源氏物語 18 松風 まつかぜ

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原文 現代文
18.1 二条東院の完成、明石に上洛を促す
東の院造りたてて、花散里と聞こえし、移ろはしたまふ。西の対、渡殿などかけて、政所、家司など、あるべきさまにし置かせたまふ。東の対は、明石の御方と思しおきてたり。北の対は、ことに広く造らせたまひて、かりにても、あはれと思して、行く末かけて契り頼めたまひし人びと集ひ住むべきさまに、隔て隔てしつらはせたまへるしも、なつかしう見所ありてこまかなる。寝殿は塞げたまはず、時々渡りたまふ御住み所にして、さるかたなる御しつらひどもし置かせたまへり。
明石には御消息絶えず、今はなほ上りたまひぬべきことをばのたまへど、女は、なほ、わが身のほどを思ひ知るに、
「こよなくやむごとなき際の人びとだに、なかなかさてかけ離れぬ御ありさまのつれなきを見つつ、もの思ひまさりぬべく聞くを、まして、何ばかりのおぼえなりとてか、さし出でまじらはむ。この若君の御 面伏せに、数ならぬ身のほどこそ現はれめ。たまさかにはひ渡りたまふついでを待つことにて、人笑へに、はしたなきこと、いかにあらむ」
と思ひ乱れても、また、さりとて、かかる所に生ひ出で、数まへられたまはざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにもえ恨み背かず。親たちも、「げに、ことわり」と思ひ嘆くに、なかなか、心も尽き果てぬ。
二条院に東の院を建てて、花散里を住まわせた。西の対や渡殿にかけて、政所、家司などをしかるべく設けていた。東の対は明石の御方の住まいと予定されていた。北の対は、特に広く造らせて、かりそめにも、愛情を感じて将来をかけて契り信頼した人々を召し寄せて住まわせるようにするため、部屋部屋を仕切って作らせたのは、感じがよく立派で行き届いていた。寝殿は空けておいて、源氏が時々渡った時の御座所にして、それにふさわしい設えをしていた。
明石には常に文を出して、その都度上京するように仰せになったが、女は、なおわが身の程を思い知っているので、
「非常に身分の高い人々でも、すっかり捨てるでもない源氏のつれない仕打ちを見て、気苦労が絶えないのを聞くと、まして、自分がどれ程の身分と思って、都の人々と交じわるのだろう。この姫君の名誉を汚し、卑しい身分が世に知られるだろう。たまに源氏が立ち寄るのをお待ちするだけで、人の笑い物になり、みっともないだろう」
と思い乱れるが、そうはいっても、姫君がこのような所に生まれ育ち、人並みの扱いも受けないのもかわいそうなので、全く断ることもできない。親たちも「なるほど、もっともだ」と思い嘆き、心配の種は尽きない。
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18.2 明石方、大堰の山荘を修理
昔、母君の御祖父、中務宮なかづかさのみやと聞こえけるが領じたまひける所、大堰川おおいがわのわたりにありけるを、その御後、はかばかしうあひ継ぐ人もなくて、年ごろ荒れまどふを思ひ出でて、かの時より伝はりて宿守のやうにてある人を呼び取りて語らふ。
「世の中を今はと思ひ果てて、かかる住まひに沈みそめしかども、末の世に、思ひかけぬこと出で来てなむ、さらに都の住みか求むるを、にはかにまばゆき人中、いとはしたなく、田舎びにける心地も静かなるまじきを、古き所尋ねて、となむ思ひ寄る。さるべき物は上げ渡さむ。修理などして、かたのごと人住みぬべくは繕ひなされなむや」
と言ふ。預り、
「この年ごろ、領ずる人もものしたまはず、あやしきやうになりてはべれば、下屋にぞ繕ひて宿りはべるを、この春のころより、内の大殿の造らせたまふ御堂近くて、かのわたりなむ、いと気騷がしうなりにてはべる。いかめしき御堂ども建てて、多くの人なむ、造りいとなみはべるめる。静かなる御本意ならば、それや違ひはべらむ」
「何か。それも、かの殿の御蔭に、かたかけてと思ふことありて。おのづから、おひおひに内のことどもはしてむ。まづ、急ぎておほかたのことどもをものせよ」
と言ふ。
「みづから領ずる所にはべらねど、また知り伝へたまふ人もなければ、かごかなるならひにて、年ごろ隠ろへはべりつるなり。御荘の田畠などいふことの、いたづらに荒れはべりしかば、故民部大輔の君に申し賜はりて、さるべき物などたてまつりてなむ、領じ作りはべる」
など、そのあたりの貯へのことどもを危ふげに思ひて、髭がちにつなしにくき顔を、鼻などうち赤めつつ、はちぶき言へば、
「さらに、その田などやうのことは、ここに知るまじ。ただ年ごろのやうに思ひてものせよ。券などはここになむあれど、すべて世の中を捨てたる身にて、年ごろともかくも尋ね知らぬを、そのことも今詳しくしたためむ」
など言ふにも、大殿のけはひをかくれば、わづらはしくて、その後、物など多く受け取りてなむ、急ぎ造りける。
昔、母方の祖父で中務宮なかづかさのみやという方が所有していた邸で、大井川のほとりにあったのだが、その後は、しっかり相続する人もなく、年ごろ荒れているのを思い出して、宮の在世中からずっと宿守している人を呼び出して語った。
「この世はここが終の棲家と思って、このような所に引っ込んでいたが、最後に、思いがけぬことができて、都に住まいが必要となり、にわかにまばゆい人中にでることになり、居心地が悪く、田舎暮らしになれた気持ちも落ち着かないだろうから、昔の所領を探したのだ。必要なものはこちらから京へ送ろう。一通り人が住めるよう修繕してくれないか」
と言う、宿守は、
「この頃は、領主もおられず、不気味な状態になってしまったので、下屋を修理して住んでおりましたが、この春頃から、内の大殿(源氏)がお造りになっている御堂が近いので、あの辺りは騒々しくなっています。立派な御堂をいくつも建てて、たくさんの人が働いています。静かなのがお望みなら、意に沿わないのではないでしょうか」
「そうだ。かの殿の庇護におすがりしようと思うところもあるのだ。そのうち内部の手入れは追々しよう。まずは急いで大体のところの手入れをしたいのだ」
と言う。
「自分の所有物ではありませんが、また相続した人もいないので、閑静な土地柄になれて、年ごろ人に知られずに住んできました。荘園の田畑なども、ただ荒れていたのですが、亡くなった民部の君のお許しをいただいて、納めるべきものは納めて、耕作しています」
