源氏物語  薄雲 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 19 薄雲
つらき所多く心見果てむも、残りなき心地すべきを、いかに言ひてか そこにまた移って源氏のつれないお気持ちを数々ためし尽くしてしまう結果になるのも、見も蓋もない思いがされるだろうから。源氏の気持ちを大井でためし、東の院でためしして・・・。「宿かへて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな」(後撰集巻十一恋三)
うしろやすからぬ方にやなどは、な疑ひたまひそ 生みの親として気がかりな扱いをされるのではないかなどといった心配はご無用です。継子扱いはしない。
げに、いにしへは、いかばかりのことに定まりたまふべきにかと、つてにもほの聞こえし御心の ほんとうに、昔は、どのようなお女(ひと)に満足なさって落ち着きなさることやらと、遠い明石でも人伝(ひとづて)にほのかにお噂を耳にした浮気なご性分が、紫の上によってすっかり静まってしまわれたのは、並大抵の前世からの宿縁ではなく。/ ほんとうは、昔は、どれほどの女(かた)に落ち着きなさるのか、と、噂ながら(明石でも)ちらと耳にしたおかたが、あとかたもなくお静まりなさったのは、なみひととおりにお約束事ではない。
数ならぬ人の並びきこゆべきおぼえにもあらぬを 自分のようなしがない女が肩を並べられる分際でもないのに。
わが身は、とてもかくても同じこと 自分はどうなったにしても、もともと身分の低い女として終わる身の上。
あぢきなし くよくよしてもつまりません。/ どうにもならない。無意である。
なほさし向かひたる劣りの所には 当面の勢力、経済力が劣っている所では。
ほどほどにつけて それぞれの身分相応に。
やがて落としめられぬはじめとはなれ そのまま将来人にも軽く見られぬことになるわけのものです。
さかしき人の心のうらどもにも、もの問はせなどするにも 思慮深い人たちの将来の見通しも、陰陽師などに占ってもらっても。「心の占」 心の中で未来を推察すること。推量。予想。
いとどたつきなきことさへ取り添へ これからは、(姫君のみか)その乳母までいなくなってますます頼るものもない身の上になって。/ ひとしお頼るすべもないことにまでなってしまって。
さるべきにや これもしかるべき前の世からのご縁でしょうか。
雪深み深山の道は晴れずともなほ文かよへ跡絶えずして 雪の深さに、山深いここまでの道は通れなくなろうとも、どうか文の使いはいつも都から寄越してください、途絶えることなく。(新潮日本古典集成)/ 雪が深くて山奥の道は晴れなくても、それでも手紙ででも尋ねてください。跡の絶えないように。(玉上)
雪間なき吉野の山を訪ねても心のかよふ跡絶えめやは 雪の消えることがない吉野の山に分け入ることになりましても、心の通う文の使いの踏み跡が絶えるようなことがありましょうか。(新潮日本古典集成)/ 雪の晴れ間のない吉野の山の中を捜し回ってでも、わたくしの心の行きかうようなことが絶えたりいたしましょうか。(玉上)
さならむとおぼゆることにより 姫君を迎えにいらしたのだろうと思われるので。
人やりならず 誰のせいでもない、自分のせいだと。/「人やりならず」他人がさせることではなく。自分の心からしての意。
おろかには思ひがたかりける人の宿世かな 源氏は、とてもおろそかには思えないこの人との前世からの因縁であることだとお思いになる。「人」は明石の君。
まみの薫れるほどなど 「まみ」は物を見る目つき、動いている目つきのこと。それがはつらつとしているのが「薫れる」である。視覚的美である。嗅覚ではない。
何か。かく口惜しき身のほどならずだにもてなしたまはば (明石の上)いいえ、こんなしがない私のような娘としてでなくせめてもお育て下さるなら。
