今月の言葉抄 2008年5月

あの世はあるか?

江原 ただ、霊能の部分で物理現象というのがある。一番大きいのは、 やはり赤道に近ければ近いほど物理現象というのは起きるそうです。
佐藤 起きるんですか。
江原 ええ、心霊手術にしても何でもそうですけれど、赤道に近ければ近いほど 起きると言われますね。赤道から離れれば離れるほど、わりと精神的な心霊現象のほうが多いと言います。そういうふうに研究している 方がそのように言っているわけですけど。
佐藤 私の北海道の別荘でのことですけど、ある日コードレスの電話がなくなって いくら探してもない。
居間に長椅子があるんですけど、これ遠藤周作さんからもらったんでガタがきているんですけどね。ソファの端に肘かけが ありましょう?その肘かけのつけ根のあたりを、「まさかこんな所にあるわけないしね」って言いながらなでているうちにひょっこり、 手がつけ根の所にズルッと入った。
中が袋みたいになってて・・・。とにかくボロソファだから・・・。手を入れていくとカチンとさわるものがある。 あっと思って引き出したら・・・電話機だったんです。
いや、もう、怖いというより呆れ返ってねえ。
その後で娘と町へご飯を食べに行こうってことになって、行こうとしたら車のキーがない。スペアキーを手提げ袋に 入れておいたから、それで行こうと思ったらそれもないんですよ。
そこでふざけ半分に、さっきのところにあるんじゃないかって手を入れたら二つ入っていたんです。
そのあと、宜保さんと対談しましてね、そのときその話をしたら、そういう難しいことは私にはわかりませんとおっしゃってた。 そんな怪奇現象は一つや二じゃないんです。話しはじめたら怪談本一、二冊はゆうにかけますね。
結局、そこはアイヌの集落だったんです。アイヌが神様を祀ったりしていたところへ私が家を建てたということが原因だったんです けどね。その集落にいたアイヌが和人(シャモ)のために皆殺しになっていたんですよ。
何も悪いことしていないのに一方的にやられた。その怨念がずーっとつづいていた、そこへ私が家を建てたってことらしいんです。
ああ、それから、台所のガス台の上の換気扇が外されて、台所の床の真ん中にポンと置いてあった。東京から友達が来たので 町へ夕食に出かけて、十一時頃帰ってきたらそうなっていたんです。けれど人霊にそれだけの力があるかしら?
江原 強いですよね。人霊だけではちょっと難しいと思いますよね。
佐藤 難しいでしょ。だから、あれはやっぱり自然霊の力をかりているんですね。
江原 自然霊の働きというのがあると思いますね。ですから、それはひとつの 風土というのは、そうなのかもしれないですね。そこの土地の自然霊とかいうことも・・・。
佐藤 その場合はアイヌの人霊が、力を合わせてやってくれって自然霊に頼むん ですかね?
江原 頼むということはないにしても、やはり、そのエネルギーを利用してという ことはあるのかもしれませんね。利用して起こす。どちらがというのはわかりませんけど、アイヌのほうが利用したのかもしれません し、自然霊のほうが利用して起こしたのかもしれませんし、その怒りの念とかを利用して起こしたのかもしれませんし。
江原 選ばれたんですね。
霊界は先生に霊的真理に目覚めてほしかったんでしょう。
そして世の人々に((たましい))心の癒しを与えてほしいと願った のでしょう。
それには生半可な心霊現象では先生が納得しないと考え、ハデにポルターガイスト現象を体験させたのでしょうね。
佐藤 その北海道の家を建てた場所は、土地を見に行って、ひと目見るなり 魅了されたようになってその場で決めたんです。それは、もう探すのはやめて帰ろうとした最後の日でした。
家を建てた年から毎年、いわゆる超常現象といわれる現象が次々と起こり、衝動買いをしたバチがあたったのかと反省したり していましたが、その後いろんな霊能力者に会ってきくと、皆さん、それは佐藤さんの意志というよりは「選ばされた、家を建て させられた」のだと言われました。これは長年にわたる怨念をしずめる役目を(つか) わされたというわけでしょうかね。
万事がんばる、私の性分を見込んで選ばれたのか、あるいはいろんな私の因縁があって、そのカルマのためにしなければ ならなかったのか、与えられた使命なのかどうかよくわからないけれど、この家を建てたことによって、神仏のことにまるで関心を もたなかった私が、これがきっかけになって、人生観も、価値観も変わってきました。
いままで度重なるつらい経験もしてきたけれど、私にとっては有難いことだったと思うようになっています。
佐藤 霊の側というのは、いろんな行動をとる霊もいるんですね。だから、 そういうとき、何で換気扇を彼は選んだのかと。なぜコードレスの電話を選んだのかという、そこが興味のあるところですね。
江原 それは不思議ですよね。解釈できない。
佐藤 あんな手の込んだことを・・・。そこまでしないと気がつかない と思ったんですかね?
江原 要するに、動かしてもあまり気づかれないようなものは動かさないんですね。
佐藤 うん、わかんないですね。だから、スリッパがないないって言って探してまして ね、そうしたら内玄関のところに置いてあるんですよ。それが普通じこうして置いたんじゃ、自分がぬぎ捨てたとか思うでしょう。 だから、ちゃんと組んであるの。組むことによって、自分の存在を知らせようと。考えてますよね。
