今月の言葉抄 2007年3月

砂漠の宗教

『マホメットの生涯』(河出書房新社 2002年 ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和夫訳)を読んだ。少年活劇本のような書き方で実に面白かったが、まとまって引用する箇所を選ぶのは難しい。特に印象に残った表現をランダムに抜粋します。(管理人)


神への信仰は、植物とは異なって、豊饒の地よりも砂漠のほうが根付きも早く、またより深く根をはるものである。砂漠のただなかに立つ時、人びとの視線、思索、その願望をさえぎるものは、人為的なものにせよ、また天然の障害にせよ、何ものも存在しない。永遠の瞑想をかき乱すものは何もない。人間は絶えず無限と対しているのだ。その無限は、まさに足元から始まっているのだ。砂漠のなかでひとびとは神に遭遇するや、人はもはや神を捨てない。・・・
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砂漠の住人ベドウインの名の由来は、荒野を意味するバディーである。それは最も純血のアラブ人である。天国が提供された時、彼らは、この提供者につき従うためには、すべてをなげうつ心構えができているのだ。ベドウインとは、土の上に生きる人間ではない。彼らの足元にあるのは、土ではなく、動き続ける焼ける砂である。その精神構造にしても、土と接触したことがないために、大地に根ざしてはいない。砂漠の砂は土ではなく、流れを止めぬ無限なのだ。ベドウインは、現世に財産を所有する機会もなく、実際これを所有せず、このため現世の財以外のものを求め続ける。したがって、物質以外のものを約束する理念、信仰のみが、彼らの心をとらえるのである。
「砂漠に生まれたベドウインは、砂漠という無限の露出に固執する。この空虚にあって、はじめて真の自由を享受するからである。現世、安逸、余剰など、煩雑な一切のものと物質的関わりを断ち切り、個人の自由を実現しようとする。この自由は死と隷属によってのみ脅威をうけるだけである。
ベドウインは、ささいな快楽、悪習、贅沢だけで満足する。それは、コーヒーと新鮮な水と女である。彼らが求めるのはこれだけだ。砂漠での生活で、ベドウインは、空気と風、光、無限の空間、巨大なる無を所有する。人間の力、自然の豊饒を示すものは、いっさい存在しない。ただあるのは、頭上の天と、足元の無垢な大地。無意識のうちに、彼は神に近づく」(ローレンス『知恵の七柱』)

人類の草創期にあっては、反座法にもとづいて、流された血は血で購われていた。この法は現在も、血縁関係に根ざした社会において厳然と維持されている。あるグループのなかで人間が殺された時、血の代償を要求する。つまり、殺人者の属する一族のうち、誰かが殺されねばならないのだ。
これはひとえに、力の均衡を維持するためである。人間の命とは物理的財産であり、経済的・軍事的価値を持つからである。だから、ひとつの生命を奪うことで他の部族の力をそいだ場合には、物理的均衡を維持するために、みづからの部族からひとつの生命を消すことで、力を弱めなければならない。これは、殺人の道徳的側面を完全に否定するきわめて実利的な法である。
精神面での罪の意識など存在せず、代価として求められるのは殺人者そのものの死ではなく、誰でもいい、ひとりの人間の死なのだ。子どもが殺害された時、犠牲者をだした支族は、殺人者ではなく不特定に、加害者側一族に属する子どもの死を要求する。人間は精神的価値を持たないから、まさに物質として、ひとつの生命を他の生命で代替できるのである。眼には眼を、しかも支族の構成員であれば、誰の眼でもかまわないのだ。
時が移るにつれ、この反座法も変化し、人間の命の代わりに、代償として、一定の金や動物を求めるようになる。アラビアでは、人間の生命はラクダの頭数で評価される。その数は部族によって増減した。生命だけでなく、体の各部もラクダで算定された。イスラム教到来以前には、歯一本はラクダ五頭に値し、眼、腕、脚一本に対しては五十頭のラクダが支払われた。

