源氏物語 42 匂兵部卿 におうひょうぶきょう

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原文 現代文
42.1 匂宮と薫の評判
光隠れたまひにし後、かの御影に立ちつぎたまふべき人、そこらの御末々にありがたかりけり。りゐの帝をかけたてまつらむはかたじけなし当代の三の宮、その同じ御殿にて生ひ出でたまひし宮の若君と、この二所なむ、とりどりにきよらなる御名取りたまひて、げに、いとなべてならぬ御ありさまどもなれど、いとまばゆき際にはおはせざるべし。
ただ世の常の人ざまに、めでたくあてになまめかしくおはするをもととして、さる御仲らひに、人の思ひきこえたるもてなし、ありさまも、いにしへの御響きけはひよりも、やや立ちまさりたまへるおぼえからなむ、かたへは、こよなういつくしかりける。
紫の上の、御心寄せことに育みきこえたまひしゆゑ、三の宮は、二条の院におはします。春宮をば、さるやむごとなきものにおきたてまつりたまて、帝、后、いみじうかなしうしたてまつり、かしづききこえさせたまふ宮なれば、内裏住みをせさせたてまつりたまへど、なほ心やすき故里に、住みよくしたまふなりけり。御元服したまひては、兵部卿と聞こゆ。
光源氏がお亡くなりになったあと、その輝きを継げる人は、大勢の子孫の中にいそうもなかった。譲位された冷泉院をどうこう申し上げるのは恐れ多い。今上帝の三の宮、その同じ御殿で生まれ育った宮の若君と、この二人が、それぞれに美しいと評判で、なるほど人並み優れた二人の容貌ではあるが、実にまぶしいほどの輝く美しさではないようだ。
ただ世間普通の人と同様に、すばらしく気品があり優美であることに加え、源氏の子孫ということで、世間の見る目も、尊敬の程も、源氏の若い日の評判より、少し上をいっているような高い世評なので、この上なく立派に思われた。
紫の上の愛情も格別で、ことのほか大切に育てたことから、三の宮は二条の院で生活している。春宮を、その立場上この上なく大切な方として遇していらっしゃるのだが、帝、后、は、三の宮をたいそうかわいがって、内裏住まいをさせたかったが、気楽な二条院がいいとして住んでいるのであった。元服してからは、兵部卿と称した。
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42.2 今上の女一宮と夕霧の姫君たち
女一の宮は、六条の院の南の町の東の対を、その世の御しつらひ改めずおはしまして、朝夕に恋ひしのびきこえたまふ。二の宮、同じ御殿の寝殿を、時々の御休み所にしたまひて、梅壺を御曹司にしたまうて、右の大殿の中の姫君を得たてまつりたまへり。次の坊がねにて、いとおぼえことに重々しう、人柄もすくよかになむものしたまひける。
大殿の御女は、いとあまたものしたまふ。 大姫君は、春宮に参りたまひて、またきしろふ人なきさまにてさぶらひたまふ。その次々、なほ皆ついでのままにこそはと、世の人も思ひきこえ、后の宮ものたまはすれど、この兵部卿宮は、さしも思したらず、わが御心より起こらざらむことなどは、すさまじく思しぬべき御けしきなめり。
大臣も、「何かは、やうのものと、さのみうるはしうは」と静めたまへど、また、さる御けしきあらむをば、もて離れてもあるまじうおもむけて、いといたうかしづききこえたまふ。六の君なむ、そのころの、すこし我はと思ひのぼりたまへる親王たち、上達部の、御心尽くすくさはひにものしたまひける。
女一の宮(明石の中宮腹)は、六条院の南の町の東の対を、生前の紫の上のしつらいを改めずに、朝夕に恋い慕っていた。二の宮も同じ御殿の寝殿を、時々休み所に使っていて、梅壺を自分の部屋にし、夕霧の中の姫君を北の方に迎えていた。兄君が即位の次の東宮候補で、帝の覚えもたいそうよく、人柄もしっかりしていた。
夕霧の娘はたくさんいる。長女は、東宮に嫁いで、他に寵を競う人がない勢いでお仕えしている。その次々の娘も皆順序通りになるだろうと、世間の噂にもなり、明石の中宮も言っているが、この兵部卿の宮はそうは思っていなかった。自分から望まれたのではない縁組を、おもしろくないと思っているのだった。
