源氏物語 41 幻 まぼろし

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原文 現代文
41.1 紫の上のいない春を迎える
春の光を見たまふにつけても、いとどくれ惑ひたるやうにのみ、御心ひとつは、悲しさの改まるべくもあらぬに、外には、例のやうに人びと参りたまひなどすれど、御心地悩ましきさまにもてなしたまひて、御簾の内にのみおはします。兵部卿宮渡りたまへるにぞ、ただうちとけたる方にて対面したまはむとて、御消息聞こえたまふ。
わが宿は花もてはやす人もなし
何にか春のたづね来つらむ

宮、うち涙ぐみたまひて、
香をとめて来つるかひなくおほかたの
花のたよりと言ひやなすべき

紅梅の下に歩み出でたまへる御さまの、いとなつかしきにぞ、これより他に見はやすべき人なくや、と見たまへる。花はほのかに開けさしつつ、をかしきほどの匂ひなり。御遊びもなく、例に変りたること多かり。
† 女房なども、年ごろ経にけるは、墨染の色こまやかにて着つつ、悲しさも改めがたく、思ひさますべき世なく恋ひきこゆるに、 絶えて、御方々にも渡りたまはず。紛れなく見たてまつるを慰めにて、馴れ仕うまつれる年ごろ、まめやかに御心とどめてなどはあらざりしかど、時々は見放たぬやうに思したりつる人びとも、なかなか、かかる寂しき御一人寝になりては、いとおほぞうにもてなしたまひて、夜の御宿直などにも、これかれとあまたを、御座のあたり引きさけつつ、さぶらはせたまふ。
春の光を見るにつけて、心はひどく乱れ、源氏ひとりの胸の内は、悲しみが無くなりそうもないので、外では、例によって多くの人々が来訪するが、気分がすぐれないことを理由に、御簾の内にのみ籠っている。蛍兵部卿宮が来訪されると、対面して打ち解けた話ができる御簾のうちに、ご案内させるのだった。
(源氏)「わたしの家には花をめでる人はもういないのに、
何のために春がわざわざ訪ねて来たのでしょう」
宮は涙ぐんで、
(兵部卿宮)「梅の香を求めて訪ねて来たのに
ただ普通の花見ですか」
紅梅の下を歩み出た姿は、とてもお似合いであった。兵部卿宮より他に花を見ていとおしめる人はいない、と源氏は思う。花はほのかに咲いて、香りがいい。管弦の遊びはなく、例年と全く違った。
女房なども、年配の者は、墨染めの喪服の色の濃いのを着て、悲しみにひたり、亡き紫の上を慕っていたが、源氏は御夫人方の所へは全く行かなかった。女房たちはいつも源氏が目の前にいるのを慰めとして、馴れ親しんだ年月であったが、源氏は今まで本気で心にかけたのではないが、時々は見捨てがたいと思った女房たちも、かえって、寂しい一人寝になってからは、あっさりと扱って、夜の宿直なども、誰それとたくさんの女房を、ご座からは遠ざけて、伺候させるのだった。
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41.2 雪の朝帰りの思い出
† つれづれなるままに、いにしへの物語などしたまふ折々もあり。名残なき御聖心ひじりごころの深くなりゆくにつけても、さしもあり果つまじかりけることにつけつつ、中ごろ、もの恨めしう思したるけしきの、時々見えたまひしなどを思し出づるに、
† 「などて、戯れにても、またまめやかに心苦しきことにつけても、さやうなる心を見えたてまつりけむ。なに事もらうらうじくおはせし御心ばへなりしかば、人の深き心もいとよう見知りたまひながら、怨じ果てたまふことはなかりしかど、一わたりづつは、いかならむとすらむ」
と思したりしを、すこしにても心を乱りたまひけむことの、いとほしう悔しうおぼえたまふさま、胸よりもあまる心地したまふ。その折のことの心を知り、今も近う仕うまつる人びとは、ほのぼの聞こえ出づるもあり。
入道の宮の渡りはじめたまへりしほど、その折はしも、色にはさらに出だしたまはざりしかど、ことにふれつつ、あぢきなのわざやと、思ひたまへりしけしきのあはれなりし中にも、雪降りたりし暁に立ちやすらひて、わが身も冷え入るやうにおぼえて、空のけしき激しかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、袖のいたう泣き濡らしたまへりけるをひき隠し、せめて紛らはしたまへりしほどの用意などを、夜もすがら、「夢にても、またはいかならむ世にか」と、思し続けらる。
曙にしも、曹司に下るる女房なるべし、
「いみじうも積もりにける雪かな」
と言ふ声を聞きつけたまへる、ただその折の心地するに、御かたはらの寂しきも、いふかたなく悲し。
憂き世には雪消えなむと思ひつつ
思ひの外になほぞほどふる
所在なく、女房たちと昔の話をすることが時折あった。かっての好き心もすっかりなくなり道心が深くなって、大したことになるはずもなかった恋愛沙汰に、ひと頃紫の上が嫉妬していた、そのときの気色を時々思い出して、
「どうして、一時の浮気にせよ、また本当にお気の毒だったが、他の女に心を移すようなことをしてしまったのだろう。紫の上はよく出来た人で、わたしの本当の気持ちを分かっていて、嫉妬に狂うということはなかったが、それぞれに、ひと騒ぎがあり、どうなることか」
と思ったりしたが、少しでも紫の上の心を悩ませたことへの、後悔を覚える様は、胸むねひとつに納まらない。その時のことを知り、今も仕えている女房の中には、そのときのことをぽつりぽつり申し上げる者もいた。
女三の宮が、お輿入れになったころ、紫の上はその当座は顔には少しも出さなかったが、ことにふれて、情けないことよ、と思っておられたおいたわしかった頃、雪の降った暁に立って待っていて、源氏も身体も冷えるように覚えて、空の気色 は激しく、紫の上がとても愛らしくおっとりしていながらも、泣きはらした袖が濡れているのを隠して、無理にも気づかせまいとするたしなみの深さを、夜もすがら、「夢でもう一度逢えるだろうか」と思い続けた。
暁になり、宿直から女房が局に下がる頃で、
「大そう雪が積もりました」
という声が聞こえた。まったくあの日の朝と同じ感じがして、傍らに紫の上がいない寂しさは、言いようもなく悲しい。
(源氏) 「雪のように憂き世から消えてしまいたいと思っているが
意外にもまだ世に過ごしている」