など、収穫の蓄えのを取られることなどを気にして、ひげ面の不逞な顔を、鼻を赤くして、口を尖らしながら言うので、
「その田畑のことは、どうでもよいのだ。これまでやってきた通りにやってよいと思ってよいぞ。証文などもここにあるが、わたしは世を捨てた身であるから、よく調べたこともないので、あとではっきりさせよう」
など言うが、大殿との縁を匂わせるので、面倒だと思い、その後たくさんの物を受け取って、急いで造営した。
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18.3 惟光を大堰に派遣
かやうに思ひ寄るらむとも知りたまはで、上らむことをもの憂がるも、心得ず思し、「若君の、さてつくづくとものしたまふを、後の世に人の言ひ伝へむ、今一際、人悪ろき疵にや」と思ほすに、造り出でてぞ、「しかしかの所をなむ思ひ出でたる」と聞こえさせける。「人に交じらはむことを苦しげにのみものするは、かく思ふなりけり」と心得たまふ。「口惜しからぬ心の用意かな」と思しなりぬ。
惟光朝臣、例の忍ぶる道は、いつとなくいろひ仕うまつる人なれば、遣はして、さるべきさまに、ここかしこの用意などせさせたまひけり。
「あたり、をかしうて、海づらに通ひたる所のさまになむはべりける」
と聞こゆれば、「さやうの住まひに、よしなからずはありぬべし」と思す。
造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり。
これは、川面に、えもいはぬ松蔭に、何のいたはりもなく建てたる寝殿のことそぎたるさまも、おのづから山里のあはれを見せたり。内のしつらひなどまで思し寄る。
こんな事情も知らず、明石の君が上京を渋っているのも、納得がいかず、「姫君が、田舎で物寂しく暮らしているのを、後の人に伝わっては、さらに外聞の悪いことになる」と思ったが、修理を終わって、「これこれの領地を思い出しました」と入道は源氏にご報告された。「上京を遅らせていたのは、こうしたことがあったからか」と納得がいった。「なかなか行き届いた心構えだ」と思った。
惟光朝臣は、例の忍び歩きには、いつでも世話していたので、遣わせて、あるべきように、あれこれの用意などをさせた。
「辺りは景色もよく、お通いになったあの海辺を思わせるような所です」
とご報告すると「さようの住まいなら明石の君にふさわしい」と思う。
造っている御堂は、大覚寺の南辺りにあって、滝殿の趣向など、劣らない趣のある寺だった。
大井の邸は、川に面して、風情ある松蔭に、何の数寄も凝らさず建てた寝殿の簡素な造りで、おのずから山里のあわれを感じさせた。源氏は内部のしつらいまで気をまわした。
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18.4 腹心の家来を明石に派遣
親しき人びと、いみじう忍びて下し遣はす。逃れがたくて、今はと思ふに、年経つる浦を離れなむこと、あはれに、入道の心細くて一人止まらむことを思ひ乱れて、よろづに悲し。「すべて、など、かく、心尽くしになりはじめけむ身にか」と、露のかからぬたぐひうらやましくおぼゆ
親たちも、かかる御迎へにて上る幸ひは、年ごろ寝ても覚めても、願ひわたりし心ざしのかなふと、いとうれしけれど、あひ見で過ぐさむいぶせさの堪へがたう悲しければ、夜昼思ひほれて、同じことをのみ、「さらば、若君をば見たてまつらでは、はべるべきか」と言ふよりほかのことなし。
母君も、いみじうあはれなり。年ごろだに、同じ庵にも住まずかけ離れつれば、まして誰れによりてかは、かけ留まらむただ、あだにうち見る人のあさはかなる語らひだに、見なれそなれて、別るるほどは、ただならざめるを、まして、もてひがめたる頭つき、心おきてこそ頼もしげなけれどまたさるかたに、「これこそは、世を限るべき住みかなれ」と、あり果てぬ命を限りに思ひて、契り過ぐし来つるを、にはかに行き離れなむも心細し。
若き人びとの、いぶせう思ひ沈みつるは、うれしきものから、見捨てがたき浜のさまを、「または、えしも帰らじかし」と、寄する波に添へて、袖濡れがちなり。
源氏は腹心の者たちを、ごく内密に明石に遣わせた。明石上は逃れがたくなって、いよいよ上京と思うと、住みなれた浦を離れるが名残惜しく、入道がひとり留まるのも心配で、何かと悲しかった。「何につけても、こんなに心配性になってしまった」と苦労のない人を羨ましく思った。
親たちもこのようなお迎えが来て上京できる幸いを、年来心待ちにしていたが、その願いがかなううれしさと、若君に会えないで過ごすつらさが堪えがたく悲しいので、昼夜ぼんやりして、同じことを繰り返し、「それでは、若君を見られないことになるのか」と、ばかり言うのだった。
母君もあわれだった。年ごろも同じ庵には住まず離れて暮らしていたが、まして娘が上京となれば誰ゆえにとどまるのか。ほんの一時の気まぐれで契りを結ぶかりそめの仲ですら、馴染んだ後で別れるのは、一通りのことではないが、まして偏屈頭の頼りにならないそんな人との間柄では、「ここが終の住家だ」といつかは終わる命の限りと思い、共に暮らしてきたので、突然行き別れて暮らすのも心細く思うのだった。
若い女房たちで、田舎暮らしをつまらない思ったいたのは、喜んだが、見捨てがたい浜の景色「二度と帰って来られない」と寄せる波に寄せて、袖を濡らした。
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18.5 老夫婦、父娘の別れの歌
秋のころほひなれば、もののあはれ取り重ねたる心地して、その日とある暁に、秋風涼しくて、虫の音もとりあへぬに、海の方を見出だしてゐたるに、入道、例の、後夜より深う起きて、鼻すすりうちして、行なひいましたり。いみじう言忌すれど、誰も誰もいとしのびがたし。
若君は、いともいともうつくしげに、夜光りけむ玉の心地して、袖よりほかに放ちきこえざりつるを、見馴れてまつはしたまへる心ざまなど、ゆゆしきまで、かく、人に違へる身をいまいましく思ひながら、「片時見たてまつらでは、いかでか過ぐさむとすらむ」と、つつみあへず。
行く先をはるかに祈る別れ路に
堪へぬは老いの涙なりけり

