源氏物語 40 御法 みのり

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原文 現代文
40.1 紫の上、出家を願うが許されず
紫の上、いたうわづらひたまひし御心地の後、いと篤しくなりたまひて、そこはかとなく悩みわたりたまふこと久しくなりぬ。
いとおどろおどろしうはあらねど、年月重なれば、頼もしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、院の思ほし嘆くこと、限りなし。しばしにても後れきこえたまはむことをば、いみじかるべく思し、みづからの御心地には、この世に飽かぬことなく、うしろめたきほだしだにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命とも思されぬを、年ごろの御契りかけ離れ、思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ、人知れぬ御心のうちにも、ものあはれに思されける。後の世のためにと、尊きことどもを多くせさせたまひつつ、「いかでなほ本意あるさまになりて、しばしもかかづらはむ命のほどは、行ひを紛れなく」と、たゆみなく思しのたまへど、さらに許しきこえたまはず。
さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば、かくねむごろに思ひたまへるついでにもよほされて、同じ道にも入りなむと思せど、一度、家を出でたまひなば、仮にもこの世を顧みむとは思しおきてず、後の世には、同じ蓮の座をも分けむと、契り交はしきこえたまひて、頼みをかけたまふ御仲なれど、ここながら勤めたまはむほどは、同じ山なりとも、峰を隔てて、あひ見たてまつらぬ住み処にかけ離れなむことをのみ思しまうけたるに、かくいと頼もしげなきさまに悩み篤いたまへば、いと心苦しき御ありさまを、今はと行き離れむきざみには捨てがたく、なかなか、山水の住み処濁りぬべく、思しとどこほるほどに、ただうちあさへたる、思ひのままの道心起こす人びとには、こよなう後れたまひぬべかめり。
御許しなくて、心一つに思し立たむも、さま悪しく本意なきやうなれば、このことによりてぞ、女君は、恨めしく思ひきこえたまひける。わが御身をも、罪軽かるまじきにやと、うしろめたく思されけり。
紫の上は、病になった後、回復がおくれて、どこが悪いということでもなく、気分のすぐれない日が続いた。
取り立ててひどい病状というのではないが、年月を重ねても回復の兆しがなく、ひどく弱ってゆくのを、源氏が嘆くこと極まりない。源氏は自分が少しでも後に残されるのを、とてもつらいと思い、紫の上ご自身としては、この世に生きて不足はなく、死出の旅路の妨げになるような子らもいないので、どうしても生きながらえたい命とも思わず、長年連れ添った夫婦の契りを離れて、源氏の君を嘆かせることになることのみを、人知れず心の内にとてもあわれに思っている。後の世のためと、尊い仏事を多くして、「なんとかして出家の本懐を遂げて、少しでも生きている間は、勤行専一に勤めたい」といつも願っているが、源氏の許しがどうしても下りないのであった。
源氏自身も、出家したいと思っているので、紫の上がこんなに熱心に望んでいるのをしおに、同じ道に入りたいと思うが、一度家を出れば、仮にもこの世を頼みとせず顧みないと思っていて、後の世には、同じ蓮の座を分けて座らんと、契った仲なので、互いに頼みとする仲であるが、この世に修行を積むのは、同じ山中でも、峰を隔て、互いに見えない住まいにかけ離れて住むことのみ思っていたので、このように回復せず、病が重くなって、病気で苦しんでいる様子では、いよいよ今は出家と言う時に、捨てがたく、かえって、紫の上への未練で山水の住まいが濁る恐れがあり、こうして出家をぐずぐずしているうちに、しがらみなく道心を起こして出家する人に、すっかり後れを取ってしまうだろう。
源氏の許しなくて、自分の一存で、出家を決めてしまうのも、見苦しく本意に反するように思えて、このことで、源氏を恨めしく思うのだった。自分の過去の罪障が深いために出家できないのだとも思うのだった。
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40.2 二条院の法華経供養
年ごろ、私の御願にて書かせたてまつりたまひける『法華経』千部、いそぎて供養じたまふ。わが御殿と思す二条院にてぞしたまひける。七僧の法服など、品々賜はす。物の色、縫ひ目よりはじめて、きよらなること、限りなし。おほかた何ごとも、いといかめしきわざどもをせられたり。
ことことしきさまにも聞こえたまはざりければ、詳しきことどもも知らせたまはざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへ通ひたまひける御心のほどなどを、院はいと限りなしと見たてまつりたまひて、ただおほかたの御しつらひ、何かのことばかりをなむ、営ませたまひける。楽人、舞人などのことは、大将の君、取り分きて仕うまつりたまふ。
内裏、春宮、后の宮たちをはじめたてまつりて、御方々、ここかしこに誦経ずきょう捧持ほうもちなどばかりのことをうちしたまふだに所狭きに、まして、そのころ、この御いそぎを仕うまつらぬ所なければ、いとこちたきことどもあり。「いつのほどに、いとかくいろいろ思しまうけけむ。げに、石上の世々経たる御願にや」とぞ見えたる。
花散里と聞こえし御方、明石なども渡りたまへり。南東の戸を開けておはします。寝殿の西の塗籠なりけり。北の廂に、方々の御局どもは、障子ばかりを隔てつつしたり。
年来、私的発願で写経していた『法華経』千部を、急ぎ供養することになった。紫の上の自分の邸、二条院でやることになった。七僧の法服などの品々を賜った。その色、縫い目をはじめ、美しいこと限りない。総じて何につけても、紫の上は念を入れて本格的に支度するのだった。
