源氏物語 17 絵合 えあわせ

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原文 現代文
17.1 朱雀院、前斎宮の入内に際して贈り物する
前斎宮の御参りのこと中宮の御心に入れてもよほしきこえたまふ。こまかなる御とぶらひまで、とり立てたる御後見もなしと思しやれど、大殿は、院に聞こし召さむことを憚りたまひて、二条院に渡したてまつらむことをも、このたびは思し止まりて、ただ知らず顔にもてなしたまへれど、おほかたのことどもは、とりもちて親めききこえたまふ。
院はいと口惜しく思し召せど、人悪ろければ、御消息など絶えにたるを、その日になりて、えならぬ御よそひども、御櫛の筥打乱うちみだりの筥香壺こうごの筥ども、世の常ならず、くさぐさの御薫物ども、薫衣香くぬえこう、またなきさまに、百歩の外を多く過ぎ匂ふまで、心ことに調へさせたまへり。大臣見たまひもせむにと、かねてよりや思しまうけけむ、いとわざとがましかむめり。
殿も渡りたまへるほどにて、「かくなむ」と、女別当御覧ぜさす。ただ、御櫛の筥の片つ方を見たまふに、尽きせずこまかになまめきて、めづらしきさまなり。挿櫛さしぐしの筥の心葉こころば
別れ路に添へし小櫛をかことにて
遥けき仲と神やいさめし

大臣、これを御覧じつけて、思しめぐらすに、いとかたじけなくいとほしくて、わが御心のならひ、あやにくなる身を抓みて
† 「かの下りたまひしほど、御心に思ほしけむこと、かう年経て帰りたまひて、その御心ざしをも遂げたまふべきほどにかかる違ひ目のあるを、いかに思すらむ。御位を去り、もの静かにて、世を恨めしとや思すらむ」など、「我になりて心動くべきふしかな」と、思し続けたまふに、いとほしく、「何にかくあながちなることを思ひはじめて、心苦しく思ほし悩ますらむ。つらしとも、思ひきこえしかど、また、なつかしうあはれなる御心ばへを」など、思ひ乱れたまひて、とばかりうち眺めたまへり。
「この御返りは、いかやうにか聞こえさせたまふらむ。また、御消息もいかが」
など、聞こえたまへど、いとかたはらいたければ、御文はえ引き出でず。宮は悩ましげに思ほして、御返りいともの憂くしたまへど、
「聞こえたまはざらむも、いと情けなく、かたじけなかるべし」
と、人びとそそのかしわづらひきこゆるけはひを聞きたまひて
「いとあるまじき御ことなり。しるしばかり聞こえさせたまへ」
と聞こえたまふも、いと恥づかしけれど、いにしへ思し出づるに、いとなまめき、きよらにて、いみじう泣きたまひし御さまを、そこはかとなくあはれと見たてまつりたまひし御幼心も、ただ今のこととおぼゆるに、故御息所の御ことなど、かきつらねあはれに思されて、ただかく、
別るとて遥かに言ひし一言も
かへりてものは今ぞ悲しき

とばかりやありけむ。御使の禄、品々に賜はす。大臣は、御返りをいとゆかしう思せど、え聞こえたまはず。
前斎宮の六條御息所の姫君の入内は、中宮が熱心に源氏に催促された。細かく面倒をみるなど、これといった後見もなく、源氏は朱雀院の耳に入ることにとても気をつかい、二条院にお連れするのは、今回は思いとどまって、素知らぬ顔をして振舞っていたが、万端にわたって取り仕切って親のように世話をしていた。
朱雀院は口惜しかったが、体裁が悪いので、文なども出さず、当日になって、見事な衣装の数々、化粧箱、乱れ箱、薫香を入れた壷の箱など、実に見事な何種類もの薫物、薫衣香などこれ以上のものがないほどで、百歩を過ぎても匂うまでに、格別に心をこめて用意した。源氏がご覧になろうかと前々から準備したのだろう、わざとらしい感じがした。
源氏も六条邸へ行っていたときで、「これです」と女別当がご覧に入れた。ただ化粧箱のひとつの方を見ると、この上ない精巧な細工で美しく、見事なものだった。櫛を入れた箱の装飾の枝に、
(朱雀院)「伊勢下向の時に、別れの小櫛を口実に
離れ離れでいよと神が定めたのか」
源氏は、これを見て思いめぐらすに、恐れ多くもおいたわしくて、自分の心をかえりみて、思うにまかせぬわが身につまされて、
†「あの伊勢下向のとき、院の御心に生じた恋心を、斎宮が年を経て帰ってきて、その思いが遂げられる時になって、弟帝に入内という意に反することが起こり、どう思っているだろう。譲位して、静かに過ごし、世を恨んでいるだろうか」など、「わたしなら平静ではいられない」と、思うと、お気の毒で、「どうしてこんな無理なことを思い立って、院の心を苦しめ悩ますのだろう。須磨蟄居などつらい仕打ちもあったが、また、やさしく情の深い方だ」などと思い乱れ、しばし物思いに沈んだ。
「このご返事はどのようにしたらよろしいか。また文の言葉は何としたものか」
などと仰るが、大層具合が悪いことなので、別当は文は出せずにいた。宮は気分もすぐれず、返事を書くのは気の進まなかったので、
「お返事差し上げないのも、まことに情がなく、恐れ多いでしょう」
と女房たちが、おすすめするのを困っているのを耳にして、
「それはいけません。形ばかりでもご返事差し上げなくては」
と君は申し上げたが、姫は大変恥ずかしかったが、伊勢下向の時の、帝がたいへん優雅で美しく、ひどくお泣きになったご様子を、なんということもなく幼心にあわれと感じたことを、昨日のことのように覚えて、故御息所のことなど、次々と悲しく思い出されて、ただ次のように、
(前斎宮)「伊勢下向のお別れのときの帰ってくるなの一言が
帰京した今は悲しく思います」
とばかりあった。み使いの禄には、いろいろな品を与えた。君は、返事を見たいと思ったが、それを仰らなかった。
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17.2 源氏、朱雀院の心中を思いやる
