源氏物語  若菜上 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 34 若菜上
后の宮おはしましつるほどは  御母后ご在世中は、何事にも遠慮されて、今まで躊躇されていたが。弘徽殿の大后崩御のこと、ここにはじめて見える。
藤壺という宮は、先帝の源氏であった 先帝の御子の源氏でいらした方だが。「先帝」は桐壺のまきに見えた帝。「源氏は」。臣籍に下って源姓を賜った方。
春宮は 朱雀院の皇子。母は承香殿の女御。
女御にも 承香殿の女御。
女御の 藤壺の女御。
いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさざりつるを こんなにも いつまでもお悪い時ばかりというご病状ではいらっしゃらなかったのに。
この院の御こと、今の内裏の御こと 故桐壺院が臨終に際し、朱雀院に対して、源氏と冷泉帝のことを、依頼したこと。「この」は夕霧に向かって、その父のことを言うので出た言葉。
春宮などにも心を寄せきこえたまふ 春宮などにも心を寄せておられる。明石の姫君を春宮妃にさし上げた。のちの今上帝。
公けとなりて、こと限りありければ、うちうちの御心寄せは、変らずながら「公けとなりて」即位して。「こと限りありければ」何事も自由にふるまえないので。「うちうちの御心寄せは」わたし個人としての気持は、変わらないが。
過ぎはべりにけむ方は、ともかくも思うたまへ分きがたくはべり 過ぎ去りました昔のことは(幼少の折とて)わたしには分かりかねます。
年まかり入りはべりて 成人いたしましてから。「まかる」他の動詞の上に添えて謙譲表現とする言い方。
うちうちのさるべき物語親子同士の打ち解けた話し合いのなかでも。
いにしへのうれはしきことありてなむ 「昔つらいことがあってな」などと、(父源氏が)一言でも漏らすことはございません。
かく朝廷の御後見を仕うまつりさして このように政治の補佐を途中でご辞退して。政治にかかわらない太政大臣から、さらに准太上天皇になったことをいう。
御位におはしましし世には、齢のほども、身のうつはものも及ばず 朱雀院が帝の位におられた御代には、年も若く、器量も不足で。朱雀帝のときは源氏21歳~28歳。参議兼大将であった。
さすがに何となく所狭き身のよそほひにて そうは言っても何やら大層な身辺の有様で。准太上天皇として行装の威儀など。
このもてわづらはせたまふ姫宮の御後見に、これをやなど 今心を悩ませている三の宮の世話役(婿)に、これは(夕霧)はどうか。
はかばかしくもはべらぬ身には、寄るべもさぶらひがたくのみなむ わたしのような頼りにならぬ者には、妻になってくれる人もなかなかおりません。
うるはしだちて、はかばかしき方に見れば、いつくしくあざやかに 威儀を正して、公事に携わっているところを見ると。「はかばかしきかた」は、あとの「「たはぶれごと」に対し、しっかりしたこと、政治向きのこと。
それに、これはいとこよなく進みにためるは それ(源氏)に較べて、夕霧が早く昇進したのは。
次々の子の世のおぼえのまさるなめりかし 親から子へと段々に世の評価が上がっているからでしょう。
あやまりても、およすけまさりたるおぼえ 間違っても、父親よりも老成している、と言う評判。
見はやしたてまつり、かつはまた、片生ひならむことをば、見隠し教へきこえつべからむ人の、うしろやすからむに預けきこえばや 「見はやす」[見栄やす]見てもてはやす。はなやかにお世話し、同時に至らぬところは、見ないふりをして教えてくれる人で、頼りになる人に預けたい。
式部卿親王のむすめ 紫の上のこと。
その旧りせぬあだけこそは その変わらぬ浮気っぽさが大そう気になるのだ。「あだけ」浮気。浮ついたこと。
あまたの中にかかづらひて、めざましかるべき思ひはありとも、なほやがて親ざまに定めたるにて、さもや譲りおききこえまし いかにも、大勢の妻妾の間に仲間入りして、、不愉快な思いをすることがあっても、「めざまし」は、女三の宮よりも身分の低い婦人たちが源氏の寵を受けるのを、出すぎてけしからぬと思う気持ち。やはりそのまま親代わりということにしてそのままお預けしよう。「めざましい」②目の覚めるような思いがするほど、心外である。気に入らない。憎い。
今の世のやうとては、皆ほがらかに、あるべかしくて、世の中を御心と過ぐしたまひつべきもおはします 当世風としては、どなたもはっきり自分の考えを持ち、立派にお振る舞いになって、この世の中をご自分の考え通りに過ごす方もおいでのようですが。/ 今の世の中では、みなわだかまりなく、立派に処理して、夫婦仲を考え通りにお過ごしになられる方もいらっしゃるようですが.
