源氏物語  幻 注釈

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わが宿は花もてはやす人もなし何にか春のたづね来つらむ 私の家にはもう花を喜ぶ人もいませんのに、何のために春がわざわざ訪ねて来たのでしょう(新潮)
香をとめて来つるかひなくおほかたの花のたよりと言ひやなすべき 梅の香を求めてお訪ねした甲斐もなく、ただ一通りの花見のついでと仰るつもりですか(新潮)上の句、わざわざ源氏を慰めようとして来たのに、の意がある。/ 梅の香を求めて来たかいもなく ありきたりの花見とおっしゃるのですか(渋谷)
絶えて、御方々にも渡りたまはず (源氏が)このところ、全くほかのご夫人たち(花散里や明石の上)のもとへもお出にならず。
紛れなく見たてまつるを慰めにて いつも目の前に拝することを心の慰めにして、お側去らずお仕え申している。「まぎれなく」は、ひたすら、いちずに、の意。
まめやかに御心とどめてなどはあらざりしかど、時々は見放たぬやうに思したりつる人びとも 本気でお心にかけてというのではなかったが、時々は見捨てがたい者とお思いであった人にも。源氏の寵を受けていた女房たち。後出の中納言の君、中将の君など。
などて、戯れにても、またまめやかに心苦しきことにつけても、さやうなる心を見えたてまつりけむ どうして、一時の浮気沙汰にせよ、また真実おいたわしかったにせよ、他の女性にひかれるような心をお見せしたのだろう。
憂き世には雪消えなむと思ひつつ思ひの外になほぞほどふる  辛いこの世から姿を消してしまいたいと思いながら、思いもかけずまだ月日を過ごしていることだ。
かくてもいとよく思ひ澄ましつべかりける世を、はかなくもかかづらひけるかな このように独り住みでも殊勝に行いすまして過ごせる人生だったのに、たあいもなく俗世にかかずらわってきたものだ。
我さへうち捨てては 自分まで出家してしまったら、
植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らず顔にて来ゐる鴬 この木を植えて楽しんだ主人もいない家にそれも知らぬげにやってきて鳴いている鶯だ(新潮)
今はとて荒らしや果てむ亡き人の心とどめし春の垣根を  いよいよ出家するとなると、荒れ果てさせてしまうのだろうか、亡き人が心をこめて作った春の庭を。(新潮)
谷には春も 「光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの思ひもなし」(『古今集』巻十八雑下、時なりける人の、俄かに時なくなりて嘆くを見て、みづからの嘆きもなくよろこびもなきことを思ひてよめる 清原深養父) を引く、世を捨てた尼の身にとっては、人の世の悲しみよろこびも無縁であるという気持ちで言ったもの。女三の宮としては、卑下のつもりである。
ことしもこそあれ、心憂くも 女三の宮の素っ気ない返事に対して、(源氏の思い)「ほかに言いようもあるだろうに、不愉快な」/折から、庭前の花を見るにつけても、紫の上を偲び、悲嘆にくれる源氏にとってかざし、「もの思ひもなし」という結句に続く返事は、いかにも思いやりなく響くのである」と注す。(渋谷源氏)/ 外に言うことはまあ、いかにもある。然るに(私の物を思い悩んでいる時に)情けなくいやに仰せられるよ。(大系)
まづ、かやうのはかなきことにつけては、そのことのさらでもありなむかし、と思ふに、違ふふしなくてもやみにしかな (紫の上は)まず、こんな何でもない受け答えにしても、これこれのことについて、そんなふうにはしないでほしいなと、こちらの思いに反したことはついぞなかった。
故后の宮 藤壺の宮。崩御は二十年前の三月。
みづから取り分く心ざしにも、もののあはれはよらぬわざなり 自分が特別深い愛情を持っているから、特に無常の悲しみが深いとも限らないものです。
なくなくも帰りにしかな仮の世は いづこもつひの常世ならぬに 泣きながら帰ってきました、仮のこの世は、どこも永遠の住処ではないのに(新潮)/ 泣きながら帰ってきたことだ、この仮の世はどこもここも永遠の住まいではないのに(玉上)
