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魂の分離

死は肉体から分離することであるという考えは、古代人にも原始人にも広く行きわたっているようである。魂を哲学的にどう見るかという問題は別にして、とにかく肉体から呼吸や温かみが消え、次第に腐敗して行くことは魂とよばれるあるものが立去ったためであると考えられる。病気の際、または睡眠中に魂が一時的に肉体から出て行くとも信ぜられる。クサメをすると魂が鼻から飛び出すという俗信もギリシャ、アラビア、インドなどにあり、仏教とともに日本に入ってきた(日本では古くは「鼻ひる」といい、仏典に由来する呪文「休災長命」が転じてクサメとなった。『嬉游笑藍』巻八)

魂の分離が死であるとすれば、魂をよびもどすことができれば死をくいとめることもできるわけである。前の節に述べたヨビタマがそれである。

しかしどうしても魂をくいとめることができないとすれば、むしろ魂が自由に出て行くようにしてやらなければならない。 さもないと死者にとっても生者にとっても不幸を招くようになるからである。

瀕死の病人を室の外に出す風習にしても、こういう考慮がなされているとも考えられる。それよりも一層明らかなのは、前に記したタマヨビなどに際して、棟に穴をあけたり、瓦を二三枚めくるとかいう風習である。魂の出入り口という意味に考えられよう。

ヨーロッパでも一般に死のあとは扉や窓をあけるという風習がある。フランス、ドイツ、スイスなどでは屋根の瓦を一枚めくることがあるという。それを死の直前にすることがあるというのは、魂が出やすいためであろう。また窓を一度あけてすぐ閉じるというのは、一度出て行った魂が戻ることを妨げるためであろう。屋根に穴をあけることは中国にもあり、南アフリカのバスト族でも小屋の中で人が死んだ場合にはその天井に穴をあける。

また広くヨーロッパの各地で見られるように、人が死ぬと家中の鏡に覆いをかけたり、壁の方に向けたり、あるいは桶などに蓋をし、伏せておくというのも、魂が出道を迷わないための用心だとも言われる。

魂がまちがいなく極楽浄土に行きつくようにとの儀礼はチベットにある。チベットでは人が死ぬと顔に白い布をかけて、俗人は死体に触れることができない。へたに死体を動かすと魂がさまよい出て悪霊の捕らえられるおそれがあるからである。そこで引導師 hphp-bo という特別の資格を持ったラマ僧をよびにやる。引導師はすべての縁者を部屋から出し、出入り口や窓を閉じ、静かにしておいて死者の枕元に座って西方極楽浄土の阿弥陀仏のもとに到りつく道を教える経文を読む。それから死者に向かって、肉体を離れ、この世の縁者や財産の執着を離れるように説き聞かせた後に、親指と人差指とで死人の頭のてっぺんの毛を数本引き抜き気合をかける。これで脳天に穴があいたことになり、そこから魂が飛び出すと信ぜられている。もしその際に死人が鼻血を出すとよい兆候だいう。こうして魂は極楽浄土に到る安全な道を教えられて出て行くのである。この儀礼は一時間ほどかかる。

『死後の世界』渡辺照宏著 岩波新書 昭和24年6月20日初版発行

   

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公開日2001年9月25日