おほかたの御心おきてに従ひきこえて、賢しき下人もなびきさぶらふこそ、頼りあることにはべらめ ご主人の大筋のご方針にお従い申して、よく気のつく下々の者もその考え通りに奉仕するのが。心丈夫なことでござましょう。
右衛門督うえもんのかみ 柏木のこと。
とてもかくても、人の心からなり いずれにしても当人の心がけ次第です。一夫多妻制の下での女の心構えを説く。
昔も、かうやうなる選びには、何事も人に異なるおぼえあるに、ことよりてこそありけれ。 昔も、このような(内親王の)婿選びには、万事につけ人にすぐれた声望のある者に落着したものだ。「ことよる」は物事がその方面に靡き寄る意。
ただひとへに、またなく持ちゐむ方ばかりを、かしこきことに思ひ定めむは、いと飽かず口惜しかるべきわざになむ ただ単純に、自分をただひとり大切にしてくれるという点ばかりをいいと思って夫を決めるのは、本当に物足りず残念というべきです。身分の低い男に、唯一人の妻としてかしずかれるのは、望ましいことではないという。言外に多くの妻妾を持とうとも、源氏がいいという気持ちがある。
太政大臣も 柏木の父。源氏の後を受けて太政大臣になった。若い頃は、頭の中将といった。
かの姉北の方して 朧月夜の姉君であるの(太政大臣の)北の方を通じて。四の君で、柏木の母。ミニ系図を載せた。
権中納言も 夕霧。
あやにくに、今さらに立ち返り、にはかに物をや思はせきこえむ あいにくなことに、今頃になって昔に戻り、女君をにわかに物思いをおさせさして、よいものだろうか。
ここにはまた、いくばく立ちおくれたてまつるべしとてか わたしとしてはまた、どれほど長く院の後を生き残れると思って、その親代わりのお世話をお引き受けできるか。
次第を過たぬにて、今しばしのほども残りとまる限りあらば 年の順を間違えぬとして、わたしが今しばし生き残る寿命があるのなら。
おほかたにつけては、いづれの皇女たちをも、よそに聞き放ちたてまつるべきにもあらねど 大体からいって、どの内親王のことも、他人扱いに放って置くはずもないが。
まして、ひとつに頼まれたてまつるべき筋に、むつび馴れきこえむことは ましてひたすら頼みにして頂くような者として、常にお親しみ申すことになっては。女三の宮の夫となることを言う。「ひとつに」→「ひとえに」
あながちにかく来し方行く先のたどりも深きなめりかしな むやみに、そんな風に先例を調べ、将来の例になることも深くお考えになるのだな。
ただ、内裏にこそたてまつりたまはめ 迷わず帝に差し上げればよかろう。
宮の権の亮 中宮職の権(ごん)の亮(すけ)で、朱雀院の殿上人としても奉仕している者を。「亮」は次官。
さしながら昔を今に伝ふれば玉の小櫛ぞ神さびにける さながら昔のままに今日まで持ち伝えてきましたので、玉の小櫛もすっかり古くなってしまいました。「さしながら」は挿すをかける。「玉の小櫛」は斎宮下向の折、帝が手ずから額に挿された黄楊(つげ)の櫛のこと。(新潮)
さしつぎに見るものにもが万世を黄楊の小櫛の神さぶるまで/// あなたに続いて姫君の幸運を見たいものです千秋万歳と教える黄楊の小櫛が古くなるまで(新潮)
よろしきほどの人の場合でも、今はとてさま変はるは悲しげなるわざなれば 並々の身分の者でも 出家の姿に変わるのは悲しく思われるものだが。
御賜ばりの御封などこそ、皆同じごと、下りゐの帝と等しく定まりたまへれど、まことの太上天皇の儀式にはうけばりたまはず。世のもてなし思ひきこえたるさまなどは、心ことなれど、ことさらに削ぎたまひて、例の、ことことしからぬ御車にたてまつりて准太上天皇としての源氏に賜る封戸(ふこ)。「御封」は、皇族、諸臣に賜る戸口。租の半分、庸調の全部が封主の所得になる。太上天皇に准じ、二千戸にしたことをいう。例によって、大げさにならぬ体のお車をお召しになって。「おりいの帝」太上天皇
公けとなりたまひ 春宮が即位して、帝となって、政治をいのままにしても。
女の御ためには、さまざま真の御後見とすべきものは、なほさるべき筋に契りを交はし、えさらぬことに、育みきこゆる御護りめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべるを何かにつけて本当のお世話役といえる者は、やはり夫婦の契りをし、当然の役目として、お世話申す庇護の者がおりますのが、先々も安心なことでござ生ます。「えさらぬ」は、避(さ)ることのできぬの意。
世をたもつ盛りの皇女にだに、人を選びて、さるさまのことをしたまへるたぐひ多かりけり 在位中の盛り帝の皇女にでもしかるべき人物を選んで、そういったことを(結婚させること)させる例は多かった。
たどり①たどること。探り求めながら郁子と。②物事の道筋を探り知ること。出典箇所・広辞苑
深き心にて後見きこえさせはべらむに、おはします御蔭に変りては思されじを(私がー源氏が)真心込めてお世話申し上げましたらの(姫君も)院が在俗中、お膝元にいらした時と変わったようには思し召されぬでしょうが。親代わりと思っていただけるでしょうが。
仕うまつりさすことやはべらむ途中でお仕えできなくなる。
浅香せんこう 懸盤かけばんに御鉢など「浅香」は香木の一種。沈(じん)の水に沈まぬのをいう。「懸盤」は、食器を載せる足つきの膳。「鉢」は出家者の食器。
なかなかいとど深さこそまさらめ、見定めたまはざらむほどかえって愛情が深まるだろうが、それがまだお分かりにならぬ間は、
しばし心に隔て残したることあらむもいぶせきを 一時的にせよ心に隠しごとのあるのは、気になってしかたないが、
いみじきことありとも、御ため、あるより変はることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ たとえどんなことがあっても、あなたに対して今までと変わることはないはずだから、宮を心よからず思わないでください。
かの御ためこそ、心苦しからめ。それもかたはならずもてなしてむ。誰も誰も、のどかにて過ぐしたまはばあの宮にとってお気の毒です。どちらの方々も大らかな気持ちで暮らしてくださったならば。
はかなき御すさびごとをだに、めざましきものに思して、心やすからぬ御心ざまなれば、「いかが思さむ」と思すに、いとつれなくて何でもない現時のお遊びでも、もってのほかのお思いになって、お腹立ちなさる紫の上のご性格なので。「いとつれなくて」全然気になさらぬ様子で。
あはれなる御譲りにこそはあなれ。ここには、いかなる心をおきたてまつるべきにか。めざましく、かくてなど、咎めらるまじくは、心やすくてもはべなむを、かの母女御の御方ざまにても、疎からず思し数まへてむや お気の毒なご依頼ですね。わたしなどが宮にどんな心よからぬ思いを抱くことがございましょう。目障りななど咎められない限り、心安くしておりますので、あの方の母女御にしても、近い関係ですので。
