源氏物語 19 薄雲 うすぐも

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原文 現代文
19.1 明石、姫君の養女問題に苦慮する
冬になりゆくままに、川づらの住まひ、いとど心細さまさりて、うはの空なる心地のみしつつ明かし暮らすを、君も、
「なほ、かくては、え過ぐさじ。かの、近き所に思ひ立ちね」
と、すすめたまへど、「つらき所多く心見果てむも、残りなき心地すべきを、いかに言ひてか」などいふやうに思ひ乱れたり。
「さらば、この若君を。かくてのみは、便なきことなり。思ふ心あれば、かたじけなし。対に聞き置きて、常にゆかしがるを、しばし見ならはさせて、袴着の事なども、人知れぬさまならずしなさむとなむ思ふ」
と、まめやかに語らひたまふ。「さ思すらむ」と思ひわたることなれば、いとど胸つぶれぬ。
「改めてやむごとなき方にもてなされたまふとも、人の漏り聞かむことは、なかなかにや、つくろひがたく思されむ」
とて、放ちがたく思ひたる、ことわりにはあれど、
うしろやすからぬ方にやなどは、な疑ひたまひそ。かしこには、年経ぬれど、かかる人もなきが、さうざうしくおぼゆるままに、前斎宮のおとなびものしたまふをだにこそ、あながちに扱ひきこゆめれば、まして、かく憎みがたげなめるほどを、おろかには見放つまじき心ばへに」
など、女君の御ありさまの思ふやうなることも語りたまふ。
げに、いにしへは、いかばかりのことに定まりたまふべきにかと、つてにもほの聞こえし御心の、名残なく静まりたまへるは、おぼろけの御宿世にもあらず、人の御ありさまも、ここらの御なかにすぐれたまへるにこそは」と思ひやられて、「数ならぬ人の並びきこゆべきおぼえにもあらぬを、 さすがに、立ち出でて、人もめざましと思すことやあらむ。わが身は、とてもかくても同じこと。生ひ先遠き人の御うへも、つひには、かの御心にかかるべきにこそあめれ。さりとならば、げにかう何心なきほどにや譲りきこえまし」と思ふ。
また、「手を放ちて、うしろめたからむこと。つれづれも慰む方なくては、いかが明かし暮らすべからむ。何につけてか、たまさかの御立ち寄りもあらむ」など、さまざまに思ひ乱るるに、身の憂きこと、限りなし。
冬になるにつれて、川沿いの住まいは、ひどく心細くなり、実に頼りない気持ちで日々を暮らしていたのだが、君も、
「こんな所では、暮らせないでしょう。近いところへいらっしゃい」
とすすめたが、「つれないお気持ちをたくさん見てしまえば、無残な心地になって、なんと言って嘆くのか」と思い乱れた。
「しかしこの姫君を。こんな所では不都合であろう。思う処があり、恐れ多くもある。紫の上にも言ってある。いつも会いたがっているので、しばらく馴れてから、袴着のことも、立派にしてあげたい」
と、とまじめに相談する。「そういうお積もりであろう」と思っていたので、どきりとした。
「今さら高貴な方に育てられても、世間では、自分が生母と知っているので、どうやってもとりつくろうのは難しいでしょう」
とて、手放しがたく思うのももっともであるので、
「後の扱いが心配だ、などと疑いなさるな。あちらには年を経てもこういう子が生まれず、物足りなく思っておられるし、前斎宮がすっかり大人になられていたのを、しいてお世話しました位ですから、ましてこのように可愛らしいお子をを、おろそかにほって置けない性分ですから」
など女君の気立てが申し分ないことをお話になった。
「ほんとうに、昔は、どのかたに落ち着くのか、明石にも噂がちらほら聞こえてきた浮気心が、すっかり静まったのは、この女君とは並の宿縁ではないだろうし、お人柄もそこらの女御のなかではことに秀でているのでは」と思われて、「わたしなど物の数ではない者が肩を並べるべくもあらぬを、さすがに目だってしまっては、女君の目障りになるだろう。自分はどうなっても所詮は低い身分のまま。生い先長い姫君は、あちらの女君の意向に左右されるだろう。そうなら、まだ幼いうちに譲ってしまおう」と明石上は思うのだった。
また、「手放して、その後が心配。無聊を慰める幼子がいなければ、どうやって日々を暮らしていったらいいのだろう。何につけて君がお立ち寄りになるのだろうか」など様々に思い乱れ、もの思いに耽った。
2018.10.27/ 2021.9.1/ 2023.3.22◎
19.2 尼君、姫君を養女に出すことを勧める
尼君、思ひやり深き人にて、
あぢきなし。見たてまつらざらむことは、いと胸いたかりぬべけれど、つひにこの御ためによかるべからむことをこそ思はめ。浅く思してのたまふことにはあらじ。ただうち頼みきこえて、渡したてまつりたまひてよ。母方からこそ、帝の御子も際々におはすめれ。この大臣の君の、世に二つなき御ありさまながら、世に仕へたまふは、故大納言の、今ひときざみなり劣りたまひて、更衣腹と言はれたまひし、けぢめにこそはおはすめれ。まして、ただ人はなずらふべきことにもあらず。また、親王たち、大臣の御腹といへど、なほさし向かひたる劣りの所には、人も思ひ落とし、親の御もてなしも、え等しからぬものなり。まして、これは、やむごとなき御方々にかかる人、出でものしたまはば、こよなく消たれたまひなむ。ほどほどにつけて、親にもひとふしもてかしづかれぬる人こそ、やがて落としめられぬはじめとはなれ。御袴着のほども、いみじき心を尽くすとも、かかる深山隠れにては、何の栄かあらむ。ただ任せきこえたまひて、もてなしきこえたまはむありさまをも、聞きたまへ」
と教ふ。
さかしき人の心のうらどもにも、もの問はせなどするにも、なほ「渡りたまひてはまさるべし」とのみ言へば、思ひ弱りにたり。
殿も、しか思しながら、思はむところのいとほしさに、しひてもえのたまはで、
「御袴着のことは、いかやうにか」
とのたまへる御返りに、
「よろづのこと、かひなき身にたぐへきこえては、げに生ひ先もいとほしかるべくおぼえはべるを、たち交じりても、いかに人笑へにや」
と聞こえたるを、いとどあはれに思す。
日など取らせたまひて、忍びやかに、さるべきことなどのたまひおきてさせたまふ。放ちきこえむことは、なほいとあはれにおぼゆれど、「君の御ためによかるべきことをこそは」と念ず。
乳母めのとをもひき別れなむこと。明け暮れのもの思はしさ、つれづれをもうち語らひて、慰めならひつるに、いとどたつきなきことさへ取り添へ、いみじくおぼゆべきこと」と、君も泣く。
乳母も、
さるべきにや、おぼえぬさまにて、見たてまつりそめて、年ごろの御心ばへの、忘れがたう恋しうおぼえたまふべきを、うち絶えきこゆることはよもはべらじ。つひにはと頼みながら、しばしにても、よそよそに、思ひのほかの交じらひしはべらむが、安からずもはべるべきかな」
など、うち泣きつつ過ぐすほどに、師走にもなりぬ。
尼君は思慮深い方で、
「くよくよしても無駄です。子どもに会えないのは辛いだろうが、最後はこの子のためになることを思いなさい。浅い考えで申しているのではありません。ただ源氏の君を頼みとして、お渡ししなさい。母方の家柄次第で、帝の御子にも身分に差ができるのです。源氏の君が、世に二人といないすばらしい方ですが、臣下であるのは、母方の故大納言がもうひとつ身分が劣り、更衣腹と言われたことによるのです。まして臣下の場合は、比較にもなりません。また、親王や大臣の娘腹といっても、その時勢の勢力が劣っている時は、人も軽く見て、親の育て方も同じようにできないものです。ましてこの姫は、貴い身分の夫人に姫が生まれたら、すぐに無視されてしまうでしょう。身分相応に、親に大事に育てられた姫君は、将来も軽くは見られないものです。御袴着のことも、こちらでいくら心を尽くしてやってみても、こんな深山に隠れたところでは、何の誉れがあるものでしょうか。一切を殿に任せて、姫をどのように遇するかその様子をお聞きになるのがよいのです」
と諭した。
賢い人に相談しても、陰陽師などに占ってみても、やはり「お移りになった方がよいでしょう」とばかり言うので、すっかり弱気になった。
源氏の君も、そう思っていたが、明石の君がひどくかわいそうで、あえて言わず、
「袴着はどのようになさるのか」
との仰せになるご返事に、
「何事につけ、ふがいないこの身のそばに置いても、この先が可哀想に思われ、また女御たちの仲間入りしても、物笑いになるでしょう」
と言うのを、君は不憫に思った。
日取りなどを占わせてきめ、ひそかにご指示されて移転の準備をさせた。手放してしまうことは、ひどく辛かったが、「姫君のために良いことならば」と願うのだった。
「乳母とも別れなければならない。何につけ日頃もの憂いときや所在ないときの語らいで慰めを得て、乳母まで行かれる頼りなさが加わって、どんなに辛いことだろう」と君も泣くのだった。
乳母も、
「前世のご縁でしょうか。思いもよらずお仕えすることになり、年ごろのお気持ちがが忘れられず恋しく覚えるでしょが、縁が切れることは決してありますまい。いつかまだご一緒できると願いながら、しばらく思いもかけずお別れしてお仕えすることが、気に染まないことでしょう」
などと泣いて過ごすうちに、師走になった。
2018.10.28/ 2021.9.1/ 2023.3.22◎