いともゆゆしや」
とて、おしのごひ隠す。尼君、
もろともに都は出で来このたびや
ひとり野中の道に惑はむ

とて、泣きたまふさま、いとことわりなり。ここら契り交はして積もりぬる年月のほどを思へば、 かう浮きたることを頼みて、捨てし世に帰るも、思へばはかなしや。御方、
いきてまたあひ見むことをいつとてか
限りも知らぬ世をば頼まむ

送りにだに」
と切にのたまへど、方々につけて、えさるまじきよしを言ひつつ、さすがに道のほども、いとうしろめたなきけしきなり。
秋になり、もののあわわれを集めた心地して、出発の日の暁は、秋風が涼しく、虫の音も堪えがたく、明石の上は海を見ていて、入道が後夜より早く起きて、鼻をすすって勤行をしていた。不吉な言葉を使わないよう勤めて、誰もが堪えがたかった。
若君は、本当に可愛らしく、夜光る玉の心地がして、実に大切に扱って、姫君が自分になついて放さない心ざまなど、出家の身を実にいまいましく思いながら、「片時も見なかったら、どう過ごしたらいいのか」と涙をこらえきれなかった。
(入道)「姫君の将来の幸せを祈る別れ路に
堪えきれないのは老いの涙です」
実に縁起でもない」
とて拭い隠すのだった。尼君は
(尼君)「一緒に都を出ましたが、今度の旅は
ひとり野中の道に惑うようです」
とて泣いているのももっともだった。長い間夫婦の契り交わしてきた歳月を思い、源氏の愛情だけを頼みにして、捨てた世に帰るのも、思えば悲しい。明石の上は、
(明石上)「生きてまたいつ会えるのか
当てにならないこの命が頼みとは
せめて都まで送ってください」
と切に頼んだが、入道はいろいろ訳があってできないと言いつつ、さすがに道中が心配そうな気色だった。
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18.6 明石入道の別離の詞
「世の中を捨てはじめしに、かかる人の国に思ひ下りはべりしことども、ただ君の御ためと、思ふやうに明け暮れの御かしづきも心にかなふやうもやと、思ひたまへ立ちしかど、身のつたなかりける際の思ひ知らるること多かりしかば、さらに、都に帰りて、古受領の沈めるたぐひにて、貧しき家の蓬葎、元のありさま改むることもなきものから、公私に、をこがましき名を広めて、親の御なき影を恥づかしめむことのいみじさになむ、やがて世を捨てつる門出なりけりと人にも知られにしを、その方につけては、よう思ひ放ちてけりと思ひはべるに、君のやうやう大人びたまひ、もの思ほし知るべきに添へては、など、かう口惜しき世界にて錦を隠しきこゆらむと、心の闇晴れ間なく嘆きわたりはべりしままに、仏神を頼みきこえて、さりとも、かうつたなき身に引かれて、山賤の庵には混じりたまはじ、と思ふ心一つを頼みはべりしに、思ひ寄りがたくて、うれしきことどもを見たてまつりそめても、なかなか身のほどを、とざまかうざまに悲しう嘆きはべりつれど、若君のかう出でおはしましたる御宿世の頼もしさに、かかる渚に月日を過ぐしたまはむも、いとかたじけなう、契りことにおぼえたまへば、見たてまつらざらむ心惑ひは、静めがたけれど、この身は長く世を捨てし心はべり。君達は、世を照らしたまふべき光しるければ、しばし、かかる山賤の心を乱りたまふばかりの御契りこそはありけめ。天に生まるる人の、あやしき三つの途に帰るらむ一時に思ひなずらへて、今日、長く別れたてまつりぬ。命尽きぬと聞こしめすとも、後のこと思しいとなむな。さらぬ別れに、御心動かしたまふな」と言ひ放つものから、「煙ともならむ夕べまで、若君の御ことをなむ、六時の勤めにも、なほ心ぎたなく、うち交ぜはべりぬべき」
とて、これにぞ、うちひそみぬる。
「世を捨てた時から、こんな他国に下向したのも、ひとえにあなたのためを思い、あなたを手を尽くして明け暮れ養育できると思ったからなのですが、この身の分際を思い知ることが多く、この上さらに都に帰って、落ちぶれた元国主の類になって、蓬葎の生い茂った貧しい家を、改装もできないままに、公私ともに愚か者の名を広め、亡き親の名を汚したと責められるのもつらいので、都を出たのが出家の門出と人にも知られ、その方面については、よくぞ決心したと思うが、こうしてあなたがようよう成長されて、物心がつくようになってくると、どうしてこんな田舎に美し錦を隠しているのだろう、と親心の闇の晴れるまもなく嘆くことが多くなり、神仏にもおすがりしたが、いくらなんでも、運の悪い親の巻き添えになって、こんな山賤の庵に一緒に住んでいてはいけない、と切に願っていましたところ、思いもかけず、嬉しいことがあっても、それでも身分の違いをあれこれ嘆き悲しみ思い知ることになりましたが、姫君がお生まれになった宿世の頼もしさに、こんな渚に月日を過ごされるのも恐れ多く、姫君の宿世はただならず、会って見ることができないつらさは抑えがたく、この身はすでに世を捨てたのであります。あなたがたはこれから世を照らす光になるのですから、しばし、こんな山賤の心を乱した因縁はあったのでしょう。 天人が果報が尽きて三悪道に堕ちるときの苦しみがよぎって、今日、永の別れをいたします。わたしが死んだと風の便りに聞かれても、法事など気にかけなくてよい。避けることのできない別れに、悩んだりしてはいけない」と言い放ち、「この身が夕べの煙になるまで、姫君のことを、六時のお勤めの時も、未練がましく、お祈りしましよう」
と入道は言って、この時、泣き顔になるのだった。
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18.7 明石一行の上洛
御車は、あまた続けむも所狭く、片へづつ分けむもわづらはしとて、御供の人びとも、あながちに隠ろへ忍ぶれば、舟にて忍びやかにと定めたり。辰の時に舟出したまふ。昔の人もあはれと言ひける浦の朝霧隔たりゆくままに、いともの悲しくて、入道は、心澄み果つまじく、あくがれ眺めゐたり。ここら年を経て、今さらに帰るも、なほ思ひ尽きせず、尼君は泣きたまふ。
かの岸に心寄りにし海人舟の
背きし方に漕ぎ帰るかな

