源氏物語 52 蜻蛉 かげろう

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原文 現代文
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52.1 宇治の浮舟失踪
かしこには、人びと、おはせぬを求め騒げど、かひなし。物語の姫君の、人に盗まれたらむ明日のやうなれば、詳しくも言ひ続けず。京より、ありし使の帰らずなりにしかば、おぼつかなしとて、また人おこせたり。
「まだ、鶏の鳴くになむ、出だし立てさせたまへる」
と使の言ふに、いかに聞こえむと、乳母よりはじめて、あわて惑ふこと限りなし。思ひやる方なくて、ただ騷ぎ合へるを、かの心知れるどちなむ、いみじくものを思ひたまへりしさまを思ひ出づるに、「身を投げたまへるか」とは思ひ寄りける。
泣く泣くこの文を開けたれば、
「いとおぼつかなさに、まどろまれはべらぬけにや、今宵は夢にだにうちとけても見えず。物に襲はれつつ、心地も例ならずうたてはべるを。なほいと恐ろしく、ものへ渡らせたまはむことは近くなれど、そのほど、ここに迎へたてまつりてむ。今日は雨降りはべりぬべければ」
などあり。昨夜の御返りをも開けて見て、右近いみじう泣く。
「さればよ。心細きことは聞こえたまひけり。我に、などかいささかのたまふことのなかりけむ。幼かりしほどより、つゆ心置かれたてまつることなく、塵ばかり隔てなくてならひたるに、今は限りの道にしも、我を後らかし、けしきをだに見せたまはざりけるがつらきこと」
と思ふに、足摺りといふことをして泣くさま、若き子どものやうなり。いみじく思したる御けしきは、見たてまつりわたれど、かけても、かくなべてならずおどろおどろしきこと、思し寄らむものとは見えざりつる人の御心ざまを、「なほ、いかにしつることにか」とおぼつかなくいみじ。
乳母は、なかなかものもおぼえで、ただ、「いかさまにせむ。いかさまにせむ」とぞ言はれける。
宇治では、人々が、浮舟がいないので、捜し騒いでいたが、何の甲斐もない。物語の中で、姫君が盗まれた翌日のような有様で、詳しくも書きません、京では、使いが帰って来ないので、心配でまた使いを立てた。
「まだ鶏の鳴く時刻に出立させました」
と使いが言うので、何と言ったらいいか、乳母をはじめ、あわて惑うばかりだった。乳母たちは見当がつかず、ただ騒いでいるだけだが、事情を知っている者たちは、ひどく悩んでいた様子を思うと、「身投げしたか」とは思うのだった。
泣く泣く母君の文を開けると、
「とても心配なので、まんじりともせず、今宵は夢の中でも会えそうにない。何度もうなされて、気分もいつもと違ってよくないのです。やはりとても恐ろしく、京へ移る日は近いのですが、それまでの間、私の処に来ていただこうと思っています。今日は雨が降りそうですが」
などとあり。昨夜の浮舟の返事を見て、右近はひどく泣く。
「やはりそうか。心細いことを言っていた。わたしにどうして少しでも言ってくれなかったのか。幼いときから、決して隔て心をお持ちになることなく、何一つなく隠しごともなく、今生の別れに、私を置き去りにして、その気配も見せなかったのがつらい」
と思うと、悲しみのあまり足摺りして泣く様子は、幼い子供のようだった。浮舟がひどく悩んでおられる様子は、見ていたが、まさか、こんなそら恐ろしいことを、思いつくなんてとてもそんな性分には見えなかったのを、「ほんとにどうしたのだろう」と合点がいかなかった。
乳母は、あまりの悲しみで茫然として、ただ、「どうしよう。どうしよう」と口走っている。
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52.2 匂宮から宇治へ使者派遣
宮にも、いと例ならぬけしきありし御返り、「いかに思ふならむ。我を、さすがにあひ思ひたるさまながら、あだなる心なりとのみ、深く疑ひたれば、他へ行き隠れむとにやあらむ」と思し騷ぎ、御使あり。
ある限り泣き惑ふほどに来て、御文もえたてまつらず。
「いかなるぞ」
と下衆女に問へば、
「上の、今宵、にはかに亡せたまひにければ、ものもおぼえたまはず。頼もしき人もおはしまさぬ折なれば、さぶらひたまふ人びとは、ただものに当たりてなむ惑ひたまふ」
と言ふ。心も深く知らぬ男にて、詳しう問はで参りぬ。
「かくなむ」と申させたるに、夢とおぼえて、
「いとあやし。いたくわづらふとも聞かず。日ごろ、悩ましとのみありしかど、昨日の返り事はさりげもなくて、常よりもをかしげなりしものを」
と、思しやる方なければ、
「時方、行きてけしき見、たしかなること問ひ聞け」
とのたまへば、
「かの大将殿、いかなることか、聞きたまふことはべりけむ、宿直する者おろかなり、など戒め仰せらるるとて、下人のまかり出づるをも、見とがめ問ひはべるなれば、ことづくることなくて、時方まかりたらむを、ものの聞こえはべらば、思し合はすることなどやはべらむ。さて、にはかに人の亡せたまへらむ所は、論なう騒がしう、人しげくはべらむを」と聞こゆ。
「さりとては、いとおぼつかなくてやあらむ。なほ、とかくさるべきさまに構へて、例の、心知れる侍従などに会ひて、いかなることをかく言ふぞ、と案内せよ。下衆はひがことも言ふなり」
とのたまへば、いとほしき御けしきもかたじけなくて、夕つ方行く。
宮も、いつもと違う返事に、「どう思っているのか。自分に好意を持っていたのに、浮気な性分だと疑って、どこかよそへ身を隠すつもりでこんな歌を詠んだのか」と胸騒ぎして、使いを出した。
使いは、邸の者たちが泣きわめいていて、宮の文も渡せない。
「どうしたのか」
と使いが下女に問えば、
「奥様が、今朝、にわかに亡くなりまして、女房たちも途方にくれています。母君もおられないので、お仕えの女房たちは、ただもうまごついています」
と言う。使いは事情を知らないので、詳しく問うこともなく帰京した。
「これこれです」と申し上げると、宮は夢かと思って、
「とても納得できない。重い病気とも聞いていないし。日ごろ悩んでいたそうだが、昨日の返事はさりげなくて、いつもより趣があったが」
と思いも寄らないので、
「時方、行って見て、確かなことを聞いてきてくれ」
と宮が言うと、
「あの薫殿は、何としたことか、お耳に入ったことがあって、宿直の怠慢だ、などと戒められて、下人の出入さえ、見咎めて詰問するので、何か行く口実がなければ、時方が参ったのでは、薫殿のお耳に入ると、思い当たることもありましょう 。そのように、急に人が亡くなるような家では混乱していて、人の出入りも多いでしょうし」と時方は申し上げる。
「そうは言っても、何も分からないのでは困る。何とかうまく工夫して、あの気心の知れた侍従などに会って、どうしてそんなに騒ぐのか、尋ねよ。下衆はとかく間違ったことを言うものだ」
と言えば、お気の毒な様子もかたじけなくて、夕方出かけた。
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52.3 時方、宇治に到着
かやすき人は、疾く行き着きぬ。雨少し降り止みたれど、わりなき道にやつれて、下衆のさまにて来たれば、人多く立ち騷ぎて、
「今宵、やがてをさめたてまつるなり」
など言ふを聞く心地も、あさましくおぼゆ。右近に消息したれども、え会はず、
「ただ今、ものおぼえず。起き上がらむ心地もせでなむ。さるは、今宵ばかりこそ、かくも立ち寄りたまはめ、え聞こえぬこと」
と言はせたり。
「さりとて、かくおぼつかなくては、いかが帰り参りはべらむ。今一所だに」
と切に言ひたれば、侍従ぞ会ひたりける。
「いとあさまし。思しもあへぬさまにて亡せたまひにたれば、いみじと言ふにも飽かず、夢のやうにて、誰も誰も惑ひはべるよしを申させたまへ。すこしも心地のどめはべりてなむ、日ごろも、もの思したりつるさま、一夜、いと心苦しと思ひきこえさせたまへりしありさまなども、聞こえさせはべるべき。この穢らひなど、人の忌みはべるほど過ぐして、今一度立ち寄りたまへ」
と言ひて、泣くこといといみじ。
時方は身軽な身分なので、すぐ着いた。雨が少し降ったが、険しい山道に下人のなりで来たので、宇治の邸では人が多く騒いで、
「今宵、すぐにお葬式を出すのだそうです」
などと聞くのも、あまりのことに驚く。右近に取り次がせたが、会わないで、
「今は、何が何やら分かりません。起き上がる気力もありません。お立ち寄りくださるのも今夜限りでしょう、お会いできず残念です」
と取り次ぎに言わせた。
「かといって、まったく事情も分からずに、帰れましょうか。もうひと方に」
と切に頼めば、侍従が会いに来る。
「あまりのことで驚いています。思いもかけない亡くなり方で、悲しいというのも足りず、夢のようで、誰もが途方にくれています、と申し上げてください。少し気が静まりましたら、浮舟が日ごろ物思いしていた様子や、先夜、お越しいただいて心苦しく思ったことなどの有様も、お話します。この穢れなどの、人が忌む時が過ぎて、今一度お立ち寄りください」
と言って、ひどく泣いた。
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52.4 乳母、悲嘆に暮れる
内にも泣く声々のみして、乳母なるべし、
「あが君や、いづ方にかおはしましぬる。帰りたまへ。むなしき骸をだに見たてまつらぬが、かひなく悲しくもあるかな。明け暮れ見たてまつりても飽かずおぼえたまひ、いつしかかひある御さまを見たてまつらむと、朝夕に頼みきこえつるにこそ、命も延びはべりつれ。うち捨てたまひて、かく行方も知らせたまはぬこと。
鬼神おにがみも、あが君をばえ領じたてまつらじ。人のいみじく惜しむ人をば、帝釈も返したまふなり。あが君を取りたてまつりたらむ、人にまれ鬼にまれ、返したてまつれ。亡き御骸をも見たてまつらむ」
と言ひ続くるが、心得ぬことども混じるを、あやしと思ひて、
「なほ、のたまへ。もし、人の隠しきこえたまへるか。たしかに聞こし召さむと、御身の代はりに出だし立てさせたまへる御使なり。今は、とてもかくてもかひなきことなれど、後にも聞こし召し合はすることのはべらむに、違ふこと混じらば、参りたらむ御使の罪なるべし。
また、さりともと頼ませたまひて、『君たちに対面せよ』と仰せられつる御心ばへも、かたじけなしとは思されずや。女の道に惑ひたまふことは、人の朝廷にも、古き例どもありけれど、またかかること、この世にはあらじ、となむ見たてまつる」
と言ふに、「げに、いとあはれなる御使にこそあれ。隠すとすとも、かくて例ならぬことのさま、おのづから聞こえなむ」と思ひて、
「などか、いささかにても、人や隠いたてまつりたまふらむ、と思ひ寄るべきことあらむには、かくしもある限り惑ひはべらむ。日ごろ、いといみじくものを思し入るめりしかば、かの殿の、わづらはしげに、ほのめかし聞こえたまふことなどもありき。
御母にものしたまふ人も、かくののしる乳母なども、初めより知りそめたりし方に渡りたまはむ、となむいそぎ立ちて、この御ことをば、人知れぬさまにのみ、かたじけなくあはれと思ひきこえさせたまへりしに、御心乱れけるなるべし。あさましう、心と身を亡くなしたまへるやうなれば、かく心の惑ひに、ひがひがしく言ひ続けらるるなめり」
と、さすがに、まほならずほのめかす。心得がたくおぼえて、
「さらば、のどかに参らむ。立ちながらはべるも、いとことそぎたるやうなり。今、御みづからもおはしましなむ」
と言へば、
「あな、かたじけな。今さら、人の知りきこえさせむも、亡き御ためは、なかなかめでたき御宿世見ゆべきことなれど、忍びたまひしことなれば、また漏らさせたまはで、止ませたまはむなむ、御心ざしにはべるべき」
ここには、かく世づかず亡せたまへるよしを、人に聞かせじと、よろづに紛らはすを、「自然じねんにことどものけしきもこそ見ゆれ」と思へば、かくそそのかしやりつ。
邸内でも泣き声がして、乳母なのだろう。
「わが君よ、いずこにおられるのですか。帰ってください。空しい骸さえ見られぬのが、甲斐なく悲しいです。明け暮れ拝見して飽きなかったのに、いつしか立派な暮らしが見られると、朝夕望みをかけていたので、わたしの命も延びたのです。わたしをこの世に置き去りにして、行方も知らなくなるとは。
鬼神もわたしの君を奪い取ることはできない。人がたいそう大事にしている人は、帝釈天も返すでしょう。わたしの君を奪った者は、人であれ鬼であれ、返してください。亡き骸でも見たいです」
と言い続けるが、合点のゆかぬこともあり、時方は、不審に思って、
「言ってください。もし誰かが隠したのか。わたしは、確かなことを知ろうと、宮御身の代わりに出立して来た使いなのです。今となっては、亡くなったにしても隠したにしても、どうしようもないのですが、後で聞き合わせて、違っていたら、使者の私の落ち度になります。
それにこうしてあなた方を信頼して『直接会ってきなさい』と仰せられる宮の御心も、かたじけないと思われませんか。女の道に惑うのは、唐の朝廷でも、古い例がありますが、これほどの深い思し召しは、またとないと思います」
と言うと、「その通り。ありがたいお使いです。隠そうとしても、こんなめったにない出来事は、自ずと知れる」と侍従は思って、
「どうして、少しでも、誰かが隠したのだ、と思い当たることがあれば、こんなに家中の者があわてることもないでしょう。日ごろ、とても悩んでいるご様子でしたので、あの薫殿が、気にして咎めるような口ぶりで、ほのめかしたことはありました。
母君も、泣きわめいている乳母も、初めからご縁があった薫様にお移りするものと思っていました。匂宮とのことは、姫の胸ひとつに納めて、かたじけなくあわれと慕っておりましたので、御心が乱れたのでしょう。とんでもないことに、姫君が、我とわが身を亡くしてしまったようですので、乳母は気も動転して、わめいているのです」
と遠回しに話しをする。時方は、まだ腑に落ちないので、
「では、またゆっくり伺いましょう。立ったままで話すのも、たいそう略式ですので。いずれ宮様がご自身でお越になるでしょう」
と時方が言えば、
「まあ、恐れ多いことです。今さら世間が宮様とのかかわりを知るのも、亡き人のためには、とてもめでたい宿世ですが、ご自身が隠していたことなので、漏らさずにそっとしておいてくださるのが、ご配慮でしょう」
この邸では、普通ではない亡くなり方をしたのを、世間に知られまいと、何かとごまかしているので、「自然にことの真相が分かってしまう」と侍従は思い、時方を急いで帰らせた。
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52.5 浮舟の母、宇治に到着
雨のいみじかりつる紛れに、母君も渡りたまへり。さらに言はむ方もなく、
「目の前に亡くなしたらむ悲しさは、いみじうとも、世の常にて、たぐひあることなり。これは、いかにしつることぞ」
と惑ふ。かかることどもの紛れありて、いみじうもの思ひたまふらむとも知らねば、身を投げたまへらむとも思ひも寄らず、
「鬼や食ひつらむ。狐めくものや取りもて去ぬらむ。いと昔物語のあやしきもののことのたとひにか、さやうなることも言ふなりし」
と思ひ出づ。