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41.3 中納言の君らを相手に述懐
例の、紛らはしには、御手水召して行ひしたまふ。埋みたる火起こし出でて、御火桶参らす。中納言の君、中将の君など、御前近くて御物語聞こゆ。
「独り寝常よりも寂しかりつる夜のさまかな。かくてもいとよく思ひ澄ましつべかりける世を、はかなくもかかづらひけるかな
と、うちながめたまふ。「我さへうち捨てては、この人びとの、いとど嘆きわびむことの、あはれにいとほしかるべき」など、見わたしたまふ。忍びやかにうち行ひつつ、経など読みたまへる御声を、よろしう思はむことにてだに涙とまるまじきを、まして、袖のしがらみせきあへぬまであはれに、明け暮れ見たてまつる人びとの心地、尽きせず思ひきこゆ。
「この世につけては、飽かず思ふべきこと、をさをさあるまじう、高き身には生まれながら、また人よりことに、口惜しき契りにもありけるかな、と思ふこと絶えず。世のはかなく憂きを知らすべく、仏などのおきてたまへる身なるべし。それをしひて知らぬ顔にながらふれば、かく今はの夕べ近き末に、いみじきことのとぢめを見つるに、宿世のほども、みづからの心の際も、残りなく見果てて、心やすきに、今なむ露のほだしなくなりにたるを、これかれ、かくて、ありしよりけに目馴らす人びとの、今はとて行き別れむほどこそ、今一際の心乱れぬべけれ。いとはかなしかし。悪ろかりける心のほどかな」
とて、御目おしのごひ隠したまふに、紛れず、やがてこぼるる御涙を、見たてまつる人びと、ましてせきとめむかたなし。さて、うち捨てられたてまつりなむが憂はしさを、おのおのうち出でまほしけれど、さもえ聞こえず、むせかへりてやみぬ。
かくのみ嘆き明かしたまへる曙、ながめ暮らしたまへる夕暮などの、しめやかなる折々は、かのおしなべてには思したらざりし人びとを、御前近くて、かやうの御物語などをしたまふ。
中将の君とてさぶらふは、まだ小さくより見たまひ馴れにしを、いと忍びつつ見たまひ過ぐさずやありけむ、いとかたはらいたきことに思ひて、馴れきこえざりけるを、かく亡せたまひて後は、その方にはあらず、人よりもらうたきものに心とどめたまへりし方ざまにも、かの御形見の筋につけてぞ、あはれに思ほしける。心ばせ容貌などもめやすくて、うなゐ松におぼえたるけはひ、ただならましよりは、らうらうじと思ほす。
いつもの様に、寂しさを紛らすために手水で顔を洗い、勤行をする。埋火を起して、火鉢が用意される。中納言の君、中将の君が、御前に来て、お話をする。
「独り寝がいつもより寂しかった。こうして独り住まいでも、思いすまして過ごせる人生なのに、はかなくも俗世にかかわってきたものだ」
と物思うのだった。「わたしまで出家したら、今仕えている女房たちは、いよいよ嘆き悲しむだろうと、いとおしくあわれだ」などと源氏は思うのだった。ひっそりと勤行し、源氏の経を読む声の美しさに、感激して涙が止まらないのを、まして、紫の上の追慕が重なり、袖の涙がとまらないで、毎日源氏を見る人々は、限りなく悲しい思いをするだろう、と思った。
「この世の栄華については、一切不足はないはずの、高い身分に生まれて、世間の人よりは、不本意な運命に生まれついた、といつも思うのであった。この世ははかなく無情なことを知らしめるために、仏が導いた運命なのだ。それをあえて知らぬふりをして長生きすれば、このように人生の夕暮れになって、ひどく悲しい別れを経験して、宿世の拙さも、自分の器量も、すっかり見切りがついて、その安心から、今は露ほども束縛が無くなって、ここにいる誰彼と、昔から親しくしている人々が、源氏の出家で別れ別れになってしまうのが、今一段と心が乱れるのであった。思いっきりの悪い心だ」
と仰せになって、目をおし拭って涙を隠すのだが、隠しきれずにこぼれる涙をみた女房たちは、とめどなく涙するのであった。源氏が出家してあとに残って見捨てられるつらさを、誰も言い出さないで、涙にくれている。
こうして嘆き明かした曙、物思いに沈んだ夕暮れなど、しめやかな折々に、昔から気心の知れたお気に入りの女房たちを御前近くに召して、こんな話をするのだった。
中将の君は、まだ小さい頃から見馴れていたのだが、ごく内密に見過ごすこともできない折があったであろうが、紫の上に申し訳ない気がして、親しくはしていなかったが、こうして亡くなった後は、色めいた筋ではなく、紫の上が誰よりもかわいがっていたこともあり、形見と思って、あわれに思っていた。心ばせ容貌などもよく、形見とした気配は、何でもなかった場合よりは、好ましく気が利いていると思うのだった。
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41.4 源氏、面会謝絶して独居
疎き人にはさらに見えたまはず。上達部なども、むつましき御兄弟の宮たちなど、常に参りたまへれど、対面したまふことをさをさなし。
「人に向かはむほどばかりは、さかしく思ひしづめ、心収めむと思ふとも、月ごろにほけにたらむ身のありさま、かたくなしきひがことまじりて、末の世の人にもて悩まれむ、後の名さへうたてあるべし。思ひほれてなむ人にも見えざむなる、と言はれむも、同じことなれど、なほ音に聞きて思ひやることのかたはなるよりも、見苦しきことの目に見るは、こよなく際まさりてをこなり」
と思せば、大将の君などにだに、御簾隔ててぞ対面したまひける。かく、心変りしたまへるやうに、人の言ひ伝ふべきころほひをだに思ひのどめてこそはと、念じ過ぐしたまひつつ、憂き世をも背きやりたまはず。御方々にまれにもうちほのめきたまふにつけては、まづいとせきがたき涙の雨のみ降りまされば、いとわりなくて、いづ方にもおぼつかなきさまにて過ぐしたまふ。
后の宮は、内裏に参らせたまひて、三の宮をぞ、さうざうしき御慰めには、おはしまさせたまひける。
「婆ののたまひしかば」
とて、対の御前の紅梅は、いと取り分きて後見ありきたまふを、いとあはれと見たてまつりたまふ。
如月になれば、花の木どもの盛りなるも、まだしきも、梢をかしう霞みわたれるに、かの御形見の紅梅に、鴬のはなやかに鳴き出でたれば、立ち出でて御覧ず。
植ゑて見し花のあるじもなき宿に
知らず顔にて来ゐる鴬