夕霧も、「なんの、皆同じように、そんな格式ばった縁組ばかりしなくて」も、と落ち着きはらっていらっしゃるが、しかし、もし帝のご意向があるのなら、お断わりしない、と大切にお世話している。六番目の姫君は、少し我こそは婿の候補と思いあがった親王たち、上達部の、心を悩ます種になっている。
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42.3 光る源氏の夫人たちのその後
さまざま集ひたまへりし御方々、泣く泣くつひにおはすべき住みかどもに、皆おのおの移ろひたまひしに、花散里と聞こえしは、東の院をぞ、御処分所にて渡りたまひにける。
入道の宮は、三条の宮におはします今后は、内裏にのみさぶらひたまへば、院のうち寂しく、人少なになりにけるを、右の大臣、
「人の上にて、いにしへの例を見聞くにも、生ける限りの世に、心をとどめて造り占めたる人の家居の、名残なくうち捨てられて、世の名残も常なく見ゆるは、いとあはれに、はかなさ知らるるを、わが世にあらむ限りだに、この院荒さず、ほとりの大路など、人影離れ果つまじう」
と、思しのたまはせて、丑寅の町に、かの一条の宮を渡したてまつりたまひてなむ、三条殿と、夜ごとに十五日づつ、うるはしう通ひ住みたまひける。
二条の院とて、造り磨き、六条の院の春の御殿とて、世にののしる玉の台も、ただ一人の御末のためなりけり、と見えて、明石の御方は、あまたの宮たちの御後見をしつつ、扱ひきこえたまへり。大殿は、いづかたの御ことをも、昔の御心おきてのままに、改め変ることなく、あまねき親心に仕うまつりたまふにも、「対の上の、かやうにてとまりたまへらましかば、いかばかり心を尽くして仕うまつり見えたてまつらまし。つひに、いささかも取り分きて、わが心寄せと見知りたまふべきふしもなくて、過ぎたまひにしこと」を、口惜しう飽かず悲しう思ひ出できこえたまふ。
天の下の人、院を恋ひきこえぬなく、とにかくにつけても、世はただ火を消ちたるやうに、何ごとも栄なき嘆きをせぬ折なかりけり。まして、殿のうちの人びと、御方々、宮たちなどは、さらにも聞こえず、限りなき御ことをばさるものにて、またかの紫の御ありさまを心にしめつつ、よろづのことにつけて、思ひ出できこえたまはぬ時の間なし。春の花の盛りは、げに、長からぬにしも、おぼえまさるものとなむ。
それぞれに集っていた夫人たちは、泣く泣く終の棲家へ、皆おのおの移っていったが、花散里といわれる方は、東の院を、遺産として贈られたのでそこに移リ住んだ。
入道の宮は、三の宮に住まっていた。明石の中宮は、内裏にのみおられるので、院の内は寂しく、人が少なくなるのを、夕霧は、
「人の話を聞いても、昔の例を見聞きするにも、生前心を込めて造作した人の家が、跡形もなく打ち捨てられて、世の無常を見るのは、 あわれで、世のはかなさを知ることになるのを、自分が世にある限り、この院を荒らさず、あたりの大路も人影がいなくなるようにはさせない」
と思い口にも出して、丑寅の町に、あの落葉の宮を移して、雲居の雁と、落葉の宮を、夜ごと十五日づつ、それぞれに通い住めるようにした。
源氏は二条の院を、造り磨き、六条の院は春の御殿として、世間で大騒ぎされた玉の御殿であったが、それもこれもただ一人の御方のためであったように思え、明石の君は、たくさんの宮たちの後見として、お世話していた。夕霧は、どのことにも、源氏の意向そのまま、改めることなく、分け隔てなく親切に面倒を見るのだが、「紫の上がもしこのように夫人方のように長生きしていれば、どれほど精魂を尽くしてお世話しただろう。遂に、少しも特別に、わたしが好意を持っていることをお知りになることなく、亡くなってしまった」と、口惜しく悲しく思い出すのだった。
天下の人々で、源氏を恋い慕わない者はなく、何につけても、世の中は火を消したようになり、何につけ栄えあるものはなくなったと嘆くのだった。まして御殿の中の人々、宮たちなどは、改めて言うまでもなく、源氏の死去はさるものにて、また、あの紫の上の生前の様子を心に思い、万事につけて、思い出さない時はなかった。春の花の盛りは、実に、短いにからこそ、愛着が勝るのだ。
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42.4 薫、冷泉院から寵遇される
