今月の言葉抄 2006年10月

最期の旅路

雨期もようやくにして終り、ブッダ・ゴータマの身体もようやく回復し、ひさしぶりに、仮寓の家の外に出て休息している時、侍者のアーナンダもまた愁眉をひらいた面もちではればれとした声で師に語りかけた。

「世尊よ、世尊はすこやかになられました。こんな嬉しいことはございません。世尊が病あつく、お身躯もすっかり衰えたもうた時には、わたしは、四方がすっかり暗くなって、どうしたらよいかも解からなくなってしまいました。だが、その時、ふと、わたしは、〈世尊はこの比丘僧伽のことについて、なんにもおおせられないで亡くなられる筈はない〉と、そう思った途端に、いささか心に安堵を覚えることができました」

師の病いの篤きに際しては、四方がまっ暗になるような思いであったという。そのアーナンダの心痛と狼狽は察するにあまりがある。だが、彼は、その時、この師が仏教教団のことについて何事かを仰せられずに亡くなる筈はないと思ったという。

それは、いったい、なにを意味するのであろうか。その意味するところは、ブッダ・ゴータマにはよく解かっていた。彼は、この師が亡くなるまえには、きっとその後継ぎ、ブッダなきのちのこの教団の指導者もしくは統率者を指名するであろうことを期待していたのである。

だが、ブッダ・ゴータマその人の考え方は、まったく異なっていた。かくて、師は、この愛する弟子の期待のあやまりであることを諭して、つぎのように説いた。
「しからばアーナンダよ、比丘僧伽はわたしになにを期待するというのか。わたしはすでに、内外の区別もなく、ことごとく法を説いたではないか。アーナンダよ、如来の教法には、あるものを弟子に隠すというような、教師の握りしめる秘密の奥義などはない。アーナンダよ、もしわたしが〈わたしは比丘たちを指導している〉とか、あるいは、〈比丘たちはわたしに頼っている〉などと思っているのならば、わたしは、比丘僧伽について、何事かを語らねばならないだろう。だが、わたしは、比丘僧伽の指導者であるとも思っていないし、また、比丘僧伽はわたしに頼っているとも思っていない。だから、わたしは比丘僧伽にたいして、何事のあらためて語ることがあろうか」

それは、アーナンダにとっては、思いも及ばぬことばであったに違いない。同時にまた、それは、後代の仏教者たちにとっても、思いがけないところであるかも知れない。だが、仏教というものを、突き詰めて考えてみると、結局、ここに至らざるをえないのである。そのことをよく理解するための一つの鍵は、いまのブッダ・ゴータマのことばのなかにある。

わたしは、それを「教師の握りしめる秘密の奥義」などと、いささか解説的なことばをもって訳しておいたが、それを、もっと原語に即して訳すれば、「教師の握拳」である。奥義のぎりぎりのところは、あくまでも教師だけが握りしめておいて、容易に弟子たちには明かさない。そのような秘密の奥義は、仏教にはないのである。「わたしは内外の区別なくことごとく法を説いた」といっておるのも、そのことの他ではない。

そのうえは、その法にしたがって行じ、よくその所期の目的を達することができるかどうか、その全責任は自己のうえにあるとしなければならない。

かくて、ブッダ・ゴータマは、さきの「自帰依じきえ法帰依ほうきえ」のおしえを、ここでもまた、力づよく説き出るのである。いわく、
「されば、アーナンダよ、ここになんじらは、ただ自己をとし、自己を依拠よりどころとして、他人を依拠とせず、法を洲とし、法を依拠として、他を依拠とすることなくして住するがよい。
 まことに、アーナンダよ、今においても、またわが亡きのちにおいても、自己を洲とし、自己を依拠として、他人を依拠とせず、法を洲とし、法を依拠として、他を依拠とせずして修行しようとするものこそ、アーナンダよ、かかる者こそは、わが比丘たちの中において最高処に立つものである」

いまや、ブッダ・ゴータマにとっては、その死はもはや、はるか彼方のものとは思えなかった。その時におよんで、彼の語ることばは、もはや仮借なき、ぎりぎりの緊張のなかに打ち出されていることが感ぜられる。

註―さきの箇所にある解説
後代の仏教者たちはこの一句を「自帰依・法帰依」のおしえといって珍重する。ここに「洲」というのは、川のなかの洲の意味である。すべてが移り流れるこの世のことのなかにおいて、依りてたつべきところのことをこの「洲」の一字をもって表現するのである。それは「よく調御されたる自己」のほかにはない。そして、自己をよく調御するためには、かの法によるのほかはない。ブッダ・ゴータマの証りとり、おしえきったところを、そのぎりぎりのところまで突き詰めてみると、ついに、そこまで到らなければならない。

(23 最期の旅路)から
『この人を見よ ブッダ・ゴータマの生涯』(社会思想社 現代教養文庫 1997年)増谷文雄著 
更新2006年10月28日