と、うそぶき歩かせたまふ。
疎遠な人には会わない。上達部なども、親しい兄弟の宮たちなどは、いつも来るが、めったに対面しない。
「人と対座するときは、気を静め、心を集中するとしても、幾月かの間には、呆ける状態になってしまい、愚かな間違いをして、若い人に迷惑がられて、後世に汚名を残すおそれがあり、悲しみに呆けてしまって、人に会わないそうだ、と言われるのも、同じことだけれど、噂に聞いて変だと思われるよりも、見苦しい様を実際に見せてしまうのは、もっと物笑いになる」
と思っているので、夕霧の君にさえ御簾を隔てて対面するのだった。このように、人が変わったようになって、世間が噂するに違いない時期だけでも辛抱しようと、思いを静めて、念じて過ごしているので、出家もできずにいた。ご夫人方に稀にもご訪問されるにつけても、涙が堰き止めがたく雨のごとく溢れるので、どちらの方にもご無沙汰していた。
明石の中宮は、内裏に帰られた。三の宮の匂の宮を、つれづれのお慰めに、連れて行った。
「おばあちゃまが仰ったから」
とて、対の御前の紅梅は、手間をかけて世話していたので、あわれと見るのだった。
二月になれば、梅の木も花盛りになり、まだ蕾なのも梢に霞がかかって、亡き人の形見の紅梅なので、鶯がはなやかに鳴きだすので、立ち出でてご覧になる。
(源氏)「植えて育てた花の主がいない宿で
知らぬ気に来て鳴く鶯よ」
と、口づさみながら庭を歩くのであった。
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41.5 春深まりゆく寂しさ
春深くなりゆくままに、御前のありさま、いにしへに変らぬを、めでたまふ方にはあらねど、静心なく、何ごとにつけても胸いたう思さるれば、おほかたこの世の外のやうに、鳥の音も聞こえざらむ山の末ゆかしうのみ、いとどなりまさりたまふ。
山吹などの、心地よげに咲き乱れたるも、うちつけに露けくのみ見なされたまふ。他の花は、一重散りて、八重咲く花桜盛り過ぎて、樺桜かばざくらは開け、藤は後れて色づきなどこそはすめるを、その遅く疾き花の心をよく分きて、いろいろを尽くし植ゑおきたまひしかば、時を忘れず匂ひ満ちたるに、若宮、
「まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに帳を立てて、帷子を上げずは、風もえ吹き寄らじ」
と、かしこう思ひ得たり、と思ひてのたまふ顔のいとうつくしきにも、うち笑まれたまひぬ。
「覆ふばかりの袖求めけむ人よりは、いとかしこう思し寄りたまへりしかし」など、この宮ばかりをぞもてあそびに見たてまつりたまふ。
「君に馴れきこえむことも残り少なしや。命といふもの、今しばしかかづらふべくとも、対面はえあらじかし」
とて、例の、涙ぐみたまへれば、いとものしと思して、
「婆ののたまひしことを、まがまがしうのたまふ」
とて、伏目になりて、御衣の袖を引きまさぐりなどしつつ、紛らはしおはす。
隅の間の高欄におしかかりて、御前の庭をも、御簾の内をも、見わたして眺めたまふ。女房なども、かの御形見の色変へぬもあり、例の色あひなるも、綾などはなやかにはあらず。みづからの御直衣も、色は世の常なれど、ことさらやつして、無紋をたてまつれり。御しつらひなども、いとおろそかにことそぎて、寂しく心細げにしめやかなれば、
今はとて荒らしや果てむ亡き人の
心とどめし春の垣根を