紫の上は、大きな規模でやるとも源氏には報告していなったので、源氏は詳しいことは知らなかったが、女の手配にしては細かいところまで行き届いていると感心して、仏道に深く通じている心の程を、申し分ないご器量と見て、源氏はひと通りの部屋の設備などのあれこれをお世話した。楽人、舞人などの方面は、夕霧がとりわけ念入りに準備した。
内裏、春宮、后の宮たちをはじめ参列して、方々それぞれに誦経ずきょう、供物を寄進するので、寄進の品々で一杯になり、この急ぎの法会のご用をつとめないところはなかったので、市中一帯がものものしかった。「いつの間にいろいろと用意されたのだろう。実に、はるか昔からの発願されていたのであろう」と思われた。
花散里と申される方や、明石の上なども二条院に来られた。南東の戸を開けて入って来た。寝殿の西の塗籠であった。北の廂に、方々の席を設け、障子だけで隔てた。
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40.3 紫の上、明石御方と和歌を贈答
三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく、仏のおはすなる所のありさま、遠からず思ひやられて、ことなり。深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。薪こる讃嘆の声も、そこら集ひたる響き、おどろおどろしきを、うち休みて静まりたるほどだにあはれに思さるるを、まして、このころとなりては、何ごとにつけても、心細くのみ思し知る。明石の御方に、三の宮して、聞こえたまへる。
惜しからぬこの身ながらもかぎりとて
薪尽きなむことの悲しさ

御返り、心細き筋は、後の聞こえも心後れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。
薪こる思ひは今日を初めにて
この世に願ふ法ぞはるけき

夜もすがら、尊きことにうち合はせたる鼓の声、絶えずおもしろし。ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間より見えたる花の色々、なほ春に心とまりぬべく匂ひわたりて、百千鳥のさへづりも、笛の音に劣らぬ心地して、もののあはれもおもしろさも残らぬほどに、陵王の舞ひ手急になるほどの末つ方の楽、はなやかににぎははしく聞こゆるに、皆人の脱ぎかけたるものの色々なども、もののをりからにをかしうのみ見ゆ。
親王たち、上達部の中にも、ものの上手ども、手残さず遊びたまふ。上下心地よげに、興あるけしきどもなるを見たまふにも、残り少なしと身を思したる御心のうちには、よろづのことあはれにおぼえたまふ。
三月十日の頃で、桜の花盛り、空模様も、のどかで風情があり、仏が住むという国の有様も、かくやと思われて、格別だった。深い信仰をもっていない人も、罪障を消すことができそうだ。薪を拾って行道をする声も、大勢参集した人々の声が響き、あたりを揺るがすので、やがてそれが途絶えて、静かになった時にも紫の上はあわれを覚え、この頃では何事も心細く感じた。明石の方に、匂宮に文を届けさせる。
(紫の上)「惜しくもないこの身ですが、
命の薪が尽きようとしているのが悲しい」
返歌に、心細さに合せては、後々の非難も気にして、当りさわりなく応じる。
(明石の上)「薪を拾って法華に仕えるのは今日が初めですから
この世に仏法は末永く続くでしょう」
夜もすがら、ありがたい読経の声に合わせて鳴る鼓の音がおもしろい。ほのぼのと明け行く朝ぼらけ、霞の間から見える花の色々、春に心引かれて匂っている中で、百千鳥のさえずりも、笛の音に劣らぬ心地して、もののあわれもおもしろさも極まったころに、陵王の舞の急になる末の方の楽は、にぎやかに聞こえて、人々が禄として脱ぎ与えた衣の鮮やかな色なども、その場のはなやかさに合ってとてもおもしろい。
親王たちや上達部の中の上手な手合いは、皆演奏した。上下とも心地よげに興ある様子で楽しんでいるのを見るにつけ、残り少ないわが身を思い、すべてのことがあわれに感じた。
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40.4 紫の上、花散里と和歌を贈答
昨日、例ならず起きゐたまへりし名残にや、いと苦しうして臥したまへり。年ごろ、かかるものの折ごとに、参り集ひ遊びたまふ人びとの御容貌ありさまの、おのがじし才ども、琴笛の音をも、今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、さしも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされたまふ。
まして、夏冬の時につけたる遊び戯れにも、なま挑ましき下の心は、おのづから立ちまじりもすらめど、さすがに情けを交はしたまふ方々は、誰れも久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我一人行方知らずなりなむを思し続くる、いみじうあはれなり。
こと果てて、おのがじし帰りたまひなむとするも、遠き別れめきて惜しまる。花散里の御方に、
絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる
世々にと結ぶ中の契りを

御返り、
結びおく契りは絶えじおほかたの
残りすくなき御法なりとも

やがて、このついでに、不断の読経、懺法せんぽうなど、たゆみなく、尊きことどもせさせたまふ。御修法ずほうは、ことなるしるしも見えでほども経ぬれば、例のことになりて、うちはへさるべき所々、寺々にてぞせさせたまひける。
