紫式部集 注釈

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0001 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜はの月かな
(状況)幼い頃から友達だった人に何年かたって出会ったところが、この女友達は親が国司で、親と共に地方へ行き、親sの任期が終わって上京したので、お互い再会できた。/ めぐりあいて 「月」の縁語。
// 久しぶりでやっとお目にかかりましたのに、あなたなのかどうか見分けられないうちにお帰りになり、夜中の月が雲に隠れたように心残りでした(新潮)/ 久しぶりに出逢ってお会いしたのに、昔のままのあなたであったかどうであったか見分けのつかないうちに急いで姿を隠してしまった夜半の月影のようなあなたでしたね(渋谷)
0002 鳴きよわるまがきの虫もとめがたき 秋の別れや悲しかるらむ
// まがきに力なくなく鳴く虫も、遠くへ行くあなたを引きとめられない秋の果てのこの別れが、私と同様悲しいのでしょうか(新潮)/ 鳴き弱った垣根の虫も行く秋を止めがたいようにわたしもあなたが遠い国へ下って行くのを止められません 秋の別れは何と悲しいことなのでしょう(渋谷)
0003 露しげきよもぎが中の虫の音を おぼろけにてや人の尋ねむ
//露いっぱいの蓬の中で鳴いている虫の声を、並一通りの思いで人は聞きに来るでしょうか。こんなあばらやへ、私などに琴を習いに来ようとは酔狂な方ですね(新潮)/ 露がしとどにおいた草深い庭の虫の音のようなわたしの琴の奏法を 並み大抵の人は訪ねて来ないでしょう、まことにご熱心なこと(渋谷)       
0004 おぼつかなそれかあらぬか明けぐれの そらおぼれする朝顔の花
「なまおぼおぼしきこと」真意の分りかねる言動。歌から推定するなら、作者と姉のいる部屋へやってきて、二人のどちらに対してともなく色めいたことを語りかけたのであろう。
// どうも解しかねます。昨夜のあの方なのか別の方なのかと。お帰りの折、明けぐれの空の下でそらとぼけをなさった今朝のお顔では(新潮)/ はっきりしませんね。そうであったのか、そうではなかったのか、まだ朝暗いうちにぼんやりと咲いている朝顔のような、今朝の顔は(渋谷)/
0005 いづれぞと色分くほどに朝顔のあるかなきかになるぞわびしき
「手を見わかぬにやありけむ」誰の筆跡か見分けがつかなかったのだろうか。(状況)紫式部には姉がいて早くに亡くなったと思われる・この歌は姉が生きていた幼少期のことで、方違えに訪問した男が姉妹になにかよからぬいたずらをしたと想像される。
//ご姉妹のどちらから贈られた花かと筆跡を見分けようとしているうちに、朝顔の花があるかなきかにしおれてしまって切ない思いです(新潮)/ どちらからの筆跡かと見分けているうちに、朝顔の花のように萎れてしまいそうになるのが辛いことです(渋谷)
0006 西の海を思ひやりつつ月見れば ただに泣かるるころにもあるかな
//これから行く遠い西の海のことをおもいやりつつ月を見ると、ただ泣けてくるこの頃です。(新潮)/ 西の海を思ひやりながら月を見ているとただ泣けてくる今日このごろです(渋谷)
0007 西へ行く月の便りにたまづさの かき絶えめやは雲のかよひぢ  「たまづさ」手紙。「雲のかよひじ」雲の中にあると見たてられた通路。
// 月は雲の中の通路を西へ行きますが、その西へ行く好便にことづけるあなたへのお手紙が絶えるようなことがありましょうか。(新潮)/ 西へ行くあなたへの手紙は毎月のようにけっして書き絶えることはしません、空の通路を通して(渋谷)
0008 露深く奥山里のもみぢ葉に かよへる袖の色を見せばや
(状況)木の葉が紅葉するのは、露や時雨が色を染めるからとされ、袖が血の涙にねれて、紅葉の色に似ているというのは、悲しみの極みに達すると血の涙出るという故事によっている。
//しっとりと露のおいている奥山里のもみじ葉はこのように色濃いことですが、涙に染まってこのもみじ葉の色に似た私の袖の色をお見せしたいものです(新潮)/ 露が深く置いている奥山里のもみぢ葉に似かよった袖の色をお見せしたいですね(渋谷)
0009 嵐吹く遠山里のもみぢ葉は 露もとまらむことのかたさよ
//嵐の吹く遠い山里のもみじの葉は、少しの間でも木に止まっていることはむつかしいでしょう。そのようにあなたを連れてゆこうとする力が強くては、都に留まることは困難でしょう(新潮)/ 烈しい風が吹く遠くの山里のもみぢ葉は露を少しの間でも留まらせることが難しいように、あなたも都に留まることは難しいのでしょうね(渋谷)
0010 もみぢ葉を誘ふ嵐は早けれど 木の下ならで行く心かは