院の御ありさまは、女にて見たてまつらまほしきをこの御けはひも似げなからず、いとよき御あはひなめるを、 内裏は、まだいといはけなくおはしますめるに、かく引き違へきこゆるを、人知れず、ものしとや思すらむ」など、憎きことをさへ思しやりて、胸つぶれたまへど、今日になりて思し止むべきことにしあらねば、事どもあるべきさまにのたまひおきて、むつましう思す修理宰相を詳しく仕うまつるべくのたまひて、内裏に参りたまひぬ。
うけばりたる親ざまには、聞こし召されじ」と、院をつつみきこえたまひて、御訪らひばかりと、見せたまへり。よき女房などは、もとより多かる宮なれば、里がちなりしも参り集ひて、いと二なく、けはひあらまほし
あはれ、おはせましかば、いかにかひありて、思しいたづかまし」と、昔の御心ざま思し出づるに、「おほかたの世につけては、惜しうあたらしかりし人の御ありさまぞやさこそえあらぬものなりけれよしありし方は、なほすぐれて」、物の折ごとに思ひ出できこえたまふ。
朱雀院のご様子は、女にして見たいほど美しく、前斎宮の年恰好もちょうどよく、お似合いの間柄であったが、帝はま幼かったので、こうした無理の多い筋に運ぶのを、前斎宮はひそかに快く思っていないのではないかと、源氏は姫の心中を邪推するまで胸を痛めるのであったが、今日になって中止することもできないので、諸事しかるべき様に申し伝えて、気心の知れた修理宰相に委細お世話するよう仰せになって、参内した。
「表立って親代わりをしていると見られないように」と、院を気にして、ご挨拶だけと見えるようにしていた。よい女房たちは元から多かったので、里にいた者も参り集って、宮家の様子はとても理想的な有様だった。
「ああ、御息所がおられたら、どんなにか晴れがましく思って、お世話するだろう」 と、亡き人のご性格を思い出して、「特別な関係なしで考えれば、実に惜しむべきすばらしいお人でした。あのようにはとてもできない。風流のことは、すぐれていた」と折に触れて思い出すのであった。
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17.3 帝と弘徽殿女御と斎宮女御
中宮も内裏にぞおはしましける。主上は、めづらしき人参りたまふと聞こし召しければ、いとうつくしう御心づかひしておはします。ほどよりはいみじうされおとなびたまへり。宮も、
「かく恥づかしき人参りたまふを、御心づかひして、見えたてまつらせたまへ」
と聞こえたまひけり。
人知れず、「大人は恥づかしうやあらむ」と思しけるを、いたう夜更けて参う上りたまへり。いとつつましげにおほどかにて、ささやかにあえかなるけはひのしたまへれば、いとをかし、と思しけり。
弘徽殿こきでんには、御覧じつきたれば、睦ましうあはれに心やすく思ほし、これは、人ざまもいたうしめり、恥づかしげに、大臣の御もてなしもやむごとなくよそほしければ、あなづりにくく思されて、御宿直などは等しくしたまへど、うちとけたる御童遊びに、昼など渡らせたまふことは、あなたがちにおはします。
権中納言は、思ふ心ありて聞こえたまひけるに、かく参りたまひて、御女にきしろふさまにてさぶらひたまふを、方々にやすからず思すべし。
中宮も内裏に来ていた。帝は新しいお妃が入内されるとお聞きになっておられたので、たいへん美しくして緊張なさっておられる。お年のわりには大人びていらっしゃる。中宮も、
「大層立派な方が参られるので、心づかいしてお会い申し上げるようにしなさい」
と申し上げるのだった。
帝はひそかに、「大人は気詰りだろう」と思っていたが、姫は夜も大分ふけてから寝所に参内した。大層恥じらい深くおっとりした方で、小柄でか弱そうな感じの様子なので、帝は大変きれいだと思った。
弘徽殿の女御は、お馴染みなので、気がねなくしているけれど、此方は人柄もたいそう落ち着いて気詰なほどで、源氏のお扱いも格別に丁重でおごそかなので、軽々にはできないと思って、宿直とのいなどは平等にするにしても、気軽な子どもの遊びなどは、昼にしても弘徽殿の方へおいでになりがちだった。
頭中将は、将来は后にと思うところがあったので、前斎宮が参内して競うようになったのを、あれこれと穏やかならず思っていた。
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17.4 源氏、朱雀院と語る
院には、かの櫛の筥の御返り御覧ぜしにつけても、御心離れがたかりけり。
そのころ、大臣の参りたまへるに、御物語こまやかなり。ことのついでに、斎宮の下りたまひしこと、先々ものたまひ出づれば、聞こえ出でたまひて、さ思ふ心なむありしなどは、えあらはしたまはず。大臣も、かかる御けしき聞き顔にはあらで、ただ「いかが思したる」とゆかしさに、とかうかの御事をのたまひ出づるに、あはれなる御けしき、あさはかならず見ゆれば、いといとほしく思す。
「めでたしと、思ほししみにける御容貌かたち、いかやうなるをかしさにか」と、ゆかしう思ひきこえたまへど、さらにえ見たてまつりたまはぬを、ねたう思ほす。
いと重りかにて、夢にもいはけたる御ふるまひなどのあらばこそ、おのづからほの見えたまふついでもあらめ、心にくき御けはひのみ深さまされば、見たてまつりたまふままに、いとあらまほしと思ひきこえたまへり。
かく隙間なくて、二所ふたところさぶらひたまへば兵部卿宮、すがすがともえ思ほし立たず、「帝、おとなびたまひなば、さりとも、え思ほし捨てじ」とぞ、待ち過ぐしたまふ。二所の御おぼえども、とりどりに挑みたまへり。
朱雀院は、あの心を込めて贈った櫛の箱の返事を見ながら、諦め切れない。