御方、
いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ
浮木に乗りてわれ帰るらむ

思ふ方の風にて、限りける日違へず入りたまひぬ。人に見咎められじの心もあれば、路のほども軽らかにしなしたり。
車は、たくさん連ねて行列を作るのも仰々しいし、一部を分けるのも煩わしく、お供の人たちも極力目立たないように、舟で行くことになった。辰の刻に舟を出した。昔の人もあわれと感じた浦の朝霧の中を遠のいてゆくのは、物悲しく、入道は気持ちが揺らぎ、茫然と眺めていた。長年離れていた京に、今さら帰る思いも尽きず、尼君は泣いた。
(尼君) 「彼岸に心を寄せて尼になった身が
かって背いた都へ帰るとは」
明石の君は、
(明石上)「幾年も秋を過ごしたこの浦を
頼りない舟でわたしは発って行きます」
順風で、予定通りの日に京へ入った。人目に立たぬようにしたので、道中は質素ななりで通した。
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18.8 大堰山荘での生活始まる
家のさまもおもしろうて、年ごろ経つる海づらにおぼえたれば、所変へたる心地もせず。昔のこと思ひ出でられて、あはれなること多かり。造り添へたる廊など、ゆゑあるさまに、水の流れもをかしうしなしたり。まだこまやかなるにはあらねども、住みつかばさてもありぬべし。
親しき家司に仰せ賜ひて、御まうけのことせさせたまひけり渡りたまはむことは、とかう思したばかるほどに、日ごろ経ぬ。
なかなかもの思ひ続けられて、捨てし家居も恋しう、つれづれなれば、かの御形見の琴を掻き鳴らす。折の、いみじう忍びがたければ、人離れたる方にうちとけてすこし弾くに、松風はしたなく響きあひたり。尼君、もの悲しげにて寄り臥したまへるに、起き上がりて、
身を変へて一人帰れる山里に
聞きしに似たる松風ぞ吹く

御方、
故里に見し世の友を恋ひわびて
さへづることを誰れか分くらむ
家の造りも趣きがあり、何年も住んでいた海辺の家に似ており、所が変わった気がしない。昔のことが思い出され、感慨を催すことが多かった。増設した渡殿など、立派な造りで、水の流れも趣があった。手入れはまだ十分ではないが、住み心地はよかった。
親しい家司に仰せになって、到着を祝う宴をもうけた。源氏がお越しになるのは、あれこれ口実を考えているうちに日が経った。
明石の君は、物思いが絶えず、捨ててきた家も恋しく、所在なく、あの形見にもらった琴をかきならした。折りしも、ひどく悲しく堪えがたかったので、人のいないところでゆったりして、少し弾くと、松風が実によく響きあった。尼君は、物悲しげに寄り臥していたが、起き上がって、
(尼君)「尼になってひとり山里に帰ってみれば
昔に似た松風が吹いている」
明石の君は、
(明石上)「故里にいた友が恋しくて奏でています
この気持ち分かってくれますか」
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18.9 大堰山荘訪問の暇乞い
かやうにものはかなくて明かし暮らすに、大臣、なかなか静心なく思さるれば、人目をもえ憚りあへたまはで、渡りたまふを、女君は、かくなむとたしかに知らせたてまつりたまはざりけるを、例の、聞きもや合はせたまふとて、消息聞こえたまふ。
「桂に見るべきことはべるを、いさや、心にもあらでほど経にけり。訪らはむと言ひし人さへ、かのわたり近く来ゐて、待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも、飾りなき仏の御訪らひすべければ、二、三日ははべりなむ」
と聞こえたまふ。
「桂の院といふ所、にはかに造らせたまふと聞くは、そこに据ゑたまへるにや」と思すに、心づきなければ、「斧の柄さへ改めたまはむほどや、待ち遠に」と、心ゆかぬ御けしきなり。
「例の、比べ苦しき御心、いにしへのありさま、名残なしと、世人も言ふなるものを」、何やかやと御心とりたまふほどに、日たけぬ。
このように頼りなげに暮らしていたが、源氏は、なかなか落ち着かず、人目も気にせず大井に行くのだが、紫の上には、明石の君が上京したことをはっきり伝えていなかったので、他から聞きでもしたら厄介なので、あらかじめご挨拶した。
「桂の地に用事があるので、いやもう、すっかり日が経ってしまった。行くと約束した人もあの辺りに来て待っているので、気にかかります。嵯峨野の御堂にも、飾りつけしていない仏様があるので、二三日はかかりますので」
と申し上げた。
「桂の院という所は、急いで造らせたようだが、そこに女を住まわせるのだろう」と思うと、紫の上は機嫌が悪く、「斧の柄が朽ちてすげかえるほど、のあいだね」とご不満だった。
「例の、扱いづらい女君。昔の浮気な自分の名残はないと世間の人も言っているのに」、あれこれとご機嫌をとっている間に、日が高くなった。
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18.10 源氏と明石の再会
忍びやかに、御前疎きは混ぜで、御心づかひして渡りたまひぬ。たそかれ時におはし着きたり。狩の御衣にやつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしを、まして、さる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。
めづらしう、あはれにて、若君を見たまふも、いかが浅く思されむ。今まで隔てける年月だに、あさましく悔しきまで思ほす。
「大殿腹の君をうつくしげなりと、世人もて騒ぐは、なほ時世によれば、人の見なすなりけり。かくこそは、すぐれたる人の山口はしるかりけれ
と、うち笑みたる顔の何心なきが、愛敬づき、匂ひたるを、いみじうらうたしと思す。
乳母の、下りしほどは衰へたりし容貌、ねびまさりて、月ごろの御物語など、馴れ聞こゆるを、あはれに、さる塩屋のかたはらに過ぐしつらむことを、思しのたまふ。
「ここにも、いと里離れて、渡らむこともかたきを、なほ、かの本意ある所に移ろひたまへ」
とのたまへど、
「いとうひうひしきほど過ぐして」
と聞こゆるも、ことわりなり。夜一夜、よろづに契り語らひ、明かしたまふ。
ひそかに、前駆の者たちも親しくない者は加えず、人目をはばかって行った。たそがれ時に着いた。狩衣にやつした姿でさえ世にも美しく思われたのに、まして、今度は念入りに身なりを整えた直衣姿は、まことに美しくまばゆいばかりの心地がして、曇った心の闇が晴れるようだった。
初めての対面で若君を見たのだが、どうして通りいっぺんに見られようか。今まで隔てた年月が、悔しく思われた。
「左大臣家の姫腹の夕霧を美しいと世間では騒ぐが、それも権勢におもねった見方であった。これこそは、持って生まれた美しさだ」
と、姫君が笑った顔の、あどけなく愛嬌がある様は、じつに可愛らしいと思った。
乳母は下向した頃は衰えていた容貌は、かえって美しくなり、上京以来のお話などを親しくお話するのを聞き、いとおしく、塩屋のそばで過ごした年月をねぎらった。
「ここも、離れた里だから、来るにしても、容易ではないので、あちらへ移ってはどうか」
と仰せになるが、
「まだ都になれてはおりませんので」
とお応えするのも、もっともだった。一晩中、語り契りあって夜を明かした。
2018.10.2/ 2021.8.30/ 2023.3.20◎
18.11 源氏、大堰山荘で寛ぐ
繕ふべき所、所の預かり、今加へたる家司などに仰せらる。桂の院に渡りたまふべしとありければ、近き御荘の人びと、参り集まりたりけるも、皆尋ね参りたり。前栽どもの折れ伏したるなど、繕はせたまふ。
「ここかしこの立石どもも皆転び失せたるを、情けありてしなさば、をかしかりぬべき所かな。かかる所をわざと繕ふも、あいなきわざなり。さても過ぐし果てねば、立つ時もの憂く、心とまる、苦しかりき」
など、来し方のことものたまひ出でて、泣きみ笑ひみ、うちとけのたまへる、いとめでたし。
尼君、のぞきて見たてまつるに、老いも忘れ、もの思ひも晴るる心地してうち笑みぬ。
東の渡殿の下より出づる水の心ばへ、繕はせたまふとて、いとなまめかしきうちき姿うちとけたまへるを、いとめでたううれしと見たてまつるに、閼伽あかの具などのあるを見たまふに、思し出でて、
「尼君は、こなたにか。いとしどけなき姿なりけりや」
とて、御直衣召し出でて、たてまつる。几帳のもとに寄りたまひて、
罪軽く生ほし立てたまへる、人のゆゑは、御行なひのほどあはれにこそ、思ひなしきこゆれ。いといたく思ひ澄ましたまへりし御住みかを捨てて、憂き世に帰りたまへる心ざし、浅からず。またかしこには、いかにとまりて、思ひおこせたまふらむと、さまざまになむ」
と、いとなつかしうのたまふ。
「捨てはべりし世を、今さらにたち帰り、思ひたまへ乱るるを、推し量らせたまひければ、命長さのしるしも、思ひたまへ知られぬる」と、うち泣きて、「荒磯蔭に、心苦しう思ひきこえさせはべりし二葉の松も、今は頼もしき御生ひ先と、祝ひきこえさするを、浅き根ざしゆゑや、いかがと、かたがた心尽くされはべる」
など聞こゆるけはひ、よしなからねば、昔物語に、親王の住みたまひけるありさまなど、語らせたまふに、繕はれたる水の音なひ、かことがましう聞こゆ
住み馴れし人は帰りてたどれども
清水は宿の主人顔なる

