蜻蛉 あらすじ
薫君の大納言時代二十七歳三月末頃から秋頃までの物語
浮舟失踪の翌朝、宇治の人々は何がどうなったか分からず、右往左往するばかりだった。右近は昨夜の母君への手紙を開けてみて、入水の覚悟を知った。母からも宮からも使いが来たが、事情を伝えることもできない。
やがて母君もやって来て、入水の噂が世間に広まるのを恐れ、山寺の僧たちを呼び、亡骸のないまま荼毘に付し、葬送をすませてしまった。
薫は母の病気祈願で、石山寺に籠っていたが、御庄の人からの使いから聞いて、「このような一大事では自ら行くべきだが、今は参篭中で、身を慎んでいるので、葬儀などは日を延べてもよかったが、死んでしまってものはどうしようもない。御庄の田舎者に、人の一生の最後の作法を軽んじた、と批判されるのもつらい」と思い、四十九日の法事を手厚く催すのだった。
薫は、明石の中宮の法華八講にでて、中宮方の女房の小宰相に会うため訪れたとき、女一の宮をかいま見て、その美しさにひかれる。
一方、故式部卿の娘が、元皇族の身で、中宮の女房になった宮の君の運命を、薫はあわれむのだった。
蜻蛉 章立て
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- 52.1 宇治の浮舟失踪
- かしこには、人びと、おはせぬを求め騒げど、かひなし。
- 52.2 匂宮から宇治へ使者派遣
- 宮にも、いと例ならぬけしきありし御返り、「いかに思ふならむ。我を、さすがにあひ思ひたるさまながら、あだなる心なりとのみ、深く疑ひたれば、他へ行き隠れむとにやあらむ」と思し騷ぎ、御使あり。
- 52.3 時方、宇治に到着
- かやすき人は、疾く行き着きぬ。
- 52.4 乳母、悲嘆に暮れる
- 内にも泣く声々のみして、乳母なるべし、
「あが君や、いづ方にかおはしましぬる。
- 52.5 浮舟の母、宇治に到着
- 雨のいみじかりつる紛れに、母君も渡りたまへり。
- 52.6 侍従ら浮舟の葬儀を営む
- 侍従などこそ、日ごろの御けしき思ひ出で、「身を失ひてばや」など、泣き入りたまひし折々のありさま、書き置きたまへる文をも見るに、「亡き影に」と書きすさびたまへるものの、硯の下にありけるを見つけて、川の方を見やりつつ、響きののしる水の音を聞くにも、疎ましく悲しと思ひつつ、・・・
- 52.7 侍従ら真相を隠す
- 大夫たいふ、内舎人うどねりなど、脅しきこえし者どもも参りて、
「御葬送の事は、殿に事のよしも申させたまひて、日定められ、いかめしうこそ仕うまつらめ」
など言ひけれど、
「ことさら、今宵過ぐすまじ。
- 52.8 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す
- 大将殿は、入道の宮の悩みたまひければ、石山に籠もりたまひて、騷ぎたまふころなりけり。
- 52.9 薫の後悔
- 殿は、なほ、いとあへなくいみじと聞きたまふにも、
「心憂かりける所かな。鬼などや住むらむ。
- 52.10 匂宮悲しみに籠もる
- かの宮はた、まして、二、三日はものもおぼえたまはず、うつし心もなきさまにて、「いかなる御もののけならむ」など騒ぐに、やうやう涙尽くしたまひて、思し静まるにしもぞ、ありしさまは恋しういみじく思ひ出でられたまひける。人には、ただ御病の重/きさまをのみ見せて、「かくすずろなるいやめのけしき知らせじ」と、かしこくもて隠すと思しけれど、おのづからいとしるかりければ、
「いかなることにかく思し惑ひ、御命も危ふきまで沈みたまふらむ」
と、言ふ人もありければ、かの殿にも、いとよくこの御けしきを聞きたまふに、「さればよ。なほ、よその文通はしのみにはあらぬなりけり。
- 52.11 薫、匂宮を訪問
- 宮の御訪らひに、日々に参りたまはぬ人なく、世の騷ぎとなれるころ、「ことことしき際ならぬ思ひに籠もりゐて、参らざらむもひがみたるべし」と思して参りたまふ。
- 52.12 薫、匂宮と語り合う
- やうやう世の物語聞こえたまふに、「いと籠めてしもはあらじ」と思して、
「昔より、心に籠めてしばしも聞こえさせぬこと残しはべる限りは、いといぶせくのみ思ひたまへられしを、今は、なかなか上臈になりにてはべり。まして、御暇なき御ありさまにて、心のどかにおはします折もはべらねば、宿直などに、そのこととなくてはえさぶらはず、そこはかとなくて過ぐしはべるをなむ。
- 52.13 人は非情の者に非ず
- 「いみじくも思したりつるかな。
- 52.14 四月、薫と匂宮、和歌を贈答
- 月たちて、「今日ぞ渡らまし」と思し出でたまふ日の夕暮、いとものあはれなり。
- 52.15 匂宮、右近を迎えに時方派遣