二品にほん宮の若君は、院の聞こえつけたまへりしままに、冷泉院の帝、取り分きて思しかしづき、后の宮も、皇子たちなどおはせず、心細う思さるるままに、うれしき御後見に、まめやかに頼みきこえたまへり。
御元服なども、院にてせさせたまふ。十四にて、二月に侍従になりたまふ。秋、右近中将になりて、御たうばりの加階などをさへ、いづこの心もとなきにか、急ぎ加へておとなびさせたまふ。おはします御殿近き対を曹司にしつらひなど、みづから御覧じ入れて、若き人も、童、下仕へまで、すぐれたるを選りととのへ、女の御儀式よりもまばゆくととのへさせたまへり。
上にも宮にも、さぶらふ女房の中にも、容貌よく、あてやかにめやすきは、皆移し渡させたまひつつ、院のうちを心につけて、住みよくありよく思ふべくとのみ、わざとがましき御扱ひぐさに思されたまへり。故致仕の大殿の女御と聞こえし御腹に、女宮ただ一所おはしけるをなむ、限りなくかしづきたまふ御ありさまに劣らず、后の宮の御おぼえの、年月にまさりたまふけはひにこそは、などかさしも、と見るまでなむ。
母宮は、今はただ御行ひを静かにしたまひて、月の御念仏年に二度の御八講、折々の尊き御いとなみばかりをしたまひて、つれづれにおはしませば、この君の出で入りたまふを、かへりて親のやうに、頼もしき蔭に思したれば、いとあはれにて、院にも内裏にも、召しまとはし、春宮も、次々の宮たちも、なつかしき御遊びがたきにてともなひたまへば、暇なく苦しく、「いかで身を分けてしがな」と、おぼえたまひける。
二品にほんの宮の若君の薫は、源氏がお頼みした通り、冷泉院の帝が取り分け可愛がり、秋好中宮も、子がいなくて心細く思っていたので、願ってもない後見役と、心から頼みにしていた。
元服なども、上皇御所で行った。十四歳で、二月に侍従になっていた。秋、右近中将になって、上皇枠で加階までさせ、何が心配なのか、急いで立派に一人前に仕立てた。院のお住まいの御殿近くに、部屋ををしつらい、院自ら指図されて、若い従者も、童、下働きまで、優れた者を整えて、女宮の儀式よりもきらびやかに盛大に行うのだった。
上皇にも中宮にも、それぞれ仕えるに女房のなかで容貌よく、品があって見苦しくない者は皆薫の部屋付に移して、上皇の御所が好きになるように、住み心地がよくなるようにして、特別に配慮するのであった。亡くなった致仕の大臣の女御との間に生まれた、女宮がひとりいたが、たいそう大事にされていたがそれに劣らず、中宮への寵愛が、年とともにまさってゆくに応じて、たいそうなご寵愛だった。
母宮の女三宮は、勤行を静かに勤めて、毎月の念仏会、年に二度の法華八講、折々の尊い仏事ばかりをして、所在がないので、この若君の三条宮の出入りを、かえって反対に薫が親のようにも、頼もしく思われ、薫はおいたわしく思って、院にも帝にもそばを離れず、東宮も、次々の宮たちも仲の良い遊び相手になって、暇なくてつらく、「どうやってこの身を分けようか」と思うのであった。
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42.5 薫、出生の秘密に悩む
幼心地にほの聞きたまひしことの、折々いぶかしう、おぼつかなう思ひわたれど、問ふべき人もなし。 宮には、ことのけしきにても、知りけりと思されむ、かたはらいたき筋なれば、世とともの心にかけて
「いかなりけることにかは、何の契りにて、かうやすからぬ思ひ添ひたる身にしもなり出でけむ。善巧太子ぜんぎょうだいしの、わが身に問ひけむ悟りをも得てしがな」とぞ、独りごたれたまひける。
おぼつかな誰れに問はましいかにして
初めも果ても知らぬわが身ぞ

いらふべき人もなし。ことに触れて、わが身につつがある心地するも、ただならず、もの嘆かしくのみ、思ひめぐらしつつ、「宮もかく盛りの御容貌をやつしたまひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむきたまひけむ。かく、思はずなりけることの乱れに、かならず憂しと思しなるふしありけむ。人もまさに漏り出で、知らじやは。なほ、つつむべきことの聞こえにより、我にはけしきを知らする人のなきなめり」と思ふ。
