物理の窓

1 宇宙の形を初めて測定する: ハーシェル

望遠鏡を設計して使いこなすという点でガリレオに続く偉大な先駆者は、1738年にドイツのハノーファーに生まれた フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ヘルシェルである。ヘルシェルははじめ、父親の跡を継いでハノーファー近衛連隊の音楽隊に入ったが、 1757年、七年戦争の山場となったハステンベックの戦いを機に転職を考えるようになった。激しい戦いを経験した彼は、近衛連隊を辞めて 祖国を離れ、よその国で音楽家として静かに暮らす決心をしたのである。彼が落ち着き先として選んだのはイギリスだった。その理由は、 さかのぼって1714年に、ハノーファー家のゲオルク・ルートヴィッヒがイギリス国王ジョージ一世となって英国ハノーヴァー王朝を樹立 していたので、イギリスならば彼を好意的に受け入れてくれるだろうと考えたからだった。彼は英国風にウィリアム・ハーシェルと 名乗り、バースに家を買って、オーボエ奏者として、さらには作曲家、指揮者、音楽教師としてもすばらしい腕前を発揮して快適な 生活を手に入れた。しかし年月が過ぎるうちに、ハーシェルは天文学に興味をもつようになった。はじめはちょっとした趣味だったが、 やがて天文学のことが頭から離れなくなった。結局、彼はプロとしてもっぱら天文学に携わるようになり、同僚の天文学者たちから 十八世紀最大の天文学者と認められるまでになるのである。
ハーシェルは1781年に、彼が成し遂げた中でもっとも有名な発見をした。そのとき彼は自宅の庭で、一から自作した望遠鏡を使って 観測していたが、幾晩かのうちにゆっくりと位置を変えていく新しい天体を確認したのだ。はじめ彼はそれを未発見の彗星だろうと 考えたが、やがてその天体には尾がないことがわかり、新しい惑星であることが明らかになった。太陽系に重要な仲間がつけ加わった のである。天文学者たちは何千年ものあいだ、惑星としては肉眼で見える五つ(水星、金星、火星、木星、土星)しか知らなかったが、 ここにきてハーシェルが、まったく新しい惑星の存在を明らかにしたのだ。彼はその惑星に、イギリス国王であり、同じハノーファー の人間でもあるジョージ三世に敬意を表して「ゲオルギウム・シドゥス(ジョージの星)」と命名したが、フランスの天文学者たちは むしろ発見者にちなんで「ハーシェル」と呼ぶほうを好んだ。サトゥルヌス(土星の名前、英語ではサターン)の父である天空神 ウラノスにちなみ、「天王星」と名づけられた。
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ハーシェルの望遠鏡

ハーシェルの望遠鏡

1789年、ハーシェルは直径1.2mの鏡をもつ望遠鏡を作り、これは当時としては世界最大の口径だった。しかしその望遠鏡は 長さが12メートルもあったせいで非常に扱いにくく、望遠鏡を正しい方向に向けようと奮闘しているうちに貴重な観測時間が 無駄に流れていった。もうひとつの問題点は、鏡の重さを支えるために銅で補強する必要があったことだ。そのせいで鏡がすぐに変色 していまい、せっかくの集光力が台無しになった。ハーシェルは1815年にこの怪物望遠鏡を見捨てて、感度と実用性のバランスを取って、 口径はそれほど大きくない0.475メートル、長さは6メートルの望遠鏡でほとんどの観測を行うようになった。
ハーシェルの主要な研究プロジェクトのひとつに、自作の優れた望遠鏡を使って、数百個の星について地球からの距離を測定する というものがあった。そのための彼は、「星はどれもみな同量の光を出している」というおおざっぱだが使い勝手の良い仮定を置き、 「明るさは距離の二乗に反比例して減少する」という事実を用いた。具体的な例を挙げると、実際の明るさが等しい二つの星がある として、一方が他方の三倍だけ遠くあれば、遠いほうの星の明るさは近いほうの星の明るさの1/32すなわち1/9になる。 ハーシェルはこれを逆にして、見かけの明るさが1/9なら、暗い星は明るい星よりもざっと三倍だけ遠くにあると仮定したのである。 彼は、夜空でもっとも明るい星シリウスを基準として、測定した星までの距離を、シリウスまでの距離の何倍かで表した。シリウス までの距離のことを、彼は「シリオメートル」と呼んだ。したがって、見かけの明るさがシリウスの1/49すなわち1/72 の星は、シリウスよりも七倍遠くにあるはずであり、その距離は七シリオメートルとなる。ハーシェルは、たぶんすべての星が同量の 光を出しているわけではなく、したがってこの方法は正確ではないことは理解していたが、しかし自分が作りつつある天の三次元地図 がおおよそ正しいことには自信をもっていた。
ハーシェルの宇宙