わざとはなくて、言ひ消つさま、みやびかによし、と聞きたまふ。
いさらゐははやくのことも忘れじを
もとの主人や面変はりせる

あはれ」
と、うち眺めて、立ちたまふ姿、にほひ、世に知らず、とのみ思ひきこゆ。
修理すべき箇所を、新しく任じた家司などに命じられる。桂の院にお出ましになるとて、近くの荘園の人々が集まってきたが、皆こちらを尋ねあててやってきた。前裁など折れてたおれたのを直した。
「あちこちの石組みも倒れたり失せたりしてるが、数寄をこらせば、趣がでる。このような仮住まいに手を入れるのは無駄だ。長くは住まないので、発つときは去り難くつらくなる」
など、明石を離れた時のつらかった思い出を仰せになり、泣いたり笑ったり、くつろいでいらっしゃる、喜ばしい。
尼君が、やってきて覗き見るに、老いも忘れて、晴れがましい気持ちになって笑うのだった。
東の渡殿の下から出てくる水の様子を、直そうと、ごくくつろいだ袿姿でうちとけておられるのを、尼君がすばらしくうれしく見ておられたが、仏具があるのに気づいて、思い出し、
「尼君もこちらにおられるのか。だらしない姿をお見せした」
とて、直衣を取って、お召しになる。几帳のそばに寄って来られて、
「前世の罪が軽くて美しく生まれた姫君は、尼君の日頃の勤行の故と思っております。すっかり俗世を離れた住家をを捨てて、憂き世に帰って来られたご決心をうれしく思います。またあちらには、入道がどんなにか、後に残って気づかっておられるか、あれこれ思われます」
とやさしく仰せになる。
「一度捨てた世に今さら帰ってきて、思い悩んでいる気持ちをお察しいただければ、長生きしたかいもあったと思います」と、尼君は泣いて、「明石のような田舎で、おいたわしくお思い申し上げた幼い姫君も、今は将来も安心と思われますが、なにぶん親の身分が卑しいのでどうかと、心配しておりました」
など申し上げる気配が、風情があるので、昔物語に祖父の中務の宮の住んでいた様子など、お話するに、手入れされ水の音が、昔恋しさを誘うのだった。
(尼君の歌)「住みなれたわたしは帰ってきましたが
遣り水はわたしが宿の主人よと言いたげだ」
さりげなく謙遜する様も、みやびですばらしいと仰せになった。
(源氏)「清水は昔のことを忘れていないであろうが
元の主人は尼になって様変わりしています
あわれだ」
と詠って立つ源氏の姿を、尼君は立派で世に類なしと思うのだった。
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18.12 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊ぐ
御寺に渡りたまうて、月ごとの十四、五日、晦日の日、行はるべき普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏の三昧をばさるものにて、またまた加へ行はせたまふべきことなど、定め置かせたまふ。堂の飾り、仏の御具など、めぐらし仰せらる。月の明きに帰りたまふ。
ありし夜のこと、思し出でらるる、折過ぐさず、かの琴の御琴さし出でたり。そこはかとなくものあはれなるに、え忍びたまはで、掻き鳴らしたまふ。まだ調べも変はらず、ひきかへし、その折今の心地したまふ。
契りしに変はらぬ琴の調べにて
絶えぬ心のほどは知りきや