//もみじ葉を誘って散らせる嵐は、速く吹きますが、木の下でない所へ行く気になれるものですか。私を連れてゆこうとする力は強いのですが、都以外の所へは行き気になれません。(新潮)/ もみぢ葉を誘う嵐は疾いけれど木の下でなくては散り行く気持ちにもなれません(渋谷)
0011 霜氷り閉ぢたるころの水茎は えも書きやらぬ心地のみして
「水茎」川の堤や池の堰から漏れてくる細流。また筆のこと。
//凍てついた霜が流れをとざしているこの頃のような私の筆ではお慰めの手紙を書けない思いがするばかりでして(新潮)/ 霜や氷りが閉ざしているころの筆は十分に書ききれない気持ちばかりがしています(渋谷)
0012 行かずともなほ書きつめよ霜氷り 水の上にて思ひ流さむ
「ゆかず」筆が進まない。「水のそこ」み水くきの流れの下で、すなわち便りによって。
//たとい筆が進まなくても、やはりお考えをいろいろ書いてお聞かせください。そうしたら、凍てついた霜のようにとざされた胸の思いも、あなたのお便りで晴らしましょう(新潮)/ たとい筆が進まなくても今まで同様に便りを書き集めて送ってくださいね、霜や氷に閉ざされたわたしの心もあなたの便りによってもの思いを流せましょうから(渋谷)
0013 ほととぎす声待つほどは片岡の 森の雫に立ちや濡れまし
//「ほととぎす鳴かなむ」時鳥が鳴いてほしいわね。時鳥の鳴くのを待つ間は、片岡の森の中に立って、木々のしたたる露にぬれようかしら(新潮)/ ほととぎすの鳴く声を待つ間は、車の外に立って、片岡の森の雫に濡れましょうかしら(渋谷)
0014 祓へどの神のかざりのみてぐらに うたてもまがふ耳はさみかな
「ついたち」は、河原に出て祓えをする。祓は陰陽師が執行するものだが、法師も内職に陰陽師の役をはたした。紙冠は紙を三角に折って額につける。「耳はさみ」紙冠は三角に折った神の底辺を額につけ、その両端を耳にはさむのでこういった。
//祓戸の神の神前に飾った御幣に、いやに似通っている耳にはさんだ紙冠だこと(新潮)/ 祓へどの神の前に飾った御幣にいやに似通った紙冠ですこと(渋谷)
0015 北へ行く雁の翼に言伝てよ 雲の上がきかき絶えずして
(状況)作者には一人の姉がいた。その死亡年月は不明だが、詞書からすれば、長徳二年(996)父為時が越前守となる以前だったことがわかる。また、妹を亡くした人とは、父為時の姉妹で、肥前守平維将の妻となった人の娘であろうといわれる。「雁」に手紙を託すのは、漢の武が雁の脚に手紙をつけて送った故事による。「雲の上書き」手紙の表書きのこと。
// 北へ飛んでゆく雁の翼にことづけてください。今まで通り手紙の上書きを絶やさないで(新潮)/ 北へ飛んで行く雁の翼に便りを言伝てください雁が雲の上を羽掻きするように、手紙を書き絶やさないで(渋谷)
0016 行きめぐり誰れも都に鹿蒜山かえるやま 五幡いつはたと聞くほどのはるけさ
//お互いに遠く別れて国々をめぐって、時が来れば、誰もみな都へ帰ってくるのですが、あなたの行かれる所には、かえる山や五幡という所があると伺いますと、遠く離れることが思われて、一体いつまたお目にかかれるのかと心細いことです(新潮)/ 遠くへ行っても廻って都に、鹿蒜山かへるやまではありませんが、帰ってきますがまた五幡いつはたありませんが、何時のことかと聞くだけでもはるか先に思われます
0017 難波潟群れたる鳥のもろともに 立ち居るものと思はましかば 「津の国」大阪府でここから船に乗ったのだろう。
//ここ難波の干潟に群れている水鳥のように、あなたと起居を共にしているのだと思えたら、どんなに嬉しいでしょう(新潮)/ 難波潟に群れている水鳥のようにあなたと一緒に暮らしていられるものと思えたらいいのですが(渋谷)
0018 あひ見むと思ふ心は松浦なる 鏡の神や空に見るらむ
// あなたに逢いたいと思う私のこの心は、そちらの松浦に鎮座まします鏡の神様が空からご覧になっているでしょう(新潮)/ あなたにお逢いしたいと思うわたしの心は、松浦に鎮座する鏡の神が空からお見通しくださることでしょう(渋谷)
0019 行きめぐり逢ふを松浦の鏡には 誰れをかけつつ祈るとか知る
//遠い国をめぐりめぐって都で再び逢えるように待ち望む私は、ここ松浦の鏡神社の神様に、誰のことを心にかけてお祈りしているか、おわかりでしょうか(新潮)/ めぐり逢うことを待つという、松浦の鏡の神に対して誰を心にかけつつ祈っているとあなたはお分かりでしょうか(渋谷) 
0020 三尾の海に網引く民の手間もなく 立ち居につけて都恋しも
「三尾が崎」琵琶湖の西岸、滋賀県高島郡安曇川町三尾里付近一帯。