昨日は、いつもと違って夜通し起きていたので、紫の上は苦しくなって臥していた。長年、このような催しの折りには、集まって遊ぶ人々の容貌や様々な所作の、それぞれの才能や、琴笛の音も、今日が見納めなのだとばかり思うと、さすがに、いつもなら目に止めない人の顔も、あわれに見えるのだった。
まして、夏冬につけた遊びにも、何となく張り合う気持ちが自ずと生じるが、さすがに普段から心のこもった付き合いをしている方々は、誰も久しく生き永らえていられるものではなく、まず自分が先に逝ってしまうだろうと、思い続けるのも、ひどくみじめだ。
法会が終わって、それぞれが帰っていくのも、遠い別れのようで惜しまれる。花散里に、
(紫の上)「これが最後の法会になりますが、
ここで結んだあなたとの結縁を頼りとします」
返歌、
(花散里)「ご縁は後の世まで続くでしょう
これが最後の法会としても」
引き続いてこの法会の機会に、不断の読経、懺法せんぽうなど、怠りなく、尊い仏事の数々をさせた。御修法ずほうは、これといった効験も現れず、日常のことになって、引き続いてあちこちの寺に祈祷させた。
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40.5 紫の上、明石中宮と対面
夏になりては、例の暑さにさへ、いとど消え入りたまひぬべき折々多かり。そのことと、おどろおどろしからぬ御心地なれど、ただいと弱きさまになりたまへば、むつかしげに所狭く悩みたまふこともなし。さぶらふ人びとも、いかにおはしまさむとするにか、と思ひよるにも、まづかきくらし、あたらしう悲しき御ありさまと見たてまつる。
かくのみおはすれば、中宮、この院にまかでさせたまふ。東の対におはしますべければ、こなたにはた待ちきこえたまふ。儀式など、例に変らねど、この世のありさまを見果てずなりぬるなどのみ思せば、よろづにつけてものあはれなり。名対面なだいめんを聞きたまふにも、その人、かの人など、耳とどめて聞かれたまふ。上達部など、いと多く仕うまつりたまへり。
久しき御対面のとだえを、めづらしく思して、御物語こまやかに聞こえたまふ。院入りたまひて、
「今宵は、巣離れたる心地して、無徳なりや。まかりて休みはべらむ」
とて、渡りたまひぬ。起きゐたまへるを、いとうれしと思したるも、いとはかなきほどの御慰めなり。
「方々におはしましては、あなたに渡らせたまはむもかたじけなし。参らむこと、はたわりなくなりにてはべれば」
とて、しばらくはこなたにおはすれば、明石の御方も渡りたまひて、心深げにしづまりたる御物語ども聞こえ交はしたまふ。
夏になって、その暑さに、意識を失いそうな折りがしばしばあった。どこが悪いと、ひどく苦しんだりされないのであるが、ただ弱っている状態なので、見るからに病人めいて大そう苦しむこともない。お付きの女房たちも、どうなってしまうのか、と思いやるも、もはや涙にくれて、今までにない悲しい有様と見るのであった。
このような病状でいると、明石の中宮がこの院にお越しになられる。東の対をお使いになる予定なので、紫の上は、東の対で待っている。儀式など、いつもと変わらないが、この世で見るのがこれが最後とだと思うと、何につけてもあわれであった。名対面なだいめんを聞いていても、その人あの人などそれぞれを耳にとどめて聞いていた。上達部など、大勢が随行された。
紫の上は久しく会っていなかったので、珍しく思って、色々なお話をした。源氏が入ってきて、
「今夜は巣をなくした心地して、体裁悪い。失礼して休みます」
といって部屋に戻った。紫の上が起きているのを、うれしく思ったが、はかない気休めである。
「別々の所にお泊まり頂きますので、あちらにお越し頂くのも、恐れ多いです。わたしがこちらへ上がるのも叶いませんので」
とてしばらくは東の対におられるので、明石の方も来られて、奥ゆかしくしんみりしたお話をあれこれするのだった。
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40.6 紫の上、匂宮に別れの言葉
上は、御心のうちに思しめぐらすこと多かれど、さかしげに、亡からむ後などのたまひ出づることもなし。ただなべての世の常なきありさまを、おほどかに言少ななるものから、あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、言に出でたらむよりもあはれに、もの心細き御けしきは、しるう見えける。宮たちを見たてまつりたまうても、
「おのおのの御行く末を、ゆかしく思ひきこえけるこそ、かくはかなかりける身を惜しむ心のまじりけるにや」
とて、涙ぐみたまへる御顔の匂ひ、いみじうをかしげなり。「などかうのみ思したらむ」と思すに、中宮、うち泣きたまひぬ。ゆゆしげになどは聞こえなしたまはず、もののついでなどにぞ、年ごろ仕うまつり馴れたる人びとの、ことなるよるべなういとほしげなる、この人、かの人、
「はべらずなりなむ後に、御心とどめて、尋ね思ほせ」
などばかり聞こえたまひける。御読経などによりてぞ、例のわが御方に渡りたまふ。
三の宮は、あまたの御中に、いとをかしげにて歩きたまふを、御心地の隙には、前に据ゑたてまつりたまひて、人の聞かぬ間に、
「まろがはべらざらむに、思し出でなむや」
と聞こえたまへば、
「いと恋しかりなむ。まろは、内裏の上よりも宮よりも、婆をこそまさりて思ひきこゆれば、おはせずは、心地むつかしかりなむ」
とて、目おしすりて紛らはしたまへるさま、をかしければ、ほほ笑みながら涙は落ちぬ。
「大人になりたまひなば、ここに住みたまひて、この対の前なる紅梅と桜とは、花の折々に、心とどめてもて遊びたまへ。さるべからむ折は、仏にもたてまつりたまへ」
と聞こえたまへば、うちうなづきて、御顔をまもりて、涙の落つべかめれば、立ちておはしぬ。取り分きて生ほしたてまつりたまへれば、この宮と姫宮とをぞ、見さしきこえたまはむこと、口惜しくあはれに思されける。