女、
変はらじと契りしことを頼みにて
松の響きに音を添へしかな

と聞こえ交はしたるも、似げなからぬこそは、身にあまりたるありさまなめれこよなうねびまさりにける容貌、けはひ、え思ほし捨つまじう、若君、はた、尽きもせずまぼられたまふ。
「いかにせまし。隠ろへたるさまにて生ひ出でむが、心苦しう口惜しきを、二条の院に渡して、心のゆく限りもてなさば、後のおぼえも罪免れなむかし
と思ほせど、また、思はむこといとほしくて、えうち出でたまはで、涙ぐみて見たまふ。幼き心地に、すこし恥ぢらひたりしが、やうやううちとけて、もの言ひ笑ひなどして、むつれたまふを見るままに、匂ひまさりてうつくし。抱きておはするさま、見るかひありて、宿世こよなしと見えたり。
源氏は、嵯峨野の御堂に来られて、毎月の十四、五日、晦の日に行うべき普賢講の法会、阿弥陀仏の念仏、釈迦の念仏三昧をそれぞれ修させ、加えて行うべき行事を定めた。堂の飾り、仏の仏具などお触れを回した。月明かりで大井にお帰りになった。
かっての明石の夜を思い出すと、すぐさま源氏に例の琴が差し出だされた。しみじみした思いになり、堪えきれずかき鳴らした。まだ調べも変わらず、昔を思い、その時の心地が今のように感じられた。
(源氏)「お約束した変わらぬ琴の調べを聞いて
変わらぬわたしの気持ちがお分かりでしょうか」
女は、
(明石上)「心変わりはないとのお約束を頼みとして
松の響きにあわせて泣いておりました」
と歌を交わして、源氏と不釣合いではないのは、望外の仕合せであろう。すっかり女盛りに美しくなった器量や気配は、とても見捨てられず、若君もじっと目が離せなかった。
「どうしようか。こうして日陰で育てれば、不憫で惨めだし、二条の院に渡して養女として存分に育てたら、後世の人から後ろ指をさされることもないだろう」
と源氏は思うのだが、それでは明石の君が不憫で、言い出せずに涙ぐんで見ていた。姫君は、幼い心に恥らったりするが、少しずつ打ち解けて、物言い笑いなどして、なついててくると、美しくかわいらしい。源氏が抱いている姿は、見るのは麗しく、姫君の幸運はこの上ないと思われた。
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18.13 大堰山荘を出て桂院に向かう
またの日は京へ帰らせたまふべければ、すこし大殿籠もり過ぐして、やがてこれより出でたまふべきを、桂の院に人びと多く参り集ひて、ここにも殿上人あまた参りたり。御装束などしたまひて、
「いとはしたなきわざかな。かく見あらはさるべき隈にもあらぬを」
とて、騒がしきに引かれて出でたまふ。心苦しければ、さりげなく紛らはして立ちとまりたまへる戸口に、乳母、若君抱きてさし出でたり。あはれなる御けしきに、かき撫でたまひて、
「見では、いと苦しかりぬべきこそ、いとうちつけなれ。いかがすべき。いと里遠しや」
とのたまへば、
「遥かに思ひたまへ絶えたりつる年ごろよりも、今からの御もてなしの、おぼつかなうはべらむは、心尽くしに」
など聞こゆ。若君、手をさし出でて、立ちたまへるを慕ひたまへば、ついゐたまひて、
「あやしう、もの思ひ絶えぬ身にこそありけれ。しばしにても苦しや。いづら。など、もろともに出でては、惜しみたまはぬ。さらばこそ、人心地もせめ」
とのたまへば、うち笑ひて、女君に「かくなむ」と聞こゆ。
なかなかもの思ひ乱れて臥したれば、とみにしも動かれず。あまり上衆めかしと思したり。人びともかたはらいたがれば、しぶしぶにゐざり出でて、几帳にはた隠れたるかたはら目、いみじうなまめいてよしあり、たをやぎたるけはひ、皇女たちといはむにも足りぬべし。
帷子引きやりて、こまやかに語らひたまふとて、とばかり返り見たまへるに、さこそ静めつれ、見送りきこゆ。
いはむかたなき盛りの御容貌なり。いたうそびやぎたまへりしが、すこしなりあふほどになりたまひにける御姿など、「かくてこそものものしかりけれ」と、御指貫の裾まで、なまめかしう愛敬のこぼれ出づるぞ、あながちなる見なしなるべき。
かの、解けたりし蔵人も、還りなりにけり。靭負尉ゆげいのじょうにて、今年かうぶり得てけり。昔に改め、心地よげにて、御佩刀はかし取りに寄り来たり。人影を見つけて、
「来し方のもの忘れしはべらねど、かしこければえこそ。浦風おぼえはべりつる暁の寝覚にも、おどろかしきこえさすべきよすがだになくて」
と、けしきばむを、
「八重立つ山は、さらに島隠れにも劣らざりけるを、松も昔のと、たどられつるに、忘れぬ人もものしたまひけるに、頼もし」
など言ふ。
「こよなしや。我も思ひなきにしもあらざりしを」
など、あさましうおぼゆれど、
「今、ことさらに」
と、うちけざやぎて、参りぬ。
翌日は京へ帰らなければならないので、少し寝過ごして、さて出立となると、桂の院に人々が多く集まっており、こちらにも殿上人がたくさん来ていた。装束をととのえて、
「全くきまりの悪いことだ。簡単に見つけられる所でもないのに」