// 三尾が崎で網を引く漁民が、手を休めるひまもなく、立ったりしゃがんだりして働いているのを見るにつけて、都が恋しい(新潮)/ 三尾の海で漁民がせわしなく網を引いて働いているその立ち居を見るにつけても都が恋しいことよ(渋谷)
0021 磯隠れ同じ心に田鶴ぞ鳴く なに思ひ出づる人や誰れそも 「磯の浜」は琵琶湖の北、坂田郡米原町磯の浜。
(状況)越前下向は夏に琵琶湖西岸を辿り、帰路は、0072の詞書によれば冬で、琵琶湖東岸を通っている。
//磯の浜のものかげで、私と同じようにせつなさそうに鶴が鳴いている。一体お前の思い出しているのは誰なのか(新潮)/ 磯の隠れた所でわたしと同じ気持ちで鶴が鳴いているが何を思い出し誰を思ってなのだろうか(渋谷)
0022 かき曇り夕立つ波の荒ければ 浮きたる舟ぞしづ心なき
// 空一面が暗くなり、夕立を呼ぶ波が荒いので、その波に浮いている舟は不安なことだ(新潮)/ 空がかき曇って夕立ちのために波が荒くなったので浮いている舟の上で落ち着いていられない(渋谷)
0023 知りぬらむ行き来にならす塩津山 世にふる道はからきものぞと
塩津山「伊香保郡西浅井町塩津付近の山。塩津は琵琶湖の北端にあり、北陸へ向かうときの要港であった。
//お前たちもわかったでしょう。いつも行き来して歩き馴れている塩津山も、世渡りの道としてはつらいものだということが(新潮)/ 知っているのだろう、行き来に慣れた塩津山の古くからある世渡りの道は辛く塩辛いものだと(渋谷) /
0024 おいつ島島守る神がやいさむらむ 波も騒がぬわらはべの浦 帰路の歌である。
//おいつ島を守っている神様が、静かにするよういさめたためだろうか、わらわべの浦は波も立たずきれいだこと(新潮) / おいつ島を守る神様は静かになさいと諌めるのでしょう波も騒がないわらわべの浦ですこと(渋谷)
0025 ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松に今日やまがへる
「日野岳」越前の国府のあった武生市の東南にあっる標高800メートルの山/「小塩山」は京都市西京区大原野南春日町の西部にあり、都の近くで歌に詠まれなじみのある山である。
//こちらでは、日野岳に群立つ杉をこんなに埋める雪が降っているが、都でも今日は小塩山の松に入り乱れて降っているのだろうか(新潮)/ ここ越前の国府にこのように日野山の杉むらを埋める雪は都で見た小塩山の松に今日は見まちがえることです(渋谷)
0026 小塩山松の上葉に今日やさは峯の薄雪花と見ゆらむ
//小塩山の松の上葉に、今日はおっしゃるように初雪が降って、峯の薄雪は花の咲いたように見えることでしょう(新潮)/ 小塩山の松の上葉に今日はおっしゃるように雪が降って、その峯の薄雪は花と見えるのでしょう(渋谷)
0027 ふるさとに帰る山路のそれならば 心やゆくと雪も見てまし
//故郷の都へ帰るという名のあるあの鹿蒜山(かえるのやま)の雪の山ならば、気が晴れるかと出かけて行って見もしましょうが(新潮)/ 故郷に帰るという鹿蒜山の雪ならば気も晴れるかと出て見ましょうが (渋谷)
0028 春なれど白根の深雪いや積もり解くべきほどのいつとなきかな
(状況)作者らが越前へ下った前年の長徳元年(995)九月に、宋人が七十余人若狭国に漂着し、越前国に移されていた。その宋人を見にゆこうといっていた人とは父の友人であり、作者の夫となった人であろう。「春はとく来るものと、いかで知らせたてまつらむ」春には氷がとけるもの。あなたの心も私に打ち解けるものだと知らせたい。
// 春になりましたが、こちらの白山の雪はいよいよ積もって、おっしゃるように解けることなんかいつのことかしれません(新潮)/ 春とはなりましたが、白山の深雪はますます降り積もっていつ雪解けとなるかは分かりませんわ(渋谷)
0029 湖の友呼ぶ千鳥ことならば八十の湊に声絶えなせそ
(状況)近江の守の娘に言い寄っている男とは、作者に「二心ないと求婚する宣孝だろう。
//近江の湖に友を求めている千鳥よ、いっそのこと、あちこちの湊に声を絶やさずかけなさい。あちこちの人に声をおかけになるといいわ(新潮)/ 湖の友を呼ぶ千鳥よ、同じことならばたくさんの湊に声をかけなさい (渋谷)
0030 四方の海に塩焼く海人の心から 焼くとはかかる投げ木をや積む
// あちこちの海辺で藻塩を焼く海人が、せっせと投木を積むように、方々の人に言い寄るあなたは、自分から好きこのんで嘆きを重ねられるのでしょう(新潮)/ あちこちの海で塩を焼く海人のように自分から焦がれているとはこのような嘆きを重ねているのでしょうか(渋谷)
0031 紅の涙ぞいとど疎まるる 移る心の色に見ゆれば
(状況)「もとより人の女を得たる人なりけり」もとより、確かな親の娘を妻に得ている人なのだ。これは 夫となる宣孝のことか・・・管理人