「明け暮れ、勤めたまふやうなめれど、はかなくおほどきたまへる女の御悟りのほどに、 蓮の露も明らかに、玉と磨きたまはむことも難し。五つのなにがしも、なほうしろめたきを、我、この御心地を、同じうは後の世をだに」と思ふ。「かの過ぎたまひけむも、やすからぬ思ひに結ぼほれてや」など推し量るに、世を変へても対面せまほしき心つきて、元服はもの憂がりたまひけれど、すまひ果てず、おのづから世の中にもてなされて、まばゆきまではなやかなる御身の飾りも、心につかずのみ、思ひしづまりたまへり。
幼な心にもほのかに耳にしたことの、折々に気にかかって、どうしたことかと、聞ける人もいない。母宮は、出生の秘密を少しでも知っていると思われるのは、具合の悪いので、ずっと気にかけていて、
「どうしたのだろう。どんな前世の因果があってこんな悩みを持った身に生まれたのか。善巧太子ぜんぎょうだいしがわが身に問うて得たという悟りを得たいものだ」と独り言を言うのだった。
(薫)「分からない誰に問うたらいいのだろう
生の初めも終わりも分からないこの身ぞ」
答えてくれる人もいない。何ごとにつけ、わが身に悪いところでもあるような気がして、嘆かわしく思いめぐらすが、「母宮も盛りの時に髪を剃して、どんな道心があったのだろう、にわかに仏門に入られた。ある不本意な間違いが元で世を憂しと思ったのではないだろうか。世間の人がどうしてこの秘密を知らないはずがあろうか。世間に広く知られては困るから、わたしに教えてくれる人もいないのだ」と思う。
「明け暮れ、お勤めしているが、取りとめもなくおっとりとした女の悟りでは、きっぱり煩悩を断って、極楽に往生することも難しいだろう。女の五つの障りもあり、やはり心配なので、母の仏道修行もどうせなら、極楽往生もお助けしたい」と思うのだった。「あの亡くなった柏木も安からぬ思いで往生できずにいられよう」などと推し量る、生まれ変わっても会いたい気持ちになって、元服は気が進まなかったが、辞退しきれず、そのまま世間から迎え入れられて、華やかな身の栄華も、気に染まず、もの静かにしていた。
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42.6 薫、目覚ましい栄達
内裏にも、母宮の御方ざまの御心寄せ深くて、いとあはれなるものに思され、后の宮はた、もとよりひとつ御殿にて、宮たちももろともに生ひ出で、遊びたまひし御もてなし、をさをさ改めたまはず、「末に生まれたまひて、心苦しう、おとなしうもえ見おかぬこと」と、院の思しのたまひしを、思ひ出できこえたまひつつ、おろかならず思ひきこえたまへり。
右の大臣も、わが御子どもの君たちよりも、この君をばこまやかにやうごとなくもてなしかしづきたてまつりたまふ。
昔、光る君と聞こえしは、さるまたなき御おぼえながら、そねみたまふ人うち添ひ、母方の御後見なくなどありしに、御心ざまもの深く、世の中を思しなだらめしほどに、並びなき御光を、まばゆからずもてしづめたまひ、つひにさるいみじき世の乱れも出で来ぬべかりしことをも、ことなく過ぐしたまひて、後の世の御勤めも後らかしたまはず、よろづさりげなくて、久しくのどけき御心おきてにこそありしか、この君は、まだしきに、世のおぼえいと過ぎて、思ひあがりたること、こよなくなどぞものしたまふ。
げに、さるべくて、いとこの世の人とはつくり出でざりける、仮に宿れるかとも見ゆること添ひたまへり。顔容貌も、そこはかと、いづこなむすぐれたる、あなきよら、と見ゆるところもなきが、ただいとなまめかしう恥づかしげに、心の奥多かりげなるけはひの、人に似ぬなりけり。
香のかうばしさぞ、この世の匂ひならず、あやしきまで、うち振る舞ひたまへるあたり、遠く隔たるほどの追風に、まことに百歩の外も薫りぬべき心地しける。誰も、さばかりになりぬる御ありさまの、いとやつればみ、ただありなるやはあるべき、さまざまに、われ人にまさらむと、つくろひ用意すべかめるを、かくかたはなるまで、うち忍び立ち寄らむものの隈も、しるきほのめきの隠れあるまじきに、うるさがりて、をさをさ取りもつけたまはねど、あまたの御唐櫃にうづもれたるこうどもも、この君のは、いふよしもなき匂ひを加へ、御前の花の木も、はかなく袖触れたまふ梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしむる人多く、秋の野に主なき藤袴も、もとの薫りは隠れて、なつかしき追風、ことに折なしからなむまさりける。
