源氏物語  松風 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 18 松風
(二条院に)東の院を建てて  源氏の住まいについて: 『源氏物語』の二条院は、もと桐壷更衣の里邸であったが、更衣の没後は源氏が伝領した。二条院は源氏が元服し葵上と結婚してまもなく、父桐壷院の命によって改築され(桐壷)、紫上はこの院の西の対に住み(若紫)、のちに六条院に移ったが、晩年はふたたびこの院で病床に臥して没した(御法)。明石姫君もこの院で紫上に養育された(薄雲)。源氏の没後は匂宮がこの院に住み(匂宮)、宇治中君が西の対に迎えられた(総角)。また、二条院の東院は、源氏が父桐壷院から伝領した院で、さらに修築を加え(澪標)、花散里が六条院へ移るまで住み(松風)、末摘花も引き取られ(玉鬘)、源氏の没後は花散里が伝領した(匂宮)。このように二条院は、六条院とともに『源氏』の主要な邸宅であり、作者は然るべき準拠に基づいて設定したと推定される。/ 「源氏物語の二条院の位置より」 CINII https://ci.nii.ac.jp/naid/120002563841 奈良大学紀要の森本茂氏の論文より
なかなかさてかけ離れぬ御ありさまのつれなきを見つつ なまじそのように切れてしまわれるでもない源氏のお扱いのお冷たさを見ながら。/ まったく捨ててしまうのでもない愛情のないなされ方。
面伏せに 「面伏せ」不名誉、面汚し。
人笑へに、はしたなきこと 人の笑いものになるような、みっともないことが。
ひたすらにもえ恨み背かず (源氏の申し出に対して)いちずに不満を示したり、断ったりすることもできない。
かごかなるならひにて ひっそりした土地柄をよいことに。/ 目立たない田舎の習慣にしたがって。/ 閑静なのに住みなれて。「かごか」物かげになって、ひっそりしたさま。静かにこもったさま。
露のかからぬたぐひうらやましくおぼゆ 「露の」少しも。こんな苦労の少しもない人がうらやましく思われる。
まして誰れによりてかは、かけ留まらむ まして娘が上京する今となっては、誰のためにこの明石にとどまろうか。
ただ、あだにうち見る人のあさはかなる語らひだに ほんの、一時の気まぐれで契りを結ぶ人のかりそめの男女の仲ですら、互いに馴染んだ末別れるときは、やはり一通りのことではない。
もてひがめたる頭つき、心おきてこそ頼もしげなけれど いかにも偏屈そうな坊主頭や考え方は頼りにならない夫ではあるが。
またさるかたに そうした仲として。
若き人びとの、いぶせう思ひ沈みつるは 若い女房たちで田舎暮らしを面白くなく悲観していた者たちは。
その日とある暁に 出発の日の暁に。
行く先をはるかに祈る別れ路に堪へぬは老いの涙なりけり 姫君の将来をはるかにお祈りする旅の別れに、こらえきれないのはこの年寄りの涙でした(新潮) / 姫君の将来をはるかにお祈りする旅の別れに、こらえきれないのはこの年寄りの涙なのでした。(新潮日本古典文学集成)/ 将来ずっと長く御幸福であるよう、お祈りしながらお別れする今、がまんしきれないのは老いの涙でございました。(玉上)
もろともに都は出で来このたびやひとり野中の道に惑はむ ご一緒に都を出たのでしたが、今度の旅は、ひとりあてどない野中に道に途方に暮れることでしょうか。(新潮日本古典文学集成)/ ご一緒に都を出ましたのに、今度は私一人、野中の道に迷うことでしょうか。(玉上)
かう浮きたることを頼みて あてにならぬことを頼りにして。源氏の愛情だけが頼りで。
いきてまたあひ見むことをいつとてか限りも知らぬ世をば頼まむ お別れして生きて再びお会いするのはいつのことやら、その時も知らぬ将来をあてにするのでしょうか。(新潮日本古典集成)/ 京に行って生きてふたたび会えることをいつと思って、どれほど生きられるか分からない命を頼みにしましょうか。(玉上)