さては、かの恐ろしと思ひきこゆるあたりに、心など悪しき御乳母やうの者や、かう迎へたまふべしと聞きて、めざましがりて、たばかりたる人もやあらむ
と、下衆などを疑ひ、
「今参りの、心知らぬやある」
と問へば、
いと世離れたりとて、ありならはぬ人は、ここにてはかなきこともえせず、今とく参らむ、と言ひてなむ、皆、そのいそぐべきものどもなど取り具しつつ、帰り出ではべりにし」
とて、もとよりある人だに、片へはなくて、いと人少ななる折になむありける。
雨が激しく降ってる中、母君も宇治へ行った。もはや言うべき言葉もなく、
目の前で死んでいったのなら、悲しくても、世の常で、いくらもあることです。これはどうしたことでしょう」
と惑っている。宮との込み入った事情があって、たいそう物思いに沈んでいたのを知らないので、身投げしたとは思いつかない、
「鬼が食べてしまったのか、狐がさらっていったのか。昔物語に怪しい物の怪の話がのっているが、そんなこともあったらしい」
と思い出す。
「そのほかには、あの正室が住まっている恐いあたりに、意地の悪い乳母などがいて、殿が京へお迎えするのを聞いて、目障りだ、と誘拐したのか」
と、下衆を疑い、
「新参者で気心の知れない者はいませんか」
と問えば、
「人里離れた田舎で、住みなれない人は、ここではろくな支度もできません、すぐ戻りますと言って、皆、必要なものを携えて、京へ帰ってしまいます」
とて、元からいる女房も、半分はいなくなって、人が少ない折りだった。
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52.6 侍従ら浮舟の葬儀を営む
侍従などこそ、日ごろの御けしき思ひ出で、「身を失ひてばや」など、泣き入りたまひし折々のありさま、書き置きたまへる文をも見るに、「亡き影に」と書きすさびたまへるものの、硯の下にありけるを見つけて、川の方を見やりつつ、響きののしる水の音を聞くにも、疎ましく悲しと思ひつつ、
「さて、亡せたまひけむ人を、とかく言ひ騷ぎて、いづくにもいづくにも、いかなる方になりたまひにけむ、と思し疑はむも、いとほしきこと」
と言ひ合はせて、
「忍びたる事とても、御心より起こりてありしことならず。親にて、亡き後に聞きたまへりとも、いとやさしきほどならぬを、ありのままに聞こえて、かくいみじくおぼつかなきことどもをさへ、かたがた思ひ惑ひたまふさまは、すこし明らめさせたてまつらむ。亡くなりたまへる人とても、骸を置きてもて扱ふこそ、世の常なれ、世づかぬけしきにて日ごろも経ば、さらに隠れあらじ。なほ、聞こえて、今は世の聞こえをだにつくろはむ」
と語らひて、忍びてありしさまを聞こゆるに、言ふ人も消え入り、え言ひやらず、聞く心地も惑ひつつ、「さは、このいと荒ましと思ふ川に、流れ亡せたまひにけり」と思ふに、いとど我も落ち入りぬべき心地して、
「おはしましにけむ方を尋ねて、骸をだにはかばかしくをさめむ」
とのたまへど、
「さらに何のかひはべらじ。行方も知らぬ大海の原にこそおはしましにけめ。さるものから、人の言ひ伝へむことは、いと聞きにくし」
と聞こゆれば、とざまかくざまに思ふに、胸のせきのぼる心地して、いかにもいかにもすべき方もおぼえたまはぬを、この人びと二人して、車寄せさせて、御座おましども、気近う使ひたまひし御調度ども、皆ながら脱ぎ置きたまへる御衾などやうのものを取り入れて、乳母子の大徳、それが叔父の阿闍梨、その弟子の睦ましきなど、もとより知りたる老法師など、御忌に籠もるべき限りして、人の亡くなりたるけはひにまねびて、出だし立つるを、乳母、母君は、いといみじくゆゆしと臥しまろぶ。
侍従が、日頃の浮舟の様子を思い出して、「身を亡くしてしまいたい」などと泣いていた折々の様子を、書き置いた文を見るにつけ、「亡き影に」と書きすさんだものが、硯の下にあるのを見つけて、川の方を見やりながら、響きののしる水の音を聞くにつけても、疎ましく悲しく思いながら、
「そんなふうにして亡くなった人を、あれこれと騒いで、誰もがどうなったのかと、わたしたちを疑うのも、とても困ります」
と右近と相談して、
「宮様とのことは秘密といっても、自分から進んでそうなったのではない。親として、死後に聞いたとしても、恥ずかしい相手ではないので、ありのままに伝えて、全くどうなったのかわけが分からない、鬼や狐など思い惑っているのを、少しでも晴らしてあげたい。亡くなった人は、骸を安置して弔うのが、世の常です、世間と異なるやり方で日が経てば、いよいよ隠せません。 やはり本当のことを話して、世間体をとりつくろわないと」
と言って、そっと本当のことを母君にお話すると、語る人も悲しさに魂が失せる思いで言葉にならず、聞く方も取り乱して、「では、この荒々しい川に、身を投じたのか」と思うと、自分も川に落ちる気がして、
「どこに流れたのか探して、骸だけでもちゃんと弔いたい」
と母君はお仰せになったが、
「今さらどうしようもない。行方も知らぬ大海原に流されたのです。それなのに、川を探したりして人の噂になるのは世間体が悪いです」
と右近たちが言うので、母君はあれこれと思って、胸いっぱいになり、どうしたらいいのかさっぱり分からず、右近と侍従と二人で、車を寄せて、日頃使っていた褥など、身近な調度など、脱いだままの夜着などを集めて、乳母子の大徳、その叔父の阿闍梨、その弟子で気心の知れた僧たちや、昔から知っている老法師など、忌中に籠る人たちだけを参集させて、人が亡くなったふうを装って、葬儀を出したのを、右近や母君は縁起でもないと思って、臥して泣くのだった。
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52.7 侍従ら真相を隠す
大夫たいふ内舎人うどねりなど、脅しきこえし者どもも参りて、
「御葬送の事は、殿に事のよしも申させたまひて、日定められ、いかめしうこそ仕うまつらめ」
など言ひけれど、
「ことさら、今宵過ぐすまじ。いと忍びてと思ふやうあればなむ」
とて、この車を、向かひの山の前なる原にやりて、人も近うも寄せず、この案内知りたる法師の限りして焼かす。いとはかなくて、煙は果てぬ。田舎人どもは、なかなか、かかることをことことしくしなし、言忌みなど深くするものなりければ、
「いとあやしう。例の作法など、あることども知らず、下衆下衆しく、あへなくてせられぬることかな」
と誹りければ、
「片へおはする人は、ことさらにかくなむ、京の人はしたまふ」
などぞ、さまざまになむやすからず言ひける。
「かかる人どもの言ひ思ふことだに慎ましきを、まして、ものの聞こえ隠れなき世の中に、大将殿わたりに、骸もなく亡せたまひにけり、と聞かせたまはば、かならず思ほし疑ふこともあらむを、宮はた、同じ御仲らひにて、さる人のおはしおはせず、しばしこそ忍ぶとも思さめ、つひには隠れあらじ。
また、定めて宮をしも疑ひきこえたまはじ。いかなる人か率て隠しけむなどぞ、思し寄せむかし。生きたまひての御宿世は、いと気高くおはせし人の、げに亡き影に、いみじきことをや疑はれたまはむ」
と思へば、ここの内なる下人どもにも、今朝のあわたたしかりつる惑ひに、「けしきも見聞きつるには口かため、案内知らぬには聞かせじ」などぞたばかりける。
「ながらへては、誰にも、静やかに、ありしさまをも聞こえてむ。ただ今は、悲しさ覚めぬべきこと、ふと人伝てに聞こし召さむは、なほいといとほしかるべきことなるべし」
と、この人二人ぞ、深く心の鬼添ひたれば、もて隠しける。
大夫たいふ内舎人うどねりなど、浮舟を恐がらせた者たちが来て、
「葬儀の事は、薫殿に、事の次第を報告して、日取を決めて、盛大に行うのがよろしいでしょう」
などと言ったが、
「特に、今夜のうちにすませたい。内密にと思うことがありまして」
と言って、この車を、向かいの山の前の原っぱにやって、人も近づけず、この事情を知った法師だけで、焼いた。すぐに終わって、煙は果てた。田舎人たちは、かえって葬儀などのようなことは丁重にやり、不吉な言行を避けるので、
「何とおかしな。決まった作法をせず、下々のような、あっけなく済ませてしまったものよ」
と誹るので、
「姉妹のいる人は、あえて簡略にするのかな、京の人は」
などと、色々穏やかでないことを言う。
「このような田舎人たちの言いふらすことだけでも、心配でならないのに、悪いことはすぐに広まる世間であれば、薫殿が、骸もなく亡くなったと聞けば、必ず疑うだろうに、匂宮は同じ仲間だから、そんな方をかくまっているどうか、しばらくは隠せても、ついには分かってしまうだろう。
また、宮だけを疑うこともないだろう。誰がさらっていったのか、考えるに違いない、浮舟は生きていたときの宿世は、たいそう高貴であったが、亡くなってからは、恥ずかしい疑いをかけられるのか」
と思えば、邸の中の下人たちにも、今朝のあわただしい混乱は、「様子を見ている者には口止めし、事情を知らない者には知らせない」と謀るのだった。
「わたしどもが生きながらえれば、誰にでも、静かに、事の次第をお話しましょう。ただ今は、悲しさも覚めてしまうほど、噂が出てしまえば、お気の毒です」
とこの二人は、良心も咎めるので、隠し続けた。
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52.8 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す
大将殿は、入道の宮の悩みたまひければ、石山に籠もりたまひて、騷ぎたまふころなりけり。さて、いとどかしこをおぼつかなう思しけれど、はかばかしう、「さなむ」と言ふ人はなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ御使のなきを、人目も心憂しと思ふに、御荘の人なむ参りて、「しかしか」と申させければ、あさましき心地したまひて、御使、そのまたの日、まだつとめて参りたり。
「いみじきことは、聞くままにみづからもすべきに、かく悩みたまふ御ことにより、慎みて、かかる所に日を限りて籠もりたればなむ。昨夜のことは、などか、ここに消息して、日を延べてもさることはするものを、いと軽らかなるさまにて、急ぎせられにける。とてもかくても、同じ言ふかひなさなれど、とぢめのことをしも、山賤の誹りをさへ負ふなむ、ここのためもからき」
など、かの睦ましき大蔵大輔してのたまへり。御使の来たるにつけても、いとどいみじきに、聞こえむ方なきことどもなれば、ただ涙におぼほれたるばかりをかことにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ。
薫は、母二の宮の具合が悪かったので、石山寺に籠って、取り込み中だった。それで、宇治の方が気になってはいたけれど、はっきり、「これこれです」という人がなかったので、こんな大変なことでも、薫殿からの使者もなく、世間体も悪く、荘園の人が石山に行って、「これこれです」と報告したので、薫はとても驚いて、葬儀の翌日、まだ早朝に使いを宇治にやった。
「こんな一大事は、聞いたらすぐに、自ら赴くべきところですが、今は病気祈願のため謹慎中で、寺に日を限って籠っております。昨夜の葬儀の事は、ここに連絡して、日を延べることもできるのに、簡略に急いですませてしまったようだ。ともかく、今となってはどうしようもないが、人の最後の作法を、山賤の誹りを受ける程で済ませたのは、わたしとしてもつらい」
などと、腹心の大蔵の太夫を通して言わせたのだった。薫から使いが来るだけでも、悲しいのに、申し上げるべきもないことなので、ただ涙にくれているのを口実にして、はっきりした返事もできなかった。
2021.3.16/ 2022.11.22/ 2023.11.2
52.9 薫の後悔
殿は、なほ、いとあへなくいみじと聞きたまふにも、
心憂かりける所かな。鬼などや住むらむ。などて、今までさる所に据ゑたりつらむ。思はずなる筋の紛れあるやうなりしも、かく放ち置きたるに、心やすくて、人も言ひ犯したまふなりけむかし
と思ふにも、わがたゆく世づかぬ心のみ悔しく、御胸痛くおぼえたまふ。悩ませたまふあたりに、かかること思し乱るるもうたてあれば、京におはしぬ。
宮の御方にも渡りたまはず、
「ことことしきほどにもはべらねど、ゆゆしきことを近う聞きつれば、心の乱れはべるほども忌ま忌ましうて」
など聞こえたまひて、尽きせずはかなくいみじき世を嘆きたまふ。ありしさま容貌、いと愛敬づき、をかしかりしけはひなどの、いみじく恋しく悲しければ、
「うつつの世には、などかくしも思ひ晴れず、のどかにて過ぐしけむ。ただ今は、さらに思ひ静めむ方なきままに、悔しきことの数知らず。かかることの筋につけて、いみじうものすべき宿世なりけり。さま異に心ざしたりし身の、思ひの外に、かく例の人にてながらふるを、仏などの憎しと見たまふにや。人の心を起こさせむとて、仏のしたまふ方便は、慈悲をも隠して、かやうにこそはあなれ」
と思ひ続けたまひつつ、行ひをのみしたまふ。
薫は、あっけない最期と悲しく思うにつけ、
「宇治はいやな所だな。鬼が住んでいるか。どうして今までそんな所に住まわせていたのだろう。思いもかけない男女の間違いがあったのも、放置していたので、宮も手出しをされたのだろう」
と思うと、自分のうかつで恋路にうとい性格が口惜しく、胸が痛くなるのだった。母宮が病気なのに、こんな色恋沙汰で思い乱れるのも嫌で、京に帰った。
正夫人の女二の宮の処へも行かず、
「大した身分の者ではありませんが、むべきことが起きたと聞きましたので、気が鎮まるまでは縁起が悪いので」
などと伝えて、尽きることのないはかなく悲しい世を嘆いた。浮舟の生前の顔立ち、かわいらしさ、風情ある物越しなどが、とても恋しく悲しいので、
「浮舟が生きていた時には、これほどにも心を傾けず、どうしてのんびりしていたのだろう。今は思いを静めることができず、悔いがつのる。このように女のことで、自分はつらく悲しい宿世なのだ。仏道を志した身なのに、こうして世間に普通の人で過ごしているのを、仏がけしからぬと見ているのか。道心を起こさせようとして、仏の方便なのか、慈悲心を隠してつらい目にあわせるのか」
と思い続けながら、一心に勤行される。
2021.3.16/ 2023.11.2
52.10 匂宮悲しみに籠もる
かの宮はた、まして、二、三日はものもおぼえたまはず、うつし心もなきさまにて、「いかなる御もののけならむ」など騒ぐに、やうやう涙尽くしたまひて、思し静まるにしもぞ、ありしさまは恋しういみじく思ひ出でられたまひける。人には、ただ御病の重/きさまをのみ見せて、「かくすずろなるいやめのけしき知らせじ」と、かしこくもて隠すと思しけれど、おのづからいとしるかりければ、
「いかなることにかく思し惑ひ、御命も危ふきまで沈みたまふらむ」
と、言ふ人もありければ、かの殿にも、いとよくこの御けしきを聞きたまふに、「さればよ。なほ、よその文通はしのみにはあらぬなりけり。見たまひては、かならずさ思しぬべかりし人ぞかし。ながらへましかば、ただなるよりぞ、わがためにをこなることも出で来なまし」と思すになむ、焦がるる胸もすこし冷むる心地したまひける。
