King Lear

『リア王』の道化について

劇の前半は、リア王と道化のやり取りがかなり占めている。道化のいない「リア王」は考えられないだろうが、それをおもしろいと思うかばかばかしいと思うか、人によって評価の分かれるところだろう。

一般に道化は、面白い話題や所作でその場を盛りあげ、人々の笑いをさそうのが役目だろう。ハムレットが墓から掘り出された頭蓋骨を手に感慨にひたるのも、それが道化ヨーリックの頭蓋骨であり、幼いころ食卓をにぎやかに盛り上げてくれたそんな道化を思い出すからである。しかし「リア王」の道化はまったくそういうことがない。

考えてみれば、道化が必要なのは宮廷が平穏な時期なのであって、「リア王」のように劇の冒頭から王国の分裂を予感させ、それが悲劇へと突き進んでいく状況では、道化本来の出番はないと思う。「リア王」の道化は、劇が始まった時すでに道化としての活躍の場を失っているのである。

リア王は道化をたいそうかわいがっている。そばにいないと落ち着かなくなり、すぐ呼びつける。ゴナリルの使用人が道化を叱ったと知ると、すぐさまリア王は仕返しにその者を叩く。次第に孤独になってゆくリア王の唯一の侍従として、道化が舞台に出てくる。そしてリア王が本当に狂ってしまうと、道化はもうリア王の相手をすることができず、姿を消してしまう。

ここでは、そんな道化の台詞の中で多少とも印象に残る部分を選んでみた。

道化はまだ舞台に出てこないのであるが、すでにリア王の馬鹿げた遺産相続によって、もっとも父親思いのコーディリアが一片の土地も相続されず、フランスに実質的に追放されたことに、道化はすっかり意気消沈している。ここでは、コーディリアに同情する道化の心優しい性格が示されている。

KING LEAR

... But where's my fool? I have not seen him this two days.

リア王

・・・しかし、道化はどこにいるのだ。わしは二日も見ていないぞ。

Knight

Since my young lady's going into France, sir, the fool hath much pined away.(1:4.80)

騎士

若いお嬢さんがフランスへ行ってから、道化はすっかり元気をなくしました。

次は道化という仕事の厳しさを表した一言。

Fool

... nay, an thou canst not smile as the wind sits, thou'lt catch cold shortly(1:4.110)

道化

・・・いいか、風向きに応じて笑顔を見せられなかったら、たちまち冷や飯を食うことになるぞ。

人間は皆、生まれながらの阿呆だ、と聞こえる一言。これを聞いたケントは道化を評していう、こいつはまるっきり馬鹿ではないぞ。

KING LEAR

Dost thou call me fool, boy?

リア王

おまえはわしを阿呆呼ばわりするのか。

Fool

All thy other titles thou hast given away; that thou wast born with. (1:4.165)

道化

だって他の称号はみんな譲ってしまっただろう。残ったのは生まれつきの阿呆だけ。

無礼講が許されている道化は、王権も領地も全部譲ってしかも父親思いのコーディリアを追放してしまったリア王を、歯に衣をきせず、徹底的に非難する。おまえはゼロだと。

Fool

Thou wast a pretty fellow when thou hadst no need to care for her frowning; now thou art an O without a figure: I am better than thou art now; I am a fool, thou art nothing.(1:4.210)

道化

娘のしかめっ面など気にかけないときは、あんたはまともだったのになあ。今あんたはなんにも無い、まったくのゼロだ、今のあんたより、わたしの方がましだよ。おまえは何者でもないが、少なくともわたしは馬鹿だからな。

人はただ年をとって老年になるのではない。老人には長く生きてそなわった人生の知恵がなければならぬ、と教訓的一言。これもリア王に対する痛烈な批判である。年をとってそれに応じた知恵を身につけてないリア王を酷評しているのである。遺産相続の仕方も異常であるが、娘のゴナリルとリーガンの性悪な性格を読めていない父親の無能を責めているのである。

Fool

If thou wert my fool, nuncle, I'ld have thee beaten for being old before thy time.

道化

おじさんよ、もしわたしの弟子になったら、早く年を取りすぎたことで、あんたを折檻してやる。

KING LEAR

How's that?

リア王

それはどうしてじゃ。

Fool

Thou shouldst not have been old till thou hadst been wise.(1:5.45)

道化

年をとったら、それ相応の知恵を身につけろということさ。

道化は、主人に格別の忠誠心を持っており、並みの使用人とは違うのだと決意を述べた一言。

Fool

That sir which serves and seeks for gain,
And follows but for form,
Will pack when it begins to rain,
And leave thee in the storm,
But I will tarry; the fool will stay,
And let the wise man fly:
The knave turns fool that runs away;
The fool no knave, perdy.(2:4.85)

道化

報酬が目当てで
うわべで仕える奴は
雨がふったら逃げだして
主人を嵐のなかに置き去りにする。
だがわしは逃げぬ、阿保はとどまるのだ、
賢い奴は逃げるがいいさ
下郎は逃げて阿呆になるが
道化は断じて下郎じゃないぞ。

道化がリア王の側近として最後まで付き添っている様を表す台詞。道化のいじらしいまでの忠誠が伝わってくる。

KENT

But who is with him?

ケント

誰が王とご一緒しているのだ。

Gentleman

None but the fool; who labours to out-jest
His heart-struck injuries.(3:1.15)

紳士

道化以外は誰も付いていません。一生懸命冗談を飛ばして、
王の痛んだ胸を慰めようとしています。

「リア王」において道化はなんなのか。Ardenの解説を読んでみたが専門家の間でも意見が多岐に分かれているという。サーカスの出てくるようなクラウンの姿で演じさせたり、村々をまわる乞食の衣装で演出したときもあったらしい。「どの類型にも当てはまらない」という評がわかりやすいと思う。

道化はリア王の分身のようである。