今月の言葉抄 2007年3月

中野重治の詩

『現代詩文庫 中野重治詩集』(思潮社 1988年)を読んだ。好きな詩を二篇だけ選びました。私は「女西洋人」が一番好きだ。この詩人の独特の感性がよく表れている。党活動時代の「夜明け前のさよなら」や「雨の降る品川駅」など有名な詩もありますが、どうしても党活動のための詩作のためアジ的な章句がはいるので、私は採らない。二篇目の「その人たち」は戦後共産党が合法になったとき党からの注文で書いたものだそうですが、戦前、共産主義者の息子・娘をもった親たちの心情に焦点を当てるその優しさ、また次の章句の素晴らしさのため選びました。

サヤ豆を育てたことについてかって風が誇らなかったように
また船を浮かべたことについてかって水が求めなかったように

「しかしなるであろう」と書いているが、共産党の治世にはとうとうならなかったのである。

でもやっぱり詩は縦書きがいいですね。(管理人)


女西洋人

どこの国の人だろうなあ
あの人はいいことをしたんだがなあ
なんであんなに赧い顔なんぞするんだろうなあ
汽車のがらす窓は随分と重いんだし
あのお婆さんはその締め方を知らないんだものなあ
それを見兼ねてつい締めてやっただけのことだものなあ
なんであんなに顔の下の方から赧くなんぞなるんだろうなあ
もうずっと上の方まで顔一めんにまっかだがなあ
親切をしてやったことがあの人には恥ずかしいのかなあ
それともお婆さんがなんぼやっても駄目だったことが
あんまり造作もなくそして人の目の前で出来てしまったので
まだ年の若いらしいあの人は極まりがわるいとでもいうのかなあ
それに
これまたどうしたと言うんだろうなあ
あの人の赧くなるのを見ているうちに
おれは少しずつ悲しくなってきたがなあ
少し寒いようで少し恥ずかしいようで・・・
どうしておれにはこんな事がいつもいつも悲しいんだろうかなあ
おれやひょっとどうかなって了うんじゃあるまいかなあ

その人たち

―日本共産党創立二十五週年記念の夕べに―

そのいいようもない人々について私は語りたい
党のまわりから支えたひとびと
まわりからといおうか中からといおうか
その人びとは心から息子娘を愛していた
子供たちは正しいのだということを理論とは別の手段で信じていた

娘が娘であったためにうけたテロルについてききながら
その母親が母親であるためにそれ以上話させることの出来なかったその焼けるような皮膚のいたみ
そして息子に手紙を書こうためいろはから手習いをはじめたその小づくえの上の豆ランプ

やがてそうなるであろう
しかしなるであろうか
しかしなるであろう

こういう子を持たぬ親たちに決して分かることのなかった愛で子どもたちを包みながら
共産主義者の受けたのとは別な 共産主義者の親であるものとしての迫害にたえたその人たち
そして息子たちに先立たれさえし 白髪となり
今は墓のなかえ行ったその人たち
そして死に行きながらも 子どもたちとその党への愛において不屈であったその人たち
ああ この登録されなかった人たちのためにどんな切子に今夜灯を入れようか

サヤ豆を育てたことについてかって風が誇らなかったように
また船を浮かべたことについてかって水が求めなかったように
その信頼と愛とについて 報いはおろかそれの認められることさえ求めなかった親であった人たち
この親であった人々の墓にどの水を私たちがそそごうか
どのクチナシとヒオオギとを切って来ようか

私は信じる
その人々がここに来ていると
その人たちはこういうのである

みなさんよ
わたしたちは無駄には涙を流しませんでした
祝いなさい
して かって党員でなかった私たちのよろこびが
党員であるあなた方のよりも大きいのです

『現代詩文庫 中野重治詩集』(思潮社 1988年中野重治著) より
更新2007年3月28日