あの匂宮は、悲嘆にくれて二、三日は何の分別もつかず、正気を失ったような具合で、「どんな物の怪がお憑きになったか」などと女房たちが騒ぎ、宮は涙が尽きて、落ち着いてくると、生前の浮舟の姿が恋しく切なく思い出される。ただ病が重いように装って、「こんな泣き顔は人に見せられない」ととりつくろって隠していると思っていたが、自ずから分かってしまうので、
「どうしてこんなに思い詰めて、命を危うくするほど悲しんでいるのか」
と言う人もあれば、薫も、宮の様子を詳しく聞いて、「思った通り、やはり二人の仲は、ただの文のやり取りだけではなかったのだ。匂宮が、ご覧になったら、必ず我が物にせずにはおかぬ人だから。もし浮舟が生きていれば、ただの他人と違って、自分も恥をさらすだろう」と思うと、焦がれる気持ちも冷める心地がする。
2021.3.16/ 2022.11.23/ 2023.11.3
52.11 薫、匂宮を訪問
宮の御訪らひに、日々に参りたまはぬ人なく、世の騷ぎとなれるころ、「ことことしき際ならぬ思ひに籠もりゐて、参らざらむもひがみたるべし」と思して参りたまふ。
そのころ、式部卿宮と聞こゆるも亡せたまひにければ、御叔父の服にて薄鈍なるも、心のうちにあはれに思ひよそへられて、つきづきしく見ゆ。すこし面痩せて、いとどなまめかしきことまさりたまへり。人びとまかり出でて、しめやかなる夕暮なり。
† 宮、臥し沈みてはなき御心地なれば、疎き人にこそ会ひたまはね、御簾の内にも例入りたまふ人には、対面したまはずもあらず。見えたまはむもあいなくつつまし。見たまふにつけても、いとど涙のまづせきがたさを思せど、思ひ静めて
「おどろおどろしき心地にもはべらぬを、皆人、慎むべき病のさまなり、とのみものすれば、内裏にも宮にも思し騒ぐがいと苦しく、げに、世の中の常なきをも、心細く思ひはべる」
とのたまひて、おし拭ひ紛らはしたまふと思す涙の、やがてとどこほらずふり落つれば、 いとはしたなけれど、「かならずしもいかでか心得む。ただめめしく心弱きとや見ゆらむ」と思すも、「さりや。ただこのことをのみ思すなりけり。いつよりなりけむ。我をいかにをかしと、もの笑ひしたまふ心地に、月ごろ思しわたりつらむ
と思ふに、この君は、悲しさは忘れたまへるを、
†† 「こよなくも、おろかなるかな。ものの切におぼゆる時は、いとかからぬことにつけてだに、空飛ぶ鳥の鳴き渡るにも、もよほされてこそ悲しけれ。わがかくすぞろに心弱きにつけても、もし心得たらむに、さ言ふばかり、もののあはれも知らぬ人にもあらず。世の中の常なきこと惜しみて思へる人しもつれなき
と、うらやましくも心にくくも思さるるものから、真木柱はあはれなり。これに向かひたらむさまも思しやるに、「形見ぞかし」とも、うちまもりたまふ
宮への病気見舞いは、毎日人が途切れることがなく、世間で騒ぎとなる頃、「大した身分でもない女を失った悲しみに籠って、見舞いに行かないのも、変だ」と思い、薫は参上した。
その頃、式部卿といわれている人が亡くなり、叔父にあたるので薄鈍色の喪服で、心の悲しみにそってまさに似合いの面持ちだった。薫は少し面痩せて、いっそう優美な美しさであった。人々が退出して、しめやかな夕暮れであった。
宮は、寝たきりというわけでもなかったので、疎遠な人には会わなかっが、御簾の内に入れる人は、会わないわけでもなかった。会わないのも具合が悪く気がひけるし、会うと、涙が止まらないだろうし、気を取り直して、
「ひどい病気でもないのですが、皆慎まなければならない、としきりに言うので、帝も明石の中宮も騒ぐのでとても心苦しく、本当に世の無常も、心細い気がします」
と宮は言って、ぬぐった涙を隠したが、まもなくどんどん涙があふれるので、体裁が悪いが、「必ずしも浮舟を悲しむ涙とは気づかないだろう。ただ女々しく心弱いためだと見るだろう」と宮は思い、薫は、「やっぱりそうだ。浮舟のことばかり思っているのだ。いつからだろう。わたしをお人よしと笑い者にして、幾月が経つのだろう」
と思って、薫は悲しさを忘れる面もちでいるのを見て、宮は、
「何と、薄情な。ものを痛切に感じるときは、こんな死別でなくても、空飛ぶ鳥が鳴く声につけても、悲しいものだ。自分がわけもなく気が弱って悲しんでいるのも、もし真相を知ったら、それほど、物のあわれを解さぬ御仁でもあるまい。世の無常を深く知っている人は、これほど冷静でいられるか」
と宮は、うらやましくも感心もされるが、女が頼った真木柱と思えばあわれであった。女が柱に向き合っている様を想像して、「浮舟の形見だ」と薫をじっと見た。
2021.3.17/ 2022,11.23/ 2023.11.3
52.12 薫、匂宮と語り合う
やうやう世の物語聞こえたまふに、「いと籠めてしもはあらじ」と思して、
「昔より、心に籠めてしばしも聞こえさせぬこと残しはべる限りは、いといぶせくのみ思ひたまへられしを、今は、なかなか上臈になりにてはべり。まして、御暇なき御ありさまにて、心のどかにおはします折もはべらねば、宿直などに、そのこととなくてはえさぶらはず、そこはかとなくて過ぐしはべるをなむ。
昔、御覧ぜし山里に、はかなくて亡せはべりにし人の、同じゆかりなる人、おぼえぬ所にはべりと聞きつけはべりて、時々さて見つべくや、と思ひたまへしに、あいなく人の誹りもはべりぬべかりし折なりしかば、このあやしき所に置きてはべりしを、をさをさまかりて見ることもなく、また、かれも、なにがし一人をあひ頼む心もことになくてやありけむ、とは見たまひつれど、やむごとなくものものしき筋に思ひたまへばこそあらめ、見るにはた、ことなる咎もはべらずなどして、心やすくらうたしと思ひたまへつる人の、いとはかなくて亡くなりはべりにける。なべて世のありさまを思ひたまへ続けはべるに、悲しくなむ。聞こし召すやうもはべらむかし」
とて、今ぞ泣きたまふ。
これも、「いとかうは見えたてまつらじ。をこなり」と思ひつれど、こぼれそめてはいと止めがたし。けしきのいささか乱り顔なるを、「あやしく、いとほし」と思せど、つれなくて、
いとあはれなることにこそ。昨日ほのかに聞きはべりき。いかにとも聞こゆべく思ひはべりながら、わざと人に聞かせたまはぬこと、と聞きはべりしかばなむ
と、つれなくのたまへど、いと堪へがたければ、言少なにておはします。
さる方にても御覧ぜさせばや、と思ひたまへりし人になむ。おのづからさもやはべりけむ、宮にも参り通ふべきゆゑはべりしかば
など、すこしづつけしきばみて、
「御心地例ならぬほどは、すぞろなる世のこと聞こし召し入れ、御耳おどろくも、あいなきことになむ。よく慎ませおはしませ」
など、聞こえ置きて、出でたまひぬ。
いろいろ世間話をしているうちに、そう黙っていることもあるまいと思い、
「昔から、心に秘めてものを言わぬは、まことに心の晴れぬ思いがしますので、今はわたしも高い身分になりました。ましてあなた様は暇のないご身分で、のんびりと過ごせるときもないので、宿直などで、これといったご用がなくては、お相手もできませんでした。つい取り紛れて過ごしておりました。
昔、宮もお通いになったことのある山里に、短い生涯で亡くなった人のゆかりの人が、思わぬところに住んでいるのを聞いて、時々は会いたいと、思っていましたが、折り悪く、世間の誹りを招きかねないときだったので、この山里に置いて、しばらく放置しておりましたが、あちらもわたしひとりを頼みとする積りでなかったのでしょう、わたしも歴とした正妻として遇するのではなく、面倒を見るのは特に不都合なこともないと思っていました女が、気がおけずかわいいと思っていましたが、実にあっけなくはかなく亡くなりました。それにしてもすべて人の世の無常の有様を思い続けてゆきますと、悲しいのです。お聞き及び と思いますが」
と言って、薫は初めて泣くのだった。
「こんなところをお見せしたくなかった。みっともない」と薫は思ったが、涙は止まらなかった。薫が、取り乱しているのを、「おかしい、困った」と、宮は思ったが、平静を装って、
「たいへんお気の毒でした。昨日小耳にはさんだのです。どうなさったかお悔やみ申し上げようと思いながら、世間に知らせないと、お聞きしましたので」
と宮は、何食わぬ顔で言ったのだが、堪えがたくなり、言葉少なに言う。
「然るべきお相手としてご覧に入れたいと、思っていた人です。いつかそういうこともございましたでしょう、お邸にも出入りしていましたから」
などと、少しずつ当てこすって、
「病気のよろしくない間は、つまらぬ世間話を聞いて耳を驚かすのもよくないです。どうぞお大事になさってください」
などとお見舞い申し上げて、薫は退出した。
2021.3.17/ 2022.11.23/ 2023.11.3
52.13 人は非情の者に非ず
「いみじくも思したりつるかな。いとはかなかりけれど、さすがに高き人の宿世なりけり。当時の帝、后の、さばかりかしづきたてまつりたまふ親王、顔容貌よりはじめて、ただ今の世にはたぐひおはせざめり。見たまふ人とても、なのめならず、さまざまにつけて、限りなき人をおきて、これに御心を尽くし、世の人立ち騷ぎて、修法、読経、祭、祓と、道々に騒ぐは、この人を思すゆかりの、御心地のあやまりにこそはありけれ。
我も、かばかりの身にて、時の帝の御女を持ちたてまつりながら、この人のらうたくおぼゆる方は、劣りやはしつる。まして、今はとおぼゆるには、心をのどめむ方なくもあるかな。さるは、をこなり、かからじ
と思ひ忍ぶれど、さまざまに思ひ乱れて、
「人木石に非ざれば皆情けあり」
と、うちずんじて臥したまへり。
後のしたためなども、いとはかなくしてけるを、「宮にもいかが聞きたまふらむ」と、いとほしくあへなく、「母のなほなほしくて、兄弟あるはなど、さやうの人は言ふことあんなるを思ひて、こと削ぐなりけむかし」など、心づきなく思す。
おぼつかなさも限りなきを、ありけむさまもみづから聞かまほしと思せど、「長籠もりしたまはむも便なし。行きと行きて立ち帰らむも心苦し」など、思しわづらふ。
「ほんとうに宮はひどい嘆きようだ。浮舟ははかない命だったが、さすがに高い宿世だった。 匂宮は、当代の帝と后が、とても大切にしている皇子であり、顔立ち容貌をはじめ、当代に類なきお方である。正室も、並ではなく、それぞれにつけてこの上もない人を差し置いて、浮舟に心を奪われ、世人が騒いで、修法、読経、祭、祓と、それぞれに宮の回復を願っているのは、浮舟にご執心のあまり気分が不調になったのが原因だ。
わたしも、これほど高い地位になって、帝の内親王を妻にもらい、この浮舟をいとおしいと思うのは、宮に劣らない。もう亡き人かと思うと、心を静めるすべもない。とはいえ、愚かなこと、もう嘆くまい」
と我慢してみるが、さまざまに思い乱れて、
「人木石に非ざれば皆情けあり」
と誦んじて臥した。
浮舟葬送の儀式なども、とても簡略にすませたのを、「宮にも何と言っているのか」と、体裁も悪く今さら仕方なく思い、「母の身分が低く、兄弟があるなど、そのような下々の間では簡略にすることがある」などのことも不満に思う。
いろいろ不審なこともあり、実際の様子も自分で聞きたいと思ったが、「長籠りするのもよくない。行ってすぐ帰ってくるのも本意ない」などと薫は思い煩うのだった。
2021.3.18/ 2022.11.23/ 2023.11.3
52.14 四月、薫と匂宮、和歌を贈答
月たちて、「今日ぞ渡らまし」と思し出でたまふ日の夕暮、いとものあはれなり。御前近き橘の香のなつかしきに、ほととぎすの二声ばかり鳴きて渡る。「宿に通はば」と独りごちたまふも飽かねば、北の宮に、ここに渡りたまふ日なりければ、橘を折らせて聞こえたまふ。
忍び音や君も泣くらむかひもなき
死出の田長に心通はば

宮は、女君の御さまのいとよく似たるを、あはれと思して、二所ふたところ眺めたまふ折なりけり。「けしきある文かな」と見たまひて、
橘の薫るあたりはほととぎす
心してこそ鳴くべかりけれ

わづらはし」
と書きたまふ。
女君、このことのけしきは、皆見知りたまひてけり。「あはれにあさましきはかなさの、さまざまにつけて心深きなかに、我一人もの思ひ知らねば、今までながらふるにや。それもいつまで」と心細く思す。宮も、隠れなきものから、隔てたまふもいと心苦しければ、ありしさまなど、すこしはとり直しつつ語りきこえたまふ。
「隠したまひしがつらかりし」
など、泣きみ笑ひみ聞こえたまふにも、異人よりは睦ましくあはれなり。ことことしくうるはしくて、例ならぬ御ことのさまも、おどろき惑ひたまふ所にては、御訪らひの人しげく、父大臣、兄の君たち隙なきも、いとうるさきに、ここはいと心やすくて、なつかしくぞ思されける。
月が改まり、「今日は京に来る」という日は、たいそう趣のある夕暮れだった。御前に近い橘の香がやさしく、ほととぎすが二声鳴いて渡っていく。「宿に通わば」と独り口ずさんでみたがつまらなく、二条院へ、浮舟が来る日なので、橘を手折らせて一首詠んだ。
(薫)「あなたもひそかに泣いているのでしょうか
時鳥が鳴きながら渡っています」
宮は、中君が浮舟によく似ているのを、あわれと思って、一緒にしんみりしていた。「意味ありげな文」と見て、
(匂宮)「橘の香るあたりでは時鳥も
心して鳴くべきでしょう
迷惑です」
と宮は詠んだ。
中君は、事のいきさつは、皆聞いていた。「悲しくはかない一生で、それぞれに深い物思いをした姉妹の中で、自分ひとりが物思いの苦労を知らず、今まで生きてきたが、それもいつまで」と心細く思う。宮も、隠せないで、黙っているのも心苦しいので、浮舟とのことを、少しとりつくろって話するのだった。
「あなたが浮舟のことを隠していたのがつらかった」
など、宮は泣き笑いしながら、話すのも、赤の他人よりは気持ちが通うからだろう。大げさで格式張った六条の邸では、ちょっと具合が悪くても、大騒ぎして、見舞いの客が多く、父大臣、兄の君たちが茂く来て、宮はうるさく感じ、二条の院ではゆっくり、くつろげた。
2021.3.18/ 2022.11.25/ 2023.11.3
52.15 匂宮、右近を迎えに時方派遣
いと夢のやうにのみ、なほ、「いかで、いとにはかなりけることにかは」とのみいぶせければ、例の人びと召して、右近を迎へに遣はす。母君も、さらにこの水の音けはひを聞くに、我もまろび入りぬべく、悲しく心憂きことのどまるべくもあらねば、いとわびしうて帰りたまひにけり。
念仏の僧どもを頼もしき者にて、いとかすかなるに入り来たれば、ことことしく、にはかに立ちめぐりし宿直人どもも、見とがめず。「あやにくに、限りのたびしも入れたてまつらずなりにしよ」と、思ひ出づるもいとほし。
「さるまじきことを思ほし焦がるること」と、見苦しく見たてまつれど、ここに来ては、おはしましし夜な夜なのありさま、抱かれたてまつりたまひて、舟に乗りたまひしけはひの、あてにうつくしかりしことなどを思ひ出づるに、心強き人なくあはれなり。右近会ひて、いみじう泣くもことわりなり。
「かくのたまはせて、御使になむ参り来つる」
と言へば、
「今さらに、人もあやしと言ひ思はむも慎ましく、参りても、はかばかしく聞こし召し明らむばかり、もの聞こえさすべき心地もしはべらず。この御忌果てて、あからさまにもなむ、と人に言ひなさむも、すこし似つかはしかりぬべきほどになしてこそ、心より外の命はべらば、いささか思ひ静まらむ折になむ、仰せ言なくとも参りて、げにいと夢のやうなりしことどもも、語りきこえまほしき」
