源氏物語 34 若菜 上 わかな じょう

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34.1 朱雀院、女三の宮の将来を案じる
朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、例ならず悩みわたらせたまふ。もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細く思し召されて、
「年ごろ行なひの本意深きを、后の宮おはしましつるほどは、よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、なほその方にもよほすにやあらむ、世に久しかるまじき心地なむする」
などのたまはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。
御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四所おはしましける。その中に、 藤壺と聞こえしは、先帝の源氏にぞおはしましける
まだ坊と聞こえさせし時参りたまひて、高き位にも定まりたまべかりし人の、取り立てたる御後見もおはせず、母方もその筋となく、ものはかなき更衣腹にてものしたまひければ、御交じらひのほども心細げにて、大后の、尚侍を参らせたてまつりたまひて、かたはらに並ぶ人なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気圧されて、帝も御心のうちに、いとほしきものには思ひきこえさせたまひながら、下りさせたまひにしかば、かひなく口惜しくて、世の中を恨みたるやうにて亡せたまひにし。
その御腹の女三の宮を、あまたの御中に、すぐれてかなしきものに思ひかしづききこえたまふ。
そのほど、御年、十三、四ばかりおはす。
「今はと背き捨て、山籠もりしなむ後の世にたちとまりて、誰を頼む蔭にてものしたまはむとすらむ」
と、ただこの御ことをうしろめたく思し嘆く。
西山なる御寺造り果てて、移ろはせたまはむほどの御いそぎをせさせたまふに添へて、またこの宮の御裳着のことを思しいそがせたまふ。
院のうちにやむごとなく思す御宝物、御調度どもをばさらにもいはず、はかなき御遊びものまで、すこしゆゑある限りをば、ただこの御方に取りわたしたてまつらせたまひて、その次々をなむ、異御子たちには、御処分どもありける。
朱雀院の帝は、先の御幸のあとで、行幸の頃から具合が悪かったのだが、病で体の調子が悪くなった。元来病弱な方で、今回はことさらに心細く感じられて、
「年来の出家の本願は深く、御母后の在世中は、はばかって、今までは思い止めていたのだが、やはり出家の道には心せくものがあり、わたしもこの世に長く生きられない気がする」
などと仰せになって、世を捨てる心積もりをするのであった。
御子たちは、春宮を別にして、女宮が四人いた。帝の女御たちの中に、藤壺という女御がいたが、これは先帝の源氏の出であった。
藤壺は朱雀帝がまだ東宮の頃に入内し、本来は高い位につくべき人であったが、取り立てて後見もいなかったので、母方も名のある家柄ではなく、はかない更衣腹であったので女御たちの交じらいの中でも心細げで、弘徽殿の大后が、朧月夜の尚侍を強引に入内させて、周りが及ばないほどに厚くもてなしたので、気圧されて、帝も心のうちではかわいそうに思っていたが、皇位を譲ってしまったあとでは、いかんともしがたく、この更衣は口惜しかったろうに世を恨むようにして亡くなった。
院は、その腹の女三の宮を、多くの宮の中でも、ことさら可愛いがって大切に育てていた。
その子の年は、十三、四くらいであった。
「今は世に背いて、山籠りして後に残った者たちは、誰を頼って生きていったらいいのだろう」
とただこのことを心配され、思い嘆くのだった。
西山に寺を造り終わって、一方では移転の支度をさせながら、またこの宮の裳着の儀式のことも思って、準備をさせていた。
院の御所にあるとても貴重な宝物、調度類は言うに及ばず、ごくたわいない遊びの道具にいたるまで、少しでも由緒のあるものは、全部この三の宮に遺産分けして賜って、その次の残りの品々を他の宮たちに、分配して賜るのだった。
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34.2 東宮、父朱雀院を見舞う
春宮は、「かかる御悩みに添へて、世を背かせたまふべき御心づかひになむ」と聞かせたまひて、渡らせたまへり。母女御、添ひきこえさせたまひて参りたまへり。すぐれたる御おぼえにしもあらざりしかど、宮のかくておはします御宿世の、限りなくめでたければ、年ごろの御物語、こまやかに聞こえさせたまひけり。
宮にも、よろづのこと、世をたもちたまはむ御心づかひなど、聞こえ知らせたまふ。御年のほどよりはいとよく大人びさせたまひて、御後見どもも、こなたかなた、軽々しからぬ仲らひにものしたまへば、いとうしろやすく思ひきこえさせたまふ。
「この世に恨み残ることもはべらず。女宮たちのあまた残りとどまる行く先を思ひやるなむ、さらぬ別れにもほだしなりぬべかりける。さきざき、人の上に見聞きしにも、女は心よりほかに、あはあはしく、人におとしめらるる宿世あるなむ、いと口惜しく悲しき。
いづれをも、思ふやうならむ御世には、さまざまにつけて、御心とどめて思し尋ねよ。その中に、後見などあるは、さる方にも思ひ譲りはべり。
三の宮なむ、いはけなき齢にて、ただ一人を頼もしきものとならひて、うち捨ててむ後の世に、ただよひさすらへむこと、いといとうしろめたく悲しくはべる」
と、御目おし拭ひつつ、聞こえ知らせさせたまふ。
女御にも、うつくしきさまに聞こえつけさせたまふ。されど、女御の、人よりはまさりて時めきたまひしに、皆挑み交はしたまひしほど、御仲らひども、えうるはしからざりしかば、その名残にて、「げに、今はわざと憎しなどはなくとも、まことに心とどめて思ひ後見むとまでは思さずもや」とぞ推し量らるるかし。
朝夕に、この御ことを思し嘆く。年暮れゆくままに、御悩みまことに重くなりまさらせたまひて、御簾の外にも出でさせたまはず。御もののけにて、時々悩ませたまふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさざりつるを、「このたびは、なほ、限りなり」と思し召したり。
御位を去らせたまひつれど、なほその世に頼みそめたてまつりたまへる人びとは、今もなつかしくめでたき御ありさまを、心やりどころに参り仕うまつりたまふ限りは、心を尽くして惜しみきこえたまふ。
春宮は、「帝がご病気に加えて、出家しようとしている」と聞いて、見舞いに来た。母の承香殿の女御も一緒に参上した。女御は帝の寵愛がすばらしく厚かったわけではないが、春宮がこうして立派に春宮の地位にいるのも宿世がめでたいかったからで、院は、長年の積もる思いをこと細やかに話されるのだった。
宮にも、諸事万端よろずのことを、世を統治する心構えをはじめて、いろいろとお話されるのだった。(春宮は)年よりは大人びて成長しているので、後見たちもあちこちに軽くはない身分の者たちがたくさんいて、後の心配はなかった。
「この世に未練はないが、女宮たちがたくさんいるので、それぞれの行く末が思いやられる。末期の別れの妨げになるかも知れぬ。先代の人に聞いても、女は意に反して、軽率に、世間の人に貶められる宿世もあるそうなので、とても心配しているし悲しく思う。
どなたをも、即位されたら、何かにつけて、忘れず世話をしてください。その中でも母方がしっかり後見がある宮は、その方に任せてよいと思います。
ただ三の宮は、まだ幼い年頃なので、わたしひとりを頼りに育ったので、出家したあとは、寄る辺ない生活をすることになるのではないか、すごく心配なのです」
と涙をぬぐいながら、語るのであった。
承香殿の女御にも、三の宮のことを面倒見てくれるよう頼むのであった。しかし、母の藤壺は人に勝って寵愛を得ていたので、みな競った仲でその関係はあまりよくなく、その名残が残っていて、「本当に、今は格別憎いということはないだろうが、心から世話をする気にならないのではないか」と承香殿の女御は思うのであった。
院は、朝夕に女三の宮のことを思い嘆いた。年の暮れ頃になって、病気がますます重くなって、御簾の外にも出なくなった。 物の怪に時々悩まされることもあったのだが、以前にはこんなにもいつまでも悪い病状が続くことはなかったので、「もう今度が最後だろう」と思うのだった。
退位された後ではあったが、御在位中に恩顧を受けた人々は多くいて、今もやさしくすばらしい院のお人柄を、心の遣り所にしてお仕えして、心から惜しむのであった。
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34.3 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う
六条院よりも、御訪らひしばしばあり。みづからも参りたまふべきよし、聞こし召して、院はいといたく喜びきこえさせたまふ。
中納言の君参りたまへるを、御簾の内に召し入れて、御物語こまやかなり。
「故院の上の、今はのきざみに、あまたの御遺言ありし中に、この院の御こと、今の内裏の御ことなむ、取り分きてのたまひ置きしを、公けとなりて、こと限りありければ、うちうちの御心寄せは、変らずながら、はかなきことのあやまりに、心おかれたてまつることもありけむと思ふを、年ごろことに触れて、その恨み残したまへるけしきをなむ漏らしたまはぬ。
賢しき人といへど、身の上になりぬれば、こと違ひて、心動き、かならずその報い見え、ゆがめることなむ、いにしへだに多かりける。
いかならむ折にか、その御心ばへほころぶべからむと、世の人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐしたまひて、 春宮などにも心を寄せきこえたまふ。今はた、またなく親しかるべき仲とな り、睦び交はしたまへるも、限りなく心には思ひながら、本性の愚かなるに添へて、子の道の闇にたち交じり、かたくななるさまにやとて、なかなかよそのことに聞こえ放ちたるさまにてはべる。
内裏の御ことは、かの御遺言違へず仕うまつりおきてしかば、かく末の世の明らけき君として、来しかたの御面をも起こしたまふ。本意のごと、いとうれしくなむ。
この秋の行幸の後、いにしへのこととり添へて、ゆかしくおぼつかなくなむおぼえたまふ。対面に聞こゆべきことどもはべり。かならずみづから訪らひものしたまふべきよし、もよほし申したまへ」
など、うちしほたれつつのたまはす。
六条院の源氏からも、お見舞いがしばしばあって、自分でも自らお見舞いに上がる旨、お伝えすると、朱雀院はたいそう喜んだ。
夕霧が参上すると、御簾の中に招じ入れられて、帝は細やかに物語をした。
「故桐壺院が、今わの際にたくさんの御遺言がありました中で、源氏のことと冷泉帝のことを、とりわけて言い残したのですが、いざ即位してみると、自由にふるまうことが出来ず、わたし個人の気持は変わらないのだが、些細なことに行き違いが生じ、気に障ったこともあると思うが、年頃何につけてもその恨みが残り、口に出して漏らすこともあるはず。
賢明な人でも、自分のこととなれば、事情が異なり、感情に動かされ、報復したり、道に外れることが、昔から多い。
どんな折に、その心ばえがほころぶだろうと、世間の人も疑っていたが、源氏の君は、ついに最後まで我慢し通したし、春宮などにも心を寄せている。今は今で、この上なく、親しい親族となり、仲睦まじくしているのも、無上にうれしいと思いながら、生来の我が愚かさに加えて、子を思う親心で目がくらみ、見苦しい姿を見せているのではないかと思い、かえって源氏にすっかりお任せ申している有様です。
冷泉帝の即位のことも、御遺言どおりに成し遂げたし、こうして冷泉帝は末世に現われた名君として、昔の面目も取り戻しました。望みどおりでうれしく思います。
この秋の行幸の後、昔のことをいろいろ思い出して、懐かしくお会いするのが待ち遠しいです。お会いして申し上げたいことがあります。どうか御自分がお越し下さるように、君にお伝えください」
など、涙ながらにおっしゃるのだった。
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34.4 夕霧、源氏の言葉を言上す 夕霧が朱雀院に父源氏のことを話す様子の文章は、立派である
中納言の君、
過ぎはべりにけむ方は、ともかくも思うたまへ分きがたくはべり年まかり入りはべりて、朝廷にも仕うまつりはべるあひだ、世の中のことを見たまへまかりありくほどには、大小のことにつけても、うちうちのさるべき物語などのついでにも、『いにしへのうれはしきことありてなむ』など、うちかすめ申さるる折ははべらずなむ。
かく朝廷の御後見を仕うまつりさして、静かなる思ひをかなへむと、ひとへに籠もりゐし後は、何ごとをも、知らぬやうにて、故院の御遺言のごともえ仕うまつらず、御位におはしましし世には、齢のほども、身のうつはものも及ばず、かしこき上の人びと多くて、その心ざしを遂げて御覧ぜらるることもなかりき。今、かく政事を去りて、静かにおはしますころほひ、心のうちをも隔てなく、参りうけたまはらまほしきを、さすがに何となく所狭き身のよそほひにて、おのづから月日を過ぐすこと』
となむ、折々嘆き申したまふ」
など、奏したまふ。
二十にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひ過ぐして、容貌も盛りに匂ひて、いみじくきよらなるを、御目にとどめてうちまもらせたまひつつ、このもてわづらはせたまふ姫宮の御後見に、これをやなど、人知れず思し寄りけり。
「太政大臣のわたりに、今は住みつかれにたりとな。年ごろ心得ぬさまに聞きしが、いとほしかりしを、耳やすきものから、さすがにねたく思ふことこそあれ」
とのたまはする御けしきを、「いかにのたまはするにか」と、あやしく思ひめぐらすに、「この姫宮をかく思し扱ひて、さるべき人あらば、預けて、心やすく世をも思ひ離ればや、となむ思しのたまはする」と、おのづから漏り聞きたまふ便りありければ、「さやうの筋にや」とは思ひぬれど、ふと心得顔にも、何かはいらへきこえさせむ。ただ、
はかばかしくもはべらぬ身には、寄るべもさぶらひがたくのみなむ
とばかり奏して止みぬ。
中納言の君が申し上げる。
「過ぎ去った昔のことなどは、幼かったので、何とも分かりかねます。成人になってからは、朝廷にも仕えるようになって、世間での経験もいろいろ積んでからは、大小のことにつけても、親子の打ち解けた話のなかでも、『昔のことだがつらいことがあってな』などとは、一言も言われたことはありませんでした。
『准太上天皇になって朝廷の後見を途中で辞してからは、静かに生活しようと、すっかり隠居して籠もってからは、世事一切を振り捨てたようにしているので、故院のご遺言通りにお仕えすることも出来ず、朱雀帝が位におられた世は、歳も若く器量も及ばず、賢い人々が上にいて、思うところを十分に遂げることも出来なかった、今はこうして政事を去って、静かに暮らしているので、心のうちも隔てなく参上したいのですが、さすがに、大そうな身辺の様子ですので、つい思うに任せない』
と時々嘆いています」
などと院に申し上げる。
夕霧はまだ二十歳にもならないのだが、年齢よりはずっと立派で、容貌も若い盛りに輝いて、まことに美しいので、院は目を留めてじっと見ていて、今悩ましている姫宮の婿に、どうだろうか、などと人知れず思っていた。
「太政大臣の邸に、今は住んでいるそうだね。長い間、納得のいかない話だし、気の毒に思っていました。安心しましたが、やはり残念に思うところもあります」
と仰せになる様子を、「何を言っているのだろう」と、あやしく思い巡らすと「この姫君の身の上を心配されて、しかるべき 人がいれば、預けて、安心して出家しよう、と思っていらっしゃるのだ」と、自然と漏れ聞こえる噂があったので、「その筋の話か」とは思うが、得心がいった心地がしたが、さて今はどう返事したらいいのだろう。ただ、
「わたしのような頼りない者には、妻もなかなか来てくれません」
とばかり申し上げて黙り込んだ。
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34.5 朱雀院の夕霧評
女房などは、覗きて見きこえて、
「いとありがたくも見えたまふ容貌、用意かな」
「あな、めでた」
など、集りて聞こゆるを、老いしらへるは、
「いで、さりとも、かの院のかばかりにおはせし御ありさまには、えなずらひきこえたまはざめり。いと目もあやにこそきよらにものしたまひしか」
など、言ひしろふを聞こしめして、
「まことに、かれはいとさま異なりし人ぞかし。今はまた、その世にもねびまさりて、光るとはこれを言ふべきにやと見ゆる匂ひなむ、いとど加はりにたる。うるはしだちて、はかばかしき方に見れば、いつくしくあざやかに、目も及ばぬ心地するを、また、うちとけて、戯れごとをも言ひ乱れ遊べば、その方につけては、似るものなく愛敬づき、なつかしくうつくしきことの、並びなきこそ、世にありがたけれ。何ごとにも前の世推し量られて、めづらかなる人のありさまなり。
宮の内に生ひ出でて、帝王の限りなくかなしきものにしたまひ、さばかり撫でかしづき、身に変へて思したりしかど、心のままにも驕らず、卑下して、二十がうちには、納言にもならずなりにきかし。一つ余りてや、宰相にて大将かけたまへりけむ。
それに、これはいとこよなく進みにためるは次々の子の世のおぼえのまさるなめりかし。まことに賢き方の才、心もちゐなどは、これもをさをさ劣るまじく、あやまりても、およすけまさりたるおぼえ、いと異なめり」
など、めでさせたまふ。
女房たちがすき間から覗き見て、
「すばらしいお姿、容貌、所作ですこと」
「まあ、すばらしい」
などと言って集まっているのを、老いた女房は、
「さあ、それでも、六条の院がこの年頃であったときの有様には、較べようもありませんね。本当にすばらしくまぶしい くなるほどの美しさでした」
など、言い合っているのを院が聞いて、
「まことにあの方は格別に優れた人でした。今また、あの頃より貫禄がついて、光るとはこれを言うのかと見えるほどの美しさが加わっています。威儀を正して、公事に携わっているところを見ると、厳然として、端麗で、目もくらみそうな気がするが、また、打ち解けて冗談でふざけてたわむれる、そうした面では、すごく愛嬌があって、親しみがあって美しいこと目もくらみそうな程で、本当にまたとないほどです。何事も前世の因縁が推し量られて、稀有な人です。
内裏の中で育てられ、帝に限りなく愛されて育ち、それほど大事にされて、わが身以上に可愛がられて育ったのに、心におごりなく、自分を卑下して、二十歳のときには中納言にもなっていない。二十歳を一歳越えてから、宰相で大将になったのです。
それに、夕霧が早く昇進したしたのは、親から子へと世間の評判が上がっているからでしょう。まことに、漢学の才、心遣い、などは、夕霧もおさおさ源氏に劣らず、父親より老成しているという評判が、格別なのだ」
などと、褒めるのだった。
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34.6 女三の宮の乳母、源氏を推薦
姫宮のいとうつくしげにて、若く何心なき御ありさまなるを見たてまつりたまふにも、
見はやしたてまつり、かつはまた、片生ひならむことをば、見隠し教へきこえつべからむ人の、うしろやすからむに預けきこえばや
など聞こえたまふ。
大人しき御乳母ども召し出でて、御裳着のほどのことなどのたまはするついでに、
「六条の大殿の、式部卿親王のむすめ ほし立てけむやうに、この宮を預かりて育まむ人もがな。ただ人の中にはありがたし。内裏には中宮さぶらひたまふ。次々の女御たちとても、いとやむごとなき限りものせらるるに、はかばかしき後見なくて、さやうの交じらひ、いとなかなかならむ。
この権中納言の朝臣の独りありつるほどに、うちかすめてこそ試みるべかりけれ。若けれど、いと警策に、生ひ先頼もしげなる人にこそあめるを」
とのたまはす。
「中納言は、もとよりいとまめ人にて、年ごろも、かのわたりに心をかけて、ほかざまに思ひ移ろふべくもはべらざりけるに、その思ひ叶ひては、いとど揺るぐ方はべらじ。
かの院こそ、なかなか、なほいかなるにつけても、人をゆかしく思したる心は、絶えずものせさせたまふなれ。その中にも、やむごとなき御願ひ深くて、前斎院などをも、今に忘れがたくこそ、聞こえたまふなれ」
と申す。
「いで、その旧りせぬあだけこそは、いとうしろめたけれ」
とはのたまはすれど、
「げに、あまたの中にかかづらひて、めざましかるべき思ひはありとも、なほやがて親ざまに定めたるにて、さもや譲りおききこえまし
なども、思し召すべし。
「まことに、少しも世づきてあらせむと思はむ女子持たらば、同じくは、かの人のあたりにこそ、触ればはせまほしけれ。いくばくならぬこの世のあひだは、さばかり心ゆくありさまにてこそ、過ぐさまほしけれ。
われ女ならば、同じはらからなりとも、かならず睦び寄りなまし。若かりし時など、さなむおぼえし。まして、女の欺かれむは、いと、ことわりぞや」
とのたまはせて、御心のうちに、 尚侍かむの君の御ことも、思し出でらるべし。
姫君のたいへんかわいらしく、幼くあどけない無心に振舞っている有様を見ていると、
「見てほめてくれて、また、至らないところは、見ないでそっと教えてくれるような人で、頼りになる人に預けたいものだ」
などと仰るのであった。
年かさの乳母たちを召されて、宮の裳着の儀式について話すついでの時にも、
「六条の大殿が、紫の上を育てたように、この宮を預かって育ててくれる人がいないものか。臣籍の者にはいないだろう。内裏には、中宮などがいる。次々の女御も、とても高貴な身分の者ばかりで、しっかりした後見がなければ、その中で交際するのは、かえってつらいことだろう。
この権中納言の朝臣が独身だった時に、そっと打診しておくのだった。ごく若いけれど、とりわけ優秀で、将来とても有望な人材だからな」
と朱雀院が仰せになる。
「中納言は、元来真面目な人で、長年思いをかけた方がいて、他に心を移すなど軽薄なこともなく、その思いが叶った後ですから、君の心が揺らぐことはないでしょう。
かえって、あの院ご自身こそどうでしょう、どんな身分の方でも新しい女君を求める気持ちは変わらないようですから。とりわけ深く思いを寄せている方が、朝顔の君であり、今も文を交わしているようです」
と乳母は申し上げる。
「いや、その変わらぬ浮気っぽさが心配なのだ」
とは言うのだが、
「いかにも、多くの妻妾がいる中で、不愉快な思いもするだろうが、親の決めたこととして、親代わりにお預けするか」
などとも思うのだった。
「まことに、多少なりと、世間並みに結婚させようと思う子女がいれば、あの人に縁組させたいと思うだろう。いくばくもないこの世に生きている間、あのように満足のいく思いをして、過ごしたいものだ。
わたしが女ならば、同じ兄弟姉妹でも、必ずなついてついて行くだろうし。若いときなら、そう思っただろうし、まして、女がだまされるのも、無理はない」
と院は仰せになり、心のうちでは、尚侍かむの君のこともあったようだ。
2020.3.5/ 2021.10.26/ 2023.5.29
34.7 乳母と兄左中弁との相談
この御後見どもの中に、重々しき御乳母の兄、左中弁なる、かの院の親しき人にて、年ごろ仕うまつるありけり。この宮にも心寄せことにてさぶらへば、参りたるにあひて、物語するついでに、
「主上なむ、しかしか御けしきありて聞こえたまひしを、かの院に、折あらば漏らしきこえさせたまへ。皇女たちは、独りおはしますこそは例のことなれど、さまざまにつけて心寄せたてまつり、何ごとにつけても、御後見したまふ人あるは頼もしげなり。
主上をおきたてまつりて、また真心に思ひきこえたまふべき人もなければ、おのらは、仕うまつるとても、何ばかりの宮仕へにかあらむ。わが心一つにしもあらで、おのづから思ひの他のこともおはしまし、軽々しき聞こえもあらむ時には、いかさまにかは、わづらはしからむ。御覧ずる世に、ともかくも、この御こと定まりたらば、仕うまつりよくなむあるべき。
かしこき筋と聞こゆれど、女は、いと宿世定めがたくおはしますものなれば、よろづに嘆かしく、かくあまたの御中に、取り分ききこえさせたまふにつけても、人の嫉みあべかめるを、いかで塵も据ゑたてまつらじ」
と語らふに、弁、
「いかなるべき御ことにかあらむ。院は、あやしきまで御心長く、仮にても見そめたまへる人は、御心とまりたるをも、またさしも深からざりけるをも、かたがたにつけて尋ね取りたまひつつ、あまた集へきこえたまへれど、やむごとなく思したるは、限りありて、一方なめれば、それにことよりて、かひなげなる住まひしたまふ方々こそは多かめるを、御宿世ありて、もし、さやうにおはしますやうもあらば、いみじき人と聞こゆとも、立ち並びておしたちたまふことは、えあらじとこそは推し量らるれど、なほ、いかがと憚らるることありてなむおぼゆる。
さるは、『この世の栄え、末の世に過ぎて、身に心もとなきことはなきを、女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、わが心にも飽かぬこともある』となむ、常にうちうちのすさびごとにも思しのたまはすなる。
げに、おのれらが見たてまつるにも、さなむおはします。かたがたにつけて、御蔭に隠したまへる人、皆その人ならず立ち下れる際にはものしたまはねど、限りあるただ人どもにて、院の御ありさまに並ぶべきおぼえ具したるやはおはすめる。
それに、同じくは、げにさもおはしまさば、いかにたぐひたる御あはひならむ」
と語らふを、
この世話役たちの中に、地位の高い乳母の兄で、左中弁の身分の者で、あの源氏の院に親しく長年出入りして仕えていたのがいた。この宮にも格別忠義を尽くしていたので、参上したときの話の中で、
「帝がこれこれの意向を持っていると聞いたので、源氏の君に折あればそっと申し上げるのはいかがでしょう。皇女たちはひとりでいるのが通例だが、あれこれにつけて心配りをして、何事につけても、世話を焼いてくれる人がいるのは、頼もしいものです。
帝のほかには、心からこの宮のことを思ってくれる人もないので、わたしらは、お仕えするといっても、どれほどのことができましょう。わたしひとりの思うままにもならず、成り行きで予期しないことが起きることもあるでしょうし、浮ついた噂が出たらどんなに迷惑なことでしょう。ご在世中に、ともかくも、このことが決まれば、とてもお仕えしやすくなります。
高貴なご身分と申しても、女は身の上が不安定なので、何事につけて心配ですが、こうして女宮がたくさんいる中で、特別扱いするのも、妬みが生じたりしますが、些細な疵も付けたくないものです」
と語り、それから弁は、
「どうすればよいのでしょう。院は不思議なほどお気持ちの変わらない方で、仮にも見初めた人は、深く思い至った人も、それほど深く思わなかった人も、それぞれに、引き取って、邸に集めるのですが、とりわけ大切にしている人はやはりひとりだから、そちらに片寄って、張り合いのない暮らしをしている方々も多くいるが、もしご縁があって、もし源氏に降嫁するようなことがあったら、どんなにご寵愛を受けているご婦人といえども、宮に張り合って振舞うことは、よもやあるまいと思われるが、それでもどうかなと懸念される点はあるように思われます。
とは申せ、『この世での栄達はこの上なく、末世に過ぎて、その身に不足はないのだが、女のことでは、人の非難もあり、自分でも満足できない』と常々、内輪の閑談のときにも仰るのであった。
いかにも、自分らが見ていても、そのように思いますから。それぞれの縁があって、世話している婦人方は皆、素性の分からぬ低い身分の人はおられないが、臣下の出で、院に肩を並べるられる人はいないのではないでしょうか。
もしそういうことがあれば、どんなにか似合いの夫婦になることでしょうか」
と語るのを、
2020.3.7/ 2021.10.28/ 2023.5.30◎
34.8 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上
乳母、またことのついでに、
「しかしかくなむ、なにしの朝臣にほのめかしはべりしかば、『かの院には、かならずうけひき申させたまひてむ。年ごろの御本意かなひて思しぬべきことなるを、こなたの御許しまことにありぬべくは、伝へきこえむ』となむ申しはべりしを、いかなるべきことにかははべらむ。
ほどほどにつけて、人の際々思しわきまへつつ、ありがたき御心ざまにものしたまふなれど、ただ人だに、またかかづらひ思ふ人立ち並びたることは、人の飽かぬことにしはべめるを、めざましきこともやはべらむ。御後見望みたまふ人びとは、あまたものしたまふめり。
よく思し定めてこそよくはべらめ。限りなき人と聞こゆれど、今の世のやうとては、皆ほがらかに、あるべかしくて、世の中を御心と過ぐしたまひつべきもおはしますべかめるを、姫宮は、あさましくおぼつかなく、心もとなくのみ見えさせたまふに、さぶらふ人びとは、仕うまつる限りこそはべらめ。
おほかたの御心おきてに従ひきこえて、賢しき下人もなびきさぶらふこそ、頼りあることにはべらめ。取り立てたる御後見ものしたまはざらむは、なほ心細きわざになむはべるべき」
と聞こゆ。
乳母はまた別の機会に、帝に申し上げるには、
「しかじかかくかくと、某朝臣にそれとなく申しましたところ、『あの院は、必ずお受けするでしょう。年来の宿願が叶うでしょうから、こちらの意向はほんとうかどうか、再度伝えて確かめてくれ』と申しておりすので、どのようにいたしたらよろしいでしょうか。
院は、女の身分に応じて、その人の違いをわきまえ、行き届いた心遣いをしておりますが、普通の身分の者でも、側に思い人が別にいれば、不愉快な思いをするでしょうから、嫌なこともあるでしょう。女三宮の後見を願っている人々は、たくさんいるでしょう。
よく考えてお決めになってください。身分の高い人と申しても、当世風では、はっきり自分の考えを持ち、世の中を自分の考え通りに過ごしている人もいるようですが、姫宮は、驚くほど世間知らずで、とても心もとなく見えますので、お側に仕える人々にも限度というものがございます。
ご主人の大筋の方針に従って、賢い下人たちがそれに倣って忠勤に励んでこそ、心丈夫というものです。これといった、ご後見がおられなければ、心細い限りでございます」
と申すのだった。
2020.3,7/ 202110.30/ 2023.5.30
34.9 朱雀院、内親王の結婚を苦慮
†「しか思ひたどるによりなむ。皇女たちの世づきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもあり、また高き際といへども、女は男に見ゆるにつけてこそ、悔しげなることも、めざましき思ひも、おのづからうちまじるわざなめれと、かつは心苦しく思ひ乱るるを、また、さるべき人に立ちおくれて、頼む蔭どもに別れぬる後、心を立てて世の中に過ぐさむことも、昔は、人の心たひらかにて、世に許さるまじきほどのことをば、思ひ及ばぬものとならひたりけむ、今の世には、好き好きしく乱りがはしきことも、類に触れて聞こゆめりかし。
昨日まで高き親の家にあがめられかしづかれし人の女の、今日は直々しく下れる際の好き者どもに名を立ち欺かれて、亡き親の面を伏せ、影を恥づかしむるたぐひ多く聞こゆる。言ひもてゆけば皆同じことなり。
ほどほどにつけて、宿世などいふなることは、知りがたきわざなれば、よろづにうしろめたくなむ。すべて、悪しくも善くも、さるべき人の心に許しおきたるままにて世の中を過ぐすは、宿世宿世にて、後の世に衰へある時も、みづからの過ちにはならず。
あり経て、こよなき幸ひあり、めやすきことになる折は、かくても悪しからざりけりと見ゆれど、なほ、たちまちふとうち聞きつけたるほどは、親に知られず、さるべき人も許さぬに、心づからの忍びわざし出でたるなむ、女の身にはますことなき疵とおぼゆるわざなる。
直々しきただ人の仲らひにてだに、あはつけく心づきなきことなり。みづからの心より離れてあるべきにもあらぬを、思ふ心よりほかに人にも見えず、宿世のほど定められむなむ、いと軽々しく、身のもてなし、ありさま推し量らるることなるを。
あやしくものはかなき心ざまにやと見ゆめる御さまなるを、これかれの心にまかせ、もてなしきこゆなる、さやうなることの世に漏り出でむこと、いと憂きことなり」
など、見捨てたてまつりたまはむ後の世を、うしろめたげに思ひきこえさせたまへれば、いよいよわづらはしく思ひあへり。
「わたしもそのように思うが、皇女たちが結婚するのは軽薄だと思えることもあり、また、身分が高いといっても、女は結婚すれば、悔しいことも嫌なこともおのずからあるものですが、そのことで悩んでいるのだが、頼みの親に先立たれ、庇護者たちとも死別して、自分の思い通りに独身を通して、世の中を生きてゆくのも、昔は人心が穏やかで、世が認めないような結婚などは、許されないことと思われていたが、今の世では、色めいて風儀のよくないこともあると、縁につながる者を通して、聞こえてくる。
昨日まで身分の高い親の家であがめられ大切にされた女が、今日は、取るに足らない身分の浮気男どもにだまされて浮名を立てられて、死後に親の名を汚す例が多く聞くが、煎じ詰めれば、どちらにしろ同じことだ。
それぞれの身分に応じて、前世の因縁など知り難ければ、万事につけて、心配なのだ。すべてにおいて、良くも悪くも、親兄弟の言う通りに、世の中を過ごすのは、それぞれの運不運であって、将来落ちぶれたとしても、自分の過ちとはいえないだろう。
時を経て、たいそうな幸せを得て、幸運になるときは、こうして結果は悪くはなかったと思えるときでも、ちょっと耳にした当座は、親にも知られず、頼りにする人も許さないで、自分勝手に密通をしたので、女の身にはこの上ない汚点と思われることがある。
並みの身分の者の間でも、それは軽薄で好もしくないことだ。本人の意に反してことが運ばれるはずもないが、思ってもいない人に逢って、身の上が決められてしまうのは、軽率で女として日頃の心構えや態度が推し量られる。
三の宮は、妙に頼りない性格ではないかと思われる様子なので、誰彼の一存で仲介することのないように。そのようなことが、世間に漏れ出るのは、あってはならない」
などと、院は、出家の後のことまで、心配そうに案じているので、乳母たちはいよいよ厄介なことになった、と思うのであった。
2020.3.7/ 202110.30/ 2023.5.30
34.10 朱雀院、婿候補者を批評
「今すこしものをも思ひ知りたまふほどまで見過ぐさむとこそは、年ごろ念じつるを、深き本意も遂げずなりぬべき心地のするに思ひもよほされてなむ。
かの六条の大殿は、げに、さりともものの心得て、うしろやすき方はこよなかりなむを、方々にあまたものせらるべき人びとを知るべきにもあらずかし。とてもかくても、人の心からなり。のどかにおちゐて、おほかたの世のためしとも、うしろやすき方は並びなくものせらるる人なり。さらで良ろしかるべき人、誰ればかりかはあらむ。
兵部卿宮、人柄はめやすしかし。同じき筋にて、異人とわきまへおとしむべきにはあらねど、あまりいたくなよびよしめくほどに、重き方おくれて、すこし軽びたるおぼえや進みにたらむ。なほ、さる人はいと頼もしげなくなむある。
また、大納言の朝臣の家司望むなる、さる方に、ものまめやかなるべきことにはあなれど、さすがにいかにぞや。さやうにおしなべたる際は、なほめざましくなむあるべき。
昔も、かうやうなる選びには、何事も人に異なるおぼえあるに、ことよりてこそありけれただひとへに、またなく持ちゐむ方ばかりを、かしこきことに思ひ定めむは、いと飽かず口惜しかるべきわざになむ
右衛門督うえもんのかみの下にわぶなるよし、尚侍のものせられし、その人ばかりなむ、位など今すこしものめかしきほどになりなば、などかは、とも思ひ寄りぬべきを、まだ年いと若くて、むげに軽びたるほどなり。
高き心ざし深くて、やもめにて過ぐしつつ、いたくしづまり思ひ上がれるけしき、人には抜けて、才などもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば、行く末も頼もしけれど、なほまたこのためにと思ひ果てむには、限りぞあるや」
と、よろづに思しわづらひたり。
かうやうにも思し寄らぬ姉宮たちをば、かけても聞こえ悩ましたまふ人もなし。あやしく、うちうちにのたまはする御ささめき言どもの、おのづからひろごりて、心を尽くす人びと多かりけり。
「もう少し、世間のことが分かるまで待とうかと、このところ我慢していたが、出家ができなくなるという懸念がするので、気が急いてしまうのだ。
あの六条の大殿は、本当に、そうは言っても、物の心得があり、安心できる点では格別だし、あちこちにいる大勢の婦人たちのことは考えなくてもいいだろう。ともかくも、女自身の心がけ次第です。悠揚迫らず、広く世の模範ともいうべき人で、信頼できることでは、比類ない方だ。これよりいい人は、他に誰がいるだろう。
兵部卿の宮は、人柄は無難で、同じ兄弟だから、他人扱いをして軽んじたくないが、あまりになよなよして風流がかっていて、重々しいところが足りないので、少し軽薄な印象が強いです。やはりそんな人は、頼りない気がする。
また、大納言の朝臣で、家司をしている者が、三の宮を望んでいるというが、まじめなんだろうが、さすがにどんなもんだろう。そのような身分の低い者は、やはり不都合だろう。
昔もこのような婿選びには、何事にも人に優れた声望のある者に、靡いていくものだが、ただ自分ひとりを大切にしてくれるのがいいと思って夫を決めるのは、十分ではないし残念なことです。
柏木が思いを寄せている由、 尚侍ないしのかみ/rt>が話していましたが、その人程度なら、いま少し位が上がったら、何の不自由なことがあろう。まだ年も若く、まるで貫禄がない。
高い理想を持っていて、ずっと独身を通していて、少しもあせらず、志を高く持っている様子は、抜きんでて、漢学の才も申し分なく、将来は天下の柱石にもなる人物だから、行く末頼もしいが、やはり三の宮の婿と決めてしまうにのはどうか」
と、あれこれ思い悩むのであった。
朱雀院が、これほど愛情を寄せていない姉宮たちには、一向に求愛する人もない。どうゆうわけか、朱雀院が内輪で話す内緒のことが自然と広がって、三の宮に求愛する人が多いのだった。
2020.3.8/ 2021.10.30/ 2023.5.31
34.11 婿候補者たちの動静
太政大臣も
「この衛門督の、今までひとりのみありて、皇女たちならずは得じと思へるを、かかる御定めども出で来たなる折に、さやうにもおもむけたてまつりて、召し寄せられたらむ時、いかばかりわがためにも面目ありてうれしからむ」
と、思しのたまひて、尚侍の君には、かの姉北の方して、伝へ申したまふなりけり。よろづ限りなき言の葉を尽くして奏せさせ、御けしき賜はらせたまふ。
兵部卿宮は、左大将の北の方を聞こえ外したまひて、聞きたまふらむところもあり、かたほならむことはと、選り過ぐしたまふに、いかがは御心の動かざらむ。限りなく思し焦られたり。
藤大納言は、年ごろ院の別当にて、親しく仕うまつりてさぶらひ馴れにたるを、御山籠もりしたまひなむ後、寄り所なく心細かるべきに、この宮の御後見にことよせて、顧みさせたまふべく、御けしき切に賜はりたまふなるべし。
太政大臣も、
「この柏木が、今までひとりを通して、皇女でなければ結婚しないと決めていたので、このような婿選びの段階になって、希望を帝に申し上げた、親しく婿としてお召しいただけたら、どんなにか面目が立ってうれしいだろう」
と思い申して、 尚侍ないしのかみ(朧月夜)に、姉君の太政大臣の北の方を通して求婚の意向伝えたのだった。言葉を尽くして奏上し、帝の内意をお伺いした。
兵部卿宮は、玉鬘を得られなかったので、いい加減な相手ではなく、選り好みしていて、どうして心の動かぬことがあろろうか、この上もなくやきもきしていた。
藤大納言という者は、年来朱雀院の別当をしていて、身辺に出入りしていて馴れていたので、院が山籠りした後の、寄る辺なく心細いだろうから、姫の世話役にこと寄せて、帝の庇護がいただけるように、切にお願いするのだった。
2020.3.8/ 2021.11.1/ 2023.5.31
系図
34.12 夕霧の心中
権中納言も、かかることどもを聞きたまふに、
「人伝てにもあらず、さばかりおもむけさせたまへりし御けしきを見たてまつりてしかば、おのづから便りにつけて、漏らし、聞こし召さることもあらば、よももて離れてはあらじかし」
と、心ときめきもしつべけれど、
「女君の今はとうちとけて頼みたまへるを、年ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、他ざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに、今さらに立ち返り、にはかに物をや思はせきこえむ。なのめならずやむごとなき方にかかづらひなば、何ごとも思ふままならで、左右に安からずは、わが身も苦しくこそはあらめ」
など、もとより好き好きしからぬ心なれば、思ひしづめつつうち出でねど、さすがに他ざまに定まり果てたまはむも、いかにぞやおぼえて、耳はとまりけり。
夕霧もこのようなことを聞いたので、
「人づてではなく、直接院の意向をお聞きしていたので、何かの折に、朱雀院の耳に入れば、まさかぜんぜん問題にならないことはないだろう」
と胸がときめいたりするが、
「雲井の雁が今は打ち解けて、こちらを頼りにしているので、長い間、つらかったときもそれを口実にせず、他の女に心を移すこともせず過ごしてきたが、いまさら昔に戻り、女君をにわかに物思いさせてよいものだろうか。並々ならぬ高貴な方と縁組したら、何事も思いのままにならず、気を遣って、自分が苦しくなるだけだ」
など、元より浮気っぽい男ではないので、心を抑えて口にはださないが、さすがに他の男に決まってしまうのは、どんなものか、聞き捨てにはできなかった。
2020.3.9/ 2021.11.1/ 2023.5.31
34.13 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす
春宮にも、かかることども聞こし召して、
「さし当たりたるただ今のことよりも、後の世の例ともなるべきことなるを、よく思し召しめぐらすべきことなり。人柄よろしとても、ただ人は限りあるを、なほ、しか思し立つことならば、かの六条院にこそ、親ざまに譲りきこえさせたまはめ」
となむ、わざとの御消息とはあらねど、御けしきありけるを、待ち聞かせたまひても、
「げに、さることなり。いとよく思しのたまはせたり」
と、いよいよ御心立たせたまひて、まづ、かの弁してぞ、かつがつ案内伝へきこえさせたまひける。
春宮がこのような事情をお聞きになって、
「さし当った当面のことより、後の世の例となるなので、慎重にするべきです。人柄がいいといっても、臣下のひとは限界があるので、それでも、そうしたいと思うのなら、あの六条院こそ、親代わりに預けていいのでは」
とのことで、改まったお便りということではなく、このような春宮のご意向を伝え聞いて、
「そうだ、いかにもその通りだ。よく言ってくれた」
と、朱雀院はわが意を得たりとばかり、まづあの左中弁に仲介を頼んで、とりあえずこちらの意向を伝えさせた。
2020.3.10/ 2021.11.8/ 2023.6.1
34.14 源氏、承諾の意向を示す
この宮の御こと、かく思しわづらふさまは、さきざきも皆聞きおきたまへれば、
「心苦しきことにもあなるかな。さはありとも、院の御世残りすくなしとて、ここにはまた、いくばく立ちおくれたてまつるべしとてか、その御後見の事をば受けとりきこえむ。げに、次第を過たぬにて、今しばしのほども残りとまる限りあらばおほかたにつけては、いづれの皇女たちをも、よそに聞き放ちたてまつるべきにもあらねど、またかく取り分きて聞きおきたてまつりてむをば、ことにこそは後見きこえめと思ふを、それだにいと不定なる世の定めなさなりや」
とのたまひて、
まして、ひとつに頼まれたてまつるべき筋に、むつび馴れきこえむことは、いとなかなかに、うち続き世を去らむきざみ心苦しく、みづからのためにも浅からぬほだしになむあるべき。
中納言などは、年若く軽々しきやうなれど、行く先遠くて、人柄も、つひに朝廷の御後見ともなりぬべき生ひ先なめれば、さも思し寄らむに、などかこよなからむ。
されど、いといたくまめだちて、思ふ人定まりにてぞあめれば、それに憚らせたまふにやあらむ」
などのたまひて、みづからは思し離れたるさまなるを、弁は、おぼろけの御定めにもあらぬを、かくのたまへば、いとほしく、口惜しくも思ひて、うちうちに思し立ちにたるさまなど、詳しく聞こゆれば、さすがに、うち笑みつつ、
†「いとかなしくしたてまつりたまふ皇女なめれば、あながちにかく来し方行く先のたどりも深きなめりかしなただ、内裏にこそたてまつりたまはめ。やむごとなきまづの人びとおはすといふことは、よしなきことなり。それにさはるべきことにもあらず。かならずさりとて、末の人疎かなるやうもなし。
故院の御時に、大后の、坊の初めの女御にて、いきまきたまひしかど、むげの末に参りたまへりし入道宮に、しばしは圧されたまひにきかし。
この皇女の御母女御こそは、かの宮の御はらからにものしたまひけめ。容貌も、さしつぎには、いとよしと言はれたまひし人なりしかば、いづ方につけても、この姫宮おしなべての際にはよもおはせじを」
など、いぶかしくは思ひきこえたまふべし。
源氏は、院がこの宮のことを色々心配をされているのを、前から聞いていたので、
「お気の毒なことです。そうはいっても、院の余生は残り少ないから、 わたしもどれだけ院の後、生き残れるとして、後見を引き受けられるのか。現に、年の順を間違えないならば、わたしが今しばし生き残るとして、どの皇女にしても他人事にして聞き流して放置できるものでもないが、とりわけ、このように帝が特別のご心配をしている方は特に後見しようと思うが、それでもわたしの自身のこの身がどうなるか分からぬのが世の無常である」
と仰せになって、
「ましてひとえに頼まれた者としては、親しく馴れて夫婦の関係になることは、かえって、朱雀院に続いて世を去るときは心苦しく、自分が往生する妨げにもなるだろう。
夕霧などは、年も若く身分も低いようだが、将来ある身で、人柄も、最終的には朝廷のご後見にもなれる身なので、その申し出にはふさわしいでしょう。
しかし、すごくまじめな性格で、思い決めた人がいるので、それで遠慮しているのでしょう」
などと仰せになって、自分は身を引くような様子なので、弁は、院のたってのお願いなので、源氏にそのように言われると、残念で、口惜しく思い、院が内々にお決めになった様子なども、詳しく申し上げると、源氏はさすがに、微笑んで、
「格別可愛がっている皇女なれば、あながちに、過去の先例や将来の例になることを調べることもなかろう。迷わず冷泉帝に差し上げればいいのだ。高貴な古参の女御がいるということは、心配の種にはならないだろう。それにこだわるべきでもない。必ず末に来た人がおろそかにされるということでもない。
故桐壺帝のときも、大后が、春宮の最初の女御で、古参として権勢を振るったが、ずっと後で入内した入道藤壷の宮に、しばしば圧倒されていました。
この皇女の母女御こそは、藤壺入道の妹君であった。容貌もあの宮に次いでよいといわれた人だから、どちらにしても、女三の宮は、よもや、並の器量であろうはずがないだろう」
など源氏は関心はお持ちのようだ。
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系図
34.15 歳末、女三の宮の裳着催す
年も暮れぬ。朱雀院には、御心地なほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあわたたしく思し立ちて、御裳着のことは、思しいそぐさま、来し方行く先ありがたげなるまで、いつくしくののしる。
御しつらひは、 柏殿かえどの/rt>の西面に、御帳みちょう/rt>御几帳みきちょう/rt>よりはじめて、ここの綾錦混ぜさせたまはず、唐土の后の飾りを思しやりて、うるはしくことことしく、かかやくばかり調へさせたまへり。
御腰結には、太政大臣をかねてより聞こえさせたまへりければ、ことことしくおはする人にて、参りにくく思しけれど、院の御言を昔より背き申したまはねば、参りたまふ。
今二所の大臣たち、その残り上達部などは、わりなき障りあるも、あながちにためらひ助けつつ参りたまふ。親王たち八人、殿上人はたさらにもいはず、内裏、春宮の残らず参り集ひて、いかめしき御いそぎの響きなり。
院の御こと、このたびこそとぢめなれと、帝、春宮をはじめたてまつりて、心苦しく聞こし召しつつ、 蔵人所くらうどどころ/rt> 納殿おさめどのの唐物ども、多く奉らせたまへり。
六条院よりも、御とぶらひいとこちたし。贈り物ども、人びとの禄、尊者の大臣の御引出物など、かの院よりぞ奉らせたまひける。
年が暮れた。朱雀院は、病気勝ちの気分が快方に向かうこともなく、万事にあわただしく思い立って、三の宮の裳着の儀式を、急いでいる様子は、後にも先にも例がないほどで、大騒ぎであった。
準備の様子は、柏殿の西面に、御帳、御几帳をはじめ、国内の綾綿を混ぜず、唐土の后の飾りにならって、おごそかで、豪華に、輝くばかりしに整えさせたのだった。
腰結いには、太政大臣にかねてからお願いしていたので、大げさな人だったので、大役を果たせないと思っていたが、院の言葉に昔から背いたことがなく、役を果たすことになった。
あと二人の大臣たちや、残りの上達部などは、どうにもならぬ障りがある人も、何とか手当して参上した。親王たち八人、殿上人は言うに及ばず、内裏、春宮の関係者は残らず参上し、盛大な儀式は評判だった。
院の行事は、今回が最後となることもあり、帝や、春宮をはじめとして、たいへんおいたわしく思われて、蔵人所、 納殿おさめどのに収蔵された唐物を多く献上された。
六条の院からも、お祝いの品々がたくさんあった。贈り物、参加者への禄、大臣の大饗の引き出物など、源氏からのものであった。
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34.16 秋好中宮、櫛を贈る
中宮よりも、御装束、櫛の筥、心ことに調ぜさせたまひて、かの昔の御髪上の具、ゆゑあるさまに改め加へて、さすがに元の心ばへも失はず、それと見せて、その日の夕つ方、奉れさせたまふ。宮の権の亮、院の殿上にもさぶらふを御使にて、姫宮の御方に参らすべくのたまはせつれど、かかる言ぞ、中にありける。
(秋好む中宮の歌)「さしながら昔を今に伝ふれば
玉の小櫛ぞ神さびにける

