今月の言葉抄 2007年8月

小林秀雄について 三題

兄(小林秀雄)は私にこういったことがあった。
「おれは、何教の信者でもない。宗教というものは人間がつくったものだ。キリスト教でも、神は唯一だし、キリストは唯一人なのに一体、いくつ位教派があるんだ。何だってそんなに違う派をつくらなきゃならないんだ。仏教だってそうだ。釈迦は一人なのに十三宗五十六派なんて沢山の派がある。その上新興宗教というのがどんどんできる。みんな人間が勝手に解釈して、勝手に納得して信じているだけなんだ」
それから、こうもいっている。
「キリストのような純粋な宗教経験は事実だ。ああいう驚くべき人間経験があったということは、そのまま俺は信じる。しかし、これはいろんな神学とか教理とはまるで質のちがったものだろう。・・・本当に真実として、信じることの出来るのは、キリストの経験と、これをそのまま信じた人が書き残した聖書だけだと思う」
ともいった。
ある牧師はこの兄の言葉は、すばらしいといった。何故なら何教かの信者になり切り過ぎている人間が多いからだといった。
また、永藤武氏は、『小林秀雄の宗教的魂』の中で、
「小林の本葬が志賀(註、志賀直哉のこと)同様に無宗教形式で執り行われたからといって、小林の非宗教性や無信仰を示す何らかの証拠とはならないのである。むしろ、特定の教派や宗派の教義宗旨では覆い尽くせない、小林という魂のありかとひろがりを明示しているとみるべきであろう」
と書いている。

兄の心の奥の純真さを、あまり兄とはしたしくはしなかったが、顔みしりの歌人が、よく兄の姿をみて詠んだ歌に次のような歌がある。あまりにも兄のことをよく解っていて下さる歌だったので、私は前に小さな随筆を頼まれた時にその歌を紹介し、兄について書いたことがある。歌壇では有名な島田修二氏の作品である。
その私の随筆を読んで島田氏が、平成五年の十月の『短歌新聞』に次のような文章をお書きになった。
「十五年間鎌倉に住んでいたから、いろいろな人に会ったが、『あ、小林秀雄だ』というような衝撃を受ける人は他にいなかった。
新聞社の文化部にいながら、担当が違っていたこともあって、遠くから目礼するだけであったが、小林さんは気付くような、気づかぬような風で、人前にいること自体に恥ずかしそうにされていた。
小林さんの妹さんであり、少年時代には誰よりも尊敬していた田河水泡の夫人であった高見澤潤子さんが、この歌に関心を示されていることは前から聞いていたが、このほど『PHP』から高見澤さんが『私の人生はいい人生だった』を収めた10月号が送られてきた。
そこで掲出歌を引いた上で、『実に濃やかに兄を理解した短歌』と書かれているのである。この上ないお墨付きを頂いたこの一首、舞い上がって当分は手元に帰って来そうもない(青藍)」
私はこの立派な文章を読んで恐縮してしまったが、私が感動した島田氏の歌は、
人間のもろさやさしさ秘むるがに小林秀雄氏駅頭に立つ (東国黄昏)とうごくこうこん
である。
「脆さやさしさ」という言葉は、島田氏の文章にある「気付くような、気づかぬような風で、人前にいること自体に恥ずかしそうにされていた」の部分でよく現れているし、私もそのような兄の態度をよく知っていた。

高橋英夫氏は『小林秀雄―声と精神』という彼の著述の中で、兄の魂のやわらかさ、弱さについて、私が、兄が一高受験に失敗して浪人していた時、軽蔑的な調子で兄の失敗をせめるようにいったら、思いがけなく兄が泣き出したことや、青山二郎から「お前のやっていることは、お魚を釣ることじゃねえ。釣る手腕を見せているだけだ」といわれて兄は泣き出した、ということを例にあげて、
「しかし、人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬る概のあった強者にしても、半面で人の知らない弱さを隠しもっていてどこが悪いだろうか。私は、小林秀雄の強さや激しさというものは、青年時代の小林秀雄が今はまだ解明されていない何らかのきっかけをへて獲得した第二の資質であって、それ以前には強さと弱さが混沌未分の状態で熱い内部の流れをなしていたと考えた方が当たっているのではないかと思う」
と書いているが、兄は確かに弱い処も、脆い処も、優しい処もあった人であった。
「優しい心とは感じる心だ」
と兄がよくいっていたように、純粋さ、誠実さ、正直、優しさは、心に感じ、思いやる心であり、信頼する信じる心にすぐ通じるものだから、相手にしみじみとした思いを与える強さがある。兄はそうした心情を最後まで失わなかった。

『人間の老い方 死に方 [兄小林秀雄の足跡]』(海竜社 平成7年8月発行 高見澤潤子著) 

更新2007年8月18日