と言ひて、今日は動くべくもあらず。
まるで夢のようなことに思われ、「やはり、どうしてにわかに亡くなったのか」とばかり疑問だったので、いつもの者たちを召して、右近を迎えにやった。母君もこの水音を聞くと、自分も転げ落ちそうな気がして、悲しくつらい思いが絶えないので、悄然として帰っていった。
念仏の僧たちを頼りにひっそり暮らしていたが、時方らが入ってくると、かってはことごとしく立ち上がった宿直たちも、見咎めない。「運悪く、最後の面会だったのに入れなかった」と思い出すのもお気の毒であった。
「匂宮の身分にふさわしからぬご執心ぶり」と、見苦しく見ていたが、こうして宇治にやって来てみると、匂宮の夜毎の様子や、浮舟が抱きかかえられて、舟に乗せられた気配が高貴で美しかった有様などを思い出して、皆しんみりしている。右近が会って、激しく泣くのも当然だろう。
「このように仰せになって、使いで来ました」
と言えば、
「今に及んで、女房たちも何か変だと疑っているのも、気になりますし、参上しても、はっきりとご説明できる心地もしません。忌中が終わりまして、ちょっと用事がございましてと人に言っても、相応しい頃になって、もし生きながらえる命がありましたら、少しは気持ちが落ち着くような折に、お召しがなくても参上して、本当に夢のようなことを、お話ししたいと思っています」
と言って、今は動きそうもない。
2021.3.18/ 2022.11.25/ 2023.11.3
52.16 時方、侍従と語る
大夫も泣きて、
「さらに、この御仲のこと、こまかに知りきこえさせはべらず。物の心知りはべらずながら、たぐひなき御心ざしを見たてまつりはべりしかば、君たちをも、何かは急ぎてしも聞こえ承らむ。つひには仕うまつるべきあたりにこそ、と思ひたまへしを、言ふかひなく悲しき御ことの後は、私の御心ざしも、なかなか深さまさりてなむ」
と語らふ。
「わざと御車など思しめぐらして、奉れたまへるを、空しくては、いといとほしうなむ。今一所にても参りたまへ」
と言へば、侍従の君呼び出でて、
「さは、参りたまへ」
と言へば、
「まして何事をかは聞こえさせむ。さても、なほ、この御いみのほどにはいかでか。忌ませたまはぬか」
と言へば、
「悩ませたまふ御響きに、さまざまの御慎みどもはべめれど、忌みあへさせたまふまじき御けしきになむ。また、かく深き御契りにては、籠もらせたまひてもこそおはしまさめ。残りの日いくばくならず。なほ一所参りたまへ」
と責むれば、侍従ぞ、ありし御さまもいと恋しう思ひきこゆるに、「いかならむ世にかは見たてまつらむ、かかる折に」と思ひなして参りける。
時方も泣いて、
「お二人の仲のこと、仔細は知りません。物のことわりも知らない武骨者ですが、宮の熱心な心ざしを見ておりまして、あなた方とも、どうして急いでお近づきになる必要がありましょう。いずれは、お仕えすることになるのですからと思っておりましたが、これ程の悲しみの後では、わたしの志も、かえって深くなりました」
と語るのだった。
「わざわざお車を手配してくださった、み心を無にしては、わたしも困ります、お一方でもお出でください」
と言えば、侍従の君を呼んで、
「それではお伺いなさい」
と右近が言えば、
「わたしなどが何を申せましょう。この御忌の間は、どうして伺えましょう。宮様はいみなさいませんのですか」
と侍従が言えば、
「宮は病気で大騒ぎになってます。いろいろと慎んでいますが、忌明けが待ちきれない様子です。また、深い契りですので、忌に籠りたいお気持ちでしょう。忌明けまでわずかです。ぜひお一人は参ってください」
と時方がせかすので、侍従は、拝見したお姿も恋しく思われ、「この後いつお目にかかれようか、こんな折こそ」と思って参上した。
2021.3.19/ 2022.11.25/ 2023.11.3
52.17 侍従、京の匂宮邸へ
黒き衣ども着て、引きつくろひたる容貌もいときよげなり。裳は、ただ今我より上なる人なきにうちたゆみて、色も変へざりければ、薄色なるを持たせて参る。
「おはせましかば、この道にぞ忍びて出でたまはまし。人知れず心寄せきこえしものを」など思ふにもあはれなり。道すがら泣く泣くなむ来ける。
宮は、この人参れり、と聞こし召すもあはれなり。女君には、あまりうたてあれば、聞こえたまはず。寝殿におはしまして、渡殿に降ろしたまへり。ありけむさまなど詳しう問はせたまふに、日ごろ思し嘆きしさま、その夜泣きたまひしさま、
「あやしきまで言少なに、おぼおぼとのみものしたまひて、いみじと思すことをも、人にうち出でたまふことは難く、ものづつみをのみしたまひしけにや、のたまひ置くこともはべらず。夢にも、かく心強きさまに思しかくらむとは、思ひたまへずなむはべりし」
など、詳しう聞こゆれば、ましていといみじう、「さるべきにても、ともかくもあらましよりも、いかばかりものを思ひ立ちて、さる水に溺れけむ」と思しやるに、「これを見つけて堰きとめたらましかば」と、湧きかへる心地したまへど、かひなし。
「御文を焼き失ひたまひしなどに、などて目を立てはべらざりけむ」
など、夜一夜語らひたまふに、聞こえ明かす。かの巻数に書きつけたまへりし、母君の返り事などを聞こゆ。
侍従は、喪服を着て、化粧した顔立ちもたいそう美しい。裳は、自分より上位の人がいなかったのでうっかりして、色を変えずに薄紫のを童に持たせて来る。
「姫が生きていたら、この道を忍んで出たはずだった。人知れず宮に心を寄せていたのに」などと思うとあわれであった。道すがら泣く泣く来た。
宮は、侍従が来た、と聞くと胸せまるものがあった。中君には、どうも具合が悪いので、何も言わない。自分は寝殿にいて、渡殿に降ろさせた。ありし日の様子を詳しく尋ねて、浮舟があの頃ずっと物思わしく悩んでいたこと、あの匂宮が来た夜、泣いていた様子など、
「不思議なほど言葉少なく、ぼんやりしていて、つらく悲しいと思うことも、話すことはなく、自分の胸ひとつに納めていましたので、言い残されたことはございませんでした。まさか、こんなに思い切ったことをするとは、思いも寄らないことでした」
などと詳しく語ると、ひとしお悲しく、「詮方ない病気で、命を落とすよりも、どれほど切ない決心をして、水に溺れたことだろう」と思いやると、「それを見つけて、止めることができたら」と、湧き上がってくる気持ちがするが、今さら甲斐なし。
「文を焼いていた時に、どうして気づかなかったのでしょう」
など、一晩中語らって、言うのだった。あの巻数に書き付けた、母君への返事の歌もお話しする。
2021.3.19/ 2022.11.25/ 2023.11.3
52.18 侍従、宇治へ帰る
何ばかりのものとも御覧ぜざりし人も、睦ましくあはれに思さるれば、
「わがもとにあれかし。あなたももて離るべくやは」
とのたまへば、
「さて、さぶらはむにつけても、もののみ悲しからむを思ひたまへれば、今この御果てなど過ぐして」
と聞こゆ。「またも参れ」など、この人をさへ、飽かず思す。
暁帰るに、かの御料にとてまうけさせたまひける櫛の筥一具くしのはこひとよろい衣筥一具ころもばこひとよろい、贈物にせさせたまふ。さまざまにせさせたまふことは多かりけれど、おどろおどろしかりぬべければ、ただこの人に仰せたるほどなりけり。
「なに心もなく参りて、かかることどものあるを、人はいかが見む。すずろにむつかしきわざかな」
と思ひわぶれど、いかがは聞こえ返さむ。
右近と二人、忍びて見つつ、つれづれなるままに、こまかに今めかしうし集めたることどもを見ても、いみじう泣く。装束もいとうるはしうし集めたるものどもなれば、
「かかる御服に、これをばいかでか隠さむ」
など、もてわづらひける。
何程の者とも気に留めなかった侍従を、宮は、親しくあわれを感じて、
「わたしの処で仕えよ。中君も縁があるから」
と仰せになるので、
「仰せの通り、お仕えするにしても、何かと悲しいので、この一周忌が過ぎましたら」
と言う。「また来なさい」などと言って、侍従にさえ別れがたく思う。
暁に帰ろうとすると、浮舟に用意された櫛の筥一式、衣筥一式、を贈った。浮舟のために用意した品々はさまざまあって多かったが、大げさになるのを懸念して、この侍従に与えてふさわしいものにしたのだった。
「言われるままに参上して、このような御料を頂いて、人は何と思うだろう。思いがけず厄介なことになった」
と内心困ったが、どうして辞退できよう。
右近と二人で、こっそり見ては、所在ないので、どれも精巧な作りで今風なものをそろえたのを見て、泣くのであった。装束も美しく仕立てたものばかりなので、
「こんな華やかなものを、どこに隠そう」
などと、困っている。
2021.3.19/ 2022.11.26/ 2023.11.3
52.19 薫、宇治を訪問
大将殿も、なほ、いとおぼつかなきに、思し余りておはしたり。道のほどより、昔の事どもかき集めつつ、
「いかなる契りにて、この父親王の御もとに来そめけむ。かかる思ひかけぬ果てまで思ひあつかひ、このゆかりにつけては、ものをのみ思ふよ。いと尊くおはせしあたりに、仏をしるべにて、後の世をのみ契りしに、心きたなき末の違ひめに、思ひ知らするなめり」
とぞおぼゆる。右近召し出でて、
「ありけむさまもはかばかしう聞かず、なほ、尽きせずあさましう、はかなければ、忌の残りもすくなくなりぬ。過ぐして、と思ひつれど、静めあへずものしつるなり。いかなる心地にてか、はかなくなりたまひにし」
と問ひたまふに、「尼君なども、けしきは見てければ、つひに聞きあはせたまはむを、なかなか隠しても、こと違ひて聞こえむに、そこなはれぬべし。あやしきことの筋にこそ、虚言も思ひめぐらしつつならひしか。かくまめやかなる御けしきにさし向かひきこえては、かねて、と言はむ、かく言はむと、まうけし言葉をも忘れ、わづらはしう」おぼえければ、ありしさまのことどもを聞こえつ
薫も、たいそう気になり、思い余って宇治に行った。道の途中で、昔のことどもを思い出して、
「どんな前世の因縁で、父八の宮の元に来たのか。思いがけなく末の浮舟にまで思いを寄せて、ゆかりの人々には物思いばかりしている。仏道修行専一で、仏の導きで後世を願ったのに、道心にあるまじき懸想をしたために、仏が思い知らせようとしているのだ」
と思うのだった。右近を呼び出して、
「最期の様子もしかと聞いていないし、どうにも納得いかない、頼りない話で、忌の残りも少なくなり、過ぎてからと思いましたが、落ち着いてもいられずに来ました。どんな病気で、亡くなったのか」
と薫が問うと、「尼君も様子は知っているので、いずれは事情は知れるだろうから、かえって隠しても、食い違いがあっては、具合が悪いだろう。匂宮のことは、色々嘘を重ねてきた。これほど真心から仰る様子で向かい合うと、前もって、ああ言おうこう言おう、と考えていた言葉も忘れてしまい、あとあと問題になったりしたら面倒だ」と思われたので、入水の話などありのままを申し上げた。
2021.3.19/ 2022.11.26/ 2023.11.3
52.20 薫、真相を聞きただす
あさましう、思しかけぬ筋なるに、物もとばかりのたまはず。
「さらにあらじとおぼゆるかな。なべての人の思ひ言ふことをも、こよなく言少なに、おほどかなりし人は、いかでかさるおどろおどろしきことは思ひ立つべきぞ。いかなるさまに、この人びと、もてなして言ふにか」
と御心も乱れまさりたまへど、「宮も思し嘆きたるけしき、いとしるし、事のありさまも、しかつれなしづくりたらむけはひは、おのづから見えぬべきを、かくおはしましたるにつけても、悲しくいみじきことを、上下の人集ひて泣き騒ぐを」と、聞きたまへば、
「御供に具して失せたる人やある。なほ、ありけむさまをたしかに言へ。我をおろかに思ひて背きたまふことは、よもあらじとなむ思ふ。いかやうなる、たちまちに、言ひ知らぬことありてか、さるわざはしたまはむ。我なむえ信ずまじき」
とのたまへば、「いとどしく、さればよ」とわづらはしくて、
「おのづから聞こし召しけむ。もとより思すさまならで生ひ出でたまへりし人の、世離れたる御住まひの後は、いつとなくものをのみ思すめりしかど、たまさかにもかく渡りおはしますを、待ちきこえさせたまふに、もとよりの御身の嘆きをさへ慰めたまひつつ、心のどかなるさまにて、時々も見たてまつらせたまふべきやうには、いつしかとのみ、言に出でてはのたまはねど、思しわたるめりしを、その御本意かなふべきさまに承ることどもはべりしに、かくてさぶらふ人どもも、うれしきことに思ひたまへいそぎ、かの筑波山も、からうして心ゆきたるけしきにて、渡らせたまはむことをいとなみ思ひたまへしに、心得ぬ御消息はべりけるに、この宿直仕うまつる者どもも、女房たちらうがはしかなり、など、戒め仰せらるることなど申して、ものの心得ず荒々しきは田舎人どもの、あやしきさまにとりなしきこゆることどもはべりしを、その後、久しう御消息などもはべらざりしに、心憂き身なりとのみ、いはけなかりしほどより思ひ知るを、人数にいかで見なさむとのみ、よろづに思ひ扱ひたまふ母君の、なかなかなることの、人笑はれになりては、いかに思ひ嘆かむ、などおもむけてなむ、常に嘆きたまひし。
その筋よりほかに、何事をかと、思ひたまへ寄るに、堪へはべらずなむ。鬼などの隠しきこゆとも、いささか残る所もはべるなるものを」
とて、泣くさまもいみじければ、「いかなることにか」と紛れつる御心も失せて、せきあへたまはず。
驚きあきれ、思いもかけぬ話で、言葉も出ない。
「とても信じられない。誰もが思い言うことでも、浮舟は言葉少なく、穏やかだったのに、どうしてそんな思い切った恐ろしいことを思いついたのか。どういう積りで、この女房たちはわざと言いつくろうのか」
と薫は心が乱れたが、「宮もずいぶん嘆いていたのは、はっきりしているし、事の真相も、素知らぬふうを装った気配は自ずと分かるものだが、こうして宇治へ来ても、上下の者たちが集まって、ひどく泣き騒いでいる」のを聞くと、
「お供に連れていって、いなくなった女房はいないか。もっとその時あったことをはっきり言いなさい。浮舟がわたしを厭って背くことはよもやあるまい思う。何か突然、不測の事態があったにしても、入水などするわけがない。わたしは信じられない」
と薫が言えば、右近は「心配した通りだ。それでは」と困って、
「自ずとお聞きでしょうが、浮舟は小さい時から不如意に育った人で、世離れた宇治に住まってからは、いつとなく物思いに沈んで、たまにこうして殿が来られるのを、待っていましたが、小さい時からの不如意を慰めながら、心のどかに 暮らして、時々は殿にお会いできるようになるのは、いつだろう、口に出しては言わなかったのですが、そう願っていました、その本意が叶うとお聞きしたときは、お仕えしているわたしどもも、うれしく思って支度していましたが、あの母君もようやく日ごろの思いが達せられたように思い、京へお移りになる準備に懸命になっていましたのですが、合点のゆかぬ文があり まして、宿直の者どもが、侍女たちにふしだらな点があるようだ、などの厳しいお戒めがあったことを申し立てて、物の心知らぬ荒々しい田舎者ゆえ、おかしな具合に勝手な解釈をしまして、その後しばらくそちらからの文などもなかったのですが、心憂き身の上だと、小さい頃から思い込んでおりましたので、母上は人並みに結婚させたいと、何やかやと世話を焼いていました。なまじ訪れたこの幸運が、世間の笑い者になってはと、悪い方にも解釈して、思い嘆いていました。