とりあへぬに 猶予なく忙しい時に。「取りあへぬ→取りあへ(敢)ず」は「折り合わぬ」意もあるが、ここは「虫の鳴く音も聞くに耐えられぬ」の意。(岩波大系)。「あわただしく」は意訳か、意訳になっていないか。(谷崎・瀬戸内)/ 虫の音も堪えがたく、とした。
天に生まるる人の、あやしき三つの途に帰るらむ一時に思ひなずらへて 天人が果報尽きていまわしい三悪道(地獄、餓鬼、畜生)に堕ちるという一時の苦しみに思いなぞらえて。「天上より退かむとするとき、心に大苦悩を生ずること、地獄の衆の苦毒の十六の一に及ばず」(『正法念経』)
さらぬ別れに 避けられない死別。「さらぬ別れ」(避らぬ別れ)逃れられない別れ。死別。
辰の時 午前7時から9時の間
かの岸に心寄りにし海人舟の背きし方に漕ぎ帰るかな 彼岸の浄土に思いを寄せていた尼のわたしが、捨てた世(京)に漕ぎ帰ります。(新潮日本古典集成)/ 彼岸の浄土を願って尼になった身が、いったん捨て去った都へ帰ってゆくこと。(玉上)
いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ浮木に乗りてわれ帰るらむ いくたび去ってはまた来る秋をこの明石の浦に過ごした末、頼りない舟に乗ってなぜ私は帰るのでしょうか。(新潮日本古典集成)/ 幾年も幾年もこの浦に過ごしてきて、今さら、心細い船で都へ帰るとは、どうしたことだろう。(玉上)
御まうけのことせさせたまひけり 明石一行の到着を祝って、たとえば男衆に酒を振舞ったりする。/ 到着の祝宴の用意をさせる。
渡りたまはむことは、とかう思したばかるほどに (源氏が)おいでになることは、あれこれ口実をお考えになるうちに。「おぼしたばかる」心の中でごまかし方を考える。紫の上を納得させるような口実を考える。
身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く あらぬ世界のように思われるこの山荘に一人帰ってきて、昔聞いたことがあるような松風が吹いていることです。(新潮日本古典集成)「身を変えて」は、生を変えての意。/  以前と違った姿になって、ひとり帰ってきたこの山里に、明石の浦で聞いたのとそっくりの松風が吹くこと。(玉上)
故里に見し世の友を恋ひわびてさへづることを誰れか分くらむ この昔の山荘で、昔の世の知り人を恋しく思うあまりに、弾く田舎びた琴の音を、誰がそれと聞き分けるでしょうか。(新潮日本古典集成)/ 故郷で親しんだ人々を慕って、調子はずれにひく琴の音を、誰が聞き分けてくれるでしょうか。(玉上)
比べ苦しき御心 付き合いづらい御心。「比べ苦し」①比較しにくい。比べにくい。 ②調子を合わせづらい。つきあいづらい。対処しづらい。 出典源氏物語 松風 「例のくらべぐるしき御心」 [訳] いつものようにつきあいづらいお心であるよ。
御心とりたまふほどに 紫の上の機嫌をとっている間に。
御前疎きは混ぜで ご前駆の者たちも親しくない者は加えないで。
狩の御衣にやつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしを 狩衣をお召しになった質素なお姿でさえ、世にまたとなくお美しいと思われたのに。明石の上の心。
なほ時世によれば やはり権勢におもねるから人々がそう見るのだった。
かくこそは、すぐれたる人の山口はしるかりけれ 美しい人の徴候は今から分かるものだ。「山口」物事の初め。兆し。
罪軽く生ほし立てたまへる、人のゆゑは、御行なひのほどあはれにこそ、思ひなしきこゆれ 美しくお育て下さった姫君のことを思いますと、長年のお勤めのほどしみじみとありがたくお思い申し上げます。「罪軽く」は、前世の罪の軽いこと、果報によってこの世に美しく生まれ育つ意。尼君の勤行のゆえに、前世の罪が軽くなったという。
荒磯蔭に、心苦しう思ひきこえさせはべりし二葉の松も 明石のような辺鄙な田舎の海辺にお育ちになって、おいたわしくお思い申し上げた幼い姫君も。「荒磯陰」「二葉の松」いずれも和歌的修辞。互いに縁語。
浅き根ざしゆゑや 母の素性の卑しさゆえ、どうでありましょうかと。
よしなからねば 風情がなくはないので。
