若菜上 あらすじ
源氏 39才~41才 准太上天皇
源氏は准太上天皇になり、その周辺の日常が淡々と語られる。
朱雀院は病気がよくならず、出家を希望している。しかし皇女たちを見捨てて出家するわけにもゆかず、特に可愛がっている女三の宮の後見を探していた。しかるべき人を婿にと心を砕く。夕霧も候補にあがったが、結婚したばかりで除外され、源氏に白羽の矢が当たる。源氏は当初辞退したが、朱雀院を見舞い、懇切に頼まれて、藤壺中宮や紫の上の血筋にもつながることもあり、結局女三宮の後見を承諾する。
年が明けて、玉鬘は源氏の四十の賀を祝い、若菜を献じた。冠名はこの時の歌の言葉による。この年は、源氏の四十の賀の祝いが次々と続き、紫の上が嵯峨野の御堂によせて祝い、秋好む中宮が奈良・京の寺々に祈祷を頼んで祝い、冷泉帝が、夕霧に主催させて四十の賀を祝い、それぞれそのあとの宴や管弦の遊びが続いた。
二月十日過ぎ女三の宮は六条院に輿入する。紫の上は悲しみを抑え夫の婚儀の支度を務める。女三の宮はただ若いだけの姫君で源氏はいたく失望する。源氏の相手をするには幼すぎるのだった。
明石の女御は待望の男子を出産、明石の入道は、長文の文を送り、その中で自分が昔夢見た宿願が実現したことを語り、それ故に、山深く入ると伝える。文ちゅう入道は、明石女御が生まれた年に見た夢を次のように語る。
自分は須弥山を右手に捧げています。山の左右から、日月の光が明るく世を照らしています。自分は山の下の蔭に隠れて、その光が当たっていません。山を広い海に浮かべて、自分は小さい舟に乗って、西の方を指して漕いでゆく
朱雀院の出家を後追いしようとした朧月夜は、院に思いとどめられる。源氏は朧月夜を訪問して、昔のよりを戻すのだった。
一方、柏木は、当初から女三の宮を望んでいたが、六条院に招かれ蹴鞠の遊びをやっていた時、猫が逃げたはずみに御簾をひっかけて、奥の女三の宮の姿をかいま見てしまう。それから悶々として、この恋にが叶えられないかと心を乱していた。
若菜上 章立て
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- 34.1 朱雀院、女三の宮の将来を案じる
- 朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、例ならず悩みわたらせたまふ。もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細く思し召されて、
「年ごろ行なひの本意深きを、后の宮おはしましつるほどは、よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、なほその方にもよほすにやあらむ、世に久しかるまじき心地なむする」
などのたまはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。
- 34.2 東宮、父朱雀院を見舞う
-
春宮は、「かかる御悩みに添へて、世を背かせたまふべき御心づかひになむ」と聞かせたまひて、渡らせたまへり。春宮は、「かかる御悩みに添へて、世を背かせたまふべき御心づかひになむ」と聞かせたまひて、渡らせたまへり。
- 34.3 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う
- 六条院よりも、御訪らひしばしばあり。みづからも参りたまふべきよし、聞こし召して、院はいといたく喜びきこえさせたまふ。
- 34.4 夕霧、源氏の言葉を言上す
- 中納言の君、
「過ぎはべりにけむ方は、ともかくも思うたまへ分きがたくはべり。年まかり入りはべりて、朝廷にも仕うまつりはべるあひだ、世の中のことを見たまへまかりありくほどには、大小のことにつけても、うちうちのさるべき物語などのついでにも、『いにしへのうれはしきことありてなむ』など、うちかすめ申さるる折ははべらずなむ。
- 34.5 朱雀院の夕霧評
- 女房などは、覗きて見きこえて、
「いとありがたくも見えたまふ容貌、用意かな」
「あな、めでた」
など、集りて聞こゆるを、老いしらへるは、
「いで、さりとも、かの院のかばかりにおはせし御ありさまには、えなずらひきこえたまはざめり。いと目もあやにこそきよらにものしたまひしか」
など、言ひしろふを聞こしめして、
「まことに、かれはいとさま異なりし人ぞかし。
- 34.6 女三の宮の乳母、源氏を推薦
- 姫宮のいとうつくしげにて、若く何心なき御ありさまなるを見たてまつりたまふにも、
「見はやしたてまつり、かつはまた、片生ひならむことをば、見隠し教へきこえつべからむ人の、うしろやすからむに預けきこえばや」
など聞こえたまふ。
- 34.7 乳母と兄左中弁との相談
- この御後見どもの中に、重々しき御乳母の兄、左中弁なる、かの院の親しき人にて、年ごろ仕うまつるありけり。