院、御覧じつけて、あはれに思し出でらるることもありけり。あえ物けしうはあらじと譲りきこえたまへるほど、げに、おもだたしき簪なれば、御返りも、昔のあはれをばさしおきて、
(朱雀院の歌)「さしつぎに見るものにもが万世を
黄楊の小櫛の神さぶるまで

とぞ祝ひきこえたまへる。
秋好む中宮からも、装束、櫛の箱、心を込めて選んで、あの昔の髪上げの道具、趣ある様に改め手を加えて、さすがに元の感じを失わず、それと分かるように、その日の夕方、献上した。中宮職のごんすけで、院の殿上にも奉仕しているのを使いに立て、姫君の元にやったが、このような歌が中に入っていた。
(秋好む中宮)「髪に挿して、昔から今日まで使っていましたので、
神さびてしまいました」
院はご覧になって、昔懐かしい気持ちがして、あやかりものとして、不似合いではなかろうとお譲りしたのだが、現に名誉な櫛なので返事も自分の懐旧の情は差し置き、
(朱雀院)「あなたに続いて姫君の幸運を見たいものです
黄楊の小櫛が神さぶるまで」
と、院はお祝いした。
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34.17 朱雀院、出家す
御心地いと苦しきを念じつつ、思し起こして、この御いそぎ果てぬれば、三日過ぐして、つひに御髪下ろしたまふ。よろしきほどの人の上にてだに、今はとてさま変はるは悲しげなるわざなれば、まして、いとあはれげに御方々も思し惑ふ。
尚侍の君は、つとさぶらひたまひて、いみじく思し入りたるを、こしらへかねたまひて、
「子を思ふ道は限りありけり。かく思ひしみたまへる別れの堪へがたくもあるかな」
とて、御心乱れぬべけれど、あながちに御脇息にかかりたまひて、山の座主よりはじめて、御忌むことの阿闍梨三人さぶらひて、法服などたてまつるほど、この世を別れたまふ御作法、いみじく悲し。
今日は、世を思ひ澄ましたる僧たちなどだに、涙もえとどめねば、まして女宮たち、女御、更衣、ここらの男女、上下ゆすり満ちて泣きとよむに、いと心あわたたしう、かからで、静やかなる所に、やがて籠もるべく思しまうけける本意違ひて思し召さるるも、「ただ、この幼き宮にひかされて」と思しのたまはす。
内裏よりはじめたてまつりて、御とぶらひのしげさ、いとさらなり。
朱雀院は、体の具合がひどく悪かったが、奮い起こして、裳着の儀式が終わると、三日して、ついに髪をおろした。並みの身分の者の場合でも、出家姿になるのは、悲しいことだが、ましてお付きの后たちも悲しく思うのであった。
朧月夜の尚侍の君は、側に来て、ひどく落ち込んでいるのを、帝はたいそう感に堪えて、
「子を思う親の心は限りがあるが、こうして相思う者が別れるのは堪えがたい」
とて、決心が乱れそうになり、無理に脇息に寄りかかって、天台座主をはじめ、授戒の阿闍梨三人いて、法服などを用意したが、この世に別れを告げる儀式は、悲しいものであった。
今日は、世を捨てた僧たちでさえ、涙をとどめられないので、まして女宮たち、女御、更衣、大勢の男女、上下の者はこぞって皆泣き出すと、院は心あわただしく、こんなはずではなく、静かな所に、やがては籠もるべく本意に違っていると思われたが、「これもただこの幼い宮のことを思えばこそ」と思うのであった。
内裏よりはじまって、お見舞いの多さは、今さら言うまでもない。
2020.3.12/ 2021.11.9◎
34.18 源氏、朱雀院を見舞う
六条院も、すこし御心地よろしくと聞きたてまつらせたまひて、参りたまふ。 御賜おんとう ばりの 御封みふなどこそ、皆同じごと、下りゐの帝と等しく定まりたまへれど、まことの太上天皇の儀式にはうけばりたまはず。世のもてなし思ひきこえたるさまなどは、心ことなれど、ことさらに削ぎたまひて、例の、ことことしからぬ御車にたてまつりて、上達部など、さるべき限り、車にてぞ仕うまつりたまへる。
院には、いみじく待ちよろこびきこえさせたまひて、苦しき御心地を思し強りて、御対面あり。うるはしきさまならず、ただおはします方に、御座よそひ加へて、入れたてまつりたまふ。
変はりたまへる御ありさま見たてまつりたまふに、来し方行く先暮れて、悲しくとめがたく思さるれば、とみにもえためらひたまはず。
「故院におくれたてまつりしころほひより、世の常なく思うたまへられしかば、この方の本意深く進みはべりにしを、心弱く思うたまへたゆたふことのみはべりつつ、つひにかく見たてまつりなしはべるまで、おくれたてまつりはべりぬる心のぬるさを、恥づかしく思うたまへらるるかな。
身にとりては、ことにもあるまじく思うたまへたちはべる折々あるを、さらにいと忍びがたきこと多かりぬべきわざにこそはべりけれ」
と、慰めがたく思したり。
六条院も、朱雀院が少し気分がよろしいと聞いて、お見舞いに来た。源氏の御封は、太上天皇と同じだったが、太上天皇並にことごとしく儀礼を盛大にはされない。世間の評判や敬意などは、格別であるけれども、あえて贅を尽くさずわざと簡略にして、例によって大げさにならない程度の車で、上達部なども、しかるべき最小限の人数に限って、車でお供するのだった。
院は待っていたので大そう喜んで、気分の悪いのを無理に元気を出して、対面した。改まったことはせず、ただ普段座しているところに、もうひとつ源氏の座を設けて、招じ入れた。
朱雀院のすっかり変わってしまった僧形を見て、来し方行く末を暗澹と感じて、自ずから悲しさがあふれるのを抑えがたかった。
「故桐壺院にお別れした頃から、世の無常を感じておりましたので、出家の願望は深まっていましたが、心弱くも思い切った決心ができず躊躇しておりましたが、ついにこのようなお姿でお会いすることになり、先を越されたわたし自身の不甲斐なさをとても恥ずかしく思っております。
わたしとしては、出家などそれほどことでもないと思ったことがしばしばありましたが、いざとなると、耐え難いことが多くあるものです」
といかにも残念そうである。
2020.3.13/ 2021.11.9/ 2023.6.2
34.19 朱雀院と源氏、親しく語り合う
院も、もの心細く思さるるに、え心強からず、うちしほれたまひつつ、いにしへ、今の御物語、いと弱げに聞こえさせたまひて、
「今日か明日かとおぼえはべりつつ、さすがにほど経ぬるを、うちたゆみて、深き本意の端にても遂げずなりなむこと、と思ひ起こしてなむ。
かくても残りの齢なくは、行なひの心ざしも叶ふまじけれど、まづ仮にても、のどめおきて、念仏をだにと思ひはべる。はかばかしからぬ身にても、世にながらふること、ただこの心ざしにひきとどめられたると、思うたまへ知られぬにしもあらぬを、今まで勤めなき怠りをだに、安からずなむ」
とて、思しおきてたるさまなど、詳しくのたまはするついでに、
「女皇女たちを、あまたうち捨てはべるなむ心苦しき。中にも、また思ひ譲る人なきをば、取り分きうしろめたく、見わづらひはべる」
とて、まほにはあらぬ御けしき、心苦しく見たてまつりたまふ。
院も、心細く思っていたのだが、源氏の話を聞いて我慢できずに、涙ながらに、昔のこと今の物語を、いかにも弱々し気に話した。
「この命が今日か明日かと思いながらも、月日がたつと、決心が緩んで出家の本懐も遂げずに終わるのかと思いを新たにしました。
こうして出家したところで、余命がいくらもなければ、仏道修行も果たせないので、とりあえずは意を決して、念仏しようと思っています。病気がちなこの身でも、今まで生きながらえているのは、出家の志があったから、と思い知り、今までお勤めを怠っていたことも気になります」
と仰せになって、日頃思っていたことを、詳しく語るついでに、
「皇女たちを、たくさん置いてゆくのは心苦しいが、中でも、他に世話を頼める人のない方が、特別に気がかりで気になっています」
と言って、はっきり仰らぬ様子が、とてもお気の毒に思われた。
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34.20 内親王の結婚の必要性を説く
御心のうちにも、さすがにゆかしき御ありさまなれば、思し過ぐしがたくて、
†「げに、ただ人よりも、かかる筋には、私ざまの御後見なきは、口惜しげなるわざになむはべりける。春宮かくておはしませば、いとかしこき末の世の儲けの君と、天の下の頼みどころに仰ぎきこえさするを。
まして、このことと聞こえ置かせたまはむことは、一事として疎かに軽め申したまふべきにはべらねば、さらに行く先のこと思し悩むべきにもはべらねど、げに、こと限りあれば、公けとなりたまひ、世の政事御心にかなふべしとは言ひながら、女の御ために、何ばかりのけざやかなる御心寄せあるべきにもはべらざりけり。
すべて、女の御ためには、さまざま真の御後見とすべきものは、なほさるべき筋に契りを交はし、えさらぬことに、育みきこゆる御護りめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべるを、なほ、しひて後の世の御疑ひ残るべくは、よろしきに思し選びて、忍びて、さるべき御預かりを定めおかせたまふべきになむはべなる」
と、奏したまふ。
源氏は、さすがに気にかかる姫君のことなので、聞き過ごすことができずに、
「実際、このようなご身分のかたは、臣下の者より、後見が必要で、なくては心もとないです。春宮がこうして安心していられるのも、末世に立派なお世継ぎだ、と天下の人々に仰ぎ見られるているからです。
まして院がこのことと是非にも言い置かれることは、ひとつとしておろそかに軽んじらるべきではないのですが、さらに行く先のこと思い悩むべくもあらざることですが、事には限りがありますので、春宮が即位して、世の政治は思いのままになっても、女三の宮のために手厚く世話ができるとも限りません。
すべて女のためには、何かにつけて世話役といえる者は必要で、それはやはり夫婦の契りを交わして、万全の庇護者として守り育ててくれるというのが、先々安心なのです。どうしてもあとあとご心配が残るようでしたら、適当な人を選んで、内々に、しかるべき人を世話役に決めておくのがよろしいかろうとと思います」
と奏上した。
2020.3.14/ 2021.11.9/ 2023.6.2
34.21 源氏、結婚を承諾
「さやうに思ひ寄る事はべれど、それも難きことになむありける。いにしへの例を聞きはべるにも、世をたもつ盛りの皇女にだに、人を選びて、さるさまのことをしたまへるたぐひ多かりけり
ましてかく、今はとこの世を離るる際にて、ことことしく思ふべきにもあらねど、また、しか捨つる中にも、捨てがたきことありて、さまざまに思ひわづらひはべるほどに、病は重りゆく。また取り返すべきにもあらぬ月日の過ぎゆけば、心あわたたしくなむ。
かたはらいたき譲りなれど、このいはけなき内親王、一人、分きて育み思して、さるべきよすがをも、御心に思し定めて預けたまへ、と聞こえまほしきを。
権中納言などの独りものしつるほどに、進み寄るべくこそありけれ。大臣に先ぜられて、ねたくおぼえはべる」
と聞こえたまふ。
「中納言の朝臣、まめやかなる方は、いとよく仕うまつりぬべくはべるを、何ごともまだ浅くて、たどり少なくこそはべらめ。
かたじけなくとも、深き心にて後見きこえさせはべらむに、おはします御蔭に変りては思されじを、ただ行く先短くて、仕うまつりさすことやはべらむと、疑はしき方のみなむ、心苦しくはべるべき」
と、受け引き申したまひつ。
「そのように考えたことはありましたが、それも難しいのです。昔の例を聞きましても、在位中で全盛を誇った帝の皇女もしかべき人を選んで、結婚させた例は多くあった。
まして、今は出家をする際で、ことごとしく思うべきにではないが、また、世を捨てるといっても、捨てがたいこともあり、さまざまに思い乱れる中で、病は重くなる。取り返せない月日がたってゆくと、心もあわただしくなります。
恐縮なお願いなのですが、この幼い内親王を、ひとり、特に目をかけてくださって、そのような頼りになる人を、決めてくださりお預けしたい、とお願いしたいのですが、
夕霧などがひとりでいたころに、申し出るべきであったのですが、太政大臣に先をこされまして、残念です」
と仰せになるのだった。
「夕霧は、実務的な面では、十分ご奉公できるでしょうが、何分まだ、経験が浅く、分別も足りないでしょう。
恐れ多いですが、わたしが真心込めてお世話すれば、院が在俗中と変わらない親代わりと姫君も思われるでしょうが、いかんせん、行き先の齢が短く、途中でお仕えできなくなるのではと、心配ですが」
と源氏は引き受ける由、仰せになるだった。
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34.22 朱雀院の饗宴
夜に入りぬれば、主人の院方も、客人まろうどの上達部たちも、皆御前にて、御あるじのこと、精進物にて、うるはしからず、なまめかしくせさせたまへり。院の御前に、 浅香せんこう 懸盤かけばんに御鉢など、昔に変はりて参るを、人びと、涙おし拭ひたまふ。あはれなる筋のことどもあれど、うるさければ書かず。
夜更けて帰りたまふ。禄ども、次々に賜ふ。別当大納言も御送りに参りたまふ。主人の院は、今日の雪にいとど御風邪加はりて、かき乱り悩ましく思さるれど、この宮の御事、聞こえ定めつるを、心やすく思しけり。
夜になると、主人側の上達部たちも、客側の上達部たちも、皆御前に列し、饗設けに精進料理が出され、格式ばらず優雅に整えられた。 御前には、浅香せんこう懸盤かけばんに御鉢など、昔とすっかり変わった様子に、人々は涙をぬぐった。あわれを誘うことは他にもあったが、煩雑なので、ここに書きません。
夜も更けて、帰った。禄を次々に賜る。別当大納言もお見送りに出てくる。主人の院は、今日の雪に風邪が加わって、体調が思わしくなかったが、三の宮のことが、決まったので、心が安らいだ。
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34.23 源氏、結婚承諾を煩悶す
x 六条院は、なま心苦しう、さまざま思し乱る。
紫の上も、かかる御定めなむと、かねてもほの聞きたまひけれど、
「さしもあらじ。前斎院をも、ねむごろに聞こえたまふやうなりしかど、わざとしも思し遂げずなりにしを」
など思して、「さることもやある」とも問ひきこえたまはず、何心もなくておはするに、いとほしく、
「この事をいかに思さむ。わが心はつゆも変はるまじく、さることあらむにつけては、なかなかいとど深さこそまさらめ、見定めたまはざらむほど、いかに思ひ疑ひたまはむ」
など安からず思さる。
今の年ごろとなりては、ましてかたみに隔てきこえたまふことなく、あはれなる御仲なれば、しばし心に隔て残したることあらむもいぶせきを、その夜はうち休みて明かしたまひつ。
源氏は、心苦しく、いろいろ思い悩むのだった。
紫の上も、このような話があるとは、かねてから聞いていたが、
「そうはならないだろう。朝顔の君の前斎院のときも、熱心だったが、思いを遂げようとはされなかった」
などと、思って、「そのようなことがあるのですか」と問うこともせず、何心もないふりをしているので、いとおしくなり、
「これをどう思うだろう。自分の気持は少しも変わらない、そんなことがあった場合には、かえって愛情が深まるだろう、それが見極められない間は、どれほど疑うことだろう」
などと、不安に思った。
この年頃は、お互いに隠し立てせず、とても仲のよい夫婦なので、一時的にせよ隠し事があると、気になってしょうがないが、その夜はそのまま休んだ。
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34.24 源氏、紫の上に打ち明ける
またの日、雪うち降り、空のけしきもものあはれに、過ぎにし方行く先の御物語聞こえ交はしたまふ。
「院の頼もしげなくなりたまひにたる、御とぶらひに参りて、あはれなることどものありつるかな。女三の宮の御ことを、いと捨てがたげに思して、しかしかなむのたまはせつけしかば、心苦しくて、え聞こえ否びずなりにしを、ことことしくぞ人は言ひなさむかし。
今は、さやうのことも初ひ初ひしく、すさまじく思ひなりにたれば、人伝てにけしきばませたまひしには、とかく逃れきこえしを、対面のついでに、心深きさまなることどもを、のたまひ続けしには、えすくすくしくも返さひ申さでなむ。
深き御山住みに移ろひたまはむほどにこそは、渡したてまつらめ。あぢきなくや思さるべき。いみじきことありとも、御ため、あるより変はることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ
かの御ためこそ、心苦しからめ。それもかたはならずもてなしてむ。誰も誰も、のどかにて過ぐしたまはば
など聞こえたまふ。
はかなき御すさびごとをだに、めざましきものに思して、心やすからぬ御心ざまなれば、「いかが思さむ」と思すに、いとつれなくて
あはれなる御譲りにこそはあなれ。ここには、いかなる心をおきたてまつるべきにか。めざましく、かくてなど、咎めらるまじくは、 心やすくてもはべなむを、かの母女御の御方ざまにても、疎からず思し数まへてむや
と、卑下したまふを、
「あまり、かう、うちとけたまふ御ゆるしも、いかなればと、うしろめたくこそあれ。 まことは、さだに思しゆるいて、われも 人も心得て、なだらかにもてなし過ぐしたまはば、いよいよあはれになむ。
ひがこと聞こえなどせむ人の言、聞き入れたまふな。すべて、世の人の口といふものなむ、誰が言ひ出づることともなく、おのづから人の仲らひなど、うちほほゆがみ、思はずなること出で来るものなるを、心ひとつにしづめて、ありさまに従ふなむよき。まだきに騒ぎて、あいなきもの怨みしたまふな」
と、いとよく教へきこえたまふ。
翌日、雪がふり空模様もしみじみとした日、過ぎた昔のこと行く末の物語などを語り合った。
「朱雀院がすっかり弱気になり、お見舞いに参りましたところ、心動かされることがありました。女三の宮のことを、見捨てて出家できないと思われ、あれこれと仰せになるので、お気の毒になり、お断りできなくなりました。人は大げさに取りざたするでしょう。
今はそのようなことは、気恥ずかしく、関心がもてないので、人伝に言って来たときには、とにかくお断りしたのだが 直接お会いして、深い親心で心配されて、縷々仰せになったので、すげなくお断りすることはできなかった。
院が山寺にお移りする頃に、姫君を六条院にお迎えすることになります。面白くないとお思いでしょうが、どんなことがあっても、あなたへの気持ちは変わらないから、宮を厭わないでください。
あの三の宮こそ、お気の毒な立場です。見苦しくなくお世話しよう。どちらも、大らかな気持ちで過ごしてくれれば」
などと源氏は仰せになる、
紫の上は、源氏の何でもないお遊びでももっての外と思って、腹を立てる性格なので、「どう思うだろう」と心配するが、案外平静で、
「お気の毒なご依頼ですね。わたしなどが、どんな心よからぬ思いなど抱きましょうか。目障りな、などと、咎められない限りは、心安くしております。あの方の母女御様も、疎遠ではなく近い関係と思いますので」
と卑下されるので、
「あまり簡単に、お許しが出るのも、どうしたのかと心配になります。実際のところ、お互いが思いやって、こちらも先方もそれを心得て、穏やかにお付き合いしてくださったら、大層ありがたいのです。
人の告げ口など、お聞き入れなさらないこと。世間の人の噂というものは、誰が言い出すということもなく、夫婦仲は歪んで伝えられ、思ってもいないことが、起きるものです。わが胸ひとつに納めて、事の成り行きを見定めて処するのがいいのです。早まって騒ぎ立てて、つまらない嫉妬などしないことです」
とよく説諭するのであった。
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34.25 紫の上の心中
心のうちにも、
「かく空より出で来にたるやうなることにて、逃れたまひがたきを、憎げにも聞こえなさじ。わが心に憚りたまひ、いさむることに従ひたまふべき、おのがどちの心より起これる懸想にもあらず。せかるべき方なきものから、をこがましく思ひむすぼほるるさま、世人に漏り聞こえじ。
式部卿宮の大北の方常にうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、あぢきなき大将の御ことにてさへ、あやしく恨み嫉みたまふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひ合はせたまはむ
など、おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりの隈はなからむ今はさりともとのみ、わが身を思ひ上がり、うらなくて過ぐしける世の、人笑へならむことを、下には思ひ続けたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり
紫の上は心の中で、
「こうして突然降ってわいた、逃れがたいことなので、恨みつらみは言うまい、自分の心に引け目を感じたり、人の諫めに従ったり、自分たちの心から出た懸想ではないし、止めようもないので、みっともなく気がふさいだ様子は見せまい、世間にも漏らすまい。
式部卿の宮の北の方は、いつもわたしの悪口を言っておいでだが、なぜか関係のない髭黒の大将の結婚のときも、わたしに恨みつらみを言っていたが、このようなことを聞いて、それ見たことかと思うだろう」
紫の上はおっとりした性格だが、この程度の邪険なことを胸の内で思わないことがあろうか。思いあがってわが身以上に寵愛を受ける人はあるまい、と過ごしてきたこの身が世間の笑いものになる、と心の底で思い続けたが、表面は何気なくおおらかによそおった。
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34.26 源氏に若菜を献ず
年も返りぬ。朱雀院には、姫宮、六条院に移ろひたまはむ御いそぎをしたまふ。聞こえたまへる人びと、いと口惜しく思し嘆く。内裏にも御心ばへありて、聞こえたまひけるほどに、かかる御定めを聞こし召して、思し止まりにけり。
さるは、今年ぞ四十になりたまひければ、御賀のこと、朝廷にも聞こし召し過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを、ことのわづらひ多くいかめしきことは、昔より好みたまはぬ御心にて、皆かへさひ申したまふ。
正月二十三日、の日なるに左大将殿の北の方、若菜参りたまふ。かねてけしきも漏らしたまはで、いといたく忍びて思しまうけたりければ、にはかにて、えいさめ返しきこえたまはず。忍びたれど、さばかりの御勢ひなれば、渡りたまふ御儀式など、いと響きことなり。
南の御殿の西の放出はなちいで御座>おましよそふ。屏風、壁代よりはじめ、新しく払ひしつらはれたり。うるはしく倚子などは立てず、御地敷四十枚、御 しとね、脇息など、すべてその御具ども、いときよらにせさせたまへり。
螺鈿らでん御厨子みずし 二具ふたよろいに、御衣筥四つ据ゑて、夏冬の御装束。香壺こうご、薬の筥、御硯、ゆする坏、掻上かかげの筥などやうのもの、うちうちきよらを尽くしたまへり。插頭かざしの台には、沈、紫檀を作り、めづらしきあやめを尽くし、同じき金をも、色使ひなしたる、心ばへあり、今めかしく。
尚侍の君、もののみやび深く、かどめきたまへる人にて、目馴れぬさまにしなしたまへる、おほかたのことをば、ことさらにことことしからぬほどなり。
年も改まった。朱雀院は、姫宮を六条院に移すための準備に余念がない。結婚を申し出た人々は残念がって嘆くのであった。冷泉帝も入内の申し出をしていたので、このような決定を聞いて、思いとどまった。
ところで源氏は今年で四十歳になるので、お祝いの儀式を、朝廷にあっても聞き逃さず、世を挙げての儀式として、かねてから準備していたが、大げさな儀式ばったことは昔から好まなかったので、みな辞退した。
正月二十三日、の日になると、玉鬘が若菜を献上に訪問された。事前の話もなく、内密に用意されていたので、源氏はあまりに急で辞退するすることもできない。内々のことであったが、実家も夫も勢いがあったので、六条院に移る儀式など格別だった。
南の御殿の西側を開け放って、御座を用意した。屏風、壁代など新しくしつらえられた。格式張って椅子などは立てず、敷物四十枚、座布、脇息など、すべての用具を新しく作って用意した。
螺鈿らでん御厨子みずし二つ、衣を入れる箱四つそろえて、四季のお召し物、香壺こうごの箱と薬の箱、などなど、目立たぬところに善美を尽くしている。插頭かざしの台は、沈、紫檀で作り、またとない華美を尽くしている、同じく金銀の色使いにも気を使って、今めかしい。
玉鬘の君は、風雅の趣が深く、才気のある方なので、新しい趣向でしているが、全体としては、大げさにならぬようにしている。
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34.27 源氏、玉鬘と対面
人びと参りなどしたまひて、御座に出でたまふとて、尚侍の君に御対面あり。御心のうちには、いにしへ思し出づることもさまざまなりけむかし。
いと若くきよらにて、かく御賀などいふことは、ひが数へにやと、おぼゆるさまの、なまめかしく、人の親げなくおはしますを、めづらしくて年月隔てて見たてまつりたまふは、いと恥づかしけれど、なほけざやかなる隔てもなくて、御物語聞こえ交はしたまふ。
幼き君も、いとうつくしくてものしたまふ。尚侍の君は、うち続きても御覧ぜられじとのたまひけるを、大将、かかるついでにだに御覧ぜさせむとて、二人同じやうに、振分髪の何心なき直衣姿どもにておはす。
「過ぐる齢も、みづからの心にはことに思ひとがめられず、ただ昔ながらの若々しきありさまにて、改むることもなきを、かかる末々のもよほしになむ、なまはしたなきまで思ひ知らるる折もはべりける。
中納言のいつしかとまうけたなるを、ことことしく思ひ隔てて、まだ見せずかし。人よりことに、数へ取りたまひける今日の子の日こそ、なほうれたけれ。しばしは老を忘れてもはべるべきを」
と聞こえたまふ。
お祝いの人々が次々とやってきて、源氏が姿を現して席に着くと、玉鬘と対面があった。源氏は心の内で、昔のことを様々に思い出すのだった。
源氏は非常に若く、こんなお祝いなどというのは、間違いではないか、と思えるほど、優雅で、子供がいるなどとは思えない様子で、玉鬘は久しぶりに、お会いするので、とても恥ずかしかったが、片ぐるしい隔てもなく、率直にお話に興じた。
連れてきた幼い子も、かわいらしく、玉鬘は二人もお目にかけたくないと言ったが、大将はこんな機会だからぜひお目にかけなさいと言って、二人同じように振分髪で無邪気な直衣姿であった。
「年をとることも、自分ではことさら気が付くこともなく、昔のままに若ぶって日々を過ごしている有様で、こんな孫たちに促されて自分の年を思い知らされる有様です。
夕霧が早々と子をなしたとのことですが、ごたいそうにしてまだ見ていないのだ。誰より先に私の年を数えて今日の子の日に祝ってくれるのはつらいものです。しばしは老いを忘れていたい」
と仰せになる。
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34.28 源氏、玉鬘と和歌を唱和
尚侍の君も、いとよくねびまさり、ものものしきけさへ添ひて、見るかひあるさましたまへり。
若葉さす野辺の小松を引き連れて
もとの岩根を祈る今日かな

と、せめておとなび聞こえたまふ。沈の折敷四つして、御若菜さまばかり参れり。御土器取りたまひて、
小松原末の齢に引かれてや
野辺の若菜も年を摘むべき

など聞こえ交はしたまひて、上達部あまた南の廂に着きたまふ。
式部卿宮は、参りにくく思しけれど、御消息ありけるに、かく親しき御仲らひにて、心あるやうならむも便なくて、日たけてぞ渡りたまへる。
大将のしたり顔にて、かかる御仲らひに、うけばりてものしたまふも、げに心やましげなるわざなめれど、御孫の君たちは、いづ方につけても、おり立ちて雑役したまふ。籠物四十枝こものよそえだ折櫃物四十おりひずものよそじ。中納言をはじめたてまつりて、さるべき限り取り続きたまへり。御土器くだり、若菜の御羹参る。御前には、沈の懸盤四つ、 御坏おおむつきどもなつかしく、今めきたるほどにせられたり。
玉鬘も年を重ねて、成熟して、風格さえでてきて、素晴らしく見ごたえのある風情であった。
(玉鬘)「若葉を摘んで、子を連れて、
親元の千歳を祈る今日このごろです」
と努めて大人びて歌を詠むのだった。沈の盆を四つ用意し、若葉の吸物を召し上がる。お盆をとって、
(源氏) 「小松原の生い先長い命にひかれて
野辺の若菜も長生きするのでしょうか」
などと詠み交わしているうちに、上達部がたくさん南の廂に着いた。
兵部卿宮は、来ずらかったが、案内があったので、このように親しい間柄で、邪推されるのもいやで、日が高くなってから、やってきた。
髭黒の大将が、得意顔で、このような源氏との関係であってみれば、胸を張って座を仕切っているのも、不愉快であろうが、孫たちは、どちらの関係でにしても、いそいそと雑用をするのだった。籠物四十枝こものよそえだ折櫃物四十おりひずものよそじ、の献上があった。夕霧をはじめ、しかるべき人々が続いた。盃が下され若葉の吸物が給じられた。源氏の御前には、沈のお盆が四つ、食器類も今風のものだった。
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34.29 管弦の遊び催す
朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎ果てたまはぬにより、楽人などは召さず。御笛など、太政大臣の、その方は整へたまひて、
「世の中に、この御賀よりまためづらしくきよら尽くすべきことあらじ」
とのたまひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。
とりどりにたてまつる中に、和琴は、かの大臣の第一に秘したまひける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾き馴らしたまへる音、いと並びなきを、異人は掻きたてにくくしたまへば、衛門督の固く否ぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。
「何ごとも、上手の嗣といひながら、かくしもえ継がぬわざぞかし」と、心にくくあはれに人びと思す。調べに従ひて、跡ある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすが掻きに、よろづの物の音調へられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く
父大臣は、琴の緒もいと緩に張りて、いたう下して調べ、響き多く合はせてぞ掻き鳴らしたまふ。これは、いとわららかに昇る音の、なつかしく愛敬づきたるを、「いとかうしもは聞こえざりしを」と、親王たちも驚きたまふ。
琴は、兵部卿宮弾きたまふ。この御琴は、宜陽殿の御物にて、代々に第一の名ありし御琴を、故院の末つ方、一品宮の好みたまふことにて、賜はりたまへりけるを、この折のきよらを尽くしたまはむとするため、大臣の申し賜はりたまへる御伝へ伝へを思すに、いとあはれに、昔のことも恋しく思し出でらる。
親王も、酔ひ泣きえとどめたまはず,御けしきとりたまひて、琴は御前に譲りきこえさせたまふ。もののあはれにえ過ぐしたまはで、めづらしきもの一つばかり弾きたまふに、ことことしからねど、限りなくおもしろき夜の御遊びなり。
唱歌そうが,の人びと御階みはしに召して、すぐれたる声の限り出だして、返り声になる。夜の更け行くままに、物の調べども、なつかしく変はりて、「青柳」遊びたまふほど、げに、ねぐらの鴬おどろきぬべく、いみじくおもしろし。私事のさまにしなしたまひて、禄など、いと警策にまうけられたりけり。
朱雀院の病気がまだすっかり治っていないので、楽人などは呼んでいない。だが笛など、太政大臣はその方面のことは用意されていて、
「世の中にこのお祝いほど珍しく清らかな催しはまたとあるまい」
と仰せになって、優れた音色を出すべく練習をしていたので、内輪の管弦の遊びが始まった。
皆それぞれの楽器を演奏するなかで、和琴はあの太政大臣が第一に秘蔵している琴がある。上手な人が心をこめて弾けば、並ぶものがないので、他の人は遠慮するので、柏木が固く辞退するのを源氏が催促されると、大そう上手に、父太政大臣にも劣らぬほどに弾いた。
「何事も名人の子といってもその技をこれほど継ぐことがことができようかと思われるほど、ゆかしく殊勝に思われた。調子に合わせて、楽譜などはっきりしている唐土伝来の曲は、習得の方法もわかるが、興にまかせて弾き合わせるするすががきなどは、他の音が調って妙に面白く、あやしい響きがする。
父大臣は、琴の弦も緩めに張って、調べも低く奏し、余韻を多く響かせて調子を合わせる。柏木の方は、大そう明るく高い調子で、親しみがあって愛嬌のある弾き方で、「これほど上手と思わなかった」と親王たちも驚いた。
琴は兵部卿の宮が弾いた。この琴は、宜陽殿に収納のもので、代々名器と言われていたものだが、故桐壷院の晩年に女一の宮が音楽が好きで頂戴したものだった。この度の祝賀に善美を尽くすため、太政大臣が申し出て賜ったものであった。その伝承の経緯を思うに、源氏はしみじみと、昔を思い出した。.
蛍兵部卿の宮も酔って泣いていた。源氏の気持を汲み取って、琴は源氏に譲られた。源氏は、興を催すまま、このままに見過ごすことができず、普段弾かない珍しい曲をひとつ弾いた。大げさではなく、限りなくおもしろい夜の遊びであった。
合唱の人々も階段に呼んで、すぐれた声の限りに謡うのだった。夜の更け行くままに、物の調べも。砕けたものに変わり、「青柳」を謡う頃になると、実際、ねぐらの鶯も驚くほど興がのってきた。私的な催しだったが、禄など驚くほどのものを賜った。
2020.3.21/ 2021.11.11/ 2023.6.3
34.30 暁に玉鬘帰る
暁に、尚侍君帰りたまふ。御贈り物などありけり。
「かう世を捨つるやうにて明かし暮らすほどに、年月の行方も知らず顔なるを、かう数へ知らせたまへるにつけては、心細くなむ。
時々は、老いやまさると見たまひ比べよかし。かく古めかしき身の所狭さに、思ふに従ひて対面なきも、いと口惜しくなむ」
など聞こえたまひて、あはれにもをかしくも、思ひ出できこえたまふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにて、かく急ぎ渡りたまふを、いと飽かず口惜しくぞ思されける。
尚侍の君も、 まことの親をばさるべき契りばかりに思ひきこえたまひて、ありがたくこまかなりし御心ばへを、年月に添へて、かく世に住み果てたまふにつけても、おろかならず思ひきこえたまひけり
暁になって、玉鬘は帰った。源氏から贈り物があった。
「世を捨てたようにして暮らしていると、年月の経つのが分からなくなるが、こうしてお祝いされて年を知らされると、心細くなります。
時々は、どんなに年をとったか会いに来てください。こんな不自由な年寄りが、思うままにお会いできないのは、残念だ」
などと源氏は仰せになって、あわれにも懐かしくも、思い出すことがあるので、かえって、こんなふうにちょっと顔を見せて、 急いで帰ってしまうのも、ひどく残念に思うのだった。
玉鬘も,実の父はただの親子の血縁のみと思うだけで、源氏のように細やかな心遣いを、髭黒の北の方として落ち着いてくると、並々ならずありがたく思った。
2020.3.22/ 2021.11.11/ 2023.6.3
34.31 女三の宮、六条院に降嫁
かくて、如月の十余日に、朱雀院の姫宮、六条院へ渡りたまふ。この院にも、御心まうけ世の常ならず。若菜参りし西の放出に御帳立てて、そなたの一、二の対、渡殿かけて、女房の局々まで、こまかにしつらひ磨かせたまへり。内裏に参りたまふ人の作法をまねびて、かの院よりも御調度など運ばる。渡りたまふ儀式、言へばさらなり。
御送りに、上達部などあまた参りたまふ。かの家司望みたまひし大納言も、やすからず思ひながらさぶらひたまふ。御車寄せたる所に、院渡りたまひて、下ろしたてまつりたまふなども、例には違ひたることどもなり。
ただ人におはすれば、よろづのこと限りありて、内裏参りにも似ず、婿の大君といはむにもこと違ひて、めづらしき御仲のあはひどもになむ。
こうして二月十余日、朱雀院の姫君は、六条院へお輿入れになった。六条院では、その準備に並々ならず用意した。若菜のときの西の放出に几帳を立て、あちらの一二の対に渡殿をかけて、女房のたちの局を細かに用意して磨かせた。内裏に参上する人の作法に準じ、朱雀院からも調度類を運んだ。お輿入れの儀式は盛大だった。
供奉には、上達部など大勢が参列した。あの家司を望んだ大納言も、望みが叶わずおもしろからず思いながら、参列した。車寄せの場所には、源氏が出迎えて、下りるのを見守った。まったく例のないことであった。
源氏は臣下であるので、何をするにも限界があり、内裏に入内するのでもなく、婿入りするとも違って、珍しい夫婦の関係であった。
2020.3.22/ 2021.11.11/ 2023.6.4
34.32 結婚の儀盛大に催さる
三日がほど、かの院よりも、主人の院方よりも、いかめしくめづらしきみやびを尽くしたまふ。
対の上も、ことに触れてただにも思されぬ世のありさまなり。げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるることもあるまじけれど、また並ぶ人なくならひたまひて、はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにて移ろひたまへるに、なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りのほども、もろ心にはかなきこともし出でたまひて、いとらうたげなる御ありさまを、いとどありがたしと思ひきこえたまふ。
姫宮は、げに、まだいと小さく、片なりにおはするうちにも、いといはけなきけしきして、ひたみちに若びたまへり。
かの紫のゆかり尋ね取りたまへりし折思し出づるに、
「かれはされていふかひありしを、これは、いといはけなくのみ見えたまへば、よかめり。憎げにおしたちたることなどはあるまじかめり」
と思すものから、「いとあまりものの栄なき御さまかな」と見たてまつりたまふ。
三日ほどは、朱雀院側からも、六条院の方からも、威儀を正し雅を尽くした往来があった。
紫の上も、何かにつけ落ち着かない身辺であった。こんなことになったからと言って、姫君などに引け目を感じて気落ちするような方でもないが、今までは競争相手もいなかったし、今回は華やかで年も若く侮りがたい姫が降嫁して、何やらいたたまれない気がするが、何気なくよそおって、降嫁のときも、心を合わせてこまごました雑用もこなし、いじらしい様子に、本当にありがたいと源氏は思うのだった。
姫君は、本当にまだ幼くて、大人になっておらず、あどけなく、まるで子供であった。
あの紫の上を引き取った頃を思い出し、
「紫の上の時は、気が利いていて手ごたえがあったが、こちらは、幼いだけだ、よかろう。紫の上に高飛車に立ち向かうことはないだろう」
と思って、「拍子抜けしそうで張り合いのない様子だな」と見るのであった。
2020.3.20/ 2021.11.11/ 2023.6.9◎
34.33 源氏、結婚を後悔
三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを、年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。御衣どもなど、いよいよ薫きしめさせたまふものから、うち眺めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
「などて、よろづのことありとも、また人をば並べて見るべきぞ。あだあだしく、心弱くなりおきにけるわがおこたりに、かかることも出で来るぞかし。若けれど、中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」
と、われながらつらく思し続くるに、涙ぐまれて、
「今宵ばかりは、ことわりと許したまひてむな。これより後のとだえあらむこそ、身ながらも心づきなかるべけれ。また、さりとて、かの院に聞こし召さむことよ
と、思ひ乱れたまへる御心のうち、苦しげなり。すこしほほ笑みて、
みづからの御心ながらだに、え定めたまふまじかなるを、ましてことわりも何も、いづこにとまるべきにか
と、いふかひなげにとりなしたまへば、恥づかしうさへおぼえたまひて、つらづゑをつきたまひて、寄り臥したまへれば、硯を引き寄せたまひて、
目に近く移れば変はる世の中を
行く末遠く頼みけるかな

古言など書き交ぜたまふを、取りて見たまひて、はかなき言なれど、げにと、ことわりにて、
命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき
世の常ならぬ仲の契りを

