の弟子となった者たちに神の国を近づけた。クムランにおける「神のメシア」モーセへの言及は、神とイスラエルとの仲保者たる者は この称号を、当時一般的であった軍事的な含みを持たない、ゆるやかな意味で用いることができたことを、示しているのかもしれない。
死海写本から得られる一つの否定的な結果は、それらはメシア的・終末論的人物に言及するときに「人の子」という称号を用いてはいない、ということである。 イエスが好んだ自分自身の呼号は 「人の子」であった。これはダニエル書7:13に登場する謎めいた「人の子のような者」に基づいていた。この人物は、「主権と栄光と国とを」(ダニエル7:14) 与えられた超自然的な存在である。だが「人の子」は、すべての人間と同様天上的な存在者よりも低い(詩篇8:4-5)、柔和でへりくだった者でもある。 従ってこの称号は、高められることと低められることとを同時に言い表すのに最適である。イエスが用いたこの呼称には、すでに当時のユダヤ教において終末的な意味が 広く認められていたのか、それとも彼がこの表現にそういうい意味を与えたのか、学者たちはこの点について長年議論してきた。死海写本は、これに決着をつける 助けにはならない。われわれが知っているのは、死海写本の登場する主要なメシア的人物は誰も「人の子」とは呼ばれなかった、ということだけである。
イエスは一人の予言者と考えられていた(ルカ7:16、ヨハネ6:14)。ときおり彼は、この称号が自分に使われることを許したが(ルカ7:16、ヨハネ6:14)、 普通はそれを進んで求めはしなかった。これは、彼の生涯と働きを理解するためにはあまりにも狭い枠組みであった。
クムランのメシア論と新約聖書のキリスト論を比較すると、イエスの使命(宣教)は単一のメシア概念に収まらない大きさをもっていたことがわかる。 イエスは、メシアと予言者という一般に馴染みの深い呼称を受け入れはしたが、自分が本当はどういう人物であるかを暗示するために、「人の子」「神の子」「主の僕」 のような — 包括的ではあるが、当時広く用いられていたわけではない、むしろ理解困難ですらある — 概念を用いることを好み、こうして彼の弟子たち が彼の復活後に彼を「主」という尊称で呼ぶに至る道を開いた。復活の後に、様々なメシア的呼称とカテゴリーが彼に対して集中的に用いられるようになった。 ・・・
以下聖書の該当箇所引用する。
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。 (新共同訳 マタイ16:13-20)
しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」 (新共同訳 マルコ14:61-61)

『死海写本の謎を解く』E.M.クック著 土岐健治監訳 太田修司/湯川郁子共訳 教文館 1995年

更新2014年2月12日