そのこと以外に、何があったのかと考えてみましたが、思い当たりません。鬼が隠したとしても、何か証拠を残すはずです」
と言って、右近が泣く様子もひどく悲しそうなので、「どうしたのか」と疑いも失せて、涙が止まらない。
2021.3.20/ 2022.11.26/ 2023.11.3
52.21 薫、匂宮と浮舟の関係を知る
「我は心に身をもまかせず、顕証なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと思ふ折も、今近くて、人の心置くまじく、目やすきさまにもてなして、行く末長くを、と思ひのどめつつ過ぐしつるを、おろかに見なしたまひつらむこそ、なかなか分くる方ありける、とおぼゆれ。
今は、かくだに言はじと思へど、また人の聞かばこそあらめ。宮の御ことよ。いつよりありそめけむ。さやうなるにつけてや、いとかたはに、人の心を惑はしたまふ宮なれば、常にあひ見たてまつらぬ嘆きに、身をも失ひたまへる、となむ思ふ。なほ、言へ。我には、さらにな隠しそ」
とのたまへば、「たしかにこそは聞きたまひてけれ」と、いといとほしくて、
「いと心憂きことを聞こし召しけるにこそははべるなれ。右近もさぶらはぬ折ははべらぬものを」
と眺めやすらひて、
「おのづから聞こし召しけむ。この宮の上の御方に、忍びて渡らせたまへりしを、あさましく思ひかけぬほどに、入りおはしたりしかど、いみじきことを聞こえさせはべりて、出でさせたまひにき。それに懼ぢたまひて、かのあやしくはべりし所には渡らせたまへりしなり。
その後、音にも聞こえじ、と思してやみにしを、いかでか聞かせたまひけむ。ただ、この如月ばかりより、訪れきこえたまふべし。御文は、いとたびたびはべりしかど、御覧じ入るることもはべらざりき。いとかたじけなく、うたてあるやうになどぞ、右近など聞こえさせしかば、一度二度や聞こえさせたまひけむ。それより他のことは見たまへず」
と聞こえさす。
「かうぞ言はむかし。しひて問はむもいとほしく」て、つくづくとうち眺めつつ、
「宮をめづらしくあはれと思ひきこえても、わが方をさすがにおろかに思はざりけるほどに、いと明らむるところなく、はかなげなりし心にて、この水の近きをたよりにて、思ひ寄るなりけむかし。わがここにさし放ち据ゑざらましかば、いみじく憂き世に経とも、いかでか、かならず深き谷をも求め出でまし」
と、「いみじう憂き水の契りかな」と、この川の疎ましう思さるること、いと深し。年ごろ、あはれと思ひそめたりし方にて、荒き山路を行き帰りしも、今は、また心憂くて、この里の名をだにえ聞くまじき心地したまふ。
「わたしは、思い通りに振舞えず、何をしても目立つ身分なので、気がかりに思っていて、いずれは京に呼んで、安心して、世間体も見苦しくなく、末長く和やかに暮らせるように、と思っていたのですが、それを薄情と思われて、気持ちを寄せる人が別にいるのだ、と思っていました。
今さらこれを言いたくはないが、他に誰か聞いているのならともかく、宮のことです。一体いつから始まったのか。宮は憎らしいほど女の心を惑わすので、浮舟がいつも逢えないのを嘆いて、それで身投げしたのか、と思う。さあ、言いなさい。わたしに隠しごとは禁物だ」
と薫が言うと、「確かなことを、真相を聞いているのだ」と、とても困って、
「何んと、お聞き苦しいことをお聞きになって。右近はいつも側に控えておりましたよ」
としばらく考えて、
「自ずから聞いておられましょうが、中君の処に一時身を寄せました折に、とんでもないことに、宮が入って来ましたので、厳しいことを申し上げて、出てもらいました。浮舟は、それに恐れをなして、あのむさ苦しかった小家に移られましたのでございます。
その後、風にのっても宮に聞こえないように、何ごともなく過ごしましたのに、この二月ころから、文を頂くようになりました。宮の文はたびたびありましたが、浮舟がご覧にはなりませんでした。あまりに恐れ多く、失礼にあたりましょうと、右近などは申し上げましたが、一二度はご返事しましたでしょうか。それ以外のことは存じません」
と申し上げる。
「こう言うに決まっている。無理に問い詰めるのもかわいそう」と、じっと物思いにふけりながら、
「宮をめったにいない慕わしい方と思っても、わたしをさすがに疎くは思っていないので、どうしていいか分からなくなり、浮舟は、はかなげな心根なので、川の近くにいたので、思いついたのだろう。自分がここに放置しておかなかったら、つらい憂き世としても、必ずしも身投げするだろうか」
と「つらい悲しい水との縁だな」とこの川を深く厭うのであった。年来、いとおしい女と心に深く思って、荒い山路を行き帰りしたが、今は、心憂くて、この里の名さえ厭わしく聞きたくない気持ちだった。
2021.3.20/ 2022.11.26/ 2023.11.3
52.22 薫、宇治の過去を追懐す
「宮の上の、のたまひ始めし、人形とつけそめたりしさへゆゆしう、ただ、わが過ちに失ひつる人なり」と思ひもてゆくには、「母のなほ軽びたるほどにて、後の後見もいとあやしく、ことそぎてしなしけるなめり」と心ゆかず思ひつるを、詳しう聞きたまふになむ、
「いかに思ふらむ。さばかりの人の子にては、いとめでたかりし人を、忍びたることはかならずしもえ知らで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ思ふなるらむかし」
など、よろづにいとほしく思す。けがらひといふことはあるまじけれど、御供の人目もあれば、昇りたまはで、御車のしじを召して、妻戸の前にぞゐたまひけるも、見苦しければ、いと茂き木の下に、苔を御座にて、とばかり居たまへり。「今はここを来て見むことも心憂かるべし」とのみ、見めぐらしたまひて、
我もまた憂き古里を荒れはてば
誰れ宿り木の蔭をしのばむ

阿闍梨、今は律師なりけり。召して、この法事のことおきてさせたまふ。念仏僧の数添へなどせさせたまふ。「罪いと深かなるわざ」と思せば、軽むべきことをぞすべき、七日七日に経仏供養ずべきよしなど、こまかにのたまひて、いと暗うなりぬるに帰りたまふも、「あらましかば、今宵帰らましやは」とのみなむ。
尼君に消息せさせたまへれど、
「いともいともゆゆしき身をのみ思ひたまへ沈みて、いとどものも思ひたまへられず、ほれはべりてなむ、うつぶし臥してはべる」
と聞こえて、出で来ねば、しひても立ち寄りたまはず。
道すがら、とく迎へ取りたまはずなりにけること悔しう、水の音の聞こゆる限りは、心のみ騷ぎたまひて、「骸をだに尋ねず、あさましくてもやみぬるかな。いかなるさまにて、いづれの底のうつせに混じりけむ」など、やる方なく思す。
「中君が言い出した、人形ひとがたと呼んだ名も縁起でもなかった、すべて自分の誤りで失ったのだ」と思いめぐらすと、「母君の身分が低いので、後見も十分でなく、葬儀も簡略にしたのだ」と不満に思っていたが、詳しく事情を聞いてみると、
「母君は何と思っているだろう。あの程度の身分の子としては、上出来の人だったのに、匂宮との関係はよく知らず、わたしの正室との関係で、心配したこともあろう」
など、あれこれとかわいそうに思う。穢れを忌む必要はなかったが、供の者たちの目もあり、室内に上がらず、車のしじを取り寄せて、妻戸の前に座っていたが、見苦しいので、濃く茂った木の下に苔を座にしてしばらく座っていた。「今はここにきて、見るだけでもつらい」とばかり思い、あたりを見回して、
(薫)「わたしまで嫌なこの邸を荒れたままにしたら
誰が昔のこの宿を思い出すだろう」
阿闍梨は、今は律師になっていた。招へいして、法事を取り決めさせる。念仏僧の数を増やしたりなどする。「入水は罪が深い所行」なので、軽くなることなどをさせる。七日毎に経や仏を供養するなど、細かく申し付けて、暗くなってから帰京したのだが、「浮舟が生きていたら、今宵帰っただろうか」と思われた。
尼君に挨拶させたが、
「何とも縁起でもない身であると思い込んで、何ともわきまえられない、ぼんやりしておりまして、うつ伏しています」
と申し上げて、出てこなかったので、無理して立ち寄らなかった。
道すがら、早く遺骸を引き取らなかったことを悔み、川の水音の聞こえている限りは、心が騒いで、「亡骸を探し出さず、何にもせずあきれたことだ。どんなふうにどこの水底にうつ伏せになって沈んでいるだろう」など、やり切れぬ思いだった。
2021.3.22/ 2022.11.27/ 2023.11.4
52.23 薫、浮舟の母に手紙す
かの母君は、京に子産むべき娘のことにより、慎み騒げば、例の家にもえ行かず、すずろなる旅居のみして、思ひ慰む折もなきに、「また、これもいかならむ」と思へど、平らかに産みてけり。ゆゆしければ、え寄らず、残りの人びとの上もおぼえず、ほれ惑ひて過ぐすに、大将殿より御使忍びてあり。ものおぼえぬ心地にも、いとうれしくあはれなり。
「あさましきことは、まづ聞こえむと思ひたまへしを、心ものどまらず、目もくらき心地して、まいていかなる闇にか惑はれたまふらむと、そのほどを過ぐしつるに、はかなくて日ごろも経にけることをなむ。世の常なさも、いとど思ひのどめむ方なくのみはべるを、思ひの外にもながらへば、過ぎにし名残とは、かならずさるべきことにも尋ねたまへ」
など、こまかに書きたまひて、御使には、かの大蔵大輔をぞ賜へりける。
「心のどかによろづを思ひつつ、年ごろにさへなりにけるほど、かならずしも心ざしあるやうには見たまはざりけむ。されど、今より後、何ごとにつけても、かならず忘れきこえじ。また、さやうにを人知れず思ひ置きたまへ。幼き人どももあなるを、朝廷に仕うまつらむにも、かならず後見思ふべくなむ」
など、言葉にものたまへり。
あの母君は、京の家で子を産む娘のことがあり、忌中なので、常陸の介の家に帰ることもできず、仮の宿に長居することになって、悲しみを晴らす折もなく、「産婦はどうなるだろう」と心配したが、無事出産した。穢れが心配で、娘の側にも寄らず、子供たちにも近づかず、茫然としていたとき、薫から内々の使いが来て、うれしくあわれであった。
「この度の、あまりと言えばあまりのことに、まずお見舞いをと思いましたが、気持ちも落ち着かず、目もくらんで、まして親としてはどれほどのお気持ちか、あれこれ思って過ごしているうちに、はかなく日も過ぎてしまいました。世の無常も、ひとしお感じますが、思いのほか生きられれば、亡き人の形見として、何かの折には、便りをください」
などと、細かな心遣いで書いて、使いには、あの大蔵大輔を差し向けた。
「何ごとも心のどかに思って、過ごしてきましたので、わたしの本当の気持ちがお分かりにならないかも知れません。けれど今後は、何につけても忘れることはありません。どうぞ、人知れず、そのように思っていてください。あなたの御子たちが、朝廷に任官する際には、必ずお力添えできるでしょう」
などと口上にも言うのだった。
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52.24 浮舟の母からの返書
いたくしも忌むまじき穢らひなれば、「深うしも触れはべらず」など言ひなして、せめて呼び据ゑたり。御返り、泣く泣く書く。
「いみじきことに死なれはべらぬ命を、心憂く思うたまへ嘆きはべるに、かかる仰せ言見はべるべかりけるにや、となむ。
年ごろは、心細きありさまを見たまへながら、それは数ならぬ身のおこたりに思ひたまへなしつつ、かたじけなき御一言を、行く末長く頼みきこえはべりしに、いふかひなく見たまへ果てては、里の契りもいと心憂く悲しくなむ。
さまざまにうれしき仰せ言に、命延びはべりて、今しばしながらへはべらば、なほ、頼みきこえはべるべきにこそ、と思ひたまふるにつけても、目の前の涙にくれて、え聞こえさせやらずなむ」
など書きたり。御使に、なべての禄などは見苦しきほどなり。飽かぬ心地もすべければ、かの君にたてまつらむと心ざして持たりける、よき班犀はんさいの帯、太刀のをかしきなど、袋に入れて、車に乗るほど、
「これは昔の人の御心ざしなり」
とて、贈らせてけり。
殿に御覧ぜさすれば、
「いとすぞろなるわざかな」
とのたまふ。言葉には、
「みづから会ひはべりたうびて、いみじく泣く泣くよろづのことのたまひて、幼き者どものことまで仰せられたるが、いともかしこきに、また数ならぬほどは、なかなかいと恥づかしう、人に何ゆゑなどは知らせはべらで、あやしきさまどもをも皆参らせはべりて、さぶらはせむ、となむものしはべりつる」
と聞こゆ。
げに、ことなることなきゆかり睦びにぞあるべけれど、帝にも、さばかりの人の娘たてまつらずやはある。それに、さるべきにて、時めかし思さむは、人の誹るべきことかは。ただ人、はた、あやしき女、世に古りにたるなどを持ちゐるたぐひ多かり。
† かの守の娘なりけりと、人の言ひなさむにも、わがもてなしの、それに穢るべくありそめたらばこそあらめ、一人の子をいたづらになして思ふらむ親の心に、なほこのゆかりこそおもだたしかりけれ、と思ひ知るばかり、用意はかならず見すべきこと」と思す。
厳重に忌むべき穢れでもないので、「大した障りはないでしょう」などと言って、使いを招じ入れた。返事を泣く泣く書いた。
「つらい目にあっても死ねない命を、情けないと思って嘆いておりましたのも、このようなありがたい御言葉をお聞きするためでした。
年頃、娘の心細い身の上を案じておりましたが、それは私の数ならぬ身の賎しい出自のためと思っておりましたが、恐れ多いお言葉を、行く末長く頼みとしまして、詮ない結果となりましたが、宇治の契りもつらく悲しく存じます。
あれやこれやとうれしい御言葉を頂き、命も延びる心地がして、今しばらく生きていますれば、いっそうお頼みするようになる、と思うにつけても、目の前の涙に曇って、とても言葉が出てきません」
などと書いている。使いに普通の禄は見苦しいし気がするので、亡き浮舟のためにと準備していた美しい班犀はんさい帯や洒落た大刀などを袋に入れて車に乗るときに、
「これは故人のお志です」
と言って、贈った。
薫に見せると、
「今さらしなくてもよいものを」
と言う。使いの口上で、
「自らお会いされて、ひどく泣きながらいろいろ言われまして、幼い子供のことまで仰せられたのが、たいそうありがたくて、数ならぬ身分ではかえってとても気がひけて、人にはこういう縁故ですとは知らせず、不出来な子供たちを皆呼び寄せて、ご奉公させます、と申しておりました」
と話すのであった。
「あまり見栄えのしない親類だが、帝もそれくらいの身分の娘を入内させたことはある。その上、前世の因縁で、帝の寵愛を得ても、人が非難すべきことだろうか。臣下ともなれば、素性の賎しい女や、再婚する女を娶ることは多い。