とみにもえ渡りたまはぬを、
「いとかたはらいたきわざかな」
と、そそのかしきこえたまへば、なよよかにをかしきほどに、えならず匂ひて渡りたまふを、見出だしたまふも、いとただにはあらずかし。
三日ほどは、毎夜通って行くのを、紫の上は、日ごろ馴れないことに、堪えていたが、やはり物悲しい。源氏の衣などを、女房たちが念入りに薫きこんでいるのを、物思いに沈んで眺めている様子は、いじらしく可愛らしい。
「どうして、どんな事情があるにせよ、ほかに妻をもうけるのか。わたしが心弱くなっているので、それで、このようなことが起こったのだ。若いけれど、夕霧を婿にとは思わなかっただろうか」
とわれながら情けなく思って、涙ぐんいると、
「今宵だけは、無理もないと許してください。これ以後途絶えると我が身に愛想が尽きるでしょう。そして姫君を疎かにしたら、院はどうお聞きあそばすだろう」
と源氏は思い乱れ心のうちは苦しそうだ。紫上は少し微笑んで、
「源氏の君ご自身でさえ決めかねているのに、その是非をわたしなどが、どうして決められましょう」
と紫の上は思って、取りつく島もなくそらすので、源氏は恥ずかしいくなって頬杖をついて、寄りかかっていたが、紫の上は硯を引き寄せて、
(紫上)「眼のあたりに、変わる私たちの仲でしたのに、
末長くとあてにしていました」
古歌などを混ぜて書くのを、源氏は手に取って見て、何でもないことだけれど、もっともだと思って、
(源氏)「無常の世に命は絶えるだろうが、
わたしたちの仲は絶えることがないでしょう」
源氏がすぐ行かないのを、紫の上は、気を使って、
「引き止めていると見られると困りますから」
と早く帰るようにそそのかせるが、しなやかで感じの良い衣装で、えも言われずよい香りが匂って、お見送りも平気ではいられない。
2020.3.25/ 2021.11.12◎
34.34 源氏、紫の上、眠れぬ夜を過ごす † †
年ごろ、さもやあらむと思ひしことどもも、今はとのみもて離れたまひつつさらばかくにこそはとうちとけゆく末に、ありありて、かく世の聞き耳もなのめならぬことの出で来ぬるよ。思ひ定むべき世のありさまにもあらざりければ今より後もうしろめたくぞ思しなりぬる
さこそつれなく紛らはしたまへど、さぶらふ人びとも、
「思はずなる世なりや。あまたものしたまふやうなれど、いづ方も、皆こなたの御けはひにはかたさり憚るさまにて過ぐしたまへばこそ、ことなくなだらかにもあれ、おしたちてかばかりなるありさまに、消たれてもえ過ぐしたまふまじ
また、さりとて、はかなきことにつけても、安からぬことのあらむ折々、かならずわづらはしきことども出で来なむかし
など、おのがじしうち語らひ嘆かしげなるを、つゆも見知らぬやうに、いとけはひをかしく物語などしたまひつつ、夜更くるまでおはす。
年頃、こんなことが起こるかもしれないと思っていたが、この頃は朝顔の君との関係も絶って、これで大丈夫と気を許すばかりになって、とどのつまり、こうして世間の外聞の悪いことが起きるとは、安心できるような夫婦仲でもなかったのだ、これから先も心配であった。
紫の上は、何げない風をよそおっていて、お付き者たちも、
「思ってもいないことになった。大勢の女君がいらっしゃるが、どなたも皆こちらの気配に一目おいてこそ、無事に過ぎてきたのですから、今回のあちら様の大仰なやり方に、こちらも負けたままで終わるとも思えない」
「そうはいっても、些細なことで、穏やかなならぬことが折々に起きれば、必ず面倒なことが起こるでしょう」
など、女房たちがそれぞれ語って嘆くのを、紫上は少しも気づかぬように、いかにも優雅な風でお話されては、夜が更けるまでおきていた。
2020.3.25/ 2021.11.12/ 2023.6.9
34.35 六条院の女たち、紫の上に同情
かう人のただならず言ひ思ひたるも、聞きにくしと思して、
かく、これかれあまたものしたまふめれど、御心にかなひて、今めかしくすぐれたる際にもあらずと、目馴れてさうざうしく思したりつるに、この宮のかく渡りたまへるこそ、めやすけれ。
なほ、童心の失せぬにやあらむ、われも睦びきこえてあらまほしきを、あいなく隔てあるさまに人びとやとりなさむとすらむ。ひとしきほど、劣りざまなど思ふ人にこそ、ただならず耳たつことも、おのづから出で来るわざなれ、かたじけなく、心苦しき御ことなめれば、いかで心おかれたてまつらじとなむ思ふ」
などのたまへば、中務、中将の君などやうの人びと、目をくはせつつ、
「あまりなる御思ひやりかな」
など言ふべし。昔は、ただならぬさまに使ひならしたまひし人どもなれど、年ごろはこの御方にさぶらひて、皆心寄せきこえたるなめり。
異御方々ことおんかたがたよりも、
「いかに思すらむ。もとより思ひ離れたる人びとは、なかなか心安きを」
など、おもむけつつ、とぶらひきこえたまふもあるを
かく推し量る人こそ、なかなか苦しけれ。世の中もいと常なきものを、などてかさのみは思ひ悩まむ
など思す。
あまり久しき宵居も、例ならず人やとがめむと、心の鬼に思して、入りたまひぬれば、御衾参りぬれど、げにかたはらさびしき夜な夜な経にけるも、なほ、ただならぬ心地すれど、かの須磨の御別れの折などを思し出づれば、
「今はと、かけ離れたまひても、ただ同じ世のうちに聞きたてまつらましかばと、わが身までのことはうち置き、あたらしく悲しかりしありさまぞかし。さて、その紛れに、われも人も命堪へずなりなましかば、いふかひあらまし世かは」
と思し直す。
風うち吹きたる夜のけはひ冷やかにて、ふとも寝入られたまはぬを、近くさぶらふ人びと、あやしとや聞かむと、うちも身じろきたまはぬも、なほいと苦しげなり。夜深き鶏の声の聞こえたるも、ものあはれなり。
こうして女房たちがただならぬことを言っているのも、聞き苦しく思い、
「このようにたくさん女君たちがいて、御心にかなって、身分は高くなくて華やかであっても、目馴れて物足りなく思っているので、この宮がこうして移ってくるのは良いかもしれない。
いまだに幼心がぬけないのでしょう、わたしも仲良くしたい、困ったことにわたしとの間に溝があるように気を回す者がいるやもしれぬ。身分が同じとか、向こうが劣っているとか、聞き逃せないことも、あるでしょう、恐れ多くも、いたわしいくも、なんとか親しくしていただきたいと思っております」
などと紫の上が仰ると、中務、中将の君などの人々が、目配せして、
「あまりのお心遣いですこと」
などと言うのだった。昔は普通の用だけではなく、特に君に親しくしていた人たちだが、長い間、紫の上に仕えて、皆この人の味方なのだ。
六條院の他の女君たちからも、
「どんなお気持ちでしょう。元々寵愛の薄いわたしたちは、気が楽ですが」
と水を向けて、お慰めする人もおり、
「そんな想像をしくれる人の方が、厄介だ。無常の世の中であれば、どうしてそんな執着することがあろう」
などと紫の上は思った。
あまり夜遅く起きているのも、いつもと違って咎める人もあるだろうし、悪いと思いながら、衾に入って寝ようとすると、実に寂しく夜を過ごすことになり、やはり平静ではいられず、あの須磨の別れの時を思い出すので、
「今は、離れていても、同じ世の中に無事でいると分かれば、自分のことはさておいても、源氏の身を惜しみ悲しむだろう。その時のどさくさに紛れて、わたしも源氏も死んでしまっていたら、言う甲斐もないもない二人の仲だったな」
と気を取り直すのだった。
風が吹いて夜の気配は冷ややかで、すぐには寝られず、近くにいる女房たちに、あやしがられまいと、身じろぎもせず、やはりつらそうであった。夜深くなって、鶏の声が聞こえたのも、あわれを感じた。
2020.3.26/ 2021.11.12 / 2023.6.9
34.36 源氏、夢に紫の上を見る
わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れたまふけにや、かの御夢に見えたまひければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒がしたまふに、鶏の音待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出でたまふ。いといはけなき御ありさまなれば、乳母たち近くさぶらひけり。
妻戸押し開けて出でたまふを、見たてまつり送る。明けぐれの空に、雪の光見えておぼつかなし。名残までとまれる御匂ひ、
闇はあやなし
と独りごたる。
雪は所々消え残りたるが、いと白き庭の、ふとけぢめ見えわかれぬほどなるに、
「なほ残れる雪」
と忍びやかに口ずさびたまひつつ、御格子うち叩きたまふも、久しくかかることなかりつるならひに、人びとも空寝をしつつ、やや待たせたてまつりて、引き上げたり。
「こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは。懼ぢきこゆる心のおろかならぬにこそあめれ。さるは、罪もなしや」
とて、御衣ひきやりなどしたまふに、すこし濡れたる御単衣の袖をひき隠して、うらもなくなつかしきものから、うちとけてはたあらぬ御用意など、いと恥づかしげにをかし。
「限りなき人と聞こゆれど、難かめる世を」
と、思し比べらる。
よろづいにしへのことを思し出でつつ、とけがたき御けしきを怨みきこえたまひて、その日は暮らしたまひつれば、え渡りたまはで、寝殿には御消息を聞こえたまふ。
「今朝の雪に心地あやまりて、いと悩ましくはべれば、心安き方にためらひはべる」
とあり。御乳母、
「さ聞こえさせはべりぬ」
とばかり、言葉に聞こえたり。
異なることなの御返りや」と思す。「院に聞こし召さむこともいとほし。このころばかりつくろはむ」と思せど、えさもあらぬを、「さは思ひしことぞかし。あな苦し」と、みづから思ひ続けたまふ。
女君も、「思ひやりなき御心かな」と、苦しがりたまふ
源氏はつらいとは思っていなかったが、それほど思い乱れていたのか、紫の上が夢に現れたので、驚いて胸騒ぎがして、鶏の鳴き声が聞こえたので、夜深い刻も知らぬ顔に、急いで起きて出かけた。姫宮はまだ幼いので、乳母たちが近くに侍っていた。
妻戸を開けて源氏が出てゆくのを、乳母は見送った。明けきらない空に、雪の光が映えてよく見えない。衣に焚いた残り香が漂い、
「闇はあやなし」
と乳母は独り言を言う。
雪は所々に消え残っているが、真っ白くなった庭に、その境が分からぬほどで、
「なお残れる雪」
と源氏は小さく口ずさみながら、格子を叩いたが、久しくこのようなことがなかったので、女房たちも空寝して、やや待たせてから、ゆっくりと格子を上げた。
「すっかり待たされて、身体が冷えてしまった。早く帰って来たのは、あなたを怖がるきもちが強いからです。私の罪ではないですよ」
と言って,衣を引き上げたりすると、紫の上は少し濡れた単衣の袖を隠して、すなおで優しいものの、決して打ち解けた気配は見せない様子に、気が引けるほど風情があった。
「これほどの身分が高い人は、いないだろう」
とつい姫宮と思い比べてみる。
源氏もいろいろと昔のことを思い出して、紫の上が仲直りしようとしないのを恨んで、その日は過ごしたので、出かけず、姫宮のいる寝殿に文を出すのだった。
「今朝の雪に気分がすぐれず、ひどく悩ましいので、気楽な所で養生します」
とあった。乳母は、
「さよう申し上げました」
と口上で返事をした。
「そっけない返事だな」と源氏は思った。「院のお耳に入っても困るし、この時期だけはつくろわなければ」と思うが、そうもできないので、「思った通りだ。ああ困った」と思い続けた。
紫の上を、「察しの悪い人だな」と苦々しく思った。
2020.3.27/ 2021.11.12/ 2023.6.9
34.37 源氏、女三の宮と和歌を贈答
今朝は、例のやうに大殿籠もり起きさせたまひて、宮の御方に御文たてまつれたまふ。ことに恥づかしげもなき御さまなれど、御筆などひきつくろひて、白き紙に、
中道を隔つるほどはなけれども
心乱るる今朝のあは雪

梅に付けたまへり。人召して、
「西の渡殿よりたてまつらせよ」
とのたまふ。やがて見出だして、端近くおはします。白き御衣どもを着たまひて、花をまさぐりたまひつつ、「友待つ雪」のほのかに残れる上に、うち散り添ふ空を眺めたまへり。鴬の若やかに、近き紅梅の末にうち鳴きたるを、
「袖こそ匂へ」
と花をひき隠して、御簾押し上げて眺めたまへるさま、夢にも、かかる人の親にて、重き位と見えたまはず、若うなまめかしき御さまなり。
御返り、すこしほど経る心地すれば、入りたまひて、女君に花見せたてまつりたまふ。
「花といはば、かくこそ匂はまほしけれな。桜に移しては、また塵ばかりも心分くる方なくやあらまし」
などのたまふ。
「これも、あまた移ろはぬほど、目とまるにやあらむ。花の盛りに並べて見ばや」
などのたまふに、御返りあり。紅の薄様に、あざやかにおし包まれたるを、胸つぶれて、御手のいと若きを、
「しばし見せたてまつらであらばや。隔つとはなけれど、あはあはしきやうならむは、人のほどかたじけなし
と思すに、ひき隠したまはむも心おきたまふべければ、かたそば広げたまへるを、しりめに見おこせて添ひ臥したまへり。
はかなくてうはの空にぞ消えぬべき
風にただよふ春のあは雪

御手、げにいと若く幼げなり。「さばかりのほどになりぬる人は、いとかくはおはせぬものを」と、目とまれど、見ぬやうに紛らはして、止みたまひぬ。
異人ことひとの上ならば、「さこそあれ」などは、忍びて聞こえたまふべけれど、いとほしくて、ただ、
「心安くを、思ひなしたまへ」
とのみ聞こえたまふ。
今朝は、いつものように紫の上のところで朝寝して起きると、姫宮へ文を送った。格別気をつかうような方ではないが、筆は十分選んで、白い紙に、
(源氏)「わたしたちの間を邪魔するほどではありませんが
今朝の淡雪には心乱れ気分もすぐれない」
梅の枝につけて、人を呼び、
「西の渡殿に届けよ」
と仰せになり、そのまま外を眺めて、廂の端にいる。白い衣を重ね着して、梅の花に触って、「友待つ雪」にほのかに残る雪の上に降ってくる雪の空を眺めていた。鶯が近くの紅梅の枝の先に止まって鳴いているのを、
「袖こそ匂え」
と梅の花を袖に隠して、御簾を押し上げて眺めている姿は、夢にも、人の子の親で、高い位の人とは見えず、若々しく魅力的であった。
返事は少しかかるだろうと思い、奥に入って、紫の上に梅の花を見せた。
「花ならば、これくらいは匂ってほしいものだ。この香を桜に移したら、もう誰も他の花は少しも見ないだろう」
などと仰せになる。
「梅の花も、目移りしないから、目立つのだ。桜の盛りと比べて見たいものだ」
などと言っているうちに、返事があった。紅の薄様に、鮮やかに包まれているのを、ドキリとして、筆跡がいかにも幼いのを
「当分の間、紫の上には見せたくない。隠し立てするつもりはないが、軽々しく人に見せては、恐れ多いご身分だから」
と思い、隠してしまえば、紫の上も気になるだろうし、ほんの片端を広げて見えるようにし、紫の上は、横目で見て横になっている。
(女三宮)「お越しにならないので、頼りなく春の淡雪のように
空に消えてしまいそうです」
筆跡は、なるほど未熟で幼いのであった。「あの年頃になれば、これほど幼くはないが」と、つい目がいってしまうが、見ないふりをしていた。
ほかの女なら、源氏も「こんな字だ」と、こっそり仰せになったろうが、お気の毒で、ただ、
「気の張らない方だとお思いください」
とだけ仰せになった。
2020.3.28/ 2021.11.12/ 2023.6.9
34.38 源氏、昼に宮の方に出向く
†今日は、宮の御方に昼渡りたまふ。心ことにうち化粧じたまへる御ありさま、今見たてまつる女房などは、まして見るかひありと思ひきこゆらむかし。御乳母などやうの老いしらへる人びとぞ、
「いでや。この御ありさま一所こそめでたけれ、めざましきことはありなむかし」
と、うち混ぜて思ふもありける。
女宮は、いとらうたげに幼きさまにて、御しつらひなどのことことしく、よだけくうるはしきに、みづからは何心もなく、ものはかなき御ほどにて、いと御衣がちに、身もなく、あえかなり。ことに恥ぢなどもしたまはず、ただ稚児の面嫌ひせぬ心地して、心安くうつくしきさましたまへり。
「院の帝は、ををしくすくよかなる方の御才などこそ、心もとなくおはしますと、世人思ひためれ、をかしき筋、なまめきゆゑゆゑしき方は、人にまさりたまへるを、などて、かくおいらかに生ほしたてたまひけむ。さるは、いと御心とどめたまへる皇女と聞きしを」
と思ふも、なま口惜しけれど、憎からず見たてまつりたまふ。
ただ聞こえたまふままに、なよなよとなびきたまひて、御いらへなどをも、おぼえたまひけることは、いはけなくうちのたまひ出でて、え見放たず見えたまふ。
昔の心ならましかば、うたて心劣りせましを、今は、世の中を皆さまざまに思ひなだらめて、 「とあるもかかるも、際離るることは難きものなりけりとりどりにこそ多うはありけれ、よその思ひは、いとあらまほしきほどなりかし
と思すに、差し並び目離れず見たてまつりたまへる年ごろよりも、対の上の御ありさまぞなほありがたく、「われながらも生ほしたてけり」と思す。一夜ひとよのほど、朝の間も、恋しくおぼつかなく、いとどしき御心ざしのまさるを、「などかくおぼゆらむ」と、ゆゆしきまでなむ。
今日は姫宮の所へ昼に行かれた。念入りに身づくろいをして、初めて見る女房たちは、素晴らしく見る甲斐があったと思うだろう。乳母たちの中でも年取った者のなかには、
「さあどうだろう。このお方は、すばらしいが、困ったことが今に起きるだろう」
と心配する者もいた。
女宮は、とてもかわいらしく幼く、大層な飾り付けにかこまれて、事々しく麗しいのだが、ご自身は何心もなく、何もわからない様子で、衣装にうずまった小さな体が弱弱しい。源氏にも物おじせずただ稚児の人見知りしない様子が、気が張らずかわいい感じでいらっしゃる。
「院の帝は男らしく理屈っぽい学問は、弱いと世間では言われているが、風情のある方面、優雅で趣のある方面では人に勝っているので、どうしてこうおっとりとお育てになったのだろう。それにしても、ずいぶんかわいがってお育てしたとお聞きしたが」
と思うも、なんとなく残念だが、憎からず可愛いと思うのであった。
姫君はただ言われるままに、従順に、返事なども、ふと心に浮かんだことは、あどけなくそのまま言うので、とても見捨てられないと思うのだった。
昔の自分だったら、嫌になっていたろうが、今は世の中は十人十色だと思うので、「いろいろな女がいるが、とび抜けて立派なのはいないものだ。それぞれ特徴のある女はいて、傍から見れば、女三宮も正室として立派だ、と見えるだろう」
と思うと、二人一緒に離れず暮らしてきた年ごろは、紫の上の有様は立派で、「われながらよく育てたものだ」と思う。一夜隔てた朝も、恋しい逢いたいと思い、たいそう気持ちが傾くのも、「どうしてこんな気持ちになるのだろう」と、尋常な気持ではない。
2020.3.28/ 2021.11.12/ 2023.6.10
34.39 朱雀院、紫の上に手紙を贈る
院の帝は、月のうちに御寺に移ろひたまひぬ。この院に、あはれなる御消息ども聞こえたまふ。姫宮の御ことはさらなり。
わづらはしく、いかに聞くところやなど、憚りたまふことなくて、ともかくも、ただ御心にかけてもてなしたまふべくぞ、たびたび聞こえたまひける。されど、あはれにうしろめたく、幼くおはするを思ひきこえたまひけり。
紫の上にも、御消息ことにあり。
「幼き人の、心地なきさまにて移ろひものすらむを、罪なく思しゆるして、後見たまへ。尋ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ。
背きにしこの世に残る心こそ
入る山路のほだしなりけれ

闇をえはるけで聞こゆるも、をこがましくや」
とあり。大殿も見たまひて、
「あはれなる御消息を。かしこまり聞こえたまへ」
とて、御使にも、女房して、土器さし出でさせたまひて、しひさせたまふ。「御返りはいかが」など、聞こえにくく思したれど、ことことしくおもしろかるべき折のことならねば、ただ心をのべて、
背く世のうしろめたくはさりがたき
ほだしをしひてかけな離れそ

などやうにぞあめりし。
女の装束に、細長添へてかづけたまふ。御手などのいとめでたきを、院御覧じて、何ごともいと恥づかしげなめるあたりに、いはけなくて見えたまふらむこと、いと心苦しう思したり。
院の帝は、二月中に寺にお移りになった。院は源氏に、情のこもった文を事細かに送ってきた。姫君のことはもちろんだ。
院がどんな風に思うだろうかなどと気にすることなく、源氏の気持ちのままに姫君をもてなしてくれることを、たびたび文を出すのだった。それでも、院は後ろ髪をひかれる思いで女三の宮の幼いことを心配された。
紫の上にも院から文があった。
「幼くて何のわきまえもなく参らせましたのを、罪なき者とお許しいただき、お世話してください。考慮されるべき血縁もあります。
(朱雀院)世を背いたけれど、子を思う心こそ
出家の山路の妨げになります。
親の心の闇を晴らせずに申し上げるのも、おこがましいが」
とあり、源氏もそれを見て、
「お気の毒な文ですね。つつしんでお受けしますと、ご返事なさい」
とて、文遣いにも、女房に盃を出させて、何杯もふるまわせた。「ご返事はどうしたものか」と書きづらく思ったが、大げさに趣向を凝らす時でもないので、ただ思ったことを述べて、
(紫上)「背いた世に心残りがありましたら
それを強いて振り捨てないでくださいませ」
こう書いた。
使者には、女の装束に細長を添えてかずけた。院は、筆跡の見事なのをご覧になって、何事も大そう優れた方のそばに、ひどく幼く見えるのをやって、心苦しく思うのであった。
2020.3.29/ 2021.11.12/ 2023.6.10
34.40 源氏、朧月夜に今なお執心
今はとて、女御、更衣たちなど、おのがじし別れたまふも、あはれなることなむ多かりける。
尚侍ないしのかみの君は、故后の宮のおはしましし二条の宮にぞ住みたまふ。姫宮の御ことをおきては、この御ことをなむかへりみがちに、帝も思したりける。尼になりなむと思したれど、
かかるきほひには、慕ふやうに心あわたたしく
と諌めたまひて、やうやう仏の御ことなどいそがせたまふ。
六条の大殿は、あはれに飽かずのみ思してやみにし御あたりなれば、年ごろも忘れがたく、
「いかならむ折に対面あらむ。今一たびあひ見て、その世のことも聞こえまほしく」のみ思しわたるを、かたみに世の聞き耳も憚りたまふべき身のほどに、いとほしげなりし世の騷ぎなども思し出でらるれば、よろづにつつみ過ぐしたまひけるを、かうのどやかになりたまひて、世の中を思ひしづまりたまふらむころほひの御ありさま、いよいよゆかしく、心もとなければ、あるまじきこととは思しながら、おほかたの御とぶらひにことつけて、あはれなるさまに常に聞こえたまふ。
若々しかるべき御あはひならねば、御返りも時々につけて聞こえ交はしたまふ。昔よりもこよなくうち具し、ととのひ果てにたる御けはひを見たまふにも、なほ忍びがたくて、昔の「中納言の君のもとにも、心深きことどもを常にのたまふ。
いよいよこれまでと、上皇付きの女御、更衣たちが、それぞれ別れて実家に帰るのも、あわれなことが多い。
朧月夜の君は、故后の宮が住んでいた二条の宮に住むことになった。姫宮はさておいて、このことを帝は後ろ髪が引かれるように思った。尚侍ないしのかみは尼になろうと思ったが、
「競うように尼になるのは気ぜわしいから止めなさい」
と諫められて、ぼつぼつ持仏などの準備をするのだった。
源氏の君は、飽かぬ思いのまま別れた人なので、年来忘れることができず、
「どんな機会に会えるだろう。今一度逢って、過ぎ去った昔のことも話がしたいものだ」としきりと思っていたが、互いに世間の噂を気にする身であれば、世間を騒がせた頃を思い出し、万事につけ慎んで過ごしてきたが、こうして暇な時ができると、世の中の移り変わりに静かに思いを致すことが多くなり、いよいよ懐かしく会ってみたい思いがつのり、やってはいけないとは思いながらも、通例のお見舞いにかこつけて、心をこめた文を頻繁に出すのだった。
若い恋仲のような間柄ではなかったのだが、返事もその時々に応じて交わしていた。朧月夜が昔よりも相応に成長し備わって円熟した様子を見るにつけ、我慢できず、昔の中納言の君の女房のもとに、切々たる思いを語るのだった。
2020.3.29/ 2021.11.15/ 2023.6.10
34.41 和泉前司に手引きを依頼
かの人の兄なる和泉のさきの守を召し寄せて、若々しく、いにしへに返りて語らひたまふ。
「人伝てならで、物越しに聞こえ知らすべきことなむある。さりぬべく聞こえなびかして、いみじく忍びて参らむ。
今は、さやうのありきも所狭き身のほどに、おぼろけならず忍ぶれば、そこにもまた人には漏らしたまはじと思ふに、かたみにうしろやすくなむ」
とのたまふ。尚侍かむの君、
「いでや。世の中を思ひ知るにつけても、昔よりつらき御心を、ここら思ひつめつる年ごろの果てに、あはれに悲しき御ことをさし置きて、いかなる昔語りをか聞こえむ。
げに、人は漏り聞かぬやうありとも、心の問はむこそいと恥づかしかるべけれ」
とうち嘆きたまひつつ、なほ、さらにあるまじきよしをのみ聞こゆ。
中納言の君の兄の前の和泉の守を呼び寄せて、若々しく、昔に返って語り合った。
「人伝ではなく、物越しに直接言いたいことがある。そう先方に伝えて、忍んで参りたいのだ。
この節はそのような忍び歩きもむつかしい身分故、格別大事な秘密だから、あなたもまた人に漏らすことはないだろうし、お互いに安心だろう」
と仰せになる。尚侍かむの君は、
「さあ、男女の仲を知るにつけて、昔からつれないみ心をさんざん味わってきましたので、朱雀院の出家という悲しいことをさしおいて、どんな昔話を語ろうというのでしょう。
実に、人は漏れ聞かぬとしても、自分の心に問うてみれば恥ずかしいではないか」
と嘆きつつ、やはり、逢うことはできないと、言ってくるのであった。
2020.3.29/ 2021.11.15/ 2023.6.10
34.42 紫の上に虚偽を言って出かける
いにしへ、わりなかりし世にだに、心交はしたまはぬことにもあらざりしをげに、背きたまひぬる御ためうしろめたきやうにはあれどあらざりしことにもあらねば、今しもけざやかにきよまはりて、立ちにしわが名、今さらに取り返したまふべきにや」
と思し起こして、この信太の森を道のしるべにて参うでたまふ。女君には、
東の院にものする常陸の君の、日ごろわづらひて久しくなりにけるを、もの騒がしき紛れに訪らはねば、いとほしくてなむ。昼など、けざやかに渡らむも便なきを、夜の間に忍びてとなむ、思ひはべる。人にもかくとも知らせじ」
と聞こえたまひて、いといたく心懸想したまふを、例はさしも見えたまはぬあたりを、あやし、と見たまひて、思ひ合はせたまふこともあれど、姫宮の御事の後は、何事も、いと過ぎぬる方のやうにはあらず、すこし隔つる心添ひて、見知らぬやうにておはす。
「昔、逢瀬も難しかった頃に、心を交わしたことがあったのだから。いかにも、出家された朱雀院に不実のようではあるが、昔なかったことでもないから、今更きっぱりと潔白にしたところで、いったん立った浮名を取り消したりすることができようか」
と思い直して、信田の森の和泉前司を案内にして行った。紫の上には、
「東の院にいる末摘花が、久しく患っていて、何かと忙しいのに紛れて見舞いに行っていないので、かわいそうです。昼など人目に立って出かけるのもよくないので、夜に忍んでおこうと思う。誰にも知らせないで」
と仰せになって、入念に身づくろいをするのを、いつもはそれ程気にする方ではないので、紫の上はあやしいと見て、思い当たることもあるので、姫君の後では、何事も昔のようではなく、少し隔たった気持ちがあって、素知らぬふりをするのであった。
2020.3.30/ 2021.11.15/ 2023.6.10
34.43 源氏、朧月夜を訪問
その日は、寝殿へも渡りたまはで、御文書き交はしたまふ。薫き物などに心を入れて暮らしたまふ。
宵過ぐして、睦ましき人の限り、四、五人ばかり、網代車の、昔おぼえてやつれたるにて出でたまふ。和泉守して、御消息聞こえたまふ。かく渡りおはしましたるよし、ささめき聞こゆれば、驚きたまひて、
あやしく。いかやうに聞こえたるにか
とむつかりたまへど、
をかしやかにて帰したてまつらむに、いと便なうはべらむ
とて、あながちに思ひめぐらして、入れたてまつる。御とぶらひなど聞こえたまひて、
「ただここもとに、物越しにても。さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」
と、わりなく聞こえたまへば、いたく嘆く嘆くゐざり出でたまへり。
さればよ。なほ、気近さは
と、かつ思さる。かたみに、おぼろけならぬ御みじろきなれば、あはれも少なからず。東の対なりけり。辰巳の方の廂に据ゑたてまつりて、御障子のしりばかりは固めたれば、
「いと若やかなる心地もするかな。年月の積もりをも、紛れなく数へらるる心ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」
と怨みきこえたまふ。
当日は、姫君の寝殿にもゆかず、文をかわしただけであった。薫物に熱中して 暮らした。
夜の更けるのを待って、気心の知れた四、五人ばかり、網代車の、昔のようにやつれたのに乗って出かけた。和泉の守に案内を乞う。こうして来ています由、取り次ぎの女房がそっとお伝えすると、驚いて、
「おかしいこと。何とお伝えしたのか」
と機嫌を悪くしたが、
「対面せず、色めいてお帰しするのは、具合が悪いでしょう」
と女房が少し無理な理由をこじつけて、招じ入れた。お見舞いなどの挨拶があり、
「もう少しここまで寄ってください、物越しでもいいですから。昔のような乱暴なことはしません」
と源氏が切々とお願いすると、ため息をつきながら、いざり寄った。
「案の定だ、すぐ聞いてくれる」
と思った。お互いに身体の動きは知っているので、感慨もひとしおだった。対面の場所は、東の対であった。辰巳の方の廂に座を設えて、障子の端は掛け金がかけてあり、
「若者のような気持ちがします。あれ以来の年月の数も、数えられる程慕っていましたのに、このような他人行儀はつらいです」
と恨みがましく仰せになる。
2020.3.30/ 2021.11.15/ 2023.6.12
34.44 朧月夜と一夜を過ごす
† 夜いたく更けゆく。玉藻に遊ぶ鴛鴦おしの声々など、あはれに聞こえて、しめじめと人目少なき宮の内のありさまも、「 さも移りゆく世かな」と思し続くるに、平中がまねならねど、まことに涙もろになむ。昔に変はりて、おとなおとなしくは聞こえたまふものから、「これをかくてや」と、引き動かしたまふ。
年月をなかに隔てて逢坂の
さも塞きがたく落つる涙か

女、
涙のみ塞きとめがたき清水にて
ゆき逢ふ道ははやく絶えにき

などかけ離れきこえたまへど、いにしへを思し出づるも、
†「誰れにより、多うはさるいみじきこともありし世の騷ぎぞは」と思ひ出でたまふに、「げに、今一たびの対面はありもすべかりけり
と、思し弱るも、もとよりづしやかなるところはおはせざりし人の、年ごろは、さまざまに世の中を思ひ知り、来し方を悔しく、公私のことに触れつつ、数もなく思し集めて、 いといたく過ぐしたまひにたれど、昔おぼえたる御対面に、その世のことも遠からぬ心地して、え心強くももてなしたまはず。
なほ、らうらうじく、若うなつかしくて、一方ならぬ世のつつましさをもあはれをも、思ひ乱れて、嘆きがちにてものしたまふけしきなど、今始めたらむよりもめづらしくあはれにて、明けゆくもいと口惜しくて、出でたまはむ空もなし。
夜がすっかり更けてゆく。玉藻に遊ぶ鴛鴦おしの声もあわれに聞こえて、しめやかな二条の邸の様子も、「往時と比べかくも移り行く世の中よ」と感慨を催し、平中のまねではないが、まことに涙がこぼれる。源氏は昔と違って年配者らしく話をするので、「この隔てをこうしよう」と障子を動かすのだった。
(源氏)「年月を隔ててやっと逢うのに
こんな隔てがあっては涙が堰き止めがたくとまりません」
女、
(朧月夜)「わたしも涙が堰き止められません
お逢いする道は途絶えました」
など受け付けないのだが、昔のことを思い出すと、
「誰のせいで、あんなに世間を大騒ぎさせのか」と思い出すと、「今一度逢ってもいいものか」
と決心が鈍るが、元来が重々しいところのないので、年来様々に世の中のことも知り、来し方を悔しく思い、公にも私ことにもいろいろな経験をし、たくさんの物思いもして、大そう自重して暮らしてきたが、昔の逢瀬も、その頃が遠からぬことに思えて、いつまでも強情を通せなかった。
昔に変わらず、朧月夜は、洗練された物越しで、若々しく愛嬌があり、ひとかたならぬ世間へのつつましさもあわれも、思い乱れて、嘆き勝ちな物腰も、初めて逢った時よりも新鮮で、夜が明けるのも惜しくて、帰る気配もない。
2020.3.31/ 2021.11.15/ 2023.6.12
34.45 源氏、和歌を詠み交して出る
朝ぼらけのただならぬ空に、百千鳥ももちどりの声もいとうららかなり。花は皆散り過ぎて、名残かすめる梢の浅緑なる木立、「昔、藤の宴したまひし、このころのことなりけりかし」と思し出づる、年月の積もりにけるほども、その折のこと、かき続けあはれに思さる。
中納言の君、見たてまつり送るとて、妻戸押し開けたるに、立ち返りたまひて、
「この藤よ。いかに染めけむ色にか。なほ、えならぬ心添ふ匂ひにこそ。いかでか、この蔭をば立ち離るべき」
と、わりなく出でがてに思しやすらひたり。
山際よりさし出づる日のはなやかなるにさしあひ、目もかかやく心地する御さまの、こよなくねび加はりたまへる御けはひなどを、めづらしくほど経ても見たてまつるは、まして世の常ならずおぼゆれば、
†「さる方にても、などか見たてまつり過ぐしたまはざらむ。御宮仕へにも限りありて、際ことに離れたまふこともなかりしを。故宮の、よろづに心を尽くしたまひ、よからぬ世の騷ぎに、軽々しき御名さへ響きてやみにしよ」
など思ひ出でらる。名残多く残りぬらむ御物語のとぢめには、げに残りあらせまほしきわざなめるを、 御身、心にえまかせたまふまじく、ここらの人目もいと恐ろしくつつましければ、やうやうさし上がり行くに、心あわたたしくて、廊の戸に御車さし寄せたる人びとも、忍びて声づくりきこゆ。
人召して、かの咲きかかりたる花、一枝折らせたまへり。
沈みしも忘れぬものをこりずまに
身も投げつべき宿の藤波