人やりならず悲しう思さるる。
春が深くなり、御前の庭も昔に変わらないのに、桜を愛でたからではないが、落ち着かず、何ごとにつけ胸が締めつけられるようで、およそ憂き世とは別世界のやうな、鳥の声も聞こえない山奥に行ってしまいたいと思うのだった。
山吹などが、心地よげに咲き乱れるのを見ると、突然涙ぐんでしまう。他の花では、一重桜は散って、八重桜が盛りを過ぎ、樺桜かばざくらが咲き、藤の花は遅れて色ずいているが、紫の上は花の咲く時期をよく心得て、いろいろな桜を植えていたので、時を忘れず匂い満ちていて、匂の宮は、
「わたしの桜が咲いた。いつまでも散らない。木のまわりに、帳を立てて、帷子を上げずにいれば、風も吹き寄せない」
と、賢くも思いついたと思って、得意顔が大そう美しく、源氏もつい微笑んでしまう。
「大空を覆うばかりの袖を求めた人よりも、賢い思い付きだ」など、この宮ばかりを遊び相手にしている。
「あなたと遊ぶのも、残り少なくなった。命には限りがある。今しばしこの世にいるとしても、出家すれば会うことは叶わなくなる」
と仰せになって、例のごとく、涙ぐむので、とても嫌だと思って、
「お婆ちゃんの言っていたことを、縁起でもなく仰る」
と言って伏目になって、自分の衣の袖をまさぐって涙を紛らわしている。
源氏は隅の間の高欄に寄りかかって、御前の庭も、御簾の内も見渡して眺めた。女房のなかには喪服の色を変えない者もあり、常の色合いに戻した者も、綾などの華やかな物は着ていない。源氏は常の色に徐服していたが、特別に地味で、無紋のものを着ていた。部屋のしつらいもごく質素にして、寂しく心細げであった。
(源氏)「出家したら荒れてしまうのか
亡き人が心を込めて作った春の庭の垣根も」
自分が決めて、悲しくなるのだった。
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41.6 女三の宮の方に出かける
いとつれづれなれば、入道の宮の御方に渡りたまふに、若宮も人に抱かれておはしまして、こなたの若君と走り遊び、花惜しみたまふ心ばへども深からず、いといはけなし。
宮は、仏の御前にて、経をぞ読みたまひける。何ばかり深う思しとれる御道心にもあらざりしかども、この世に恨めしく御心乱るることもおはせず、のどやかなるままに、紛れなく行ひたまひて、一方に思ひ離れたまへるも、いとうらやましく、「かくあさへたまへる女の御心ざしにだに後れぬること」と口惜しう思さる。
閼伽の花の、夕映えしていとおもしろく見ゆれば、
「春に心寄せたりし人なくて、花の色もすさまじくのみ見なさるるを、仏の御飾りにてこそ見るべかりけれ」とのたまひて、「対の前の山吹こそ、なほ世に見えぬ花のさまなれ。房の大きさなどよ。品高くなどはおきてざりける花にやあらむ、はなやかににぎははしき方は、いとおもしろきものになむありける。植ゑし人なき春とも知らず顔にて、常よりも匂ひかさねたるこそ、あはれにはべれ」
とのたまふ。御いらへに、
谷には春も
† と、何心もなく聞こえたまふを、「ことしもこそあれ、心憂くも」と思さるるにつけても、「まづ、かやうのはかなきことにつけては、そのことのさらでもありなむかし、と思ふに、違ふふしなくてもやみにしかな」と、いはけなかりしほどよりの御ありさまを、「いで、何ごとぞやありし」と思し出づるには、まづ、その折かの折、かどかどしうらうらうじう、匂ひ多かりし心ざま、もてなし、言の葉のみ思ひ続けられたまふに、例の涙もろさは、ふとこぼれ出でぬるもいと苦し。
とても所在ないので、女三の宮の所にお越しになるが、匂の宮も女房に抱かれて一緒だったが、こちらの若君の薫と走り遊び、花を惜しむ心ばえなどなく、無邪気であった。
宮は仏前で、読経していた。何か深い思いの道心があって出家したのではなかったが、この世を恨んで心乱すこともなく、物静かに暮らしていて、気を散らすことなく、すっかり俗世を離れているのが、源氏はうらやましく思い、「このように深い思慮からでもない女らしい道心にも後れを取っている」と口惜しく思う。
仏前の花が、夕映えにはえておもしろく見えたので、
「春に心を寄せた人がなくて、花の色も何の興もそそらぬものに思えるのですが、仏前の花こそ見るべきである」と仰せになって、「対の前の山吹こそ、やはり他では見られない花の咲きぶりです。房の大きさなども。気高くなどと考えていないのでしょう、派手でにぎやかな様子は、まことに趣があります。植えた人がいない春とも知らぬげに、いつもより一段と美しく咲いているのが、あわれです」
と仰せになると、
「光なき谷には春もよそなれば、でしょう」
と、何気なく言ったのを、「他に言い方があるだろう、素っ気ない」と思うにつけて、「紫の上は、ちょっとしたことでも、こうであってほしい、とわたしが思うことに、終生違わなかった。幼いころからの有様は、「何の不足があったろう」と思い出すに、紫の上の、あの折この折につけ、才気があり行き届いていて、奥ゆかしく情味ゆたかな所作や、仰った言葉が次々に思い出されて、例の涙もろさに、ふとこぼれるのも、苦しかった。
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41.7 明石の御方に立ち寄る
夕暮の霞たどたどしく、をかしきほどなれば、やがて明石の御方に渡りたまへり。久しうさしものぞきたまはぬに、おぼえなき折なれば、うち驚かるれど、さまようけはひ心にくくもてつけて、「なほこそ人にはまさりたれ」と見たまふにつけては、またかうざまにはあらで、「かれはさまことにこそ、ゆゑよしをももてなしたまへりしか」と、思し比べらるるにも、面影に恋しう、悲しさのみまされば、「いかにして慰むべき心ぞ」と、いと比べ苦しう、こなたにては、のどやかに昔物語などしたまふ。
「人をあはれと心とどめむは、いと悪ろかべきことと、いにしへより思ひ得て、すべていかなる方にも、この世に執とまるべきことなく、心づかひをせしに、おほかたの世につけて、身のいたづらにはふれぬべかりしころほひなど、とざまかうざまに思ひめぐらししに、命をもみづから捨てつべく、野山の末にはふらかさむに、ことなる障りあるまじくなむ思ひなりしを、末の世に、今は限りのほど近き身にてしも、あるまじきほだし多うかかづらひて、今まで過ぐしてけるが、心弱うも、もどかしきこと」
など、さして一つ筋の悲しさにのみはのたまはねど、思したるさまのことわりに心苦しきを、いとほしう見たてまつりて、
「おほかたの人目に、何ばかり惜しげなき人だに、心のうちのほだし、おのづから多うはべるなるを、ましていかでかは心やすくも思し捨てむ。さやうにあさへたることは、かへりて軽々しきもどかしさなども立ち出でて、なかなかなることなどはべるを、思したつほど、鈍きやうにはべらむや、つひに澄み果てさせたまふ方、深うはべらむと、思ひやられはべりてこそ。
いにしへの例などを聞きはべるにつけても、心におどろかれ、思ふより違ふふしありて、世を厭ふついでになるとか。それはなほ悪るきこととこそ。なほ、しばし思しのどめさせたまひて、宮たちなどもおとなびさせたまひて、まことに動きなかるべき御ありさまに、見たてまつりなさせたまはむまでは、乱れなくはべらむこそ、心やすくも、うれしくもはべるべけれ」
など、いとおとなびて聞こえたるけしき、いとめやすし。
夕暮れの霞が立ち込めて趣があり、そのまま明石の方に向かった。長い間訪問することがなかったので、思いがけず、驚いたけれど、あわてずに優雅に応対する、「やはりほかの人より立派だ」と思うにつけ、こういう応対ではなく、「紫の上はこういった感じではなく、たしなみの深さをお見せしたものだ」と思うにつけて、面影が恋しく、悲しみがまさって、「どのようにして慰めればいいのか」と、われながら扱いにくい。こちらでは、ゆったりと昔の話をした。
「女人に執着するのは、悪いことだと、昔から承知していましたが、すべての関係する女性に執着が残らないように、心がけてきたが、およそ世間一般のこととして、自分が零落しそうだったころがあり、あれこれと思いめぐらして、命を捨てるのも未練なく、野山の果てに放浪しても、格別の障りもないと思いつめました時がありましたが、晩年になって、もう死期も近くなって、予想外の係累に恵まれて、今まで出家もせずに生き永らえてしまったが、ぐずぐずして、とてももどかしい限りです」
などと、あえてひとりの悲しみを指して仰せではなかったが、胸の内はさぞかしとお気の毒だったので、明石の上はおいたわしく思って、
「世間の目では、出家してもどうということもない人でも、心の内では葛藤があって、それが多くなります、まして君のような方はどうして気安く俗世を捨てることができましょうか。浅はかに出家するのは、軽率だとの非難も出るでしょうから、かえってせぬ方がよいと思えますが、決心がなかなかつかぬ状態では、遂には、澄み切った境地が深くなるように思われます。
昔の話などを聞きますと、心が動揺したり、思いのままにならぬことがあって、世を厭うようになるのだとか。それは悪しき例ということでしょう。もうしばらく出家の思いを抑えて、宮たちも成人され、しっかり揺るぎない身分や状態になるのを、見届けてからにしてはどうでしょうか、変わったことがございませんのが、私などには安心でうれしくもあります」
などと思慮深く申し上げた様子は、申し分ない。
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41.8 明石の御方に悲しみを語る
「さまで思ひのどめむ心深さこそ、浅きに劣りぬべけれ」
などのたまひて、昔よりものを思ふことなど語り出でたまふ中に、
故后の宮の崩れたまへりし春なむ、花の色を見ても、まことに心あらばとおぼえし。それは、おほかたの世につけて、をかしかりし御ありさまを、幼くより見たてまつりしみて、さるとぢめの悲しさも、人よりことにおぼえしなり。
みづから取り分く心ざしにも、もののあはれはよらぬわざなり。年経ぬる人に後れて、心収めむ方なく忘れがたきも、ただかかる仲の悲しさのみにはあらず。幼きほどより生ほしたてしありさま、もろともに老いぬる末の世にうち捨てられて、わが身も人の身も、思ひ続けらるる悲しさの、堪へがたきになむ。すべて、もののあはれも、ゆゑあることも、をかしき筋も、広う思ひめぐらす方、方々添ふことの、浅からずなるになむありける」
など、夜更くるまで、昔今の御物語に、「かくても明かしつべき夜を」と思しながら、帰りたまふを、女もものあはれに思ふべし。わが御心にも、「あやしうもなりにける心のほどかな」と、思し知らる。
さてもまた、例の御行ひに、夜中になりてぞ、昼の御座に、いとかりそめに寄り臥したまふ。つとめて、御文たてまつりたまふに、
なくなくも帰りにしかな仮の世は
いづこもつひの常世ならぬに

