今月の言葉抄 2009年6月

市町村合併なんて馬鹿こくでねぇ 

— 久慈川のほとりで、名物といえばアユくらい。人口7千人弱の矢祭町(やまつり)は、01年10月に議会が「市町村合併 をしない矢祭町宣言」を決議して、一躍注目されました
県南部12市町村の首長らが集まる会議があって白河市長が「カネもたくさん入ってくる。みなさん検討しましょう。12万住民の 半数以上が賛成している」という。「調査したのか」と聞くと「役場の総務課長が集まる会議で半数以上が賛成だから」というんだ。 「木っ端役人の総務課長がいいといって、それが住民の総意か。馬鹿こくでねぇ」と。それで早めに旗幟(きし)鮮明にしなければ ならないと思ったんだ。
元福島県矢祭町長 根本良一氏
元福島県矢祭町長 根本良一氏
私が口述して白石勝夫総務課長(現・町社会福祉協議会会長)に成案させた。「合併反対決議」だったんだけど、総務省に槍を 突きつけているようで具合が悪い。思案しているうちに、議会事務局の高信由美子さん(現・町教育長)が「合併しない宣言でいいん でないの」と。
議長と総務課長を呼んで、臨時議会を開いてくれと。議案はこれ一つ。マスコミも呼んだ。結果は18対0。その後住民調査も したが、回答率97%で合併反対が70%だった。
— なぜ合併に反対したのですか・・・
これまで公共事業をどんどん取ってきてインフラ整備はほぼ終わっていた。町づくりを怠ってきたところと組まされて整備が 遅れるより、自立して町づくりを進めるほうがいい。矢祭町は福島県の最南端。どこと組んでも中心部にはなれない。辺境で過疎が 進むのは証明済み。栄えている所があればお目にかかりたい。
矢祭町は昭和の大合併で生まれたけれど、どこと合併するかを巡って住民の間で血の雨が降らんばかりの対立が起きた。町民に アレルギーがあるんだ。
— 国はあの手この手で市町村合併を進めようとしました。
明治は小学校設置、昭和は中学校建設という大義名分があった。平成の合併は財政の論理ばかり。自治体の経営効率を上げ、 行革を進めようと。国も借金ばかりで、地方に回すカネを減らしたい。それでいて、合併特例債という借金奨励策を打ち出す。 矛盾だらけで、あきれた。宣言直後、総務省の担当室長がやってきて、「税負担を上げず住民サービスを維持するには、自治体の 形を見直すことが大切」なんて言ってた。そこには地域の伝統とか郷土愛とかきめ細かな行政とかは全くない。
— 反響がすごかったとか
自治体、マスコミ、研究者らから問い合わせが殺到しちゃって。最初の2年間で350自治体、4千人、引退するまでなら、 700の自治体から8千人が視察にきたよ。「財政力指数が0.2で交付税頼みで自立してやっていけるのか」とか「コスト削減策は」とか、 職員が聞かれるわけ。答えようがないわな。宣言を出しただけで、中身は何もないんだもの。これが、のちに、職員が発案した 行財政改革につながった。
— 議会も反応しました
総務省の職員が近隣の合併説明会で「合併しないのは、町長や議員の保身のためだ」と話していると聞こえてきた。議員が 怒ったね。02年7月に議員定数を18から10に減らすと決めた。私も町長、助役、教育長の給与を総務課長と同額に下げた。どう考えても 総務課長以上には仕事してないもの。「一寸の虫にも五分の魂」だな。

朝日新聞夕刊2009年6月15日「人生の贈りもの」より

トイレ掃除、助役以下が交代で

— 6期目を迎える直前に引退騒動がありました
早く辞めたいと思っていたから。5期目を終える直前の03年3月に新聞に引退すると書いてもらった。既成事実を作ろうと思って。 家族も喜んでね、赤飯を炊いてくれたよ。翌日、議会で引退表明するんで30万円もした新調の一張羅の背広を着込んで役場に行ったら、 狭い町長室が町民であふれていた。消防団員が「辞めるならおれも法被を脱ぐ」。女性陣も来て100人くらいになったかな。「合併 しない宣言を出した船頭が先に降りるのか」。監禁だな。議場に上がらせまいと背広を引っ張る。背広はぼろぼろだ。妻と約束した ことだと言うと、かあちゃんまで引っ張りだしてくるし。議場でも時期尚早と言われ、泣きながら撤回した。
— そこから本格的な行革に
宣言前も、節約はしておったんです。最盛期108人いた職員を83人まで減らしていたし。でも将来交付税が減っても生き残れる 体制が必要だった。私が示したのはただ一つ、「10年後は職員50人体制で行政サービスの質を落とさない」。具体策は職員が全部 考えてくれました。
50人体制は退職者を補充しないで達成する。歳入全体で約40億円の町で最終的に2億5千万円の人件費が浮くから大きい。 7課を最後は3課に減らす。嘱託職員34人は全廃。係り制度は廃止してグループ制にする。グループ長は業務に精通していれば 若手でもなれるし、課員に戻ることもある。例えば、滞納を督促する税務課の徴収係長は部下なし。でも他の職員は手伝わない 風潮があった。グループ制にして助役意以下みんなが手伝って恒常的に徴収するようにしたら、滞納額が目に見えて減った。
電話交換もトイレ掃除も自前でやる。トイレは町長以外、当番で掃除します。お茶は自分で入れる、電話は空いている人がとる。
フレックス勤務を導入して、開庁時間を朝7時半から夕6時45分まで延長した。休日も8時半から5時半まで開き、住民票の届け や納税を受け付けることにしました。代休を取ったりして手当ては出ません。
職員の自宅を出張役場にした。一人暮らしのお年寄りはなかなか役場まで来られない。近くの職員の家に行けば窓口業務を 代行してくれる。
06年からは、商店会のスタンプ券や商品券で公共料金や税金の支払いもできるようにした。
— コスト削減と住民サービス向上の両方を同時に
「財政力指数は0.4近くまで上がった。何より地方自治とは何か職員が考え始めたのが収穫だ。行革が進むにつれ、職員に対する 町民の見方が変わった。昔は、はっきり言って職員は馬鹿にされていた。それが今は「頑張ってるねぇ」になり、無償の「行政 サポーター」が公園の掃除や草刈りをしてくれる。
— 「もったいない図書館」も職員の発案だそうですね
7千冊収蔵の図書館があったきりで中学生との対話集会で一番の希望は図書館だった。まともに建てると10億円以上かかる。 職員が講演で図書館を建てたいが手が出ないと言ったら、新聞記者が「本を募ったらいい。記事にしてあげるよ」と。建物は柔剣道 場の改修で1億円で済むというから決断した。記事がでたら届くわ届くわ。最終的に45万冊。慌てて1億8千万円かけて閉架書庫を 造った。本の分類は全員ボランティア。1時間500円は払いましたがね。町民の協力ぶりは今、日本一じゃないかな。

朝日新聞夕刊2009年6月16日(聞き手・細川剛毅) 

更新2009年6月19日