あの常陸の守の娘だったのだ、と人が言っても、わたしの扱いが、初めから汚点となるように始まったのならともかく、空しく死なせて悲しんでいる親の心に、娘の縁で面目を施しているのだ、としみじみ思うように、配慮は必ずしてやらねばならない」と思うのだった。
2021.3.23/ 2022.11.27/ 2023.11.4
52.25 常陸介、浮舟の死を悼む
かしこには、常陸守、立ちながら来て、「折しも、かくてゐたまへることなむ」と腹立つ。年ごろ、いづくになむおはするなど、ありのままにも知らせざりければ、「はかなきさまにておはすらむ」と思ひ言ひけるを、「京になど迎へたまひて後、面目ありて、など知らせむ」と思ひけるほどに、かかれば、今は隠さむもあいなくて、ありしさま泣く泣く語る。
大将殿の御文もとり出でて見すれば、よき人かしこくして、ひなび、ものめでする人にて、おどろき臆して、うち返しうち返し、
「いとめでたき御幸ひを捨てて亡せたまひにける人かな。おのれも殿人にて、参り仕うまつれども、近く召し使ふこともなく、いと気高く思はする殿なり。若き者どものこと仰せられたるは、頼もしきことになむ」
など、喜ぶを見るにも、「まして、おはせましかば」と思ふに、臥しまろびて泣かる。
守も今なむうち泣きける。さるは、おはせし世には、なかなか、かかるたぐひの人しも、尋ねたまふべきにしもあらずかし。「わが過ちにて失ひつるもいとほし。慰めむ」と思すよりなむ、「人の誹り、ねむごろに尋ねじ」と思しける。
あちらの三条の家では、常陸の守がちょっとやって来て、「こんな時によくもこうして過ごせるな」と怒る。日ごろ、どうしているなど知らせていないので、「見すぼらしく過ごしているのだろう」と思っていたが、「京に迎えられたら、晴れがましく知らせよう」と思っていたが、こうなってしまえば、今は隠しても仕方ないので、生前を泣く泣く語る。
薫からの文も取り出して見せると、権門の人をありがたがり、田舎者で、何にでも感心する人なので、驚き臆して、くり返して見るに、
「とても、すばらしい幸運を捨てて亡くなったものだ。わたしもご家来筋として、仕えているが、近くに召し使われることもなく、とても気高い殿だ。若い者たちのことを仰せられるのは、心強いです」
などと、喜ぶのを見ても、「まして生きていたら」と思うと、身をよじって泣くのだった。
常陸守も今になって泣く。実際は、生きていたならば、かえってこんな一族の人のことを訊いてやることはない。「わたしが、面倒を見ず放置したため失くしたのだ。慰めよう」と思って、「人の誹りは、気にしない」と思うのだった。
2021.3.23/ 2022.11.27/ 2023.11.4
52.26 浮舟四十九日忌の法事
四十九日のわざなどせさせたまふにも、「いかなりけむことにかは」と思せば、とてもかくても罪得まじきことなれば、いと忍びて、かの律師の寺にてせさせたまひける。六十僧の布施など、大きにおきてられたり。母君も来ゐて、事ども添へたり。
宮よりは、右近がもとに、白銀の壺に黄金入れて賜へり。人見とがむばかり大きなるわざは、えしたまはず、右近が心ざしにてしたりければ、心知らぬ人は、「いかで、かくなむ」など言ひける。殿の人ども、睦ましき限りあまた賜へり。
「あやしく。音もせざりつる人の果てを、かく扱はせたまふ。誰れならむ」
と、今おどろく人のみ多かるに、常陸守来て、主人がり居るなむ、あやしと人びと見ける。少将の子産ませて、いかめしきことせさせむとまどひ、家の内になきものはすくなく、唐土新羅の飾りをもしつべきに、限りあれば、いとあやしかりけり。この御法事の、忍びたるやうに思したれど、けはひこよなきを見るに、「生きたらましかば、わが身を並ぶべくもあらぬ人の御宿世なりけり」と思ふ。
宮の上も誦経したまひ、七僧の前のことせさせたまひけり。今なむ、「かかる人持たまへりけり」と、帝までも聞こし召して、おろかにもあらざりける人を、宮にかしこまりきこえて、隠し置きたまひたりける、いとほしと思しける。
二人の人の御心のうち、古りず悲しく、あやにくなりし御思ひの盛りにかき絶えては、いといみじければ、あだなる御心は、慰むやなど、こころみたまふこともやうやうありけり。
かの殿は、かくとりもちて、何やかやと思して、残りの人を育ませたまひても、なほ、いふかひなきことを、忘れがたく思す。
四十九日の法要をするにも、「一体どういうことだったのだろう」と思うと、いずれにしろ罪障消滅になるので、内々に、あの律師の寺で営んだ。六十僧の布施など、立派に言い付けられた。母君も来て供養の品々を添えた。
匂宮からは、右近の処に、白銀の壺に黄金を入れて賜った。人が見とがめるほどの大げさにはせず、右近の志として供養したので、事情をを知らない人は、「どうしてこんなに立派に」などと言うのだった。邸の家臣も、‭気心の知れた者を大勢遣わした。
「おかしいな。聞いたこともない人の法事を、こんなに手厚くされるとは。どんな方なのだろう」
と、今頃気がついて驚く人が多かったが、常陸守が来て、主人顔をしているのを、人々が不審に見てる。少将の子の産養いを済ませたばかりで、盛大なものにすべく、邸に中にないものは少なく、唐土新羅の飾り物まで揃えたかったが、限りあれば、貧相なものになった。この法事は内々にと思われたが、盛大な有様を見ると、「生きていたら、わが身より幸運な宿世であったのだ」と思う。
中君も読経を布施し、七僧の御膳を供養した。今こそ、「このような寵愛の人を持っていたのだ」と、帝までお聞きになって、これほどに大切な人を、二の宮にご遠慮されて隠していたのを、お気の毒に思うのだった。
二人の胸の内は、いつまでも悲しく、宮は、あいにく横恋慕の盛りに亡くなって、とてもつらいが、移り気な性分ゆえ、気が紛れるかと、他の女に言い寄ることもあった。
薫の方は、あれこれと配慮されて、後に残った一族の世話をしても、やはり詮ない浮舟のことを、忘れがたく思った。
2021.3.24/ 2022.11.28/ 2023.11.4
52.27 薫と小宰相の君の関係
后の宮の、御軽服きょうぶくのほどは、なほかくておはしますに、二の宮なむ式部卿になりたまひにける。重々しうて、常にしも参りたまはず。この宮は、さうざうしくものあはれなるままに、一品の宮の御方を慰め所にしたまふ。よき人の容貌をも、えまほに見たまはぬ、残り多かり。
大将殿の、からうして、いと忍びて語らはせたまふ小宰相の君といふ人の、容貌などもきよげなり、心ばせある方の人と思されたり。同じ琴を掻きならす、爪音、撥音も、人にはまさり、文を書き、ものうち言ひたるも、よしあるふしをなむ添へたりける。
この宮も、年ごろ、いといたきものにしたまひて、例の、言ひ破りたまへど、「などか、さしもめづらしげなくはあらむ」と、心強くねたきさまなるを、まめ人は、「すこし人よりことなり」と思すになむありける。かくもの思したるも見知りければ、忍びあまりて聞こえたり。
あはれ知る心は人におくれねど
数ならぬ身に消えつつぞ経る

代へたらば」
と、ゆゑある紙に書きたり。ものあはれなる夕暮、しめやかなるほどを、いとよく推し量りて言ひたるも、憎からず。
常なしとここら世を見る憂き身だに
人の知るまで嘆きやはする

このよろこび、あはれなりし折からも、いとどなむ」
など言ひに立ち寄りたまへり。いと恥づかしげにものものしげにて、なべてかやうになどもならしたまはぬ、人柄もやむごとなきに、いとものはかなき住まひなりかし。局などいひて、狭くほどなき遣戸口に寄りゐたまへる、かたはらいたくおぼゆれど、さすがにあまり卑下してもあらで、いとよきほどにものなども聞こゆ。
「見し人よりも、これは心にくきけ添ひてもあるかな。などて、かく出で立ちけむ。さるものにて、我も置いたらましものを」
と思す。人知れぬ筋は、かけても見せたまはず。
明石中宮は、軽い喪服の間は、引き続き六条の邸に里帰りしていたが、二宮が式部卿になった。重々しい身分なので、気楽に母宮の元に来ない。匂宮は物足りぬ気がして、一の宮の方を慰め処にしている。顔立のいい女房たちも、まだよく見ていない。心残りだった。
薫が、ようやくにして、忍んで逢っている小宰相こざいしょうの君という女房は、顔立ちも美しく気立てもよかった。同じく琴を弾くにしても、爪音、撥音がすぐれていて、文を書いたり、もの言ったりしても、自ずから趣があった。
匂宮も、年ごろ、よい女だと思っていて、例によって薫を悪く言うが、「何も、誰も彼もが宮に靡くことがあろうか」と、小憎らしくしているのを、薫は、「人より優れた女だ」と思っていた。薫が悲しんでいるのを知っていたので、 女は堪えがたくなり文を送った。
(小宰相)「あわれを知る心は人に劣りませんが
数ならぬ身で控えて消え入りそうに過ごしています
代われたら」
と奥ゆかしい紙に書いてある。あわれを感じる夕暮れ、しんみりしているとき、よく察して言うのも、憎からず思う。
(薫)「世の無常という憂き目を見てきた身だが
人に知られるまで嘆いてはいないのに
弔問されてうれしい、悲しみの最中に、とても」
などを言うために立ち寄った。薫は全く気がひけるほど立派で、普通はこのような局に寄ることはなく、人柄も重々しかったが、実に頼りない住まいだった。局といっても、狭く奥行きもなく遣戸口に寄りかかっている、小宰相こざいしょうはきまり悪い思いがするけれど、そう卑下もせずに、ほどよくお相手をする。
「浮舟よりも、奥ゆかしさが身についている。こんな人がなぜ宮仕えに出たのか。思い者として、囲っておきたい」
と思った。そんな気持ちは、おくびにも出さない。
2021.3.24/ 2022.11.28/ 2023.11.4
52.28 六条院の法華八講
蓮の花の盛りに、御八講せらる。六条の院の御ため、紫の上など、皆思し分けつつ、御経仏きょうほとけ など供養ぜさせたまひて、いかめしく、尊くなむありける。五巻の日などは、いみじき見物なりければ、こなたかなた、女房につきて参りて、物見る人多かりけり。
五日といふ朝座に果てて、御堂の飾り取りさけ、御しつらひ改むるに、北の廂も、障子ども放ちたりしかば、皆入り立ちてつくろふほど、西の渡殿に姫宮おはしましけり。もの聞き極じて、女房もおのおの局にありつつ、御前はいと人少ななる夕暮に、大将殿、直衣着替へて、今日まかづる僧の中に、かならずのたまふべきことあるにより、釣殿の方におはしたるに、皆まかでぬれば、池の方に涼みたまひて、人少ななるに、かくいふ宰相の君など、かりそめに几帳などばかり立てて、うちやすむ上局にしたり。
「ここにやあらむ、人の衣の音す」と思して、馬道の方の障子の細く開きたるより、やをら見たまへば、例さやうの人のゐたるけはひには似ず、晴れ晴れしくしつらひたれば、なかなか、几帳どもの立て違へたるあはひより見通されて、あらはなり。
氷をものの蓋に置きて割るとて、もて騒ぐ人びと、大人三人ばかり、童と居たり。唐衣も汗衫かざみも着ず、皆うちとけたれば、御前とは見たまはぬに、白き薄物の御衣着替へたまへる人の、手に氷を持ちながら、かく争ふを、すこし笑みたまへる御顔、言はむ方なくうつくしげなり。
いと暑さの堪へがたき日なれば、こちたき御髪の、苦しう思さるるにやあらむ、すこしこなたに靡かして引かれたるほど、たとへむものなし。「ここらよき人を見集むれど、似るべくもあらざりけり」とおぼゆ。御前なる人は、まことに土などの心地ぞするを、思ひ静めて見れば、黄なる生絹の単衣、薄色なる裳着たる人の、扇うち使ひたるなど、「用意あらむはや」と、ふと見えて、
「なかなか、もの扱ひに、いと苦しげなり。ただ、さながら見たまへかし」
とて、笑ひたるまみ、愛敬づきたり。声聞くにぞ、この心ざしの人とは知りぬる。
蓮の花の盛りに、法華八講を中宮主催で催される。光源氏のため、紫の上のためなど日を分けて経仏きょうほとけなど供養して、大がかりで格式の高い法要であった。五巻の日などは、見所があるので、あちこちの女房の縁で見物が多かった。
五日の朝座の法会が終わって、御堂の飾りが取り払われて、部屋の模様替えをするのに、北の廂も、襖も取り払われ、家臣たちが立ち入って片付けている間、西の渡殿に女一の宮を一時お移ししている。講義に疲れて、女房たちは各自の局にいた。姫宮の御前に人が少なくなる夕暮れになって、薫は直衣を着替えて、今日退出する僧の中に、ぜひ仰せねばならない用があったので、僧たちは釣殿にいて池の方で涼んでいて、人が少なく、例の宰相の君は、仮に几帳などを立てて、休み処にしていた。
「ここだろうか、衣擦れの音がする」と思って、馬道の方の襖が細く開いていたので、そっと覗いてみると、普段の気配と違って、広々と整えられていて、かえって、几帳が立て違っている間から見えて、向こうがすっかり見通せた。
氷を物の蓋の上に置いて割ろうとして、騒いでいる女房たち三人ばかり、童とともにいた。唐衣も汗衫かざみも着ず、皆くつろいだなりをして、御前にいるとは思えない、白い薄物の衣を着た女一の宮が、女房たちが氷で騒いでいるのを、微笑んでいる見ている顔は、とても美しい。
暑さの堪えがたい日だったので、たっぷりある髪がうっとうしく感じるのだろう、こちら側に靡いて垂らしているのが、たとえようもなく美しい。「美しい女をたくさん見てきたが、とても比べるすべもない」と思う。御前にいる女房たちは、全く土のように思えたが、よく見れば、黄色の単衣に薄色の裳を着た人が、扇を使っている様子など、「たしなみ深い人だ」と、すぐ目に止って、
「かえって割るのがなかなか大変です。そのままでご覧になってください」
と、笑っている女房が、愛嬌があった。その声で、お目当ての人と知った。
2021.3.25/ 2022.11.28/ 2023.11.4
52.29 小宰相の君、氷を弄ぶ
心強く割りて、手ごとに持たり。頭にうち置き、胸にさし当てなど、さま悪しうする人もあるべし。異人は、紙につつみて、御前にもかくて参らせたれど、いとうつくしき御手をさしやりたまひて、拭はせたまふ。
「いな、持たらじ。雫むつかし」
とのたまふ御声、いとほのかに聞くも、限りもなくうれし。「まだいと小さくおはしまししほどに、我も、ものの心も知らで見たてまつりし時、めでたの稚児の御さまや、と見たてまつりし。その後、たえてこの御けはひをだに聞かざりつるものを、いかなる神仏の、かかる折見せたまへるならむ。例の、やすからずもの思はせむとするにやあらむ」
と、かつは静心なくて、まもり立ちたるほどに、こなたの対の北面に住みける下臈女房の、この障子は、とみのことにて、開けながら下りにけるを思ひ出でて、「人もこそ見つけて騒がるれ」と思ひければ、惑ひ入る。
この直衣姿を見つくるに、「誰ならむ」と心騷ぎて、おのがさま見えむことも知らず、簀子よりただ来に来れば、ふと立ち去りて、「誰れとも見えじ。好き好きしきやうなり」と思ひて隠れたまひぬ。
この御許は、
「いみじきわざかな。御几帳をさへあらはに引きなしてけるよ。右の大殿の君たちならむ。疎き人、はた、ここまで来べきにもあらず。ものの聞こえあらば、誰れか障子は開けたりしと、かならず出で来なむ。単衣も袴も、生絹すずしなめりと見えつる人の御姿なれば、え人も聞きつけたまはぬならむかし」
と思ひ極じてをり。