19.3 明石と乳母、和歌を唱和
雪、霰がちに、心細さまさりて、「あやしくさまざまに、もの思ふべかりける身かな」と、うち嘆きて、常よりもこの君を撫でつくろひつつ見ゐたり。
雪かきくらし降りつもる朝、来し方行く末のこと、残らず思ひつづけて、例はことに端近なる出で居などもせぬを、汀の氷など見やりて、白き衣どものなよよかなるあまた着て、眺めゐたる様体、頭つき、うしろでなど、「限りなき人と聞こゆとも、かうこそはおはすらめ」と人びとも見る。落つる涙をかき払ひて、
「かやうならむ日、ましていかにおぼつかなからむ」と、らうたげにうち嘆きて、
雪深み深山の道は晴れずとも
なほ文かよへ跡絶えずして

とのたまへば、乳母、うち泣きて、
雪間なき吉野の山を訪ねても
心のかよふ跡絶えめやは

と言ひ慰む。
明石の君は、雪や霰が降って、心細さがつのり、「どうしてこうも様々に物思いするのだろう」と、嘆いて、いつもより姫君が愛おしかった。
雪が空を暗くして降りしきる朝、来し方行く末をいろいろ思って、いつもは部屋の端に出ないのに、水際の氷などを見やって、白い衣の柔らかいのをたくさん着込んで、眺めている姿は、頭つきや後ろ姿など、「この上もない高貴なお方も、こんな風だろう」と女房たちも見ていた。落ちる涙を払って、
「このような日は、どんなにか気がかりになるだろう」といたいたしく嘆いて、
(明石上)「深山の雪は深くても
文が通う道は開けておいてください」
と詠えば、乳母は泣いて、
(乳母)「雪の絶えない吉野の山でも
心を通わす跡が絶えることはないでしょう」
と詠って慰めた。
2018.10.28/ 2021.9.1
19.4 明石の母子の雪の別れ
この雪すこし解けて渡りたまへり。例は待ちきこゆるに、さならむとおぼゆることにより、胸うちつぶれて、人やりならず、おぼゆ。
† 「わが心にこそあらめ。いなびきこえむをしひてやは、あぢきな」とおぼゆれど、「軽々しきやうなり」と、せめて思ひ返す。
いとうつくしげにて、前にゐたまへるを見たまふに、
おろかには思ひがたかりける人の宿世かな
と思ほす。この春より生ふす御髪、尼削ぎのほどにて、ゆらゆらとめでたく、つらつき、まみのかおれるほどなど、言へばさらなり。よそのものに思ひやらむほどの心の闇、推し量りたまふに、いと心苦しければ、うち返しのたまひ明かす。
何か。かく口惜しき身のほどならずだにもてなしたまはば
と聞こゆるものから、念じあへずうち泣くけはひ、あはれなり。
姫君は、何心もなく、御車に乗らむことを急ぎたまふ。寄せたる所に、母君みづから抱きて出でたまへり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて、「乗りたまへ」と引くも、いみじうおぼえて、
末遠き二葉の松に引き別れ
いつか木高きかげを見るべき

えも言ひやらず、いみじう泣けば、
「さりや。あな苦し」と思して、
生ひそめし根も深ければ武隈の
松に小松の千代をならべむ

のどかにを」
と、慰めたまふ。さることとは思ひ静むれど、えなむ堪へざりける。乳母の少将とて、あてやかなる人ばかり、御佩刀はかし天児あまがつやうの物取りて乗る。人だまひによろしき若人、童女など乗せて、御送りに参らす。
道すがら、とまりつる人の心苦しさを、「いかに。罪や得らむ」と思す。
雪が少し融ける頃、君はお越しになった。いつもは待ちかねているのに、姫を連れに来たのだと思うと、胸がつぶれて、苦しかった。
「自分次第だ。渡すのを拒めば無理はしないだろうが、つまらないことをした」と思うだろうし、「今更お断りしたら、軽率だ」と思い直した。
姫君がとてもかわいい様子で、前にいるのを見ると、
「明石の上との縁は前世から深いのだ」
と君は思う。この春からのばしはじめた姫の髪は、尼そぎの程度にのびて、ゆらゆらとみごとで、顔つきや目の輝きなどすばらしい。娘を他人に渡すという苦しい心の闇を推し量るに、明石の君が気の毒になり、夜を徹してお話される。
「いいえ、わたしのような賎しい身分としてではなく育てて下されば」
と言うのだが、こらえきれずに泣くさまは、あわれであった。
姫君は、無邪気に、車に乗ろうと急ぐのだった。車を寄せた所に、母君が自ら抱いて出てきた。片言の声がかわいらしく、袖をつかんで「乗りましょう」と引くのも、悲しく、
(明石上)「生い先長い幼子に今別れて
大きく育った姿をいつ見れるでしょうか」
最後まで言えずに、激しく泣けば、
「そうだね。つらいね」と思って、
(源氏)「生まれた縁も深いので母の松に
幼子の小松もそろって末長く暮すでしょう、
ご安心を」
と慰めた。明石上はきっとそうなると思うが、堪えがたかった。乳母の少将など、上品な方々が御佩刀はかし天児あまがつと一緒に乗り込む。お供の車には美しい若人や童女などを乗せて、見送った。
道すがら、残った人の苦悩を思い、源氏は「悪いことをした」と思う。
2018.10.30/ 2021.9.1/ 2023.3.26◎
19.5 姫君、二条院へ到着
暗うおはし着きて、御車寄するより、はなやかにけはひことなるを、田舎びたる心地どもは、「はしたなくてや交じらはむ」と思ひつれど、西表をことにしつらはせたまひて、小さき御調度ども、うつくしげに調へさせたまへり。乳母の局には、西の渡殿の、北に当れるをせさせたまへり。
若君は、道にて寝たまひにけり。抱き下ろされて、泣きなどはしたまはず。こなたにて御くだもの参りなどしたまへど、やうやう見めぐらして、母君の見えぬをもとめて、らうたげにうちひそみたまへば、乳母召し出でて、慰め紛らはしきこえたまふ。
「山里のつれづれ、ましていかに」と思しやるはいとほしけれど、明け暮れ思すさまにかしづきつつ、見たまふは、ものあひたる心地したまふらむ
いかにぞや、人の思ふべき瑕なきことは、このわたりに出でおはせで
と、口惜しく思さる。
しばしは、人びともとめて泣きなどしたまひしかど、おほかた心やすくをかしき心ざまなれば、上にいとよくつき睦びきこえたまへれば、「いみじううつくしきもの得たり」と思しけり。こと事なく抱き扱ひ、もてあそびきこえたまひて、乳母も、おのづから近う仕うまつり馴れにけり。また、やむごとなき人の乳ある、添へて参りたまふ。
御袴着は、何ばかりわざと思しいそぐことはなけれど、けしきことなり。御しつらひ、雛遊びの心地してをかしう見ゆ。参りたまへる客人ども、ただ明け暮れのけぢめしなければ、あながちに目も立たざりき。ただ、姫君の襷引き結ひたまへる胸つきぞ、うつくしげさ添ひて見えたまひつる。
暗くなってからお着きになり、車寄せから邸の華やかな様子が感じられて、田舎びた女房たちには、「居心地の悪いお勤めになるのか」と思ったが、西面に別に造作させて、小さい調度類なども美しくそろえていた。乳母の局として、西の渡り殿の北の当たる処に新たに設けていた。
姫君は道中寝てしまった。抱き下ろされても、泣かなかった。こちらへ菓子類が持ってこられたが、ようやく見めぐらして、母君が居ないのに気づいて、可愛らしくべそをかいたが、乳母が呼ばれて、あやして気を紛らわした。
「山里の所在ない日々をどうしていられるか」とかわいそうに君は思いやるが、朝晩、思いのままに世話をして見られるのは、至極満足な気持ちだろう。
「世人が非難する余地のない欠点のない子が、こちらに生まれないのは」
と口惜しく思うのだった。
しばらくは、だれかれと捜して泣いていたが、元来が素直でかわいらしい性格なので、紫の上によくなついたので、「ほんとうに可愛らしい子がさずかった」と思うのだった。他のことはそっちのけで、抱いたり可愛がったりするので、乳母も自然と近くに仕えることに慣れた。また、高貴で乳の出る方をそばにつけた。
御袴着は、何か特別に準備するということもなかったが、やはりすばらしかった。飾りつけは、雛遊びを思わせて見事だった。参列した客人たちもたくさん来ていたが、日頃から多いので、特に目立つこともなかった。ただ姫君の襷を前で結ぶ胸の様子が、ことさら可愛らしく見えた。
2018.10.31/ 2021.9.1/ 2023.3.26◎
19.6 歳末の大堰の明石
大堰には、尽きせず恋しきにも、身のおこたりを嘆き添へたり。さこそ言ひしか、尼君もいとど涙もろなれど、かくもてかしづかれたまふを聞くはうれしかりけり。何ごとをか、なかなか訪らひきこえたまはむ、ただ御方の人びとに、乳母よりはじめて、世になき色あひを思ひいそぎてぞ、贈りきこえたまひける。
待ち遠ならむも、いとどさればよ」と思はむに、いとほしければ、年の内に忍びて渡りたまへり。
いとどさびしき住まひに、明け暮れのかしづきぐさをさへ離れきこえて、思ふらむことの心苦しければ、御文なども絶え間なく遣はす。
女君も、今はことに怨じきこえたまはず、うつくしき人に罪ゆるしきこえたまへり。
大井では、姫君をたいへん恋しがり、自分が手放したことを悔いて嘆くのだった。あのように言ったが、尼君も涙もろくなってしまうが、こうして大切にされているのを聞くとうれしかった。こちらから何ができるだろ、ただお付の人々に、乳母をはじめとして、世にも珍しい色合いの衣を用意して、贈った。