末遠き二葉の松に引き別れいつか木高きかげを見るべき 生い先遠いこの姫君に今別れて、一体いつ、立派に生い育った姿を見ることができるのでしょう。(新潮日本古典集成)/ 将来あるこのお小さい姫君といまここでお別れしては、いつ御りっぱにおなりのお姿をおがめますやら。(玉上)
生ひそめし根も深ければ武隈の松に小松の千代をならべむ 母子の深い因縁もあることなのだから、いずれあなたと姫君は末永く暮すことになるでしょう。(新潮日本古典集成)/ 生まれてきたその因縁からしてふつうではないのだもの、二人でこの将来ある姫を幸福にしてあげようね。(玉上)/ /
末遠き二葉の松に引き別れいつか木高きかげを見るべき 生い先遠いこの姫君に今別れて、一体いつ、立派に生い育った姿を見ることができるのでしょう。(新潮日本古典集成) 「二葉」は芽をだしたばかりの二枚の葉。/ 将来あるこのお小さい姫君といまここで別れしては、いつご立派におなりのお姿をおがめますやら。(玉上)
生ひそめし根も深ければ武隈の松に小松の千代をならべむ 母子の深い宿縁もあることなのだから、いずれあなたと姫君は末長く暮らすことになるでしょう。「武隈の松」は、明石の君のたとえ。(新潮) / 生まれてきたその因縁もふつうでないンおだもの。二人でこの将来ある姫を幸福にしてあげようね。(玉上)
天児あまがつ 「三歳までこれを用ふ。諸事凶事、これにおすすなり」(仙源抄)。一種の人形であって、悪いことはすべてこれに移して、本人には来ないようにするまじない。
明け暮れ思すさまにかしづきつつ、見たまふは、ものあひたる心地したまふらむ 朝晩、思い通りに大切にお世話して姫君を見られるのは、至極満足なことであろう。「物あひたる心地」理想どおりになったという気持ち。
いかにぞや、人の思ふべき瑕なきことは、このわたりに出でおはせで どんなものかと非難がましく世人の思うような欠点のないお子の生まれることは、この紫の上にはおありでなくて。/ どんなものか。だれも非難する欠点がない子が、こちらにお生まれにならないで。
ただ明け暮れのけぢめしなければ 常日頃と人の出入りの多さには少しも変わりないので。
大堰には、尽きせず恋しきにも、身のおこたりを嘆き添へたり /明石の君は姫君がとても恋しいく、姫君を手放した自分のふがいなさを今までの嘆きに加えて悲しんでいる。「身のおこたり」わが身(明石の君)の過ち。姫君手放したこと。
何ごとをか、なかなか訪らひきこえたまはむ (なに不足ないあちらでの生活に)一体どんなことをこちらからお世話できようか。何もできない。「なかなか」 なまなか。なまじっか。下手な物ではかえって物笑いになる。
待ち遠ならむも、いとどさればよ 明石の上に待ち遠しい思いをさせることも、ますますやはり思ったとおりだ(姫君を手放したからだ)と思うであろうと、かわいそうなので。
いはけなく 子供らしく。あどけなく。幼く。
こしらへおきて なだめすかして。
中将の君して聞こえたまへり 紫の上は、中将の君をとおして申し上げた。「聞こえ」は源氏に対する敬語、「たまえり」は紫の上に対する敬語。「中将の君」は女房で源氏の思い人の一人。/div>
舟とむる遠方人のなくはこそ明日帰り来む夫と待ち見め あなたを引きとめる遠くのお人(明石の上)がいないのでしたら、明日帰ってくる夫(せな)とお待ちすることができるのですが。(新潮)/ あなたをお引きとめするあちらのかたがいらっしゃらないのなら、明日お帰りのあなたとお待ちいたしましょう。(玉上)
行きて見て明日もさね来むなかなかに遠方人は心置くとも あちらに泊まって明日にもきっと帰ってきましょう、なまじ短い訪れで、あちらの人は気を悪くしようとも。(新潮社)/ 行ってちょっと様子を見たら明日かならず帰ってこよう。そのためにかえってあちらが機嫌を悪くしても。(玉上)