帝も、母宮との関係で関心が深く、心から愛おしいものに思い、明石の中宮は、もとよりひとつの御殿で、宮たちとも一緒に育てられたので、遊び相手もそのままで、改めることなく、「わたしの晩年に生まれて、かわいそうに、成人した姿が見られないのではないか」と源氏が思い仰せになるのを、中宮はお聞きになっていて、大切に心に留めていた。
夕霧も、自分の子供たち以上に、この君に気を配って貴い人としてお世話するのであった。
昔、源氏が光る君と呼ばれていて、比類ない帝のご寵愛を受けている中にあっても、憎む人がいて、母方の後見がなかったのだが、源氏は、思慮深く、世の中を穏やかにお考えになって、並びない威光を、目立たぬようになさり、遂には世の乱れにもなりかねなかった謀反の疑いも、無事にしのいで、来世への用意も遅くならず、すべてさりげなく振舞って、遠く先をみるといった考え方をされていたのだが、薫は、まだ若いのに、世間から大切にされ過ぎて、気位の高さも、相当なものがあった。
本当に、まったくこの世の人として生まれ出たようではない。菩薩が仮に人間の姿を借りたもののようだ。顔、容貌も、はっきりとどこがすばらしいのか、本当に美しいと見えるところもない顔立ちだが、ただ優美で気品が高く、心の奥が知れない趣があり、人並み外れていた。。
香りの香ばしさは、この世のものとは思われない。不思議なほどに、薫の立居振舞う辺りは、遠くからの追い風に、実に百歩離れていても、香る心地がする。誰であれ、これほど高い身分の者の風采が、見すぼらしく、地味なことがあろうか。誰もが我こそ人にすぐれていると、身づくろいをるが、薫は、困ってしまうほど、お忍びで立ち寄る隅々にまでそれと分かる香が漂い、ごまかしようもないので、厄介に思って、ほとんど香を衣に焚きしめない。たくさんの唐櫃に入ったこうも、この君のは、言いようもなく素晴らしい香を加えて、御前の花の木も、そっと袖をかけた梅の香は、春雨の雫に濡れて、身に染ませる人が多く、秋の野の主なき藤袴も、元の香りは隠れ、薫が通った後の追風、手折ったあとの香りが勝るのだった。
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42.7 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う
† かく、いとあやしきまで人のとがむる香にしみたまへるを、兵部卿宮なむ、異事よりも挑ましく思して、それは、わざとよろづのすぐれたる移しをしめたまひ、朝夕のことわざに合はせいとなみ、御前の前栽にも、春は梅の花園を眺めたまひ、秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿さおしかの妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、衰へゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し捨てずなど、わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける。
かかるほどに、すこしなよびやはらぎて、好いたる方に引かれたまへりと、世の人は思ひきこえたり。昔の源氏は、すべて、かく立ててそのことと、やう変り、しみたまへる方ぞなかりしかし。
源中将げんちゅうじょうの宮には常に参りつつ、御遊びなどにも、きしろふものの音を吹き立て、げに挑ましくも、若きどち思ひ交はしたまうつべき人ざまになむ。例の、世人は、「匂ふ兵部卿、薫る中将」と、聞きにくく言ひ続けて、そのころ、よき女おはする、やうごとなき所々は、心ときめきに、聞こえごちなどしたまふもあれば、宮は、さまざまに、をかしうもありぬべきわたりをばのたまひ寄りて、人の御けはひ、ありさまをもけしきとりたまふ。わざと御心につけて思す方は、ことになかりけり。
「冷泉院の女一の宮をぞ、さやうにても見たてまつらばや。かひありなむかし」と思したるは、母女御もいと重く、心にくくものしたまふあたりにて、姫宮の御けはひ、げに、いとありがたくすぐれて、よその聞こえもおはしますに、まして、すこし近くもさぶらひ馴れたる女房などの、くはしき御ありさまの、ことに触れて聞こえ伝ふるなどもあるに、いとど忍びがたく思すべかめり。