「待ち遠しい思いがするのは、やっぱり」と思われると、かわいそうなので、源氏は年の内に訪れた。
さびしい住まいで、明け暮れ大事にしていた姫を手放した、と嘆いていると思うとお気の毒なので、文を絶えず遣わした。
紫の上も、今は恨みごとを言うこともなく、美しい姫君に免じて大目に見ていた。
2018.11.1/ 2021.9.1/ 2023.3.26◎
19.7 東の院の花散里
年も返りぬ。うららかなる空に、思ふことなき御ありさまは、いとどめでたく、磨き改めたる御よそひに、参り集ひたまふめる人の、おとなしきほどのは、七日、御よろこびなどしたまふ、ひき連れたまへり。
若やかなるは、何ともなく心地よげに見えたまふ。次々の人も、心のうちには思ふこともやあらむ、うはべは誇りかに見ゆる、ころほひなりかし。
東の院の対の御方も、ありさまは好ましう、あらまほしきさまに、さぶらふ人びと、童女の姿など、うちとけず、心づかひしつつ過ぐしたまふに、近きしるしはこよなくて、のどかなる御暇の隙などには、ふとはひ渡りなどしたまへど、夜たち泊りなどやうに、わざとは見えたまはず。
ただ御心ざまのおいらかにこめきて、「かばかりの宿世なりける身にこそあらめ」と思ひなしつつ、ありがたきまでうしろやすくのどかにものしたまへば、をりふしの御心おきてなども、こなたの御ありさまに劣るけぢめこよなからずもてなしたまひて、あなづりきこゆべうはあらねば、同じごと、人参り仕うまつりて、別当どもも事おこたらず、なかなか乱れたるところなく、目やすき御ありさまなり。
年も改まった。うららかな空に、何一つ心配することがない有様は、たいへんめでたく、調度類も磨き清められ、年賀に来る人々の、年輩の方々は、七日、お礼の言上のため途切れることがなかった。
若い人々は、何ということもなく、心地よげに見えた。下位の人々も、内々は心配なこともあろうが、うわべは陽気そうに見える時節であった。
東の院の対の花散里も、暮らしぶりは好ましく、申し分のない様子で、お仕えする人々や童女の姿など、きちんとして、気を配りながら過ごしていてるが、近いことの利点はよく、源氏はのんびりした暇な折には、ふとお越しになるが、夜の泊まりで、わざわざ立ち寄ることはない。
ただ花散里のご性格がおおらかで素直で、「この程度の宿世の定めの身だから」と思って、めったにないほど気安くのんびりしているので、源氏からのその時々の心付けなども、紫の上に劣らず差をつけないもてなしで、軽んじられることがないので、花散里の処にも同じように人が集まってお仕えし、別当たちも怠らず仕事にはげむので、万事がきちんとして、結構な様子であった。
2018.11.3/ 2021.9.2/2023.3.26◎
19.8 源氏、大堰山荘訪問を思いつく
山里のつれづれをも絶えず思しやれば、公私もの騒がしきほど過ぐして、渡りたまふとて、常よりことにうち化粧じたまひて、桜の御直衣に、えならぬ御衣ひき重ねて、たきしめ、装束きたまひて、まかり申したまふさま、隈なき夕日に、いとどしくきよらに見えたまふ。女君、ただならず見たてまつり送りたまふ。
姫君は、いはけなく御指貫の裾にかかりて、慕ひきこえたまふほどに、外にも出でたまひぬべければ、立ちとまりて、いとあはれと思したり。こしらへおきて、「明日帰り来む」と、口ずさびて出でたまふに、渡殿の戸口に待ちかけて、中将の君して聞こえたまへり
舟とむる遠方人おちかたびとのなくはこそ
明日帰り来む夫と待ち見め

いたう馴れて聞こゆれば、いとにほひやかにほほ笑みて、
行きて見て明日もさね来むなかなかに
遠方人は心置くとも

何事とも聞き分かでされありきたまふ人を、上はうつくしと見たまへば、遠方人のめざましきも、こよなく思しゆるされにたり。
「いかに思ひおこすらむ。われにて、いみじう恋しかりぬべきさまを」
と、うちまもりつつ、ふところに入れて、うつくしげなる御乳をくくめたまひつつ、戯れゐたまへる御さま、見どころ多かり。御前なる人びとは
などか、同じくは」
「いでや

など、語らひあへり。
山里の明石の君のつれづれを慰めることも忘れず、公私ともに忙しい時に、源氏がお出かけになると言って、常よりも身なりを整えて、桜の直衣に、すばらしい衣を重ねて、香をたきしめた装束で、紫上に暇乞いをするさまは、夕日が一杯に差し込んで、実に美しく見えた。女君は安からぬ気持ちでお見送りする。
姫君は、あどけなく指貫のすそにまとわりついて、慕っていたが、御簾の外に出てきそうで、源氏は立ち止まって、とてもいとおしく思った。なだめて、「明日帰ってくるから」とふと神楽の一節がでて、姫君は渡戸の戸口で待っていて、紫の上は中将の君を通して申し上げた。
(紫の上)「あちらにお引き止めする方がおられないなら
明日帰ってくる夫をお待ちしましょう」
打ち解けて申し上げると、にっこり微笑んで、
(源氏)「行って泊まって明日にも帰って来ましょう
たとえあちらの方の機嫌を損ねても」
やりとりを分からず無心にじゃれあっている姫君を、可愛らしいと思い、あちらの方が機嫌を損ねても、すっかり許していた。
「あちらはどんなに思っているだろう。わたしも手放せば恋しいだろう」
と姫君を見守りながら、ふところに入れてかわいらしいお乳を戯れにふくませる様子は、実に美しかった。お側に仕える女房たちは、
「どうしてこちらの子で生まれなかったのか」
「ほんとにね」
などと語り合った。
2019.1.6/ 2021.9.2 ◎
19.9 源氏、大堰山荘から嵯峨野の御堂、桂院に回る
かしこには、いとのどやかに、心ばせあるけはひに住みなして、家のありさまも、やう離れめづらしきに、みづからのけはひなどは、見るたびごとに、やむごとなき人びとなどに劣るけぢめこよなからず、容貌、用意あらまほしうねびまさりゆく。
ただ、世の常のおぼえにかき紛れたらば、さるたぐひなくやはと思ふべきを、世に似ぬひがものなる親の聞こえなどこそ、苦しけれ。人のほどなどは、さてもあるべきを」など思す。
はつかに、飽かぬほどにのみあればにや、心のどかならず立ち帰りたまふも苦しくて、「夢のわたりの浮橋か」とのみ、うち嘆かれて、箏の琴のあるを引き寄せて、かの明石にて、小夜更けたりし音も、例の思し出でらるれば、琵琶をわりなく責めたまへば、すこし掻き合はせたる、「いかで、かうのみひき具しけむ」と思さる。若君の御ことなど、こまやかに語りたまひつつおはす。
ここは、かかる所なれど、かやうに立ち泊りたまふ折々あれば、はかなき果物、強飯ばかりはきこしめす時もあり。近き御寺、桂殿などにおはしまし紛らはしつつ、いとまほには乱れたまはねど、また、いとけざやかにはしたなく、おしなべてのさまにはもてなしたまはぬなどこそは、いとおぼえことには見ゆめれ
女も、かかる御心のほどを見知りきこえて、過ぎたりと思すばかりのことはし出でず、また、いたく卑下せずなどして、御心おきてにもて違ふことなく、いとめやすくぞありける。
おぼろけにやむごとなき所にてだに、かばかりもうちとけたまふことなく、気高き御もてなしを聞き置きたれば、
「近きほどに交じらひては、なかなかいと目馴れて、人あなづられなることどももぞあらまし。たまさかにて、かやうにふりはへたまへるこそ、たけき心地すれ」
と思ふべし。
明石にも、さこそ言ひしか、この御心おきて、ありさまをゆかしがりて、おぼつかなからず、人は通はしつつ、胸つぶるることもあり、また、おもだたしく、うれしと思ふことも多くなむありける。
大井では、ゆったりと風雅がしのばれる暮らしぶりで、家の建て方も一風変わって趣があり、明石の君ご自身の気配は、見るたびに、高貴な人々に劣るところがなく、容姿や身だしなみも非の打ちどころがなくなっていった。
「ただ世間では、受領の娘が高貴な人の妻になるのはよくある、と軽く受け止めるだろうが、大変な変わり者の親だけは残念だ。娘の人柄は、十分なものだ」などと君は思った。
いつも、短い逢瀬で心を残して別れるからか、ゆっくりできずに立ち去るのが心苦しくて、「夢のわたりの浮橋」よろしく物思いが絶えないと嘆いて、箏の琴を引き寄せて、あの明石の夜更けの演奏を思い出し、琵琶を催促されて弾かせれば、すこし合わせて弾いたが、「どうしてこんなにうまく弾くのだろう」と思う。姫君のことなど、細やかに話すのだった。
ここはこのような田舎であるが、こうして泊まることもあって、菓子や強飯などを召し上がるときもあった。近くの御堂や桂殿に来るのを口実にしてお越しになり、夢中になっている風はみせないが、また、はっきりとは無作法な扱いもなく、並の女の扱いでなく、ご寵愛が深いように見えた。
明石の上も、このような源氏の心を見聞きしていて、出過ぎたことはせず、また自分を卑下することもなく、源氏のみ心に違わないように、まことに申し分のない態度であった。
源氏は高貴な女の所でも、これほど打ち解けることはなく、明石の君が気品ある所作をすることを聞き知っていたので、
「お側近くで他の女と同列になっては、すぐに目馴れて、見くびられることもあるだろう。時たまでもこのようにわざわざお越しになられる方が、ありがたい」
と明石上は思っているようだ。
明石の入道も、あんな強がりを言っていたが、源氏の御意向を知りたがって、事情が分かるように都に人を遣って、胸がつぶれることもあるが、晴れがましくうれしく思うことも多かった。