何事とも聞き分かでされありきたまふ人を 大人のやりとりを理解せずざれあっている姫君を。
めざましき 「目覚しい」①目の覚めるようなすばらしい。驚くほどの。②(目が覚める程)心外である、気に入らない、憎い。
御前なる人びとは 紫の上のおぞばに仕えている女房たちは。
「などか、同じくは」「いでや」 などか 同じくは いでや。「などか」(どうして紫の上にお子が生まれないのかしら、「同じくは」(同じことならこちらに生まれたらよかったのに、「いでや」(ほんとうに、思うようにならないものね)という気持ち。
ただ、世の常のおぼえにかき紛れたらば、さるたぐひなくやはと思ふべきを、世に似ぬひがものなる親の聞こえなどこそ、苦しけれ。人のほどなどは、さてもあるべきを ただ普通に受領の娘というだけでほかにすぐれた所もないならば、そうした女が自分のような高貴な人の妻になるといった例もないことではないと軽く思われようが。/ ただ世間によくある受領の娘というだけの取り得もない女なら、そうした(自分のような高貴な男との)縁組も他に例もないわけではないと軽く思われもしようが、世にも稀な偏屈者の父入道の評判などまったく困り者だけれど、この女の人柄などはこれはこれで十分というものなのに。(岩波 新日本古典文学大系)
はつかに、飽かぬほどにのみあればにや はかない逢瀬でいつも心を残して別れるからだろうか・・・。「はつか」(僅か)わずか。いささか。
近き御寺、桂殿 嵯峨野の御堂と桂の院。桂の院は、源氏の舞台にはなっていないが、大井の明石の君の所に来るとき、口実に使われる源氏の別邸と思われる。
いとまほには乱れたまはねど 心底から明石の上に夢中といった態度はお見せにならないけれど。「いとまほ」まほなり。完全には、十分に。
いとけざやかにはしたなく はっきりとは相手が困ることはせず。「はしたない」無作法な。きまりが悪い。
いとおぼえことには見ゆめれ まことに格別のご寵愛だと思われることだ。
おぼろけにやむごとなき所にてだに 並々ならず身分の高い女の人のもとでも。「おぼろげに」は、「聞き置きたれば」にかかる。
明石にも、さこそ言ひしか 明石に留まった父入道も、あんな強いことを言ったが。(松風)「この身は長く世を捨てし心はべり」もう自分はいないものと思ってくれ、と入道は言っている。
太政大臣亡せたまひぬ 葵の上の父、源氏の舅。太政大臣になったのが、六十三歳(澪標)。この年、六十六歳。
籠もりたまひしほどをだに 朱雀院の治世に、一時、左大臣を辞して隠居したこと。
うしろめたく思ひきこえたまふべきにはあらねども 「うしろめたく」頼りなく気がかりなこと。
後の御わざなどにも 追善の法事。
道々の勘文かんがえぶみ 陰陽道・天文道・易学など、それぞれの道の博士たちが勘文を陛下にさしあげる。
内の大臣のみなむ、御心のうちに、わづらはしく思し知らるることありける 「内の大臣」光る源氏のこと。自分が帝の実の父親でありながら、臣下として仕えていることが、凶事の原因であることを悟る。
入道きさいの宮 藤壺の入道。
思し召さる 非常に丁重な言い方である。「思す」でも敬語であり、「思し召す」では二重敬語、「思し召さる」は、それにもうひとつ尊敬の助動詞「る」がついたので、最高敬語である。(玉上)
いといはけなくて 桐壺院崩御のときは、帝は五歳、今年は十五歳である。
人やうたて、ことことしう思はむと憚りてなむ 世間の人が厭味なわざとらしいことと思いはしないかと、気づかって。「人やうたて」→ 人や、うたて。世間の人はさぞかし。
うつしざまなる折少なくはべりて、口惜しく、いぶせくて過ぎはべりぬること 「うつしざま」(現し様)意識がはっきりしていること。正気のさま。「いぶせく」(いぶせし)気分が晴れない。うっとうしい。