ハーシェルの宇宙

予想としては、星はどの方向、どの距離にもまんべんなく分布していそうなものだった。ところがハーシェルのデータは、 星はパンケーキのような円盤の内部にまとまって存在していることを強く示唆していたのだ。この巨大なパンケーキの大きさは、 直径千シリオメートル、厚みは百シリオメートルだった。ハーシェルの宇宙の星たちは、無限の空間を占拠するのではなく、 固く団結したコミュニティーに属していたのである。この星の分布をイメージするには、レーズン入りのパンケーキを考えるといい。 レーズンのひとつひとつが星を表している。
この宇宙像は、夜空で一番よく知られた特徴にうまく当てはまった。星をちりばめたパンケーキの中に自分が埋め込まれている ものと想像してみよう。前後左右にはたくさんの星が見えるが、パンケーキは薄っぺらなので、上下にはあまり星は見えないだろう。 したがって、宇宙の中のこの観点に立てば、周囲をぐるりと取り巻く光の帯が見えるはずだ―そして実際、夜空にはそんな光のアーチ が見える(街の灯りが遠ければ)。夜空に見えるこの特徴は、古代の天文学者たちにもよく知られていた。光の帯はぼんやりと白く 見えることから、ギリシャ語では乳(ガラ)に由来する「ガラクトス(γαλακτος)」、ラテン語で「ウィ・ラクチア(Via Lactea)」、すなわち 「乳の道(ミルキー・ウェエ)」と呼ばれた。古代人にはわからなかったが、望遠鏡第一世代の天文学者たちはミルクのようなこの帯は、 実はたくさんの星が集まってできているのを見ることができた。それらの星たちはあまりにも遠くにあるため、肉眼では見分けられ なかったのだ。星たちはわれわれのまわりに、パンケーキ状に分布していたのである。ひとたびこのパンケーキ・モデルが受け入れ られると、われわれの住む星の集団そのものが「乳の道」と呼ばれるまでにはそれほど時間はかからなかった(日本語では「乳の道」 を「天の川」と呼び、この星の集団のことを「銀河系」ないしは「天の川銀河」と呼ぶ)。
天の川銀河は、おそらく宇宙のすべての星を含んでいるのだろうと考えられていたから、事実上、天の川銀河の大きさが宇宙の 大きさだった。ハーシェルは天の川銀河の大きさを、直径千シリオメートル、厚み百シリオメートルと推定したが、彼は一シリオメートル が何キロメートルなのかを知らないまま、1822年に世を去った。つまりハーシェルは、絶対距離で測った天の川銀河の大きさについては 皆目見当がつかなかったのである。シリオメートルをキロメートルに換算するためには、誰かがシリウスまでの距離を測らなければ ならなかった。1838年、この目標に向かって大きな進展があった。ドイツの天文学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルが、 初めて星までの距離を測定したのである。

2 白鳥座61番星までの距離の測定に成功する: ベッセル

星までの距離を測定する 目次

更新2009年5月4日