まことは、さだに思しゆるいて、われも 人も心得て、なだらかにもてなし過ぐしたまはば こちらも先方も(あなたも三宮の宮も)よく事情を理解して、事なきよう計らってくださるなら。
ありさまに従ふなむよき事の成り行きを見定めた上で、身を処するのがよい。
wagakokoronihabakari">わが心に憚りたまひ、いさむることに従ひたまふべき、おのがどちの心より起これる懸想にもあらず
をこがましく思ひむすぼほるるさま 「おもいむすぼる」〔思い結ぼる)思いが解けない。気がふさぐ「をこがましく」ばかげている、みっともない。みっともなく気がふさいだ様子を、見せない。
わが心に憚りたまひ、いさむることに従ひたまふべき、おのがどちの心より起これる懸想にもあらず 「わが心に憚りたまひ、いさむることに従ひたまふべき」この部分不明。(今度のことは)ご自身気がお咎めになったり、人のお諫めに従いなさるような、(←これが意味不明)好いた同士の心から生じた恋でもない。
式部卿宮の大北の方 紫の上の継母。
常にうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、あぢきなき大将の御ことにてさへ、あやしく恨み嫉みたまふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひ合はせたまはむ いつもわたしを呪うようなことを言い出して、どうにも仕方のない大将の結婚のことさえ、わたしを恨んだり妬んだりするので、このようなことを聞いて、報いがあったと思うだろう。おっとりした紫の上の性格でも、この程度の邪推をしないことがあろうか。「隈」は、人に見せぬ心の奥底。
今はさりともとのみ、わが身を思ひ上がり、うらなくて過ぐしける世の、人笑へならむことを、下には思ひ続けたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへりもう大丈夫、自分以上の寵愛を受ける人はあるまいと慢心し、安心しきって過ごしてきた身の上が、世間の物笑いになるだろうことを。
おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりの隈はなからむ 紫の上はおおらかな性格だが、どうしこのようなことを心の底で思わないことがあろうか。
正月二十三日、子の日なるに 正月子(ね)の日に若菜を摘み、人に贈る風習があった。羹(あつもの・吸物)にして食べ、不老長寿を願う。
左大将殿の北の方 玉鬘のこと。
ゆする坏、掻上の筥 泔杯(ゆするつき)(洗顔用の水を入れる器。掻上かかげの筥。結髪用の道具を入れる箱。
插頭かざしの台插頭かざしの花をのせる台。
若葉さす野辺の小松を引き連れてもとの岩根を祈る今日かな 若葉の萌えいずる野辺の小松ー幼い子供たちを引き連れて、育ててくださった親(元の岩根)の千歳を祈る今日なのでございます。
小松原末の齢に引かれてや野辺の若菜も年を摘むべき 小松原の生い先長い齢にひかれて、野辺の若葉(私)も長生きするのでしょうか。
式部卿宮は/紫の上の父。髭黒大将の元の北の方を引き取った。
籠物四十枝こものよそえだ折櫃物四十おりひずものよそじ 籠の中に五菓(柑子・橘・栗・柿・梨)を入れ木の枝につける。四十の祝いもの。折櫃物四十は、檜の曲げ物。肴などを入れる。
調べに従ひて、跡ある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすが掻きに、よろづの物の音調へられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く。 それぞれの調子に従って、楽譜が整っている弾き方や、決まった型のある中国伝来の曲なら、かえって習得する手立てもはっきりしているが、卿にまかせて無造作に合奏するすががきは、なかなかそうはいかない。
御けしきとりたまひて 源氏のお気持を汲まれて、源氏の気持を察して。
まことの親をばさるべき契りばかりに思ひきこえたまひて、ありがたくこまかなりし御心ばへを、年月に添へて、かく世に住み果てたまふにつけても、おろかならず思ひきこえたまひけり実の父の太政大臣はただの親子の縁と思うだけで、源氏の行き届いた細かな気遣いを、こうしてすっかり髭黒の北の方として落ち着かれるにしても、並々ならずありがたく思う。
対の上も 東の対に住むところから出た呼称。
また、さりとて、かの院に聞こし召さむことよ しかしそうかといって(女三の宮をおろそかにしたら)朱雀院には何とお聞きあそばされよう。
みづからの御心ながらだに、え定めたまふまじかなるを、ましてことわりも何も、いづこにとまるべきにかご自分のお心でさえ決めかねていらっしゃるようですのに、ましてはたの私など、無理かどうかを何で決められましょう。「とまる」は決着するの意。
目に近く移れば変はる世の中を行く末遠く頼みけるか 眼のあたりに変われば変わる二人の仲でしたのに行く末長くとあてにしていましたとは( 渋谷/ 眼のあたり、変われば変わる私たちの仲でしたのに、末永くとあてにしていました(新潮)
命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき世の常ならぬ仲の契りをむはかない人の命こそ絶えることもあろうが、その無常の世に、いつまでも変わらぬ二人の仲なのに。
年ごろ、さもやあらむと思ひしことどもも、今はとのみもて離れたまひつつ長い間には、こんなことになりはせぬかと思ったいろいろなことを、そんな女君との仲を次第に絶って。朝顔の斎院について危ぶんだ。
さらばかくにこそはとうちとけゆく末に これで大丈夫と気を許すようになったいまごろになって。
思ひ定むべき世のありさまにもあらざりければ 安心できるような夫婦の仲でもなかったのだから。
今より後もうしろめたくぞ思しなりぬるこれから先もなにが起きるか心配だ、と思うようになった。
さこそつれなく紛らはしたまへど 紫の上は何でもないことのようによそおっているけれど。
あまたものしたまふやうなれど、いづ方も、皆こなたの御けはひにはかたさり憚るさまにて過ぐしたまへばこそ大勢の女君がいらっしゃるが、どなたもみなこちらのご威勢に一歩譲り遠慮なさるように暮らしていればこそ無事で穏やかに過ごせていた。
おしたちてかばかりなるありさまに、消たれてもえ過ぐしたまふまじ(女三の宮の』誰はばからぬやり方に、負けたままで終わることはできますまい。
また、さりとて、はかなきことにつけても、安からぬことのあらむ折々、かならずわづらはしきことども出で来なむかしそうかといって、些細なことについても、(女三の宮との間で)穏やかならぬこと起ったら、面倒なことが持ち上がるでしょう。
かく、これかれあまたものしたまふめれど、御心にかなひて、今めかしくすぐれたる際にもあらずと、目馴れてさうざうしく思したりつるにこんな風にたくさん女房たちがいらっしゃるが、源氏の心に叶って、若くて身分が高いといえなくても、目馴れてしまって、物足りないと思っているなかで、「そうぞうし」物足りない。
