今月の言葉抄 2007年2月

数学入門

「数学的諸判断はことごとく総合的である。この命題は、反論する余地がないほど確実であり、今後はきわめて重要であるのに、これまで人間理性の分析をした人々の注目を受けなかったように見える。それどころか、この命題は彼らの推測のすべてにまさしく対立しているように見えるのである。というのは、数学者の諸推論はすべて矛盾律に従って行なわれるとみなされていたので、(そのことをおのおのの論理的確実性の本性が要求しているのだが、)諸原則も矛盾律から認識されるであろうというふうに思い込まれていたのである。この点において、彼らは思い誤っていたのでる、というのは、総合的命題は、もちろん、矛盾律に従って理解されうる。しかし、それはただ、その命題がそこから帰結されうる他の総合的命題が前提されうるという仕方においてのみ洞察されうるのであって、決してそれ自体そのものにおいて洞察されうるのではないからである。」(『カント全集 4 純粋理性批判 上』岩波書店2002年、78ページ

カントが『純粋理性批判』で展開した考え方は、数学を学ぶときに、もっとも大切なものであるが、戦後日本の数学教育ではまったくといってよいほど無視されてきた。そして、多くの子どもたちが、数学を学ぶ楽しさをまったく理解できないまま、数学嫌いになってしまっている。そのことが、現在の学校教育の荒廃をもたらした一つの要因であるように思われる。しかし、上に引用したカントの言葉の難渋さからも分かるように、(じつは原文でよむとずっとわかりやすいのであるが、)カントが『純粋理性批判』で展開した考え方にもとづいて、数学を教えるということを具体的に表現することははたして可能であろうか。岩波書店から出していただいた『好きになる数学入門』(全6巻)は、この設問に対する私なりの解答である。

『好きになる数学入門』は中学一年、二年から高校の高学年の子供たちを念頭に入れながら、数学の考え方をできるだけやさしく解説したものである。数学の目的は一言でいってしまうと、数、空間、時間の基礎的な構造を明らかにすることにある。数学を教えるというのは、数、空間、時間にかんする基礎的な概念や考え方を子どもたちが理解し、自由に使えるようにすることである。数学を教えるさいに、大切なことは、子どもたちが「おもしろい」と思うような問題をつぎつぎに出して、子どもたちが自分の力で解くのをたすけるようにすることである。このプロセスを繰り返すことによって、子供たちがもっている数、空間、時間にかんする直感的、経験的理解を深め、数学の考え方を論理的に発展させるようにすることが可能になってくるわけである。

数学を学ぶプロセスは言葉を身につけるのと同じである。母親は生まれたばかりの赤ちゃんに対して絶えず話しかける。赤ちゃんが母親の言葉を理解できないのはわかっているが、母親はそれでも、赤ちゃんが面白いと思い、興味をもてそうなテーマを選び、愛情をもって絶えず話しかける。赤ちゃんもそれに応えて、できるだけ母親の言葉を理解しようとし、また不完全ながら自分で話すことを練習し、努力を積み重ねて、やがて完全な言葉を身につけてゆく。すべての赤ちゃんは、言葉を理解する能力、性向を生まれながらにして、インネートな(innate)ものとしてもっているからである。このことは二十世紀になってから。ノーム・チョムスキーによって言語学の基本原理として確立され、小林登教授によって臨床医学の立場から説得的に検証された。数学を学ぶプロセスもまったく同じである。『好きになる数学入門』も、子どもたちがおもしろいと思い、興味をもつことができそうな問題をできるだけ数多くえらんで、いろいろな数学の考え方を説明すると同時に、子どもたちが自分で実際に問題を解くことを通じて、「数学」という言葉を身につけることができるようにという意図をもって書いた。

数学は言葉とならんで、人間が人間であることをもっとも鮮明にあらわすものである。しかも文学や音楽と同じように、毎日毎日の努力を積み重ねてはじめて身につけることができる。この点、数学は山登りと同じ性格をもっている。山登りは自分のペースに合わせて、ゆっくり、あせらず、一歩一歩確実に登ってゆくと、気がついたときには信じられないほど高いところまで登っていて、すばらしい展望がひらける。数学も決してあせらず、一歩一歩確実に学んでゆくと、はじめは、むずかしくて、とても理解できないと思っていた問題もすらすら解けるようになる。『好きになる数学入門』の最終巻では、太陽と惑星の運動にかんするケプラーの法則からニュートンの万有引力の法則を導き出すという有名な命題を証明する。この命題から輝かしい近代科学が生まれたわけであるが、その証明は大変むずかしく、ニュートンの天才的頭脳をもってしてはじめて可能になったものである。しかし、数学の考え方をていねいに一歩一歩確実に学んでゆけば、ニュートンの命題の証明もかんたんに理解できるようになる。

また、同じ巻の最期の章では、代数方程式にかんするダランベール=ガウスの定理を証明する。すべての(複素数係数の)代数方程式は必ず(複素数の)根をもつという定理である。ダランベール=ガウスの定理を契機として、華麗な現代数学が展開されることになったといってよい。この定理の証明もきわめて難解であるが、数学という山を一歩一歩確実に登ってゆくことによってはじめて理解できる。

『好きになる数学』は、子どもたちが数学の考え方をたんに知識として理解するだけでなく、数学の考え方を使っていろいろな問題をじっさいに解いたり、また必要に応じて新しい考え方を自分でつくり出せるようになることを目的として書いたつもりである。しかし、カントが『純粋理性批判』で展開した考え方にもとづいて数学を教えることを具体的に表現するという当初の意図がどの程度、実現されているかは、読者の判断にまかせるほかはない。

(第16章 カントの『純粋理性批判』と数学)から
『経済学と人間の心』(東洋経済新報社 2003年)宇沢弘文著

3年くらい前に、『好きになる数学』6巻を買って持っている。暇になったら数学をはじめから勉強しようをおもっていたので。これを読んで、問題を解いて、宇沢氏の意図通りに数学音痴を払拭できるだろうか。楽しみである。(管理人)

更新2007年2月22日