- 34.8 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上
- 乳母、またことのついでに、
「しかしかくなむ、なにしの朝臣にほのめかしはべりしかば、『かの院には、かならずうけひき申させたまひてむ。
- 34.9 朱雀院、内親王の結婚を苦慮
- †「しか思ひたどるによりなむ。皇女たちの世づきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもあり、また高き際といへども、女は男に見ゆるにつけてこそ、悔しげなることも、めざましき思ひも、おのづからうちまじるわざなめれと、かつは心苦しく思ひ乱るるを、また、さるべき人に立ちおくれて、頼む蔭どもに別れぬる後、心を立てて世の中に過ぐさむことも、昔は、人の心たひらかにて、世に許さるまじきほどのことをば、思ひ及ばぬものとならひたりけむ、今の世には、好き好きしく乱りがはしきことも、類に触れて聞こゆめりかし。
- 34.10 朱雀院、婿候補者を批評
- 「今すこしものをも思ひ知りたまふほどまで見過ぐさむとこそは、年ごろ念じつるを、深き本意も遂げずなりぬべき心地のするに思ひもよほされてなむ。
- 34.11 婿候補者たちの動静
- 太政大臣も、
「この衛門督の、今までひとりのみありて、皇女たちならずは得じと思へるを、かかる御定めども出で来たなる折に、さやうにもおもむけたてまつりて、召し寄せられたらむ時、いかばかりわがためにも面目ありてうれしからむ」
と、思しのたまひて、尚侍の君には、かの姉北の方して、伝へ申したまふなりけり。
- 34.12 夕霧の心中
- 権中納言も、かかることどもを聞きたまふに、
「人伝てにもあらず、さばかりおもむけさせたまへりし御けしきを見たてまつりてしかば、おのづから便りにつけて、漏らし、聞こし召さることもあらば、よももて離れてはあらじかし」
と、心ときめきもしつべけれど、
「女君の今はとうちとけて頼みたまへるを、年ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、他ざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに、今さらに立ち返り、にはかに物をや思はせきこえむ。
- 34.13 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす
- 春宮にも、かかることども聞こし召して、
「さし当たりたるただ今のことよりも、後の世の例ともなるべきことなるを、よく思し召しめぐらすべきことなり。
- 34.14 源氏、承諾の意向を示す
- この宮の御こと、かく思しわづらふさまは、さきざきも皆聞きおきたまへれば、
「心苦しきことにもあなるかな。さはありとも、院の御世残りすくなしとて、ここにはまた、いくばく立ちおくれたてまつるべしとてか、その御後見の事をば受けとりきこえむ。げに、次第を過たぬにて、今しばしのほども残りとまる限りあらば、 おほかたにつけては、いづれの皇女たちをも、よそに聞き放ちたてまつるべきにもあらねど、またかく取り分きて聞きおきたてまつりてむをば、ことにこそは後見きこえめと思ふを、それだにいと不定なる世の定めなさなりや」
とのたまひて、
「まして、ひとつに頼まれたてまつるべき筋に、むつび馴れきこえむことは、いとなかなかに、うち続き世を去らむきざみ心苦しく、みづからのためにも浅からぬほだしになむあるべき。
- 34.15 歳末、女三の宮の裳着催す
- 年も暮れぬ。
- 34.16 秋好中宮、櫛を贈る
- 中宮よりも、御装束、櫛の筥、心ことに調ぜさせたまひて、かの昔の御髪上の具、ゆゑあるさまに改め加へて、さすがに元の心ばへも失はず、それと見せて、その日の夕つ方、奉れさせたまふ。
- 34.17 朱雀院、出家す
- 御心地いと苦しきを念じつつ、思し起こして、この御いそぎ果てぬれば、三日過ぐして、つひに御髪下ろしたまふ。
- 34.18 源氏、朱雀院を見舞う
- 六条院も、すこし御心地よろしくと聞きたてまつらせたまひて、参りたまふ。
- 34.19 朱雀院と源氏、親しく語り合う
- 院も、もの心細く思さるるに、え心強からず、うちしほれたまひつつ、いにしへ、今の御物語、いと弱げに聞こえさせたまひて、
「今日か明日かとおぼえはべりつつ、さすがにほど経ぬるを、うちたゆみて、深き本意の端にても遂げずなりなむこと、と思ひ起こしてなむ。
- 34.20 内親王の結婚の必要性を説く
- 御心のうちにも、さすがにゆかしき御ありさまなれば、思し過ぐしがたくて、
†「げに、ただ人よりも、かかる筋には、私ざまの御後見なきは、口惜しげなるわざになむはべりける。
- 34.21 源氏、結婚を承諾
- 「さやうに思ひ寄る事はべれど、それも難きことになむありける。