いといたく思しわづらひて、寄りゐたまへるを、心苦しう見たてまつる。女君も、今さらにいとつつましく、さまざまに思ひ乱れたまへるに、花の蔭は、なほなつかしくて、
身を投げむ淵もまことの淵ならで
かけじやさらにこりずまの波

いと若やかなる御振る舞ひを、心ながらもゆるさぬことに思しながら関守の固からぬたゆみにや、いとよく語らひおきて出でたまふ
そのかみも、人よりこよなく心とどめて思うたまへりし御心ざしながら、はつかにてやみにし御仲らひには、いかでかはあはれも少なからむ
朝ぼらけの得も言われぬ空に、百千鳥の声のさえずりがうららかだ。花は皆散って、名残りをわずかに残す梢の浅緑の木立、「昔、右大臣が藤の宴をしたのも、このころだった」と思い、年月が経ってもそのころのことが次々に思い出される。
中納言の君が、お見送りするため、妻戸を開けると、源氏は振り返って、
「この藤の花よ。どうやって染めたものか。それに、得も言われぬこの匂い。どうしてこの花の蔭を立去ることができよう」
と帰りにくそうにしている。
山際からさし出る日のはなやかな光に照らされて、目に鮮やかな源氏の姿の、程よく年齢を重ねた気配を、久しぶりに見るのは、いよいよ世の常の人とも思えない心地がして、
「どうして、あの方と結婚して、ご一緒にならなかったのか。宮仕えにも限りがあって、立后できたわけではなかった。亡き弘徽殿がなにかと心を砕いて、とんでもない騒動になって、軽々しく浮名を立てて終わってしまった」
などと中納言の君は思った。名残りが尽きない物語の終わりはなく、ご身分柄心にまかせた振舞いができない身で、大勢の人目に触れるのも恐ろしく、用心しなければならない、日がようやく登り、あわただしく、廊下の戸に車を寄せてお供の者たちが、声を作って急がせるのだった。
人を呼んで、その咲きかけた花を一枝折らせて、
(源氏)「かって須磨の浦に沈んだ身が懲りもせず
この宿の見事な藤波に身を投げそうです」
源氏が大そう思い悩んで、高欄に寄りかかっているのを、中納言の君はお気の毒そうに見ている。女君も、今になってつつましく、様々に思い乱れ、美しい花の蔭には、なお身を寄せたくて、
(朧月夜)「身をなげるのも偽りの淵だから
しょう懲りもなく関わりたくない」
若者のような振舞いを、自分でも許せぬと思いながらも、きびしい関守がいないため、またの逢瀬を約束してお帰りになる。
あの当時も、誰よりもご執心だったのに、わずかばかりで途絶えた二人の仲だから、どうして恋の思いのつのらぬことがあろうか。
2020.3.31/ 2021.11.15/ 2023.6.12
34.46 源氏、自邸に帰る
いみじく忍び入りたまへる御寝くたれのさまを待ち受けて、女君、さばかりならむと心得たまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。 なかなかうちふすべなどしたまへらむよりも、心苦しく、「など、かくしも見放ちたまへらむ」と思さるれば、ありしよりけに深き契りをのみ、長き世をかけて聞こえたまふ。
尚侍かむの君の御ことも、また漏らすべきならねど、いにしへのことも知りたまへれば、まほにはあらねど、
「物越しに、はつかなりつる対面なむ、残りある心地する。いかで人目咎めあるまじくもて隠しては、今一たびも」
と、語らひきこえたまふ。うち笑ひて、
「今めかしくもなり返る御ありさまかな。昔を今に改め加へたまふほど、中空なる身のため苦しく」
とて、さすがに涙ぐみたまへるまみの、いとらうたげに見ゆるに、
「かう心安からぬ御けしきこそ苦しけれ。ただおいらかに引き抓みなどして、教へたまへ。隔てあるべくも、ならはしきこえぬを、思はずにこそなりにける御心なれ
とて、よろづに御心とりたまふほどに、何ごともえ残したまはずなりぬめり
宮の御方にも、とみにえ渡りたまはず、こしらへきこえつつおはします。姫宮は、何とも思したらぬを、御後見どもぞ安からず聞こえける。 わづらはしうなど見えたまふけしきならば、そなたもまして心苦しかるべきを、おいらかにうつくしきもて遊びぐさに思ひきこえたまへり
充分に人目を忍んで自邸に帰ったが、寝乱れた髪をみて、待ち受けていた紫の上は、そんなことだろうと得心したが、気づかないふりをしていた。かえってやきもちをやいたりするよりも、つらくて、「どうしてかまってくれないのか」と思えば、前よりも一層深い約束を来世にかけてお仰せになるのだった。
尚侍かむの君のことも、漏らすべきではないが、昔のことも知っているので、ありのままではないが、
「物越しにほんの少し会いましたが、物足りない気がする。どうかして人目に立たないように隠れて、今一度お会いしたいのだが」
と語るのであった。紫の上は笑って、
「ずいぶん若返ったようですね。昔の恋を今にむし返すのですから、どっちつかずの寄る辺ないわたしはつらいです」
とて、さすがに涙ぐんでいる目元が、可愛らしい、
「これ程ご機嫌が悪いのは困ります。ただ素直に、抓ったり、教えてください。他人行儀に思ったことを言わないのは、今までなかったので、心外ですね」
とて、何やかやとご機嫌をとっているうちに、すっかり白状したようである。
姫宮の方にも、すぐに出かけられないで、紫の上をあれこれとなだめた。姫宮は何とも思っていなかったが、付き添いの乳母たちが不平がましく言った。三の宮が面倒な方であったら、そちらも気を遣わなければならならなかったが、素直で可愛らしい人形のように思った。
2020.4.1/ 2021.11.15/ 2023.6.12
34.47 明石姫君、懐妊して退出
桐壺の御方はうちはへえまかでたまはず。御暇のありがたければ、心安くならひたまへる若き御心に、いと苦しくのみ思したり。
夏ごろ、悩ましくしたまふを、とみにも許しきこえたまはねば、いとわりなしと思す。めづらしきさまの御心地にぞありける。まだいとあえかなる御ほどに、いとゆゆしくぞ、誰れも誰れも思すらむかし。からうしてまかでたまへり。
姫宮のおはします御殿の東面に、御方はしつらひたり。明石の御方、今は御身に添ひて、出で入りたまふも、あらまほしき御宿世なりかし。
明石の女御は、里帰りが許されず、暇をとれそうもないので、今まで気軽に過ごしていた若い心には、大そうつらかった。
夏ごろ、気分が悪くなったが、東宮からすぐにはお許しがでず、仕方ないとあきらめていた。しかしそれはおめでたであった。まだごく幼いので、大へんなことになったと、まわりは誰もが心配した。このようにして内裏を罷り出た。
女三の宮のいる御殿の東面に、お部屋を設えた。明石の君は、娘の女御に付き添って出入りした。理想的な宿世であった。
2020.4.1/ 2021.11.15/2023.6.12
34.48 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る
対の上、こなたに渡りて対面したまふついでに
「姫宮にも、中の戸開けて聞こえむ。かねてよりもさやうに思ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる折に聞こえ馴れなば、心安くなむあるべき」
と、大殿に聞こえたまへば、うち笑みて、
「思ふやうなるべき御語らひにこそはあなれ。いと幼げにものしたまふめるを、うしろやすく教へなしたまへかし」
と、許しきこえたまふ。宮よりも、明石の君の恥づかしげにて交じらむを思せば、御髪すましひきつくろひておはする、たぐひあらじと見えたまへり。
大殿は、宮の御方に渡りたまひて、
「夕方、かの対にはべる人の、淑景舎に対面せむとて出で立つ。そのついでに、近づききこえさせまほしげにものすめるを、許して語らひたまへ。心などはいとよき人なり。まだ若々しくて、御遊びがたきにもつきなからずなむ」
など、聞こえたまふ。
「恥づかしうこそはあらめ。何ごとをか聞こえむ」
と、おいらかにのたまふ。
「人のいらへは、ことにしたがひてこそは思し出でめ。隔て置きてなもてなしたまひそ
と、こまかに教へきこえたまふ。「御仲うるはしくて過ぐしたまへ」と思す。
あまりに何心もなき御ありさまを見あらはされむも、恥づかしくあぢきなけれど、さのたまはむを、「心隔てむもあいなし」と、思すなりけり。
紫の上は、明石の女御にお会いする折りに、
「女三の宮にも、中の戸を開けてご挨拶しよう。かねてからそう思っていましたが、その機会がなかったので遠慮していました。親しくなれば、安心ですから」
と源氏に申し上げると、笑って、
「そうあってほしいものだ。大へん子供ぽいので、心配がないように教えてやってくれ」
と許可が出る。宮よりも、明石の君がこちらが恥ずかしくなるような立派な様子を思えば、御髪を洗い身づくろいをした姿は、類なきものと見えた。
源氏は、宮の方に行かれて、
「夕方、あちらの対にいる紫の上が、明石の女御にお会いするので、その折にこちらにお近づきの挨拶をしたいといっておりますので、お許しくださって語らってください。気持ちのよい方です。まだ若いのでお相手としてもお似合いです」
などと仰せになる。
「恥ずかしいですね。何を話したらいいでしょう」
と姫宮がおっとりして言う。
「お返事は、相手の言うことに応じてなさるとよいのです。他人行事なおあしらいはなさいますな」
と細かに教えて、仰せになるのだった。「二人は仲良くしてほしい」と思う。
無邪気すぎる姫宮の有様を、紫の上に見られるのも、恥ずかしいが、申し出に対して、「止めたりして、隔てを作るのもよくない」と思った。
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34.49 紫の上の手習い歌
対には、かく出で立ちなどしたまふものから、
我より上の人やはあるべき。身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ
など、思ひ続けられて、うち眺めたまふ。手習などするにも、おのづから古言も、もの思はしき筋にのみ書かるるを、「さらば、わが身には思ふことありけり」と、身ながらぞ思し知らるる。
院、渡りたまひて、宮、女御の君などの御さまどもを、「うつくしうもおはするかな」と、さまざま見たてまつりたまへる御目うつしには、年ごろ目馴れたまへる人の、おぼろけならむが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、「なほ、たぐひなくこそは」と見たまふ。ありがたきことなりかし。
あるべき限り、気高う恥づかしげにととのひたるに添ひて、はなやかに今めかしく、にほひなまめきたるさまざまの香りも、取りあつめ、めでたき盛りに見えたまふ。去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、常に目馴れぬさまのしたまへるを、「いかでかくしもありけむ」と思す。
うちとけたりつる御手習を、硯の下にさし入れたまへれど、見つけたまひて、引き返し見たまふ。手などの、 いとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書きたまへり
身に近く秋や来ぬらむ見るままに
青葉の山も移ろひにけり

とある所に、目とどめたまひて、
水鳥の青羽は色も変はらぬを
萩の下こそけしきことなれ

など書き添へつつすさびたまふ。ことに触れて、心苦しき御けしきの、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、ことなく消ちたまへるも、ありがたくあはれに思さる
今宵は、いづ方にも御暇ありぬべければ、かの忍び所に、いとわりなくて、出でたまひにけり。「いとあるまじきこと」と、いみじく思し返すにも、かなはざりけり。
紫の上は対面の準備をしながら、
「わたしより、寵愛をより受けている人があるだろうか、私は自分の頼りない境遇を君に見いだされただけなのだ」
などと、思い続け、物思いに沈んでいる。手習いでも、おのずから、古い歌で、もの思わしい歌ばかり書いているので、「そうだ、わたしには、思い悩むことがあったのだ」と自分の身ながら思い知る。
源氏は、渡って、宮や女御の君などを改めて見て、「それぞれに美しい」と、それぞれに見たてるその目から見て、年頃見慣れている方が、並みの器量であったなら、これほど心を奪われることはないだろうが、「紫の上はやはり比類ない美しさだ」と見る。世間に稀な美しさだと思う。
この上なく気高く、こちらが気が引けるほど美しく整って、華やかで今風で、なまめかしい色香があり、総じて素晴らしく、女盛りであった。去年より今年が勝り、昨日より今日がよりいっそう美しく常に真新しく、今はじめて見るような心地がして、「どうしてこうも美しいのだろう」と思うのだった。
思いのままに書いた手習いを、硯の下に差し入れたが、源氏が見つけて、繰り返しご覧になる。格別上手な筆跡でというわけではないが、巧みで美しく書いている。
(紫上)「秋が来たのかしら、
青葉も紅葉に変わってしまった、わたしも飽きられるのかしら」
とある歌に目を止めて、
(源氏)「水鳥の青い羽根の色は変わりませんよ、
萩の下葉のように変わるのはあなたでは」
などと書き添えた。紫の上は何かにつけておいたわしい気色なのが、自ずからわかるのだが、それを事も無げに振舞っているのも、実に立派であった。
今宵は、どちらの方も行かなくてよさそうなので、あの朧月夜の処へ出かけた。「あるまじきこと」と重々思うのだが、思い返すことはなかった。
2020.4.1/ 2021.11.15/ 2023.6.13
34.50 紫の上、女三の宮と対面
春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、思ひ隔てず、かなしと見たてまつりたまふ。
御物語など、いとなつかしく聞こえ交はしたまひて、中の戸開けて、宮にも対面したまへり。
いと幼げにのみ見えたまへば、心安くて、おとなおとなしく親めきたるさまに昔の御筋をも尋ねきこえたまふ中納言の乳母といふ召し出でて、
同じかざしを尋ねきこゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえさすれど、ついでなくてはべりつるを、今よりは疎からず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき
などのたまへば、
頼もしき御蔭どもに、さまざまに後れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける。背きたまひにし上の御心向けも、ただかくなむ御心隔てきこえたまはず、まだいはけなき御ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。うちうちにも、さなむ頼みきこえさせたまひし」
など聞こゆ。
いとかたじけなかりし御消息の後は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ身なむ口惜しかりける
と、安らかにおとなびたるけはひにて、宮にも、御心につきたまふべく、絵などのこと、雛の捨てがたきさま、若やかに聞こえたまへば、「げに、いと若く心よげなる人かな」と、幼き御心地にはうちとけたまへり。
春宮の女御は、実の母よりも、紫の上のほうに親しく頼りにしていた。大そう可愛らしくて大人びてきたのを、実の子のように、可愛いいと思ってご覧になる。
お互いの話などを、懐かしくお話し合って、中の戸を開けて、宮にも対面した。
女三の宮は大そう幼げに見えるので、紫の上は心安く、年配者らしくまるで母親のように、昔の血筋のことも話をされる。中納言の乳母を召し出して、
「同じ血縁を辿れば、恐れ多いことながら、切っても切れないご縁と申すものの、挨拶の機会もなく失礼しておりましたが、今からは心おきなく、あちらにお越しいただいて、行き届かない点はご注意していただけたら、うれしいのですが」
など紫の上が仰ると、
「頼りにしていた人々とそれぞれにお別れしなければならなくなりに、心細くしておりましたが、このようなねんごろなお言葉をいただいて、これ以上のことはありません。世に背いて出家した父院のご意向も、このような愛情ある方に、まだ幼い三の宮を、世話して育ててほしいとのことです。内々にもそのようにお頼みがあって仰せになっておりました」
などと中納言の乳母は言う。
「院から恐れ多い便りをいただいてからは、どうかしてお力になりたいと思っていますが、何分数ならぬわが身が残念に思います」
と、紫の上は穏やかに落ち着いた様子で、宮に、絵のことや雛の捨てがたいことやいかにも若々しく仰って、女三の宮は、本当に若く気のよさそうな人だと、幼い心に溶け込んでいった。
2020.4.2/ 2021.11.15/ 2023.6.13
34.51 世間の噂、静まる
さて後は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞こえ交はしたまふ。世の中の人も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、言ひあつかふものなれば、初めつ方は、
「対の上、いかに思すらむ。御おぼえ、いとこの年ごろのやうにはおはせじ。すこしは劣りなむ」
など言ひけるを、今すこし深き御心ざし、かくてしも勝るさまなるを、それにつけても、また安からず言ふ人びとあるに、かく憎げなくさへ聞こえ交はしたまへば、こと直りて、目安くなむありける。
その後は、いつも文を交わして、楽しい遊びにつけても、親しく文を交わすのであった。世の中の人も、おせっかいにも、これほどの身分の方々のことは、とやかく噂するものだが、初めころは、
「紫の上はどう思っているだろう。源氏のご寵愛は今までのようにはいくまい。少しは少なくなるだろう」
などと噂しているが、かえって深い愛情が、前よりも勝っているのだが、それにつけても、また事ありげに言う者がいて、いかにも仲睦まじい様子に、妙な噂も消えて万事まるくおさまるのだった。
2020.4.2/ 2021.11.16/ 2023.6.13
34.52 紫の上、薬師仏供養
神無月に、対の上、院の御賀に、嵯峨野の御堂にて、薬師仏供養じたてまつりたまふ。いかめしきことは、切にいさめ申したまへば、忍びやかにと思しおきてたり。
仏、経箱、帙簀じすのととのへ、まことの極楽思ひやらる。最勝王経さいしょうおうきょう金剛般若こんごうはんにゃ寿命経じゅみょうきょうなど、いとゆたけき御祈りなり。上達部いと多く参りたまへり。
御堂のさま、おもしろくいはむかたなく、紅葉の蔭分けゆく野辺のほどよりはじめて、見物なるに、かたへは、きほひ集りたまふなるべし。
霜枯れわたれる野原のままに、馬車の行きちがふ音しげく響きたり。御誦経われもわれもと、御方々いかめしくせさせたまふ。
十月に、紫の上は源氏の四十のお祝いに、嵯峨野の御堂にて、薬師如来の供養をされた。大がかりなことは切に諫められていたが、内輪に行うとされた。
仏、経箱、帙簀じすを整え、まことの極楽を思いやられる。最勝王経さいしょうおうきょう金剛般若こんごうはんにゃ寿命経じゅみょうきょうなどが読経され、 いきとどいた祈祷であった。上達部が大勢集った。
御堂のさま、素晴らしいことは言うに及ばず、木々の紅葉の下を分け行く嵯峨野の野辺は、見頃なので、半ばはそれで集ったのだろう。
霜枯れした野原一面に、馬車の行き交う音がしげく響いていた。読経の僧への布施も、われもわれもと盛大であった。
2020.4.2/ 2021.11.16/ 2023.6.14
34.53 精進落としの宴
二十三日を御としみの日にて、この院は、かく隙間なく集ひたまへるうちに、わが御私の殿と思す二条の院にて、その御まうけせさせたまふ。御装束をはじめ、おほかたのことどもも、皆こなたにのみしたまふ。御方々も、さるべきことども分けつつ望み仕うまつりたまふ。
対どもは、人の局々にしたるを払ひて、殿上人、諸大夫、院司、下人までのまうけ、いかめしくせさせたまへり。
寝殿の放出はなちいでを、例のしつらひにて、螺鈿らでんの倚子立てたり。
御殿の西の間に、御衣の机十二立てて、夏冬の御よそひ、御衾など、例のごとく、紫の綾の覆どもうるはしく見えわたりて、うちの心はあらはならず。
御前に置物の机二つ、唐の地の裾濃すそごの覆したり。插頭かざしの台は、沈の花足けそく、黄金の鳥、銀の枝にゐたる心ばへなど、淑景舎しげいさの御あづかりにて、明石の御方のせさせたまへる、ゆゑ深く心ことなり。
うしろの御屏風四帖は、式部卿宮なむせさせたまひける。いみじく尽くして、例の四季の絵なれど、めづらしき山水、潭など、目馴れずおもしろし。北の壁に添へて、置物の御厨子、二具立てて、御調度ども例のことなり。
南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をはじめたてまつりて、次々はまして参りたまはぬ人なし。舞台の左右に、楽人の平張打ちて、西東に屯食八十具、禄の唐櫃四十づつ続けて立てたり。
二十三日は精進落としの日で、六条の院は御夫人方が占めてふさがっているので、紫の上は自分の館である二条院で、その準備をした。装束をはじめ大方のことは紫上がご自分で用意された。それぞれの御夫人方も適宜分担してお手伝いするのだった。
東西の対の御殿は、女房たちの局にしているのを取り払って、殿上人、諸太夫、殷司、下人たちの席をもうけ大がかりに準備した。
寝殿の放出はなちいでを、例によって飾って、螺鈿らでんの椅子を用意した。
御殿の西の間に、衣の机十二立てて、夏冬のよそおい、衾など、例によって、紫の綾絹の覆いが美しくかけられていて中は見えなくしてあった。
御前に置物の机二つ、唐の地の裾濃すそごの覆いをしていた。插頭かざしの花を置く台は、沈の花足けそくで作られ、黄金の鳥が銀の枝にとまっている趣向で、桐壷の女御が受け持ち、明石の御方が用意して趣が深い。
後ろの屏風四帖は、式部卿の宮の準備したもので、趣深く、例によって四季の絵で、珍しい山水、沢など、見たこともないもので面白い。北の壁に立てて、置物の厨子を二つ置いて調度類は従来通り用意した。
南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をはじめ、それ以下の人で参列しない人はいなかった。舞台の左右に幔幕を張って楽人用に席を設け東西に屯食八十、禄の唐櫃四十並べていた。
2020.4.3/ 2021.11.16/ 2023.6.14
34.54 舞楽を演奏す
ひつじの時ばかりに楽人参る。「万歳楽」、「皇じやう」など舞ひて、日暮れかかるほどに、高麗の乱声らんじょうして、「落蹲らくそん」舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言、衛門督下りて、「入綾いりあや」をほのかに舞ひて、紅葉の蔭に入りぬる名残、飽かず興ありと人びと思したり。
いにしへの朱雀院の行幸に、「青海波」のいみじかりし夕べ、思ひ出でたまふ人びとは、権中納言、衛門督、また劣らず立ち続きたまひにける、世々のおぼえありさま、容貌、用意などもをさをさ劣らず、官位はやや進みてさへこそなど、齢のほどをも数へて、「なほ、さるべきにて、昔よりかく立ち続きたる御仲らひなりけり」と、めでたく思ふ。
主人の院も、あはれに涙ぐましく、思し出でらるることども多かり。
午後二時ころ、楽人がが招じ入れられた。「万歳楽」、「皇じょう」などを舞って、日が暮れる頃に、高麗楽の乱声らんじょうが奏されて、「落蹲らくそん」が舞われるころには、珍しい舞いだったので、舞が終わると、権中納言、衛門の督が庭に下りて、「入綾いりあや」をほんの少し舞って紅葉の蔭に入ったその様子は鮮やかだった。
昔、朱雀院が行った行幸のとき、「青海波」の素晴らしかった夕べを思い出した人々は、夕霧、柏木がそれぞれの父に劣らずその技を相続して世間の評判を得ている、容貌、準備も劣らず、官位も昇進が早いなどと、歳も数えて「こうして昔から代々相続して一族が栄えるのだ」とめでたく思うのだった。
源氏も、感無量で涙ぐましくなり、思い出すことも多かった。
2020.4.3/ 2021.11.16/ 2023.6.14
34.55 宴の後の寂寥
夜に入りて、楽人どもまかり出づ。北の政所の別当ども、人びと率ゐて、禄の唐櫃に寄りて、一つづつ取りて、次々賜ふ。白きものどもを品々かづきて、山際より池の堤過ぐるほどのよそ目は、千歳をかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへらる。
御遊び始まりて、またいとおもしろし。御琴どもは、春宮よりぞ調へさせたまひける。朱雀院よりわたり参れる琵琶、琴。内裏より賜はりたまへる箏の御琴など、皆昔おぼえたるものの音どもにて、めづらしく掻き合はせたまへるに、何の折にも、過ぎにし方の御ありさま、内裏わたりなど思し出でらる。
「故入道の宮おはせましかば、かかる御賀など、われこそ進み仕うまつらましか。何ごとにつけてかは心ざしも見えたてまつりけむ
と、飽かず口惜しくのみ思ひ出できこえたまふ。
内裏にも、故宮のおはしまさぬことを、何ごとにも栄なくさうざうしく思さるるに、この院の御ことをだに、例の跡をあるさまのかしこまりを尽くしてもえ見せたてまつらぬを、世とともに飽かぬ心地したまふも、今年はこの御賀にことつけて、行幸などもあるべく思しおきてけれど、
「世の中のわづらひならむこと、さらにせさせたまふまじくなむ」
と否び申したまふこと、たびたびになりぬれば、口惜しく思しとまりぬ。
夜になって、楽人たちは退出した。奥方付の政所の別当は、配下の者たちを引き連れて、禄の唐櫃に寄って、ひとつづつ取って、次々と楽人に禄を与えた。白い衣を肩にかづいて、築山の堤を過ぎてゆく様子が千歳にわたる鶴の毛衣に見えた。
管弦の遊びが始まって、また面白かった。琴は、春宮がそろえられた。朱雀院より譲られたもの、琵琶、琴。帝から賜った筝の琴など、昔聞いたことのある音色で、久しぶりに、合奏されるあの折かの折と過ぎ去った昔の様子や、昔の内裏のことなどがさまざまに思い出された。
「故藤壺中宮が在世なら、このようなお祝いごとは、自分が進んで仕えたが。何としても宮に尽くしたい気持ちを分かってもらえたかった」
と残念にのみ思いだした。
冷泉帝にも、故中宮の宮が亡くなってしまったことは、張り合いがなく物寂しく思われるのに、せめて父のこの院のことだけでも父子の礼を尽くしたかったと、あきらめられない気持ちだったが、今年は四十の賀にかこつけて、行幸などもやりたいと思ったが、
「世間に迷惑をかけることは、辞退申し上げる」
とたびたび断るので、口惜しく思いとどまった。
2020.4.3/ 2021.11.16/ 2023.6.14
34.56 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷
師走の二十日余りのほどに、中宮まかでさせたまひて、今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。
ありがたき御はぐくみを思し知りながら、何ごとにつけてか、深き御心ざしをもあらはし御覧ぜさせたまはむとて、父宮、母御息所のおはせまし御ための心ざしをも取り添へ思すに、かくあながちに、朝廷にも聞こえ返させたまへば、ことども多くとどめさせたまひつ。
「四十の賀といふことは、さきざきを聞きはべるにも、残りの齢久しき例なむ少なかりけるを、このたびは、なほ、世の響きとどめさせたまひて、まことに後に足らむことを数へさせたまへ」
とありけれど、公ざまにて、なほいといかめしくなむありける。
十二月の二十日あまりの頃、秋好む中宮が六条の院に退出されて、わずかに残る今年の最後のお祈りに、奈良の都の七大寺に読経を頼み、布四千反、京の都の四十寺に絹四百疋をお布施に賜った。
源氏のありがたいご恩を十分に分かっているので、何かの機会に、深い感謝の念を示そうと、亡き父宮や御息所がいらしたらこうしたであろう御心も添えて、源氏が大げさにするのを強く朝廷にもご辞退申し上げていたので、多くを省略して行った。
「四十の賀ということは、先例を見ましても、残りの歳が久しい例は少ないので、この度は、世間を騒がせることは止めて、まことに後で長寿をはたしたらお祝いください」
とのことだったが、やはり中宮ともなれば公になり、格式が高かった。
2020.4.4/ 2021.11.16 / 2023.6.15
34.57 中宮主催の饗宴
宮のおはします町の寝殿に、御しつらひなどして、さきざきにこと変はらず、上達部の禄など、大饗だいきょうになずらへて、親王たちにはことに女の装束、非参議の四位、まうち君達など、ただの殿上人には、白き細長一襲ほそながひとかさね、腰差などまで、次々に賜ふ。
装束限りなくきよらを尽くして、名高き帯、御佩刀はかしなど、故前坊の御方ざまにて伝はり参りたるも、またあはれになむ。古き世の一の物と名ある限りは、皆集ひ参る御賀になむあめる。昔物語にも、もの得させたるを、かしこきことには数へ続けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲らひのことどもは、えぞ数へあへはべらぬや。
中宮の住まう御殿に、準備をし、先々に変わらないが、上達部の禄など、大饗にならって、親王たちには特別の女の装束、非参議の四位やまうち君達など、ただの殿上人には白い細長一襲、腰差など、次々と身分に応じて賜った。
源氏の装束は、この上ない美しさで、名高い帯、御佩刀はかしなど、故前坊から相続した形見の品々があわれであった。古来第一の重宝と名のあるものばかり、全部集まってくる御賀のようだ。昔の物語でも、賜った禄を丁寧に数えているが、ここでは煩雑なので、こちらの御賀の場合は、大変なので、とても数えられるものではない。
2020.4.4/ 2021.11.16/ 2023.6.15
34.58 勅命による夕霧の饗宴
内裏には、思し初めてしことどもを、むげにやはとて、中納言にぞつけさせたまひてける。そのころの右大将、病して辞したまひけるを、この中納言に、御賀のほどよろこび加へむと思し召して、 にはかになさせたまひつ
院もよろこび聞こえさせたまふものから、
「いと、かく、にはかに余る喜びをなむ、いちはやき心地しはべる
と卑下し申したまふ。
丑寅の町に、御しつらひまうけたまひて、隠ろへたるやうにしなしたまへれど、今日は、なほかたことに儀式まさりて、所々の饗なども、内蔵寮くらづかさ穀倉院ごくそういんより、仕うまつらせたまへり。
屯食など、公けざまにて、頭中将宣旨うけたまはりて、親王みこたち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は、例の、内裏、春宮、院、残る少なし。
御座、御調度どもなどは、太政大臣詳しくうけたまはりて、仕うまつらせたまへり。今日は、仰せ言ありて渡り参りたまへり。院も、いとかしこくおどろき申したまひて、御座に着きたまひぬ。
母屋の御座に向へて、大臣の御座あり。いときよらにものものしく太りて、この大臣ぞ、今盛りの宿徳とは見えたまへる。
主人の院は、なほいと若き源氏の君に見えたまふ。御屏風四帖に、内裏の御手書かせたまへる、唐の綾の薄毯に、下絵のさまなどおろかならむやは。おもしろき春秋の作り絵などよりも、この御屏風の墨つきのかかやくさまは、目も及ばず、思ひなしさへめでたくなむありける。
置物の御厨子、弾き物、吹き物など、蔵人所より賜はりたまへり。大将の御勢ひ、いといかめしくなりたまひにたれば、うち添へて、今日の作法いとことなり。御馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人、上より次々に牽きととのふるほど、日暮れ果てぬ。
 帝は、源氏の四十の賀を思い立ったことを、むげに中止できないと思い、御賀の催しを夕霧に委嘱した。そのころ右大将が病で辞職したので、御賀に喜びを加えようとして、夕霧を急に右大将に任命したのだった。
源氏も喜びお礼を申し上げるものの、
「このような急な身に余る昇進は、早すぎるのではないか」
とご謙遜されるのだった。
丑寅の町に、準備されて、目立たぬ所を選んだのだけれど、今 日は何といっても帝の詔勅なので、格式も高く、諸役所への饗応もされて、内蔵寮くらづかさ穀倉院ごくそういんが奉仕された。
屯食なども、朝廷の饗応と同様、頭の中将が勅を受けて用意し、親王たち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人が、例によって、内裏、春宮、院、残る者は少ない。
源氏の席は、調度類も、太政大臣が詳細に承って、お仕えしていた。今日は勅命があって太政大臣が六条院に参じた。源氏もまことにもったいなく思い恐縮して席についた。
母屋の源氏の席に向かって太政大臣の席がある。大臣は美しく堂々と太っていられて、この大臣は今隆盛を極めていると見える。//
主人の院は、まだ大そう若い源氏の君と見える。屏風四帖、帝が直接書かれた宸筆があって、唐の綾の薄毯に、下絵を描くのは尋常一様ではなかったはず。趣のある春秋の絵よりも、この屏風の墨つきの輝く様子は、目を奪うほどで、宸筆と思うせいで一層素晴らしく思えるのだった。
置物の厨子、弦楽器、管楽器など、蔵人所から賜ったものであった。夕霧の威勢は、盛大になったので、それに加えて、今日のなさり方は格別であった。帝より賜った馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人たちが、順に引いてくるうちに、日が暮れていった。
2020.4.5/ 2021.11.16/ 2023.6.15
34.59 舞楽を演奏す
例の、「万歳楽」、「賀王恩」などいふ舞、けしきばかり舞ひて、大臣の渡りたまへるに、めづらしくもてはやしたまへる御遊びに、皆人、心を入れたまへり。琵琶は、例の兵部卿宮、何ごとにも世に難きものの上手におはして、いと二なし。御前に琴の御琴。大臣、和琴弾きたまふ。
年ごろ添ひたまひにける御耳の聞きなしにや、いと優にあはれに思さるれば、琴も御手をさをさ隠したまはず、いみじき音ども出づ。
昔の御物語どもなど出で来て、今はた、かかる御仲らひに、いづ方につけても、聞こえかよひたまふべき御睦びなど、心よく聞こえたまひて、御酒あまたたび参りて、もののおもしろさもとどこほりなく、御酔ひ泣きどもえとどめたまはず。
御贈り物に、すぐれたる和琴一つ、好みたまふ高麗笛添へて。紫檀の箱一具に、唐の本ども、ここの草の本など入れて。御車に追ひてたてまつれたまふ。御馬ども迎へ取りて、右馬寮ども、高麗の楽して、ののしる。六衛府の官人の禄ども、大将賜ふ。
御心と削ぎたまひて、いかめしきことどもは、このたび停めたまへれど、内裏、春宮、一院、后の宮、次々の御ゆかりいつくしきほど、いひ知らず見えにたることなれば、なほかかる折には、めでたくなむおぼえける。
例の「万歳楽」、「賀王恩」などという舞を、形ばかりに舞って、太政大臣が来られているので、久しぶりに管弦の遊びになり、皆真剣になった。琵琶は、例によって蛍兵部卿は、何事にも秀でていて、比類ないお人である。源氏の前には、琴の琴が置かれ、大臣は和琴を弾いた。
長年の間に上手になった聞いているからか、まことにすばらしく、自分の琴も秘術を隠さずに弾いたので、素晴らしい合奏になった。
昔のことなども話にでて、今は、このようなむつまじい関係で、どちらから言っても仲良く付き合いすべき間柄なので、愉快になって、酒が進んだので、一座の感興もすっかり盛り上がって、あちこちで感極まって酔って泣き出す者も多かった。
贈り物には、優れた和琴一つ、好みの高麗笛を添えて、紫檀の箱一揃に唐の本を入れ、また草子を入れて、太政大臣が車に乗るのに追いかけてお持ちした。賜った馬たちを受け取って、右馬寮たちは高麗の楽を奏して大声で謡った。六衛府の官人の禄は、夕霧が賜った。
源氏のお気持ちにそって、大げさなことはやらずに、内裏、春宮、上皇、后の宮と次々に縁者がつらなって、筆舌に尽くしがたいのは、このような折には、めでたいことであった。
2020.4.5/ 2021.11.16/ 2023.6.15 ◎
34.60 饗宴の後の感懐
大将の、ただ一所ひとところおはするを、さうざうしく栄なき心地せしかど、あまたの人にすぐれ、おぼえことに、人柄もかたはらなきやうにものしたまふにも、かの母北の方の、伊勢の御息所との恨み深く、挑みかはしたまひけむほどの御宿世どもの行く末見えたるなむ、さまざまなりける。
その日の御装束どもなど、こなたの上なむしたまひける。禄どもおほかたのことをぞ、三条の北の方はいそぎたまふめりし。折節につけたる御いとなみ、うちうちのもののきよらをも、 こなたにはただよそのことにのみ聞きわたりたまふを、何事につけてかは、かかるものものしき数にもまじらひたまはましと、おぼえたるを、大将の君の御ゆかりに、いとよく数まへられたまへり。
夕霧が一人息子というのが、物足りなく張り合いがない心地がするが、大勢の人に抜きんでて、世間の評判も良く、人柄も肩を並べる者がないので、あの母の葵の上と伊勢の御息所との間の深い恨みに競い合った宿世の行く末に子たちがそれぞれが成長していた。
その日の源氏の装束は,こちらの夫人花散里が用意したものであった。禄などの大部分は三条の北の方、雲居の雁が準備したものであった。折々にある時節の行事は、内々のものの善美を尽くした用意も、花散里はよそ事に思っていたのだが、何事につけても、このような高貴な方々の仲間入りをしていると思うのも、夕霧の縁から十分に重んじられているのであった。
2020.4.6/ 2021.11.16/ 2023.6.15
34.61 明石女御、産期近づく
年返りぬ。桐壺の御方近づきたまひぬるにより、正月朔日より、御修法不断にせさせたまふ。寺々てらでら社々やしろやしろの御祈り、はた数も知らず。大殿の君、ゆゆしきことを見たまへてしかば、かかるほどのこと、いと恐ろしきものに思ししみたるを、対の上などのさることしたまはぬは、口惜しくさうざうしきものから、うれしく思さるるに、まだいとあえかなる御ほどに、いかにおはせむと、かねて思し騒ぐに、二月ばかりより、あやしく御けしき変はりて悩みたまふに、御心ども騒ぐべし。
陰陽師おんみょうじどもも、所を変へてつつしみたまふべく申しければ、他のさし離れたらむはおぼつかなしとて、かの明石の御町の中の対に渡したてまつりたまふ。こなたは、ただおほきなる対二つ、廊どもなむめぐりてありけるに、御修法の壇隙なく塗りて、いみじき験者ども集ひて、ののしる。
母君、この時にわが御宿世も見ゆべきわざなめれば、いみじき心を尽くしたまふ。
年が改まった。明石の女御のお産が近づいたので、正月上旬から、修法を絶えず行わせた。寺々てらでら社々やしろやしろでの祈祷は数知れず行われた。源氏は不吉な経験をしているので、お産は、大へん恐ろしいものに思っていて、紫の上などがそうした経験がないのが、残念で悔しく物足りなく思っていて、うれしく思っていたが、まだ幼いので、どんなことになるか、かねてから心配していたが、二月ころから、どういうわけか容態が急変して苦しむので、皆が心配した。
陰陽師おんみょうじたちも、場所を変えて大事をとるように言うので、他の離れたところでは心配なので、あの明石の君の町の対に移った。こちらはただ大きい対が二つだけあって、廊下を廻らしていただけなので、庭に修法の護摩壇を設け、効験のある験者たちが集まって、大声で祈祷した。
明石の君は、この時が自分の宿世の分かれ目なので、気が気でなかっただろう。
2020.4.6/ 2021.11.16/ 2023.6.15
34.62 大尼君、孫の女御に昔を語る
かの大尼君も、今はこよなきほけ人にてぞありけむかし。この御ありさまを見たてまつるは、夢の心地して、いつしかと参り、近づき馴れたてまつる。
年ごろ、母君はかう添ひさぶらひたまへど、昔のことなど、まほにしも聞こえ知らせたまはざりけるを、この尼君、喜びにえ堪へで、参りては、いと涙がちに、古めかしきことどもを、わななき出でつつ語りきこゆ。
初めつ方は、あやしくむつかしき人かなと、うちまもりたまひしかど、かかる人ありとばかりは、ほの聞きおきたまへれば、なつかしくもてなしたまへり。
生まれたまひしほどのこと、大殿の君のかの浦におはしましたりしありさま、
「今はとて京へ上りたまひしに、誰も誰も、心を惑はして、今は限り、かばかりの契りにこそはありけれと嘆きしを、若君のかく引き助けたまへる御宿世の、いみじくかなしきこと」
と、ほろほろと泣けば、
「げに、あはれなりける昔のことを、かく聞かせざらましかば、おぼつかなくても過ぎぬべかりけり」
と思して、うち泣きたまふ。心のうちには、
「わが身は、げにうけばりていみじかるべき際にはあらざりけるを、対の上の御もてなしに磨かれて、人の思へるさまなども、かたほにはあらぬなりけり。人びとをばまたなきものに思ひ消ち、こよなき心おごりをばしつれ。世人は、下に言ひ出づるやうもありつらむかし」
など思し知り果てぬ。
母君をば、もとよりかくすこしおぼえ下れる筋と知りながら、生まれたまひけむほどなどをば、さる世離れたる境にてなども知りたまはざりけり。いとあまりおほどきたまへるけにこそは。あやしくおぼおぼしかりけることなりや
かの入道の、今は仙人の、世にも住まぬやうにてゐたなるを聞きたまふも、心苦しくなど、かたがたに思ひ乱れたまひぬ。
明石の君の母の尼君も、今はずいぶん老いて呆けた。この女御をご覧になり、夢心地がして、さっそくそばに来て親しく付き添っているのだった。
今まで明石の君は、そばに付き添っていたけれど、昔のことなどは、まともにお話していなかったが、この尼君は、喜びに堪えきれず、そばに来ては、涙ながらに、昔のことどもを、震える声で女御に語るのだった。
女御も、はじめの頃は、おかしなうるさい人だなと、じっと見ていたが、このような祖母がいると、少しは聞いていたので、優しく相手なさるのであった。
女御が生まれたころのこと、源氏の君が明石の浦に来た頃の様子などを、
「今度は君が京へ上るとき、誰もが気が動転して今はこれでお別れ、こんな運命だったのだと嘆いていたのを、女御が生まれてこうして助けられた宿世に胸がいっぱいだった」
とほろほろ泣けば、
「ほんとにあわれな昔のことをこのように話しく下さらなかったなら、知らないままに過ぎてしまうところだった」
と思って、女御は泣いている。心の内では、
「わたしは、大きな顔をしているが、しかるべき高い身分の生まれではではないこと、紫の上の養育で磨かれて、世間の評判も悪くない。傍らの人々をないがしろにしてこの上なく慢心していたこと。世の人はそのように陰で噂していたこともあったであろう」
などと思い知った。
母明石の君を、もとより少し低い身分の方と知っていたので、生まれたときのことを、そんな世離れした田舎であったことなども知らなかった。女御が大そうおっとりした性格だからだろうか。なんとも頼りない話ではあった。
あの入道は、今は仙人のように世に住んでいないような生き方をしているのを聞くと、気の毒に思い、あれこれと心配するのだった。
2020.4.7/ 2021.11.16/ 2023.6.15
34.63 明石御方、母尼君をたしなめる
いとものあはれに眺めておはするに、御方参りたまひて、日中の御加持に、こなたかなたより参り集ひ、もの騒がしくののしるに、御前にこと人もさぶらはず、尼君、所得ところえいと近くさぶらひたまふ。
「あな、見苦しや。短き御几帳引き寄せてこそ、さぶらひたまはめ。風など騒がしくて、おのづからほころびの隙もあらむに。医師などやうのさまして。いと盛り過ぎたまへりや」
など、なまかたはらいたく思ひたまへり。よしめきそして振る舞ふと、おぼゆめれども、もうもうに耳もおぼおぼしかりければ、「ああ」と、傾きてゐたり。
さるは、いとさ言ふばかりにもあらずかし。六十五、六のほどなり。尼姿、いとかはらかに、あてなるさまして、目艶やかに泣き腫れたるけしきの、あやしく昔思ひ出でたるさまなれば、胸うちつぶれて、
「古代のひが言どもや、はべりつらむ。よく、この世のほかなるやうなるひがおぼえどもにとり混ぜつつ、あやしき昔のことどもも出でまうで来つらむはや。夢の心地こそしはべれ」
と、うちほほ笑みて見たてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、例よりもいたくしづまり、もの思したるさまに見えたまふ。わが子ともおぼえたまはず、かたじけなきに、
「いとほしきことどもを聞こえたまひて、思し乱るるにや。今はかばかりと御位を極めたまはむ世に、聞こえも知らせむとこそ思へ、 口惜しく思し捨つべきにはあらねど、いといとほしく心劣りしたまふらむ
とおぼゆ。
女御が、しんみりと物思いに沈んでいるときに、明石の上が来られて、日中の加持祈祷で、加持僧が参集して、騒々しいのに、源氏の御前に誰も控て居らず、尼君が、得意げに姫の近くいる。
「まあ、見っともない。低い几帳をそばに寄せているべきものを。風などが強ければ、おのずと隙間から入ってくるのに。近くによって医者みたいですね。ほんとに耄碌もうろくしたのかしら」
などと、明石の上はいたたまれなく思った。尼君は品よく振舞っているつもりでも、耳も遠くなってよく聞こえないので、「ええ」と、首をかしげている。
しかしそれほどの歳でもない。六十五、六であった。尼姿は、こざっぱりして、上品な様子で、目が涙にぬれて泣きはらした気配、何やら昔を思い出した様子で、明石の上は、感じるところがあって、
「昔のひが言でも言っていたのでしょう。この世のものでもないような勘違いも混じって、変な話をしたのでしょう。今思うと昔のことを思い出すと実に遠い夢のようですから」
と、明石の上が微笑んで女御を見ると、優雅で美しく、いつもよりひどく沈んだ様子で、物思いしているように見えた。わが子とも思えずに、とても恐れ多いことに思われ、
「困ったことを尼君が言って、悩ましているのではないか。最高の位を極めた世になったら、お話ししようと思っていたのだが、知ったからと言って、何ほどのこともないが、がっかりしているのではないか」
と思うのだった。
2020.4.8/ 2021.11.17/ 2023.6.15
34.64 明石女三代の和歌唱和
御加持果ててまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなし、「こればかりをだに」と、いと心苦しげに思ひて聞こえたまふ。
尼君は、いとめでたううつくしう見たてまつるままにも、涙はえとどめず。顔は笑みて、口つきなどは見苦しくひろごりたれど、まみのわたりうちしぐれて、ひそみゐたり。
「あな、かたはらいた」
と、目くはすれど、聞きも入れず。
老の波かひある浦に立ち出でて
しほたるる海人を誰れかとがめむ