2019.1.8/ 2021.9.2/ 2023.3.26◎
19.10 太政大臣薨去と天変地異
そのころ、太政大臣おおきおとど亡せたまひぬ。世の重しとおはしつる人なれば、朝廷にも思し嘆く。しばし、籠もりたまひしほどをだに、天の下の騷ぎなりしかば、まして、悲しと思ふ人多かり。源氏の大臣も、いと口惜しく、よろづこと、おし譲りきこえてこそ、暇もありつるを、心細く、事しげくも思されて、嘆きおはす。
帝は、御年よりはこよなう大人大人しうねびさせたまひて、世の政事も、うしろめたく思ひきこえたまふべきにはあらねども、またとりたてて御後見したまふべき人もなきを、「誰れに譲りてかは、静かなる御本意もかなはむ」と思すに、いと飽かず口惜し。
後の御わざなどにも、御子ども孫に過ぎてなむ、こまやかに弔らひ、扱ひたまひける。
その年、おほかた世の中騒がしくて、朝廷おおやけざまに、もののさとししげく、のどかならで、
「天つ空にも、例に違へる月日星の光見え、雲のたたずまひあり」
とのみ、世の人おどろくこと多くて、道々の勘文かんがえぶみどもたてまつれるにも、あやしく世になべてならぬことども混じりたり。内の大臣のみなむ、御心のうちに、わづらはしく思し知らるることありける
その頃、太政大臣が亡くなった。世の重鎮であってみれば、帝もお嘆きになる。一時隠居していたときも、国中の心配事であったから、まして、多くの人が悲しんだ。源氏も残念に思い、万のことどもを譲ってやってもらっていたので、自分の暇もできたのだが、心細く思い、忙しくなることを思い、嘆いた。
帝は、年よりは大人びて成長されていて、世の政事まつりごとも、頼りなくて不安なわけではなかったが、源氏以外にご後見する人もなかったので、「誰かに帝の補佐役を譲って静かに出家生活をすることも叶わないだろう」と思うと、実に残念な気持ちだった。
追善の法要の執り行いも、実の御子たちや孫たちよりも、細やかに丁重に弔うのであった。
その年、世の中全体に変事が起き、朝廷にも神仏のお告げが多くあって、落ち着かず、
「空にもいつもと違う月や太陽や星の光見え、怪しい雲が現れた」
とか、世の人が驚くことが多く、それぞれの道が奏上した勘文のなかにも、ただならぬ怪しいことどもが混じっていた。源氏だけが、心中ひそかに懸念することがあった。
2019.1.10/ 2021.9.2/ 2023.3.26◎
19.11 藤壺入道宮の病臥
入道きさいの宮、春のはじめより悩みわたらせたまひて、三月にはいと重くならせたまひぬれば、行幸などあり。院に別れたてまつらせたまひしほどは、いといはけなくて、もの深くも思されざりしを、いみじう思し嘆きたる御けしきなれば、宮もいと悲しく思し召さる
「今年は、かならず逃るまじき年と思ひたまへつれど、おどろおどろしき心地にもはべらざりつれば、命の限り知り顔にはべらむも、人やうたて、ことことしう思はむと憚りてなむ、功徳のことなども、わざと例よりも取り分きてしもはべらずなりにける。
参りて、心のどかに昔の御物語もなど思ひたまへながら、うつしざまなる折少なくはべりて、口惜しく、いぶせくて過ぎはべりぬること
と、いと弱げに聞こえたまふ。
三十七にぞおはしましける。されど、いと若く盛りにおはしますさまを、惜しく悲しと見たてまつらせたまふ。
慎ませたまふべき御年なるに、晴れ晴れしからで、月ごろ過ぎさせたまふことをだに、嘆きわたりはべりつるに、御慎みなどをも、常よりことにせさせたまはざりけること」
と、いみじう思し召したり。ただこのころぞ、おどろきて、よろづのことせさせたまふ。月ごろは、常の御悩みとのみうちたゆみたりつるを、源氏の大臣も深く思し入りたり。限りあれば、ほどなく帰らせたまふも、悲しきこと多かり。
宮、いと苦しうて、はかばかしうものも聞こえさせたまはず。御心のうちに思し続くるに、「高き宿世、世の栄えも並ぶ人なく、心のうちに飽かず思ふことも人にまさりける身」と思し知らる。主上の、夢のうちにも、かかる事の心を知らせたまはぬを、さすがに心苦しう見たてまつりたまひて、これのみぞ、うしろめたくむすぼほれたることに、思し置かるべき心地したまひける。
藤壺入道は、正月から病がちになり、三月にはひどく重くなってきたので、帝のお見舞いがあった。桐壺院と死別したときは、まだごく幼くて、さほど深い悲しみを感じなかったけれど、この度はひどく思い嘆いている様子で、藤壺もたいそう悲しく思った。
「今年は必ず死ぬだろうと思っていたが、それほど気持ちもひどくはならず、自分の寿命を知っている物知り顔をしたら、世間の人はさぞかし厭味に思うであろうことを気にして、功徳の仏事も特別に催すこともなかった。
参内して、のんびり昔話などをしたいと思うが、意識がはっきりするときが少なくて、残念ながらうっとうしい日々を過ごしています」
と弱弱しく仰せになる。
藤壷は三十七になっていた。しかし、まだ若く女盛りに見えるので、帝はもったいなく悲しく思う。
「ことさら気をつけなければならない年のなに、気分が晴れず、何ヶ月も過ごしていたとは、嘆かわしいことなのに、祈祷・潔斎などの慎みも特段にはしていなかったとは」
と悲しく思うのだった。この頃になって、驚いていろいろなことをさせた。月ごろはいつもの病気のことと油断していたのが、源氏もひどく心配された。帝はきまりがあるので、すぐお帰りになったのも、内規とはいえ悲しいことだった。
藤壺入道は、苦しくて、はっきり物も言えない。心のなかで思うのは、「高い宿世に恵まれ、世の栄達も並ぶものなかったが、それでも飽き足りないと思うこと人一倍つよいこの身であった」と思い知るのであった。帝が、このような事情を少しもご存知ないのを、さすがに藤壺入道は心苦しくお思いになって、このことばかりが気がかりで、この世に思いが残りそうな心地がしていた。
2019.1.12/ 2021.9.2/ 2023.3.26
19.12 藤壺入道宮の崩御
大臣は、朝廷方おおやけがたざまにても、かくやむごとなき人の限り、うち続き亡せたまひなむことを思し嘆く。人知れぬあはれ、はた、限りなくて、御祈りなど思し寄らぬことなし。年ごろ思し絶えたりつる筋さへ、今一度、聞こえずなりぬるが、いみじく思さるれば、近き御几帳みきちょうのもとに寄りて、御ありさまなども、さるべき人びとに問ひ聞きたまへば、親しき限りさぶらひて、こまかに聞こゆ。
「月ごろ悩ませたまへる御心地に、御行なひを時の間もたゆませたまはずせさせたまふ積もりの、いとどいたうくづほれさせたまふに、このころとなりては、柑子などをだに、触れさせたまはずなりにたれば、頼みどころなくならせたまひにたること」
と、泣き嘆く人びと多かり。
「院の御遺言にかなひて、内裏の御後見仕うまつりたまふこと、年ごろ思ひ知りはべること多かれど、何につけてかは、その心寄せことなるさまをも、漏らしきこえむとのみ、のどかに思ひはべりけるを、今なむあはれに口惜しく」
と、ほのかにのたまはするも、ほのぼの聞こゆるに、御応へも聞こえやりたまはず、泣きたまふさま、いといみじ。「などかうしも心弱きさまに」と、人目を思し返せど、いにしへよりの御ありさまをおほかたの世につけてもあたらしく惜しき人の御さまを、心にかなふわざならねば、かけとどめきこえむ方なく、いふかひなく思さるること限りなし。
「はかばかしからぬ身ながらも、昔より、御後見仕うまつるべきことを、心のいたる限り、おろかならず思ひたまふるに、太政大臣の隠れたまひぬるをだに、世の中、心あわたたしく思ひたまへらるるに、また、かくおはしませば、よろづに心乱れはべりて、世にはべらむことも、残りなき心地なむしはべる」
など聞こえたまふほどに、燈火などの消え入るやうにて果てたまひぬれば、いふかひなく悲しきことを思し嘆く。
源氏は、治世の上からも、このように高貴な方ばかりが続いて亡くなるのを、思い嘆いた。藤壺への愛惜の思いは限りなく、祈祷も手を尽くした。年来諦めていた宮への思慕の思いが、今一度申し上げられなかったのを、悔やんでいたので、み几帳の近くに寄って、ご様子を介護の女房たちにお尋ねになると、側近のものたちが集まって、詳しく申し上げた。
「月ごろからご容態がすぐれないご様子でしたが、仏事のお勤めは片時も怠らず続けた結果、無理が積もって、すっかりお弱りになってしまいまして、この頃では、柑子などもまったく口にしなくなったので、ご回復の望みもなくなりました」
と泣き嘆くものが多かった。
「桐壺院の御遺言通りに、帝の御後見をなさって下さっていること、年ごろからありがたいと思っておりましたが、はたしてどんな折にひとかたならぬ感謝の気持ちを申し上げようかと、のんびり考えておりましたが、今はとても残念に思います」
と藤壺入道が臥す床からかすかに仰せになるのを聞いて、お答えを申し上げられず、泣いているさまはおいたわしい。「どうしてこんなに心弱くなったのか」と、人目を気にするが、昔から藤壺の美しいお姿は、世間一般の目から見ても、もったいないほどすばらしく、寿命は意のままにならずこの世に引き留められないのが、とても口惜しい。