紫の上は、心の内では色々思いめぐらすことは多かったが、利口そうに、自分の死後のことを口にすることはなかった。世間一般の世の無常を、おっとりと言葉少なに、何気ない調子で言う気配は、言葉に出るよりもあわれをはっきり感じられて、心もとなく思っている気配ははっきり見えるのだった。中宮腹の宮たちを見るにつけても、
「宮のそれぞれの行く末を、どうなるのか楽しみにしているのも、こうしてはかないわが身を惜しむ心があるからなのか」
とて、涙ぐむ顔の気色は大そう美しい。「どうしてこうも心細いことを思うのか」と思うと、中宮は、泣くのであった。遺言めいたことは言わずに、もののついでのような調子で、年来仕えてくれた人々で、特に寄る辺のない女房を心配されるのだった、この人、あの人を、
「わたしが亡くなった後、み心に留めてお世話してやってください」
などばかり言うのだった。読経の時間になって、いつものご自分の座の西の対に移った。
三の宮の匂宮は、たくさんの子の中で、たいそう可愛らしく歩き回るので、気分の良い時に、前に座らせて、女房たちの聞いていない間に、
「わたしが亡くなったら、思い出してくれますか」
と言えば、
「すごく恋しくなりましょう。ぼくは、内裏の父よりも、母よりも、婆をこそ一番思い出すでしょう。亡くなれば、困ります」
とて、目をこすって涙を隠している様子が、可愛らしいので、微笑みながら泣くのだった。
「大人になったら、ここに住んで、この対の前裁の紅梅と桜とは、花の季節になったら、忘れず愛でてください。何かの折には仏前にも奉ってください」
と言うと、うなずいて、紫の上の顔をじっと見て、涙が落ちそうになり、立って行かれた。取り分け大事に育ててきたこの匂宮と女一宮とは、お世話したままになってしまい、残念にもあわれにも思うのだった。
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40.7 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける
秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては、御心地もいささかさはやぐやうなれど、なほともすれば、かことがまし。さるは、身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて過ぐしたまふ。
中宮は、参りたまひなむとするを、今しばしは御覧ぜよとも、聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏の御使の隙なきもわづらはしければ、さも聞こえたまはぬに、あなたにもえ渡りたまはねば、宮ぞ渡りたまひける。
かたはらいたけれど、げに見たてまつらぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせたまふ。「こよなう痩せ細りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれ」と、来し方あまり匂ひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花の薫りにもよそへられたまひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに世を思ひたまへるけしき、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。
待ちわびた秋になって、世の中少し涼しくなり、気分もわずかによくなる頃、それでもどうかするとまた悪くなる。といっても身にしむほどの秋風ではなく、涙がちに過ごしている。
中宮は、宮中に帰ろうとするのを、今少しお会していたい、お話していたいと思って、出過ぎたようであったが、内裏の使いが隙なく来るのもわずらわしいので、そうも言えず、紫の上は東の対へもいくことができないので、宮の方が来られた。
恐れ多いことだったが、お会いになれないのも甲斐なしとて、こちらにご座をもうけたのだった。「ずいぶん痩せ細っていたが、こうしてこそ、気品があり優雅なこと限りない様子もこの上なく美しかった」と今まであまりに色香にみちて、若くあざやかな盛りの頃は、この世の花の美しさにもたとえられていたが、今は何にもたとえようもなく美しい様子で、もう余命幾ばくもないものと世を思っている様子は、たいそうおいたわしく、わけもなくもの悲しかった。
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40.8 明石中宮に看取られ紫の上、死去す
風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見たまふとて、脇息に寄りゐたまへるを、院渡りて見たてまつりたまひて、
「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」
と聞こえたまふ。かばかりの隙あるをも、いとうれしと思ひきこえたまへる御けしきを見たまふも、心苦しく、「つひに、いかに思し騒がむ」と思ふに、あはれなれば、
おくと見るほどぞはかなきともすれば
風に乱るる萩のうは露

げにぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる折さへ忍びがたきを、見出だしたまひても、
ややもせば消えをあらそふ露の世に
後れ先だつほど経ずもがな

とて、御涙を払ひあへたまはず。宮、
秋風にしばしとまらぬ露の世を
誰れか草葉のうへとのみ見む

と聞こえ交はしたまふ御容貌ども、あらまほしく、見るかひあるにつけても、「かくて千年を過ぐすわざもがな」と思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめむ方なきぞ悲しかりける。