// あなたの紅の涙だと菊と一層うとましく思われます。移ろいやすいあなたの心がこの色でははっきり分かりますので(新潮)/ 紅の涙がますます疎ましく思われます心変わりする色に見えますので(渋谷)
0032 閉ぢたりし上の薄氷解けながらさは絶えねとや山の下水
「文散らしけり」わたしの出した手紙を他の人に見せた。「ありし文ども取りまとめておこせずば」今までにわたしが出した手紙を全部返してくれなければ」「言葉のみにていひやりたれば」使いに口上で伝えさせた。「みなおこす」手紙を全部返すというので、これでは絶交だねとひどく恨んでいたので。
//氷に閉ざされていた谷川の薄氷が春になって解けるように、折角打ち解けましたのに、これでは、山川の流れも絶えるようにあなたとの仲が切れればよいとお考えなのですか(新潮)/ 春になって閉ざされていた谷川の薄氷もせっかく解け出したというのにそれでは川の水のように絶えてしまえとおっしゃるのですか(渋谷)
0033 東風に解くるばかりを底見ゆる石間の水は絶えば絶えなむ
「すかされて」わたしの言葉(歌)になだめられて。③ なぐさめて、気持を変えるようにする。なだめる。機嫌をとる。① あおりたてて誘う。うまく相手の気持をそそる。おだてる。(精選版日本国語大辞典)(気持ちを)言い当てられて。//春の東風によって氷が解けたくらいの仲なのに、底の見える石間の浅い流れのように、浅い心のお前との仲は切れるものなら切れるがいいんだよ(新潮)/ 春の東風で解けるくらいの氷ならば石間の水は絶えるなら絶えればいいのだ(渋谷)
0034 言ひ絶えばさこそは絶えめなにかそのみはらの池を包みしもせむ
「今は物も聴こえじ」もうお前には何も言うまい。この言葉は0033の歌に続く言葉である。「はらの池」があったとする説があるが実在したかは不明。「腹立ち」の腹にかける。「つつみ」池の堤をかけ、「池」の縁語。遠慮すること。// もう手紙も出さないとおっしゃるなら、そのように絶交するのもいいでしょう。どうしてあなたのお腹立ちに遠慮なんかいたしましょう(新潮)/ 絶交するならばおっしゃるとおり絶交しましょう、なんでそのみはらの池の堤ではありませんが、腹立ちを包んでいられましょう(渋谷)
0035 たけからぬ人数なみはわきかへりみはらの池に立てどかひなし
「たけからぬ」「たけし」は、強い、すぐれている、などの意。「人かずなみ」「なみ」は「なし」の語幹に接尾語「み」のついたもので、「波」をかけている。
// 立派でもなく人かずの身分でもなく、腹の中では、波が湧きかえり波立つに腹が立つが、お前には勝てないよ(新潮)/ 立派でもなく人数にも入らぬわたしは、沸き返らせて、みはらの池の腹を立てましたが、あなたには負けましたよ(渋谷)
0032~0035にわたる応答歌の相手は、夫の宣孝ではないか、性格が闊達で明るかった・・・管理人
0036 折りて見ば近まさりせよ桃の花思ひ隈なき桜惜しまじ
「思ひ隈なし」思慮分別がない、一方的だ、思いやりがない。桃を作者、桜を夫と関係のあった女にたとえたようです。身勝手な桜(夫の女)より、桃(わたし)のほうがよい。
//折って近くで見たら、見まさりしておくれ、桃の花よ。瓶にさした私の気持ちも思わずに散ってしまう桜なんかに決して未練はもたないわ(新潮)/ 手折ったら近まさりしてください、桃の花わたしの気持ちを理解しない桜など惜しみません(渋谷)
0037 桃といふ名もあるものを時の間に散る桜にも思ひ落とさじ
//桃は百(もも)百年という名を持っているんだもの。いくら桜であろうと、すぐ散ってしまう花より見落とすようなことはしないよ(新潮)/ 桃という名があるのですもの、わずかの間に散ってしまう桜より思ひ落とすまい(渋谷)/これは(0036・0037)夫宣孝との応答歌か?・・・管理人
0038 花といはばいづれか匂ひなしと見む散り交ふ色の異ならなくに 
// 桜も梨も花という以上は、どれが美しくない梨の花と見ようか。風に散り乱れる花の色は違っていないだもの(新潮)/ 花といったら桜と梨とどちらが色つやがないと見ようか散りかう色はどちらも違わないのだから(渋谷)
0039 いづかたの雲路と聞かば訪ねまし列離れけむ雁がゆくへを
 (状況)亡くなったのは、0015の詞書の作者と姉妹の約束をした友達らしい。
// どちらの雲路だったと聞きましたら、探しに行きましょうに。親子の列から離れて行ったあの雁の行方を(新潮)/ どちらの雲路へ行ったと聞いたなら、訪ねもしましょうものを一羽だけ列を離れて行った雁の行方を(渋谷)
0040 雲の上ももの思ふ春は墨染めに霞む空さへあはれなるかな  &emsp