昔の世にも、かやうなる古人は、罪許されてなむはべりける」
と聞こゆ。御硯なる紙に、
しほたるる海人を波路のしるべにて
尋ねも見ばや浜の苫屋を

御方もえ忍びたまはで、うち泣きたまひぬ。
世を捨てて明石の浦に住む人も
心の闇ははるけしもせじ

など聞こえ、紛らはしたまふ。別れけむ暁のことも、夢の中に思し出でられぬを、「口惜しくもありけるかな」と思す。
加持祈祷が終わって、果物などを近くに侍して供養するが、「これだけは是非」と、明石の上はおいたわしく思っておすすめする。
尼君は、女御が可愛らしく美しく見るだけで、涙がとまらない。顔は笑っているのだが、口元は見苦しく開けていて、目元のあたりは涙にぬれていまにも泣き出しそう。
「あら、いやだ」
目配せするが、尼君は聞き入れない。
(尼君)「寄る年波で生きがいのある嬉しさに
泣いているのを誰が咎められましょう。
昔も、このような年寄りは罪許されているでしょう」 
と言う。硯箱の紙に、
(女御)「涙にくれる尼君を道案内に
明石の家を尋ねてみたい」
女御の歌に明石の上も堪えきれず、泣いた。
(明石の上)「世を捨てて明石の浦に住む入道も
子を思う心の闇を晴らすことはできないでしょう」
などと歌い、紛らすのであった。別れた暁のことを、少しも覚えていないのを、「残念だ」と女御は思うのだった。
2020.4.8/ 2021.11.17/ 2023.6.15
34.65 三月十日過ぎに男御子誕生
弥生の十余日のほどに、平らかに生まれたまひぬ。かねてはおどろおどろしく思し騷ぎしかど、いたく悩みたまふことなくて、男御子にさへおはすれば、限りなく思すさまにて、大殿も御心落ちゐたまひぬ。
こなたは隠れの方にて、ただ気近きほどなるに、いかめしき御産養うぶやしないなどのうちしきり 響きよそほしきありさま、げに「かひある浦」と、尼君のためには見えたれど、儀式なきやうなれば、渡りたまひなむとす
対の上も渡りたまへり。白き御装束したまひて、人の親めきて、若宮をつと抱きてゐたまへるさま、いとをかし。みづからかかること知りたまはず、人の上にても見ならひたまはねば、いとめづらかにうつくしと思ひきこえたまへり。むつかしげにおはするほどを、絶えず抱きとりたまへば、まことの祖母君は、ただ任せたてまつりて、御湯殿の扱ひなどを仕うまつりたまふ。
春宮の宣旨なる典侍ないしのすけぞ仕うまつる。御迎湯に、おりたちたまへるもいとあはれに、うちうちのこともほの知りたるに、
すこしかたほならば、いとほしからましを、あさましく気高く、げに、かかる契りことにものしたまひける人かな
と見きこゆ。このほどの儀式なども、まねびたてむに、いとさらなりや。
三月十余日過ぎに、無事にお生まれになった。出産前は大げさに騒ぎ立てて、心配もしたが、男御子に恵まれたので、何から何まで思い通りで、源氏も安心した。
こちらの町は裏側に当たっていて、ひどく人気に近いところなのに、盛大な産養うぶやしないのお祝いが続いて、「かいある浦」と尼君には見えたが、威儀をただした儀式ができないので、手狭で元の町へ移るのであった。
紫の上もやって来た。白い装束を着て、ほんとうの親のように、若宮を抱いている姿が、見ものであった。自分では経験がなかったし、他人のことでも知らなかったので、大そう珍しく可愛いと思うのだった。扱いにくそうにしていたが、ずっと離さず抱いていたので、実の祖母は、赤子を抱いてあやすことは紫の上に任せて、自分は湯殿を手伝うのだった。
春宮の宣旨である典侍ないしのすけが湯殿の担当であった。明石の上が自ら迎湯の介添えをやるのに胸を打たれ、内々の事情も知っていたので、
「明石の上が少しでも欠けたところがあれば、不都合だったであろうに、驚くほど気高くて、このような運を特別に持っている人なのだ」
と思えた。これらの儀式も細々と書くのも今さらと思い、省略します。
2020.4.9/ 2021.11.17/ 2023.6.15
34.66 産養の儀盛大に催される
六日といふに、例の御殿に渡りたまひぬ。七日の夜、内裏よりも御産養のことあり。
朱雀院の、かく世を捨ておはします御代はりにや、蔵人所より、頭弁、宣旨うけたまはりて、めづらかなるさまに仕うまつれり。禄の衣など、また中宮の御方よりも、公事にはたちまさり、いかめしくせさせたまふ。次々の親王たち、大臣の家々、そのころのいとなみにて、われもわれもと、きよらを尽くして仕うまつりたまふ。
大殿の君も、このほどのことどもは、例のやうにもこと削がせたまはで、世になく響きこちたきほどに、うちうちのなまめかしくこまかなるみやびの、まねび伝ふべき節は、目も止まらずなりにけり。大殿の君も、若宮をほどなく抱きたてまつりたまひて、
「大将のあまたまうけたなるを、今まで見せぬがうらめしきに、かくらうたき人をぞ得たてまつりたる」
と、うつくしみきこえたまふは、ことわりなりや。
日々に、ものを引き伸ぶるやうにおよすけたまふ。御乳母など、心知らぬはとみに召さで、さぶらふ中に、品、心すぐれたる限りを選りて、仕うまつらせたまふ。
六日になって、女御は例の御殿に移った。七日の夜、内裏から産養の祝いがあった。
朱雀院が、こうして世を捨てた代わりだろうか、蔵人所から、頭弁が、宣旨をいただいて、例のないほど立派に果した。禄の衣など、また秋好む中宮よりも、公事にまさって、盛大にするのだった。親王たちも次々と、大臣の家々も、これが仕事とばかり、われもわれもと、あらん限り立派なものを用意した。
源氏の君も、この程のことは、いつものように省略せず、例がないほどの世間の評判だったので、内輪の優雅で繊細な風雅の趣の、ひとつひとつ詳しくお伝えすべき点は、目にも止まらずに終わってしまった。源氏の君も、若宮をすぐに抱きあげて、
「夕霧がたくさん子をもうけたのに、今まで見せなかったのがうらめしい、こんなに可愛い人を授かったとは」
と可愛がるのは当然だろう。
日々にものを引き伸ばすように成長していった。乳母などは、気心の知らないのは召さず、なかでもとりわけ、品、心の優れた女房を選んで、仕えさせた。
2020.4.9/ 2021.11.18 / 2023.6.15
34.67 紫の上と明石御方の仲
御方の御心おきての、らうらうじく気高く、おほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬなどを、褒めぬ人なし。
対の上は、まほならねど、見え交はしたまひて、さばかり許しなく思したりしかど、今は、宮の御徳、いと睦ましく、やむごとなく思しなりにたり。稚児うつくしみたまふ御心にて、天児あまがつ、御手づから作りそそくりおはするも、いと若々し。明け暮れこの御かしづきにて過ぐしたまふ。
かの古代の尼君は、若宮をえ心のどかに見たてまつらぬなむ、飽かずおぼえける。なかなか見たてまつり初めて、恋ひきこゆるにぞ、命もえ堪ふまじかめる。
明石の上の心がけを、気が利いていて気高く、おおらかで、さるべき方にはへりくだり、小憎らしく出しゃばらない、など褒めない人はない。
紫の上は、改まってではないが、明石の上と会う機会が多くなり、あれほど許しがたく思っていたのが、今は、若宮のおかげで、仲がよくなり、敬意を表すのであった。子供好きな性格で、天児あまがつを自分で作り忙しくしているのも、若々しい。明け暮れに子の相手をしていた。
明石の尼君は、若宮をゆっくり見ようとしてもできないので不満に思っていた。なまじちょっと見たことが、かえってもっと見たいと、命も堪えられない様子である。
2020.4.9/ 2021.11.18/ 2023.6.15
34.68 明石入道、手紙を贈る
かの明石にも、かかる御こと伝へ聞きて、さる聖心地にも、いとうれしくおぼえければ、
「今なむ、この世の境を心やすく行き離るべき」
と弟子どもに言ひて、この家をば寺になし、あたりの田などやうのものは、皆その寺のことにしおきて、この国の奥の郡に、人も通ひがたく深き山あるを、年ごろも占めおきながら、あしこに籠もりなむ後、また人には見え知らるべきにもあらずと思ひて、ただすこしのおぼつかなきこと残りければ、今までながらへけるを、今はさりともと、仏神を頼み申してなむ移ろひける。
この近き年ごろとなりては、京に異なることならで、人も通はしたてまつらざりつ。これより下したまふ人ばかりにつけてなむ、一行にても、尼君さるべき折節のことも通ひける。思ひ離るる世のとぢめに、文書きて、御方にたてまつれたまへり。
あの明石の入道も、このようなことを伝え聞いて、俗念を断った心にもうれしく思い、
「今こそ、現世を安心して去って行ける」
と弟子たちに言いおいて、住んでいる家を寺にして、周辺の田なども、皆その寺の寺領にして、この国の奥の郡に、人も通わぬ山があって、以前から所有していたので、あそこに籠ったら、人に会ったり交流したりすることもないだろうと思い、ただ少しばかり心残りがあって、今まで明石に留まっていたが、今はもう大丈夫だ、神仏を頼みとして山に入ろう。
最近では、京に特別なことがない限り、人を遣って便りを届けることもない。向こうからくる便の帰りに持たせるくらいで、一行でも、尼君に折節の近況も伝えるくらいであった。今度は俗世を離れる最後の別れに、文を書いて、明石の上に送った。
2020.4.9/ 2021.11.18/ 2023.6.15
34.69 入道の手紙
「この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、何かは、かくながら身を変へたるやうに思うたまへなしつつ、させることなき限りは、聞こえうけたまはらず。
仮名文見たまふるは、目の暇いりて、念仏も懈台するやうに、益なうてなむ、御消息もたてまつらぬを、伝てにうけたまはれば、若君は春宮に参りたまひて、男宮生まれたまへるよしをなむ、深く喜び申しはべる。
そのゆゑは、みづからかくつたなき山伏の身に、今さらにこの世の栄えを思ふにもはべらず。過ぎにし方の年ごろ、心ぎたなく、六時の勤めにも、ただ御ことを心にかけて、蓮の上の露の願ひをばさし置きてなむ念じたてまつりし。
わがおもと生まれたまはむとせし、その年の二月のその夜の夢に見しやう、
『みづから須弥の山を、右の手に捧げたり。山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす。みづからは山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず。山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆく』
となむ見はべし。
夢覚めて、朝より数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、『何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむ』と、心のうちに思ひはべしを、そのころより孕まれたまひにしこなた、俗の方の書を見はべしにも、また内教の心を尋ぬる中にも、夢を信ずべきこと多くはべしかば、賤しき懐のうちにも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、力及ばぬ身に思うたまへかねてなむ、かかる道に赴きはべりにし。
また、この国のことに沈みはべりて、老の波にさらに立ち返らじと思ひとぢめて、この浦に年ごろはべしほども、わが君を頼むことに思ひきこえはべしかばなむ、心一つに多くの願を立てはべし。その返り申し、平らかに思ひのごと時にあひたまふ。
若君、国の母となりたまひて、願ひ満ちたまはむ世に、住吉の御社をはじめ、果たし申したまへ。さらに何ごとをかは疑ひはべらむ。
この一つの思ひ、近き世にかなひはべりぬれば、はるかに西の方、十万億の国隔てたる、九品の上の望み疑ひなくなりはべりぬれば、今はただ迎ふる蓮を待ちはべるほど、その夕べまで、水草清き山の末にて勤めはべらむとてなむ、まかり入りぬる。
光出でむ暁近くなりにけり
今ぞ見し世の夢語りする