昨夜の御ありさまは恨めしげなりしかど、いとかく、あらぬさまに思しほれたる御けしきの心苦しさに、身の上はさしおかれて、涙ぐまれたまふ。
雁がゐし苗代水の絶えしより
映りし花の影をだに見ず

古りがたくよしある書きざまにも、なまめざましきものに思したりしを、末の世には、かたみに心ばせを見知るどちにて、うしろやすき方にはうち頼むべく、思ひ交はしたまひながら、またさりとて、ひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなしたまへりし心おきてを、「人はさしも見知らざりきかし」など思し出づ。
せめてさうざうしき時は、かやうにただおほかたに、うちほのめきたまふ折々もあり。昔の御ありさまには、名残なくなりにたるべし
「そこまで思慮深くためらっては、浅はかな出家に劣るだろう」
などと、仰せになり、昔から悲しかったことを語り出した中で、
「藤壺の后が崩御した春は、花の色を見ても、花に心があったら悲しんでくれると思ったものです。それは誰が見ても優雅だった故后の様子を、幼い頃から親しんでいたので死別の悲しみも、人より格別なものに思えた。
特別深い愛情を持っているから、悲しみも深いとは限らないようです。長年連れ添った人に先立たれて、忘れがたく、ただ夫婦だった故に悲しみが深いのではない。幼い頃から育てて、共に老いてから先立たれるのは、自分の過去も紫の上も次々に思いだされて悲しさが堪えがたいのです。すべてもののあわれも、趣あることも、風流も、広く思いめぐらせて添わるので、それぞれがそろって深い悲しみになるのでしょう」
など夜が更けるまで、今昔の話をしながら、「このままここで明かしてもよい夜だが」と思いながら帰るのを、女もあわれに思い、自分でも、おかしな心境になった」と、源氏は思い知った。
帰っても、例によって、夜中まで仏前の勤行をして、昼の御座に少し寄り伏すのだった。翌朝、明石の君に文を遣わせた。
(源氏)「泣きながら帰ってきました仮のこの世に
どこにも永遠の住まいはありません」
昨夜の源氏のなさりようは、恨めしく思ったが、あんなにも、人が変わったように悲しみにくれている様子に、自分のことは忘れて、涙ぐんだ。
(明石上)「昔は雁がいた苗代の水がなくなって
水に映っていた美しい花の影も見えません」
相変わらず味わいのある書きぶりで、紫の上はこの人を目障りと思ったが、しまいには互いに気心の分かったものとして、安心して頼りにできる方と、思いを交わしながら、それでも、すっかり気を許すわけではなく、たしなみ深くお付き合いをする心遣いを、「明石の君は知らなかっただろう」と思うのだった。
たまに物足りなく感じる折りには、このようにただ何ということなく顔を見せるときもあったが、昔のように夜を共にしなかった。
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41.9 花散里や中将の君らと和歌を詠み交わす
夏の御方より、御衣更の御装束たてまつりたまふとて、
夏衣裁ち替へてける今日ばかり
古き思ひもすすみやはせぬ

御返し、
羽衣の薄きに変はる今日よりは
空蝉の世ぞいとど悲しき

祭の日、いとつれづれにて、「今日は物見るとて、人びと心地よげならむかし」とて、御社のありさまなど思しやる。
「女房など、いかにさうざうしからむ。里に忍びて出でて見よかし」などのたまふ。
中将の君の、東面にうたた寝したるを、歩みおはして見たまへば、いとささやかにをかしきさまして、起き上がりたり。つらつきはなやかに、匂ひたる顔をもて隠して、すこしふくだみたる髪のかかりなど、をかしげなり。紅の黄ばみたる気添ひたる袴、萱草かんぞう色の単衣、いと濃き鈍色に黒きなど、うるはしからず重なりて、裳、唐衣も脱ぎすべしたりけるを、とかく引きかけなどするに、葵をかたはらに置きたりけるを寄りて取りたまひて、
「いかにとかや。この名こそ忘れにけれ」とのたまへば、
さもこそはよるべの水に水草ゐめ
今日のかざしよ名さへ忘るる