「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。いふかひなくなりにけるほどと言ひながら、いとなめげにはべりや」
とて、御几帳引き寄せて臥したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、
「いかに思さるるにか」
とて、宮は、御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して、限りに見えたまへば、御誦経の使ひども、数も知らず立ち騷ぎたり。先ざきも、かくて生き出でたまふ折にならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜一夜さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ。
風が強く吹き始めた夕暮れ、前栽を見たいと、脇息に寄っているところへ、源氏がきて、ご覧になり、
「今日はよく起きているね。この御前では、この上なくご気分もはればれするようですね」
と仰せになる。この程度の気分の良さでも、うれしがる気持ちを見るにつけて、紫の上は心苦しく「自分が死んだらどんなに心を乱すだろう」と思うと、あわれで、
(紫の上)「起きていてもはかない命
風に揺れる萩の上の露のようです」
実に、風に吹かれる萩の葉の露がこぼれそうなのを、歌にならってご覧になって、
(源氏)「ともすれば先を争って消えてゆく露の世に
後先なく一緒に消えたいものです」
と言って涙を拭うこともしない。中宮は、
(中宮)「秋風にしばしもとどまらず消えてゆく草葉の露を
誰が草葉の上だけだけと思いましょうか」
と詠み交わす二人の容貌など、申し分なく、見る甲斐あるにつけても、「このまま千年を過ごすことができれば」と源氏は思われるが、思い通りにならぬことなので、命を留めるすべがなく、悲しい。
「もう宮中にお戻りください。気持ちが少し苦しくなりました。すっかり弱ってしまいました、これでは本当に失礼ですので」
とて、几帳を寄せて臥しているので、紫の上がいつもより頼りなげに見える気がしたので、
「どうされましたか」
と言って、宮は紫の上の手を取った。泣く泣く見ていると、まことに消えてゆく露の心地して、今が最後と見えたので、読経の僧たちがそれぞれ立ち上がって、騒ぎ始めた。以前もこうして生き返ったことがあるので、その時にならって、皆物の怪ではないかと思い、一晩中様々な手を尽くしたが、そのかいなく、明け方近くに息を引取った。
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40.9 源氏、紫の上の落飾のことを諮る
宮も、帰りたまはで、かくて見たてまつりたまへるを、限りなく思す。誰れも誰れも、ことわりの別れにて、たぐひあることとも思されず、めづらかにいみじく、明けぐれの夢に惑ひたまふほど、さらなりや。
さかしき人おはせざりけり。さぶらふ女房なども、ある限り、さらにものおぼえたるなし。院は、まして思し静めむ方なければ、大将の君近く参りたまへるを、御几帳のもとに呼び寄せたてまつりたまひて、
「かく今は限りのさまなめるを、年ごろの本意ありて思ひつること、かかるきざみに、その思ひ違へてやみなむがいといとほしき。御加持にさぶらふ大徳たち、読経の僧なども、皆声やめて出でぬなるを、さりとも、立ちとまりてものすべきもあらむ。この世にはむなしき心地するを、仏の御しるし、今はかの冥き途のとぶらひにだに頼み申すべきを、頭おろすべきよしものしたまへ。さるべき僧、誰れかとまりたる」
などのたまふ御けしき、心強く思しなすべかめれど、御顔の色もあらぬさまに、いみじく堪へかね、御涙のとまらぬを、ことわりに悲しく見たてまつりたまふ。
† 「御もののけなどの、これも、人の御心乱らむとて、かくのみものははべめるを、さもやおはしますらむ。さらば、とてもかくても、御本意のことは、よろしきことにはべなり。一日一夜忌むことのしるしこそは、むなしからずははべなれ。まことにいふかひなくなり果てさせたまひて、後の御髪ばかりをやつさせたまひても、異なるかの世の御光ともならせたまはざらむものから、目の前の悲しびのみまさるやうにて、いかがはべるべからむ
と申したまひて、御忌に籠もりさぶらふべき心ざしありてまかでぬ僧、その人、かの人など召して、さるべきことども、この君ぞ行なひたまふ。
宮も宮中に帰らずに、こうして最後をみとったのを、深い因縁と思った。死別は人の世の常であるが、誰にもあることとは思われず、珍しいことで、明け方に夢を見たのでないか、と茫然としていた。
冷静な人はいなかった。お付きの女房たちも、皆気の確かなものはいない。源氏は、冷静にしていられないので、夕霧が近くに来たので、几帳のもとに呼び寄せて、
「これが最後だろう。年来、深く心ざしていた出家の願望を、この機会に、かなえられなかったことが、とても残念だ。加持に来た僧たちや、読経の僧たちも皆声を出すのをやめて帰ったが、まだ、残っている者もいるだろう。もう現世のためには、仏のご利益は駄目だろうが、今は冥土の案内をお頼みするので、頭を剃るように頼んでくれ。その僧が誰かいるだろうか」
など仰る様子が、気丈夫に振舞っているが、顔色もいつもとすっかり変わり、悲しみに堪えかねて涙が止まらない様子も、無理もないと見て悲しむのだった。
「物の怪などが、周囲の人たちを驚かせようとして、このようなことをするそうですから、あるいはそうなのでしょう。それならば、ご本願の髪を剃ることは、よろしいのではないでしょうか。一日一夜といえども、戒を守れば、功徳があると言います。もし本当に死んでしまってことが果てたら、その後に髪を剃っても、その後の世の功徳にはならないでしょうから、目の前の悲しみだけが増すだけでしょうから、いかがしたものでしょうか」