異御方々ことおんかたがた 六条院に住むほかの女君たち。花散里、明石の上。
おもむけつつ、とぶらひきこえたまふもあるを水を向けては、お慰め申すかたもあのを。
かく推し量る人こそ、なかなか苦しけれ。世の中もいと常なきものを、などてかさのみは思ひ悩まむ こんな想像をしてくれる人こそかえって厄介なこと、この世もまことに無常なものなのに、なぜそう執着することがあろう。
闇はあやなし 「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる」(『古今集』巻一春上、凡河内躬恒)春の夜の闇は、仕方のないものだ、梅の花ばかリは隠して見えないが、香は隠れはしないものだ。/「やは」反語 隠れない。
異なることなの御返りや そっけない返事だな。
女君も、「思ひやりなき御心かな」と、苦しがりたまふ 紫の上も、察しのない方だな、迷惑がる。紫の上が引き留めているのではないか、誤解される立場にあることを察してほしいと思う。
今朝は、例のやうに大殿籠もり起きさせたまひて 五日目の朝である。源氏はいつものように、紫の上のところで目覚めて、
その日は暮らしたまひつれば 新婚四日目。
中道を隔つるほどはなけれども心乱るる今朝のあは雪わたしたちの仲を邪魔するほどではないけれど今朝の淡雪に思い乱れております。
あはあはしきやうならむは、人のほどかたじけなし 軽々しくすぐ人に見せたりしたら、ご身分からして恐れ多い。
はかなくてうはの空にぞ消えぬべき風にただよふ春のあは雪 おいでにならないので、頼るものとてない私は空の途中で消えてしまいそうです。風に漂う春の淡雪のように。乳母たちの代作であろう。
異人ことひとの上ならば、「さこそあれ」などは、忍びて聞こえたまふべけれど、いとほしくて(源氏は)ほかの人が書いたものなら、こんなに下手だなど(紫の上に)こっそりもうされようが、お気の毒で。
昔の心ならましかば、うたて心劣りせましを、今は、世の中を皆さまざまに思ひなだらめて 昔の自分だったら、(こんな女三の宮を見て)嫌になってがっかりするだろうに、今は世の中は十人十色と見ていろいろな人がいる。
とあるもかかるも、際離るることは難きものなりけり。あれやこれやといろいろな女がいるが、とびぬけて立派なのはいないものだ。
とりどりにこそ多うはありけれ、よその思ひは、いとあらまほしきほどなりかしそれぞれ色々な特色ある女がいるものだ。はたから見れば、女三の宮も申し分ない。身分の点で正室としてふさわしい、と思い直す。
差し並び目離れず見たてまつりたまへる年ごろよりも/二人一緒にいつも離れずに暮らしていた今までよりも。
一夜ひとよのほど、朝の間も/一夜の隔ても、よそで明かした朝も
背きにしこの世に残る心こそ入る山路のほだしなりけれ いったん背いたこの世に残る、子を思う心こそ、山に入ろうとする私の妨げです。
背く世のうしろめたくはさりがたき
ほだしをしひてかけな離れそ
 お捨てになったこの世が心配でしたら、離れがたいお方を無理にお振り捨てなさいますな。/
御手などのいとめでたきを 紫の上、朧月夜の尚侍、前朝顔の斎院、の三人が書の名手であることが言われている(梅枝)
尚侍ないしのかみの君は、故后の宮のおはしましし二条の宮にぞ住みたまふ 尚侍は朧月夜。故大后は、弘徽殿の大后、死んだことはこの巻冒頭に触れられていた。もとの右大臣(弘徽殿の大后や朧月夜の父)邸。大后の御所であったので、宮という。
かかるきほひには、慕ふやうに心あわたたしく 私に負けじとばかり尼になるのは、後を追うように気ぜわしいから(お止めなさい)と院から忠告があった。
中納言の君 朧月夜の女房。
かの人の兄なる和泉の前の守 中納言の君の兄の和泉前司。
昔よりつらき御心を、ここら思ひつめつる年ごろの果てに、あはれに悲しき御ことをさし置きて 前からつれない源氏のお心を、ずいぶんと味わってきた今になって、心にしみて悲しい朱雀院の出家を差し置いて。右大臣がかって源氏を婿にしようとしたとき、すげない態度だったことなどを思いだす。
いにしへ、わりなかりし世にだに、心交はしたまはぬことにもあらざりしを 昔、無理な逢瀬に苦労していた時でさえ、心を交わしたことがあるではないか。
げに、背きたまひぬる御ためうしろめたきやうにはあれどいかにも出家された朱雀院には、不実のようであるが。
あらざりしことにもあらねば、今しもけざやかにきよまはりて昔なかったことでもないのだから、今になってきっぱり潔白にしたところで。
東の院にものする常陸の君 末摘花。二条の東の院に引き取られている。
寝殿へも渡りたまはで三の宮の所。
あやしく。いかやうに聞こえたるにか おかしいこと。(和泉の守が)何とお伝えしたのか。前に、「なほさらにあるまじきよしをのみ聞こゆ」とあった。
をかしやかにて帰したてまつらむに、いと便なうはべらむ 色めいたおあしらいでお帰し申すのは、具合が悪うございましょう。色事の相手のように、対面をことわってお帰し申すわけにはゆくまい、の意。
さればよ。なほ、気近さは案の定だ、やはりすぐに靡くところは昔のままだ。
さも移りゆく世かな 今、朧月夜は、二条院に住んでいる。権力をふるった故弘徽殿女御が住んでいた往時と比べての感慨である。
年月をなかに隔てて逢坂のさも塞きがたく落つる涙か 長い年月を隔ててやっと逢うのに、これでは堰き止めがたく涙がおちることです。/ 長の年月を隔ててやっとお逢いできたのにこのような関があっては堰き止めがたく涙が落ちます(渋谷)
涙のみ塞きとめがたき清水にてゆき逢ふ道ははやく絶えにき わたしも涙が堰き止めがたく流れますが、逢う道はもはや途絶えました。(新潮)/ 涙だけは関の清水のように堰き止めがたくあふれてもお逢いする道はとっくに絶え果てました(渋谷)
誰れにより、多うはさるいみじきこともありし世の騷ぎぞは 誰のせいであんなに大変なこもあった世間の騒ぎだったのか、と思い出されるにつけても。大体が私のせいだったのだ。
げに、今一たびの対面はありもすべかりけり 本当に今一度だけお目にかかってもいいことなのだ。「げに」は源氏の懇願をうけたもの。
もとよりづしやかなるところはおはせざりし人の 元来重々しいところはおありでなかった方が。「ずしやか」慎み深く、重々しいさま。
いといたく過ぐしたまひにたれど 大そう自重して暮らしてきたが。
なほ、らうらうじく、若うなつかしくて 昔に変わらず洗練された物越しで、若々しく愛嬌があって。「ろうろうじ」[労労じ]①物に巧みである。物に馴れている。②行き届いている。細やかである。
さる方にても、などか見たてまつり過ぐしたまはざらむ (朧月夜は)どうして(源氏を)婿君としてご一緒にお過ごしにならないのだろう。中納言の君の思い。「さる方にても」「さる方」は源氏との結婚を仮想。????