かの人は、「やうやう聖になりし心を、ひとふし違へそめて、さまざまなるもの思ふ人ともなるかな。そのかみ世を背きなましかば、今は深き山に住み果てて、かく心乱れましや」など思し続くるも、やすからず。「などて、年ごろ、見たてまつらばやと思ひつらむ。なかなか苦しう、かひなかるべきわざにこそ」と思ふ。
強いて割って、手に手に氷を持っていた。頭に乗せたり、胸に当てたり、行儀の悪い女房もいる。また別の女房は、紙に包んで、御前に持って行ったが、かわいらしい手を差し出して拭うのだった。
「いいえ、持ちとうない。雫がいや」
と仰る声が、ほんのかすかに聞こえるのが、とてもうれしい。「まだずっと小さかったころ、わたしも、幼くてわけも分からず見ていたが、何と美しい稚児だろうと、思った。その後、この姫君のことはその気配も聞かなかったが、いかなる神仏が、こうして垣間見る機会を与えてくださったのか。また、つらい物思いをさせるのか」
と、どきどきして、見詰めていたが、こちらの対の北面に住んでいる下臈の女房が、この襖を、急いで出たときに、開けたまま、下がったのを思い出して、「人が見て騒ぎになったら大変」と思って、急いで戻って来た。
直衣姿を見つけて、「誰だろう」と心騒いで、自分の姿も見えているのも知らずに、簀子を渡ってくるので、素早く立去って、「誰とも分からんだろう。好色者に見られる」と思って隠れた。
この女房は、
「大変なことになった。几帳が奥が見えるくらい引かれている。夕霧のご子息たちだろう。部外者がここまで入って来れるはずがない。これが知れたら、誰が襖を開けたのかと、必ず言われる。覗いていたお方は、単衣も袴も、生絹すずしらしかったので、内にいる女房たちは気がつかなかったのだ」
と、思って弱り切っている。
薫は、「ようやく道心も固まってきたのに、ひとつ躓いてからは、あれこれと物思う人になってしまった。その時出家していれば、今は深い山に住んで、こんなに心を乱すこともなかった」などと思うのも、心穏やかでない。「どうして、今になって、覗き見するのだろう。見ても、かえって苦しくなり、どうにもならないのに」と思う。
2021.3.25/ 2022.11.29/ 2023.11.4
52.30 薫と女二宮との夫婦仲
つとめて、起きたまへる女宮の御容貌、「いとをかしげなめるは、これよりかならずまさるべきことかは」と見えながら、「さらに似たまはずこそありけれ。あさましきまであてに、えも言はざりし御さまかな。かたへは思ひなしか、折からか」と思して、
「いと暑しや。これより薄き御衣奉れ。女は、例ならぬ物着たるこそ、時々につけてをかしけれ」とて、「あなたに参りて、大弐に、薄物の単衣の御衣、縫ひて参れと言へ」
とのたまふ。御前なる人は、「この御容貌のいみじき盛りにおはしますを、もてはやしきこえたまふ」とをかしう思へり。
例の、念誦したまふわが御方におはしましなどして、昼つ方渡りたまへれば、のたまひつる御衣、御几帳にうち掛けたり。
「なぞ、こは奉らぬ。人多く見る時なむ、透きたる物着るは、ばうぞくにおぼゆる。ただ今はあへはべりなむ」
とて、手づから着せ奉りたまふ。御袴も昨日の同じ紅なり。御髪の多さ、裾などは劣りたまはねど、なほさまざまなるにや、似るべくもあらず。氷召して、人びとに割らせたまふ。取りて一つ奉りなどしたまふ、心のうちもをかし。
「絵に描きて、恋しき人見る人は、なくやはありける。ましてこれは、慰めむに似げなからぬ御ほどぞかしと思へど、昨日かやうにて、我混じりゐ、心にまかせて見たてまつらましかば」とおぼゆるに、心にもあらずうち嘆かれぬ。
「一品の宮に、御文は奉りたまふや」
と聞こえたまへば、
「内裏にありし時、主上の、さのたまひしかば聞こえしかど、久しうさもあらず」
とのたまふ。
「ただ人にならせたまひにたりとて、かれよりも聞こえさせたまはぬにこそは、心憂かなれ。今、大宮の御前にて、恨みきこえさせたまふ、と啓せむ」
とのたまふ。
「いかが恨みきこえむ。うたて」
とのたまへば、
「下衆になりにたりとて、思し落とすなめり、と見れば、おどろかしきこえぬ、とこそは聞こえめ」
とのたまふ。
その翌朝、女二の宮の寝起きの顔が、「たいそう美しい風情なので、こちらより一宮が必ずしも勝っているわけではない」と思われ、「それに似てもいない。一宮は、とても気品があって、言葉に尽くせない。気のせいか。あんな折だったからか」と思って、
「暑いな。もっと薄い衣にしてはどうか。女はいつもと違った着物を着るのが、その時々の風情があるものです」といって、「母の処に行って、大弐に、薄物の単のお召し物を縫うように申せ」
と薫は言った。女房たちは、「この女二の宮の美しい盛りをもっと引き立てたいのだ」と興がって思う。
いつもの日課で、念誦するため自分の部屋にいて、昼頃寝殿へ渡ると、言っておいた衣が几帳にかけてあった。
「どうして着ないのか。人が大勢見る時に、透けた物を着るのは、はしたなく思われる。今はいいでしょう」
と言って、自分で着せてあげる。袴も昨日の一宮と同じ紅である。髪の豊かさ、裾に広がる感じは、劣らないが、やはり人それぞれだ、とても似るはずもない。氷を持って来させて、女房たちに割らせる。手に取ってひとつ差し上げる。秘かにおかしく思う。
「絵に描いて、恋しい人を見て、慰む人もいる。ましてわたしの果たせぬ思いを遂げるには似合いだと思うが、昨日このように自分も交って、心ゆくまで見れていたら」と思うと、思わずため息がもれるのだった。
「女一の宮に文を書いたことはありますか」
と問えば、
「内裏にいたとき、帝が仰せになりましたので文を書きましたが、その後久しくなります」
と答える。
「臣下になったので、あちらから便りがないのは、不本意です。そのうち、明石の中宮の御前で、恨みごとを言っています、と申し上げましょう」
と言う。
「どうして恨みなど言ったりしましょう。いやですこと」
と二の宮が答えると、
「下衆になったので、こちらを見下していると言ったら、驚かれることでしょう」
と薫が言うのだった。
2021.3.26/ 2022.11.29/ 2023.11.4
52.31 薫、明石中宮に対面
その日は暮らして、またの朝に大宮に参りたまふ。例の、宮もおはしけり。丁子ちょうじに深く染めたる薄物の単衣を、こまやかなる直衣に着たまへる、いとこのましげなる女の御身なりのめでたかりしにも劣らず、白くきよらにて、なほありしよりは面痩せたまへる、いと見るかひあり。
おぼえたまへりと見るにも、まづ恋しきを、いとあるまじきこと、と静むるぞ、ただなりしよりは苦しき。絵をいと多く持たせて参りたまへりける、女房して、あなたに参らせたまひて、渡らせたまひぬ。
大将も近く参り寄りたまひて、御八講の尊くはべりしこと、いにしへの御こと、すこし聞こえつつ、残りたる絵見たまふついでに、
「この里にものしたまふ皇女の、雲の上離れて、思ひ屈したまへるこそ、いとほしう見たまふれ。姫宮の御方より、御消息もはべらぬを、かく品定まりたまへるに、思し捨てさせたまへるやうに思ひて、心ゆかぬけしきのみはべるを、かやうのもの、時々ものせさせたまはなむ。なにがしがおろして持てまからむ。はた、見るかひもはべらじかし」
とのたまへば、
「あやしく。などてか捨てきこえたまはむ。内裏にては、近かりしにつきて、時々も聞こえたまふめりしを、所々になりたまひし折に、とだえたまへるにこそあらめ。今、そそのかしきこえむ。それよりもなどかは」
と聞こえたまふ。
「かれよりは、いかでかは。もとより数まへさせたまはざらむをも、かく親しくてさぶらふべきゆかりに寄せて、思し召し数まへさせたまはむをこそ、うれしくははべるべけれ。まして、さも聞こえ馴れたまひにけむを、今捨てさせたまはむは、からきことにはべり」
と啓せさせたまふを、「好きばみたるけしきあるか」とは思しかけざりけり。
立ち出でて、「一夜の心ざしの人に会はむ。ありし渡殿も慰めに見むかし」と思して、御前を歩み渡りて、西ざまにおはするを、御簾の内の人は心ことに用意す。げに、いと様よく限りなきもてなしにて、渡殿の方は、左の大殿の君たちなど居て、物言ふけはひすれば、妻戸の前に居たまひて、
「おほかたには参りながら、この御方の見参に入ることの、難くはべれば、いとおぼえなく、翁び果てにたる心地しはべるを、今よりは、と思ひ起こしはべりてなむ。ありつかず、若き人どもぞ思ふらむかし」
と、甥の君たちの方を見やりたまふ。
「今よりならはせたまふこそ、げに若くならせたまふならめ」
など、はかなきことを言ふ人びとのけはひも、あやしうみやびかに、をかしき御方のありさまにぞある。そのこととなけれど、世の中の物語などしつつ、しめやかに、例よりは居たまへり。
その日は過ごして、次の朝に明石の中宮の処に参った。いつものように、匂宮もいた。丁子ちょうじに濃く染めた薄物の単衣に、濃い縹色の直衣を着て、たいそう好ましい女一宮に劣らず、色白で美しく、やはり以前よりは面痩せして、とてもすばらしい。
姉弟の宮はよく似ていたが、まず一宮が恋しいなど、あるまじきことと、気を静めるが、平静の時より苦し気だ。匂宮は、女房に絵物語をたくさん持たせて、一宮に差し上げ、自分もそちらへ行った。
薫も、中宮の近くに寄って、法華八講が尊くなされたことや、昔のことなど、少し話をして、残りの絵を見るついでに、
「わたしの処にお越しいただいている皇女が、内裏を出て、気をくさらせているので、気の毒です。姉宮の方から、文もないので、かように臣下の妻になったので、見捨てられたように思って、心の晴れぬ様子でいるので、このようなものを、時々差し上げてください。わたしがお下がりを頂いて持っていっても、張り合いがないでしょう」
と言えば、
「おかしなこと。どうして見捨てたりしましょう。内裏では、近かったので、時々便りしていたようですが、住まいが別々になって、途絶えたのでしょう。いずれ勧めるようにしましょう。それよりなぜそちらから」
と中宮がお話になる。
「女二の宮からは、とてもそのようなことは。元より、物の数にも入らなくても、親しくさせていただく所縁があって、数に入れてもらえたのを、うれしく思っています。まして、親しく文を交わしていたのを、今になって見捨てられては、つらいことでしょう」
申し上げると、「色めいた下心がある」とは中宮は夢にも思ってもいなかった。
中宮の前を辞して、「一夜のお目当ての人に会おう。あの垣間見た渡殿も見たい」と思って、歩み渡って、西の方に移ると、御簾の内の女房たちは、格別に心遣いする。いかにもとても姿よくすばらしい物越しで、渡殿の方は、右の大臣の子息たちが居て、話をしている様子なので、妻戸の前に座って、
「何かのご用ではよく参上しながら、女一宮の方々にお目通りいただくことは、叶いませんので、年寄りじみて、今は、思い直して参上しました。似合わぬことと、あの若い連中は思っていることでしょう」
と甥たちの方を見やる。
「これからお馴染みになりますれば、本当に若返るでしょう」
など、ちょっとした冗談でも女房たちの気配は、不思議に優雅で、風情がある。別にこれといったこともないのだが、世間話などして、しんみりして、いつもより長居をしてしまった。
2021.3.27/ 2022.11.29/ 2023.11.4
52.32 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く 〇△
姫宮は、あなたに渡らせたまひにけり。大宮、
「大将のそなたに参りつるは」
と問ひたまふ。御供に参りたる大納言の君、
小宰相こざいしょうの君に、もののたまはむとにこそは、はべめりつれ」
と聞こゆるに、
「例、まめ人の、さすがに人に心とどめて物語するこそ、心地おくれたらむ人は苦しけれ。心のほども見ゆらむかし。小宰相などは、いとうしろやすし」
とのたまひて、姉弟はらからなれど、この君をば、なほ恥づかしく、「人も用意なくて見えざらむかし」と思いたり。
「人よりは心寄せたまひて、局などに立ち寄りたまふべし。物語こまやかにしたまひて、夜更けて出でたまふ折々もはべれど、例の目馴れたる筋にははべらぬにや。宮をこそ、いと情けなくおはしますと思ひて、御いらへをだに聞こえずはべるめれ。かたじけなきこと」
と言ひて笑へば、宮も笑はせたまひて、
「いと見苦しき御さまを、思ひ知るこそをかしけれ。いかで、かかる御癖やめたてまつらむ。恥づかしや、この人びとも」
とのたまふ。
女一の宮は、中宮の処に移っていた。中宮が、
「薫殿がそちらに移りましたが」
と問うた。姫宮の供で来た大納言の君が、
小宰相こざいしょうの君に、ご用があったようです」
と言うと、
「あの真面目な方の、気に入った話し相手になるのは、気の利かない人だったら難しいわね。心根を見透かされましょう。小宰相こざいしょうならその点安心です」
と仰せになって、姉弟ではあったが、薫君が気がかりで、「女房たちにも不用意に対応しないでほしい」と思っていた。
「他の女房より気に入っておられて、局に立ち寄っているようです。しんみり話をして、夜更けてからお帰りになることもしばしばですが、世間並みの色恋の筋ではないようです。小宰相こざいしょうは、匂宮を薄情な方と思っていて、返事も出しません。恐れ多いことですが」
と言って笑っている、中宮も苦笑して、
「宮の浮気な性分を、小宰相こざいしょうはよく見透しています。こんな悪い癖を止めさせたいです。顔向けできません、あなたたちにも」
と中宮は言う。
2021.3.27/ 2022.11.29/ 2023.11.5
52.33 明石中宮、薫の三角関係を知る
「いとあやしきことをこそ聞きはべりしか。この大将の亡くなしたまひてし人は、宮の御二条の北の方の御おとうとなりけり。異腹なるべし。常陸の前の守なにがしが妻は、叔母とも母とも言ひはべるなるは、いかなるにか。その女君に、宮こそ、いと忍びておはしましけれ。
大将殿や聞きつけたまひたりけむ。にはかに迎へたまはむとて、守り目添へなど、ことことしくしたまひけるほどに、宮も、いと忍びておはしましながら、え入らせたまはず、あやしきさまに、御馬ながら立たせたまひつつぞ、帰らせたまひける。
女も、宮を思ひきこえさせけるにや、にはかに消え失せにけるを、身投げたるなめりとてこそ、乳母などやうの人どもは、泣き惑ひはべりけれ」
と聞こゆ。宮も、「いとあさまし」と思して、
「誰れか、さることは言ふとよ。いとほしく心憂きことかな。さばかりめづらかならむことは、おのづから聞こえありぬべきを。大将もさやうには言はで、世の中のはかなくいみじきこと、かく宇治の宮の族の、命短かりけることをこそ、いみじう悲しと思ひてのたまひしか」
とのたまふ。
「いさや、下衆は、たしかならぬことをも言ひはべるものを、と思ひはべれど、かしこにはべりける下童しもわらわ の、ただこのころ、宰相が里に出でまうできて、たしかなるやうにこそ言ひはべりけれ。かくあやしうて亡せたまへること、人に聞かせじ。おどろおどろしく、おぞきやうなりとて、いみじく隠しけることどもとて。さて、詳しくは聞かせたてまつらぬにやありけむ」
と聞こゆれば、
「さらに、かかること、またまねぶな、と言はせよ。かかる筋に、御身をももてそこなひ、人に軽く心づきなきものに思はれぬべきなめり」
といみじう思いたり。