とて、月日書きたり。
「最近は、同じ世に住んでいながら、何かと、こうして生きていながら別の世界に生きているように思いなしていて、特別のことがない限りは、便りも出しませんでした。
仮名の文を見るのは、時間がかかって、念仏も怠けるようになり、無益なことと思い、久しく便りも出さずにいましたが、聞くところによりますと、姫君は春宮に参上して、男宮がお生まれた由、深くお喜びします。
なぜなら、自分はこのように賤しい山伏ですから、今さらこの世に栄えようとは思いません。過ぎ去った昔は、未練がましく。六時の務めにも、ただあなたのことを心から願って、蓮の上の極楽往生の願いは差しおいておりました。
大切なあなたが生まれたその同じ年の二月のある夜に、夢を見ました、
『自分は須弥山を右手に捧げています。山の左右から、日月の光が明るく世を照らしています。自分は山の下の蔭に隠れて、その光が当たっていません。山を広い海に浮かべて、自分は小さい舟に乗って、西の方を指して漕いでゆく』
こんな夢を見たのです。
夢から覚めた朝から、数ならぬこの身に将来の望みが出てきたと思いながら、「どんなことによって、そんな大それたことを待ち望めるのか』と、心の内で思っていましたが、そのころ身籠ったのがあなたでした、仏典以外の書を見ても、仏典を探しても、夢を信じるべきことが多く見られるので、賎しい身ながらも、恐れ多く思いながらも大切に育てましたが、力不足の身で思いあまりまして、こんな田舎に下って来ました。
また国主に沈淪して、老いの身で都には帰らぬとあきらめて、この浦に長年いますが、あなた様を頼みの綱として、心ひとつに多くの願を立てました。そのお礼参りに、無事に望み通りのことを果せた時節になりました。
姫君が、国の母となって、願いが叶った時に、住吉の社をはじめ、願果しをしてください。もはや何んの疑いがありましょうか。
この願いひとつ、近い将来かないましたら、はるか西の方、十万億の国を隔てて、九品の上の望みは間違いなくなれば、今はただ迎えの蓮が来るのを待っております、迎えが来るその夕べまで、水草清い山の奥にて勤行し、山に籠ります。
(明石入道)光が放つ暁が近くなりました
今初めて見た夢の話をするのです」
と言って、月日が書いてあった。
2020.4.9/ 2021.11.18/ 2023.6.16
34.70 手紙の追伸
「命終らむ月日も、さらにな知ろしめしそ。いにしへより人の染めおきける藤衣にも、何かやつれたまふ。ただわが身は変化のものと思しなして、老法師のためには功徳をつくりたまへ。この世の楽しみに添へても、後の世を忘れたまふな。
願ひはべる所にだに至りはべりなば、かならずまた対面ははべりなむ。娑婆の他の岸に至りて、疾くあひ見むとを思せ」
さて、かの社に立て集めたる願文どもを、大きなる沈の文箱に、封じ籠めてたてまつりたまへり。
尼君には、ことごとにも書かず、ただ、
「この月の十四日になむ、草の庵まかり離れて、深き山に入りはべりぬる。かひなき身をば、熊狼にも施しはべりなむ。そこには、なほ思ひしやうなる御世を待ち出でたまへ。明らかなる所にて、また対面はありなむ」
とのみあり。
「わたしが死んでも、決して気にかけないでください。昔から人が染めてきた喪服に身をやつす必要もありません。ただ御身は神仏の化身とみなして、老いた法師のために功徳を積んでください。世の楽しみを味わうにつけ、後世を忘れないこと。
願っている所に至りつけば、必ずまた会うことができるでしょう。この世の対岸に着いて、早く互いに会いたいものです」
そこに、あの住吉神社に納めた願文が、大きな沈の文箱に、封じ籠めて納めてあった。
尼君には、あれこれと書かず、ただ、
「この月の十四日に、草の庵を離れて、深い山に入ります。甲斐なきこの身を、熊狼の施しにもしましょう。あなたは、引き続いて願い通りの御代が来るのを待っていなさい。輝く来世で、またお会いできるでしょう」
とだけあった。
2020.4.10/ 2021.11.18/ 2023.6.16
34.71 使者の話
尼君、この文を見て、かの使ひの大徳に問へば、
「この御文書きたまひて、三日といふになむ、かの絶えたる峰に移ろひたまひにし。なにがしらも、かの御送りに、麓まではさぶらひしかど、皆返したまひて、僧一人、童二人なむ、御供にさぶらはせたまふ。今はと世を背きたまひし折を、悲しきとぢめと思うたまへしかど、残りはべりけり。
年ごろ行なひの隙々に、寄り臥しながら掻き鳴らしたまひし琴の御琴、琵琶とり寄せたまひて、掻い調べたまひつつ、仏にまかり申したまひてなむ、御堂に施入したまひし。さらぬものどもも、多くはたてまつりたまひて、その残りをなむ、御弟子ども六十余人なむ、親しき限りさぶらひける、ほどにつけて皆処分したまひて、なほし残りをなむ、京の御料とて送りたてまつりたまへる。
今はとてかき籠もり、さるはるけき山の雲霞に混じりたまひにし、むなしき御跡にとまりて、悲しび思ふ人びとなむ多くはべる」
など、この大徳も、童にて京より下りし人の、老法師になりてとまれる、いとあはれに心細しと思へり。仏の御弟子のさかしき聖だに、鷲の峰をばたどたどしからず頼みきこえながら、なほ薪尽きける夜の惑ひは深かりけるを、まして尼君の悲しと思ひたまへること限りなし。
尼君はこの文を見て、使いの僧に問うと、
「この文を書かれて、三日ほど経ってから、あの人は人跡未踏の峰に移りました。拙僧らも、お見送りに、麓までお供しましたが、そこで皆を帰して、僧一人童二人だけ、供にして入山しました。今は、出家した時が悲しみの最後と思っておりましたが、まだ残りの悲しみがありました。
長年の間、勤行の合間合間に、寄り伏してかき鳴らしていた琴、琵琶を取り寄せて、かき鳴らしてから、ご本尊に別れを告げて、御堂に喜捨されました。 そのほかの財宝もほとんどは寄進されて、その残りを、弟子たち六十余人ほどいますが、親しく侍してきた者たちに、それぞれの分に応じて皆分け与えて、なお残ったものを、京にいる御方々の分としてお送りしたのです。
今は山に籠って、はるかな山の雲霞に混じっていますので、空しく跡に留まって、悲しんでいる人々がたくさんいます」
などと、この僧も、童のころ京から下った一人で、老法師になって留まったのだろう、あわれを感じ心細くも思われた。仏の弟子の賢者たちも、霊鷲山りょうじゅせんでの説法を信じながらも、釈迦が薪が尽きたように入滅した夜の惑いは深かっただろうが、尼君の悲しみは限りがなかった。
2020.4.10/ 2021.11.18/ 2023.6.17
34.72 明石御方、手紙を見る
御方は、南の御殿におはするを、「かかる御消息なむある」とありければ、忍びて渡りたまへり。 重々しく身をもてなして、おぼろけならでは、通ひあひたまふこともかたきを、「あはれなることなむ」と聞きて、おぼつかなければ、うち忍びてものしたまへるに、いといみじく悲しげなるけしきにてゐたまへり。
火近く取り寄せて、この文を見たまふに、げにせきとめむかたぞなかりける。よその人は、何とも目とどむまじきことの、まづ、昔来し方のこと思ひ出で、恋しと思ひわたりたまふ心には、「あひ見で過ぎ果てぬるにこそは」と、見たまふに、いみじくいふかひなし。
涙をえせきとめず、この夢語りを、かつは行く先頼もしく、
さらば、ひが心にて、わが身をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、中ごろ思ひただよはれしことは、かくはかなき夢に頼みをかけて、心高くものしたまふなりけり」
と、かつがつ思ひ合はせたまふ。
明石の上は、南の御殿に住んでいたが、「このような便りがありました」と、連絡があったので、内々に尼君の所に行った。重々しい所作で、さしたることがなければ、行き来もむづかしいので、「悲しいことです」と聞いて、気がかりなので、人目を忍んでお出になったのだが、大へん悲し気な様子でいた。
灯火を取り寄せて、この文を見ると、涙をとどめられなかった。他人なら、何でもないことでも、まず昔のことをが思い来し方のあれこれをが思い出されて、恋しいと思う心には、「ついに会えないで終わってしまった」と思うと、本当に残念で心からがっかりした。
涙を止められず、この夢の話を、一方では先行き頼もしく感じ、
「それでは、偏屈な心で、わたしをあるまじき高みへ持ち上げたのだ、と途中で思い迷ったこともあったが、こんなはかない夢を頼りとして、志を高く保っていたのか」
と、今になってようやく分かるのだった。
2020.4.11/ 2021.11.18/ 2023.6.17
34.73 尼君と御方の感懐
尼君、久しくためらひて、
君の御徳には、うれしくおもだたしきことをも、身にあまりて並びなく思ひはべり。あはれにいぶせき思ひもすぐれてこそはべりけれ。
数ならぬ方にても、ながらへし都を捨てて、かしこに沈みゐしをだに、世人に違ひたる宿世にもあるかな、と思ひはべしかど、生ける世にゆき離れ、隔たるべき仲の契りとは思ひかけず、同じ蓮に住むべき後の世の頼みをさへかけて年月を過ぐし来て、にはかにかくおぼえぬ御こと出で来て、背きにし世に立ち返りてはべる、かひある御ことを見たてまつりよろこぶものから、片つかたには、おぼつかなく悲しきことのうち添ひて絶えぬを、つひにかくあひ見ず隔てながらこの世を別れぬるなむ、口惜しくおぼえはべる。
世に経し時だに、人に似ぬ心ばへにより、世をもてひがむるやうなりしを、若きどち頼みならひて、おのおのはまたなく契りおきてければ、かたみにいと深くこそ頼みはべしか。いかなれば、かく耳に近きほどながら、かくて別れぬらむ」
と言ひ続けて、いとあはれにうちひそみたまふ。御方もいみじく泣きて、
「人にすぐれむ行く先のことも、おぼえずや。数ならぬ身には、何ごとも、けざやかにかひあるべきにもあらぬものから、あはれなるありさまに、おぼつかなくてやみなむのみこそ口惜しけれ。
よろづのこと、さるべき人の御ためとこそおぼえはべれさて絶え籠もりたまひなば、世の中も定めなきに、やがて消えたまひなば、かひなくなむ」
とて、夜もすがら、あはれなることどもを言ひつつ明かしたまふ。
尼君は、やっと涙をおさえて、
「あなたのお陰で、うれしく晴れがましいことも、身に余ることと思っております。しかし、悲しく晴れぬ思いも人並み以上にしました。
数ならぬ身で、長年暮らした都を離れ、明石に沈んでいましたが、世の人と違った悲しい宿世なのだ、と思っておりましたが、まさか生きながら離れて住むような夫婦仲になるとは思ってもいなかったが、来世は同じ蓮の上に住むことを頼みにして過ごしてきましたが、にわかに思いもよらないことが起こって、都住まいになり、その甲斐あってあなたの身の上を拝見して喜びとなりましたが、一方では、入道の身を案じて悲しいことの絶えませんでしたが、ついに会いもせず別れてしまうのが、残念です。
宮仕えをしていた時でも、入道は人と違う心ばえでして、世にすねているようでしが、若い時は互いを頼みと して、お互いに仲が良く心から頼りにしていました。どうして、こんなに消息もすぐ伝えられるところにいて、別れ別れになるのか」
と言い続けて、とてもつらそうに泣き顔になる。明石の上もひどく泣いて、
「人に優れた先行きのことも、うれしくありません。数ならぬ身には、際立って晴れがましい生き方ができるとも思われない、悲しい別れに、生死も分からなくなるのではないかと残念に思います。
何もかも、そうした宿縁にあった父入道がいてこそだったのに、山に籠ったら、無常の世ですから、やがてお亡くなりになったら、甲斐がありません」
とて、明石の上は一晩中、悲しいことどもを話して夜を明かした。
2020.4.11/ 2021.11.22/ 2023.6.17
34.74 御方、部屋に戻る
「昨日も、大殿の君の、あなたにありと見置きたまひてしを、にはかにはひ隠れたらむも、軽々しきやうなるべし。身ひとつは、何ばかりも思ひ憚りはべらず。かく添ひたまふ御ためなどのいとほしきになむ、心にまかせて身をももてなしにくかるべき」
とて、暁に帰り渡りたまひぬ。
「若宮はいかがおはします。いかでか見たてまつるべき」
とても泣きぬ。
「今見たてまつりたまひてむ。女御の君も、いとあはれになむ思し出でつつ、聞こえさせたまふめる。院も、ことのついでに、もし世の中思ふやうならば、ゆゆしきかね言なれど、尼君そのほどまでながらへたまはなむ、とのたまふめりき。いかに思すことにかあらむ」
とのたまへば、またうち笑みて、
「いでや、さればこそ、さまざま例なき宿世にこそはべれ」
とて喜ぶ。この文箱は持たせて参う上りたまひぬ。
「昨日も、源氏の君は、わたしが女御の所にいるのを知っていて、急にお隠れになったのも、軽々しいことです。わたしだけのことでしたら、何の気がねもいりません、若宮が生まれて付き添っている女御が愛おしく、源氏の君が思いのままに振舞うわけにもいかないでしょう」
と言って、暁に帰った。
「若宮はどうしておられますか。どうしたらお目にかかれますか」
と尼君は言ってはまた泣いた。
「今にご覧になれますよ。女御の君も大そう懐かしくあなたを思い出した、と言っておられます。源氏の君も、何かの折に、もし世の中が思い通りになったら、縁起でもないことを言うようだが、尼君がそれまで生き永らえていてほしい、と仰っていました。何を考えているのでしょう」
と言うと、泣き顔が笑って、
「いえ、ですから、わたしはあれもこれも例のない運命なのです」
と言って喜ぶ。願文の入った文箱を持たせて女御の元に参上した。
2020.4.11/ 2021.11,22/ 2023.6.18
34.75 東宮からのお召しの催促
宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば
「かく思したる、ことわりなり。めづらしきことさへ添ひて、いかに心もとなく思さるらむ」
と、紫の上ものたまひて、若宮忍びて参らせたてまつらむ御心づかひしたまふ。
御息所は、御暇の心やすからぬに懲りたまひて、かかるついでに、しばしあらまほしく思したり。ほどなき御身に、さる恐ろしきことをしたまへれば、すこし面痩せ細りて、いみじくなまめかしき御さましたまへり。
かく、ためらひがたくおはするほど、つくろひたまひてこそは
など、御方などは心苦しがりきこえたまふを、大殿は、
「かやうに面痩せて見えたてまつりたまはむも、なかなかあはれなるべきわざなり」
などのたまふ。
春宮から早く参内するよう終始督促があるので、
「そう思うのも、もっともです。御子が生まれたのですから、どんなに待ち遠しいことか」
と紫の上も仰って、若宮を秘かに参内させようと用意をしようとするのだった。
明石の女御は、お暇がなかなか出ないのに懲りて、この機会にしばし里にいたいと思った。年もゆかないお身体で、恐ろしいことをしたので、少し面痩せて細って、大そう美しい様子でいらっしゃる。
「こんなにやつれているのに、もう少し養生してはどうでしょう」
など、明石の上などは、おいたわしく思い申し上げるのを、源氏は、
「このように面痩せて見えるのは、かえっていっそう情愛のわくのです」
などと源氏は仰せになる。
2020.4.11/ 2021.11.22/ 2023.6.18
34.76 明石女御、手紙を見る
対の上などの渡りたまひぬる夕つ方、しめやかなるに、御方、御前に参りたまひて、この文箱聞こえ知らせたまふ。
「思ふさまにかなひ果てさせたまふまでは、取り隠して置きてはべるべけれど、世の中定めがたければ、うしろめたさになむ。何ごとをも御心と思し数まへざらむこなた、ともかくも、はかなくなりはべりなば、かならずしも今はのとぢめを、御覧ぜらるべき身にもはべらねば、なほ、うつし心失せずはべる世になむ、はかなきことをも、聞こえさせ置くべくはべりける、と思ひはべりて。
むつかしくあやしき跡なれど、これも御覧ぜよ。この願文は、近き御厨子などに置かせたまひて、かならずさるべからむ折に御覧じて、このうちのことどもはせさせたまへ。
疎き人には、な漏らさせたまひそ。かばかりと見たてまつりおきつれば、みづからも世を背きはべなむと思うたまへなりゆけば、よろづ心のどかにもおぼえはべらず。
対の上の御心、おろかに思ひきこえさせたまふな。いとありがたくものしたまふ、深き御けしきを見はべれば、身にはこよなくまさりて、長き御世にもあらなむとぞ思ひはべる。もとより、御身に添ひきこえさせむにつけても、つつましき身のほどにはべれば、譲りきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなむ、年ごろは、なほ世の常に思うたまへわたりはべりつる。
今は、来し方行く先、うしろやすく思ひなりにてはべり」
など、いと多く聞こえたまふ。涙ぐみて聞きおはす。かくむつましかるべき御前にも、常にうちとけぬさましたまひて、わりなくものづつみしたるさまなり。この文の言葉、いとうたてこはく、憎げなるさまを、陸奥国紙にて、年経にければ、黄ばみ厚肥えたる五、六枚、さすがに香にいと深くしみたるに書きたまへり。
いとあはれと思して、御額髪のやうやう濡れゆく、御側目、あてになまめかし
紫の上がお帰りになった夕方、ひっそりしたころ、明石の上は、女御の前に来て、この文箱のことを知らせた。
「思い通りのことが実現するまでは、隠しておいたほうがよいとも思いましたが、世の中の無常を思えば、心配になりました。あなたが何事にも自分の判断でできようになる前に、何にせよ、わたしが亡くなることがあったら、わたしは必ずしも今わの際に、看取られる身でもないので、それで、気が確かなうちに、小さなことでも、言い残しておくのがよいと、思いましたので。
読みづらく癖のある筆跡ですが、これを見てください。この願文を身辺の厨子に置いて、必ずしかるべき折に、ご覧になって、ここに書いてある通りのことをやってください。
気心の知れない人に、漏らしてはいけません。あなたの将来を見届けましたので、自分も世を背いて出家しようと思うようになり、万事のんびりともできません。
紫の上の御厚情を、おろそかに思ってはなりません。とてもありがたい人でいらっしゃいます、深いご親切な厚情を拝見しますと、わたしよりも長生きしていただきたいと思っております。わたしはもともと、御前に仕えるにしても、控えた方がよい身分ですので、はじめからお任せしたのですが、これほど親身になってくれるとは、世間によくある継母のように思っておりました。
今は、今までもこれからも安心しております」
などと、長々とお話するのだった。女御は涙ぐんでお聞きになっていた。このように、親子の打ち解けたときでも、常に礼儀正しい所作で対応し、控えめだった。この文の言葉は堅ぐるしく親しみのないものであったが、陸奥国紙で、古くなって黄ばんで厚いのが五、六枚、さすがに香を深く炊きしめて使っていた。
女御はたいそう感動して、額髪がだんだん濡れていく横顔は、気高く美しい。
2020.4.12/ 2021.11.22/ 2023.6.20
34.77 源氏、女御の部屋に来る
院は、姫宮の御方におはしけるを、中の御障子よりふと渡りたまへれば、えしも引き隠さで、御几帳をすこし引き寄せて、みづからははた隠れたまへり。
「若宮は、おどろきたまへりや。時の間も恋しきわざなりけり」
と聞こえたまへば、御息所はいらへも聞こえたまはねば、御方、
「対に渡しきこえたまひつ」
と聞こえたまふ。
「いとあやしや。あなたにこの宮を領じたてまつりて、懐をさらに放たずもて扱ひつつ、人やりならず衣も皆濡らして、脱ぎかへがちなめる。軽々しく、などかく渡したてまつりたまふ。こなたに渡りてこそ見たてまつりたまはめ」
とのたまへば、
「いと、うたて。思ひぐまなき御ことかな。女におはしまさむにだに、あなたにて見たてまつりたまはむこそよくはべらめ。.まして男は、限りなしと聞こえさすれど、心やすくおぼえたまふを。戯れにても、かやうに隔てがましきこと、なさかしがり聞こえさせたまひそ
と聞こえたまふ。うち笑ひて、
「御仲どもにまかせて、見放ちきこゆべきななりな。隔てて、今は、誰も誰もさし放ち、さかしらなどのたまふこそ幼けれ。まづは、かやうにはひ隠れて、つれなく言ひ落としたまふめりかし」
とて、御几帳を引きやりたまへれば、母屋の柱に寄りかかりて、いときよげに、心恥づかしげなるさましてものしたまふ。
ありつる箱も、惑ひ隠さむもさま悪しければ、さておはするを、
源氏は、三の宮の方にいたが、中の障子からふとお越しになったので、入道の手紙は隠すことができず、几帳を少し引き寄せて明石の上ご自身は隠れた。
「若宮は、お目覚めか。ちょっとの間も、恋しくなるものだ」
と仰せになったが、女御は返事をしなかったので、明石の上は、
「紫の上にお渡し申しました」
と答えた。
「それはいけない。あちらにこの宮を独り占めされてしまう、あちらは懐から少しも離さずいつも抱いているので、衣を濡らして、脱ぎ変えています。軽々しくどうして渡したのか。こちらに来て世話をするのがよいのです」
と仰せになれば、
「あらいやだ。思いやりのないお言葉ですこと。女宮であっても、あちらにて世話をするのがよいです。まして男宮は、どれほど尊い身分でも、ご自由になさってよい思っております。ご冗談にも、そのような分け隔てを、申されなさいますな」
と申し上げなさる。源氏は笑って、
「二人にまかせて、わたしは知らんぷりしましょう。わたしをのけ者にして、今は誰もが遠ざけるのです。知った風に言わないでほしいな。まずはこのように隠れて、除け者にしないで欲しいな」
と言って、几帳を引っ張れば、母屋の柱に寄りかかって、美しく、こちらが気恥ずかしくなるほど立派な様子であった。
先ほどの文箱も、慌てて隠すのも見苦しく、そのままにしてあるのを、
2020.4.12/ 2021.11.22/2023.6.20
34.78  源氏、手紙を見る
「なぞの箱。深き心あらむ。懸想人の長歌詠みて封じこめたる心地こそすれ」
とのたまへば、
「あな、うたてや。今めかしくなり返らせたまふめる御心ならひに、聞き知らぬやうなる御すさび言どもこそ、時々出で来れ」
とて、ほほ笑みたまへれど、ものあはれなりける御けしきどもしるければ、あやしとうち傾きたまへるさまなれば、わづらはしくて、
「かの明石の岩屋より、忍びてはべし御祈りの巻数、また、まだしき願などのはべりけるを、御心にも知らせたてまつるべき折あらば、御覧じおくべくやとてはべるを、ただ今は、ついでなくて、何かは開けさせたまはむ」
と聞こえたまふに、「げに、あはれなるべきありさまぞかし」と思して、
いかに行なひまして住みたまひにたらむ。命長くて、ここらの年ごろ勤むる罪も、こよなからむかし世の中に、よしあり、賢しき方々の、人とて見るにも、この世に染みたるほどの濁り深きにやあらむ、賢き方こそあれ、いと限りありつつ及ばざりけりや
さもいたり深く、さすがに、けしきありし人のありさまかな 聖だち、この世離れ顔にもあらぬものから、下の心は、皆あらぬ世に通ひ住みにたるとこそ、見えしか
まして、今は心苦しきほだしもなく、思ひ離れにたらむをや。かやすき身ならば、忍びて、いと会はまほしくこそ」
とのたまふ。
「今は、かのはべりし所をも捨てて、鳥の音聞こえぬ山にとなむ聞きはべる」
と聞こゆれば、
「さらば、その遺言ななりな。消息は通はしたまふや。尼君、いかに思ひたまふらむ。親子の仲よりも、またさるさまの契りは、ことにこそ添ふべけれ」
とて、うち涙ぐみたまへり。
「なんの箱か。深いわけがあるのだろう。恋する人が長い歌を詠んで封じたのか」
と仰せになれば、
「あら、嫌だこと。今めかしく若返って、わたしが分からないようなご冗談、時々言われるのですね」
とて、明石の上が微笑んだが、泣いていたような気配が気づかれそうで、二人の様子がおかしいと見られそうで、面倒になって、
「あの明石の入道が、内々に祈祷した巻数、まだ成就していない願などが入っております。君にもお知らせすべく、折を見てお見せしようと思っていましたが、今はその折でもないので、開けることもないでしょう」
と仰ると、「なるほど、明石からの手紙では泣くでしょう」と思って、
「入道はどんなに修行に励んで過ごしてきただろう。長生きして、長く勤めているので、消滅させた罪障も数知れないだろう。世の中には、たしなみがあり学もある人がいるが、俗世に深く染まっていて、賢いといっても、ただそれだけで、入道には及ばないだろう。
入道は、悟り深く、それでいて、物の分かった人です。聖僧ぶって俗世を捨てきったほどではないが、本心では、あの世と自在に行き来していると思える。
まして今は、気になる束縛もなく、解脱しているのではないか。気軽に動ける身であれば、こっそり行って会いたいものだ」
と仰せになる。
「今は、あの住まいを離れて、鳥の声も聞こえぬ深い山に入ったと聞きましたが」
と仰せになると、
「そうすると、遺言なのかな。手紙はやり取りしていらっしゃるのか。尼君は、何と思ってるだろう。親子の仲より、夫婦の契りは、悲しみも一段と深いであろう」
と言って涙ぐんでいる。
2020.4.16/ 2021.11.22/ 2023.6.20
34.79  源氏の感想
「年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思ひ知りゆくままに、あやしく恋しく思ひ出でらるる人の御ありさまなれば、深き契りの仲らひは、いかにあはれならむ」
などのたまふついでに、「この夢語りも思し合はすることもや」と思ひて、
「いとあやしき梵字とかいふやうなる跡にはべめれど、御覧じとどむべき節もや混じりはべるとてなむ。今はとて別れはべりにしかど、なほこそ、あはれは残りはべるものなりけれ」
とて、さまよくうち泣きたまふ。寄りたまひて、
「いとかしこく、なほほれぼれしからずこそあるべけれ。手なども、すべて何ごとも、わざと有職にしつべかりける人の、ただこの世経る方の心おきてこそ少なかりけれ
かの先祖の大臣は、いとかしこくありがたき心ざしを尽くして、朝廷に仕うまつりたまひけるほどに、ものの違ひめありて、その報いにかく末はなきなりなど、人言ふめりしを、女子の方につけたれど、かくていと嗣なしといふべきにはあらぬも、そこらの行なひのしるしにこそはあらめ」
など、涙おし拭ひたまひつつ、この夢のわたりに目とどめたまふ。
「あやしくひがひがしく、すずろに高き心ざしありと人も咎め、また我ながらも、さるまじき振る舞ひを、仮にてもするかな、と思ひしことは、この君の生まれたまひし時に、契り深く思ひ知りにしかど、目の前に見えぬあなたのことは、おぼつかなくこそ思ひわたりつれ、さらば、かかる頼みありて、あながちには望みしなりけり。
横さまに、いみじき目を見、ただよひしも、この人一人のためにこそありけれ。いかなる願をか心に起こしけむ」
とゆかしければ、心のうちに拝みて取りたまひつ。
「長年生きていて、世の中の有様を、知るにつれ、不思議と恋しく思い出される人なので深い夫婦の契りは、どんなに感慨深いことでしょうか」
と仰せになり、「この夢の話も思い当たる節があるかもしれない」と思い、
「ずいぶん癖のある筆跡で、まるで梵字のようですが、ご覧になられる折もあろうかと思いました。今は別れてずいぶん経ちますが、いつまで経っても、あわれは残ります」
と言って、明石の上は泣くのであった。源氏は近くに寄って、
「いつまでもしっかりしていて、まだ耄碌はしていない。筆跡なども、すべて何事も、あえて有職といってよかった人ですから、ただ処世術だけは足りなかったのでしょう。
あの先祖の大臣は、ごく賢明な人で稀有な忠誠心で、朝廷に仕えていましたが、何かのとんでもない行き違いがあって、その報いで末細りになったと、言う人がいるが、女子の筋になったが、こうして、子孫が絶えていないのも、入道のお勤めのお蔭であったということもできるだろう」
などと、源氏は、涙をぬぐいながら、この夢の話の辺りで目を止た。
「入道は妙に変わり者で、高すぎる望みを持っていると批判する人もいたが、また自分としても、入道が身分にあるまじき振舞いをすると思ったが、この女御が生まれたと聞いたときは、宿世の契りが深いのだと思い知ったが、遠い過去の因縁のことは、分からなかったが、これを頼みとして、強い望みをもっていたのか。
予期せぬ流浪の苦難にあったのも、この入道ひとりの大願成就のためであった。いかなる願をかけたのだろう」
と知りたかったので、心の中で拝んで願文をとった。
2020.4.17/ 2021.11.22/ 2023.6.21
34.80  源氏、紫の上の恩を説く
これは、また具してたてまつるべきものはべり。今また聞こえ知らせはべらむ」
と、女御には聞こえたまふ。そのついでに、
「今は、かく、いにしへのことをもたどり知りたまひぬれど、あなたの御心ばへを、おろかに思しなすな。もとよりさるべき仲、えさらぬ睦びよりも、横さまの人のなげのあはれをもかけ、一言の心寄せあるは、おぼろけのことにもあらず
まして、ここになどさぶらひ馴れたまふを見る見るも、初めの心ざし変はらず、深くねむごろに思ひきこえたるを。
いにしへの世のたとへにも、さこそはうはべには育みけれと、らうらうじきたどりあらむも、賢きやうなれど、なほあやまりても、わがため下の心ゆがみたらむ人を、さも思ひ寄らず、うらなからむためは、引き返しあはれに、いかでかかるにはと、罪得がましきにも、思ひ直ることもあるべし
おぼろけの昔の世のあだならぬ人は、違ふ節々あれど、ひとりひとり罪なき時には、おのづからもてなす例どもあるべかめり。さしもあるまじきことに、かどかどしく癖をつけ、愛敬なく、人をもて離るる心あるは、いとうちとけがたく、思ひぐまなきわざになむあるべき。
多くはあらねど、人の心の、とあるさまかかるおもむきを見るに、ゆゑよしといひ、さまざまに口惜しからぬ際の心ばせあるべかめり。皆おのおの得たる方ありて、取るところなくもあらねど、また、取り立てて、わが後見に思ひ、まめまめしく選び思はむには、ありがたきわざになむ。
ただまことに心の癖なくよきことは、この対をのみなむ、これをぞおいらかなる人といふべかりける、となむ思ひはべる。よしとて、またあまりひたたけて頼もしげなきも、いと口惜しや
とばかりのたまふに、かたへの人は思ひやられぬかし。
「この願文には、それと一緒に奉じるものがあります。いずれ教えてあげましょう」
と女御には言った。そのついでに、
「今こそ、こうして昔を知ることができますが、紫の上の心ばえを疎かに思ってはいけません。もとより親しむべき夫婦の絆、親子の絆よりも、血縁のない他人が情けをかけ、一言の優しい言葉をかけてくれるのは、並のことではありません。
まして、実の母がこの邸でお傍にいて親しく、それでいて初めの心ざしが変わらず、深く優しく接しているのですから。
昔からの言い草でも、継母が継子を優しく育てているように見せかけて、子の方が気をまわして賢そうに見えるが、たとえ間違っても、自分に邪険な下心を持っている継母に、子が素直に接したら、親の方で思い返して、どうして意地悪くしたのかと、罪の意識も芽生え、思い直すこともある。
昔の世の実のある人は、行き違いがあっても、それぞれに罪がない時には、お互い仲良くなる例もある。それほどのことでもないのに、口うるさく難癖をつけ、愛嬌もなく、人を疎む気持ちのある人は、打ち解けがたく、深い思慮に欠けていると言っていいでしょう。