御身、心にえまかせたまふまじくご身分柄、心にまかせたお振舞いもかなわぬところへ。
沈みしも忘れぬものをこりずまに身も投げつべき宿の藤波/あなたゆえに、須磨の浦に身を沈めて暮らしたことも忘れないのに、また懲りもせずこの家に身を投げてしまいそうだ。藤(淵)をかける。(新潮)/ この藤の花よ。どうしてこのように美しく染め出して咲いているのか。やはり、何とも言えない風情のある色あいだな。どうして、この花蔭を離れることができようか(渋谷)
身を投げむ淵もまことの淵ならでかけじやさらにこりずまの波身を投げようとおっしゃる淵も本当の淵ではありませんから、そんな偽りの淵の波に、性懲りもなく袖を濡らすまい(かかわりあうまい)。/ 身を投げようとおっしゃる淵も本当の淵ではないのですから性懲りもなくそんな偽りの波に誘われたりしません(渋谷)
いと若やかなる御振る舞ひを、心ながらもゆるさぬことに思しながら 若々しいお忍びの逢瀬を、源氏自身もけしからぬことだとは思いながら。
関守の固からぬたゆみにや、いとよく語らひおきて出でたまふ 関守の監視もきびしくないのに気を許してか、またの逢瀬を約束しておいてお帰りになる。
はつかにてやみにし御仲らひには、いかでかはあはれも少なからむ わずかばかりで、途絶えてしまったお二人の仲だから、どうして恋の思いがつのらぬことがあろうか。
なかなかうちふすべなどしたまへらむよりも かえってやきもちをやいたりするよりも。
隔てあるべくも、ならはしきこえぬを、思はずにこそなりにける御心なれ 他人行儀に、思うこともおっしゃらないふうには、今までお仕向してこなかったのに。
よろづに御心とりたまふほどに、何ごともえ残したまはずなりぬめり 何やかやとご機嫌をとっているうちに、すっかり白状してしまわれたご様子である。
わづらはしうなど見えたまふけしきならば、そなたもまして心苦しかるべきを、おいらかにうつくしきもて遊びぐさに思ひきこえたまへり(女三の宮が)面倒な方と思われるようなことであれば。嫉妬などして正夫人として重んじるよう求める人だったら。
桐壺の御方は 明石の女御(娘?)。桐壷を御殿に賜った。「この御方は、昔の御宿直所、淑景舎(しげいき)を改めしつらひて、・・・」明石の姫君の部屋は、昔の源氏の宿舎である淑景舎(桐壺)である。女御は位の名称である。年齢ではない。明石の女御は当年十二歳。
めづらしきさまの御心地にぞありける おめでたのための不快であった。悪阻。
 対の上、こなたに渡りて対面したまふついでに「対の上」紫の上。「こなたに渡りて」明石の女御方。
隔て置きてなもてなしたまひそ 他人行儀なおあしらいはなさいますな。
我より上の人やはあるべき。身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ 私より上の人があろうか、あの当時の境遇の頼りない様子を、(源氏に)知られ申していただけのことなのだ。(源氏との結婚も、家同士の正式な婿取りではなかった)/ 自分より上の人があるだろうか。わが身の頼りない身の上を、見出され申しただけのことなのだわ。
宮、女御の君などの御さまども 女三の宮14、5歳。明石の女御12歳。
いとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書きたまへり 特別に上手とも見えないが、巧みに美しく書いている。
身に近く秋や来ぬらむ見るままに青葉の山も移ろひにけり 身近に秋がきたのかしら、青葉の山も色が変わってしまった。私も飽かれる時が来るのでしょうか。(新潮)/身近に秋が来たのかしら、見ているうちに青葉の山のあなたも心の色が変わってきたことです(渋谷)
水鳥の青羽は色も変はらぬを萩の下こそけしきことなれ 水鳥の青い羽根の色は変わりませんのにー私の心は変わらぬものをー萩の下葉こそ、色変わりします。(新潮)/ 水鳥の青い羽のわたしの心の色は変わらないのに萩の下葉のあなたの様子は変わっています(渋谷)
ことに触れて、心苦しき御けしきの、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、ことなく消ちたまへるもありがたくあはれに思さる (紫の上は)何かにつけておいたわしいご様子が、隠していても自然に見えるのを、何でもない風に慎み深く振舞っていつのも、ありがたい。
春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり 「春宮の御方」春宮の女御。明石の姫君のこと。「この御方」紫の上。
いと幼げにのみ見えたまへば、心安くて、おとなおとなしく親めきたるさまに(女三の宮は)ただもう無邪気なご様子なので、(紫の上は)気が張らず年配の者らしくまるで母親のように、
昔の御筋をも尋ねきこえたまふ 親たちの血筋のつながりなどもお話申し上げなさる。「尋ぬ」は、辿り求めること。女三の宮の母は、藤壺中宮の異母妹。
中納言の乳母 女三の宮の乳母。桐壺帝の妃が藤壺中宮。
同じかざしを尋ねきこゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえさすれど、ついでなくてはべりつるを、今よりは疎からず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき< 同じ血筋のつながりを辿ってゆきますれば、恐れ多いことながら、切っても切れぬご縁とは申すものの、ご挨拶の機会もなく失礼しておりましたが、お心おきなく、あちら(東の対)にもお越しいただいて、行き届かぬ点はご注意などしてくださいましたらうれしゅうございます。/「紫のゆかり」という言葉について三谷邦明氏は次のように述べている。「ゆかりは血縁関係にあるこ とを意味し、いわば換喩関係にあることです。たとえば、藤壷のゆかりとして紫上が登場してくるのです が、二人は叔母・姪の関係にあるのです。なお、桐壷更衣と藤壷とは血縁関係ではなく形代にすぎないの ですが、桐壷更衣・藤壷・紫上のことを「紫のゆかり」といいます。桐や藤の花は紫ですし、紫という草 の花は白ですが根を染料にして紫色に染めるからです。(『入門 源氏物語』ちくま文庫)
頼もしき御蔭どもに、さまざまに後れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける頼みとする人々にそれぞれにお別れして、心細くしているので、このようなねんごろなお言葉をいただきますと、これ以上のことはありません。女三の宮の母は早く死別し、父院は出家した。 ////
