今月の言葉抄  2006年3月

文章を書く基本 真理は裸であってはならぬ

実はこの(ナポリの)サン・ビアジオ通りというのは、ヴィーコ(1668年-1744年)というイタリアの哲学者が生まれ、 そこに住んでいた町なのです。最近、私はヴィーコの大きな意味に気がついて、彼の生涯や学説を少し勉強していたので、 サン・ビアジオ通りという名も知っていたのです。ヴィーコの大きな意味とは何かとおっしゃるのですか。 それは、彼がデカルト(1596-1650)の最初の最大の批判者である点にあります。どなたもデカルトのことはよくご存知でしょうが、 すべてを疑って、どうしても疑い得ないような絶対的な確実性を求めた哲学者です。 彼は、そういう確実性を持つ学問は数学だけだと考えました。さて、それからが問題なのです。 デカルトは絶対確実な真理は、誰でも真理として認められるものであるから、真理を表現するのには、 文章上の特別の工夫など不必要である、有害である、と考え、レトリック(修辞学)というものを排斥したのです。
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ヴィーコは「裸の真理」ということを言っています。数学の世界なら、真理は裸であったもかまわないが、 人間の世界では真理は裸であってはならぬ、と彼は申します。真理は、真理に相応しい衣服に身を包んで、 真理らしく見えなければいけない。真理を真理らしく見せる衣服が立派な文章であり、その方法を研究するのがレトリックである。 そうヴィーコは考えたのです。もちろん、虚偽が虚偽らしく見えるような衣服を身に着けていれば、何も問題はないでしょうが、 虚偽が、あの手この手と、いかにも真理らしく見える衣服に身を包んでいたら、裸の真理は簡単に虚偽に負けてしまうでしょう。
(「第十四話 文章という衣服」から)
『私の文章作法』(潮新書75 潮出版社)清水 幾太郎著
更新2006年3月25日