(状況)「去年の夏より薄鈍色着たる人」去年の夏から薄墨色の喪服を着ていた人、作者である。夫宣孝(のぶたか)は長保三年(1001)四月二十五日に亡くなり、その喪中のこと。「女院かくれ」長保三年閏十二月二十五日崩御の東三条院詮子(一条天皇の母、道長の姉)。「人のさしおかせたる」ある人が使者に持たせて置かせた歌。「雲の上」宮中。ここは帝。
// 帝が喪に服して悲嘆にくれていらっしゃる今年の春の、この夕暮れは、喪服の色に霞んでいる空までも悲しく感じられます。それにつけても、あなたはいかばかりかとお見舞い申し上げます(新潮)/ 宮中でも悲しみに沈んでいる諒闇の春は薄鈍色に霞んでいる空までがしみじみと思われます(渋谷)
0041 なにかこのほどなき袖を濡らすらむ霞の衣なべて着る世に
//取るにたりない私ごとき者が、どうして夫の死のみ悲しんで袖を濡らしているのでしょう。国中の方が喪服をつけていらっしゃる時ですのに(新潮)/ どうして取るに足りないわたしごときが夫の死を悲しんで泣いていられましょうか国母が崩御されて国中が薄鈍色の喪に服しているときに(渋谷)
0042 夕霧にみ島隠れし鴛鴦おしの子の跡を見る見る惑はるるかな
//夕霧のたちこめる島陰に姿をかくした鴛鴦の跡を見て途方にくれている子のように、亡くなった父の筆跡を見ながら悲嘆にくれています(新潮)/夕霧のために島蔭に隠れた鴛鴦の子のように父の筆跡を見ながら悲嘆に暮れています (渋谷)
0043 散る花を嘆きし人は木のもとの寂しきことやかねて知りけむ
//桜の散るのを嘆いていたあの方は、花の散ったあとの子供の寂しさを、生前からご存じだったのでしょうか(新潮)/ 散る花を嘆いていたのは散った後の木のもとの寂しいことをかねて御存じでいたのでしょうか(渋谷)
0044 亡き人にかごとはかけてわづらふもおのが心の鬼にやはあらぬ
//妻に憑いた物の怪を、夫が亡くなった先妻のせいにして手こずっているというのも、実際は、自分自身の心の鬼に苦しんでいるということではないでしょうか(新潮)/ もののけにかこつけて手こずっているというが実は自分の心の鬼に責められているのではないでしょうか(渋谷)
0045 ことわりや君が心の闇なれば鬼の影とはしるく見ゆらむ
なるほど言われる通りです。それにしても、あなたの心があれこれ迷って闇のようだから、この物の怪が疑心暗鬼の鬼の影だとはっきりおわかりになるのでしょう(新潮)/  ごもっともですね、夫君の心が迷っているので心の鬼の影をはっきりと見えるのでしょう(渋谷)
0046 春の夜の闇の惑ひに色ならぬ心に花の香をぞ染めつる
(状況)絵の中の「さだすぎたるおもと」の心を詠んだもの。
//春の夜の闇にまぎれて花の美しさは見えないが、色気をもたない心に梅の香は深く味わったことである(新潮) / 春の夜の闇に梅の花の色は見えないが心のうちに花の香を染めたことである(渋谷)
0047 さ雄鹿のしか慣らはせる萩なれや立ちよるからにおのれ折れ伏す
(状況)萩を鹿が妻として慕い寄るという種類の歌が古くからあり、その発想によっている。
// 雄鹿が、平成からそのようにならしているためか、童が傍に立ち寄るとすぐに、萩が自分で折れ曲がって頭をさげているよ(新潮)/ 雄鹿がいつもそのように慣らしている萩なのでしょうか童女が近付くと同時に自然と萩が折れ伏すことよ (渋谷)
0048 見し人の煙となりし夕べより名ぞ睦ましき塩釜の浦
(状況)「世のはかなきことを嘆くころ」夫の死後間もない頃だろう。煙は火葬にした夫を思い出すよすがである。塩釜には塩焼く煙が連想され、親しみが感じられるのである。
// 連れ添った人が、荼毘の煙となったその夕べから、名に親しさが感じられる塩釜の浦よ(新潮)/ 連れ添った人が火葬の煙となった夕べからその名前が親しく思われる、塩釜の浦よ (渋谷)
0049 世とともに荒き風吹く西の海も磯辺に波は寄せずとや見し
(状況)作者の家の門をたたきあぐねて帰った人。歌の配列からすると、夫の死後言い寄った男のようである。この男がかって九州の国司(受領)だったことにもとづく表現なのであろう。/ 宣孝の子・隆光は、継母である紫式部に思いこがれていたという説がある。男が翌朝、紫式部に寄こした歌。
//いつも荒い風の吹く西の国の海辺でも、風が磯辺に波を寄せつけないのをみたろうか(新潮)/ いつも荒い風が吹く西の海にもその磯辺に波の寄せないことがありましょうか(渋谷)
0051 誰が里の春の便りに鴬の霞に閉づる宿を訪ふらむ 
(状況)「年かへりて」夫の死の翌年、長保四年(1002)の春である。前の歌に続いて、夫の喪中に言い寄ってきた男を拒否した歌である。浮気な男を鶯になぞらえている。「霞に閉づる宿」喪中であることを比喩的にいったもの。妻の夫に対する裳は一年。夫の死は長保三年四月二十五日であった。
