今月の言葉抄  2006年5月

対症療法と体質改善

歴史を重視するということは、別の視点からいうと、どのような現象もすべて過去とのつながりで有機的に見るということだ。「なぜ、それが起こったのか」を常に追求しようとする。物事には原因があり、それを解決しないと、抜本的に問題は解決しないと考えているのだ。西洋医学的な対症療法のようなものを中国人はあまり好まない。体質改善、抜本的な問題解決を求めようとする。ここにも、日中間ですれ違いが起こる原因がある。
四月の反日デモのあと、町村信孝外相は、公式な謝罪と大使館の割られたガラス窓などの損害賠償、再発防止など、事件に対しての厳正な対処を求めた。それに対して中国の李肇星りちょうせい外相は、断固として謝罪を口にせず、歴史問題を持ち出した。日本側が事件に対する対症療法を求めたのに対し、中国側は「なぜ、それが起こったのか」という根っこの部分の治療を日本に求めたといえるだろう。これでは議論はかみあうはずがないが、どちらの主張も、その国の文化的背景から出てきたものだ。
歴史的視点から見る中国人には、今回の出来事は一瞬の事象であり、枝葉にしか見えていない。しかも、その枝葉は、すべて根につながっているという考え方をしている。部分的なことよりも、根をいちばん重視するのが中国の発想である。
反日デモを枝葉とすると、幹の部分には中国での「反日・愛国教育」があるのかもしれないが、その「反日・愛国教育」という幹に養分を送っている根には、日本の中国侵略があるというのが中国人の考えだ。
日中国交回復のときに、「戦争を引き起こしたのは日本の一部の軍国主義者であり、多くの国民は犠牲者だ」という中国首脳の説得に国民は一応納得した。根の部分は掘り返さないと両国で合意したつもりだった。しかし、侵略戦争を主導したA級戦犯を日本の首相が参拝することによって、再び根を掘り返されたと中国人は感じている。そのため、もう一度、根の部分を文字通り根本治療しないかぎり、この問題は解決しないと中国側は考えているのだ。
一方、日本のほうは、根本治療ではなく、今回の事象についての対症療法を求めた。国際的基準から見ても、一般論として、今回の反日デモは問題であると考えた。時間軸でとらえず、ヨコの視点でとらえているのだ。
ヨコの視点から解決を求めた日本と、タテの視点から解決を求めた中国では議論がすれ違いになってしまうのは、決して不思議なことではない。
(「第2章 中国人にとって歴史とは判例集」から)
『中国人の愛国心』(PHP新書 2005年10月)王 敏 (Wang Min) 著
更新2006年5月11日