- 34.22 朱雀院の饗宴
-
夜に入りぬれば、主人の院方も、客人の上達部たちも、皆御前にて、御饗のこと、精進物にて、うるはしからず、なまめかしくせさせたまへり。
- 34.23 源氏、結婚承諾を煩悶す
- 六条院は、なま心苦しう、さまざま思し乱る。
- 34.24 源氏、紫の上に打ち明ける
- またの日、雪うち降り、空のけしきもものあはれに、過ぎにし方行く先の御物語聞こえ交はしたまふ。
- 34.25 紫の上の心中
- 心のうちにも、
「かく空より出で来にたるやうなることにて、逃れたまひがたきを、憎げにも聞こえなさじ。わが心に憚りたまひ、いさむることに従ひたまふべき、おのがどちの心より起これる懸想にもあらず。
- 34.26 玉鬘、源氏に若菜を献ず
- 年も返りぬ。朱雀院には、姫宮、六条院に移ろひたまはむ御いそぎをしたまふ。
- 34.27 源氏、玉鬘と対面
- 人びと参りなどしたまひて、御座に出でたまふとて、尚侍の君に御対面あり。
- 34.28 源氏、玉鬘と和歌を唱和
- 尚侍の君も、いとよくねびまさり、ものものしきけさへ添ひて、見るかひあるさましたまへり。
- 34.29 管弦の遊び催す
- 朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎ果てたまはぬにより、楽人などは召さず。御笛など、太政大臣の、その方は整へたまひて、
「世の中に、この御賀よりまためづらしくきよら尽くすべきことあらじ」
とのたまひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。
- 34.30 暁に玉鬘帰る
- 暁に、尚侍君帰りたまふ。御贈り物などありけり。
- 34.31 女三の宮、六条院に降嫁
- かくて、如月の十余日に、朱雀院の姫宮、六条院へ渡りたまふ。この院にも、御心まうけ世の常ならず。
- 34.32 結婚の儀盛大に催さる
- 三日がほど、かの院よりも、主人の院方よりも、いかめしくめづらしきみやびを尽くしたまふ。
- 34.33 源氏、結婚を後悔
- 三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを、年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。
- 34.34 紫の上、眠れぬ夜を過ごす
- †年ごろ、さもやあらむと思ひしことどもも、今はとのみもて離れたまひつつ、 さらばかくにこそはとうちとけゆく末に、ありありて、かく世の聞き耳もなのめならぬことの出で来ぬるよ。
- 34.35 六条院の女たち、紫の上に同情
- かう人のただならず言ひ思ひたるも、聞きにくしと思して、
「かく、これかれあまたものしたまふめれど、御心にかなひて、今めかしくすぐれたる際にもあらずと、目馴れてさうざうしく思したりつるに、この宮のかく渡りたまへるこそ、めやすけれ。
- 34.36 源氏、夢に紫の上を見る
- わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れたまふけにや、かの御夢に見えたまひければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒がしたまふに、鶏の音待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出でたまふ。いといはけなき御ありさまなれば、乳母たち近くさぶらひけり。
- 34.37 源氏、女三の宮と和歌を贈答
- 今朝は、例のやうに大殿籠もり起きさせたまひて、宮の御方に御文たてまつれたまふ。
- 34.38 源氏、昼に宮の方に出向く
- 今日は、宮の御方に昼渡りたまふ。
- 34.39 朱雀院、紫の上に手紙を贈る
- 院の帝は、月のうちに御寺に移ろひたまひぬ。
- 34.40 源氏、朧月夜に今なお執心
- 今はとて、女御、更衣たちなど、おのがじし別れたまふも、あはれなることなむ多かりける。
- 34.41 和泉前司に手引きを依頼
- かの人の兄なる和泉の前の守を召し寄せて、若々しく、いにしへに返りて語らひたまふ。
- 34.42 紫の上に虚偽を言って出かける
- 「いにしへ、わりなかりし世にだに、心交はしたまはぬことにもあらざりしを。
- 34.43 源氏、朧月夜を訪問/
- その日は、寝殿へも渡りたまはで、御文書き交はしたまふ。
- 34.44 朧月夜と一夜を過ごす
- † 夜いたく更けゆく。
- 34.45 源氏、和歌を詠み交して出る
- 朝ぼらけのただならぬ空に、百千鳥の声もいとうららかなり。
- 34.46 源氏、自邸に帰る