いとかたじけなかりし御消息の後は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ身なむ口惜しかりける もったいないお便りを、院よりいただいてからは、どうかしてお力になりたいと思っておりますが、何分人数に入らぬわが身が残念に思います。
今すこし深き御心ざし、かくてしも勝るさまなるを 一段と深い愛情が、女三の宮を迎えてかえって勝る様子なのを、
最勝王経さいしょうおうきょう金剛般若こんごうはんにゃ寿命経じゅみょうきょう 金光明最勝王経こんこうみょうさいしょうおうきょう(鎮護国家を祈願する)金剛般若波羅密多経こんごうはんにゃはらみたきょう(仏道修行によって悟りを開くことを説く)一切如来金剛寿命陀羅尼経いっさいこんごうはんにゃはらみたきょう(読経すれば三悪道に落ちず寿命を増す)など。国家の安泰と、源氏の現世の無病息災、来世の至福まで祈願する。
わが御私の殿と思す二条の院にて 二条院は紫の上の所有になっていること、ここが初出。
屯食八十具屯食(とんじき)強飯(こわいい)を卵型に握ったもの。下人に与える。
何ごとにつけてかは心ざしも見えたてまつりけむ 一体何によってお尽くししたいと思う気持ちも分かっていただけたことだろう。
この院の御ことをだに、例の跡をあるさまのかしこまりを尽くしてもえ見せたてまつらぬを せめてこの院(父源氏のこと)の御ことだけでも、人並みにきまった父子の礼を尽くしてご覧に入れることもできないのを、
奈良の京の七大寺 東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺。お布施に布(麻、苧(からむし////
)など植物繊維で織ったもの)四千反、四十の賀にちなむ数字。一反は着物一着分に要する布地。一疋は反物二反分。
大饗だいきょう 正月二日、群臣が東 宮、中宮に参賀拝礼するのに対し、饗膳を賜ること。玉鬘のときは、賜禄はなく、紫の上のときは楽人の禄のみであった。
思し初めてしことどもを、むげにやはとて、中納言にぞつけさせたまひてける お思いたちになったいろいろなことをむげに止められようかと思われて、夕霧にご委嘱された。
にはかになさせたまひつ にわかに、右大将に任命した。
いちはやき心地しはべる 勢いに乗りすぎる気持ちがいたします。
丑寅の町 六条院の東北の町。花散里が住んでいる。夕霧は花散里を義母とする。
大将の、ただ一所ひとところおはするを、さうざうしく栄なき心地せしかど 夕霧がご子息としては、ただ一人しかいらっしゃらないのを、物足りなく張り合いのない感じがしたが。
こなたの上なむしたまひける こちら(東北の町)の夫人。花散里のこと。
桐壺の御方近づきたまひぬるにより/ 桐壷の御方(明石の女御)のお産が近づいたので。
いとあまりおほどきたまへるけにこそは。あやしくおぼおぼしかりけることなりや< 「おおどく」おおようである。おどく(のんびりする)/  女御があまりおっとりしていらっしゃるせいだろう。変に頼りない話ですこと。草子地。
日中の御加持に 一日を六時(晨朝じんちょう日中にっちゅう日没にちもつ初夜そや中夜ちゅうや後夜ごや)に分けて行う加持の一つ。
 
所得ところえいい気になって、満足して。得意そうに。
口惜しく思し捨つべきにはあらねど、いといとほしく心劣りしたまふらむ (実情をお知りになったから言って)むざむざと自信をおなくしになるほどのことではないが。
老の波かひある浦に立ち出でてしほたるる海人を誰れかとがめむ 年寄った私が、生きがいが、生きがいのある身になってうれし泣きするのを、誰が咎めることができましょう(新潮)/長生きした甲斐があると嬉し涙に泣いているからと言って誰が出家した老人のわたしを咎めたりしましょうか(渋谷)
しほたるる海人を波路のしるべにて尋ねも見ばや浜の苫屋を 泣きぬれていらっしゃる尼君を道案内に明石の家を尋ねてみたいです(新潮)/ 泣いていらっしゃる尼君に道案内しいただいて訪ねてみたいものです、生まれ故郷の浜辺を(渋谷)
世を捨てて明石の浦に住む人も心の闇ははるけしもせじ 俗世を捨てて、明石の浦に住んでいる入道も、子を思うゆえの闇は、晴らせないでいるしょう。(新潮)「人の親の心は闇にあらねども子を思う道に惑いぬるかな」(『後撰集』巻十五雑一藤原兼輔)/ 出家して明石の浦に住んでいる父入道も子を思う心の闇は晴れることもないでしょう(渋谷)
こなたは隠れの方にて、ただ気近きほどなるに、いかめしき御産養うぶやしないなどのうちしきり こちら(女御が」今いる西北の町)は、裏側に当たっていて、ひどく人気近いところなのに。建物が奥深くないことをいう。盛大な産養が次々と行われ。「産養うぶやしない産養」は、産後の三日、五日、七日、九日の夜に親戚縁者が産婦と子供に食物や意識を贈って祝うこと。
響きよそほしきありさま、げに「かひある浦」と、尼君のためには見えたれど、儀式なきやうなれば、渡りたまひなむとす 「響きよそほしきありさま」賑わいもものものしい有様は。いかにも「かひある浦」生きがいのある所と、尼君には見えたが、威儀も整わないようなので、表立たず、手狭だからである。(女御は)もとの御殿(南の町の寝殿)にお帰りになることになった。
すこしかたほならば、いとほしからましを、あさましく気高く、げに、かかる契りことにものしたまひける人かな (明石の上が)少しでも欠けたところがあれば、(女御にとって)不都合なことであったであろうに、明石の上は驚くほど気高く、これ程の特別の運を持っている人なのだ。
まほならねど、見え交はしたまひて、さばかり許しなく思したりしかど 紫の上は、改まった形でというわけではないが、こうして時々機会があって対面なさってからは、あれほど許せないと思っていらしたのだが。紫の上が明石の上に嫉妬していた。
思ひとぢめて [思ひ閉じる]思い切る。あきらめる。
九品の上 「九品くほん」は極楽浄土の九段階。上生、中生、下生に分ける。「十方仏土の中には西方を以て望みとす、九品蓮台の間には下品といふとも足んぬべし」(『和漢朗詠集』下仏事、慶滋保胤)
光出でむ暁近くなりにけり今ぞ見し世の夢語りする 皇子が即位される時も近くなりましたので、今初めて昔見た夢のお話をするのです。