その頃、源氏は院の元に参ると、院はしんみりとお話をされた。ついでに、斎宮が伊勢下向されたこと、先にもお話になって、また口にされたが、恋しく思っているなどとはお話にならない。源氏も、院のお気持ちを知っている風は見せず、ただ「どう思っているか」知りたかったので、あれこれのことをお話になって、思うところが深いのを見て取り、大層お気の毒に思うのだった。
「美しいと院が思っている容貌は、どんな風の美しさなのだろう」と見てみたいとしきりに思うのだが、はっきり見る機会がないのを残念に思うのだった。
前斎宮は、とても落ち着いていて、仮にも幼い振る舞いなどがあれば、自ずからチラッと見えるであろうが、奥ゆかしい気配が深いので、見ている限りにおいては、理想的なお方のお振舞と思えた。
冷泉帝には、二人がお仕えして割り込む隙がなく、兵部卿の宮はやすく思い立つこともできず、「それでも帝が大人になったら、見捨てないだろう」と、待つことにした。二人はご寵愛を競い合うことになった。
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17.5 権中納言方、絵を集める
主上は、よろづのことに、すぐれて絵を興あるものに思したり。立てて好ませたまへばにや、二なく描かせたまふ。斎宮の女御、いとをかしう描かせたまふべければ、これに御心移りて、渡らせたまひつつ、描き通はさせたまふ。
殿上の若き人びとも、このことまねぶをば、御心とどめてをかしきものに思ほしたれば、まして、をかしげなる人の、心ばへあるさまに、まほならず描きすさび、なまめかしう添ひ臥して、とかく筆うちやすらひたまへる御さま、らうたげさに御心しみて、いとしげう渡らせたまひて、ありしよりけに御思ひまされるを、権中納言、聞きたまひて、あくまでかどかどしく今めきたまへる御心にて、「われ人に劣りなむや」と思しはげみて、すぐれたる上手どもを召し取りて、いみじくいましめて、またなきさまなる絵どもを、二なき紙どもに描き集めさせたまふ。
帝は、何よりも絵が好きであった。特別にご興味があるからか、並ぶものがないほど上手に描くのだった。斎宮の女御もたいそう上手にお描きになるので、こちらに心が移って、お出でになっては絵を描き合っているのだった。
若い殿上人たちも、絵を学ぶことが帝の覚えにかなう者と思われるのでこぞって学び、まして美しい斎宮が、絵心があって自由に描きすさび、優雅にものに寄り添って、筆を休めてああかこうか思案している様子は、その愛らしさに心がとまって、足しげく通うようになり、前よりもいっそうご寵愛が深まるのを、権中納言の頭中将が聞き及んで、根っから才気煥発で派手な性分であり、「自分が人に負けるわけにはいかない」と意地を張り、絵の上手な者たちを集めて、厳重な注意を与えて、すばらしい絵を上等な紙に描かせるのだった。
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17.6 源氏方、須磨の絵日記を準備
「物語絵こそ、心ばへ見えて、見所あるものなれ」
とて、おもしろく心ばへある限りを選りつつ描かせたまふ。例の月次の絵も、見馴れぬさまに、言の葉を書き続けて、御覧ぜさせたまふ。
わざとをかしうしたれば、また、こなたにてもこれを御覧ずるに、心やすくも取り出でたまはず、いといたく秘めて、この御方へ持て渡らせたまふを惜しみ、領じたまへば、大臣、聞きたまひて、
「なほ、権中納言の御心ばへの若々しさこそ、改まりがたかめれ」
など笑ひたまふ。
「あながちに隠して、心やすくも御覧ぜさせず、悩ましきこゆる、いとめざましや。古代の御絵どものはべる、参らせむ」
と奏したまひて、殿に古きも新しきも、絵ども入りたる御厨子ども開かせたまひて、女君ともろともに、「今めかしきは、それそれ」と、選り調へさせたまふ。
「長恨歌」「王昭君」などやうなる絵は、おもしろくあはれなれど、「事の忌みあるは、こたみはたてまつらじ」と選り止めたまふ。
かの旅の御日記の箱をも取り出でさせたまひて、このついでにぞ、女君にも見せたてまつりたまひける。御心深く知らで今見む人だにすこしもの思ひ知らむ人は、涙惜しむまじくあはれなり。まいて、忘れがたく、その世の夢を思し覚ます折なき御心どもには、取りかへし悲しう思し出でらる。今まで見せたまはざりける恨みをぞ聞こえたまひける。
一人ゐて嘆きしよりは海人の住む
かたをかくてぞ見るべかりける

おぼつかなさは、慰みなましものを
とのたまふ。いとあはれと、思して、
憂きめ見しその折よりも今日はまた
過ぎにしかたにかへる涙か

中宮ばかりには、見せたてまつるべきものなり。かたはなるまじき一帖づつ、さすがに浦々のありさまさやかに見えたるを、選りたまふついでにも、かの明石の家居ぞ、まづ、「いかに」と思しやらぬ時の間なき。
権中納言は「物語絵こそ、趣があって見所がある」
と言って、おもしろく趣のあるものを選んで描かせ、例の月次の絵も、見たことがないような詞書を書かせて、お見せになった。
嗜好を凝らした絵なので、弘徽殿側で一緒にご覧になると、すぐに取り出さず、ひどく秘密めかして、斎宮側に持って行こうとすると惜しんで渡さないので、源氏はそれを聞いて、
「やはり、権中納言の大人気のない性分は相変わらずだな」
と笑うのであった。
「あえて隠して、容易には見せようとしないで困らせている、とんでもないこと。古代の絵があるので、お持ちしましょう」
と上奏して、二条院にある古いのも新しいのも、絵の入った厨子をぜんぶ開かせて、紫の上と一緒に、「今めかしのはこれとこれ」と選びだすのだった。
「長恨歌」「王昭君」などの絵は、趣がありあわれでもあるが、「不吉なところのあるのは、今度は避けよう」と選ばれない。