「至らぬ身ながらも、昔から御後見を仕ることについては、心を尽くして、疎かにせず思っておりましたが、太政大臣がお亡くなりになっただけでも、世の中があわただしく思われるのに、また御身がかようなことになれば、すべて心が乱れて、わたくしもこの世に残っているのもあとわずかと感ぜられますj
など源氏が仰せになるうちに、灯火の消えるようにお亡くなりになり、言いようもなく悲しく嘆くのだった。
2019.1.13/ 2021.9.3/ 2023.3.26◎
19.13 源氏、藤壺を哀悼
かしこき御身のほどと聞こゆるなかにも御心ばへなどの、世のためしにもあまねくあはれにおはしまして、豪家こうけにことよせて、人の愁へとあることなどもおのづからうち混じるを、いささかもさやうなる事の乱れなく、人の仕うまつることをも、世の苦しみとあるべきことをば、止めたまふ。
功徳の方とても、勧むるによりたまひて、いかめしうめづらしうしたまふ人なども、昔のさかしき世に皆ありけるを、これは、さやうなることなく、ただもとよりの宝物、得たまふべき年官つかさ年爵こうぶり御封みふの物のさるべき限りして、まことに心深きことどもの限りをし置かせたまへれば、何とわくまじき山伏などまで惜しみきこゆ。
をさめたてまつるにも、世の中響きて、悲しと思はぬ人なし。殿上人など、なべてひとつ色に黒みわたりて、ものの栄なき春の暮なり。二条院の御前の桜を御覧じても、花の宴の折など思し出づ。「今年ばかりは」と、一人ごちたまひて、人の見とがめつべければ、御念誦堂に籠もりゐたまひて、日一日泣き暮らしたまふ。夕日はなやかにさして、山際の梢あらはなるに、雲の薄くわたれるが、鈍色なるを、何ごとも御目とどまらぬころなれど、いとものあはれに思さる。
入り日さす峰にたなびく薄雲は
もの思ふ袖に色やまがへる

人聞かぬ所なれば、かひなし。
藤壺入道は、貴い身分のなかにあっても、性格などは世の人にたいしてあまねく慈悲の心を持ち、権勢を笠に着て人の迷惑になることも往々にしてやりがちであるが、そのようなことはまったくなさらず、下々に仕える人たちがなさることも、世の人が苦しむようなことはさせなかった。
仏事の供養でも、勧進のままに盛大に人を驚かすことを昔の聖賢の世にはあったようだが、そのようなこともせず、ただ宮家に伝わる宝物、年毎に朝廷から賜るもの、お后のお手当てのなかから割いて、まことに深くお心にかなうことを尽くしてなさったので、物も分からない山伏などまでご崩御を惜しむのであった。
葬儀のさいしても、世の中の人たちは騒ぎになり、みな悲しむのであった。殿上人など黒一色で、全くえない春の暮れであった。二条院の御前の桜を見ても、自ら春鶯囀しゅんおうてんを舞った花の宴を思い出した。「今年ばかりは墨染めに」とひとり口ずさんで、人が見咎めるので、御念誦堂に籠って一日中泣いて暮らしていた。夕日が明るくさして、山際の梢がはっきりして、雲が薄くなびき、鈍色になっても、悲しみにふさがれて何も目にとまらず、あわれであった。
(源氏)「入り日さす峰にたなびく薄雲は
悲しみにくれるわたしの袖の色のようだ」
誰も聞くものがいないので、せっかくの歌もかいなしだ。
2019.1.14/ 2021.9.3/ 2023.3.26◎
19.14 夜居僧都、帝に密奏
御わざなども過ぎて、事ども静まりて、帝、もの心細く思したり。この入道の宮の御母后の御世より伝はりて、次々の御祈りの師にてさぶらひける僧都、故宮にもいとやむごとなく親しきものに思したりしを、朝廷にも重き御おぼえにて、いかめしき御願ども多く立てて、世にかしこき聖なりける、年七十ばかりにて、今は終りの行なひをせむとて籠もりたるが、宮の御事によりて出でたるを、内裏より召しありて、常にさぶらはせたまふ。
このごろは、なほもとのごとく参りさぶらはるべきよし、大臣も勧めのたまへば、
「今は、夜居など、いと堪へがたうおぼえはべれど、仰せ言のかしこきにより、古き心ざしを添へて」
とて、さぶらふに、静かなる暁に、人も近くさぶらはず、あるはまかでなどしぬるほどに、古代にうちしはぶきつつ、世の中のことども奏したまふついでに、
「いと奏しがたく、かへりては罪にもやまかり当たらむと思ひたまへ憚る方多かれど、知ろし召さぬに、罪重くて、天眼恐ろしく思ひたまへらるることを、心にむせびはべりつつ、命終りはべりなば、何の益かははべらむ。仏も心ぎたなしとや思し召さむ」
とばかり奏しさして、えうち出でぬことあり。
その後の法事などもすぎて、諸事が終わって静かになり、帝は心細く感じた。藤壺入道の母后の代から、引き続いて代々お祈りの師をしている僧都は、亡くなった宮も尊く思い信頼していたが、帝にもご信頼厚く、大事な誓願も多く立て、世にも尊い僧であったが、歳は七十あまり、今は自身の後世のために勤行で籠っていたが、宮のことがあって山を下りていたが、内裏からお召しがあり、いつも控えるようになっていた。
このころはまた護持僧としてお側近くにお仕えするよう、源氏も勧めたので、
「今は夜居などは堪えがたく思われますが、恐れ多いご意向ですから昔からのご奉仕もあり」
とて、側に控えていたが、静かな暁に、人も近くにおらず、また退出してしまったころ、古風に咳払いをして、世の中のことどもをお話なさるついでに、
「まことに奏上いたしかねますが、黙してはかえって罪にあたると思いまして、またご存知なきままでは、拙僧の罪が重くて、天の眼を恐れながら、心の中で嘆いていては命を終えるとき何の役がありましょう。仏も、心が卑しい奴と思われること でしょう」
とばかり奏しかけて、最後まで言わないことがあった。
2019.1.17/ 2021.9.3/ 2023.3.26
19.15 冷泉帝、出生の秘密を知る
主上、「何事ならむ。この世に恨み残るべく思ふことやあらむ。法師は、聖といへども、あるまじき横様の嫉み深く、うたてあるものを」と思して、
「いはけなかりし時より、隔て思ふことなきを、そこには、かく忍び残されたることありけるをなむ、つらく思ひぬる」
とのたまはすれば、
「あなかしこ。さらに、仏の諌め守りたまふ真言の深き道をだに、隠しとどむることなく広め仕うまつりはべり。まして、心に隈あること、何ごとにかはべらむ
これは来し方行く先の大事とはべることを、過ぎおはしましにし院、后の宮、ただ今世をまつりごちたまふ大臣の御ため、すべて、かへりてよからぬ事にや漏り出ではべらむ。かかる老法師の身には、たとひ愁へはべりとも、何の悔かはべらむ。仏天の告げあるによりて奏しはべるなり。
わが君はらまれおはしましたりし時より、故宮の深く思し嘆くことありて、御祈り仕うまつらせたまふゆゑなむはべりし。詳しくは法師の心にえ悟りはべらず。事の違ひめありて、大臣横様の罪に当たりたまひし時、いよいよぢ思し召して、重ねて御祈りども承はりはべりしを、大臣も聞こし召してなむ、またさらに言加へ仰せられて、御位に即きおはしまししまで仕うまつることどもはべりし。
その承りしさま」
とて、詳しく奏するを聞こし召すに、あさましうめづらかにて、恐ろしうも悲しうも、さまざまに御心乱れたり。
とばかり、御応へもなければ、僧都、「進み奏しつるを便なく思し召すにや」と、わづらはしく思ひて、やをらかしこまりてまかづるを、召し止めて、
「心に知らで過ぎなましかば、後の世までの咎めあるべかりけることを、今まで忍び籠められたりけるをなむ、かへりてはうしろめたき心なりと思ひぬる。またこの事を知りて漏らし伝ふるたぐひやあらむ」
とのたまはす。
「さらに、なにがしと王命婦とより他の人、この事のけしき見たるはべらず。さるによりなむ、いと恐ろしうはべる。天変しきりにさとし、世の中静かならぬは、このけなり。いときなく、ものの心知ろし召すまじかりつるほどこそはべりつれ、やうやう御齢足りおはしまして、何事もわきまへさせたまふべき時に至りて、咎をも示すなり。よろづのこと、親の御世より始まるにこそはべるなれ。何の罪とも知ろし召さぬが恐ろしきにより、思ひたまへ消ちてしことを、さらに心より出しはべりぬること
と、泣く泣く聞こゆるほどに、明け果てぬれば、まかでぬ。
主上は、夢のやうにいみじきことを聞かせたまひて、いろいろに思し乱れさせたまふ。
「故院の御ためもうしろめたく、大臣のかくただ人にて世に仕へたまふも、あはれにかたじけなかりける事」
かたがた思し悩みて、日たくるまで出でさせたまはねば、「かくなむ」と聞きたまひて、大臣も驚きて参りたまへるを、御覧ずるにつけても、いとど忍びがたく思し召されて、御涙のこぼれさせたまひぬるを、
「おほかた故宮の御事を、干る世なく思し召したるころなればなめり」
と見たてまつりたまふ。
帝が、「どうした。この世に恨みを残すことがあるのか。法師は、聖僧といえども、けしからぬことに嫉妬深いことも多く、厭な処がある」と思い、
「幼い頃から、隔てなく思っていたのに、そなたにはこのように心の中で隠しごとがあったとは、なんともつらく思うぞ」
と仰せになったので、
「恐れ多いことでございます。仏が大事に守っている真言の深い意味も、隠すことなくすっかりお伝えしました。どうして、心に隠し事などありましょう。