と、恥ぢらひて聞こゆ。げにと、いとほしくて、
おほかたは思ひ捨ててし世なれども
葵はなほや摘みをかすべき

など、一人ばかりをば思し放たぬけしきなり。
花散里から、夏衣への衣更えの、装束が用意されて、
(花散里)「夏衣を新しく仕立てました今日ばかりは
昔のようにわたしを思い出してください」
返しに、
(源氏)「薄い衣に替えて今日からは、
空蝉のはかないこの世がますます悲しくなります」
加茂の祭の日、所在なく、「今日は物見に、人々は楽しみだろう」とて、神社の有様を思いやる。
「女房たちは、退屈だろう。里に下がって見物に出たらどうか」などと仰せになる。
中将の君が、東面にうたた寝しているのを、近寄ってみると、たいそう小柄でかわいらしく起き上がる。顔つきはあでやかで、寝起きの上気した顔を隠して、少し乱れた髪などが風情がある。紅の黄色がかった袴、萱草かんぞう色の単衣、濃き鼠色の袿に黒い表着など、くつろいだ重ねで、裳、唐衣も脱いでいたのを、源氏の来訪に、脱いであった衣をひきかけようとするのを、源氏は近くにおいてあった葵を一輪手に取って、
「どうしたことか。この名を忘れた」と仰せになれば、
(中将の君)「寄る辺の水に水草もはえましょう
今日のかざしの草の名さえ忘れるとは」
と恥じらいながら申し上げる。本当に愛おしくて、
(源氏)「普通は執着を見捨ててしまうのだが、
この葵だけは摘んでいきそうだ」
など、ひとりだけは、見捨てないつもりらしい。
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41.10 五月雨の夜、夕霧来訪
五月雨は、いとど眺めくらしたまふより他のことなく、さうざうしきに、十余日の月はなやかにさし出でたる雲間のめづらしきに、大将の君御前にさぶらひたまふ。
花橘の、月影にいときはやかに見ゆる薫りも、追風なつかしければ、千代を馴らせる声もせなむ、と待たるるほどに、にはかに立ち出づる村雲のけしき、いとあやにくにて、いとおどろおどろしう降り来る雨に添ひて、さと吹く風に灯籠も吹きまどはして、空暗き心地するに、「窓を打つ声」など、めづらしからぬ古言を、うち誦じたまへるも、折からにや、妹が垣根におとなはせまほしき御声なり。
「独り住みは、ことに変ることなけれど、あやしうさうざうしくこそありけれ。深き山住みせむにも、かくて身を馴らはしたらむは、こよなう心澄みぬべきわざなりけり」などのたまひて、「女房、ここに、くだものなど参らせよ。男ども召さむもことことしきほどなり」などのたまふ。
心には、ただ空を眺めたまふ御けしきの、尽きせず心苦しければ、「かくのみ思し紛れずは、御行ひにも心澄ましたまはむこと難くや」と、見たてまつりたまふ。「ほのかに見し御面影だに忘れがたし。ましてことわりぞかし」と、思ひゐたまへり。
五月雨の頃は、源氏は物思いに沈んで眺め暮らすより他なく、物寂しいので、十余日の月がはなやかに出る雲の間も趣があり、夕霧が源氏の御前を訪れた。
花橘が、月の光に照らされて強く香りを漂わせ、風が運んでくるので、毎年来る変わらぬ郭公の声も聞きたいと、待たれるころ、にわかに雲の模様があやしくなり、本格的に降る雨に交って、さっと吹く風に灯篭も火を揺らめかせて、空も暗くなる気持ちがして、「窓を打つ声」など珍しくもない古歌を、朗詠するのも、折から、紫の上を垣根に呼んで聞かせてやりたいくらいいい声だった。
「独り住みは、以前とかわることはないが、妙に物足りないものだね。深い山奥に住むとしても、こうして身に馴らしておけば、ともかくも心が澄むだろう」など仰せになって、「女房、こちらに果物を出してください。男の家臣を呼ぶのも大げさだし」などと仰せになる。
心の中は、紫の上を慕って空を眺めてばかりいるが、どこまでもいたわしいので、「こんなに気持ちが紛れないのなら、仏道に入って勤行に専念するのは無理だろう」と夕霧は思った。「ちらりと見たお姿さえ忘れられないのだ。無理もない」と思うのだった。
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41.11 ほととぎすの鳴き声に故人を偲ぶ
「昨日今日と思ひたまふるほどに、御果てもやうやう近うなりはべりにけり。いかやうにかおきて思しめすらむ」
と申したまへば、
「何ばかり、世の常ならぬことをかはものせむ。かの心ざしおかれたる極楽の曼陀羅など、このたびなむ供養ずべき。経などもあまたありけるを、なにがし僧都、皆その心くはしく聞きおきたなれば、また加へてすべきことどもも、かの僧都の言はむに従ひてなむものすべき」などのたまふ。
「かやうのこと、もとよりとりたてて思しおきてけるは、うしろやすきわざなれど、この世にはかりそめの御契りなりけりと見たまふには、形見といふばかりとどめきこえたまへる人だにものしたまはぬこそ、口惜しうはべれ」
と申したまへば、
「それは、仮ならず、命長き人びとにも、さやうなることのおほかた少なかりける。みづからの口惜しさにこそ。そこにこそは、門は広げたまはめ」などのたまふ。
何ごとにつけても、忍びがたき御心弱さのつつましくて、過ぎにしこといたうものたまひ出でぬに、待たれつる山ほととぎすのほのかにうち鳴きたるも、「いかに知りてか」と、聞く人ただならず。
亡き人を偲ぶる宵の村雨に
濡れてや来つる山ほととぎす

とて、いとど空を眺めたまふ。大将、
ほととぎす君につてなむふるさとの
花橘は今ぞ盛りと

女房など、多く言ひ集めたれど、とどめつ。大将の君は、やがて御宿直にさぶらひたまふ。寂しき御一人寝の心苦しければ、時々かやうにさぶらひたまふに、おはせし世は、いと気遠かりし御座のあたりの、いたうも立ち離れぬなどにつけても、思ひ出でらるることも多かり。
「昨日今日と思えるほど、一周忌が近くなってきました。どのようにされるおつもりですか」
と夕霧がお聞きになると、
「何ほども、世間並み以上のことはするつもりがない。紫の上が志して用意していた極楽の曼陀羅などは、今回供養すべきでしょう。経典もたくさんあります。何某とかいう僧都が詳しく聞いているので、追加ですべきことも、この僧都の言うことに従って供養しようと思っている」などと仰せになる。
「このようなことを、生前から周到に考えて用意しておくのは、来世のために好ましいことですが、この世では短いご縁であったと思うにつけ、形見ともいえるものがなく、特に子を残していらっしゃらないのが、残念です」
と夕霧が言えば、
「それは縁浅くない長く生きる人にも、子がいないのは同じなのです。わたしの至らなさでしょう。あなたこそ家門を広げてください」などと仰せになる。
何ごとにも、堪えがたい悲しみに心弱いところを表に出さずに、昔のことは仰らないので、待たれていた山ほととぎすがかすかに鳴いて、「どうして知ったのか」と、聞いた人は落ち着かない。
(源氏)「亡き人を偲んで今宵の雨に濡れて
やって来たのか山ほととぎすよ」
と言って、空をつくづく眺めている。夕霧は、
(夕霧)「ほととぎすよあの方に伝えておくれ
お邸の花橘は今が盛りです」
女房たちもたくさん詠んだけれど、書かないでおく。夕霧は、そのまま、泊まられる。寂しく源氏ひとりが寝るのが気の毒なので、時々こうして伺候しているが、紫の上在世中は、遠くに感じられた御座のあたりが、それほど離れておらず、思い出すことも多い。
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41.12 蛍の飛ぶ姿に故人を偲ぶ
いと暑きころ、涼しき方にて眺めたまふに、池の蓮の盛りなるを見たまふに、「いかに多かる」など、まづ思し出でらるるに、ほれぼれしくて、つくづくとおはするほどに、日も暮れにけり。ひぐらしの声はなやかなるに、御前の撫子の夕映えを、一人のみ見たまふは、げにぞかひなかりける。
つれづれとわが泣き暮らす夏の日を
かことがましき虫の声かな