あの須磨明石の旅日記の箱を持って来させて、ついでに女君にもお見せした。当時の事情を知らず今初めて見る人でも、少し物の分かる人なら、涙が止まらないだろう。まして、忘れられず、その当時の夢が覚めない二人にとっては、あらためて悲しみが思い出されるた。今まで見せてくれなかったことを、女君は恨んで言うのだった。
(紫上)「ひとり京に残ってあなたの身を案ずるよりは
海女の住む潟をこうして見ていたかった
あなたの身を案じる心配は、慰められるでしょう」
と女君は言う。それに感動して、
(源氏)「つらかったあの頃よりも今日絵を見て
昔を思い出し涙がさらに流れます」
中宮だけには、お見せしたいものだ。出来の悪くないのを一帖ずつ選んでいても、さすがに浦々の有様がはっきり見えて、あの明石の家を思い出し、まず「どうしているか」としきりに思いやった。
2018.9.12/ 2021.8.27/ 2023.3.16◎
17.7 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ
かう絵ども集めらると聞きたまひて、権中納言、いと心を尽くして、軸、表紙、紐の飾り、いよいよ調へたまふ。
弥生の十日のほどなれば、空もうららかにて、人の心ものび、ものおもしろき折なるに、内裏わたりも、節会どものひまなれば、ただかやうのことどもにて、御方々暮らしたまふを、同じくは、御覧じ所もまさりぬべくてたてまつらむの御心つきて、いとわざと集め参らせたまへり。
こなたかなたと、さまざまに多かり。物語絵は、こまやかになつかしさまさるめるを、梅壺の御方は、いにしへの物語、名高くゆゑある限り、弘徽殿は、そのころ世にめづらしく、をかしき限りを選り描かせたまへれば、うち見る目の今めかしきはなやかさは、いとこよなくまされり。
主上の女房なども、よしある限り、「これは、かれは」など定めあへるを、このころのことにすめり。
源氏らも絵を集めていると聞いて、権中納言は全力をあげて、軸、表紙、紐の飾りなどをいよいよ立派に用意した。
弥生の十日頃なので、空もうららかで、人の心も穏やかに、何となく風情のある折から、宮中でも節会などがないので、こうした絵を持ち寄って遊ぶことでお妃たちは過ごしているので、同じことなら、お見せするものも勝れたものと思い立って、源氏は格別に気を入れて集めた。
こちらにもあちらにも、様々な絵がたくさんあった。絵物語は細やかで親しみがわくので、梅壷の斎宮の女御の方は、昔の物語で、名高く趣のあるものを、弘徽殿の方は、当時の新作で興味深いものを選んで描かせていたので、見た目の当世風のはなやかさでは勝れていた。
帝の女房たちも絵の分かる者は、「これはどう、あれはどう」など評定し合った。
2018.9.13/ 2012.8.27/ 2023.3.16◎
17.8 「竹取」対「宇津保」
中宮も参らせたまへるころにて、方々、御覧じ捨てがたく思ほすことなれば、御行なひも怠りつつ御覧ず。この人びとのとりどりに論ずるを聞こし召して、左右と方分かたせたまふ。
梅壺の御方には、平典侍へいないしのすけ、侍従の内侍ないし、少将の命婦。右には、大弐の典侍ないしのすけ、中将の命婦、兵衛の命婦を、ただ今は心にくき有職どもにて、心々に争ふ口つきどもを、をかしと聞こし召して、まづ、物語の出で来はじめの祖なる『竹取の翁』に『宇津保の俊蔭』を合はせて争ふ。
「なよ竹の世々に古りにけること、をかしきふしもなけれど、かくや姫のこの世の濁りにも穢れず、はるかに思ひのぼれる契り高く、神代のことなめれば、あさはかなる女、目及ばぬならむかし」
と言ふ。右は、
「かぐや姫ののぼりけむ雲居は、げに、及ばぬことなれば、誰も知りがたし。この世の契りは竹の中に結びければ、下れる人のこととこそは見ゆめれ。ひとつ家の内は照らしけめど、百敷のかしこき御光には並ばずなりにけり。阿部のおほしが千々の黄金を捨てて、火鼠の思ひ片時に消えたるも、いとあへなし。車持の親王の、まことの蓬莱の深き心も知りながら、いつはりて玉の枝に疵をつけたるをあやまちとなす」。
絵は、巨勢の相覧、手は、紀貫之書けり。紙屋紙に唐の綺をばいして、赤紫の表紙、紫檀の軸、世の常の装ひなり。
「俊蔭は、はげしき波風におぼほれ、知らぬ国に放たれしかど、なほ、さして行きける方の心ざしもかなひて、つひに、人の朝廷にもわが国にも、ありがたき才のほどを広め、名を残しける古き心を言ふに、絵のさまも、唐土と日の本とを取り並べて、おもしろきことども、なほ並びなし」
と言ふ。白き色紙、青き表紙、黄なる玉の軸なり。絵は、常則、手は、道風なれば、今めかしうをかしげに、目もかかやくまで見ゆ。左は、そのことわりなし。
中宮も参内していた時で、あれこれとご覧になってどれも捨てがたく思い、お勤めも怠ってご覧になっている。女房たちのそれぞれが論ずるのを聞いて、左右にグループ分けした。
左側の斎宮の女御の側には、平典侍へいないしのすけ、侍従の内侍ないし、少将の命婦が並ぶ。右側には大弐の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦を並べ、それぞれが今は有数の物知りたちで、そのひとりひとりの言い分が、面白く、まず物語の初めであり祖である『竹取の翁』に『宇津保の俊蔭』を競わせた。
左方は、「なよ竹の世々伝わる物語で、興あるところはないが、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、遥かに天に昇った宿世は格別で、神代のこと故、物知らぬ女は見ても分からないでしょう」
と言う。右方は、