- いみじく忍び入りたまへる御寝くたれのさまを待ち受けて、女君、さばかりならむと心得たまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。
- 34.47 明石姫君、懐妊して退出
- 桐壺の御方は、うちはへえまかでたまはず。御暇のありがたければ、心安くならひたまへる若き御心に、いと苦しくのみ思したり。
- 34.48 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る
- 対の上、こなたに渡りて対面したまふついでに、
「姫宮にも、中の戸開けて聞こえむ。かねてよりもさやうに思ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる折に聞こえ馴れなば、心安くなむあるべき」
と、大殿に聞こえたまへば、うち笑みて、
「思ふやうなるべき御語らひにこそはあなれ。いと幼げにものしたまふめるを、うしろやすく教へなしたまへかし」
と、許しきこえたまふ。
- 34.49 紫の上の手習い歌
- 対には、かく出で立ちなどしたまふものから、
「我より上の人やはあるべき。
- 34.50 紫の上、女三の宮と対面
- 春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり。
- 34.51 世間の噂、静まる
- さて後は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞こえ交はしたまふ。
- 34.52 紫の上、薬師仏供養
- 神無月に、対の上、院の御賀に、嵯峨野の御堂にて、薬師仏供養じたてまつりたまふ。
- 34.53 精進落としの宴
- 二十三日を御としみの日にて、この院は、かく隙間なく集ひたまへるうちに、わが御私の殿と思す二条の院にて、その御まうけせさせたまふ。御装束をはじめ、おほかたのことどもも、皆こなたにのみしたまふ。御方々も、さるべきことども分けつつ望み仕うまつりたまふ。
- 34.54 舞楽を演奏す
- 未ひつじの時ばかりに楽人参る。「万歳楽」、「皇じやう」など舞ひて、日暮れかかるほどに、高麗の乱声らんじょうして、「落蹲らくそん」舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言、衛門督下りて、「入綾いりあや」をほのかに舞ひて、紅葉の蔭に入りぬる名残、飽かず興ありと人びと思したり。
- 34.55 宴の後の寂寥
- 夜に入りて、楽人どもまかり出づ。北の政所の別当ども、人びと率ゐて、禄の唐櫃に寄りて、一つづつ取りて、次々賜ふ。白きものどもを品々かづきて、山際より池の堤過ぐるほどのよそ目は、千歳をかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへらる。
- 34.56 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷
- 師走の二十日余りのほどに、中宮まかでさせたまひて、今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。
- 34.57 中宮主催の饗宴
- 宮のおはします町の寝殿に、御しつらひなどして、さきざきにこと変はらず、上達部の禄など、大饗になずらへて、まふ。
- 34.58 勅命による夕霧の饗宴
- 内裏には、思し初めてしことどもを、むげにやはとて、中納言にぞつけさせたまひてける。
- 34.59 舞楽を演奏す
- 内裏には、思し初めてしことどもを、むげにやはとて、中納言にぞつけさせたまひてける。
- 34.60 饗宴の後の感懐
- 大将の、ただ一所ひとところおはするを、さうざうしく栄なき心地せしかど、あまたの人にすぐれ、おぼえことに、人柄もかたはらなきやうにものしたまふにも、かの母北の方の、伊勢の御息所との恨み深く、挑みかはしたまひけむほどの御宿世どもの行く末見えたるなむ、さまざまなりける。
- 34.61 明石女御、産期近づく
- 年返りぬ。桐壺の御方近づきたまひぬるにより、正月朔日より、御修法不断にせさせたまふ。
- 34.62 大尼君、孫の女御に昔を語る
- かの大尼君も、今はこよなきほけ人にてぞありけむかし。
- 34.63 明石御方、母尼君をたしなめる
- いとものあはれに眺めておはするに、御方参りたまひて、日中の御加持に、こなたかなたより参り集ひ、もの騒がしくののしるに、御前にこと人もさぶらはず、尼君、所得ところえていと近くさぶらひたまふ。
- 34.64 明石女三代の和歌唱和
- 御加持果ててまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなし、「こればかりをだに」と、いと心苦しげに思ひて聞こえたまふ。
- 34.65 三月十日過ぎに男御子誕生