かことがましう聞こゆ 手入れのすんだ遣り水の音も、昔恋しさを訴えるように聞こえる。底さらえたり、草を払ったり、石を立て直したで、流れの音もよくなったという趣き。 / いいがかりをつける。かかりあいをつける。
住み馴れし人は帰りてたどれども清水は宿の主人顔なる 昔ここに住みなれた私は、かえって昔のことを思い出しかねていますが、湧き出るきれいな水はこの家の主のように昔ながらの音を立てております。(新潮日本古典集成)/昔ここに住みなれた私は帰ってきてかえってまごついていますけれども、遣り水は宿の主人のような顔をしています。(玉上)
いさらゐははやくのことも忘れじをもとの主人や面変はりせる ささやかな泉は昔のことを忘れないであろうが、影に映る昔の主人が尼になって面変わりしているからだろうか、知らぬ顔でいることよ。(新潮日本古典集成)「いさらゐ」小さな井(湧き水)。「はやく」いさらゐの縁語、むかし。/ 遣り水は昔のことを忘れはすまいが、元の主は尼になってしまった。(玉上)
普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏の三昧 毎月十四に普賢講、十五日に阿弥陀の念仏三昧、晦日に釈迦の念仏三昧を修する。
契りしに変はらぬ琴の調べにて絶えぬ心のほどは知りきや 約束したとおりに今も変わらぬ琴の調べで、あなたを思い続けた私の心のほどは分かったでしょうか。(新潮日本古典集)/ 約束したように琴の音が変わらないうちに、会ったのだが、私の変わらない心はわかっていたかね。(玉上)
変はらじと契りしことを頼みにて松の響きに音を添へしかな 心変わりはせぬとお約束なさったことを力として、松風の音に音を添えて泣いていました。(新潮日本古典集成)/ 変わらないとお約束してくださったお言葉を頼みとして、松風に私の泣き声を加えておりました。 (玉上)
似げなからぬこそは、身にあまりたるありさまなめれ 源氏に不釣合いでないのは、身に余る仕合せというものであろう。
こよなうねびまさりにける容貌、けはひ、え思ほし捨つまじう すっかり女盛りに美しくなった器量、気配に、見捨てておかれそうもなく。
後のおぼえも罪免れなむかし 将来、人に後ろ指をさされることもあるまい。「おぼえ」人の思惑。「罪まぬかる」難がないというほどの意味。
よそほしく おごそかに。重々しく。
頭中将、兵衛督ひょうえのかみ乗せたまふ 迎えのなかのおもだった人々。ここだけ見える人物。
大御遊おおみあそ 管弦の遊び。
月のすむ川のをちなる里なれば桂の影はのどけかるらむ そちらは月の澄む川向こうの山里ゆえ、月の光はさぞのどかなことあろう。(新潮日本古典集成)/ 桂川の向こうの里だから、月はいつもそちらにいて、山の端に入ることなくゆっくり眺めることができよう。(玉上)/「月のすむ川」とは桂川のこと。月の中に桂の大樹があるという中国の伝説のもとずく。
取りあへたるに従ひて参らせたり ありあわせたものをそのまま差し上げた。
久方の光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山里 ここ桂は月の光に近いというのは名ばかりで、朝霧夕霧の晴れ間もない山里でございます。(新潮日本古典集成)/ 桂の里といえば月に近いようですが、それは名ばかりで、朝夕、霧も晴れない山里です。(玉上)
中に生ひたる 「久かたの中に生ひたる里なれば光りをのみぞ頼むべらなる」(古今巻十八雑下、桂にはべりけるときに七条の中宮とはせたまへりける御返りことにたてまつりける 伊勢)
所からか 「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵は所からかも」(新古今 巻十六雑上)明石で源氏はこの歌を口ずさんだ。都で眺める月はまた格別という感慨を源氏は躬恒の歌に託して今語るのである。