こうして、薫は、人が不審におもうほど香がしみていたので、兵部卿が、他のことよりも対抗意識を出して、こちらは念入りに優れた香を、朝夕必須のこととして調合に精をだして、御前の前裁にも、春は梅の花園を眺め、秋は世の人の愛ずる女郎花、小牡鹿さおしかが妻を求めて鳴く萩の露にも、決して心を寄せることがなく、老いを忘れる菊に、衰えゆく藤袴、見栄えのしないわれもこうなど、いかにも興ざめの霜枯れの頃まで、見捨てないといった風に、特に念入りに、香を愛ずる気持ちを、風流がっておられた。
こうして、匂宮は、少し女々しくやさしく、趣味的なものに溺れていると、世間の人は思っていた。昔の源氏は、すべて、何かあることをするにしても、やり方が違って、それに執着されることはなかった。
薫は、匂宮の所にはいつも来て、管弦の遊びにも、互いに張り合って吹きたて、実に良い競争相手で、若者どうし仲の良い間柄だった。例によって世間では、「匂ふ兵部卿、薫る中将」と二人を並べたてて言い、そのころ年頃の女がいる高貴な家々では、胸を躍らせて、婿にと話をもちかける向きもあるので、匂宮は、それぞれに、捨てたものではないと思われる所には言葉をかけて、本人の様子を探るのであった。これといって特に心に留まった女はいなかった。
「冷泉院の女一の宮は、そういう対象として見ていいかもしれない。きっとうまくゆくだろう」と思うに、母女御も家柄がよく、たしなみ深くいらっしゃる方で、姫宮の様子は、またとなく素晴らしいので、世間の評判も良く、それに、近くにお付きに仕えて馴れている女房たちに、詳しく様子を聞いて、ことにふれて、聞き伝うこともあったので、いよいよ抑え難い気持ちになるのであった。
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42.8 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格
中将は、世の中を深くあぢきなきものに思ひ澄ましたる心なれば、「なかなか心とどめて、行き離れがたき思ひや残らむ」など思ふに、「わづらはしき思ひあらむあたりにかかづらはむは、つつましく」など思ひ捨てたまふ。さしあたりて、心にしむべきことのなきほど、さかしだつにやありけむ。人の許しなからむことなどは、まして思ひ寄るべくもあらず。
十九になりたまふ年、三位の宰相にて、なほ中将も離れず。帝、后の御もてなしに、ただ人にては、憚りなきめでたき人のおぼえにてものしたまへど、心のうちには身を思ひ知るかたありて、ものあはれになどもありければ、心にまかせて、はやりかなる好きごと、をさをさ好まず、よろづのこともてしづめつつ、おのづからおよすけたる心ざまを、人にも知られたまへり。
三の宮の、年に添へて心をくだきたまふめる、院の姫宮の御あたりを見るにも、一つ院のうちに、明け暮れ立ち馴れたまへば、ことに触れても、人のありさまを聞き見たてまつるに、「げに、いとなべてならず。心にくくゆゑゆゑしき御もてなし限りなきを、同じくは、げにかやうなる人を見むにこそ、生ける限りの心ゆくべきつまなれ」と思ひながら、おほかたこそ隔つることなく思したれ、姫宮の御方ざまの隔ては、こよなく気遠くならはさせたまふも、ことわりにわづらはしければ、あながちにもまじらひ寄らず。「もし、心より外の心もつかば、我も人もいと悪しかるべきこと」と思ひ知りて、もの馴れ寄ることもなかりけり。
我が、かく、人にめでられむとなりたまへるありさまなればはかなくなげの言葉を散らしたまふあたりも、こよなくもて離るる心なく、なびきやすなるほどに、おのづからなほざりの通ひ所もあまたになるを 人のために、ことことしくなどもてなさず、いとよく紛らはし、 そこはかとなく情けなからぬほどの、なかなか心やましきを、思ひ寄れる人は、誘はれつつ、三条の宮に参り集まるはあまたあり
つれなきを見るも、苦しげなるわざなめれど、絶えなむよりは、心細きに思ひわびて、さもあるまじき際の人びとの、はかなき契りに頼みをかけたる多かり。さすがに、いとなつかしう、見所ある人の御ありさまなれば、見る人、皆心にはからるるやうにて、見過ぐさる