マホメットの生誕の模様を、アラブの詩人ハッサン・イブン・タビットは、次のように書き留める。
「私は子どもだった。七歳か八歳だっただろう。メディナのユダヤ教徒たちが街頭に寄り集い、大声で話すのが聞こえた。屋根によじ登って、全員集まれと、同宗者に呼びかけるものがいた。ユダヤ教徒がみな、道に姿を現すと、屋根の上から宣言した。
『この夜、アフマド誕生を告げる星が、天に現れた。アフマドは誕生したのだ!』」
『コーラン』によれば、マホメットの誕生は、あらゆる預言者、イエス・キリストさえも予告しているのだ。
「マリアの子イエスは・・・『まことに私は、あなたがたのところへ遣わされた神の使徒である。私より前に下された律法を確認し、また私よりあとでアフマドという名の使徒が来ることを告げるものである』といって・・・」(『コーラン』)
確かに、イエスは弟子たちに告げている。
「もしあなたが私を愛するならば、私のいましめを守るべきである。私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう・・・私はあなたがたを捨てて孤児とはしない」(『新約聖書』ヨハネによる福音書)
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マホメットの誕生は、アラビアにおいても、たしかに重要な事実でがあるが、異常事態とはいえない。
アラブ人とともに過ごしたT・E・ローレンスは、「アラブ人たちは、これまでに五万の預言者を世に送り出したと主張してゆずらない。たしかに、そのうち数百人までは歴史的に証明されているのだが」と書き残している。
また、あるフランス人学者によると、アラブ人は少なくとも十二万四千人の預言者を持っているという。
だからマホメットの登場は、ただ単に、もうひとりの預言者がメッカに出現したにすぎないのだ。

・・・言葉とは、アラブ人にとって黄金である。これがなければ、砂漠での生活は不可能かも知れない。アラビア半島の十分の九までは砂でおおわれ不毛である。世界全体に配分されるはずの砂が、どっとアラビアに落下したからだ。
代わりに神は、灼熱砂漠にとじこめられた人びとに、星屑きらめく至上の夜空を贈った。ターバンも与えた。砂漠の太陽のもとでは王冠にもまさる贈り物だった。また神が授けたテントは、城以上の価値を持つ。風よりも軽やかな剣も与えた。
だが、何者にも替えがたい贈り物、それは言葉である。詩賦の才、詩と物語の才能である。他のものが石や鉄や大理石や絹や色彩で形作るものを、アラブ人たちは言葉のなかで、また言葉によって構築する才能に恵まれた。アラブは、いかなる造形芸術も生みだしえない。砂上に、砂を使って、王宮も街も寺院も建造できないからだ。建築物なしに生きることを余儀なくされるのだ。砂に彫刻をほどこすことはできないから、彫像すら創れない。砂に描くこともならぬから、アラブは絵画を持たない。しかし、こうした芸術をおぎなって、言葉が存在する。アラブはあらゆる芸術を、ただ単語によって、単語のなかに創造するのだ。
アラブにおいて詩人とは、平凡な存在ではない。彼は司祭であり医師であり、審判官、学者、また指揮者でもあるのだ。
詩人は言葉に毒を盛る術を知っており、まさしく毒矢のように、言葉で敵を射殺することができる。戦場にあるマホメットは、射手や騎兵をおしとどめて、まず詩人ハッサンに敵を粉砕するように命じた。
「敵を罵倒せよ。汝の罵りは、夜の闇に降りそそぐ矢にも勝る。敵をなじり倒せ。聖霊ガブリエルは汝とともにあるのだ」