多くはないが、人の心の、あれこれの趣を見ると、たしなみといい教養といい、なかなかしっかりした、身分相応の心ばせというものはあるものです。皆それぞれに得手があり、取り柄がありますが、自分の後見にと思い定め、いざ自分の妻として選ぶとなると、なかなかいないものです。
ただ本当に心の癖がなくすばらしいのは、紫の上だけだろう。この方こそ穏やかな心のひろい人というべき、と思います。人柄がよくても、締まりがなく頼りない人も、残念ながらいます」
と仰るのだが、側にいる人は女三の宮のことを思ったであろう。
2020.4.18/ 2021.11.22/ 2023.6.21
34.81  明石御方、卑下す
「そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを、いとよし、睦び交はして、この御後見をも、同じ心にてものしたまへ」
など、忍びやかにのたまふ。
「のたまはせねど、いとありがたき御けしきを見たてまつるままに、明け暮れの言種に聞こえはべる。めざましきものになど思しゆるさざらむに、かうまで御覧じ知るべきにもあらぬを、かたはらいたきまで数まへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなむ。
数ならぬ身の、さすがに消えぬは、世の聞き耳も、いと苦しく、つつましく思うたまへらるるを、罪なきさまに、もて隠されたてまつりつつのみこそ」
と聞こえたまへば、
「その御ためには、何の心ざしかはあらむ。ただ、この御ありさまを、うち添ひてもえ見たてまつらぬおぼつかなさに、譲りきこえらるるなめり。それもまた、とりもちて、掲焉けちえんになどあらぬ御もてなしどもに、よろづのことなのめに目やすくなれば、いとなむ思ひなくうれしき。
はかなきことにて、ものの心得ずひがひがしき人は、立ち交じらふにつけて、人のためさへからきことありかし。さ直しどころなく、誰もものしたまふめれば、心やすくなむ」
とのたまふにつけても、
「さりや、よくこそ卑下しにけれ」
など、思ひ続けたまふ。対へ渡りたまひぬ。
「あなたこそ、少し物事を心得ておられる、大へん結構です、よく紫の上と親しくして、この女御の後見をして、同じ心でやってください」
など秘かに仰せになる。
「仰せにならなくても、紫の上のありがたい気色は拝見して、明け暮れの言葉に表れております。目障りとお許しがでなければ、こうまでお会いできないでしょう、身の置き所がないほど、人並みに接していただいております、思い返しても面映ゆく思います。
数ならぬ身で、生き永らえるていますのは、世間の噂も気になるし、気が引けていますのに、目障りではないと、かばってくれているからなのです」
と明石の上が言うと、
「あなたに対して、何の好意ということでもないでしょう。ただ、この女御にいつも付き添っていられないおぼつかなさに、あなたにお世話を頼んだのでしょう。それもまた、あなたが親ぶった態度をとって偉そうにしないから、万事うまくいって、うれしく思います。
些細なことでも、物事の心得がなく、非常識な人は、交際するにつれて、相手の人までひどい目に会うのです。どなたもそのように直すところがなく、わたしも安心なのです」
と仰せになるにつけても、
「そうだ。よく謙虚にやって来た」
など、思い続けて、紫の上の所に移っていった。
2020.4.18/ 202111.22/ 2023.6.21
34.82 明石御方、宿世を思う
「さも、いとやむごとなき御心ざしのみまさるめるかな。げにはた、人よりことに、かくしも具したまへるありさまの、ことわりと見えたまへるこそめでたけれ。
宮の御方、うはべの御かしづきのみめでたくて、渡りたまふことも、えなのめならざめるは、かたじけなきわざなめりかし。同じ筋にはおはすれど、今一際は心苦しく」
としりうごちきこえたまふにつけても、わが宿世は、いとたけくぞ、おぼえたまひける。
やむごとなきだに、思すさまにもあらざめる世に、まして立ちまじるべきおぼえにしあらねば、すべて今は、恨めしき節もなし。ただ、かの絶え籠もりにたる山住みを思ひやるのみぞ、あはれにおぼつかなき」
尼君も、ただ、「福地の園に種まきて」とやうなりし一言をうち頼みて、後の世を思ひやりつつ眺めゐたまへり。
「本当に、源氏は、紫の上を大切にしようとする気持ちが深まっているようだ。実に人よりかくも優れた資質を備えているのだから、それも当然のことだ。
女三の宮の方は、うわべは大切にされているが、源氏のお出かけが十分でないのは、恐れ多い。同じ血筋だが、宮の身分が一段と高いのも、お気の毒だ」
と明石の上は、陰口を言うにつけて、自分の宿世は、大したものだと思うのだった。
「高い身分の方でも、思い通りにならないのが夫婦仲だのに、まして自分は仲間に入れる分際でもないし、すべて今は、恨めしいこともない。ただ、あの山籠もりの父のことが、悲しく心配でならない」
尼君も、ただ、「極楽」で会う一言を頼みにして、後の世を思って、物思いに沈むのであった。
2020.4.18/ 2021.11.25/ 2023.6.21
34.83 夕霧の女三の宮への思い
大将の君は、この姫宮の御ことを、思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの御かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折々に参り馴れ、おのづから御けはひ、ありさまも見聞きたまふに、いと若くおほどきたまへる一筋にて、上の儀式はいかめしく、世の例にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの深くは見えず
女房なども、おとなおとなしきは少なく、若やかなる容貌人の、ひたぶるにうちはなやぎ、さればめるはいと多く、数知らぬまで集ひさぶらひつつ、もの思ひなげなる御あたりとはいひながら、何ごとものどやかに心しづめたるは、心のうちのあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも、またまことに心地ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうち混じれば、かたへの人にひかれつつ、同じけはひもてなしになだらかなるを、ただ明け暮れは、いはけたる遊び戯れに心入れたる童女のありさまなど、院は、いと目につかず見たまふことどもあれど、一つさまに世の中を思しのたまはぬ御本性なれば、かかる方をもまかせて、さこそはあらまほしからめ、と御覧じゆるしつつ、戒めととのへさせたまはず。
正身の御ありさまばかりをば、いとよく教へきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。
夕霧は、この姫宮のことを、思い及ばぬことでもなかったので、近くにいるので、平静でいられず、普通の用事にかこつけて、何かにつけて来るので馴れてきて、自ずから姫宮の気配や様子を見聞きして、ただ初々しくおっとりしているだけで、人目につく儀式は威儀をただして、世の例にもなるようように華々しく行ったが、実際はそう大して際立って奥ゆかしいとも思えなかった。
女房なども、年配で落ち着いたのは少なく、若い美人顔の女たちが、ただもう華やかに、気取っているのが多く、数知れぬ大勢の女房たちが集っていたが、心配のないお住まいであってみれば、何事も騒がず落ち着いた女房は、心の内は見えないので、人知れぬ悩みを抱えている者も、周りが楽しそうに、悩みが何もない雰囲気に混じれば、その人たちの気配に同調して楽しそうにして、毎日の明け暮れは、子供じみた遊びに夢中になって戯れている童女を見たりすると、源氏は、感心しないと思うのであったが、一律に世の中を断じたりしない性格なので、こういうことも勝手にさせておいて、そんなこともやりたいときがあるのだろう、と見ていて、注意して改めさせることはしないのであった。
女三の宮ご本人の振舞いだけは、十分に教えて言いきかしたので、すこし心がけるのだった。
2020.4.19/ 2021.11.25/ 2023.6.21
34.84 夕霧、女三の宮を他の女性と比較
かやうのことを、大将の君も、
「げにこそ、ありがたき世なりけれ。紫の御用意、けしきの、ここらの年経ぬれど、ともかくも漏り出で見え聞こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、心うつくしう、人をも消たず、身をもやむごとなく、心にくくもてなし添へたまへること」
と、見し面影も忘れがたくのみなむ思ひ出でられける。
「わが御北の方も、あはれと思す方こそ深けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ人なりおだしきものに、今はと目馴るるに、心ゆるびて、なほかくさまざまに、集ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は、人の御ほどを思ふにも、限りなく心ことなる御ほどに、取り分きたる御けしきしもあらず、人目の飾りばかりにこそ
と見たてまつり知る。わざとおほけなき心にしもあらねど、「見たてまつる折ありなむや」と、ゆかしく思ひきこえたまひけり。
こうしたことを、夕霧も、
「実際、立派な女君はなかなかいないものだ。紫の上の心がけ、気色は、長年経ったけれど、世間の人に漏れ出で噂になったことがなく、物静かな点を第一として、さすがに、心うつくしく、人を立てて、しかも品位を失わず、奥ゆかしくしておられる」
と、見たときの面影を忘れがたく思い出すのであった。
「わたしの北の方も、愛おしいと思う気持ちは深いが、あえて言えば、細かい配慮などできない人なのだ。雲居の雁は今は、もう大丈夫と馴れるにつれて、気持ちが弛んで、またこのように集まった六条院のご婦人方がそれぞれ立派なので、内心秘かに三の宮に関心を寄せているのだが、この宮はご身分を考えても、限りなく高貴の出であるのに、源氏は格別の関心を寄せず、人目ばかり気にしている」
と夕霧は見立てている。身の程をわきまえない大それた気持ちでもないが、「見られる折はあるだろうか」と切に思うのであった。
2020.4.19/ 2021.11.25/ 2023.6.21
34.85 柏木、女三の宮に執心
衛門督えもんのかみの君も、院に常に参り、親しくさぶらひ馴れたまひし人なれば、この宮を父帝のかしづきあがめたてまつりたまひし御心おきてなど、詳しく見たてまつりおきて、さまざまの御定めありしころほひより聞こえ寄り、院にも、「めざましとは思し、のたまはせず」と聞きしを、かくことざまになりたまへるは、いと口惜しく、胸いたき心地すれば、なほえ思ひ離れず。
その折より語らひつきにける女房のたよりに、御ありさまなども聞き伝ふるを慰めに思ふぞ、はかなかりける。
「対の上の御けはひには、なほ圧されたまひてなむ」と、世人もまねび伝ふるを聞きては、
「かたじけなくとも、さるものは思はせたてまつらざらまし。げに、たぐひなき御身にこそ、あたらざらめ
と、常にこの小侍従こじじゅうといふ乳主ちぬしをも言ひはげまして、
「世の中定めなきを、大殿の君、もとより本意ありて思しおきてたる方に赴きたまはば」
と、たゆみなく思ひありきけり。
衛門督えもんのかみの柏木も、六条院にいつも行っていたので、親しく馴れた仲間として、父帝が三の宮を慈しみ後生大事に育てた御心をよく知っていたので、さまざまな婿選びの頃から申し出ていて、院からも、「目障りだ、とは言われていない」と聞いていたので、このようにこと志に違って降嫁したことを、口惜しく、胸が痛む心地して、忘れられないのだった。
その頃から話をつけていた女房のつてを頼りに、女三の宮の様子などを伝え聞くのを慰めとしたが、はかなかった。
「紫の上の気配に、やはり圧倒されている」と世間でも噂しているのを伝え聞いては、
「恐れ多くも、そんな物思いは自分ならさせない。まことに、類まれな高貴な御身にはふさわしくない」
と、いつもこの小侍従こじじゅうという乳母子めのとごを言い励まして、
「世の中無常です、源氏の君が本意を遂げて出家されたらどうしますか」
と、絶えず機会をねらっていた。
2020.4.19/ 2021.11.25/ 2023.6.23
34.86 柏木ら東町に集い遊ぶ
弥生ばかりの空うららかなる日、六条の院に、兵部卿宮ひょうぶきょうのみや衛門督えもんのかみなど参りたまへり。大殿出でたまひて、御物語などしたまふ。
「静かなる住まひは、このごろこそいとつれづれに紛るることなかりけれ。公私にことなしや。何わざしてかは暮らすべき」
などのたまひて、
「今朝、大将のものしつるは、いづ方にぞ。いとさうざうしきを、例の、小弓射させて見るべかりけり。好むめる若人どもも見えつるを、ねたう出でやしぬる」
と、問はせたまふ。
「大将の君は、丑寅の町に、人びとあまたして、鞠もて遊ばして見たまふ」と聞こしめして、
「乱りがはしきことの、さすがに目覚めてかどかどしきぞかし。いづら、こなたに」
とて、御消息あれば、参りたまへり。若君達めく人びと多かりけり。
「鞠持たせたまへりや。誰々かものしつる」
とのたまふ。
「これかれはべりつ」
「こなたへまかでむや」
とのたまひて、寝殿の東面、桐壺は若宮具したてまつりて、参りたまひにしころなれば、こなた隠ろへたりけり。遣水などのゆきあひはれて、よしあるかかりのほどを尋ねて立ち出づ。太政大臣殿おおきおおいどのの君達、頭弁とうのべん 兵衛佐ひょうえのすけ、大夫の君など、過ぐしたるも、まだ片なりなるも、さまざまに、人よりまさりてのみものしたまふ。
三月の春うららかな日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督などが参上した。源氏も出てきて、話などをする。
「静かな住まいは、この頃は大そう退屈で暇を紛らわせられない。公私に何事もない。何をして過ごそうか」
などと仰せになって、
「今朝、夕霧が来ていたが、どこに行った。何か物足りないが、例の小弓射させて見物しようか。小弓が好きな若人も見えているのに、どこに行ったのか」
と仰せになって、
「夕霧は丑寅の町に、人が大勢集まって、鞠で遊んでいるのを見ました」と聞いて、
「無作法なあそびだが、それでも派手で気の利いた遊びだ。こちらへ来たら」
とて、文を持たせたので、やって来た。若い人が多かった。
「鞠は持ってきたか。誰々がいるのだ」
と仰せになる。
「誰それが来ています」
「こちらにお出でにならぬか」
と仰せになって、寝殿の東面、桐壷の女御は若宮を連れて、参内しているので、こちらは目立たないところだった。鑓水が合流していて、鞠のできる趣ある場所を探して席を立つ。太政大臣の子息たちで頭弁、兵衛佐、太夫の君など、年のいった者も、まだ若いのも、それぞれに、人より優れた者ばかりだった。
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34.87 南町で蹴鞠を催す
やうやう暮れかかるに、「風吹かず、かしこき日なり」と興じて、弁君もえしづめず立ちまじれば、大殿、
「弁官もえをさめあへざめるを、上達部なりとも、若き衛府司えふづかさたちは、などか乱れたまはざらむ。かばかりの齢にては、あやしく見過ぐす、口惜しくおぼえしわざなり。さるは、いと軽々きょうぎょうなりや。このことのさまよ
などのたまふに、大将も督君も、皆下りたまひて、えならぬ花の蔭にさまよひたまふ夕ばえ、いときよげなり。をさをささまよく静かならぬ、乱れごとなめれど、所から人からなりけり。
ゆゑある庭の木立のいたく霞みこめたるに、色々紐ときわたる花の木ども、わづかなる萌黄の蔭に、かくはかなきことなれど、善き悪しきけぢめあるを挑みつつ、われも劣らじと思ひ顔なる中に、衛門督のかりそめに立ち混じりたまへる足もとに、並ぶ人なかりけり。
容貌いときよげに、なまめきたるさましたる人の、用意いたくして、さすがに乱りがはしき、をかしく見ゆ。
御階みはしの間にあたれる桜の蔭に寄りて、人びと、花の上も忘れて心に入れたるを、大殿も宮も、隅の高欄に出でて御覧ず。
ようよう日が暮れる頃になって、「風吹かず、絶好な日和だ」と興がのって、弁君も我慢できず立ち混じれば、源氏は、
「弁官も落ち着いていられないのに、上達部でも、若い衛府司えふづかさたちは、どうして参加しないのか。この年頃では、見ているだけでは、残念な気がしたものだ。しかし、まったく騒々しいな。この蹴鞠は」
などと仰せになるに、夕霧も柏木も、皆庭に下りて、えもいわれぬ花の陰に漂う夕映えが、大そう美しい。あまり体裁の良くない騒がしい遊びだが、場所柄人柄によるのだった。
趣のある庭の木立に濃く霞がかかって、色とりどりに蕾が開いた木立は、わずかに萌黄の芽吹き出た木陰で、こんな何でもない遊びだが、上手下手の違いを競って、負けまいと必死の顔をしているなかで、柏木がほんのお付き合いで入った足さばきに、並ぶ人はなかった。
容貌は際立って美しく、優雅な物腰で、心遣いも十分で、それでいて夢中になっているのは、魅力があった。
御階みはしの間にある桜の陰に寄って、人々が、花も忘れて夢中になっているのを、源氏も蛍兵部卿の宮も、高欄に出て見物するのであった。
2020.4.20/ 2021.11.25/ 2023.6.23
34.88 女三の宮たちも見物す
  いと労ある心ばへども見えて、数多くなりゆくに、上臈も乱れて、冠の額すこしくつろぎたり。大将の君も、御位のほど思ふこそ、例ならぬ乱りがはしさかなとおぼゆれ、見る目は、人よりけに若くをかしげにて、桜の直衣のやや萎えたるに、指貫の裾つ方、すこしふくみて、けしきばかり引き上げたまへり。
軽々しうも見えず、ものきよげなるうちとけ姿に、花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。督の君続きて、
「花、乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ」
などのたまひつつ、宮の御前の方を後目に見れば、例の、ことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾みすのつま、透影すきかげなど、春の手向けの幣袋ぬさぶくろにやとおぼゆ
熟練の技も披露されて、回数が増えるにつれて、身分の高い方々も無礼講になり、冠も少し額に弛んでいた。夕霧も、位にしては、いつにない羽目の外し方だと思うが、見た目には、人より若く美しく見えて、桜襲の直衣の少し柔らかくなったのに、指貫の裾の方をふくらませて、少し引き上げていた。
夕霧は軽率には見えず、さっぱりして寛いだ姿に、花びらが雪のように降りかかり、見上げて、たわんだ枝を少し折って、御階の中段辺りにいた。柏木もやって来て、
「桜がしきりに散りますね。風も桜を避けて吹けばいいのに」
などと言って、女三の宮の御前の方を横目に見れば、例の、女房たちが格別慎み深くするでもない様子で、色々の袖口がこぼれでた御簾みすの端々や透影すきかげなど、行く春に手向ける幣袋ぬさぶくろか、と思われた。
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34.89 唐猫、御簾を引き開ける
御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人気近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人びとおびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしかましき心地す。
猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこしろふほどに、御簾の側いとあらはに引き開けられたるを、とみにひき直す人もなし。この柱のもとにありつる人びとも、心あわたたしげにて、もの懼ぢしたるけはひどもなり。
几帳がだらしなく引かれて、女房が端近くにいて世間ずれしてるように思われるところ、唐猫の小さいかわいいのが、少し大きい猫を追って、突然御簾の端から走り出て、女房たちはおびえ騒いで、身じろぐ気配がして、衣擦れの音が、耳にやかましかった。
猫は、まだ人になついていないのだろう、紐を長くつけていて、何かに引っかかってまとわりついていて、逃げようとして引っ張るのを、御簾の端があらわに引き開けられて、それをすぐ引き直す人もなかった。この柱の側にいた女房たちも、すっかり動転して物おじしていた。
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34.90 柏木、女三の宮を垣間見る
几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東の側なれば、まぎれどころもなくあらはに見入れらる。
紅梅にやあらむ、濃き薄き、すぎすぎに、あまた重なりたるけぢめ、はなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。御髪のすそまでけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七、八寸ばかりぞ余りたまへる。御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。夕影なれば、さやかならず、奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。
鞠に身を投ぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人びと、あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたく鳴けば、見返りたまへる面もち、もてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やと、ふと見えたり。
几帳の際少し入ったところに、袿姿で立っている人がいた。階から西の二の間の東の側なので、隠れるところがなくまったくあらわに見えた。
紅梅襲だろう、濃いのと薄いのと次々に重なり合った色の移り変わりも、華やかで、草子の小口のように見えて、桜襲の細長のようだ。髪のすそまで美しく見えていて、糸を垂らしたようになびいて、髪の末がきれいにそろっているのは、かわいらしく、小柄なので七、八寸ばかり余っている。衣の裾が余っていて、体つきは細く、姿かたちや髪のかかり具合、その横顔は、言葉に言えぬほど可愛らしい。夕影なので、はっきり見えず、奥が暗いので物足りない残念だ。
鞠に夢中になっている若君たちの、花が散るのを惜しんでもいられない様子に、女房たちは、露わになった姿を誰も気が付いていない。猫がひどく鳴いていて、振り向いた三の宮の面もち、所作など、おおらかで、若くかわいらしい人、と見えた。
2020.4.20/ 2021.11.25/2023.6.23
34.91 夕霧、事態を憂慮す
大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき入りたまふ。さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の綱ゆるしつれば、心にもあらずうち嘆かる。
まして、さばかり心をしめたる衛門督は、胸ふとふたがりて、誰ればかりにかはあらむ、ここらの中にしるき袿姿よりも、人に紛るべくもあらざりつる御けはひなど、心にかかりておぼゆ。
さらぬ顔にもてなしたれど、「まさに目とどめじや」と、大将はいとほしく思さる。わりなき心地の慰めに、猫を招き寄せてかき抱きたれば、いと香ばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく思ひよそへらるるぞ、好き好きしきや。
夕霧は、はらはらしたが、近寄るのも軽率だし、ただ女房たちに気づかせようと、咳払いすると、ようやく三の宮は引っ込んだ。実のところ、自分の心にも、残念な気持ちがあったが、猫の紐が放されていたので、思わずため息をついた。
まして、あれほど魅了されていた柏木は、胸いっぱいになって、誰あろう、この中ではっきり目立った袿姿が他人に紛れるはずもないその人の気配を、忘れがたく思われた。
柏木は何でもない風をよそおった、「見たに違いない」と、夕霧は困ったことになったと思った。柏木はたまらない気持ちになり、猫を招いて抱き上げると、香ばしい香りがして、かわいく鳴いて、その人になぞらえるのは、好き心だろう。
2020.4.21/ 2021.11.25◎
34.92 蹴鞠の後の酒宴
大殿御覧じおこせて、
「上達部の座、いと軽々しや。こなたにこそ」
とて、対の南面に入りたまへれば、みなそなたに参りたまひぬ。宮もゐ直りたまひて、御物語したまふ。
次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅つばいもち、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。さるべき乾物ばかりして、御土器参る。
衛門督は、いといたく思ひしめりて、ややもすれば、花の木に目をつけて眺めやる。大将は、心知りに、「あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやあらむ」と思ひたまふ。
「いと端近なりつるありさまを、かつは軽々しと思ふらむかし。いでや。こなたの御ありさまの、さはあるまじかめるものを」と思ふに、「かかればこそ、世のおぼえのほどよりは、うちうちの御心ざしぬるきやうにはありけれ」
と思ひ合はせて、
「なほ、内外の用意多からず、いはけなきは、らうたきやうなれど、うしろめたきやうなりや」
と、思ひ落とさる。
宰相の君は、よろづの罪をもをさをさたどられず、おぼえぬものの隙より、ほのかにもそれと見たてまつりつるにも、「わが昔よりの心ざしのしるしあるべきにや」と、契りうれしき心地して、飽かずのみおぼゆ。
源氏はご覧になっていて、
「上達部の座が近すぎる。こちらに席を変えよう」
と言って、対の南面に入ると、皆そちらに移った。蛍兵部卿の宮も席を変えて、話をする。
それ以下の上達部たちは、簀子に円座を敷いて、気楽に、椿餅つばいもち、梨、柑子など、それぞれ箱の蓋などにとり混ぜて出されたのを、若い人々ははしゃぎながら食うのだった。干物が出されて、酒が出た。
柏木はひどく思い込んで、ときどき、桜の木をぼんやり眺めている。夕霧は、わけを知っているので、「ふとしたことから垣間見た姿を思い出しているのだろう」と思っていた。
「端近くに寄っていたのは軽率だと思うだろう。いいや、紫の上なら決してそんなことはないだろう」と思うと、「こういうことだからこそ、女三の宮は世間の声望が高い割には、源氏の心が向かわず愛情が薄いのだろう」
と思い合わせて、
「やはり、他人にも自分にも思慮が足りず、幼いのは、かわいいだろうが、やはり不安だ」
と思いいたるのだった。
柏木は、三の宮の数々の欠点も気づかず、思わず御簾の隙間から垣間見たことが、「昔からのわたしの思いが通じたのだ」と前世の宿縁もうれしく思い、思慕の思いに胸いっぱいなのだった。
2020.4.21/ 2021.11.25/ 2023.6.23
34.93 源氏の昔語り
院は、昔物語し出でたまひて、
「太政大臣の、よろづのことにたち並びて、勝ち負けの定めしたまひし中に、鞠なむえ及ばずなりにし。はかなきことは、伝へあるまじけれど、ものの筋はなほこよなかりけり。いと目も及ばず、かしこうこそ見えつれ」
とのたまへば、うちほほ笑みて、
はかばかしき方にはぬるくはべる家の風の、さしも吹き伝へはべらむに、後の世のため、異なることなくこそはべりぬべけれ
と申したまへば、
「いかでか。何ごとも人に異なるけぢめをば、記し伝ふべきなり。家の伝へなどに書き留め入れたらむこそ、興はあらめ」
など、戯れたまふ御さまの、匂ひやかにきよらなるを見たてまつるにも、
かかる人にならひて、いかばかりのことにか心を移す人はものしたまはむ。何ごとにつけてか、あはれと見ゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき
と、思ひめぐらすに、いとどこよなく、御あたりはるかなるべき 身のほども思ひ知らるれば、胸のみふたがりてまかでたまひぬ。
源氏は、昔話をしだして、
「父君の太政大臣とは、いろんなことを、勝ち負けで競い合ったが、鞠だけはかなわなかった。このようなたわいもないことは伝授もあるまいが、血筋がものをいうのだろうね。目にも止まらないほど、大そう上手でしたね」
と仰せになると、柏木は微笑んで、
「政務などの重要な方面では、劣っている家の家風が、こんな鞠などの方面に吹いても、後世の子孫にはどうでもいいものでしょう」
と申し上げれば、
「いやそんなことはない。何であれ人より秀でたものは、家伝として書き留めておけば興があるだろう」
などと戯れる源氏の様子が、輝くように大そう美しいのを拝見していると、
「このような方にならって、どれだけの人が心を移すことだろう、何であれ、源氏の君があわれと思われるほど、御心を動かせることができたら」
と、思いめぐらすと、いよいよこの上なく、女三の宮の辺りが遠く感じられて、身の程も知られて、胸が張り裂けるばかりであった。
2020.4.21/ 2021.11.25/ 2023.6.27
34.94 柏木と夕霧、同車して帰る
大将の君一つ車にて、道のほど物語したまふ。
「なほ、このころのつれづれには、この院に参りて、紛らはすべきなりけり」
「今日のやうならむ暇の隙待ちつけて、花の折過ぐさず参れ、とのたまひつるを、春惜しみがてら、月のうちに、小弓持たせて参りたまへ」
と語らひ契る。おのおの別るる道のほど物語したまうて、宮の御事のなほ言はまほしければ、
「院には、なほこの対にのみものせさせたまふなめりな。かの御おぼえの異なるなめりかし。この宮いかに思すらむ。帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで、屈したまひにたらむこそ、心苦しけれ」
と、あいなく言へば、
「たいだいしきこと。いかでかさはあらむ。こなたは、さま変はりてほしたてたまへる睦びのけぢめばかりにこそあべかめれ。宮をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく思ひきこえたまへるものを」
と語りたまへば、
「いで、あなかま。たまへ。皆聞きてはべり。いといとほしげなる折々あなるをや。さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。ありがたきわざなりや
と、いとほしがる。
いかなれば花に木づたふ鴬の
桜をわきてねぐらとはせぬ