薫は、世の中を心底つまらないものだと悟りすました気持ちでいるので、「女に執着したら、出家が難しくなるだろう」などと思うに、「煩わしいことにかかわるのは、気が進まない」などと結婚は断念している。今のところ深く心にかかるような人がいないので、利口ぶっているのだろうか。娘の親の承諾のないような結婚は、なおさら考えるはずもない。
十九になった年、三位の宰相に昇進して、中将も兼務した。帝、后の寵愛に、臣下として、誰はばかることなき人望を得ていたが、心の内では、わが身の上に思い知るところがあって、、物悲しい思いをすることもあり、心にまかせた、浮いた色事には、一向に気が進まず、万事控えめなので、自然に老成した気性の方と、周囲の人にも知られている。
匂宮が、年とともに気をもんでいるらしい、冷泉院の姫君の周辺を見ても、同じ院のなかで、明け暮れの立ち居振る舞いに馴れてしまえば、ことにふれて、姫宮の有様を見聞きするに、「なるほどいかにも優れている。奥ゆかしくたしなみ深い暮らしぶりはこの上なく、このような姫と結婚したら、一生楽しく暮らしてゆけるだろう」と思いながら、たいていのことでは分け隔てされないが、姫君の周辺は、容易に近づけないように隔てられており、ごもっともなので、無理にも近づこうとはしない。「もしわが意に反して、姫宮を恋しく思う心が生じたら、互いが都合悪いことになろう」とわきまえて、馴れ馴れしく近づかなかった。
自分がこのように、女に好かれるように生まれついたので、深くもない愛の言葉をあちこちにかけるにしても、全然相手にしないという風ではなく、女がすぐ意のままになるので、いつかたいして気に染まぬ通い所もあちこちにあって、相手の女には特別な扱いをせず、情がないでもない風の扱いをするので、女はかえってやきもきし、情を寄せる女は、気が引かれて、三条の宮に女房として集まるのだった。
薫の冷淡な態度を見ても、つらいことだが、関係が切れてしまうよりは、ものわびしさに堪え、身分の低い女たちのなかには、はかない縁に望みをかける者も多かった。とても美しい容姿なので、情を交わす女は皆、惹かれる気持ちが強く、薫をつい大目に見てしまうのだった。
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42.9 夕霧の六の君の評判
「宮のおはしまさむ世の限りは、朝夕に御目離れず御覧ぜられ、見えたてまつらむをだに」
と思ひのたまへば、右の大臣も、あまたものしたまふ御女たちを、一人一人は、と心ざしたまひながら、え言に出でたまはず。「さすがに、ゆかしげなき仲らひなるを」とは思ひなせど、「この君たちをおきて、ほかには、なずらひなるべき人を求め出づべき世かは」と思しわづらふ。
やむごとなきよりも、典侍腹の六の君とか、いとすぐれてをかしげに、心ばへなどもたらひて生ひ出でたまふを、世のおぼえのおとしめざまなるべきしも、かくあたらしきを、心苦しう思して、一条の宮の、さる扱ひぐさ持たまへらでさうざうしきに、迎へとりてたてまつりたまへり。
「わざとはなくて、この人びとに見せそめては、かならず心とどめたまひてむ。人のありさまをも知る人は、ことにこそあるべけれ」など思して、いといつくしくはもてなしたまはず、今めかしくをかしきやうに、もの好みせさせて、人の心つけむたより多くつくりなしたまふ。
「母宮の生きている限りは、朝夕にお側を離れず、お目通りして、お仕えいたします」
と(薫は)思っているので、夕霧も、たくさん娘がいるので、誰かひとりは、と希望していたが、口に出して言えない。「あまりに近すぎる縁者なのだとは思うが」、「この二人の君たちをおいてほかに、比肩できる若者がいるだろうか」と思い悩むのだった。
正妻の子というより、典侍腹の六の君は、人並み優れて器量がよく、気立てもよく成長して、世間の評判が低く見られがちだったが、これほど美しいので、不憫に思って、落葉の宮が手持ち無沙汰で物足りないので、六条院に迎えて、宮に預けた。
「わざとらしくなく、この人たちに見せてやれば、必ず心に留まるだろう。女の良さを分かる人なら、ことにそうだ」などと思って、特に大切にするではなく、はなやかで人目が引くように、しゃれた暮らしをさせて、若い公達が好ましく思うように、いろいろ工夫をされた。