慎ませたまふべき御年なるに 三十七歳は厄年。
御慎みなど 「つつしみ」精進、潔斎、祈祷など、これをすると命が延びると信じられていた。
心のうちに飽かず思ふことも人にまさりける身 宮が心中ひそかにものたりなくおもうこと、人一倍強い身であった。
夢のうちにも、かかる事の心を知らせたまはぬを 「夢のうちにも」少しも。「事の心」で一語。こうした事情をご存知でいらせられないのを。実の父が源氏であること。
朝廷方おおやけがたざまにても わたくしに対してrおおやけ。公私の公。個人的感情ではなく、国家に立場から言っても。今上のご治世の上から申しても。
思ひ知りはべること 源氏のことをありがたいと、心のうちに分かっていること。
何につけてかは、その心寄せことなるさまをも、漏らしきこえむとのみ 一体どうした折に、それを並々ならずうれしく思っていますことをちらりとでもも申し上げられましょうかと。
いにしへよりの御ありさまを 昔からの藤壺のお姿。
おほかたの世につけても一般世間のこととしても。恋人であったことを除いても。
あたらしく惜しき人の御さまを 「あたらし」(可惜し)惜しい。もったいない。惜しいほど立派だ。すばらしい。「新 (あたら)し」と、平安期以後混同した。
かけとどめきこえむ方なく 「かけとどむ」ひきとどめる。
かしこき御身のほどと聞こゆるなかにも 尊いご身分のお方と申し上げる中でも。(小学館)/ 高いご身分であられるかたながらも。(玉上)高い御身分と申すかたの中にありながら。御身分は高かったが。(玉上・注釈)
御心ばへなどの 「心ばえ」気立て。性格。心づかい。
豪家こうけにことよせて 権勢を笠に着て。「豪家」権力のある家。「高家」とも。
人の仕うまつることをも 家来筋(下々)のものが奉仕することでも。
功徳の方とても< (善根を積む)仏事供養でも。
ただもとよりの宝物、得たまふべき年官つかさ年爵こうぶり御封みふの物 {ただもとよりの宝物」宮が相続した宝物。「年官」(つかさ)名目だけの官史を地方に派遣させて、その俸禄は皇族や貴族がもらう。「年爵」年官と同様、太上天皇・女院などの収入のため、従五位下に叙して、その位田は皇族がもらうのである。「御封」皇族、諸臣の贈る民戸。地租の半分、庸、調の全部を所得とする。藤壺は太上天皇に準じて二千戸。
何とわくまじき山伏などまで 物のわけもわからぬ山の修行者まで。
をさめたてまつるにも ご葬儀にさいしても。火葬に付し、お骨を墓所に納める。
今年ばかりは 「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」(古今集巻十六哀傷 堀川の太上大臣みまかりけるとき、深草の山におさめてける後に詠みける 上野岑雄(かみつけのみねお)
入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる 入日のさす峰にたなびく薄雲は、悲しみの喪に服している私の袖に色を似せているのであろうか(新潮)巻名、この歌による。 / 入日さす峰にたなびく薄雲は、悲しみの喪に服しているわたしの袖に色を似せているのだろうか。(小学館)巻名はこの歌による。/夕日がさしている峰にたなびいている薄雲、悲しみに嘆くわたくしの喪服の袖の色に似せたのであろうか。(玉上)
御わざなども過ぎて 四十九日の法事。七日毎に法要が営まれる。
罪重くて 拙僧の罪も重くて。帝が、源氏が実父であることをご存知なくて、源氏に対して父としての礼を尽くしておられぬために、天変も起こっている。
うたてあるものを 「うたて」(転て)③(次に「あり」「侍り」「思ふ」「見ゆ」「言ふ」などの語を伴い、また感嘆文のなかに用いて、心に染まない感じを表す。どうしようもない。いやだ。情けない。あいにくだ。厭なもの。