雁がゐし苗代水の絶えしより 映りし花の影をだに見ず 雁がおりてきていた苗代水が絶えて後は、水に映っていた美しい花の姿さえ見ないのでございます(新潮)/ 雁がいた苗代水がなくなってからは、水に映った花のかげも見ません。上がなくなってからはお出で下さいませんこと(玉上)
なまめざましきものに思したりしを (紫の上は)この人を目障りな者とお思いであったが、
昔の御ありさまには、名残なくなりにたるべし 昔のように、夜を共にされるようなことは、すっかり無縁になられたようです。
夏衣裁ち替へてける今日ばかり古き思ひもすすみやはせぬ  夏衣を新しく仕立て下ろした今日ぐらいは、すっかり昔のことになりました私のことをお思い出さないことがありましょうか(新潮)/ 夏衣を仕立ててお召しかえになる今日だけは、もとのお気持ちもお静まりでしょうね。紫の上への思いを今日だけは休めよ、と解する。(玉上)
羽衣の薄きに変はる今日よりは 空蝉の世ぞいとど悲しき 蝉の羽の薄いのに着替える今日だけは、はかない世がますます悲しくなる(玉上)/ 薄い夏衣に替る今日からは、空しいこの世がいよいよ悲しく思われることでしょう(新潮)
中将の君の、東面にうたた寝したるを、歩みおはして見たまへば、いとささやかにをかしきさまして、起き上がりたり  「中将の君」は源氏の寵を受けた女房。中将の君が東面でうたたねしているのを、近寄ってみると、小柄で可愛らしい様子をしていたが、起き上がった。/ 前にー中将の君は、まだ小さい頃から見馴れていたのだが、ごく内密に見過ごすこともできない折があったであろうが、紫の上に申し訳ない気がして、親しくはしていなかったが、こうして亡くなった後は、色めいた筋ではなく、紫の上が誰よりもかわいがっていたこともあり、形見と思って、あわれに思っていた。心ばせ容貌などもよく、形見とした気配は、何でもなかった場合よりは、好ましく気が利いていると思うのだった。
さもこそはよるべの水に水草ゐめ 今日のかざしよ名さへ忘るる いかにも、神前の寄る辺の水も古くなって、水草が一面に生えてもいましょうが、今日の挿頭(かざし)ですのに葵の名さえお忘れになるとは(新潮)/ お言葉どおり、よるべの水に水草が生えましょう。今日のかざしは名前までお忘れなのですもの(玉上)/ いかにもよるべの水も古くなって水草が生えていましょう今日の插頭の名前さえ忘れておしまいになるとは(渋谷源氏)
おほかたは思ひ捨ててし世なれども 葵はなほや摘みをかすべき 普通は捨て去ったことなのだが、この葵は今日も摘みそうだな(玉上)/ 大方のことは、執着を捨ててしまったこの世ではあるが、今日のこの葵だけは、やはり摘んでしまいそうだ(新潮)
亡き人を偲ぶる宵の村雨に 濡れてや来つる山ほととぎす 亡き人を偲ぶ今夜の雨に濡れて、死出の山から来たのか、郭公よ(新潮)/ 亡き人を偲ぶ今宵の村雨に濡れて来たのか、やまほととぎすよ(玉上)/ ほととぎすは冥土に通う鳥とされる。
ほととぎす君につてなむふるさとの
花橘は今ぞ盛りと
 郭公よ、あのお方(紫の上)のお伝えしておくれ、昔のお住まいの花橘は今が盛りだと(新潮)/ 時鳥よ、おくさまにお伝えしてくれ。故里の花橘は今が盛りだと(玉上)
つれづれとわが泣き暮らす夏の日を かことがましき虫の声かな なすこともなく、涙にくれて暮らす夏の日を、それなら自分も泣くというように鳴く蝉の声だ(新潮)/ することもなく涙とともに送っている夏のこの日、わたしのせいみたいに、鳴く虫の声だ(玉上)
夜を知る蛍を見ても悲しきは 時ぞともなき思ひなりけり 夜と知って光る蛍を見るにつけても悲しいのは、なき人を思うわが思いの火が昼夜の別なく燃えることである(玉上)/ 夜になったことを知って光を放つ蛍を見ても悲しいのは、夜昼ともなく燃える。亡き人を恋う思いである(新潮)