と夕霧は言って、忌中で籠る志のあった僧、その人、あの人を指名して、しかるべきことを、夕霧が指図するのであった。
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40.10 夕霧、紫の上の死に顔を見る
年ごろ、何やかやと、おほけなき心はなかりしかど、「いかならむ世に、ありしばかりも見たてまつらむ。ほのかにも御声をだに聞かぬこと」など、心にも離れず思ひわたりつるものを、「声はつひに聞かせたまはずなりぬるにこそはあめれ、むなしき御骸にても、今一度見たてまつらむの心ざしかなふべき折は、ただ今よりほかにいかでかあらむ」と思ふに、つつみもあへず泣かれて、女房の、ある限り騷ぎ惑ふを、
「あなかま、しばし」
と、しづめ顔にて、御几帳の帷を、もののたまふ紛れに、引き上げて見たまへば、ほのぼのと明けゆく光もおぼつかなければ、大殿油を近くかかげて見たてまつりたまふに、飽かずうつくしげに、めでたうきよらに見ゆる御顔のあたらしさに、この君のかくのぞきたまふを見る見るも、あながちに隠さむの御心も思されぬなめり。
「かく何ごともまだ変らぬけしきながら、限りのさまはしるかりけるこそ」
とて、御袖を顔におしあてたまへるほど、大将の君も、涙にくれて、目も見えたまはぬを、しひてしぼり開けて見たてまつるに、なかなか飽かず悲しきことたぐひなきに、まことに心惑ひもしぬべし。御髪のただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて、露ばかり乱れたるけしきもなう、つやつやとうつくしげなるさまぞ限りなき。
灯のいと明かきに、御色はいと白く光るやうにて、とかくうち紛らはすこと、ありしうつつの御もてなしよりも、いふかひなきさまにて、何心なくて臥したまへる御ありさまの、飽かぬ所なしと言はむもさらなりや。なのめにだにあらず、たぐひなきを見たてまつるに、「死に入る魂の、やがてこの御骸にとまらなむ」と思ほゆるも、わりなきことなりや。
夕霧は、今まで、あれこれと、分不相応な考えはしなかったが、「いつの世にか、あの時のように今一度見たいものだ。声は一切聞いていない、ほのかにも」など、いつも思うのであったが、「声はついに一度も聞いたことがなかったが、空しくなった骸でも、今一度見てみたいと思う心ざしを叶える時は、ただ今のこの時より他にはないだろう」と思うと、こらえきれず泣き出したのであるが、女房たちが騒ぎ惑うのを制して、
「静かにして。しばらく」
と制するふりをして、几帳の帳を、何か言うのにかこつけて、引き上げて見ると、ほのぼのと明けゆく光もおぼつかなく、灯火を近くにかかげて見るに、あまりにも美しく、申し分なく清らかに見える顔の、名残り惜しさに、夕霧がこのようにじっと見るのも、源氏は茫然として強いて隠そうともしなかった。
「このとおり何もかもそのままだが、最後の様子ははっきりしている」
と言って、源氏は袖を顔に押し当てているが、夕霧も、涙にくれて、目もよく見えないのだが、強いて目を開けてみると、かえってどうしようもなく限りなく悲しくなり、本当に気が変になりそうである。髪が無造作に横にやられて、ふさふさして清らかに露も乱れた様子がなく、つやつやと美しいこと限りない。
灯火は明るいが、顔の色は白く光るように、気を配ってつくろった生前の様子よりも、もう全く正体もなく、何心なく横たわっている様子は、非の打ちどころもないと申すのもことさらめている。並み一通りの美しさどころか、比べるものもない姿を見るに、「正気を失った自分の魂が、しばしこの骸に留まらん」と思うのも、むりもない。
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40.11 紫の上の葬儀
仕うまつり馴れたる女房などの、ものおぼゆるもなければ、院ぞ、何ごとも思しわかれず思さるる御心地を、あながちに静めたまひて、限りの御ことどもしたまふ。いにしへも、悲しと思すこともあまた見たまひし御身なれど、いとかうおり立ちてはまだ知りたまはざりけることを、すべて来し方行く先、たぐひなき心地したまふ。
やがて、その日、とかく収めたてまつる。限りありけることなれば、骸を見つつもえ過ぐしたまふまじかりけるぞ、心憂き世の中なりける。はるばると広き野の、所もなく立ち込みて、限りなくいかめしき作法なれど、いとはかなき煙にて、はかなく昇りたまひぬるも、例のことなれど、あへなくいみじ。
空を歩む心地して、人にかかりてぞおはしましけるを、見たてまつる人も、「さばかりいつかしき御身を」と、ものの心知らぬ下衆さへ、泣かぬなかりけり。御送りの女房は、まして夢路に惑ふ心地して、車よりもまろび落ちぬべきをぞ、もてあつかひける。
昔、大将の君の御母君亡せたまへりし時の暁を思ひ出づるにも、かれは、なほもののおぼえけるにや、月の顔の明らかにおぼえしを、今宵はただくれ惑ひたまへり。
十四日に亡せたまひて、これは十五日の暁なりけり。日はいとはなやかにさし上がりて、野辺の露も隠れたる隈なくて、世の中思し続くるに、いとど厭はしくいみじければ、「後るとても、幾世かは経べき。かかる悲しさの紛れに、昔よりの御本意も遂げてまほしく」思ほせど、心弱き後のそしりを思せば、「このほどを過ぐさむ」としたまふに、胸のせきあぐるぞ堪へがたかりける。
長年仕えて来た女房などで、平静にいられそうなものもいないので、源氏が、気が動転しているのを、強いて平静を装い、自分で葬儀の手配をするのだった。昔も、悲しい死に目には、たくさん遭って来たけれど、自分で采配することはなかったので、来し方行く末もまたとなく悲しい。
そのまま、その日は、葬儀であった。何ごとも決まりがあることなので、骸のそばにいつまでも付き添って見て過ごすこともできず、まことに憂き世だ。はるばると広い野原に、人が立て混んで、厳粛な儀式があり、はかない煙となって、昇って行くのも、いつものことで、あっけなく悲しい 。