- いと夢のやうにのみ、なほ、「いかで、いとにはかなりけることにかは」とのみいぶせければ、例の人びと召して、右近を迎へに遣はす。
- 52.16 時方、侍従と語る
- 大夫も泣きて、
「さらに、この御仲のこと、こまかに知りきこえさせはべらず。物の心知りはべらずながら、たぐひなき御心ざしを見たてまつりはべりしかば、君たちをも、何かは急ぎてしも聞こえ承らむ。つひには仕うまつるべきあたりにこそ、と思ひたまへしを、言ふかひなく悲しき御ことの後は、私の御心ざしも、なかなか深さまさりてなむ」
と語らふ。
- 52.17 侍従、京の匂宮邸へ
- 黒き衣ども着て、引きつくろひたる容貌もいときよげなり。
- 52.18 侍従、宇治へ帰る
- 何ばかりのものとも御覧ぜざりし人も、睦ましくあはれに思さるれば、
「わがもとにあれかし。あなたももて離るべくやは」
とのたまへば、
「さて、さぶらはむにつけても、もののみ悲しからむを思ひたまへれば、今この御果てなど過ぐして」
と聞こゆ。
- 52.19 薫、宇治を訪問
- 大将殿も、なほ、いとおぼつかなきに、思し余りておはしたり。
- 52.20 薫、真相を聞きただす
- あさましう、思しかけぬ筋なるに、物もとばかりのたまはず。
- 52.21 薫、匂宮と浮舟の関係を知る
- 「我は心に身をもまかせず、顕証なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと思ふ折も、今近くて、人の心置くまじく、目やすきさまにもてなして、行く末長くを、と思ひのどめつつ過ぐしつるを、おろかに見なしたまひつらむこそ、なかなか分くる方ありける、とおぼゆれ。
- 52.22 薫、宇治の過去を追懐す
- 「宮の上の、のたまひ始めし、人形とつけそめたりしさへゆゆしう、ただ、わが過ちに失ひつる人なり」と思ひもてゆくには、「母のなほ軽びたるほどにて、後の後見もいとあやしく、ことそぎてしなしけるなめり」と心ゆかず思ひつるを、詳しう聞きたまふになむ、
「いかに思ふらむ。さばかりの人の子にては、いとめでたかりし人を、忍びたることはかならずしもえ知らで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ思ふなるらむかし」
など、よろづにいとほしく思す。
- 52.23 薫、浮舟の母に手紙す
- かの母君は、京に子産むべき娘のことにより、慎み騒げば、例の家にもえ行かず、すずろなる旅居のみして、思ひ慰む折もなきに、「また、これもいかならむ」と思へど、平らかに産みてけり。ゆゆしければ、え寄らず、残りの人びとの上もおぼえず、ほれ惑ひて過ぐすに、大将殿より御使忍びてあり。ものおぼえぬ心地にも、いとうれしくあはれなり。
「あさましきことは、まづ聞こえむと思ひたまへしを、心ものどまらず、目もくらき心地して、まいていかなる闇にか惑はれたまふらむと、そのほどを過ぐしつるに、はかなくて日ごろも経にけることをなむ。
- 52.24 浮舟の母からの返書
- いたくしも忌むまじき穢らひなれば、「深うしも触れはべらず」など言ひなして、せめて呼び据ゑたり。
- 52.25 常陸介、浮舟の死を悼む
- かしこには、常陸守、立ちながら来て、「折しも、かくてゐたまへることなむ」と腹立つ。
- 52.26 浮舟四十九日忌の法事
- 四十九日のわざなどせさせたまふにも、「いかなりけむことにかは」と思せば、とてもかくても罪得まじきことなれば、いと忍びて、かの律師の寺にてせさせたまひける。六十僧の布施など、大きにおきてられたり。母君も来ゐて、事ども添へたり。
- 52.27 薫と小宰相の君の関係
- 后の宮の、御軽服のほどは、なほかくておはしますに、二の宮なむ式部卿になりたまひにける。
- 52.28 六条院の法華八講
- 蓮の花の盛りに、御八講せらる。
- 52.29 小宰相の君、氷を弄ぶ
- 心強く割りて、手ごとに持たり。
- 52.30 薫と女二宮との夫婦仲
- つとめて、起きたまへる女宮の御容貌、「いとをかしげなめるは、これよりかならずまさるべきことかは」と見えながら、「さらに似たまはずこそありけれ。あさましきまであてに、えも言はざりし御さまかな。
- 52.31 薫、明石中宮に対面
- その日は暮らして、またの朝に大宮に参りたまふ。
- 52.32 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く
- 姫宮は、あなたに渡らせたまひにけり。
- 52.33 明石中宮、薫の三角関係を知る
- 「いとあやしきことをこそ聞きはべりしか。
- 52.34 女一の宮から妹二の宮への手紙
- その後、姫宮の御方より、二の宮に御消息ありけり。
- 52.35 侍従、明石中宮に出仕す