これは、来し方行く末の大事であり、崩御された院、后の宮、今のご時勢を治めておられる大臣の御ため、申し上げずば、かえってよからぬことが漏れでましょう。この老法師の身に、たとえ災いがあっても、何の悔いがありましょう。仏天のお告げがありまして、奏上いたしております。
帝を御懐妊された時から、故藤壺の宮が深く思い嘆くことがありまして、お祈りをさせていただいたことがありました。詳しくは法師の心では分かりません。不測のことがあって、源氏の君があらぬ罪で須磨へ退去されましたとき、宮はいよいよご心配されて、重ねてお祈りを仰せになり、源氏の君もお聞きになって、さらに願い事を付け加えられて、御位におつきになられるまで続きました。
そのうけたまわった内容は」
と、詳しく奏上するのをお聞きになり、思いもかけぬ驚くべきことで、恐ろしくも悲しくも、様々に心が乱れた。
しばしの間、お応えがないので、僧都は、「進んで奏上したことが不届きと思われた」と、困ったと思い、やおら退出しようとするのを、止めて、
「心に知らずに過ぎてしまえば、後生までも非難を受ける秘密であったものを、今まで心に秘めていたのは、かえって安心のならない人と思うぞ。他にこのことを知って、世に漏らすような人はいるだろうか」
と仰せになる。
「わたしと王命婦の他には、このことを知っている人はいません。ですから、かえって恐ろしいのです。天が異変を起こしてしきりに警告し、世の中が静かにならないのは、この故です。幼く、物の心を知らない頃はまだよかったのですが、ようやく歳も十分におなりになり、何事もわきまえる頃になって、天は咎を明らかにするのです。すべては、親の御代から始まっています。何の罪を犯しているかご存知ないのが恐ろしく、あえて忘れようとしましたが、あらためて申し上げた次第です」
と泣く泣く申し上げているうちに、夜もあけたので、退出した。
帝は、夢のような恐ろしいことをお聞きになって、あれこれと様々に思い乱れるのだった。
「故桐壷院のためにも気が引けるし、大臣がこのように臣下として仕えているのも恐れ多いことだ」
あれこれと思い悩んでいて、日が高くなるまで夜の御殿から出てこないので、「このような様子です」と聞いて、大臣も驚いて参内したのをご覧になるにつけても、忍びがたく思われ、涙がこぼれるのを、
「おそらく故藤壺の宮のことを涙のかわくまもなく思っているのだろう」
と源氏は見るのであった。
2019.1.19/ 2021.9.3/ 2023.3.26◎
19.16 帝、譲位の考えを漏らす
その日、式部卿の親王みこ亡せたまひぬるよし奏するに、いよいよ世の中の騒がしきことを嘆き思したり。かかるころなれば、大臣は里にもえまかでたまはで、つとさぶらひたまふ。
しめやかなる御物語のついでに、
世は尽きぬるにやあらむ。もの心細く例ならぬ心地なむするを、天の下もかくのどかならぬに、よろづあわたたしくなむ。故宮の思さむところによりてこそ、世間のことも思ひ憚りつれ、今は心やすきさまにても過ぐさまほしくなむ」
と語らひきこえたまふ。
「いとあるまじき御ことなり。世の静かならぬことは、かならず政事の直く、ゆがめるにもよりはべらず。さかしき世にしもなむ、よからぬことどももはべりける。聖の帝の世にも、横様の乱れ出で来ること、唐土にもはべりける。わが国にもさなむはべる。まして、ことわりの齢どもの、時至りぬるを、思し嘆くべきことにもはべらず」
など、すべて多くのことどもを聞こえたまふ。片端まねぶも、いとかたはらいたしや
常よりも黒き御装ひに、やつしたまへる御容貌、違ふところなし。主上も、年ごろ御鏡にも、思しよることなれど、聞こし召ししことの後は、またこまかに見たてまつりたまひつつ、ことにいとあはれに思し召さるれば、「いかで、このことをかすめ聞こえばや」と思せど、さすがに、はしたなくも思しぬべきことなれば、若き御心地につつましくて、ふともえうち出できこえたまはぬほどは、ただおほかたのことどもを、常よりことになつかしう聞こえさせたまふ。
うちかしこまりたまへるさまにて、いと御けしきことなるを、かしこき人の御目には、あやしと見たてまつりたまへど、いとかく、さださだと聞こし召したらむとは思さざりけり。
その日、式部卿の親王がお亡くなりになったと報告があり、いよいよ世の中が騒がしくなったことを、帝は嘆いた。このころには、源氏は自邸に帰らず、内裏につめるようになった。
帝はしんみりした源氏とのお話のついでに、
「わたしの寿命も尽きてしまうのだろうか。いつにもまして心細い心地がして、天の下ものどかならず、万事あわただしい。故母宮藤壺がご心配されるので帝位のことも何も言わずにいたが、今はもっと気楽な身分で暮らしたい」
と相談されるのだった。
「とんでもないです。世が静まらないのは、かならずしもまつりごとが、真っ直ぐか曲がっているかではありません。聖賢の世でも、よからぬことが起こります。聖人の帝の世にも、ありえないことが起こるのは、唐土にも例があります。わが国にもあります。まして、高齢の人がその時がきて亡くなるのを、思い嘆くことはないでしょう」
など、すべて多くのことをお話なさるのだった。その一端をもここに書くのは、ひかえさせていただきます。
帝がいつもより黒っぽい装いで、やつれたお顔は、まさに二人は生き写しであった。帝も、年ごろ鏡を見て思うことなので、あの話を聞いた後では、さらに細かく見ていても、ことにあわれに思われるので、「どうしてこのことをそれとなく言ったらいいだろう」と思うが、さすがにきまりが悪く、お年が若くて気が引けるので、急にはとても言い出せないで、ただ世間のさしさわりのないことを、いつもよりなつかしげにお話になるのだった。
帝がへりくだった様子で、普段と違う風にしておられるのを、源氏の目には何かあやしいと見てとったが、まさかかくもはっきりとお聞きになったとは思わなかった。
2019.1.20/ 2021.9.3/ 2023.3.26◎
19.17 帝、源氏への譲位を思う
主上は、王命婦に詳しきことは、問はまほしう思し召せど、
「今さらに、しか忍びたまひけむこと知りにけりと、かの人にも思はれじ。ただ、大臣にいかでほのめかし問ひきこえて、先々のかかる事の例はありけりやと問ひ聞かむ」
とぞ思せど、さらについでもなければ、いよいよ御学問をせさせたまひつつ、さまざまの書どもを御覧ずるに、
「唐土には、現はれても忍びても、乱りがはしき事いと多かりけり。日本ひのもとには、さらに御覧じ得るところなし。たとひあらむにても、かやうに忍びたらむことをば、いかでか伝へ知るやうのあらむとする。一世の源氏、また納言、大臣になりて後に、さらに親王にもなり、位にも即きたまひつるも、あまたの例ありけり。人柄のかしこきにことよせて、さもや譲りきこえまし」
など、よろづにぞ思しける。
帝は、王命婦に詳しいことを聞いてみようと思ってみたが、
「今さら、これまで母宮が秘していたことを知りましたと、王命婦に思われてしまうだろう。ただ、源氏にそれとなく問うて、過去にこのような例はあったかどうか聞いてみよう」
と思ったが、その機会もなかったので、いよいよ学問をして古今の書などを調べて見るに、
「唐土には、公になっていることでも隠し事でも、乱れた事例は多くあった。わが国には、その例が見つからなかった。たとえあったにしても、このような秘め事を、どうして伝わって知ることができようか。源氏一世は、また納言、大臣になって後、親王にもなり、帝位についた例もたくさんあった。 源氏の人柄の優れていることを理由に位を譲ろうか」
などといろいろに思うのだった。
2019.1.21/ 2021.9.3◎
19.18 源氏、帝の意向を峻絶
秋の司召つかさめしに、太政大臣になりたまふべきこと、うちうちに定め申したまふついでになむ、帝、思し寄する筋のこと、漏らしきこえたまひけるを、大臣、いとまばゆく、恐ろしう思して、さらにあるまじきよしを申し返したまふ。
「故院の御心ざし、あまたの皇子たちの御中に、とりわきて思し召しながら、位を譲らせたまはむことを思し召し寄らずなりにけり。何か、その御心改めて、及ばぬ際には昇りはべらむ。ただ、もとの御おきてのままに、朝廷に仕うまつりて、今すこしの齢かさなりはべりなば、のどかなる行なひに籠もりはべりなむと思ひたまふる」
と、常の御言の葉に変はらず奏したまへば、いと口惜しうなむ思しける。
太政大臣になりたまふべき定めあれど、しばし、と思すところありて、ただ御位添ひて、牛車聴されて参りまかでしたまふを、帝、飽かず、かたじけなきものに思ひきこえたまひて、なほ親王になりたまふべきよしを思しのたまはすれど、
「世の中の御後見したまふべき人なし。権中納言、大納言になりて、右大将かけたまへるを、今一際あがりなむに、何ごとも譲りてむ。さて後に、ともかくも、静かなるさまに」
とぞ思しける。なほ思しめぐらすに、
「故宮の御ためにもいとほしう、また主上のかく思し召し悩めるを見たてまつりたまふもかたじけなきに、誰れかかることを漏らし奏しけむ」
と、あやしう思さる。
命婦は、御匣殿みくしげどのの替はりたる所に移りて、曹司たまはりて参りたり。大臣、対面したまひて、
「このことを、もし、もののついでに、露ばかりにても漏らし奏したまふことやありし」
と案内したまへど、