- 弥生の十余日のほどに、平らかに生まれたまひぬ。かねてはおどろおどろしく思し騷ぎしかど、いたく悩みたまふことなくて、男御子にさへおはすれば、限りなく思すさまにて、大殿も御心落ちゐたまひぬ。
- 34.66 帝の七夜の産養
- 六日といふに、例の御殿に渡りたまひぬ。七日の夜、内裏よりも御産養のことあり。
- 34.67 紫の上と明石御方の仲
- 御方の御心おきての、らうらうじく気高く、おほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬなどを、褒めぬ人なし。
- 34.68 明石入道、手紙を贈る
- かの明石にも、かかる御こと伝へ聞きて、さる聖心地にも、いとうれしくおぼえければ、
「今なむ、この世の境を心やすく行き離るべき」
と弟子どもに言ひて、この家をば寺になし、あたりの田などやうのものは、皆その寺のことにしおきて、この国の奥の郡に、人も通ひがたく深き山あるを、年ごろも占めおきながら、あしこに籠もりなむ後、また人には見え知らるべきにもあらずと思ひて、ただすこしのおぼつかなきこと残りければ、今までながらへけるを、今はさりともと、仏神を頼み申してなむ移ろひける。
- 34.69 入道の手紙
- 「この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、何かは、かくながら身を変へたるやうに思うたまへなしつつ、させることなき限りは、聞こえうけたまはらず。
- 34.70 手紙の追伸
- 「命終らむ月日も、さらにな知ろしめしそ。
- 34.71 使者の話
- 尼君、この文を見て、かの使ひの大徳に問へば、
「この御文書きたまひて、三日といふになむ、かの絶えたる峰に移ろひたまひにし。なにがしらも、かの御送りに、麓まではさぶらひしかど、皆返したまひて、僧一人、童二人なむ、御供にさぶらはせたまふ。今はと世を背きたまひし折を、悲しきとぢめと思うたまへしかど、残りはべりけり。
- 34.72 明石御方、手紙を見る
- 御方は、南の御殿におはするを、「かかる御消息なむある」とありければ、忍びて渡りたまへり。
- 34.73 尼君と御方の感懐
- 尼君、久しくためらひて、
「君の御徳には、うれしくおもだたしきことをも、身にあまりて並びなく思ひはべり。あはれにいぶせき思ひもすぐれてこそはべりけれ。
- 34.74 御方、部屋に戻る
- 「昨日も、大殿の君の、あなたにありと見置きたまひてしを、にはかにはひ隠れたらむも、軽々しきやうなるべし。
- 34.75 東宮からのお召しの催促
- 宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば、
「かく思したる、ことわりなり。めづらしきことさへ添ひて、いかに心もとなく思さるらむ」
と、紫の上ものたまひて、若宮忍びて参らせたてまつらむ御心づかひしたまふ。
- 34.76 明石女御、手紙を見る
- 対の上などの渡りたまひぬる夕つ方、しめやかなるに、御方、御前に参りたまひて、この文箱聞こえ知らせたまふ。
- 34.77 源氏、女御の部屋に来る
- 院は、姫宮の御方におはしけるを、中の御障子よりふと渡りたまへれば、えしも引き隠さで、御几帳をすこし引き寄せて、みづからははた隠れたまへり。
- 34.78 源氏、手紙を見る
- 「なぞの箱。深き心あらむ。懸想人の長歌詠みて封じこめたる心地こそすれ」
とのたまへば、
「あな、うたてや。今めかしくなり返らせたまふめる御心ならひに、聞き知らぬやうなる御すさび言どもこそ、時々出で来れ」
とて、ほほ笑みたまへれど、ものあはれなりける御けしきどもしるければ、あやしとうち傾きたまへるさまなれば、わづらはしくて、
「かの明石の岩屋より、忍びてはべし御祈りの巻数、また、まだしき願などのはべりけるを、御心にも知らせたてまつるべき折あらば、御覧じおくべくやとてはべるを、ただ今は、ついでなくて、何かは開けさせたまはむ」
と聞こえたまふに、「げに、あはれなるべきありさまぞかし」と思して、
「いかに行なひまして住みたまひにたらむ。命長くて、ここらの年ごろ勤むる罪も、こよなからむかし。
- 34.79 源氏の感想
- 「年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思ひ知りゆくままに、あやしく恋しく思ひ出でらるる人の御ありさまなれば、深き契りの仲らひは、いかにあはれならむ」
などのたまふついでに、「この夢語りも思し合はすることもや」と思ひて、
「いとあやしき梵字とかいふやうなる跡にはべめれど、御覧じとどむべき節もや混じりはべるとてなむ。今はとて別れはべりにしかど、なほこそ、あはれは残りはべるものなりけれ」
とて、さまよくうち泣きたまふ。
- 34.80 源氏、紫の上の恩を説く
- 「これは、また具してたてまつるべきものはべり。今また聞こえ知らせはべらむ」