霊写真というのは、あれはやっぱり存在を示すためにああしてうつるんですか?それとも偶然そこに霊が居るだけなのに、 勝手に写っているということですか?
江原 意志を持って写る場合もあるようですし、偶然写るほうが多いんじゃない でしょうか。
佐藤 ああ、そうですか。それは、やっぱり霊媒体質の人が写したから。
江原 そうです。または写されるほうという場合もあります。
佐藤 じゃ、霊媒体質ない人の場合は、何も写らないわけですね?
江原 そうですね。でも、だれしもある程度は霊能を持っていますから、 そのときの心境の波長ですね。それと霊魂の波長が合った場合に写り込むというのがある。
心霊写真はとても不思議ですよね。どうしてカメラにだけ写るのかっていうのは、とても不思議ですけど、心霊写真というのは 昔からありますからね。
佐藤 美輪明宏さんは、昔新宿にパリというクラブを持ってらしたんですけどね。 そこでお客さんがいっぱいお酒をのんでいますでしょ。
「みんな何も知らないで楽しくやっているけど、みんないっぱいついているのよ」なんて言っていましたけどね。その「後ろに いっぱいついているのよ」というのは、頼っている霊なんですか?
江原 いいえ。頼っていると言いますか、未浄化霊のなかで、特に酒に対して 執着が取れない人たちというのが、やっぱりどうしても人の体をかりてお酒をのもうとするんです。
本来行くべき幽界のほうへ行かずに、まだ酒を飲むことを考えているのです。
佐藤 それはじゃあ、全然その人と関係ないのに、お酒が媒体になっている わけですね。
江原 関係のない場合もありますし、関係のある場合もあります。ですから、 自分の現世の行き方が先祖の浄化につながる場合もあるんです。生き方そのものが供養になる場合もあるんです。
ですから、自分自身がたまたま深酒したときなど、自分の父親だとかが大酒のみであり、そういう場合には一緒になって 飲んでやっている場合があります。
そういった方のわりと顕著な例は、一定量が過ぎた後に、大体目つきが変わって、その後のことは覚えていないというときが 大体そうです。
佐藤 酒癖が悪い人って酒飲み霊のせいなんですか・・・
江原 それは供養じゃないんですよ。それは絶たせなきゃいけないんですから。 ですから、ほんとうはそれ以上飲む自分がいけないんです。そこで教えてあげなきゃいけないんです。ぐっとこらえて、要するに、 自分の霊魂の存在を自覚して、もう忘れなさいということを言わなきゃいけないわけです。
佐藤 アルコール中毒なんていうのは、やっぱりそういうことですか?
江原 そうですね。あとは酒場にはうじゃうじゃとそういう霊魂がいます。
佐藤 いるんですか。
江原 ええ。そういった人たちにひょっと憑依 させて飲ませて、けんかでもさせて 犯罪を起こさせて、あとはさっと去るんです。ですから、自分が人を刺したのを覚えていないとかいうことも起きちゃう。ですから、 さまざまな犯罪だとかはかかわりますけども。
佐藤 でも、霊にそういう目に遭うというのは、やっぱり心がけが悪いん でしょうね。
江原 そうです。私はよく言うんですけども、ついた霊が悪いんじゃなくて、 つかれた自分が悪いんだと。よくそういうふうに言うんです。
何かの意志を伝えたくてついたというのは別ですけれども、そうじゃなくて、酒飲みの霊がついたとか、それで人を刺したとかって、 そういうのは全部自分が呼び込んでいますね。
あとは、自殺したいなんて、霊魂がついてそうなった場合に、やっぱり自分が心境を落としたがために、その波長に同じような 悩みを持った霊魂がひょっと憑依して自殺してしまったりとか、そうなりやすいんですね。
ですから、まず自分自身でテンションを一定にするということ。
佐藤 それは具体的に言うと、どういうふうにすればいいんですか?
江原 やはりどんなことも・・・。死後の世界を自覚して、霊魂という存在も 信じて、そして自分の生き方というものをしっかりと自覚して、日々浮き沈みなく強く生きていくことしかないんでしょうね。
やはり生きる目的を知るというのはとても大切なことだと思うんです。何のために生きているのか、何のために自分が生まれてきた のかということをよく知らなければ、この世のほんとうの幸せというのに到達できないんじゃないかと。
カントがそういうふうに言っていたように、そうだと思いますね。死後の世界がなければ、この世の善悪はやはりないと思います。 カントはそのようにずっと言ってきましたですよね。
憑依(ひょうい) 霊などがのりうつること。憑(つ)くこと。(広辞苑)

『あの世の話』(佐藤愛子・江原啓之著 青春出版社)より 


佐藤愛子さんの本に『私の遺言』がある。北海道の日高に別荘を買ってから、さまざまな超常現象に見舞われたことが、 そこに詳しく書かれている。ここにもその一部が披露されていますが、佐藤愛子さんが書けば、疑うものはいないだろうと思う。 そういう経験を通して江原さんや美輪さんのような霊能力者と知り合いになるのである。

ここでは私は単純に、あの世があるのかないのか、知りたいと思って読んだのであるが、江原さんが最後に言っていることが、 インド学の稀代の碩学である中村元氏と異なった意見ですので、大変興味を引かれて引用したのである。 中村元氏の見解は「死後の世界はあるか」で見られます。霊魂というものを認めるか、 認めないかで見解が異なっているのであるが、この世の生き方で意見が異なっているわけではないと思う。(管理人)

更新2008年5月5日