「かぐや姫が天に帰られたのは、実際できることではないので、誰もわからないでしょう。この世の契りは竹の中で生まれたので、下賎な生まれと言えるでしょう。ひとつ家の中は照らせても、百敷の内裏に入内せず御光には並び称せなかったでしょう。安部のおおしが、千金を投じても火鼠の皮衣を得られなかったのも空しいことです。車持の親王が、本当の蓬莱山の深い心を知らず、偽って玉の枝に瑕をつけたのは間違いだった」。
絵は巨勢の相覧、字は紀貫之が書いたもの。紙屋紙に唐の綺を裏打ちをして、赤紫の表紙、紫檀の軸、ありふれたものだ。
俊蔭としかげは激しい風雨にもてあそばれて、知らぬ異国に追いやられたが、結局めざした所に行くことができて、他国の朝廷にもわが国にも、すばらしい楽才を広め、名を残して今に伝わるように、絵の様子も、唐土と日本を取り合わせ、興ある様は、比べるものがない」
と言う。白い色紙、青い表紙、黄色い玉の軸の表装です。絵は常則、字は小野道風ですから、当世風で輝いて見える。左方は、反論する根拠がなかった。
2018.9.14/ 2021.8.28/ 2023.3.17◎
17.9 「伊勢物語」対「正三位」
次に、『伊勢物語』に『正三位』を合はせて、また定めやらず。これも、右はおもしろくにぎははしく、内裏わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる。
平内侍、
伊勢の海の深き心をたどらずて
ふりにし跡と波や消つべき

世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに圧されて、業平が名をや朽たすべき」
と、争ひかねたり。右の典侍、
雲の上に思ひのぼれる心には
千尋の底もはるかにぞ見る

「兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在五中将の名をば、え朽たさじ」
とのたまはせて、宮、
みるめこそうらふりぬらめ年経にし
伊勢をの海人の名をや沈めむ

かやうの女言にて、乱りがはしく争ふに、一巻に言の葉を尽くして、えも言ひやらず。ただ、あさはかなる若人どもは、死にかへりゆかしがれど、主上のも、宮のも片端をだにえ見ず、いといたう秘めさせたまふ。
次に、『伊勢物語』に『正三位』を競わせたが、決着がつかない。これも、右方は、面白く派手で、内裏の光景をはじめとして、最近の世の様子を描いたのは、興があり見所があった。
平内侍は、
(平典侍)「伊勢物語の深い趣きを知らずして
古いとけなしていいものでしょうか
世間の色恋沙汰をおもしろおかしく書いたのに圧されて、業平の名がすたる」
と反論しかねている。右の大弐の典侍は、
(大弐の典侍)「宮中に上がった正三位の志の高さは
『伊勢物語』を遥か下に見ていますよ」
「兵衛の大君の志の高さは、捨てがたいけれど、業平の名は朽ちさせられない」
とおおせられて、藤壺は、
(藤壺)「ちょっと見には古いとみえるでしょうが
名だたる伊勢物語を汚すことはできないでしょう」
こうして女たちは騒々しく争い、一巻の判定に言葉を尽くして論陣を張った。ただ経験の浅い女房たちは、死ぬほど見たいのだが、帝づきの女房も中宮づきも、少ししか見られず、それだけ秘密扱いだった。
2018.9.15/ 2021.8.28/ 2023.3.17◎
17.10 帝の御前の絵合せの企画
大臣参りたまひて、かくとりどりに争ひ騒ぐ心ばへども、をかしく思して、
「同じくは、御前にて、この勝負定めむ」
と、のたまひなりぬ。かかることもやと、かねて思しければ、中にもことなるは選りとどめたまへるに、かの「須磨」「明石」の二巻は、思すところありて、取り交ぜさせたまへり。
中納言も、その御心劣らず。このころの世には、ただかくおもしろき紙絵をととのふることを、天の下いとなみたり。
「今あらため描かむことは、本意なきことなり。ただありけむ限りをこそ」
とのたまへど、中納言は人にも見せで、わりなき窓を開けて、描かせたまひけるを、院にも、かかること聞かせたまひて、梅壺に御絵どもたてまつらせたまへり。
年の内の節会どものおもしろく興あるを、昔の上手どものとりどりに描けるに、延喜の御手づから事の心書かせたまへるに、またわが御世の事も描かせたまへる巻に、かの斎宮の下りたまひし日の大極殿の儀式、御心にしみて思しければ、描くべきやう詳しく仰せられて、公茂が仕うまつれるが、いといみじきをたてまつらせたまへり。
艶に透きたる沈の箱に、同じき心葉のさまなど、いと今めかし。御消息はただ言葉にて、院の殿上にさぶらふ左近中将を御使にてあり。かの大極殿の御輿寄せたる所の、神々しきに、
身こそかくしめの外なれそのかみの
心のうちを忘れしもせず

とのみあり。聞こえたまはざらむも、いとかたじけなければ、苦しう思しながら、昔の御簪の端をいささか折りて、
しめのうちは昔にあらぬ心地して
神代のことも今ぞ恋しき

とて、はなだの唐の紙に包みて参らせたまふ。御使の禄など、いとなまめかし。
院の帝御覧ずるに、限りなくあはれと思すにぞ、ありし世を取り返さまほしく思ほしける。大臣をもつらしと思ひきこえさせたまひけむかし。過ぎにし方の御報いにやありけむ。
院の御絵は、后の宮より伝はりて、あの女御の御方にも多く参るべし尚侍ないしのかみの君も、かやうの御好ましさは人にすぐれて、をかしきさまにとりなしつつ集めたまふ。
源氏が来られて、このようにそれぞれが争い騒ぐ様子を、面白く思って、
「どうせなら、帝の午前でこの勝負の決着をつけたら」
と、仰せになった。こういうこともあろうかと、かねてから思っていたので、中でも特別優れたのを選り分けてあの「須磨」「明石」の二巻は、思うところがあって、左方に取り混ぜた。