春の鳥の、桜一つにとまらぬ心よ。あやしとおぼゆることぞかし」
と、口ずさびに言へば、
いで、あなあぢきなのもの扱ひや、さればよ」と思ふ。
深山木にねぐら定むるはこ鳥も
いかでか花の色に飽くべき

わりなきこと。ひたおもむきにのみやは」
といらへて、わづらはしければ、ことに言はせずなりぬ。異事に言ひ紛らはして、おのおの別れぬ。
夕霧は、柏木の車に同乗して帰りながら話をする。
「では、このころのつれづれには、この院に来て、暇つぶしをしたらいい」
「今日のような暇な折り、花の散る前にお越しなさい、と源氏が仰せになっている。春を惜しんで、月のうちに、小弓を持ってお越しください」
と言って約束する。それぞれが別れるまで物語して、三の宮のことを話したかったので、
「源氏の君は、こちらの対にばかりいるそうですね。姫宮は帝の覚えが格別だったのに。どんな気持ちでいるでしょう。 帝が並ぶ者ないほどに可愛がっていたのに、そうではなく、塞いでいられるのが、お気の毒です」
と余計なことを言えば、
「とんでもない。そうではありません。紫の上の君は、普通と異なり、幼少から育てたので親しさが違うのでしょう。宮のことは、何かにつけて、大へん大切に思っておられます」
と話をすると、
「いいえ、やめてください。皆聞いています。とてもお気の毒な様子のときがよくあるそうです。実に、姫の声望は一通りではないのに。考えられない」
と気の毒がる。
(柏木)「どうして花から花へと伝う鶯は
桜をあえてねぐらとしないのでしょう
春の鳥の桜ひとつにとまらぬ心よ。合点のゆかぬことです」
と口ずさむように言えば
「いや、いらぬおせっかいだ、思った通りだ」と夕霧は思う。
(夕霧)「奥山にねぐらを作るはこ鳥も
どうして美しい花の色を嫌になることがありましょう
仕方ないです。そう一方的に言わないでください」
と答えて、面倒なので、これ以上話をしなかった。他の話にそらして各々別れた。
2020.4.22/ 2021.11.25/ 2023.6.27
34.95 柏木、小侍従に手紙を送る
かむの君は、なほ大殿の東の対に、独り住みにてぞものしたまひける。思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やりならずさうざうしく心細き折々あれど、
「わが身かばかりにて、などか思ふことかなはざらむ」
とのみ、心おごりをするに、この夕べより屈しいたく、もの思はしくて、
「いかならむ折に、またさばかりにても、ほのかなる御ありさまをだに見む。ともかくもかき紛れたる際の人こそ、かりそめにもたはやすき物忌、方違への移ろひも軽々しきに、おのづからともかくもものの隙をうかがひつくるやうもあれ」
など思ひやる方なく、
「深き窓のうちに、何ばかりのことにつけてか、かく深き心ありけりとだに知らせたてまつるべき」
と胸痛くいぶせければ、小侍従がり、例の、文やりたまふ。
「一日、風に誘はれて、御垣の原をわけ入りてはべしに、いとどいかに見落としたまひけむ。その夕べより、乱り心地かきくらし、あやなく今日は眺め暮らしはべる」
など書きて、
「よそに見て折らぬ嘆きはしげれども
なごり恋しき花の夕かげ」
とあれど、侍従は一日の心も知らねば、ただ世の常の眺めにこそはと思ふ。
柏木は、今でも太政大臣邸の東の対に、独りで住んでいた。思うところがあって、こうして住んでいるが、誰のせいでもなく物足りなく心細い時はあるが、
「自分はこれ程の身分で、どうして思いが叶わないことがあろうか」
と自負していたが、この夕べからもの思いに沈み、
「どんな機会を待って、またあの時の程度でもよい、わずかでも姫宮を見たい。ともかく身分が低く目立たない人なら、気軽に物忌、方違えなどで容易に移動できて、わずかな隙を見て機会を作ることもできるだろうが」
などと思いを晴らすすべなく、
「深窓にいる人に、どうやって、こんなに深く慕っていること者ががいると知らせようか」
と胸が晴れないので、小侍従の許に、例の、文を出した。
「先日、風に誘われて、御殿の垣根の中に入りましたが、姫宮はわたしを見下げたことでしょう。その夕べから、思い乱れてわけもなく、物思いに沈んでいます」
などと書いて、
(柏木)「遠くから見て、手折れぬ悲しみは深いけれど、
夕暮れに見た花の美しさは恋しく思います」
と書いてあったが、侍従はあの日の事情を知らず、普通の恋文と思った。
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34.96 女三の宮、柏木の手紙を見る やっと若菜上が終わります。長いですね。
御前に人しげからぬほどなれば、かの文を持て参りて、
「この人の、かくのみ、忘れぬものに、言問ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。心苦しげなるありさまも見たまへあまる心もや添ひはべらむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」
と、うち笑ひて聞こゆれば、
「いとうたてあることをも言ふかな」
と、何心もなげにのたまひて、文広げたるを御覧ず。
「見もせぬ」と言ひたるところを、あさましかりし御簾のつまを思し合はせらるるに、御面赤みて、大殿の、さばかりことのついでごとに、
「大将に見えたまふな。いはけなき御ありさまなんめれば、おのづからとりはづして、見たてまつるやうもありなむ」
と、戒めきこえたまふを思し出づるに、
「大将の、さることのありしと語りきこえたらむ時、いかにあはめたまはむ」
と、人の見たてまつりけむことをば思さで、まづ、憚りきこえたまふ心のうちぞ幼かりける。
常よりも御さしらへなければ、すさまじく、しひて聞こゆべきことにもあらねば、ひき忍びて、例の書く
一日は、つれなし顔をなむ。めざましうと許しきこえざりしを、『見ずもあらぬ』やいかに。あな、かけかけし
と、はやりかに走り書きて、
いまさらに色にな出でそ山桜
およばぬ枝に心かけきと

かひなきことを」
とあり。
御前にあまり人がいないのを見はからって、あの文を持ってきて、
「この人はこのように、忘れられない思いを、文にして言ってきたのも煩わしいが、あまりにお気の毒で、見るに見かねる気が起こるのではと、自分でも分りかねます」
と笑って、報告すると、
「まあ、嫌なことを言うのね」
と、何気ない様子で、小侍従が広げた文を見る。
「見もせぬ」と歌に詠んだところを、姫君は意外だった御簾の端の隙を思い出して、顔を赤らめ、源氏が、あれほど事毎に、
「夕霧に見られるな。あなたは子供っぽいところがあるから、自ずからうっかりして、見られることもあろう」
と戒められたのを思い出して、
「夕霧が、こんなことがありましたと、源氏の君に告げたら、どんなに叱られるだろう」
とばかり思って、柏木に姿を垣間見られたことは落ち度と思わないで、君を恐がる心のうちが幼かった。
いつものように指図がなかったので、小侍従は当てが外れて、どう返事を書くか聞くべくもなかったので、人目を忍んで、例によって返事を書く。
「先日は知らんぷりでしたね。失礼なこととお許ししませんでしたのに、「見ずもあらぬ」とは何事ですか。ほんとに嫌らしい」
とさらさら走り書きして、
(小侍従)「今さら顔に出しなさんな
手の届かない山桜の枝に心をかけたなどと
無駄なことです」
とあった。
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読書期間2020年3月2日 - 2020年4月22日