- 心のどかに、さまよくおはする人だに、かかる筋には、身も苦しきことおのづから混じるを、宮は、まして慰めかねつつ、かの形見に、飽かぬ悲しさをものたまひ出づべき人さへなきを、対の御方ばかりこそは、「あはれ」などのたまへど、深くも見馴れたまはざりける、うちつけの睦びなれば、いと深くしも、いかでかはあらむ。
- 52.36 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う
- この春亡せたまひぬる式部卿宮の御女を、継母の北の方、ことにあひ思はで、兄の馬頭にて人柄もことなることなき、心懸けたるを、いとほしうなども思ひたらで、さるべきさまになむ契る、と聞こし召すたよりありて、
「いとほしう。父宮のいみじくかしづきたまひける女君を、いたづらなるやうにもてなさむこと」
などのたまはせければ、いと心細くのみ思ひ嘆きたまふありさまにて、
「なつかしう、かく尋ねのたまはするを」
など、御兄の侍従も言ひて、このころ迎へ取らせたまひてけり。
- 52.37 侍従、薫と匂宮を覗く
- 涼しくなりぬとて、宮、内裏に参らせたまひなむとすれば、
「秋の盛り、紅葉のころを見ざらむこそ」
など、若き人びとは口惜しがりて、皆参り集ひたるころなり。水に馴れ月をめでて、御遊び絶えず、常よりも今めかしければ、この宮ぞ、かかる筋はいとこよなくもてはやしたまふ。
- 52.38 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う
- 東の渡殿に、開きあひたる戸口に、人びとあまたゐて、物語などする所におはして、
「なにがしをぞ、女房は睦ましと思すべき。女だにかく心やすくはよもあらじかし。さすがにさるべからむこと、教へきこえぬべくもあり。やうやう見知りたまふべかめれば、いとなむうれしき」
とのたまへば、いといらへにくくのみ思ふ中に、弁の御許とて、馴れたる大人、 ・・・
- 52.39 薫、断腸の秋の思い
- 東の高欄に押しかかりて、夕影になるままに、花の紐解く御前の草むらを見わたしたまふ。
- 52.40 薫と中将の御許、遊仙窟の問答
- 例の、西の渡殿を、ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし。
- 52.41 薫、宮の君を訪ねる
- 宮の君は、この西の対にぞ御方したりける。
- 52.42 薫、宇治の三姉妹の運命を思う
- 「なみなみの人めきて、心地なのさまや」ともの憂ければ、
「もとより思し捨つまじき筋よりも、今はまして、さるべきことにつけても、思ほし尋ねむなむうれしかるべき。
蜻蛉 登場人物
名称 | よみかた | 役柄と他の呼称 |
薫 | かおる |
呼称---大将殿・大将・大将の君・殿・君、源氏の子 |
匂宮 | におうのみや |
呼称---兵部卿宮・宮・親王、今上帝の第三親王 |
今上帝 | きんじょうてい |
呼称---帝・内裏・主上、朱雀院の第一親王 |
明石中宮 | あかしのちゅうぐう |
呼称---大宮・后の宮・后・宮、源氏の娘 |
夕霧 | ゆうぎり |
呼称---左大臣殿・左の大殿・右の大殿・父大臣、源氏の長男 |
女一の宮 | おんないちのみや |
呼称---姫宮・一品の宮、今上帝の第一内親王 |
女二の宮 | おんなにのみや |
呼称---二の宮・女宮・帝の御女、今上帝の第二内親王 |
中君 | なかのきみ |
呼称---宮の上・御二条の北の方・対の御方・女君、八の宮の二女 |
宮の君 | みやのきみ |
呼称---御女・姫君・女君、蜻蛉宮の姫君 |
浮舟 | うきふね |
呼称---守の娘・御妹・上・女君・君・女、八の宮の三女 |
常陸介 | ひたちのすけ |
呼称---常陸守・常陸前守・守、浮舟の継父 |
中将の君 | ちゅうじょうのきみ |
呼称---母君・御母・親・母、浮舟の母 |
弁尼君 | べんのあまぎみ |
呼称---尼君 |
浮舟の乳母 | うきふねのめのと |
呼称---乳母 |
右近 | うこん |
呼称---右近、浮舟の乳母子 |
侍従の君 | じじゅうのきみ |
呼称---侍従 |
時方 | ときかた |
呼称---御使・大夫、匂宮の従者 |
大蔵大輔 | おおくらのたいふ |
呼称---御使・大蔵大夫、薫の家司、道定の妻の父親 |
小宰相の君 | こざいしょうのきみ |
呼称---小宰相の君・宰相の君・小宰相・宰相 |
※ このページは、渋谷栄一氏の源氏物語の世界によっています。人物の紹介、見出し区分等すべて、氏のサイトからいただき、そのまま載せました。ただしあらすじは自前。氏の驚くべき労作に感謝します。
公開日2021年4月2日/ 改定2023年11月7日