アラブ人は、ユダヤ教徒やキリスト教徒の従僕にならずとも天国にいたることができると、マホメットは民衆に説いた。「彼らはいう。『ユダヤ教徒かキリスト教徒になれ。そうすれば、おまえたちは正しい道に導かれるだろう』。いってやれ、『いやいや、純正なるアブラハムの宗教をとる。彼は多神教徒ではなかったぞ』」(『コーラン』)
マホメットは過去の宗教に対して反論することはなかった。しかし彼は一神論者であり、偶像崇拝を否定する。そして、過去数世紀にわたって、神がさまざまの民衆に派遣した預言者たち、マホメットはその系譜に属すると自認している。マホメットは、旧約、新約に登場するすべての預言者を敬い、先駆者とみなした。ただ彼は、古の預言者たちに啓示された神託の解釈をめぐって、人びとが犯した過ちを正し、新たな警告を発するため、ここに登場したのである。
地上における預言者の役割は何か。それは創造主の代弁者である。神は決して、直接人に語りかけることはないからだ。
マホメットは、アダム、ノア、アブラハム、モーセなどを通じて、人間に示された神の真理を容認する。
「このようなことは、昔の啓典にも記されている。アブラハムやモーセの啓典にも」(『コーラン』)。だが、これらの真理は、人間が転写するにあたって、改竄してしまったのである。一方『コーラン』は、先輩の預言者たちによる訓とはちがい、人間の手で記されたのもではないのだ。『コーラン』の原典は天にあって、主みずからの手で銘板に書かれたものである。この銘板は宝石の塊でできたおり、乳のように、また波だつ海の泡のようにi白い。だれも銘板には近づけないから、原典には手を加えることができないのだ。
百十四章からなる『コーラン』は、二十五年の歳月をかけて、つまりヌル山頂にあった六一〇年から死をむかえる日まで、マホメットに告げられたものである。
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マホメットが築いた宗教イスラムもさまざまな意味を持つ。イスラム信仰の創始者はアブラハムである。
「アブラハムはユダヤ教徒でもクリスチャンでもなかった。彼は偶像崇拝に反対し、唯一神の信奉者であった」(サバリ)。アブラハムの信仰の上にイスラムを築くことで、あらゆる一神教を包括する普遍的な宗教の創造を、マホメットは夢みていた。アブラハムはユダヤ教やキリスト教以前に存在し、しかも両宗教からもあがめられているからだ。その上アブラハムはアラブ民族の太祖であり、カーバ神殿の創設者でもあったのだ。
イスラムの名もアブラハムと関わりを持つ。主は、アブラハムの信仰の力を試すため、息子イサクの喉を切るように命じた。アブラハムは主の命を執行した。彼と息子は神の意思に従い、身をゆだねたのである。イスラムとは、まさしく「神の意思に身をゆだねること」を意味する。
ある宗教は愛の上に築かれ、あるものは希望の上に築かれる。一方イスラムは、神への絶対的信仰の上に創始されたのである。

マホメットが息を引きとると同時に、両肩の間にあった預言者の印は消えた。死とともに、預言者の任務は終わったのである。
マホメットは、息を引きとった場所に埋葬された。古いアラブの習慣では、長(おさ)は、魂を返した場所、そのテントのもとに埋葬されるのである。
預言者の墓を掘るため、二人の墓堀人夫が呼ばれることになった。メッカの墓は垂直で、一方メディナでは、溝の側に寝台を入れる穴を掘り、そこに骸を横たえるのだった。そこで、墓の形については、最初に到着した人夫の方式にまかせることにしたのである。このため同時にメッカとメディナの人夫が呼ばれていた。そして最初に到着したのはメディナの墓堀人夫だった。
シュクランは預言者に長衣を着せた。自分の長衣とともに埋葬され、他のものが身につけるこたがないようにとの配慮からだった。体を洗い清める時も、敬意を表して、衣類を脱がせることはしなかった。そしてマホメットの骸は、赤いじゅうたんに包まれ、アラブの慣習に従って、棺に納めることもなく、埋葬されたのである。メッカが見えるようにと、頭は右向きにして、横たえられた。墓の上には、緑の小枝を植えた。だが数日もたたぬうちに、小枝は太陽の熱で燃え尽き、灰と化してしまうだろう。
数年後には、地に埋められた遺体も消滅するのだ。砂漠は、依託された骸を保存することはない。人間のうちに残るのは、魂が創造したものだけである。
更新2007年3月17日