とて、騒がしいのなかをお出になる。君は、明石の君に気の毒で、さりげなく何気ないふうをして立っている戸口に、乳母が若君を抱いて出てきた。可愛らしいので、お撫でになって、
「会えないのは、つらいな、勝手なものだ。どうしたらいいか、ここは遠過ぎる」
と仰せになると、
「明石にいてお会いするのができない年頃があって、今からのお扱いがおぼつかないようでは、心配です」
など乳母が申し上げた。若君は手を出して、立っていた君を慕ったので、君はひざまずいて、
「不思議に物思いの絶えぬ身だ。しばしの別れもつらい。どうした。明石の君は、なぜ一緒に別れを惜しまないのか。それで、わたしも元気が出るのに」
と仰せになれば、乳母は笑って、女君に「こう言ってます」と報告した。
明石の君は、たいそう思い乱れて伏していたので、すぐに動けない。あまりに上臈ぶったふるまいと思われた。女房たちも見るに見かねていたので、しぶしぶいざり出て、几帳のそばに隠れた横顔は、実になまめかしく風情があり、しなやかな気配は、皇女といっても良いほどだった。
帷子の垂れ絹を引き上げて、細やかに明石の君と語らおうとして、振り返ると、気持ちを静めてお見送りしている。
君は、言いようもないほど男盛りのご容貌であった。たいそうすらりとした背格好でしたが、少し恰幅がよくなった姿など、「これでこそ貫禄がある」と、指貫のすそまでなまめかしく美しさがこぼれでていると見るのは、贔屓目ひいきめだろうか。
あの解任されていた蔵人も復職していた。靭負尉ゆげいのじょうに任じられ、従五位に叙せられた。昔と違い得意げで、君の御太刀を取りに寄って来た。女房を見つけて、
「昔を忘れたわけではありませんが、恐れ多くて、明石の浦風を思い出すほどの暁の寝覚めにも、ご挨拶するすべもなくて」
と気取って言うと、
「この八重の雲立つ山里は、明石の島がくれにも劣らず寂しいですが、昔を知る友もなく、忘れずにいてくれる人がおられるのは、心強いです」
などと言う。
「大層な。わたしだって悩んでいたのに」
など興ざめを感じたが、
「また改めて」
ときちんと言って、お供に戻った。
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18.14 院に到着、饗宴始まる
いとよそほしくさし歩みたまふほど、かしかましう追ひ払ひて、御車の尻に、 頭中将、兵衛督ひょうえのかみ乗せたまふ
「いと軽々しき隠れ家、見あらはされぬるこそ、ねたう」
と、いたうからがりたまふ。
「昨夜の月は、口惜しう御供に後れはべりにけると思ひたまへられしかば、今朝、霧を分けて参りはべりつる。山の錦は、まだしうはべりけり。野辺の色こそ、盛りにはべりけれ。なにがしの朝臣の、小鷹にかかづらひて、立ち後れはべりぬる、いかがなりぬらむ」
など言ふ。
「今日は、なほ桂殿に」とて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる御饗応と騷ぎて、鵜飼ども召したるに、海人のさへづり思し出でらる。
野に泊りぬる君達、小鳥しるしばかりひき付けさせたる荻の枝など、苞にして参れり。大御酒あまたたび順流れて、川のわたり危ふげなれば、酔ひに紛れておはしまし暮らしつ。
君が威儀を正して歩くほどに、大声をあげて前駆が先払いして、車の後ろに頭中将と兵衛督を乗せた。
「こんなやすやすと隠れ家を見つけられたのは、残念だ」
と至極残念そうだ。
「昨夜の月は、残念ながらお供に間に合わないと思いましたので、今朝は霧をかき分けて参上いたしました。山の錦はまだ早いです。野辺の花はいま盛りでございます。誰それの朝臣は、小鷹狩りで、遅くなりそうですが、どうしたものやら」
などと頭中将たちは言う。
「今日は桂殿だ」とて、ここで過ごすことになった。にわかに饗応が始まって、鵜飼匠をお召しになると、海人の喋るのを思い出した。
前夜は野宿した小鷹狩りの君達は、萩の枝にしるしばかりに小鳥を吊って手土産にしてやって来た。御酒が順に回され、川遊びが危ないので、酔って室内で過ごした。
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18.15 饗宴の最中に勅使来訪
おのおの絶句など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、大御遊おおみあそ始まりて、いと今めかし。
弾きもの、琵琶、和琴ばかり、笛ども上手の限りして、折に合ひたる調子吹き立つるほど、川風吹き合はせておもしろきに、月高くさし上がり、よろづのこと澄める夜のやや更くるほどに、殿上人、四、五人ばかり連れて参れり。
上にさぶらひけるを、御遊びありけるついでに、
「今日は、六日の御物忌明く日にて、かならず参りたまふべきを、いかなれば」
と仰せられければ、ここに、かう泊らせたまひにけるよし聞こし召して、御消息あるなりけり。御使は、蔵人弁なりけり。
月のすむ川のをちなる里なれば
桂の影はのどけかるらむ