//鶯は、どなたの春の里を訪れたついでに、霞の中に閉じこもっているこの喪中の家を訪ねてくるのでしょうか(新潮)/ どなたの春の里を訪れたついでに、鴬は霞に閉ざされたわたしの宿を訪ねるのでしょうか(渋谷)
0052 消えぬ間の身をも知る知る朝顔の露と争ふ世を嘆くかな
//わが身だって死ぬまでのはかない命であることを知っていながら、この朝顔と露とが消えるのを競うように人の亡くなって行くこの世のはかなさを嘆いていることでございます(新潮)/ 死なない間のわが身を知りつつ朝顔のようにはかない露と先を競う世を嘆くことよ(渋谷)
0053 若竹の生ひゆく末を祈るかなこの世を憂しと厭ふものから
 「世を常なしなど思ふ人の」世ははかなく無常だと思うひとが。 歌の作者紫式部自身のこと。「をさなき人のなやみけるに」作者の一人娘が病気になって。漢竹、呪いのようである。
//若竹のような幼いわが子の成長してゆく末を、無事であるようにと祈ることだ。自分はこの世を住みずらい所だといとわすく思っているのに(新潮)/ 若竹が成長してゆく先を祈っていることよわたしはこの世を厭わしく思っているのに(渋谷)
0054 数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり
(状況)詞書の意味。わが身を思うにまかせない不遇だと嘆くことが、だんだんと常のことになり、一途なありさまになっていくのを思った歌(渋谷)「なのめなり」(斜めなり)並だ、ありふれている、平凡だ。「ひたぶるなり」いちずに、ひたすら行う・思う。
//人数でもないわが身の願いは、思い通りにすることはできないが、身の上の変化に従っていくものは心であることだ(新潮)/ 人数にも入らないようなわたしの心のままに身の境遇を合わせることはできないが身の境遇に従って変わるのは心なのであったわ(渋谷)
0055 心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひ知られず
//私のような者の心でさえ、どのような身の上になったら満足する時があるだろうか、どんな境遇になっても満足することはないものだと解ってはいるのだが、諦めきれないことだ(新潮)/ せめて心だけでもどのような身の上に満足するのだろうか分ってはいるけれどもなかなか悟ることができないことよ(渋谷)
0056 身の憂さは心のうちに慕ひきていま九重ぞ思ひ乱るる
//宮仕えに出ても、わが身の嘆きは、心の中についてきて、今宮中であれこれと心が幾重にも乱れることだ(新潮)/ 身の嫌なことは、心の中では宮中を慕ってきたがいま宮中を見て、幾重にも物思いに心が乱れることよ(渋谷)
0057 閉ぢたりし岩間の氷うち解けばをだえの水も影見えじやは
「まだいと初々しきさまにて」宮仕えに出てまだ全くの新参者で有様で。「ほのかに語らひける人に」わずかに話し合った同僚に/ わずかに話し合った人に。
// 岩間の閉ざしていた氷が春になって解けましたら、途絶えていた水も流れ出し、そこに影がうつらないことがありましょうか(新潮)/ 閉ざしていた岩間の氷がわずかに解け出すように春になったら途絶えていた水も姿を現さないでしょうか、わたしもきっとまた出仕しましょうよ(渋谷)
0058 深山辺の花吹きまがふ谷風に結びし水も解けざらめやは
//山辺の花を散り乱す谷風に固く閉ざしていた氷も解けないことがありましょうかー中宮様のご慈愛であなたの心も打ち解けるに違いありません(新潮)/ 深山のあたりの花が散りまがう谷風に凍っていた川も解けないでしょうか、解けましょう(渋谷)
0059 み吉野は春のけしきに霞めども結ぼほれたる雪の下草
(状況)宮仕えに出たのが寛弘二年(1005)十二月二十九日と考えられるので、これは寛弘三年の正月十日頃のこと。「 まだ出で立ちもせぬ隠れがにて」とは、里に下がったまま、まだ出仕せず身をひそめている隠れ家で。
//雪のよく降る吉野山も、今は春らしく霞がかかっていますのに、私は雪に埋もれて芽も出せない下草同様でございます(新潮)/ み吉野は春の景色に霞んでいるけれども依然としてかじかんでいる雪の下草です(渋谷)
0060 憂きことを思ひ乱れて青柳のいと久しくもなりにけるかな
(状況)作者の宮仕えは寛弘二年(1005)十二月二十九日と考えられ、ここはその翌年の三月実家に帰っていた時のことである。「宮のおもと」中宮の女房、素性不詳。「青柳」はいとにかかる枕詞。
//いやな事を思い悩まれて、お里下がりのずい分長くなったことですね(新潮)/  / 嫌なことに思い悩まれて青柳のようにたいそう久しくなってしまいましたね (渋谷)