と、女御には聞こえたまふ。
- 34.82 明石御方、宿世を思う
- 「さも、いとやむごとなき御心ざしのみまさるめるかな。
- 34.83 夕霧の女三の宮への思い
- 大将の君は、この姫宮の御ことを、思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの御かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折々に参り馴れ、おのづから御けはひ、ありさまも見聞きたまふに、いと若くおほどきたまへる一筋にて、上の儀式はいかめしく、世の例にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの深くは見えず。
- 34.84 夕霧、女三の宮を他の女性と比較
- かやうのことを、大将の君も、
「げにこそ、ありがたき世なりけれ。紫の御用意、けしきの、ここらの年経ぬれど、ともかくも漏り出で見え聞こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、心うつくしう、人をも消たず、身をもやむごとなく、心にくくもてなし添へたまへること」
と、見し面影も忘れがたくのみなむ思ひ出でられける。
- 34.85 柏木、女三の宮に執心
- 衛門督えもんのかみの君も、院に常に参り、親しくさぶらひ馴れたまひし人なれば、この宮を父帝のかしづきあがめたてまつりたまひし御心おきてなど、詳しく見たてまつりおきて、さまざまの御定めありしころほひより聞こえ寄り、院にも、「めざましとは思し、のたまはせず」と聞きしを、かくことざまになりたまへるは、いと口惜しく、胸いたき心地すれば、なほえ思ひ離れず。
- 34.86 柏木ら東町に集い遊ぶ
- 弥生ばかりの空うららかなる日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督など参りたまへり。
- 34.87 南町で蹴鞠を催す
- やうやう暮れかかるに、「風吹かず、かしこき日なり」と興じて、弁君もえしづめず立ちまじれば、大殿、
「弁官もえをさめあへざめるを、上達部なりとも、若き衛府司えふづかさたちは、などか乱れたまはざらむ。かばかりの齢にては、あやしく見過ぐす、口惜しくおぼえしわざなり。さるは、いと軽々きょうぎょうなりや。
- 34.88 女三の宮たちも見物す
- いと労ある心ばへども見えて、数多くなりゆくに、上臈も乱れて、冠の額すこしくつろぎたり。
- 34.89 唐猫、御簾を引き開ける
- 御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人気近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人びとおびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしかましき心地す。
- 34.90 柏木、女三の宮を垣間見る
- 几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。
- 34.91 夕霧、事態を憂慮す
- 大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき入りたまふ。さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の綱ゆるしつれば、心にもあらずうち嘆かる。
- 34.92 蹴鞠の後の酒宴
- 大殿御覧じおこせて、
「上達部の座、いと軽々しや。こなたにこそ」
とて、対の南面に入りたまへれば、みなそなたに参りたまひぬ。宮もゐ直りたまひて、御物語したまふ。
- 34.93 源氏の昔語り
- 院は、昔物語し出でたまひて、
「太政大臣の、よろづのことにたち並びて、勝ち負けの定めしたまひし中に、鞠なむえ及ばずなりにし。
- 34.94 柏木と夕霧、同車して帰る
- 大将の君一つ車にて、道のほど物語したまふ。
- 34.95 柏木、小侍従に手紙を送る
- 督の君は、なほ大殿の東の対に、独り住みにてぞものしたまひける。
- 34.96 女三の宮、柏木の手紙を見る
- 御前に人しげからぬほどなれば、かの文を持て参りて、
「この人の、かくのみ、忘れぬものに、言問ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。心苦しげなるありさまも見たまへあまる心もや添ひはべらむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」
と、うち笑ひて聞こゆれば、
「いとうたてあることをも言ふかな」
と、何心もなげにのたまひて、文広げたるを御覧ず。