七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見て別れの庭に露ぞおきそふ 彦星と織姫星の逢う喜びは、雲の上の別世界のことと思って、今、二星が別れて行く夜明けの庭に置く露に、私の悲しみの涙を添えることだ(新潮)/ 星の天上別世界のことと思い、いま後朝(きぬぎぬ)の別れの涙の露のふるこの庭に、私の涙が加わる(玉上)
君恋ふる涙は際もなきものを 今日をば何の果てといふらむ 亡き君(紫の上)をお慕いする涙は、いつまでもとめどなく流れますのに、今日を何の果てというのでしょう(新潮)一周忌を果てというのによる修辞。/あなた様を慕う涙はきりもなく流れるのに、今日の日を何の果てというのでしょう(玉上)
人恋ふるわが身も末になりゆけど 残り多かる涙なりけり 亡き人を慕うわたしも、次第次第に残り少ない齢になってゆくが、涙はまだまだ残り多いのだった(新潮)/ なき人をしたう私も余命少なくなってゆくが、まだまだ残りの多い涙だった(玉上)
もろともにおきゐし菊の白露も一人袂にかかる秋かな 共に起きておいた菊のきせ綿、その露も今年の秋はわたし一人の袂にかかることだ(玉上)/かって紫の上と共に起きてめでた、菊に置いた朝露も、今年の秋はわたし一人の袂にかかることだ(新潮)/ 一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も今年の秋はわたし独りの袂にかかることだ(渋谷源氏)
大空をかよふ幻夢にだに 見えこぬ魂の行方たづねよ 大空を自在に飛び交う幻術士よ、夢にさえ現れない亡き人の魂の行方を探し求めてくれ「幻」神仙の術を使う人(新潮)/ 大空を飛びゆく幻術士よ。夢にさえ現れないなき人の魂の行方を尋ねてくれ(玉上)
宮人は豊明といそぐ今日日影も知らで暮らしつるかな  大宮人は、豊明節会にいそいそ参内する今日一日を、私は日の光の移ろいも知らず、昔の恋のやりとりも忘れて過ごしたことだ(新潮)/ 宮人たちは豊明の節会に夢中になる今日を、私は日の光もしらずあの人とも無沙汰で暮らしたことだ(玉上)/ 宮人が豊明の節会に夢中になっている今日わたしは日の光も知らないで暮らしてしまったな(渋谷源氏)
落ちとまりてかたはなるべき人の御文ども あとに残っては見苦しいようなお手紙なども。「落ち留まる」物がそのまま後に残る。
死出の山越えにし人を慕ふとて跡を見つつもなほ惑ふかな 死出の山を越えていってしまった人のあとを追おうとして、その人の残した筆の後を見ながら、相変わらず悲しみにくれていることだ(新潮)/ 死出の山をこえていった人を慕って行こうとして、その残した跡を見ながらも悲しみにまどうことだ(玉上)
かきつめて見るもかひなし藻塩草同じ雲居の煙とをなれ 搔き集め)/ かき集めて見ても何にもならない。この手紙は、あれと同じ空の煙となるがよい(玉上)
御仏名おぶつみょう 清涼殿で毎年12月19日から21日まで3日間行われる仏名会のこと。過去、現在、未来の三世の諸仏の名号を唱えて懺悔する法会。院宮、諸寺でもおこなわれた。
春までの命も知らず雪のうちに色づく梅を今日かざしてむ 春までの命もあるかどうか分からないから、旧年の雪のうちに咲きそめた梅を今日は挿頭(かざし)にしよう(新潮)/ 春までの命もどうか。この雪のうちに咲きそめた梅をかざしにしよう(玉上)
千世の春見るべき花と祈りおきて わが身ぞ雪とともにふりぬる 千世の春を見る梅の花と君の長寿をお祈りいたしました。わたくしの方は雪と共に年ふりました(玉上)/ 君をば、千世の春に会うべき花とご長寿の祈願をいたしまして、私めは、降る雪とともに年古りました(新潮)
もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに 年もわが世も今日や尽きぬる 物思いをして月日の過ぎるのも知らぬ間に、この一年もわが生涯も、今日で終わってしまうのか(新潮)/ もの思いに月日のたつのも知らずにいるうちに、この年も、わが寿命も今日最後になったのか(玉上)
朔日のほどのこと 正月年頭の行事のこと。六条院への参賀である。
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公開日2020年8月19日