0061 つれづれと長雨降る日は青柳のいとど憂き世に乱れてぞ経る (状況)歌本になし、と記され写筆した者の本には歌がなかったと註される。定家本に0060の返歌として、「つれづれとながめふる日は青柳のいとどうき世にみだれてぞふる」というのがある、とする。
//うち続く長雨に物思いする日は、常よりも一層いやになるこの世に、思い悩んで過ごしています(新潮)/ 所在なく長雨が降るのを眺めながら送る日は青柳のようにますます嫌な世の中に悩まされて日を送っています(渋谷)
0062 わりなしや人こそ人と言はざらめみづから身をや思ひ捨つべき
(状況)「かばかり思ひ屈しぬべき身を」これほど思いくずおれている私なのに、「ひどく上臈ぶった振舞だわね」と女房たちが言ったと聞いて。宮仕えに出てすぐ実家に戻ったための批判である。
//しかたのないことだ。あの人達は私を人並みの者とはいわないだろうが、駄目な者と自分で自分を見捨てられようか(新潮)/ しかたないことだわ、あの人たちはわたしを一人前の人と思わないでしょうが自分自身からわが身を見捨てることができましょうか(渋谷)
0063 忍びつる根ぞ現はるる菖蒲草言はぬに朽ちてやみぬべければ
(状況)「薬玉」菖蒲やよもぎなどを、五色の糸にで貫き玉にしたものらしいが、製法など明らかではない。五月五日にこれをかけると邪気を払い長寿になるので人に贈り、肘にかけたり、柱や簾にもかけた。
//かくれて菖蒲の根が今日は引き抜かれて姿を現しました。そのように私も今まで好意をあらわさずにきましたが、このままでは何も言わずに朽ちてしまいそうですので、今日はあなたへの思いをお見せする次第です。(新潮)/ 隠れていた根が引かれて現れ出たように今日は菖蒲の節供にちなんでわたしの心根を表します何も言わないうちに朽ちて終わってしまいそうなので(渋谷)
0064 今日はかく引きけるものを菖蒲草わがみ隠れに濡れわたりつる
(状況)五月五日は菖蒲の根を人に贈る風習があった。菖蒲の根が水底に隠れているように、私は家に籠って涙にぬれております。
//今日は菖蒲の根を引いてお言葉をいただきましたのに、菖蒲の根が水底に隠れてぬれているように、私は家に籠って涙にぬれています(新潮)/ 今日はこのように菖蒲草を引き抜いてお言葉をかけてくださったのにわが身は水隠れに家に籠って涙に濡れています(渋谷)
0065 妙なりや今日は五月の五日とて五つの巻のあへる御法も
(状況)法華経は八巻で二十八品である。これに開教と結教を加えて三十巻とする。一日に一巻ずつ、または二巻ずつ講ずること。法華経の第五巻は、提婆達多・勧持品・安楽行品・従地涌出品からなる。法華経のなかでも提婆品が最も尊ばれ、それの講じられる日は盛大であった。「阿私仙あしせん」釈尊に法華経を説いた仙人で提婆達多のこと。釈尊は法華経を得るために、木の実を採り、水を汲み、薪を拾うなどして阿私仙に仕えたと提婆品にあり、提婆品を講じる日はそれに因んだ行事が行われる。土御門殿の今日の日の盛大な行事のために、釈尊は木の実を拾っておかれたのかと思われる、というのである。
//すばらしく尊いことだ。今日は五月五日ということで、丁度第五巻が講じられることになった法華経の教えも、今日の行事も(新潮)/ 素晴しく尊いことだわ、今日は五月五日に第五巻が重なったこの御法会よ(渋谷)
0066 篝火の影も騒がぬ池水にいく千代澄まむ法の光ぞ
(状況)篝火と御灯明が光りあって、法華三十講が行われたのは、土御門殿の西中門のある御堂で、池に臨んでいた。篝火は池のほとりに立てられたもので、御灯明は仏前のものであろう。
//篝火の光も静かに映っている池の水に、仏法の光は、幾千年も清らかに澄んで宿ることでしょうか(新潮)/ 篝火の影も騒がない池の水にいく千代までも澄んで宿ることでしょう、御法会の光は(渋谷)
0067 澄める池の底まで照らす篝火のまばゆきまでも憂きわが身かな
状況)五巻日の盛事を讃嘆する表向きの歌を詠んで、涙ぐまれる私事の述懐をかくしたのである。「大納言の君」中宮の上臈の女房。
//澄みきった池の底まで照らす篝火が明るくて、まぶしく恥ずかしいまでに思われる不仕合せなわが身です(新潮)/ 澄んでいる池の底まで照らす篝火がまぶしく恥ずかしい嫌なわが身ですこと(渋谷)
0068 影見ても憂きわが涙落ち添ひてかごとがましき滝の音かな
(状況)法華三十講か、彰子出産の行事だろうか、土御門殿での行事で遅くなったのであろう。その時に詠ったものか。
//遣水にうつる姿を見るにつけても、つらいわが身の上を思って流れる涙が遣水に加わって、この涙のせいだと恨むかのような滝の音よ(新潮)/(渋谷)
0069 一人居て涙ぐみける水の面に浮き添はるらむ影やいづれぞ