頭中将の中納言も負けてはいなかった。昨今の世の中では、誰もがただ興のある紙絵を集めていた。
「これから描かせるのは面白くない。今、持っているものでやろう」
と源氏は仰せになったが、中納言は人に知られないように、秘密の部屋を用意して、描かせているのを、院もお耳にしていて、梅壷に絵を賜るのだった。
年中行事の節絵を、おもしろく興ある様子で描いた昔の名手のものに、延喜の帝が自ら経緯いきさつを書かれたものや、また朱雀院の御世のことを描かせた中には、あの斎宮が伊勢に下った時の大極殿の儀式の様子が御心にしみていて、構図などを詳しく仰せになって、巨勢公茂が描いた大変見事なのを賜った。
優雅な透かし彫りの沈の箱に入れて、同じ趣の心葉の模様など、実に今風であった。消息はただ口上で、院の殿上に仕える左近中将を使いにした。あの大極殿の斎宮の御輿を寄せた場面で、神々しく、
(院)「この身こそ宮中の外にいるが
昔あなたを思った心は忘れません」
とのみあった。ご返事を出さないのも、恐れ多いので、詠みずらくお思いになりながら、昔賜った櫛の端を折って、
(斎宮女御)「宮中も昔とすっかり変わった気がします
神に仕えた頃が恋しく思われます」
と、唐から渡来した縹色の紙に包んで持たせた。お使いの禄も、優美だった。
院が返事をご覧になって、限りなく恋しく思い、在りし御代を取り戻したいと思った。大臣もひどい仕打ちをするとお思いになったことだろう。過ぎし日々の報復だろうか。
院の絵は、大后の宮に伝わってあちらの弘徽殿の女御にもたくさん渡っているだろう。朧月夜もとても絵が好きなので、興味深く描かせては、集めていた。
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17.11 三月二十日過ぎ、帝の御前の絵合せ
その日と定めて、にはかなるやうなれど、をかしきさまにはかなうしなして、左右の御絵ども参らせたまふ。女房のさぶらひに御座よそはせて、北南方々別れてさぶらふ。殿上人は、後涼殿の簀子すのこに、おのおの心寄せつつさぶらふ。
左は、紫檀したんの箱に蘇芳すおう花足かそく、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄えび染の唐の綺なり。童六人、赤色に桜襲さくらがさね汗衫かざみあこめは紅に藤襲の織物なり。姿、用意など、なべてならず見ゆ。
右は、じんの箱に浅香せんこうの下机、打敷は青地の高麗の錦、あしゆひの組、花足の心ばへなど、今めかし。童、青色に柳の汗衫かざみ、山吹襲のあこめ着たり。
皆、御前にき立つ。主上の女房、前後と、装束き分けたり。
召しありて、内大臣、権中納言、参りたまふ。その日、帥宮そちのみやも参りたまへり。いとよしありておはするうちに、絵を好みたまへば、大臣の、下にすすめたまへるやうやあらむ、ことことしき召しにはあらで、殿上におはするを、仰せ言ありて御前に参りたまふ。
この判仕うまつりたまふ。いみじう、げに描き尽くしたる絵どもあり。さらにえ定めやりたまはず。
例の四季の絵も、いにしへの上手どものおもしろきことどもを選びつつ、筆とどこほらず描きながしたるさま、たとへむかたなしと見るに、紙絵は限りありて、山水のゆたかなる心ばへをえ見せ尽くさぬものなれば、ただ筆の飾り、人の心に作り立てられて、今のあさはかなるも、昔のあと恥なく、にぎははしく、あなおもしろと見ゆる筋はまさりて、多くの争ひども、今日は方々に興あることも多かり。
朝餉あさがれいの御障子を開けて、中宮もおはしませば、深うしろしめしたらむと思ふに大臣もいと優におぼえたまひて、所々の判ども心もとなき折々に、時々さし応へたまひけるほど、あらまほし。
その日を定めて、急なようだけれど、趣きある様にまた大袈裟にならぬように、左右の絵を午前に持ち込んだ。女房の詰所に御座を設けて、それぞれが南北に別れて座った。殿上人は、後涼殿の簀子に期待して控えて座っていた。
左は、紫檀したんの箱に蘇芳すおう花足かそく、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄えび染の唐の綺であった。童が六人、赤色の上衣に桜襲さくらがさね汗衫かざみあこめは紅に藤襲の織物であった。姿や用意など、入念なものだった。
右は、じんの箱に浅香せんこうの下机、打敷は青地の高麗の錦、脚を結ぶ組紐、花足の趣きは当世風だ。童は青色に柳の汗衫かざみ、山吹襲のあこめを着ていた。
皆で午前に並べた。帝の女房たちは、前後で衣装を分けていた。
帝のお召しがあって、内大臣の源氏と権中納言の頭中将が参内した。その日、そちの宮も参内した。大変風流な方でなかでも絵を好んだので、大臣が内々おすすめしたのであろう、表立ったお召しではなく、たまたま殿上にいてお言葉があり、御前に参った。
この勝負の審判を勤めることになった。実にすばらしい絵がそろっていた。容易には判定できない。
例の四季の絵も、昔の名人たちが趣のある場面を選んで、筆の及ぶ限り描いたもので、たとえようもなく見事だと見るが、紙絵は幅に限りもあり、山水の悠々たる趣を十分に尽くせないので、ただ筆の技や絵師の趣向を映して、当世の深みのない絵も、昔のものに劣らず華やかでうまいと思う点も多くあって、あれこれの論争も今日はそれぞれの側に興あることがたくさんあった。
朝餉の間の襖を開けて、中宮もおましになり、絵にもお詳しいと思っているので、源氏はそれを意識して振舞って、判定が滞っている時など、時々に意見を添えるなど、立派だった。
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17.12 左方、勝利をおさめる