めぐり来て手に取るばかりさやけきや淡路の島のあはと見し月 月もめぐり、自分も都に帰ってきて、手に取るほどにくっきり見える、淡路の島を望んで遥かに遠き見たのと同じ月なのであろうか。(新潮日本古典集成)/ 都に戻ってきて、手に取るばかりさやかにみえる月が、淡路島で遠く眺めた月であろうか。(玉上)
浮雲にしばしまがひし月影のすみはつる夜ぞのどけかるべき 浮雲にしばらく姿を隠した月の光が美しく澄み切った今宵は、いつまでものどかなことでしょう。須磨・明石に流寓したが、都に帰って末永く政権の座にあるであろう源氏をたたえた歌。(新潮日本古典集成)/ 浮雲にしばらく見分けにくくなっていた月が、今は澄み切っているように、今後は平和なことでしょう。(玉上)
雲の上のすみかを捨てて夜半の月いづれの谷にかげ隠しけむ 亡き桐壷院は崩御あそばしてどこにお姿をお隠しになったのであろう。「雲の上のすみか」宮中のこと。(新潮日本古典集成)/ 雲の上のすみかを捨ててまだ先の長いはずの月は、どの谷にその光を隠してしまったのでしょうか。(玉上)
気近ううち静まりたる御物語、すこしうち乱れて 親しい人々だけ相手の内輪のしみじみとしたお話が、少し砕けてきて。
千年も見聞かまほしき御ありさまなれば 千年も見聞きしていたい源氏のお姿なので。/div>
斧の柄も朽ちぬべけれど いつまでもここで過ごしてしまいそうだが。紫の上が「斧の柄さへあらためたまわむほどや、待ち遠に」と言ったのに応ずる筆致。
物ども品々にかづけて 禄の物を身分に応じて賜って。禄の衣装をめいめい肩にかけて庭に立っている。/ 「しなじな」身分に応じて。参議以上は女の装束、その下は袿というふうに。左肩に「かづけて」お与えになる。そのまま退出する。
物の節どもなどさぶらふに 歌をうたうのが上手な人を「物の節」という。とくに東遊びの歌の上手が近衛にいた。
御達ごたちなど、憎みきこゆ 紫の上のおもだった女房たちは憎らしいとお思い申し上げる。
今はつきなきほどになりにけり 今は、不似合いな年輩になってしまいました。「つきなし」不似合い。不相応。
かかるものの散らむも こうした手紙が人目に触れたりするのも。「散る」手紙の始末が悪くて人目にふれること。
せめて、見隠したまふ御目尻こそ、わづらはしけれ わざと見てみぬふりをする御まなじりが、気になります。「みかくす」見てみぬふりをする。
蛭の子が齢 三歳。
ものめかさむほども憚り多かるに 姫君を(私の子として)一人前に扱うのも、いろいろ世間体があるので。生母明石の上の出が低いの、こう言う。/そうかといって姫君扱いもできかねるので。/ 「ものめかす」目立つようにする。
いはけなげなる下つ方も、紛らはさむなど思ふを 幼げな腰のあたりも、とりつくろってやりたいと思うのですが。幼い感じの腰つきもなんとかしてやりたいと思うのですが。男女三歳で袴をつける袴着のこと。
めざましと思さずは いやだとお思いでなかったら。失礼だとお思いなかったら。「まざましい」②目の覚めるような思いがするほど、心外である。気に入らない。憎い。
思はずにのみとりなしたまふ御心の隔てを、せめて見知らず、うらなくやはとてこそ (私が嫉妬しているなどと)いつも心外なふうにばかり邪険なさる冷たいお気持ちを、こちらも無理にも気づかぬふりをして、素直に振舞うこともないと思いまして(すねてもおみせするのです)。(新潮日本古典集成)/ 思いもかけない考え方ばかりなさるのは分け隔てなさるから、それを無理に気づかないふりをして、うちとける必要(こと)もないと思っていましたのです。(玉上)
いはけなからむ御心には、いとようかなひぬべくなむ 小さい方にはきっと気に入られるでしょう。つまり私はほんの子どもだという。
年のわたりには、立ちまさりぬべかめるを 年に一度の七夕の逢瀬よりはましであるが。
及びなきことと思へども、なほいかがもの思はしからぬ (明石の君は)これ以上は望めぬことと思うものの、やはりどうしても物思わしくないことがあろうか。

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公開日2018年10月24日