心に隈あること、何ごとにかはべらむ 何か隠し立て申すようなことは、何につけてはございましょう。
( 
かへりてよからぬ事にや漏り出ではべらむ (申し上げなければ)かえって御ためにならぬこととして世間で取りざたされる恐れもありましょう。(申し上げずにいましたら)総括的に申して、かえってよくない事としてもれでたりしますまいか。
事の違ひめありて 源氏の須磨退去を言う。
あさましうめづらかにて 思いもかけぬ驚くべきことで。「あさましい」意外である。驚くべき様である。
とばかり ちょっとの間。しばし。暫時。
便なく思し召すにや 不都合だ。困る。不届きな。
わづらはしく思ひて 困ったことになった。
かへりてはうしろめたき心なりと思ひぬる かえって安心のならない人だと思われる。早く打ち明けてくれればよかった。
思ひたまへ消ちてしことを、さらに心より出しはべりぬること (口外すまいと)断念しておりましたことを、思い返して申し上げた次第でございます。
式部卿の親王みこ 桐壺院の弟。朝顔の斎院の父。
世は尽きぬるにやあらむ わたしの寿命もおわりなのでしょうか。
故宮の思さむところによりてこそ 亡き母宮がご心配あろばすでしょうから、わたしの身の振り方についても今まで遠慮して口にしなかったのですが。「世間のこと」は、社会的な地位、仕事というほどの意味、ここでは帝位のこと。
ことわりの齢どもの、時至りぬるを 亡くなって不思議のない老齢の人々が、その時がきて亡くなったのを。太政大臣や式部卿の崩御をいう。
片端まねぶも、いとかたはらいたしや その一端をお話するのも、とても気の引けることです。政治に関することへの言及を女として憚る草子地。
あまたの皇子たちの御中に、とりわきて思し召しながら、位を譲らせたまはむことを思し召し寄らずなりにけり たくさんの皇子たちのなかで、特別にわたしのことを思いあそばしながら、位を譲ることはお考えにならなかった。
一世の源氏、また納言、大臣になりて後に、さらに親王にもなり、位にも即きたまひつるも、あまたの例ありけり  皇子で臣籍に降下した人。以下の例につき『河海抄』は、光仁天皇(もと大納言)、桓武天皇(もと大学頭、中務卿)、光孝天皇(もと一品式部卿)、宇多天皇(もと侍従、親王となり即位)を、また親王になった例として、是忠(光孝皇子)、是貞(光孝弟、もと左中将)、兼明(醍醐皇子、もと左大臣)、盛明(醍醐皇子、もと大蔵卿)各親王を挙げる。
秋の司召つかさめし 「司召の除目」(じもく)在京諸司の官吏を任命する儀式。秋に行われたので、秋の除目ともいう。内官の除目。京官きようかんの除目。 「県召の除目」(あがためしのじもく)毎年正月11日より3日間行われた国司など地方官任命の儀式。京官を任命する秋の司召(つかさめし)の除目に対し、春の除目ともいう。外官(げかん)の除目。
///"> 
権中納言 もとの頭の中将。このときの除目で大納言に昇進し、右大将を兼務した。
御匣殿みくしげどのの替はりたる所に移りて 御匣殿の別当が転出したその跡の場所に移って。この人が誰かは不明。
斎宮の女御は、思ししもしるき御後見にて 「斎宮の女御」前斎宮。六条の御息所の姫君。斎宮の女御は、源氏の予想されたとおり、帝のよいお世話役で。幼少の帝のお世話役として、九歳年上の前斎宮の入内を源氏ははかった。
御用意、ありさまなども お心づかい、お人柄なども。
かたじけなきものにもてかしづききこえたまへり (源氏は)おりがたいお方と思って大切になさっておられる。
今はむげの親ざまにもてなして、扱ひきこえたまふ 今はすっかり親代わりの態度で。
心やりて時知り顔なるも 「心やりて」心得て、知って。心得て時期を物知り顔なるも。咲く時期を知っていいる。