空を歩いている心地がして、源氏が人に支えられているのを、見る人は、「あれほど立派なご身分の方が」とわけの分からない下衆さえもが、皆泣いていた。見送りの女房たちも、夢心地で、車から転げ落ちそうなのもいて、供の者が手を焼いていた。
昔、夕霧の母が亡くなった時の暁を思い出して、あの時は、もう少し正気だったのか、月の顔を明らかに覚えていたが、今宵は悲しみにくれて何も分からないのだった。
十四日に亡くなって、今は十五日の暁であった。日は高く上がって、野辺の露も隠れる隈なく、人の世を思い続けると、ひどく嫌になり、「後に残るとしてもどれほど生きられるだろう。この悲しみを紛らせようと、昔からの出家の本願を遂げたいと」思うが、女々しいと後人のそしりを思えば、「今のこの時を堪えよう」と決意するのだが、胸にこみあげてくるものが堪えがたかった。
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40.12 源氏の悲嘆と弔問客
大将の君も、御忌に籠もりたまひて、あからさまにもまかでたまはず、明け暮れ近くさぶらひて、心苦しくいみじき御けしきを、ことわりに悲しく見たてまつりたまひて、よろづに慰めきこえたまふ。
風野分だちて吹く夕暮に、昔のこと思し出でて、「ほのかに見たてまつりしものを」と、恋しくおぼえたまふに、また「限りのほどの夢の心地せし」など、人知れず思ひ続けたまふに、堪へがたく悲しければ、人目にはさしも見えじ、とつつみて、
「阿弥陀仏、阿弥陀仏」
と引きたまふ数珠の数に紛らはしてぞ、涙の玉をばもて消ちたまひける。
いにしへの秋の夕べの恋しきに
今はと見えし明けぐれの夢

ぞ、名残さへ憂かりける。やむごとなき僧どもさぶらはせたまひて、定まりたる念仏をばさるものにて、法華経など誦ぜさせたまふ。かたがたいとあはれなり。
臥しても起きても涙の干る世なく、霧りふたがりて明かし暮らしたまふ。いにしへより御身のありさま思し続くるに、
「鏡に見ゆる影をはじめて、人には異なりける身ながら、いはけなきほどより、悲しく常なき世を思ひ知るべく、仏などのすすめたまひける身を、心強く過ぐして、つひに来し方行く先も例あらじとおぼゆる悲しさを見つるかな。今は、この世にうしろめたきこと残らずなりぬ。ひたみちに行ひにおもむきなむに、障り所あるまじきを、いとかく収めむ方なき心惑ひにては、願はむ道にも入りがたくや」
と、ややましきを、
「この思ひすこしなのめに、忘れさせたまへ」
と、阿弥陀仏を念じたてまつりたまふ。
夕霧も忌中で籠って、ほんのわずかの間も自邸に帰らず、明け暮れ近くにいて、源氏がひどく悲しみに暮れているのを、ごもっともだと思い、何かと慰めるのだった。
風が野分のように吹く夕暮れ、昔のことを思い出して、「かすかに見たことがあった」と、恋しく覚え、また「亡骸を見て夢心地がした」など、人知れず思い続けていたので、堪えがたく悲しく、人目に悲しんでいる風を見せられないと憚り、
「阿弥陀仏、阿弥陀仏」
とひとつひとつ数える数珠の数に紛らわせて、涙の玉を隠すのであった。
(夕霧)「昔秋の夕べにかいま見たお姿が恋しく
今また臨終の秋の夕べに見たことが夢のようです」
と、あの時見た名残りまでがつらい。尊い僧たちや決まった念仏などは当然として、法華経などを読経する。あれもこれも身に染みてあわれである。
源氏は臥しても起きても涙の枯れる時がなく、霧の中で暮らしているようだ。幼い頃からの自分を思うと、
「鏡に映る姿をはじめ、才能といい身分といい、人に秀でたわが身ながら、幼い頃から、常なき世の悲しみを思い知るべく、仏が知らしめてくれた身でありながら、強情に押し切って、ついには来し方行く末も例がないほどの、大きな悲しみにあった。今は、この世に思い残すことはない。一途に仏道に励んでも障りになるものはないが、こんな惑いの状態では、仏道に入りがたいのではないか」
と、気がかりなので、
「この悲しみを人並みにゆるめて、忘れさせてください」
と阿弥陀仏を念じるのであった。
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40.13 帝、致仕大臣の弔問
所々の御とぶらひ、内裏をはじめたてまつりて、例の作法ばかりにはあらず、いとしげく聞こえたまふ。思しめしたる心のほどには、さらに何ごとも目にも耳にもとまらず、心にかかりたまふこと、あるまじけれど、「人にほけほけしきさまに見えじ。今さらにわが世の末に、かたくなしく心弱き惑ひにて、世の中をなむ背きにける」と、流れとどまらむ名を思しつつむになむ、身を心にまかせぬ嘆きをさへうち添へたまひける。
致仕の大臣、あはれをも折過ぐしたまはぬ御心にて、かく世にたぐひなくものしたまふ人の、はかなく亡せたまひぬることを、口惜しくあはれに思して、いとしばしば問ひきこえたまふ。
「昔、大将の御母亡せたまへりしも、このころのことぞかし」と思し出づるに、いともの悲しく、
「その折、かの御身を惜しみきこえたまひし人の、多くも亡せたまひにけるかな。後れ先だつほどなき世なりけりや」
など、しめやかなる夕暮にながめたまふ。空のけしきもただならねば、御子の蔵人少将してたてまつりたまふ。あはれなることなど、こまやかに聞こえたまひて、端に、
いにしへの秋さへ今の心地して
濡れにし袖に露ぞおきそふ

御返し、
露けさは昔今ともおもほえず
おほかた秋の夜こそつらけれ

もののみ悲しき御心のままならば、待ちとりたまひては、心弱くもと、目とどめたまひつべき大臣の御心ざまなれば、めやすきほどにと、
「たびたびのなほざりならぬ御とぶらひの重なりぬること」
と喜びきこえたまふ。
「薄墨」とのたまひしよりは、今すこしこまやかにてたてまつれり。世の中に幸ひありめでたき人も、あいなうおほかたの世に嫉まれ、よきにつけても、心の限りおごりて、人のため苦しき人もあるを、あやしきまで、すずろなる人にも受けられ、はかなくし出でたまふことも、何ごとにつけても、世にほめられ、心にくく、折ふしにつけつつ、らうらうじく、ありがたかりし人の御心ばへなりかし。