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42.10 六条院の賭弓の還饗
賭弓のりゆみ還饗かえりあるじのまうけ、六条の院にていと心ことにしたまひて、親王をもおはしまさせむの心づかひしたまへり。
その日、親王たち、大人におはするは、皆さぶらひたまふ。后腹のは、いづれともなく、気高くきよげにおはします中にも、この兵部卿宮は、げにいとすぐれてこよなう見えたまふ。四の親王、常陸宮と聞こゆる、更衣腹のは、思ひなしにや、けはひこよなう劣りたまへり。
例の、左、あながちに勝ちぬ。例よりは、とくこと果てて、大将まかでたまふ。兵部卿宮、常陸宮、后腹の五の宮と、一つ車に招き乗せたてまつりて、まかでたまふ。宰相中将は、負方にて、音なくまかでたまひにけるを、
「親王たちおはします御送りには、参りたまふまじや」
と、おしとどめさせて、御子の右衛門督、権中納言、右大弁など、さらぬ上達部あまた、これかれに乗りまじり、誘ひ立てて、六条の院へおはす。
道のややほど経るに、雪いささか散りて、艶なるたそかれ時なり。物の音をかしきほどに吹き立て遊びて入りたまふを、「げに、ここをおきて、いかならむ仏の国にかは、かやうの折節の心やり所を求めむ」と見えたり。
寝殿の南の廂に、常のごと南向きに、中少将着きわたり、北向きにむかひて、垣下の親王たち、上達部の御座あり。御土器など始まりて、ものおもしろくなりゆくに、「求子」舞ひて、かよる袖どものうち返す羽風に、御前近き梅の、いといたくほころびこぼれたる匂ひの、さとうち散りわたれるに、例の、中将の御薫りの、いとどしくもてはやされて、いひ知らずなまめかし。はつかにのぞく女房なども、「闇はあやなく、心もとなきほどなれど、香にこそ、げに似たるものなかりけれ」と、めであへり。
大臣も、いとめでたしと見たまふ。容貌用意も、常よりまさりて、乱れぬさまに収めたるを見て、
「右の中将も声加へたまへや。いたう客人だたしや」
とのたまへば、憎からぬほどに、「神のます」など。
賭弓のりゆみ還饗かえりあるじの支度は、夕霧が六条の院で特別念入りにして、親王をもお迎えするべく配慮した。
その日、親王たちのうち成人した者は皆出席された。明石の中宮腹のは、どの方も気高くきれいでいるなかでも、この兵部卿宮は、実に優れて並ぶべき人がなく見える。四の親王、常陸宮といわれる更衣腹の親王は、そう思って見るせいか、人品が格段に劣っている。
例によって、左が一方的に勝った。例年よりは早く終わって、夕霧は退出された。匂宮、常陸の宮、后腹の五の宮と、招いて同じ車に乗せて、退出した。宰相の中将の薫は、負け方にてひっそり退出しようとするのを、
「親王たちもいらっしゃるので、ご一緒にどうですか」
おしとどめて、子息の衛門の督、権中納言、右大弁など、そのたの上達部多数、あれこれの車にのって、誘い合って、六条の院へ行くのだった。
道々、雪が降ってきて、趣のある夕方だった。笛の音がゆかしく鳴り、楽しんで吹き合いながら、院に入った。「実に、六条の院の他に、仏の国の極楽浄土のような楽しみを尽くせる所があるだろうか」と思うのだった。
寝殿の南の廂に、恒例によって、南向きに中少将たちが着席し、向き合って北向きに、相伴役の親王たち、上達部の座があった。お酒などがはじまって、おもしろくなってくる頃に、求子もとめごを舞って、翻る袖の風に、御前の梅が咲きほころんで匂いがさっと散りわたるに、例によって中将の薫がいっそうもてはやされて、言いようもなく優美であった。そっと几帳の陰から覗く女房たちも、「今夜の春の夜の闇は、むやみに梅の花を隠しますが、香りこそ、実に似るものもないものだ」と愛でるのだった。
夕霧も、薫を実に立派だとご覧になる。容貌・態度もいつも以上で、行儀正しい所作を見て、
「右の中将の薫も一緒にいかがですか。客人のように構えてますが」
と言うと、無愛想にならぬ程度に、「神のます」などを謡った。
2022.4.27
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読書期間2020年8月20日 - 2020年8月28日