「さらに。かけても聞こし召さむことを、いみじきことに思し召して、かつは、罪得ることにやと、主上の御ためを、なほ思し召し嘆きたりし」
と聞こゆるにも、ひとかたならず心深くおはせし御ありさまなど、尽きせず恋ひきこえたまふ。
秋の定期異動のとき、太政大臣になられることをうちうちに申し上げるついでに、帝は思っている譲位のことを漏らしたが、源氏は目も上げることなく恐ろしいことに思われ、絶対にそうしてはならないと言上して固く辞退するのだった。
「故桐壺院の御心は、たくさんの皇子たちのなかで、特別わたしを思し召しておられたが、それでも帝位を譲ることはお考えにならなかった。どうして今そのお考えを改めて、及びもつかぬ位にのぼれましょう。ただ、桐壷院のご意向のまま、朝廷に仕えて、今すこし歳を重ねましたら、心静かに勤行などに勤めたい」
といつものお言葉に変わらず仰せになれば、帝は残念に思うのだった。
太政大臣になるようお沙汰があったが、今はまだと思うところがあって辞退したので、位階だけ昇進し、牛車での参内を許されたが、帝はあきらめず、もったいないことと思い、ではせめて親王になってほしいと思い申し出たのだが、
「ご後見される人がいなくなる。権中納言が大納言になって右大将を兼ねるが、もう一段昇進すれば、みな譲りましょう。その後は政務をはなれて静かに暮らそう」
と思っていた。さらに源氏が思いめぐらすに、
「故藤壺の宮のためにも、また今上がこのことを思い悩んでいるのも畏れ多いし、誰がこのことを漏らして奏したのだろう」
と怪しく思われるのだった。
命婦は、御匣殿が移動になった後に移って、局を賜って参内していた。大臣は、お会いになって、
「故藤壺の宮は、このことを、何かのついでにでも、漏らしたことはありますか」
とお尋ねになったが、
「いえ、決して。今上がお知りになるのを、ひどく恐れておりましたし、また一方罪を負う、と今上のために、しきりと思い悩んでおりました」
と申し上げるについても、宮の一方ならず思慮深くておられた有様を、限りなく恋しく思い出すのだった。
2019.1.22/ 2021.9.3/ 2023.3.26◎
19.19 斎宮女御、二条院に里下がり
斎宮の女御は、思ししもしるき御後見にて、やむごとなき御おぼえなり。御用意、ありさまなども、思ふさまにあらまほしう見えたまへれば、かたじけなきものにもてかしづききこえたまへり
秋のころ、二条院にまかでたまへり。寝殿の御しつらひ、いとど輝くばかりしたまひて、今はむげの親ざまにもてなして、扱ひきこえたまふ
秋の雨いと静かに降りて、御前の前栽の色々乱れたる露のしげさに、いにしへのことどもかき続け思し出でられて、御袖も濡れつつ、女御の御方に渡りたまへり。こまやかなる鈍色の御直衣姿にて、世の中の騒がしきなどことつけたまひて、やがて御精進なれば、数珠ひき隠して、さまよくもてなしたまへる、尽きせずなまめかしき御ありさまにて、御簾の内に入りたまひぬ。
前斎宮の女御は、思ったとおり実に適任の世話役で、帝は大そうなご寵愛であった。お心づかい、お人柄なども、思い通りに申し分なかったので、源氏はありがたいお方と大切になさっていた。
秋の頃、女御は二条院に里帰りした。寝殿のしつらいは、輝くばかりにして、源氏はすっかり親代わりにお世話しているのだった。
秋の雨が静かに降って、御前の前裁の秋草がいろいろ咲き乱れて露に濡れている様に、すっかり昔のことが思い出されて、袖を濡らしながら、女御の方へ渡ってゆくのだった。濃い鈍色の直衣姿で、世の中が騒がしいのにことつけて、まだ続いて精進中なので、数珠をひそかに隠しもって、優雅な物腰で、また実に美しい所作で、御簾のなかにお入りになった。
2019.1.23/ 2021.9.3/ 2023.3.26◎
19.20 源氏、女御と往時を語る
御几帳ばかりを隔てて、みづから聞こえたまふ。
「前栽どもこそ残りなく紐解きはべりにけれ。いとものすさまじき年なるを、心やりて時知り顔なるも、あはれにこそ」
とて、柱に寄りゐたまへる夕ばえ、いとめでたし。昔の御ことども、かの野の宮に立ちわづらひし曙などを、聞こえ出でたまふ。いとものあはれと思したり。
宮も、「かくれば」とにや、すこし泣きたまふけはひ、いとらうたげにて、うち身じろきたまふほども、あさましくやはらかになまめきておはすべかめる。「見たてまつらぬこそ、口惜しけれ」と、胸のうちつぶるるぞ、うたてあるや。
「過ぎにし方、ことに思ひ悩むべきこともなくてはべりぬべかりし世の中にもなほ心から、好き好きしきことにつけて、もの思ひの絶えずもはべりけるかな。さるまじきことどもの、心苦しきが、あまたはべりし中に、つひに心も解けず、むすぼほれて止みぬること、二つなむはべる
一つは、この過ぎたまひにし御ことよあさましうのみ思ひつめて止みたまひにしが長き世の愁はしきふしと思ひたまへられしをかうまでも仕うまつり、御覧ぜらるるをなむ、慰めに思うたまへなせど燃えし煙の、むすぼほれたまひけむは、なほいぶせうこそ思ひたまへらるれ
とて、今一つはのたまひさしつ
「中ごろ、身のなきに沈みはべりしほど、方々に思ひたまへしことは、片端づつかなひにたり。東の院にものする人の、そこはかとなくて、心苦しうおぼえわたりはべりしも、おだしう思ひなりにてはべり。心ばへの憎からぬなど、我も人も見たまへあきらめて、いとこそさはやかなれ。
かく立ち返り、朝廷の御後見仕うまつるよろこびなどは、さしも心に深く染まず、かやうなる好きがましき方は、静めがたうのみはべるを、おぼろけに思ひ忍びたる御後見とは、思し知らせたまふらむや。あはれとだにのたまはせずは、いかにかひなくはべらむ」
とのたまへば、むつかしうて、御応へもなければ、
「さりや。あな心憂」
とて、異事ことことに言ひ紛らはしたまひつ。
「今は、いかでのどやかに、生ける世の限り、思ふこと残さず、後の世の勤めも心にまかせて、籠もりゐなむと思ひはべるを、この世の思ひ出にしつべきふしのはべらぬこそ、さすがに口惜しうはべりぬべけれ。かならず、幼き人のはべる、生ひ先いと待ち遠なりや。かたじけなくとも、なほ、この門広げさせたまひて、はべらずなりなむ後にも、数まへさせたまへ」
など聞こえたまふ。
御応へは、いとおほどかなるさまに、からうして一言ばかりかすめたまへるけはひ、いとなつかしげなるに聞きつきて、しめじめと暮るるまでおはす。
几帳だけで隔てて、女御みずから対応される。
「前裁もいっせいに咲きましたね。まことに面白くもない年ですが、草花は物知り顔に時を得て咲いているのがあわれですね」
と、柱に寄りかかっている様子は、夕ばえに映えて、実に美しかった。昔のことどもを、あの野の宮で帰りがたかった曙などのお話しをして、しみじみと思い出した。
女御も「思い出せば」だろうか、少し泣く気配がして、可愛らしく、身じろぎする様子は、なんとも言えずやわらかくなまめかしいのだった。「直接に見れないのが残念だ」と胸が騒ぐのを、何とも君の好色は困ったものである。
「今まで、格別思い悩むこともなくて過ごしてきた世の中も、自ら求めて、色恋沙汰について物思いの絶えないことがいろいろとありました。相手の人に悪かったなあと思われることが沢山あった中で、最後まで心が解けず気持ちが晴れないままで終わってしまったのが二つあった。
ひとつは、お亡くなりになったお母様のことです。わたしの不実をひどくお恨みになったままお亡くなりになったのは、終生の痛恨事と思っていますが、このように親しくお世話できるのを罪滅ぼしと思いますが、恨みが解けぬままになってしまったことは、いまも心残りに思っています」
と、今ひとつは仰せにならなかった。
「また一時、この身が落ち込んでおりました折に、いろいろと考えたことは、少しかなえました。東の院にお住まいの人(花散里)も、頼りない暮らし向きで、気がかりだったのですが、安心できるようになりました。気立てがやさしいく、わたしも相手もよく分かり合って、何のわだかまりもない。
帰京して、帝の御後見をいたしますよろこびなどは、さして心に染みません。こうした好き好きしい方面は、気持ちを抑えられませんのですが、あなたに対しては並々ならず気持ちを抑えてお世話しています。お気の毒とも思われなければ、尽くす甲斐がありません」
と仰せになれば、応ずるのが難しく、返事がないので、
「そうですか。残念だ」
とて、話題を変えるのだった。
「今はどうかして心安く、生きている限り、この世に執着を残さず、後の世に参るべく勤行をし、籠っていたいと思っていますが、この世の思い出にすることは何もないので、それだけは残念に思います。幼い娘がいますが、その成長が待ち遠しいのです。恐れ多いですが、さらにこの家門を広げて、わたしが亡くなった後も、かならずや、お目をかけてほしい」
と仰せになった。
ご返事はおっとりした様子で、やっと一言ほのかにおっしゃる気配で、実にやさしげに聞こえたので、しみじみと暮れるまでいたのだった。
2019.1.27/ 2021.9.4/ 2023.3.26◎
19.21女御に春秋の好みを問う
「はかばかしき方の望みはさるものにて、年のうち行き交はる時々の花紅葉、空のけしきにつけても、心の行くこともしはべりにしがな。春の花の林、秋の野の盛りを、とりどりに人争ひはべりける、そのころの、げにと心寄るばかりあらはなる定めこそはべらざなれ。