蛍のいと多う飛び交ふも、「夕殿に蛍飛んで」と、例の、古事もかかる筋にのみ口馴れたまへり。
夜を知る蛍を見ても悲しきは
時ぞともなき思ひなりけり」
源氏は、 非常に暑い頃、涼しい部屋で物思いにふけって涼んでいると、池の蓮が盛んなのを見て、「いかに多かる涙」などを思い出されて、茫然としていると、日も暮れてしまった。ひぐらしの声がかしましく、御前の撫子に映える夕映えを、ひとりで見るのは、実に甲斐なく思われた。
(源氏)「なすこともなく泣き暮らしている夏の日に、
わたしにならうように鳴く蜩の声か」
蛍がたくさん飛び交うも、「夕殿に蛍飛んで」と、例によって、古い詩でも亡き妻を慕うものばかり口ずさんだ。
(源氏)「夜になり光る蛍を見ても悲しい、
わたしは昼も夜も悲しんでいる」
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41.13 紫の上の一周忌法要
七月七日も、例に変りたること多く、御遊びなどもしたまはで、つれづれに眺め暮らしたまひて、星逢ひ見る人もなし。まだ夜深う、一所起きたまひて、妻戸押し開けたまへるに、前栽の露いとしげく、渡殿の戸よりとほりて見わたさるれば、出でたまひて、
七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見て
別れの庭に露ぞおきそふ

風の音さへただならずなりゆくころしも、御法事の営みにて、ついたちころは紛らはしげなり。「今まで経にける月日よ」と思すにも、あきれて明かし暮らしたまふ。
御正日には、上下の人びと皆斎して、かの曼陀羅など、今日ぞ供養ぜさせたまふ。例の宵の御行ひに、御手水など参らする中将の君の扇に、
君恋ふる涙は際もなきものを
今日をば何の果てといふらむ

と書きつけたるを、取りて見たまひて、
人恋ふるわが身も末になりゆけど
残り多かる涙なりけり

と、書き添へたまふ。
九月になりて、九日、綿おほひたる菊を御覧じて、
もろともにおきゐし菊の白露も
一人袂にかかる秋かな
七月七日も、例年と異なることが多く、管弦の遊びなどもせず、所在なく、つれづれに物思いがちに暮らし、一緒に星を見る人もいない。まだ夜が深いうちに、ひとり起きて、妻戸を開けると、前栽の露が茂く、渡殿の戸から見渡せるので、出てきて、
(源氏)「七夕の逢瀬は雲の上のこと
亡き人を思い悲しむ私の涙は庭の露」
風さえ物思いを誘うように吹くころ、一周忌の法事の準備で、月の初めは気が紛れた。「今までよく生きてきたものだ」と夢見る思いで、日々暮らしている。
命日には、上下の人皆精進して、あの曼陀羅など、今日供養するのだった。例によって、初夜のお勤めの時に、手水を持ってくる中将の君の扇に、
(中将の君)「亡き君をお慕いする涙はとめどなく流れますのに、
今日の日は何の果てというのでしょう」
と書きつけたのを、手に取って見て、
(源氏)「亡き人を慕うわが身の余命少なく
涙ばかりが残っています」
と書き添える。
九月になって、九日、綿で覆った菊を見て、
(源氏)「亡き人ともろ共に起きて見た菊の白露も
今年の秋はわたし一人の袂にかかっている」
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41.14 源氏、出家を決意
神無月には、おほかたも時雨がちなるころ、いとど眺めたまひて、夕暮の空のけしきも、えもいはぬ心細さに、「降りしかど」と独りごちおはす。雲居を渡る雁の翼も、うらやましくまぼられたまふ。
大空をかよふまぼろし夢にだに
見えこぬ魂の行方たづねよ

何ごとにつけても、紛れずのみ、月日に添へて思さる。
五節ごせちなどいひて、世の中そこはかとなく今めかしげなるころ、大将殿の君たち、童殿上したまへる率て参りたまへり。同じほどにて、二人いとうつくしきさまなり。御叔父の頭中将、蔵人少将など、小忌おみにて、青摺の姿ども、きよげにめやすくて、皆うち続き、もてかしづきつつ、もろともに参りたまふ。思ふことなげなるさまどもを見たまふに、いにしへ、あやしかりし日蔭の折、さすがに思し出でらるべし。
宮人は豊明とよのあかりといそぐ今日
日影も知らで暮らしつるかな

「今年をばかくて忍び過ぐしつれば、今は」と、世を去りたまふべきほど近く思しまうくるに、あはれなること、尽きせず。やうやうさるべきことども、御心のうちに思し続けて、さぶらふ人びとにも、ほどほどにつけて、物賜ひなど、おどろおどろしく、今なむ限りとしなしたまはねど、近くさぶらふ人びとは、御本意遂げたまふべきけしきと見たてまつるままに、年の暮れゆくも心細く、悲しきこと限りなし。
十月には、いつも時雨れるので、物思いに沈んで、夕暮れの空の気色も、たいそう心細く、「振りしかど」と独り言を言うのだった。雲居を渡る雁の翼も、うらやましく見守るのだった。
(源氏)「大空を通う幻術士よ夢にさえ現れぬ
魂の行方を尋ねてくれ」
何事にも、気がまぎれず、月日が経つにつれて悲しみが深くなる。
五節ごせちのころ、世の中が何となく今めかしくなる頃、夕霧の子供たち、童殿上するというので率いて参上した。同じ年頃で、二人が可愛らしくしていた。雲居の雁の弟たち、頭中将や、蔵人少将など、小忌おみのため、青摺り色の意匠で、すっきりと感じがよくて、皆続いて若者を世話しながらやってきた。何の屈託もない子供たちの様子を見ると、昔心ときめかした五節ごせちの頃が思い出された。
(源氏)「今日大宮人が豊明節会に急ぐ日に
わたしは日の光も見ずに暮らしています」
「今年はこうして出家を我慢して過ごしてきたので、今度こそは」と、世を捨てるのが近くなって、感無量であった。ようやくそうしようと、心の内で思い続けていると、仕えてくれる人々にも、それぞれに応じて、物品を賜るなど、大げさではなくこれが最後だからとはしないけれど、側近の人々は、いよいよ源氏が出家する気色を見て、年の暮れでもあり心細く、悲しいこと限りない。
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41.15 源氏、手紙を焼く
落ちとまりてかたはなるべき人の御文ども、破れば惜し、と思されけるにや、すこしづつ残したまへりけるを、もののついでに御覧じつけて、破らせたまひなどするに、かの須磨のころほひ、所々よりたてまつれたまひけるもある中に、かの御手なるは、ことに結ひ合はせてぞありける。
みづからしおきたまひけることなれど、「久しうなりける世のこと」と思すに、ただ今のやうなる墨つきなど、「げに千年の形見にしつべかりけるを、見ずなりぬべきよ」と思せば、かひなくて、疎からぬ人びと、二、三人ばかり、御前にて破らせたまふ。
いと、かからぬほどのことにてだに、過ぎにし人の跡と見るはあはれなるを、ましていとどかきくらし、それとも見分かれぬまで、降りおつる御涙の水茎に流れ添ふを、人もあまり心弱しと見たてまつるべきが、かたはらいたうはしたなければ、押しやりたまひて、
死出の山越えにし人を慕ふとて
跡を見つつもなほ惑ふかな