定めかねて夜に入りぬ。左はなほ数一つある果てに、「須磨」の巻出で来たるに、中納言の御心、騒ぎにけり。あなたにも心して、果ての巻は心ことにすぐれたるを選り置きたまへるに、かかるいみじきものの上手の、心の限り思ひすまして静かに描きたまへるは、たとふべきかたなし。
親王よりはじめたてまつりて、涙とどめたまはず。その世に、「心苦し悲し」と思ほししほどよりも、おはしけむありさま、御心に思ししことども、ただ今のやうに見え、所のさま、おぼつかなき浦々、磯の隠れなく描きあらはしたまへり。
草の手に仮名の所々に書きまぜて、まほの詳しき日記にはあらず、あはれなる歌などもまじれる、たぐひゆかし。誰もこと事思ほさず、さまざまの御絵の興、これに皆移り果てて、あはれにおもしろし。よろづ皆おしゆづりて、左、勝つになりぬ。
判定がつきかねて夜になった。左はまだひとつ残っていて、「須磨」の巻を出したので、中納言の心は騒いだ。右方も考えて、最後の巻きはことに優れたものを選んでおいたので、こんなにもすばらしい名手が、心の限りを尽くして静かに描いたものは、たとえようがなかった。
帥の宮をはじめ皆、涙が止まらなかった。あの当時、「おいたわしい、悲しい」と嘆いた人々も、お住まいの様子や君の御心に感じたことどもが、今のことのように眼前に現れ、その地の風景、見知らぬ浦々や磯を隈なく描き表していた。
草書体で仮名を所々書き込んで、正式の詳しい日記ではなく、あわれな歌も交じって、もっと見たくなるのだった。誰も他のことは考えず、様々な絵の趣が皆、この絵に移ってきて、実にあわれであった。皆がこの巻きに譲って、左が勝った。
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17.13 学問と芸事の清談
夜明け方近くなるほどに、ものいとあはれに思されて、御土器など参るついでに、昔の御物語ども出で来て、
「いはけなきほどより、学問に心を入れてはべりしに、すこしも才などつきぬべくや御覧じけむ、院ののたまはせしやう、『才学といふもの、世にいと重くするものなればにやあらむ、いたう進みぬる人の、命、幸ひと並びぬるは、いとかたきものになむ。品高く生まれ、さらでも人に劣るまじきほどにて、あながちにこの道な深く習ひそ』と、諌めさせたまひて、本才の方々のもの教へさせたまひしに、つたなきこともなく、またとり立ててこのことと心得ることもはべらざりき。絵描くことのみなむ、あやしくはかなきものから、いかにしてかは心ゆくばかり描きて見るべきと、思ふ折々はべりしを、おぼえぬ山賤になりて、四方の海の深き心を見しに、さらに思ひ寄らぬ隈なく至られにしかど、筆のゆく限りありて、心よりはことゆかずなむ思うたまへられしを、ついでなくて、御覧ぜさすべきならねば、かう好き好きしきやうなる、後の聞こえやあらむ」
と、親王に申したまへば、
「何の才も、心より放ちて習ふべきわざならねど、道々に物の師あり、学び所あらむは、事の深さ浅さは知らねど、おのづから移さむに跡ありぬべし。筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて、書き打つたぐひも出で来れど、家の子の中には、なほ人に抜けぬる人、何ごとをも好み得けるとぞ見えたる。院の御前にて、親王たち、内親王、いづれかは、さまざまとりどりの才習はさせたまはざりけむ。その中にも、とり立てたる御心に入れて、伝へ受けとらせたまへるかひありて、『文才をばさるものにて言はず、さらぬことの中には、琴弾かせたまふことなむ一の才にて、次には横笛、琵琶、箏の琴をなむ、次々に習ひたまへる』と、主上も思しのたまはせき。世の人、しか思ひきこえさせたるを、絵はなほ筆のついでにすさびさせたまふあだこととこそ思ひたまへしか、いとかう、まさなきまで、いにしへの墨がきの上手ども、跡をくらうなしつべかめるは、かへりて、けしからぬわざなり」
と、うち乱れて聞こえたまひて、酔ひ泣きにや、院の御こと聞こえ出でて、皆うちしほれたまひぬ。
夜明け近くになり、源氏の君は興が乗ってきて、お酒も用意され、昔の話なども出てきて、
「幼い頃から学問に精を出しましたが、父院は少しはものになりそうにご覧になったのだろうか、院が仰せになるには、『学問は、世に重んじられるものだからか、よく出来る人で、長寿と幸福と両方保つのは難しいようだ。高い身分に生まれ、そのままでも人に劣らないのだから、強いてこの道に深く習わないでもよいぞ』と諭されて、いろいろな芸事を教えていただきましたが、出来が悪いこともなく、とりわけ優れたものもなかった。ただ絵を描くことだけは、ほんの軽いことながら、どうしたら思う存分描けるだろうかと思っていましたが、思いがけず山里住まいになって、あちこちの海辺の深い情趣をすっかり見ましたので、すっかり情景は把握できましたが、筆には限界があって、心の思うようにはゆかないものでして、機会もないのでご覧にいれるわけにもいかず、いかにも物好きで、後世の評判も気になります」
と源氏が帥の宮に申し上げますと、
「何の芸事でも、その気がなくて精通できるものではないが、それぞれに師がいて、学ぶ手順を踏めば、浅い深いに違いはあろうが、自ずからある程度のところまでいくものです。書画の道と碁を打つこととは、不思議と天分のほどが現れますが、たくさん稽古をつんでない愚か者でも、見事に書き打つ者も出てくるが、名門の子弟のなかには、人に抜きん出た人がいて、なにごとも才能のまま習得するものです。桐壺院の御前にて、親王や内親王たちそれぞれがいろいろな芸事を習ったものです。その中でも、源氏の君は、とりわけ熱心に伝授されて、『文才は言うに及ばず、さらに優れたものの中には、琴をお弾きになるのが第一で、さらに横笛、琵琶、筝の琴と次々に習った』と院も仰せになられました。世の中の人もそう思っておりますが、絵は筆のほんのすさびの余技と思っておりましたが、なんと言ったらいいか、呆れるほどで、昔の墨書きの絵師の上手たちも逃げ出してしまうのではないか、まさに、呆れました」