唐土には、春の花の錦に如くものなしと言ひはべめり。大和言の葉には、秋のあはれを取り立てて思へる。いづれも時々につけて見たまふに、目移りて、えこそ花鳥の色をも音をもわきまへはべらね。
狭き垣根のうちなりとも、その折の心見知るばかり、春の花の木をも植ゑわたし、秋の草をも堀り移して、いたづらなる野辺の虫をも棲ませて、人に御覧ぜさせむと思ひたまふるを、いづ方にか御心寄せはべるべからむ」
と聞こえたまふに、いと聞こえにくきことと思せど、むげに絶えて御応へ聞こえたまはざらむもうたてあれば、
「まして、いかが思ひ分きはべらむ。げに、いつとなきなかに、あやしと聞きし夕べこそ、はかなう消えたまひにし露のよすがにも、思ひたまへられぬべけれ」
と、しどけなげにのたまひ消つも、いとらうたげなるに、え忍びたまはで、
君もさはあはれを交はせ人知れず
わが身にしむる秋の夕風

忍びがたき折々もはべりかし」
と聞こえたまふに、「いづこの御応へかはあらむ。心得ず」と思したる御けしきなり。このついでに、え籠めたまはで、恨みきこえたまふことどもあるべし
今すこし、ひがこともしたまひつべけれどもいとうたてと思いたるも、ことわりに、わが御心も、「若々しうけしからず」と思し返して、うち嘆きたまへるさまの、もの深うなまめかしきも心づきなうぞ思しなりぬる
やをらづつひき入りたまひぬるけしきなれば
あさましうも、疎ませたまひぬるかな。まことに心深き人は、かくこそあらざなれ。よし、今よりは、憎ませたまふなよ。つらからむ」
とて、渡りたまひぬ。
うちしめりたる御匂ひのとまりたるさへ、疎ましく思さる。人びと、御格子など参りて、
「この御しとねの移り香、言ひ知らぬものかな」
「いかでかく取り集め、柳の枝に咲かせたる御ありさまならむ
「ゆゆしう」
と聞こえあへり。
「一門の隆盛についてはさておき、一年のうちに行き変わる季節の花紅葉、空の移り変わりにつけても、思う存分楽しみたいものです。春の花の林や秋の野の盛りなど、それぞれに人は言い争いますが、どちらか、実にこれこそとはっきり決めることは難しいようです。
唐土には、春の花の錦に勝るものはないと言います。大和言葉には、秋のあわれを取り上げます。いずれもその時々を見ると、目が移って花の色も鳥の声も決めかねます。
手狭なわたしの邸でも、その時期のいいものを選んで、春の花の木植え、秋の草も掘り起こして移植し、聞く人もない野辺の虫を棲まわせて、人にもご覧にいれようと思うのですが、どちらがいいと思いますか」
と源氏は仰せになるが、女御は実に答えに窮して、まったく返事をしないのも失礼なので、
「わたし如きがどうして分かりましょう。実際、いつと決めかねますが、あやしと詠われた秋の夕べこそ、はかなく亡くなった母のよすがも思い出されます」
と自信なげに言いよどむ様子も、実に可愛らしくて、君は堪えられずに、
(源氏の歌)「それならわたしと同じ思いを交わしてください
人知れず身にしみる秋の夕風を感じます
堪えられないときもありますので」
と仰せになると、「どうお応えしたものか。わかりません」と思っている気配であった。この機会に、胸のうちを、いろいろ怨みがましく申し上げたようだ。
もう少し、無理な口説き文句をしそうになったが、女御がひどく嫌だと思うのももっともだし、自分でも「年甲斐もなく見っともない」と反省して嘆く様子が、深くなまめかしいのも、女御は疎ましく思う。
そっと少しずつ引っ込んでいきそうな気配だったので、
「ひどく嫌われましたね。まことに思慮深い人は、このように言わないもの。これから、遠ざけないでください。つらくなります」
と言って、お立ちになった。
しっとりした衣の匂いが残っているのさえ、嫌だと思う。女房たちがきて格子を下ろして、
「この御しとねの移り香、何とも言いようがありませんね」
「どうしてこう取り集めて、まるで柳の枝に梅の香と桜の花だわ」
「恐いくらい」
と言い合った。
2019.1.29/ 2021.9.4/2023.3.27◎
19.22源氏、紫の君と語らう
対に渡りたまひて、とみにも入りたまはず、いたう眺めて、端近う臥したまへり。燈籠遠くかけて、近く人びとさぶらはせたまひて、物語などせさせたまふ。
「かうあながちなることに胸ふたがる癖の、なほありけるよ」
と、わが身ながら思し知らる。
「これはいと似げなきことなり。恐ろしう罪深き方は多うまさりけめど、いにしへの好きは、思ひやりすくなきほどの過ちに、仏神も許したまひけむ」と、思しさますも、「なほ、この道は、うしろやすく深き方のまさりけるかな」
と、思し知られたまふ。
女御は、秋のあはれを知り顔に応へ聞こえてけるも、「悔しう恥づかし」と、御心ひとつにものむつかしうて、悩ましげにさへしたまふを、いとすくよかにつれなくて、常よりも親がりありきたまふ。
女君に、
「女御の、秋に心を寄せたまへりしもあはれに、君の、春の曙に心しめたまへるもことわりにこそあれ。時々につけたる木草の花によせても、御心とまるばかりの遊びなどしてしがなと、公私のいとなみしげき身こそふさはしからね、いかで思ふことしてしがなと、ただ、御ためさうざうしくやと思ふこそ、心苦しけれ」
など語らひきこえたまふ。
対に渡っても、すぐには入らなかった。ひどく物思いにふけって、縁近くに横になった。灯篭を遠くにかけさせて、近くに女房たちを伺候させ、話をさせた。
「このような無理な恋に胸ふさがれることが、まだあるのだ」
と自分のことを思い知るのだった。
「これは自分にはふさわしくない。罪深いという点ではこれよりもひどかったと思うが、若い頃の好きは思慮が足りなかったのだから、仏神も許してくれるだろう」と思い直すが、「この恋の道は、危ない橋を渡らない思慮深さが必要だ」
と思い知るのだった。
女御の方は、秋のあわれを物知り顔に申し上げたが、「悔いて恥ずかしい」と、ひとりでくよくよ悩んでいたが、一方源氏の方は、何食わぬ顔で、いっそう親ぶってお世話をするのだった。
紫の上に、
「女御が秋のあわれに心を寄せたのも分かるし、あなたが春の曙に心ひかれるのももっともです。時々に咲く木草の花によせて、あなたの楽しめる管弦の遊びなどしたいのですが、公私の忙しい身には無理でしょうから、どうかして思い通りの暮らしがしたいのですが、ただあなたが退屈しないか、心配なのです」
などと仰せになる。
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19.23源氏、大堰の明石を訪う
山里の人も、いかに」など、絶えず思しやれど、所さのみまさる御身にて、渡りたまふこと、いとかたし。
世の中をあぢきなく憂しと思ひ知るけしき、などかさしも思ふべき心やすく立ち出でて、おほぞうの住まひはせじと思へる」を、「おほけなし」とは思すものから、いとほしくて、例の、不断の御念仏にことつけて渡りたまへり。
住み馴るるままに、いと心すごげなる所のさまに、いと深からざらむことにてだに、あはれ添ひぬべしまして、見たてまつるにつけても、つらかりける御契りの、さすがに、浅からぬを思ふに、なかなかにて慰めがたきけしきなれば、こしらへかねたまふ
いと木繁き中より、篝火どもの影の、遣水の螢に見えまがふもをかし。
「かかる住まひにしほじまざらましかば、めづらかにおぼえまし」
とのたまふに、
漁りせし影忘られぬ篝火は
身の浮舟や慕ひ来にけむ

思ひこそ、まがへられはべれ
と聞こゆれば、
浅からぬしたの思ひを知らねばや
なほ篝火の影は騒げる

誰れ憂きもの
と、おし返し恨みたまへる。
おほかたもの静かに思さるるころなれば、尊きことどもに御心とまりて、例よりは日ごろ経たまふにや、すこし思ひ紛れけむ、とぞ。
「大井の君はどうしているか」など、いつも思っているが、自由に動ける身分ではないので、行くのは難しかった。
「自分との仲を情けないと思っているが、どうしてそう思うのだろう。気軽に京に出て、いいかげんな暮らしはしない」などと「身分不相応な」と源氏は思うが、いとおしくて、例によって、嵯峨の念仏勤行を口実にして通った。
住み慣れると、たいへん物寂しいところなので、深刻でなくても、思いは深まるのだった。まして源氏とお逢いして、つらくても浅からぬ縁を思うと、明石の君は容易には慰めようもない気色で、源氏はなだめかねた。
木が繁り、篝火がともって、遣水に蛍が飛び交うのも風情があった。
「海辺のすまいを経験していなかったら、珍しい光景だろう」
と仰せになると、
(明石上)「いさり火の灯影が忘れられない
憂き身を追ってここまで来たのだろうか
あの頃と見まがいます」
と明石の君が詠えば
(源氏)「わたしの深い思いの丈を知らない人は
いさり火は揺れていると思うでしょう」
誰が悲しい思いをさせましたか」
と恨み言を返した。
一体に秋の落ち着いた時季であり、念仏の勤行のこともあり、いつもより日を延べて、明石の君も少しは気が紛れたでしょう。
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読書期間2018年10月25日 - 2018年1月31日