さぶらふ人びとも、まほにはえ引き広げねど、それとほのぼの見ゆるに、心惑ひどもおろかならず。この世ながら遠からぬ御別れのほどを、いみじと思しけるままに書いたまへる言の葉、げにその折よりもせきあへぬ悲しさ、やらむかたなし。いとうたて、今ひときはの御心惑ひも、女々しく人悪るくなりぬべければ、よくも見たまはで、こまやかに書きたまへるかたはらに、
かきつめて見るもかひなし藻塩草
同じ雲居の煙とをなれ

と書きつけて、皆焼かせたまふ。
残して都合の悪い人の文は、破棄してしまうのは惜しいと思ったのだろうか、少しずつ残していたのを、もののついでにご覧になって、破らせたりしたのだが、あの須磨にいた頃にあちこちの夫人から来ていた中で、あの紫の上の手になる文だけは束ねて丁寧に結い合わせてあった。
源氏自身で束ねたのだが、「はるか昔のことになった」と思うが、たった今書いたような墨付きなど、「まったく千年の形見にしてもいいものだが、見ることもないだろう」と思い、思い切って、馴れた女房二三人ばかり召して、御前にて破らせた。
これ程ではない人でも、亡くなった人の筆跡を見るのは実にあわれを感じ、涙で目が曇ってよく見えなくなり、落ちる涙が筆跡にかかりそうなのを、あまりに意気地がないと女房たちに見られるのを気恥ずかしくて、みっともないと思い、傍らに押しやって、
(源氏)「死出の山をこえた人を慕って
筆跡をみて悲しみに惑っています」
お付きの女房たちは、まともに広げることはできないが、それとなく紫の上の筆跡と分かるので、悲しみもひと通りではない。この世では遠くはない別れをひどく悲しんで書いた言葉、実にその当時にまさる悲しみに慰めるすべもない。何と嘆かわしい、いま一段と悲しい思いをするのも、女々しく見苦しいので、文をよく見ないで、細やかに書いている近くに、
(源氏)「亡き人の文を集めて見ても甲斐がない
同じく煙になって空に届け」
と書き付けて皆焼いてしまった。
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41.16 源氏、出家の準備
御仏名おぶつみょうも、今年ばかりにこそは」と思せばにや、常よりもことに、錫杖の声々などあはれに思さる。行く末ながきことを請ひ願ふも、仏の聞きたまはむこと、かたはらいたし。
雪いたう降りて、まめやかに積もりにけり。導師のまかづるを、御前に召して、盃など、常の作法よりもさし分かせたまひて、ことに禄など賜はす。年ごろ久しく参り、朝廷にも仕うまつりて、御覧じ馴れたる御導師の、頭はやうやう色変はりてさぶらふも、あはれに思さる。例の、宮たち、上達部など、あまた参りたまへり。
梅の花の、わづかにけしきばみはじめて雪にもてはやされたるほど、をかしきを、御遊びなどもありぬべけれど、なほ今年までは、ものの音もむせびぬべき心地したまへば、時によりたるもの、うち誦じなどばかりぞせさせたまふ。
まことや、導師の盃のついでに、
春までの命も知らず雪のうちに
色づく梅を今日かざしてむ

御返し、
千世の春見るべき花と祈りおきて
わが身ぞ雪とともにふりぬる

人びと多く詠みおきたれど、もらしつ。
その日ぞ、出でたまへる。御容貌、昔の御光にもまた多く添ひて、ありがたくめでたく見えたまふを、この古りぬる齢の僧は、あいなう涙もとどめざりけり。
年暮れぬと思すも、心細きに、若宮の、
やらはむに、音高かるべきこと、何わざをせさせむ」
と、走りありきたまふも、「をかしき御ありさまを見ざらむこと」と、よろづに忍びがたし。
もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに
年もわが世も今日や尽きぬる

朔日のほどのこと「常よりことなるべく」と、おきてさせたまふ。親王たち、大臣の御引出物、品々の禄どもなど、何となう思しまうけて、とぞ。
「御仏名の法会も、今年が最後だ」と思えば、いつもより特別に、錫杖の声々などもあわれに覚える。源氏の長寿を願ふ祈祷も、仏がお聞ききになったら、変に思われるだろう。
雪が激しく降って、ずいぶん積もった。導師が退出するのを、御前に召して、盃など、通常の作法よりも特別して、特別に禄を賜る。 年来、久しく招いて、朝廷にも仕えていて、見馴れた導師の、頭はようやく白くなっているのを、あわれに感じるのだった。例によって、宮たち、上達部など、たくさん参会した。
梅の花が、わずかに気色ばみはじめて、雪に映えて輝いているところに趣があったが、管弦の遊びなどもあってよいのだが、やはり今年中は、楽の音もむせび泣くような心地がするので、時節にあったものを、詠みあげた。
そう言えば、導師の盃のついでに、
(源氏)「春まで命があるかどうか分からないので、
雪のなかで色づく梅を今日かざします」
返歌で、
(導師)「千年の後も梅をめでられるよう長寿をお祈りしましたが
わが身は降る雪と共に頭が白くなりました」
人々がたくさん詠んだが、聞き洩らしました。
源氏はその日、はじめて部屋に出た。容貌、昔の美しさに加わって、この世のものとも思えない美しさを見て、年老いた僧は、わけもなく涙を流すのだった。
今年も暮れてしまったと思い、心細く、若宮が、
「鬼やらいをしようと思うが、大きな音を立てるのは、何をしようか」
と走りまわっているのを、「この可愛い姿をもう見れなくなるのだ」と何かにつけ堪えがたい。
(源氏)「物思いして月日が過ぎるのも知らぬ間に
今年もわが生涯も尽きようとしている」
正月年頭の行事のことを、例年より格別にしようと、指図する。親王たちや大臣の引出物、品々の禄など、またとないほど用意されたとか。
2020.8.19/ 2022.4.22◎
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読書期間2020年8月11日 - 2020年8月19日