と帥の宮はうち乱れ、酔って泣き、院のことも話にでて、皆涙を流すのであった。
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17.14 光る源氏体制の夜明け
二十日あまりの月さし出でて、こなたは、まださやかならねど、おほかたの空をかしきほどなるに、書司の御琴召し出でて、和琴、権中納言賜はりたまふ。さはいへど、人にまさりてかき立てたまへり。親王、箏の御琴、大臣、琴、琵琶は少将の命婦仕うまつる。上人の中にすぐれたるを召して、拍子賜はす。いみじうおもしろし。
明け果つるままに、花の色も人の御容貌ども、ほのかに見えて、鳥のさへづるほど、心地ゆき、めでたき朝ぼらけなり。禄どもは、中宮の御方より賜はす。親王は、御衣また重ねて賜はりたまふ。
二十日あまりの月が出て、こちらはまだ明るくはないが、全体の空は明るく照らされている頃、書司から琴を出させて、和琴を権中納言に持たせた。中納言も琴の名手だった。親王は筝の琴、源氏は琴、琵琶は少将の命婦が務めた。殿上人になかに優れたのを選んで、拍子を持たせた。実に情趣の深い演奏だった。
夜が明けるままに、花の色も人の容姿もほのかに見えて、鳥がさえずりだし、晴れ晴れとして気持ちのいい朝だった。禄などは、中宮から賜った。親王は、また衣を賜った。
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17.15 冷泉朝の盛世
そのころのことには、この絵の定めをしたまふ
「かの浦々の巻は、中宮にさぶらはせたまへ」
と聞こえさせたまひければ、これが初め、残りの巻々ゆかしがらせたまへど、
「今、次々に」
と聞こえさせたまふ。主上にも御心ゆかせたまひて思し召したるを、うれしく見たてまつりたまふ。
はかなきことにつけても、かうもてなしきこえたまへば、権中納言は、「なほ、おぼえ圧さるべきにや」と、心やましう思さるべかめり。主上の御心ざしは、もとより思ししみにければ、なほ、こまやかに思し召したるさまを、人知れず見たてまつり知りたまひてぞ、頼もしく、「さりとも」と思されける。
さるべき節会どもにも、「この御時よりと、末の人の言ひ伝ふべき例を添へむ」と思し私ざまのかかるはかなき御遊びも、めづらしき筋にせさせたまひて、いみじき盛りの御世なり。
その頃、世相は絵の品評に明け暮れていた、
「あの須磨明石の絵は、中宮に差し上げてください」
と源氏が仰せになり、これが初めの巻で、中宮は残りをとても見たがったが、
「いずれそのうち、追々に」
と仰せになるのだった。帝もご満足されているようなので、君はうれしく思った。
ちょっとした遊びでも、源氏がこうして斎宮の女御の肩を持つので、権中納言は「ご寵愛が動くのでは」と心穏やでなかった。帝のご寵愛は弘徽殿に深く傾いていたので、もっと細やかなご寵愛が向けられているのを人知れず見て、大丈夫だ、「まさか、変わらないだろう」と思うのであった。
しかるべき節会なども、「この御代から始まったと後世の人が語り伝える慣例にしよう」と思って、このような女房たちのたわいもない遊びも、新しい趣向を凝らし、まことに繁栄の御代だった。
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17.16 嵯峨野に御堂を建立
大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、今すこしおとなびおはしますと見たてまつりて、なほ世を背きなむと深く思ほすべかめる。
「昔のためしを見聞くにも、齢足らで、官位高く昇り、世に抜けぬる人の、長くえ保たぬわざなりけり。この御世には、身のほどおぼえ過ぎにたり。中ごろなきになりて沈みたりし愁へに代はりて、今までもながらふるなり。今より後の栄えは、なほ命うしろめたし。静かに籠もりゐて、後の世のことをつとめ、かつは齢をも延べむ」と思ほして、山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ、仏経のいとなみ添へてせさせたまふめるに、末の君たち、思ふさまにかしづき出だして見むと思し召すにぞ、とく捨てたまはむことは、かたげなる。いかに思しおきつるにかと、いと知りがたし。
源氏の君は、この世は無常と思っており、帝が、いま少し成人になられるのを見届けてから、出家しようと決めていた。
「昔の例を見聞きしても、若くして高位高官に上り、世に抜きん出る人は、長生きしないものだ。今の御代では、地位も名声も身に余るほどになった。途中で一度落ち込んで不遇をかこったが、それで今まで永らえたのだ。これからも栄華を極めていては命が危ない。静かに引きこもって、極楽往生を願ってお勤めして、命を永らえたい」と思って、山里の静かな土地を手に入れて、御堂を造り、仏像や経典の準備もしているようだが、まだ幼い子ともたちを思い通りに育てて行く末を見たいとも思っており、この世を早く捨てるのは難しそうだ。どんな風にお考えなのか、よく分からない。2018.9.16/ 2021.8.28/ 2023.3.18◎

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読書期間2018年9月4日 - 2018年9月22日