なほ薪尽きける夜の惑ひは深かりけるを やはり、釈迦入滅後の夜の悲しみは深かったのだから。『法華経』序品に、釈迦入滅を、「仏、此の夜滅度したまふこと、薪尽きて火の滅するが如し」と述べ、同じく序品に、「世尊の諸子等、仏、涅槃に入りたまはむと聞きて、各々に悲悩を懐く」と記す。
御方は、南の御殿におはするを 「御方」明石の上。「南の御殿」明石の女御の御殿。
重々しく身をもてなして、おぼろけならでは、通ひあひたまふこともかたきを (今は若宮の祖母なので)重々しく振舞って、さしたることでなければ、(尼君と)行き来してお会いすることもむつかしいのだが。「おぼろけならでは」(おぼろげならず)いい加減ではない。通りいっぺんではない。「さしたること」〔打消の語を伴って〕さほどの。たいした。 「さしたる事なくて、人のがり行くは」[訳] たいした用件がないのに、他人の家に行くのは。
さらば、ひが心にて、わが身をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、中ごろ思ひただよはれしことは それでは、偏屈なお考えで、私をとんでもない身の上にして、うろうろさせるなさると。「あくがる」本来いるべき場所を離れて浮き出す。そわそわする。途中で一時気持ちが迷ったこともあったが。
 君の御徳には 「あなた(明石の君)のおかげで、うれしくも晴れがましいことも。
おぼつかなく悲しきことのうち添ひて絶えぬを 入道の身を案じて悲しい思いが付きまとって絶えませんで、
世に経し時だに 宮仕えをしていた時でも、
よろづのこと、さるべき人の御ためとこそおぼえはべれ 何もかも、そうした宿縁がおありだった方(父入道)がいらしたからはじめて意味のあることと思われる。
宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば 春宮から、女御に早く参内するよう旨が終始あるので、
御息所は 明石の女御。皇子、皇女を産んだ女御、更衣。の呼称。
ほどなき御身に 年もゆかないお身体で。
かく、ためらひがたくおはするほど、つくろひたまひてこそは こんなにまだおやつれになったままなのですから、もう少し養生なさった上で。「ためらふ」病勢などを静めること。
何ごとをも御心と思し数まへざらむこなた (女御が)何事もご自分の判断でおできになる前に。「数まふ」数のなかに入れる。人並みに扱う。
もとより、御身に添ひきこえさせむにつけても、つつましき身のほどにはべれば、譲りきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなむ< もともと私は御前にお付き添い申すにつけても。控えた方がよい身分ですから、早くからお任せ申し上げたのですが、とてもこうまで、親身にしてくださるまいと、長年世間並みに考えてきました。世間によくある継母並みに。
まして男は、限りなしと聞こえさすれど、心やすくおぼえたまふを。戯れにても、かやうに隔てがましきこと、なさかしがり聞こえさせたまひそまして男御子なら、どれほど尊い身分でもかまわないと存じ上げていますのに。このように分け隔てをするようなことを、知った風に申されますな。「心やすく」気楽に。「おぼえたまふ」思われなさる。 
いかに行なひまして住みたまひにたらむ。命長くて、ここらの年ごろ勤むる罪も、こよなからむかし(入道は)どんなに修行を積まれたお暮しであることだろう。長生きしたおかげで、多年勤めてきたきた修行によって消滅した罪障も数知れぬことだろう。
世の中に、よしあり、賢しき方々の、人とて見るにも、この世に染みたるほどの濁り深きにやあらむ、賢き方こそあれ、いと限りありつつ及ばざりけりや 世間でたしなみがあるとか学があるとか、それぞれ名僧高僧といわれる人というので、気を付けて見るにつけても、才知という点では優れているが、ただそれだけのことで、入道には及ばないのではないか。
さもいたり深く、さすがに、けしきありし人のありさまかな(入道は)いかにも悟り深く、それでいて物の情けも分かった人でね。
聖だち、この世離れ顔にもあらぬものから、下の心は、皆あらぬ世に通ひ住みにたるとこそ、見えしか 聖僧ぶって俗世を捨てきったというふうでもないものの、本心は、この世ならぬ世界に、自在に行き来して暮らしてと思われる。「この世ならぬ」極楽浄土。
なほほれぼれしからず まだ耄碌していない。「ほれぼれし」ぼんやりしてるさま。放心した様。
ただこの世経る方の心おきてこそ少なかりけれ ただ処世の術だけがまずかったのだ。
横さまに、いみじき目を見、ただよひしも、この人一人のためにこそありけれ 無実の罪でひどい目にあい、須磨や明石に流浪したのも、入道一人の祈願成就のためであったのだった。
これは、また具してたてまつるべきものはべり/  この願文は、他にも一緒にして差し上げるべきものがございます。源氏自身の願文のこと。
あなたの御心ばへ あちらの(紫の上)のご厚志を。
もとよりさるべき仲、えさらぬ睦びよりも、横さまの人のなげのあはれをもかけ、一言の心寄せあるは、おぼろけのことにもあらず もともとしたしかるべき夫婦の仲や、切っても切れぬ親子兄弟の親しみよりも、他人がかりそめの情けをかけてくれたり、一言の好意でも寄せてくれるのは並々のことではありません。
まして、ここになどさぶらひ馴れたまふを見る見るも まして、実の母の明石の上があなたの側に終始付き添っているのを見ながら。
いにしへの世のたとへにも、さこそはうはべには育みけれと、らうらうじきたどりあらむも、賢きやうなれど、なほあやまりても、わがため下の心ゆがみたらむ人を、さも思ひ寄らず、うらなからむためは、引き返しあはれに、いかでかかるにはと、罪得がましきにも、思ひ直ることもあるべし 昔からの世間の言い草でも、(継母というものは)いかにも表面だけかわいがっているふうをするものだと、継子が知ったふうに気をまわすのも利口なようですが、たとえ間違っても、自分に対して内心邪険な人(継母)のことを、そうは受け取らず素直に接したならば、(継母も)思い返して可愛く思い、どうしてこんなやさしい子に(ひどいことをしたのだろう)と、罰が当たりそうな気がするにつけても、(継母が)改心することもありましょう。継子が誠意をもって尽くせば、継子いじめもなくなるだろうの大意。(新潮)/昔の世の例にも、いかにも表面だけはかわいがっているようだがと、賢そうに推量するのも、利口なようだが、やはり間違っても、自分にとって内心悪意を抱いているような継母を、そうとは思わず、素直に慕っていったならば、思い返してかわいがり、どうしてこんなかわいい子にはと、罰が当たることだと、改心することもきっとあるでしょう。(渋谷)