(状況)わたしが参照している新潮日本古典集成『紫式部日記・紫式部集』(これは陽明文庫本を底本としている)にこの歌がない。付録で付いている実践女子大学本にはあるが、歌の解説はない。
//一人で涙ぐんでいらっしゃった遣水の面に映り加わっている姿はあなたとわたしのどちらでしょうか(渋谷)
0070 なべて世の憂きに泣かるる菖蒲草今日までかかる根はいかが見る
(状況)昔の人は、ショウブには邪気を払う力があると考え煎じて飲んだり、根を漢方薬として、胃腸の調子を整えたり傷口を治したりするのに使いました。 端午の節句にあたる旧暦の5月5日頃といえば、ちょうど梅雨時。 蒸し暑さが増して、食べ物や水などが傷みやすくなる時期です。 病を遠ざけるため、貴族の間ではショウブを使って丸く編んだ玉を飾ったり、それを贈り合ったりする風習があった。(Wikipedia)/5月5日の端午の節句(菖蒲の節句)には、菖蒲の長い根を贈り合う風習があったそうです。 端午の節句は、旧暦5月5日に行われた邪気払いの風習に由来があり、奈良~平安時代の頃に古代中国から伝わったとみられています。うき「憂き」が、泥土(うき)を連想させ「あやめ草」の縁語、
//私は、すべて世のつらさに泣けて、菖蒲草(あやめぐさ)の行事の過ぎた今日まで残ったこの根のように、今日も泣く音がたえませんが、あなたはこの根をどうご覧になりますか(新潮) / 世間一般の嫌さに涙ぐまれる菖蒲草今日までこのような長い根はどうして見たことがありましょうか(渋谷)
0071 何ごとと菖蒲は分かで今日もなほ袂にあまる根こそ絶えせね
(状況)「あやめはわかで」筋目のたつ判断ができないで。「あやめ」は条理・筋目の意「あやめ」「ね」は「菖蒲」の縁語。ね「根」と「音」の掛詞。
//私は頂戴した菖蒲の根が長くて袂に包みきれないように、今日もまた何のためだか分からずに、涙を袂でおさえきれず、泣く音がたえません(新潮)/ どのようなことと、菖蒲ではないが、ものの条理は分かりませんで、今日もやはり袂にあまる長い根の泣く音が絶えません(渋谷)
0072 天の戸の月の通ひ路鎖さねどもいかなる方に叩く水鶏ぞ
(状況)「天の戸の月の通ひ路」空にある月の通路。宮中を天上界になぞらえ、宮中の人の通路をいったもの。「たたく水鶏」水鶏は交尾期になると雄が戸をたたくような鳴き声を鳴くので、水鶏の鳴くのを「たたく」という。
//この夕月のさす宮中では戸もしめてないのだけれど、一体水鶏はどちらで戸をたたいているのでしょう。/ 宮中の通路は閉ざしてないのにどちらで戸を叩く水鶏なのでしょうか(渋谷)
0073 槙の戸も鎖さでやすらふ月影に何を開かずと叩く水鶏ぞ
//この夕月のもとに、私達は寝ようかどうしようかと、槙の戸も閉ざさずにいますのに、水鶏は、何が開かないで不満だといって鳴くのでしょう(新潮)/ 槙の戸も閉ざさないで休んでいる月光のもと何を開かないで不満だといって鳴く水鶏なのでしょうか(渋谷)
0074 夜もすがら水鶏よりけに泣く泣くぞ槙の戸口に叩き侘びつる
(状況)道長の歌と考えられる。『新勅撰集』でも道長の歌としている。 日記にもこの歌を挙げているが誰の歌とは書いていない。
//昨夜は、水鶏にまして泣く泣く槙の戸口を夜通し叩きあぐねたことだ(新潮)/ 一晩中水鶏よりもはっきりと泣きながら    槙の戸口を叩きあぐねました(渋谷)
紫式部と藤原道長の関係について
0075  ただならじ戸ばかり叩く水鶏ゆゑ開けてはいかに悔しからまし
//ただごとではあるまいと思われるほどに戸を叩く水鶏なのに、戸を開けては、どんなに悔しい思いをしたことでしょう(新潮)/ ただ事では済まないことと、戸ばかりを叩く水鶏ゆえに戸を開けたらどんなに悔しい思いをしたことでしょう(渋谷)
0076 女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ
//露に美しく染められた女郎花の盛りの色を見ますと、分けへだてして露の置いてくれない私のみにくさが身にしみて感じられます(新潮)/ 女郎花の花盛りの色を見ると同時に露が分け隔てしているようにわが身の上が思われます(渋谷)
0077 白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ
//白露は、そなたのいうように、分けへだてして置いてはいないだろう。女郎花は美しくなろうとする自分の心で美しく染まっているのだろう(新潮)/ 白露は分け隔てをしないでしょう、女郎花は自分から色を染めたのではないでしょうか(渋谷)
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公開日2024年//月//日