Macbeth

犯罪と犯罪者 マクベスの科白をめぐって

マクベスはダンカン王を殺したあと、自分のやった行為の恐ろしさに怯えてしまう。暗殺の瞬間の臨場感が伝わったかのように、隣室の者が飛び起きて無意識に祈りを捧げるが、マクベスはそれに唱和して自分が祈りの言葉が言えなかったことを気にする。また、マクベスは眠りを殺したという声が屋敷中に響きわたるのを聞く。さらに自分の手の血を見て、世界中の海で洗っても落ちないと叫ぶ。こうして自ら犯した犯罪の恐ろしさにすっかり怯えた最中に、次の言葉を吐く。

To know my deed, 'twere best not know myself (Act 2 Scene 2)

最初、この意味が、どうしてこう表現するのか、分からなかった。「自分を知らないことだ」とはなんだろう。いろいろと解説をあたったが、納得できる説明がなかった。字義通りには、「おれの行為を知るには、おれを知らないのが一番だ」ということだが。

ヒントになったのは、'Know thyself' (Dent k175) という諺をもじった表現だとの解説である。この言葉は、古代ギリシャのデルフォイの神殿に刻まれていた言葉と同じであるが、シェイクスピアの当時これがどのように理解されていたかは分からない。しかし、すでに諺となっていたことは、多くの人が知っていたわけで、このことを念頭において、 'twere best not know myself と否定することで、逆に強い表現になって聞く者に問い返しているのである。 しかしもっと強調しているのは、倒置で文頭に置かれた To know my deed である。これはもちろんマクベスのダンカン暗殺の恐ろしさを指している。ここでは、少なくとも自分のやった残虐行為を恐れ意識しているという点において、マクベスはまだ人間的なのである。おれはなんと恐ろしいことをしたのだ、人間にあるまじきことをやってしまった。

そこで翻訳を調べた。

爲《し》た事を憶《おも》ひ出すまいとすると……茫然《ぼんやり》してるのが一等可《い》い。……  坪内逍遥訳
自分のやったことを憶(おも)いだすくらいなら、何も知らずに心を奪われていたほうがましだ。 福田恒存訳
何をやったかなどより、おれは自分を忘れてしまいたい。 木下順二訳
やったことを思い出すよりぼんやりわれを忘れていたい。 小田島雄志訳

これは、みんな違うなと思った。日本語の表現として首を傾げたくなるのもある。みなマクベスの心情に焦点をおいているため弱々しい表現になっているが、原語が強調しているのは、マクベスがやった行為の恐ろしさである。 ダンカン暗殺の残虐さは、人間の思惑を超えている、だからおれを知っても理解できぬ、と言っているのである。いろいろな訳し方があると思うが、以下にそのいくつかを並べてみた。

おれのやったことを知るのに一番いい方法は、おれを知らないことだ。
この極悪非道の行為の恐ろしさを知るには、おれを知ってもだめだ。
おれを知ったとて、おれがやった極悪非道の行為の恐ろしさは理解できぬ。

言葉はその文脈のなかで理解されるものと承知しているが、時にそれが真実を突いて自立して生きてくることもある。この言葉はまさにそれである。凶悪犯人を捕まえてみれば、善良な普通の男だったりする。犯人からはその残虐行為を想像できないのである。エノラ・ゲイの乗務員(あるいはトルーマンか)を調べても、投下された原爆の惨状は理解できないし、ヒットラーの性格を分析しても、恐るべきホロコースの惨劇は分からない。それは通常の人間の想像を絶しているからであろう。古来から人間は、人間にあるまじき残虐行為を繰り返してきたのである。

参考: 代表的注釈