今月の言葉抄 2007年1月

西行の歌

・・・如何にして歌を作ろうかという悩みに身も細る想いをしていた平安末期の歌壇に、如何にして己を知ろうかという殆ど歌にもならぬ悩みを提げて西行は登場したのである。
― 小林秀雄「西行」より―

以下に山家集1552首より私の好きな歌を選んでみました。(管理人)

0025
  鶯のこゑぞかすみにもれてくる人めともしき春の山ざと

0074
  身をわけて見ぬこずゑなくつくさばやよろづのやまの花のさかりを

0077
   ねがはくは花のしたにて春しなんそのきさらぎのもちづきのころ

0113
   はる風の花のふぶきにうづまれてゆきもやられぬしがのやまみち

0211
   つくづくと軒のしづくをながめつつ日をのみくらすさみだれの比

0353
   ゆくへなく月に心のすみすみてはてはいかにかならんとすらん

0487
   山ざとは秋のすゑにぞおもひしるかなしかりけりこがらしのかぜ

0513
   さびしさにたへたる人のまたもあれないほりならべん冬の山ざと

0647
   ともすれば月すむ空にあくがるる心のはてをしるよしもがな

0648
   ながむるになぐさむことはなけれども月をともにてあかす比かな

0682
   人はうしなげきはつゆもなぐさまずさはこはいかにすべき心ぞ

0714
   おもひいづるすぎにしかたをはづかしみあるに物うきこの世なりけり

0723
      世にあらじと思ひたちけるころ、東山にて、人人、寄霞述懐と云ふ事をよめる

そらになる心は春のかすみにてよにあらじともおもひたつかな

0726
      よをのがれけるをり、ゆかりありける人のもとへいひおくりける

世のなかをそむきはてぬといひおかんおもひしるべき人はなくとも

0937
   とふ人もおもひたえたる山ざとのさびしさなくはすみうからまし

0997
   ふるはたのそばのたつきにゐるはとの友よぶこゑにすごき夕暮

1090
   松かぜはいつもときはに身にしめどわきてさびしきゆふぐれのそら

1131
      十月十二日、ひらいづみにまかりつきたりけるに、ゆきふり、あらしはげしく、ことのほかにあれたりけり、いつしか衣河みまほしくて、まかりむかひてみけり、かはのきしにつきて、衣河の城しまはしたる、ことがらやうかはりてものをみる心ちしけり、みぎはこほりてとりわきさえければ

とりわきて心もしみてさえぞわたる衣河みにきたるけふしも

1419
   おもへこころ人のあらばや世にもはぢむさりとてやはといさむばかりぞ

次の二首は山家集には見えない。

風になびく富士の煙の空にきえて行方を知らぬ我が思いかな

あづまのかたへ、あいしりたりける人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔に成りたりける、思出でられて

年たけて又こゆべしと思いきや命なりけりさやの中山

なお山家集はdigital西行庵のサイトに入っています。

西行桜
西行桜
西行桜立て札
西行桜立て札

高野山の壇上伽藍と呼ばれている一角に小さなお堂があります。右の写真「西行桜」の奥に見えているのがそれです。三昧堂と呼ばれており、西行の住まいとされています。また桜は西行が植えたと立て札に書かれています。実に小ぶりな桜です。写真はクリックすると拡大します。
なお山家集に次の歌が載っております。

高野にこもりたりけるころ、草のいほりに花のちりつみければ

ちる花のいほりのうへをふくならばかぜいるまじくめぐりかこはん

(管理人)

登録2007年1月3日
 更新2007年1月7日