さしもあるまじきおほよその人さへ、そのころは、風の音虫の声につけつつ、涙落とさぬはなし。まして、ほのかにも見たてまつりし人の、思ひ慰むべき世なし。年ごろ睦ましく仕うまつり馴れつる人びと、しばしも残れる命、恨めしきことを嘆きつつ、尼になり、この世のほかの山住みなどに思ひ立つもありけり。
あちこちからのご弔問は、内裏をはじめとして、例の型通りの儀礼には終わらず、ひんぱんに来るのであった。悲しみに沈んでいる源氏には、何にも目にも耳にも入らず、気にかかることなどないのだが、「人に呆けたと見られないように。今さら晩年になって、すっかり心弱くなり、世を背いて出家した」と、後世まで流れるであろう評判を気にしていていたが、悲しみにばかり浸っているわけにもいかなかった。
致仕の大臣は、時宜を得たお見舞いにはよく気がつく方で、このように世に類なく評判の方が、お亡くなりになったので、残念であわれに思って、しばしば弔いに来た。
「昔、夕霧の母が亡くなった時も、この季節であった」と当時を思い出して、悲しんだ。
「その時、亡くなった方を悲しんでくれた、人々の多くも亡くなってしまった。後先をいってもどれほどの違いがあろう」
と致仕大臣は思い、しんみりした夕暮れの空を眺めている。空の気色があわれを誘うので、子息の蔵人少将を遣いに立てた。あわれなことなどを、細やかに申し上げて、端に、
(致仕大臣)「昔の悲しみが思い出されて、
悲しみの上にまた悲しみの露が降りたようだ」
御返しに、
(源氏)「悲しみは昔も今も変わらずつらいもの
それに加えて秋の夜がたまらないのです」
悲しい気持ちそのままの返歌なら、相手は待っていて、女々しい、と見咎める大臣の性格なので、見苦しくないようにと、
「たびたび心のこもったお弔いに感謝します」
とお礼を申し上げる。
「薄墨」とかって詠んだ時より、少し濃い喪服を着ている。世の中に幸福だった人も、不本意にも世間に嫌われ、身分が高くても、奢って周りの人を困らせる人もあるのに、紫の上は不思議なほど、何でもない人にも評判がよく、ほんの少しやることにも、何ごとにつけ、世に褒められ、奥ゆかしく、その折々につけて、行き届いていて、世にもまたとないすぐれた人柄であった。
それほど縁のない普通の人も、その頃は、風の音、虫の音につけて涙を落とさぬ者はなかった。まして、紫の上をかすかに見た人は、哀惜のあまり思いが慰めらることがなかった。年頃、睦まじく仕え馴れた人々、しばし残った命を恨めしく思い、尼になって、この世を捨てて山寺の暮らしを志す者もいた。
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40.14 秋好中宮の弔問
冷泉院の后の宮よりも、あはれなる御消息絶えず、尽きせぬことども聞こえたまひて、
枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の
秋に心をとどめざりけむ

今なむことわり知られはべりぬる」
とありけるを、ものおぼえぬ御心にも、うち返し、置きがたく見たまふ。「いふかひあり、をかしからむ方の慰めには、この宮ばかりこそおはしけれ」と、いささかのもの紛るるやうに思し続くるにも、涙のこぼるるを、袖の暇なく、え書きやりたまはず。
「昇りにし雲居ながらもかへり見よ
われ飽きはてぬ常ならぬ世に」
おし包みたまひても、とばかり、うち眺めておはす。
すくよかにも思されず、われながら、ことのほかにほれぼれしく思し知らるること多かる、紛らはしに、女方にぞおはします。
仏の御前に人しげからずもてなして、のどやかに行なひたまふ。千年をももろともにと思ししかど、限りある別れぞいと口惜しきわざなりける。今は、蓮の露も異事に紛るまじく、後の世をと、ひたみちに思し立つこと、たゆみなし。されど、人聞きを憚りたまふなむ、あぢきなかりける。
御わざのことども、はかばかしくのたまひおきつることどもなかりければ、大将の君なむ、とりもちて仕うまつりたまひける。今日やとのみ、わが身も心づかひせられたまふ折多かるを、はかなくて、積もりにけるも、夢の心地のみす。中宮なども、思し忘るる時の間なく、恋ひきこえたまふ。
秋好む中宮からも、心のこもった弔問があって、尽きぬ悲しみを申し上げるのだった。
(秋好中宮)「この枯れた野辺がお好きじゃないから
亡き方は秋がおきらいだったのでしょうか
今になってその理由を知りました」
と書いてあるのを、茫然として、繰り返し読み、文を置きがたい。「お話のし甲斐があり、風情ある歌のやりとりをして心を慰められる人は、この宮だけだ」といささか気持ちがまぎれ、とめどない涙に袖でふく間もなく、なかなか返事が書けない。
(源氏)「煙となって立ち昇った雲井から振り返って見よ
わたしはもう常ならぬこの世が飽きてしまった」
文を包んでも、じっと眺めている。
はっきり意識されず、自分で呆けていると思い知ることが多いので、紛らわすために、女房たちのところにいる。
仏前にあまり人が大勢にならないようにして、ゆったりと勤行する。千年も一緒にいたいと願っていたが、命に限りある別れなので、口惜しい。 今は、極楽の蓮の願いが、他に紛れることなく、一途に出家を願うこと、ゆるぎない。けれども世間体を気にして、とてもその気になれない。
七日ごとの法要も、源氏がはっきり言っておかなかったので、夕霧の君が、引き受けてお世話した。源氏は 今日がもう最後だと、わが身を思う時が何度もあったが、いつのまにか月日が経って、夢のように過ぎていった。中宮も紫の上を忘れる時がなく、恋い慕うのであった。
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読書期間2020年8月2日 - 2020年8月10日