「かくれば」とにや 「かくれば」心にかけると。思い出すと。「わが思ふ人は草葉の露なれやかくれば袖のまづしほるらむ」(拾遺集 恋二 読み人知らず。「いにしへの昔のことをいとどしくかくれば袖ぞ露けかりける」(出典不詳)
ことに思ひ悩むべきこともなくてはべりぬべかりし世の中にも 格別気苦労しなくてはならないこともなくて、過ごせたはずの時代でさえ。
なほ心から 自ら求めて。
さるまじきことどもの、心苦しきが、あまたはべりし中に いろいろかんばしからぬ色恋沙汰で相手の女に悪かったと思われることが、たくさんありましたなかで、とうとうおしまで私を許してくださらず、深い悩みのままに終わってしまったことが二つございます。
この過ぎたまひにし御ことよ あなたの亡くなられたお母様のことなのです。
あさましうのみ思ひつめて止みたまひにしが わたくしをあきれた奴だ、と一途に思いつめておなくなりになったことが(玉上)。驚くほど物を思いつめてお亡くなりになってしまったことが(渋谷栄一)。あまりと思われるほど悩みに悩んだ末に亡くなってしまわれましたのが(新潮古典集成)。 「あさまし」の意味を求めて、以下引用 わたしの不実をひどく思いつめてお恨みになられたまま(瀬戸内寂聴)/ とうとう私を恨みつづけに遊ばしたまま(谷崎潤一郎)/ 私を情けない者よと一途にお恨みになったまま(円地文子)/ 驚くほど一途に思いつめて亡くなっておしまいになったことが(新潮古典集成)/ ④(程度・状態が驚きあきれるほどであることから)甚だしい。ひどい。(日本国語大辞典) 管理人結論。ここではやはり、程度のことで、「はなはだしく、ひどく}(源氏の不意を)思いつめていたまま亡くなった、の意でしょう。
長き世の愁はしきふしと思ひたまへられしを 生涯いつまでも嘆かねばならぬことと思われたのですが。
かうまでも仕うまつり、御覧ぜらるるをなむ、慰めに思うたまへなせど こうまでも親しくお世話申し上げ付き合い頂いておりますのを。これほどまであなたにお仕えし、親しくしていただくのを、せめてもの慰めと思ってみるのですが。
燃えし煙の、むすぼほれたまひけむは、なほいぶせうこそ思ひたまへらるれ おうらみがついにおとけにならなかったのは、やはり気がふさがる思いがいたしてなりません。私に対する恨みの解けぬままになってしまわれたであろうことは。
今一つはのたまひさしつ もうひとつは話されずにしまわれた。藤壺のこと。
おぼろけに思ひ忍びたる御後見とは、思し知らせたまふらむや あなたにたいしては、並々ならず気持ちを抑えてのお世話役であるとはお分かりでいられましょうか。「おぼろげに」おぼろげならず、の意。
思ふこと残さず この世に執着を残さず。
幼き人のはべる、生ひ先いと待ち遠なりや 幼い娘がおりますが、大きくなるまで何とも待ち遠しいことです。明石の姫君はこの年四歳。
はべらずなりなむ後にも わたしが亡くなった後も。
おほどかなるさまに おっとりしたご様子で。
いとなつかしげなるに聞きつきて やさしい感じなのに座を立ちかねる思いで。
いつとなきなかに、あやしと聞きし夕べこそ いつとも決められませんが、・・・「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり」(古今集 巻十一恋 読み人知らず)
君もさはあはれを交はせ人知れずわが身にしむる秋の夕風 あなたもそれでは私と思いをかわしてください、人知れず秋の夕風が身にしみる思いをしているのです(あなたを恋しく思っているのです)。(新潮日本古典集成) あなたもそれなら同情してください。誰も知りませんが、わたくし身にしみて感じる秋の夕風ですもの。(玉上)
いづこの御応へかはあらむ。心得ず どんなご返事ができようか、わかりません。慣用句、反語。