おぼろけの昔の世のあだならぬ人は、違ふ節々あれど、ひとりひとり罪なき時には、おのづからもてなす例どもあるべかめり 昔の、並々ならず実のある人は、いろいろ行き違いがあっても、(継母か継子の)どちらか一人に欠点のない時には、自然仲良くなる例はいくらもあるようです。
この対をのみなむ 紫の上だけだ。
よしとて、またあまりひたたけて頼もしげなきも、いと口惜しや いくら人柄がよいといっても、またあまり締まりがなく頼りないのも、残念なものです。
やむごとなきだに、思すさまにもあらざめる世に ご身分の高い方でも、お思い通りにはゆかないらしいご夫婦の仲だのに、
福地の園に種まきて 『異本紫明抄』『河海抄』に、「耶輸陀羅が福地の園に種まきてあはむかならず有為の都に」(出典不詳)をあげる。「耶輸陀羅」は、釈迦が大子の時の妃。「福地の園」は福徳の生ずるところ、極楽の意。入道の手紙に、「明らかなるところにて、また対面はありけむ」とあったのに照応するもの。
をさをさけざやかにもの深くは見えず 実際はそう大して際立って奥ゆかしい方とも思われず。「けざやかに」際立っている。はっきりしている。
いはけたる遊び戯れに心入れたる童女のありさまなど ただ一日中、子供じみた遊びや戯れに熱中している女の童の有様。女三の宮の好むことを童女がする。
いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ人なり しっかりしていて、人にすぐれた才覚などは、おありにならない方である。紫の上との比較で。「ろうろうじ」①物に巧みである。物に馴れている。②行き届いている。細やかである。
おだしきものに、今はと目馴るるに、心ゆるびて、なほかくさまざまに、集ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを (昔はだいぶ気をもんだが)もう安心だ、今は大丈夫と、毎日見馴れているために気が弛んで、やはり、このようないろいろと集まっていらっしゃる(六条院の)ご婦人方が、それぞれのごりっぱなので。「おだしきもの」落ち着いている。穏やかである。
心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は、人の御ほどを思ふにも、限りなく心ことなる御ほどに、取り分きたる御けしきしもあらず、人目の飾りばかりにこそ 内心ひそかに関心を捨てきれずにいるのだが、まして、この宮はご身分からして、この上なく格別のご身分なのに、源氏はとりたてて志が深いようでもなく、世間の手前を飾っているだけのことで、
さるものは思はせたてまつらざらまし。げに、たぐひなき御身にこそ、あたらざらめ (自分なら宮に)そんな物思いはおさせ申さないだろう。なるほど、類まれな高貴の御身にはふさわしくないだろうけれどと。
乳主ちぬし 小侍従という女三の宮の御乳母子(めのとご)。女三の宮の乳姉妹(ちきょうだい)。
寝殿の東面、桐壺は若宮具したてまつりて、参りたまひにしころなれば 六条の院南の町の寝殿の東側。明石の女御の御殿。西面は、女三の宮の部屋。明石の女御は若宮を連れて春宮へ行っているので。
いと労ある心ばへども見えて、数多くなりゆくに、上臈も乱れて、冠の額すこしくつろぎたり よく稽古を積んだ技の数々も披露されて、回数が増えてゆくにつれ、身分の高い方々も無礼講となり、冠の額際も少し弛んできた。
ことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾のつま、透影など、春の手向けの幣袋にやとおぼゆ 格別慎み深くするでもない女房たちがいる様子で。女房たちが御簾の側に寄り集まっている様子。「透影」は、物の隙間から見える姿。
人気近く世づきてぞ見ゆるにすぐ端近くに女房がおり、世間ずれしているように思われるところに、
よろづの罪をもをさをさたどられず 女三の宮のいろいろな欠点もなかなか気づかず。
はかばかしき方にはぬるくはべる家の風の、さしも吹き伝へはべらむに、後の世のため、異なることなくこそはべりぬべけれ しかとした方面では(政務にかけては)劣っている我が家の家風が、鞠などの方に伝わりましたところで、子孫にとって大したことではございますまい。
かかる人にならひて、いかばかりのことにか心を移す人はものしたまはむ。何ごとにつけてか、あはれと見ゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき こんな立派な方を見馴れていて、どれほどのことに心を移す人がおられよう、どういうことで、せめてかわいそうにと大目に見て下さるほどにでもお心を動かすことができようか。
ありがたきわざなりや 考えられないことですね。
いかなれば花に木づたふ鴬の桜をわきてねぐらとはせぬ どうして花から花へと訪れる鶯が、桜をとりわけてねぐらにしないのでしょうか。
いで、あなあぢきなのもの扱ひや、さればよ いや、なんともおもしろくないおせっかいだ。「さればよ」やっぱり思った通りだ。前に「心知りに、あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやアラムと思ひたまふ」とあったのに照応する。
深山木にねぐら定むるはこ鳥もいかでか花の色に飽くべき 奥山の木に巣を作っているはこ鳥も、どうして美しい花の色をいやになったりしよう。
常よりも御さしらへなければ、すさまじく、しひて聞こゆべきことにもあらねば、ひき忍びて、例の書く いつもよりもとかくの返事がないので、小侍従は当てがはずれて、別に無理に返事をお願いすべきことでもないので、いつものようにご返事を書く。「さしらえ」は「さしいらえ」(指し応え?)の略。「すさまじ」あてがはずれる。
一日は、つれなし顔をなむ。めざましうと許しきこえざりしを、『見ずもあらぬ』やいかに。あな、かけかけし 先日は、何食わぬふりをしてお出になりましたね。失礼なこととお許し申しませんでしたのに。「見ずもあらぬ」だなんて何事ですか。ほんとに、いやらしい。「かけかけし」は、色めかしい。
いまさらに色にな出でそ山桜およばぬ枝に心かけきと 今さらお顔の色にもお出しなさいますな、手の届きそうもない山桜の枝に心をかけたなどと(新潮)
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公開日2019年4月22日