うらやましう」
とあり。かしこまりきこえさせたまふ。
上の御遊びよりも、なほ所からの、すごさ添へたるものの音をめでて、また酔ひ加はりぬ。ここにはまうけの物もさぶらはざりければ、大堰に、
「わざとならぬまうけの物や」
と、言ひつかはしたり。取りあへたるに従ひて参らせたり衣櫃二荷きぬびつふたかけにてあるを、御使の弁はとく帰り参れば、女の装束かづけたまふ。
久方の光に近き名のみして
朝夕霧も晴れぬ山里

行幸待ちきこえたまふ心ばへなるべし。「中に生ひたる」と、うち誦んじたまふついでに、かの淡路島を思し出でて、躬恒みつねが「所からか」とおぼめきけむことなど、のたまひ出でたるに、ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし。
めぐり来て手に取るばかりさやけきや
淡路の島のあはと見し月

頭中将、
浮雲にしばしまがひし月影の
すみはつる夜ぞのどけかるべき

左大弁、すこしおとなびて、故院の御時にも、むつましう仕うまつりなれし人なりけり。
雲の上のすみかを捨てて夜半の月
いづれの谷にかげ隠しけむ

心々にあまたあめれど、うるさくてなむ。
気近ううち静まりたる御物語、すこしうち乱れて千年も見聞かまほしき御ありさまなれば斧の柄も朽ちぬべけれど、今日さへはとて、急ぎ帰りたまふ。
物ども品々にかづけて、霧の絶え間に立ち混じりたるも、前栽の花に見えまがひたる色あひなど、ことにめでたし。近衛府の名高き舎人、物の節どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「其駒」など乱れ遊びて、脱ぎかけたまふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。
ののしりて帰らせたまふ響き、大堰にはもの隔てて聞きて、名残さびしう眺めたまふ。「御消息をだにせで」と、大臣も御心にかかれり。
各々が絶句などを作って遊び、月がはなやかに出る頃には、管弦の遊びが始まり、華やかだ。
弦楽器の琵琶や和琴など、笛も上手な者ばかりで、季節に合った調子を吹くと、川風が吹いてきて調子を合わせておもしろく、月は高く上がってすべてが澄み渡った夜が更けてゆく頃、殿上人が四、五人が連れだって来た。
帝の御前にいたのだが、管弦の遊びをやっていると、
「今日は、六日の物忌みが明けるので、かならず参るだろう、どうしたのか」
と帝が仰せられるので、こちらにお泊りになっているとお聞いて、文を預かって来た。御使いは蔵人弁であった。
(帝)「桂川の向こうの里であれば
月影はさやけくあるだろう
うらやましい」
とあった。かしこまって承った。
殿上の遊びよりも、場所柄から、すごみが加わった楽の音を楽しんで、酔いもすすんだ。ここには使者に出す禄もないので、大井に、
「仰々しくない品を」
と言い遣わせた。ありあわせたものを持たせた。衣びつ二つある中から、御使いはすぐ帰るので女の装束をお与えになった。
(源氏)「桂川が月に近いのは名ばかりで
朝夕の霧が立ちこめる山里です」
行幸を待っているような心であろう。「中に生ひたる」と吟ずると、そのうちにあの淡路島を思い出し、躬恒が「所からか」と歌った心をいぶかるなどと仰せになると、酔いもまじって泣き出す者もいた。
(源氏)「月日はめぐり都で見る月は、
淡路島を望んでみた月と同じであろうか」
頭中将は、
(頭中将)「しばしの間浮雲にかげった月影が
輝く月夜は永久に続くでしょう」
左大弁は、少し年老いたが、故桐壷院の御代のときから親しく仕えていた人だった。
(左大弁)「雲の上の住処を捨てて故院は
どの谷にお隠れになったのだろうか」
それぞれが歌を詠んだが、煩雑なので略す。
親しい人々の内輪の話が、少しくだけてきて、源氏の姿を千年も見ていたいなど言い出す者もいて、長逗留になりそうなので、今日こそはとて、急ぎ帰った。
各々が禄の品々を身分に応じて肩に掛け、霧の切れ目に立っているのは、前菜の花かと見える色合いが、すばらしい。近衛府の有名な舎人で、歌のうまい者がいて、物足りなかったので、「其駒」などを歌って遊び、君が脱いでお与えになる衣の色合いが、秋の錦が風に散ったと思われた。
大声をあげて帰ってゆく騒ぎが、大井には遠くに聞こえて、明石上は名残寂しく思いに沈んでいた。「文も出さないで」と君も気にかけていた。
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18.16 二条院に帰邸
殿におはして、とばかりうち休みたまふ。山里の御物語など聞こえたまふ。
「暇聞こえしほど過ぎつれば、いと苦しうこそ。この好き者どもの尋ね来て、いといたう強ひとどめしに、引かされて。今朝は、いとなやまし」
とて、大殿籠もれり。例の、心とけず見えたまへど、見知らぬやうにて、
「なずらひならぬほどを、思し比ぶるも、悪きわざなめり。我は我と思ひなしたまへ」
と、教へきこえたまふ。
暮れかかるほどに、内裏へ参りたまふに、ひきそばめて急ぎ書きたまふは、かしこへなめり。側目こまやかに見ゆ。うちささめきて遣はすを、御達ごたちなど、憎みきこゆ
二条院に戻って、しばらく休んだ。紫の上に山里の話をするのだった。
「お許しを得た日は過ぎたので、申し訳ない。好き者たちがやってきて、強く引きとめるので、つい根負けして。今朝は気分がすぐれない」
と、床に就いた。例によって紫の上は機嫌が悪く、源氏はそ知らぬ風で、
「身分が比較にならぬ相手を、思い比べるのは、よくないことです。自分は自分と思いなさい」
と、お諭しになる。
暮れ方に内裏へ行く時、脇に寄って急いで書いたのは、大井の方への文だろう。側目にも気使いが分かる。文使いに細々こまごまと言うのも、女房たちは憎らげに思った。
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18.17 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談
その夜は、内裏にもさぶらひたまふべけれど、解けざりつる御けしきとりに、夜更けぬれど、まかでたまひぬ。ありつる御返り持て参れり。え引き隠したまはで、御覧ず。ことに憎かるべきふしも見えねば、
「これ、破り隠したまへ。むつかしや。かかるものの散らむも今はつきなきほどになりにけり
とて、御脇息に寄りゐたまひて、御心のうちには、いとあはれに恋しう思しやらるれば、燈をうち眺めて、ことにものものたまはず。文は広ごりながらあれど、女君、見たまはぬやうなるを、
せめて、見隠したまふ御目尻こそ、わづらはしけれ
とて、うち笑みたまへる御愛敬、所狭きまでこぼれぬべし。
さし寄りたまひて、
「まことは、らうたげなるものを見しかば、契り浅くも見えぬを、さりとて、ものめかさむほども憚り多かるに、思ひなむわづらひぬる。同じ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定めたまへ。いかがすべき。ここにて育みたまひてむや。蛭の子が齢にもなりにけるを、罪なきさまなるも思ひ捨てがたうこそ。いはけなげなる下つ方も、紛らはさむなど思ふをめざましと思さずは、引き結ひたまへかし」
と聞こえたまふ。
思はずにのみとりなしたまふ御心の隔てを、せめて見知らず、うらなくやはとてこそいはけなからむ御心には、いとようかなひぬべくなむ。いかにうつくしきほどに」
とて、すこしうち笑みたまひぬ。稚児をわりなうらうたきものにしたまふ御心なれば、「得て、抱きかしづかばや」と思す。
「いかにせまし。迎へやせまし」と思し乱る。渡りたまふこといとかたし。嵯峨野の御堂の念仏など待ち出でて、月に二度ばかりの御契りなめり。年のわたりには、立ちまさりぬべかめるを及びなきことと思へども、なほいかがもの思はしからぬ
その夜は内裏に控えていたが、気分をそこねた紫の上のご機嫌取りに、夜が更けてから退出した。 先の文の返事を使いが持ってきた。隠さないで、お読みになる。特に具合の悪い文面もないので、
「これは破って捨ててください。やっかいだ。このようなものが、人目に触れるのも、不似合いな年になった」
と言って、脇息に寄りかかって、心のうちでは、明石の君を恋しく思って、燈を眺めてじっと物も言わなかった。文は広げられたままだったが、女君は見ようとしないので、
「強いて見ぬふりをするまなじりが、気になりますね」
と言って笑っている愛敬が、あたりにこぼれそうであった。
紫上の方に寄って、
「実にかわいらしい姫を見ましたので、契りが浅いとも思われません、さりとて大仰な育てかたもできませんので、思い悩んでいます、どうか同じ気持ちになって、決心していただけませんか。ここで育てるのはどうでしょう。三歳になりますが、無邪気で放っておけません。幼げな腰つきもなんとかして袴をつけさせてやりたいのですが、いやだと思わずに、腰紐を結んでやってください」
と仰せになる。
「心外な受け取りかたをする君のよそよそしさを、知らぬふりして自然にふるまえとは。幼い子には、わたしにはぴったりのお相手でしょう。どんなに可愛らしいことでしょう」
と言って少し笑みをこぼした。子どもをことのほか可愛がる性質なので、「引き取って、大切に育てよう」と思うのだった。
「どうしたものだろう。迎えにやろうか」と思い悩んだ。大井へ通うことは難しい。嵯峨野の御堂の念仏を待っても、月に二度程の契りになろうか。七夕の出会いよりはましだが、これ以上は望めないことと思うものの、どうして嘆かずにいられようか。
2018.10.24/ 2021.8.31/ 2023.3.21◎

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読書期間2018年9月22日 - 2018年10月24日