このついでに、え籠めたまはで、恨みきこえたまふことどもあるべし この機会に、源氏は胸のうちに納めておくことがおできにならないくて、いろいろお怨み申し上げなさることがあるようだ。草子地。かねて省筆の筆法である。
今すこし、ひがこともしたまひつべけれども もう少し、無体な口説きようもなさりそうになるけれども。
いとうたてと思いたるも、ことわりに まあいやだと(女御が)お思いになるのももっともだし。
もの深うなまめかしきも 奥ゆかしく色めかしい感じなのも。
心づきなうぞ思しなりぬる 女御は、今はうとましくお思いになる。
やをらづつひき入りたまひぬるけしきなれば そっと少しずつ奥に引っ込んでしまいそうな気配なので。
あさましうも、疎ませたまひぬるかな 何ともひどくお嫌いになったものですね。
うちしめりたる御匂ひのとまりたるさへ、疎ましく思さる 雨気にしっとりしたお着物の匂いの残り香さえ(女房は)いやらしく思われた。
柳の枝に咲かせたる御ありさまならむ 「梅の香を桜の花に匂わせて柳が枝に咲かせてしかな」(後拾遺集 春上 中原致時)(においは梅、色は桜、枝ぶりは柳がもっとも見事である。そのみごとなものを集めてひとつのものにしてみたい。どんなにかすばらしいことであろう)
いたう眺めて ひどく物思わしげに。「ながめて」庭に視線をむけたまま物思いにふけって。
いとすくよかにつれなくて とてもさっぱりと何食わぬ顔をして。少しも気にせず平然と。
山里の人も 大井の明石の上。
世の中をあぢきなく憂しと思ひ知るけしき、などかさしも思ふべき 以下源氏の胸のうち。(明石の君が)自分との仲を心ゆかぬ情けないものと悲観しているようだが。「世の中」男女の仲。
心やすく立ち出でて、おほぞうの住まひはせじと思へる 気軽に京に引き移って、いい加減な暮らしはすまいと思っているのを。気軽の山里を捨てて出て、いいかげんな生活はするまいと思っているのを。「おほぞうな」ありふれた。通りいっぺんの。
おほけなし 身分不相応な。身の程知らず。身の程をわきまえない。
不断の御念仏 嵯峨の御堂で、月ごとに「普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏の三昧」がある。昼夜間断なく念仏を修する。
いと心すごげなる所のさまに、いと深からざらむことにてだに、あはれ添ひぬべし ものさびしげな場所柄なので、さほど深刻なことでなくても、思いは深まるであろう。
まして、見たてまつるにつけても、つらかりける御契りの、さすがに、浅からぬを思ふに、なかなかにて慰めがたきけしきなれば、こしらへかねたまふ こうしてお逢い申すにつけても、ままならぬ源氏との仲であるが、さすがに姫君まで生(な)した浅からぬ因縁をおもうと、かえって、気持ちを晴らしようもない様子なので、(源氏は)なだめかねておいでになる。
漁りせし影忘られぬ篝火は身の浮舟や慕ひ来にけむ いさりをしたあの光の忘れられないかばり火は、わが身の憂さを慕っておってきたのでしょうか(玉上)明石の浦の暮らしを思い出させる篝火がここに見えますのは、あの浦での悲しい思いが、ここまで私を追って来たのでしょうか。(新潮日本古典集成)
思ひこそ、まがへられはべれ まるであの頃のような思いがいたします。「思いまがう」思いちがいをする。
浅からぬしたの思ひを知らねばやなほ篝火の影は騒げる 浅くない内の愛情の深さを知らないから、いまでもやはりあのかがり火の光りのように落ち着かないのでしょう。(玉上)並々ならぬ私の深い愛情をご存知ないから、いまだに気持ちがさわぐのでしょうか。(新潮日本古典集成)
誰れ憂きもの あなたの方こそ最初に私に悲しい思いにさせたのです。

HOME表紙へ 源氏物語 目次 19 薄雲

源氏物語  薄雲 注釈

公開日2019年1月31日