「たいそう妙な噂を耳にしました。薫様が、亡くしました方は、宮の二条の邸の北の方の妹でありました。腹違いでしょう。常陸の前の国守で誰それの妻は、叔母とも母とも言っているようですが、どちらでしょう。その女君に、匂宮が忍んで通いました。
薫殿が、聞きつけました。直ちに京へ迎えようと、警護の者をつけて、ものものしく警戒したので、宮も身をやつして忍んだが、入ることができず、見苦しいことに、馬に乗って外に立ち尽くしていましたが、お帰りになったそうです。
女も、宮を愛おしく思っていたのでしょう、急に姿を隠してしまい、身投げしたらしいと、乳母などといったお供の人たちは、泣き惑ったそうです」
と話をする。中宮も、「それは大へん」と感じて、
「誰がそういうことを言うのです。本当に困ったことですこと。それほどの珍しい事件なら、自ずから世間の噂になりそうですが。薫殿もそのようには言わず、世の中のはかなく無常なことを、このように宇治の宮の一族の短命なのを、ひどく悲しそうに言っておりましたが」
と中宮が仰る。
「いいえ、下々の者は、不確かなことを言うもの、と思っておりましたが、宇治で仕えていた下童しもわらわが、つい先ごろ小宰相の実家に帰ってきまして、確かなことと言っておりました。尋常でない亡くなり方をしたので、人に聞かせまいとして、おそろしく禁忌な話なので、誰もがひた隠していたそうです。それで、薫君には詳しくは話さなかったのではないでしょうか」
と言えば、
「決してこのような話は、人に話すな、と注意しなさい。このようなことで、宮が軽率で感心しない方だと世間から思われると困ります」
と中宮はたいそう心を痛めている。
2021.3.27/ 2022.11.29/ 2023.11.5
52.34 女一の宮から妹二の宮への手紙
その後、姫宮の御方より、二の宮に御消息ありけり。御手などの、いみじううつくしげなるを見るにも、いとうれしく、「かくてこそ、とく見るべかりけれ」と思す。
あまたをかしき絵ども多く、大宮もたてまつらせたまへり。大将殿、うちまさりてをかしきども集めて、参らせたまふ。芹川の大将の遠君とおきみの、女一の宮思ひかけたる秋の夕暮に、思ひわびて出でて行きたる画、をかしう描きたるを、いとよく思ひ寄せらるかし。「かばかり思し靡く人のあらましかば」と思ふ身ぞ口惜しき。
荻の葉に露吹き結ぶ秋風も
夕べぞわきて身にはしみける

と書きても添へまほしく思せど、
「さやうなるつゆばかりのけしきにても漏りたらば、いとわづらはしげなる世なれば、はかなきことも、えほのめかし出づまじ。かくよろづに何やかやと、ものを思ひの果ては、昔の人のものしたまはましかば、いかにもいかにも他ざまに心分けましや。
時の帝の御女を賜ふとも、得たてまつらざらまし。また、さ思ふ人ありと聞こし召しながらは、かかることもなからましを、なほ心憂く、わが心乱りたまひける橋姫かな」
† と思ひあまりては、また宮の上にとりかかりて、恋しうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまで悔しき。これに思ひわびて、さしつぎには、あさましくて亡せにし人の、いと心幼く、とどこほるところなかりける軽々しさをば思ひながら、 さすがにいみじとものを、思ひ入りけむほどわがけしき例ならずと、心の鬼に嘆き沈みてゐたりけむありさまを、聞きたまひしも思ひ出でられつつ、
「重りかなる方ならで、ただ心やすくらうたき語らひ人にてあらせむ、と思ひしには、いとらうたかりし人を。思ひもていけば、宮をも思ひきこえじ。女をも憂しと思はじ。ただわがありさまの世づかぬおこたりぞ」
など、眺め入りたまふ時々多かり。
その後、姫宮から、二の宮に文があった。筆跡など、たいそう美しく趣があるのを見て、薫はうれしく、「このように文を交わして早くから見ればよかった」と思う。
たくさんの絵物語を中宮からも贈られた。薫は、それ以上におもしろい絵を集めて、一の宮に献上した。「芦川の大将」の遠君が、女一の宮に懸想した秋の夕暮れに、思いわびて出て行く絵は、上手に描けていて、自分の心情とよく似ていた。「これほど自分に靡いてくれる人がいれば」と思う身が残念だった。
(薫)「萩の葉に露を結ばせて吹く秋風が
とりわけ身にしみる夕べだ」
と書いて絵に添えたく思ったが、
「そのような気配が、少しでも知られたら、たいそう面倒になるので、ほんの仔細なことも、露ほどもほのめかせない。こうしてあれこれと、物思いする果ては、亡き大君がもし生きていれば、どうして他の女に心を移したりしようか。
たとえ時の帝の皇女を賜るとも、頂戴しなかったであろう。また、それほど思う人がいると聞こえたら、降嫁の話もなかったであろうが、今も心憂く、わたしの心を悩ませる大君だ」
と思い余って、また中君のことが思われ、恋しくつらく、どうにもならないことが、愚かしく悔やまれる。中君をあれこれ思いあぐねた揚句に、思いも寄らぬ死に方をした人の、心幼く、思いとどまらなかった軽率さを思いながら、浮舟が、さすがに大変なことになったと思い詰めて、わたしの態度にただならぬものがあると、良心に責められて嘆き悲しんでいた有様を、聞いたことも思い出されて、
「本妻といった重々しい扱いではなく、心安い思い者としようと思った点では、本当にかわいい人だった。考え詰めれば、宮も恨むまい。女をも情けないと思うまい。ただ自分が馴れていなくて下手だった」
など、物思うときが多かった。
2021.3.28/ 2022.11.30/ 2023.11.5
52.35 侍従、明石中宮に出仕す
心のどかに、さまよくおはする人だに、かかる筋には、身も苦しきことおのづから混じるを、宮は、まして慰めかねつつ、かの形見に、飽かぬ悲しさをものたまひ出づべき人さへなきを、対の御方ばかりこそは、「あはれ」などのたまへど、深くも見馴れたまはざりける、うちつけの睦びなれば、いと深くしも、いかでかはあらむ。また、思すままに、「恋しや、いみじや」などのたまはむには、かたはらいたければ、かしこにありし侍従をぞ、例の、迎へさせたまひける。
皆人どもは行き散りて、乳母とこの人二人なむ、取り分きて思したりしも忘れがたくて、侍従はよそ人なれど、なほ語らひてあり経るに、世づかぬ川の音も、うれしき瀬もやある、と頼みしほどこそ慰めけれ、心憂くいみじくもの恐ろしくのみおぼえて、京になむ、あやしき所に、このころ来てゐたりける、尋ねたまひて、
「かくてさぶらへ」
とのたまへば、「御心はさるものにて、人びとの言はむことも、さる筋のこと混じりぬるあたりは、聞きにくきこともあらむ」と思へば、うけひききこえず。「后の宮に参らむ」となむおもむけたれば、
「いとよかなり。さて人知れず思し使はむ」
とのたまはせけり。心細くよるべなきも慰むやとて、知るたより求め参りぬ。「きたなげなくてよろしき下臈なり」と許して、人もそしらず。大将殿も常に参りたまふを、見るたびごとに、もののみあはれなり。「いとやむごとなきものの姫君のみ、参り集ひたる宮」と人も言ふを、やうやう目とどめて見れど、「見たてまつりし人に似たるはなかりけり」と思ひありく。
落ち着いて、乱れた様子も見せない薫でも、女の問題では苦しむことが自ずとあるが、まして匂宮は慰めかねて、浮舟を偲ぶよすがとして、尽きぬ悲しみを話す相手もいないので、中君ひとりは「かわいそうに」などと言ってくれたが、一緒に育った仲でもなく、急な付き合いなので、深く思いをかけることもない。また宮が思うままに、「恋しい、たまらない」などと仰るのも気が咎めるので、宇治で仕えていた侍従を、また、迎えにやった。
宇治の女房たちはそれぞれ散っていって、乳母と侍従と右近だけになっていた。特別目をかけてくれたのも忘れがたく、侍従はただの女房だが、話相手に残っていた。荒々しい川瀬も、うれしい瀬もあるのを頼みにして、姫なきあとは忌わしく恐ろしくのみ思っていので、京に出て、見すぼらしい家にいた。宮は探し出して、
「こちらに宮仕えせよ」
と仰せになるので、「御心はありがたいが、他の女房たちが何と言うか、男女の仲であれば、聞き苦しいこともある」と思い、お引き受けしない。「明石の中宮方に仕えたい」と申し出れば、
「それはよかろう。わたしが特別目をかけよう」
と宮は仰せになり、寄る辺ない身として安心なので、奉公に上がった。「見苦しくないまずまずの下臈だ」と認められて、悪く言う者もいない。薫も、いつも参上するので、見るたびに、悲しく思われる。「中宮方は、たいそう高貴な身分の女房たちが集っている御殿だ」と聞いていたが、ようやく目が馴れてくると、「お仕えした浮舟ほど美しい方はいないものだ」と思うのだった。
2021.3.28/ 2022.11.29/ 2023.11.5
52.36 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う
この春亡せたまひぬる式部卿宮の御女を、継母の北の方、ことにあひ思はで、兄の馬頭にて人柄もことなることなき、心懸けたるを、いとほしうなども思ひたらで、さるべきさまになむ契る、と聞こし召すたよりありて、
「いとほしう。父宮のいみじくかしづきたまひける女君を、いたづらなるやうにもてなさむこと」
などのたまはせければ、いと心細くのみ思ひ嘆きたまふありさまにて、
「なつかしう、かく尋ねのたまはするを」
など、御兄の侍従も言ひて、このころ迎へ取らせたまひてけり。姫宮の御具にて、いとこよなからぬ御ほどの人なれば、やむごとなく心ことにてさぶらひたまふ。限りあれば、宮の君などうち言ひて、裳ばかりひきかけたまふぞ、いとあはれなりける。
兵部卿宮、「この君ばかりや、恋しき人に思ひよそへつべきさましたらむ。父親王は兄弟ぞかし」など、例の御心は、人を恋ひたまふにつけても、人ゆかしき御癖やまで、いつしかと御心かけたまひてけり。
大将、「もどかしきまでもあるわざかな。昨日今日といふばかり、春宮にやなど思し、我にもけしきばませたまひきかし。かくはかなき世の衰へを見るには、水の底に身を沈めても、もどかしからぬわざにこそ」など思ひつつ、人よりは心寄せきこえたまへり。
この院におはしますをば、内裏よりも広くおもしろく住みよきものにして、常にしもさぶらはぬどもも、皆うちとけ住みつつ、はるばると多かる対ども、廊、渡殿に満ちたり。
左大臣殿、昔の御けはひにも劣らず、すべて限りもなく営み仕うまつりたまふ。いかめしうなりたる御族なれば、なかなかいにしへよりも、今めかしきことはまさりてさへなむありける。
この宮、例の御心ならば、月ごろのほどに、いかなる好きごとどもをし出でたまはまし、こよなく静まりたまひて、人目に「すこし生ひ直りたまふかな」と見ゆるを、このころぞまた、宮の君に、本性現はれて、かかづらひありきたまひける。
この春亡くなった式部卿宮の娘を、継母の北の方が、親身にならずに、北の方の兄弟の馬寮の長官で、人物も大したこともない男に、お気の毒とも思わず、縁ずけようとしている、と中宮がお聞きになるつてがあって、
「お気の毒なこと。父宮が大切にお育てした女君を、無駄なものにしてしまおうとしている」
などと仰るので、姫君はたいそう心細く思い嘆いている折だったので、
「おやさしい。こうして心にかけてくださる」
などと、兄弟の侍従も言って、最近迎え受けたのだった。一の宮のお相手として、ちょうどよい間柄だったので、高貴な方として特別の扱いで仕えている。決まりがあるので、宮の君と呼んで、裳ばかり着られているのが、お気の毒だった。
匂宮は、「宮の君なら、恋しい浮舟に思い比べられるだろう。父方は兄弟だし」などと、例の性分は、亡き人を偲ぶにつけても、女あさりの癖がぬけず、早く会いたいと心にかけていた。
薫は、「非難がましいことも言いたくなる。亡き宮の生前は、春宮にどうか、わたしにどうかと打診があったのに。こんなにはかない世の変遷を見ると、浮舟のように水底に身を沈めても、非難されるべきことではないだろう」などと思いつつ、人よりは好意を寄せていた。
この六条の院に里帰りしていると、内裏より広く趣があり住み心地がよく、いつもは伺候しない女房たちも、皆くつろいで仕えていて、遠く見渡される多くの対や廊、渡殿がたくさんあった。
夕霧は、昔の威勢に劣らず、すべてに至らぬところなく世話していた。ご威勢も盛んに繁栄している一族なので、かえって光源氏の頃より、華やかなことでは勝っていた。
匂宮は、いつものご気性なら、幾月かの間では、どんな浮気沙汰もしでかしているだろうに、ずいぶん静かになって、人目にも「大人になられたか」と見えるのを、この頃また、宮の君に、本性を現して、心を寄せて歩き回っている。
2021.3.29/ 2022.11.30/ 2023.11.6
52.37 侍従、薫と匂宮を覗く
涼しくなりぬとて、宮、内裏に参らせたまひなむとすれば、
「秋の盛り、紅葉のころを見ざらむこそ」
など、若き人びとは口惜しがりて、皆参り集ひたるころなり。水に馴れ月をめでて、御遊び絶えず、常よりも今めかしければ、この宮ぞ、かかる筋はいとこよなくもてはやしたまふ。朝夕目馴れても、なほ今見む初花のさましたまへるに、大将の君は、いとさしも入り立ちなどしたまはぬほどにて、恥づかしう心ゆるびなきものに、皆思ひたり。
例の、二所参りたまひて、御前におはするほどに、かの侍従は、ものより覗きたてまつるに、
「いづ方にもいづ方にもよりて、めでたき御宿世見えたるさまにて、世にぞおはせましかし。あさましくはかなく、心憂かりける御心かな」
など、人には、そのわたりのこと、かけて知り顔にも言はぬことなれば、心一つに飽かず胸いたく思ふ。宮は、内裏の御物語など、こまやかに聞こえさせたまへば、いま一所は立ち出でたまふ。「見つけられたてまつらじ。しばし、御果てをも過ぐさず心浅し、と見えたてまつらじ」と思へば、隠れぬ。
涼しくなったので、明石の中宮が内裏に戻ろうとすると、
「秋の盛りです、紅葉を見ていきたい」
などと若い女房たちが残念がり、皆中宮方に集まっていた。池のほとりに遊び月を愛でて、管弦の遊びをして、いつもより華やいでいて、匂宮はこのような遊びは格別に夢中になる。朝夕宮を見馴れていても、今初めて見たような姿なので、薫は、そう中に交わらないので、気づまりでうちとけにくいお方と女房たちは皆思うのだった。
いつものように、お二人が揃って、中宮の御前においでの時は、あの侍従が覗き見して、
「どちらの方でも、めでたい宿世であられるのに、生きていてくださいましたら。浅ましくもはかない、情けない御心だったこと」
など、人には、宇治のことは、決して知り顔に話せないので、ひとり諦めきれず胸が痛むのだった。匂宮は内裏の様子を、細かく中宮に話をするので、一方の薫は退出する。「薫君に見付けられては大へん。まだ一周忌も果たせないのに、宮仕えなどして、薄情な方だと思われる」と思って、侍従は隠れる。
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52.38 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う △ almost limited
東の渡殿に、開きあひたる戸口に、人びとあまたゐて、物語などする所におはして、
「なにがしをぞ、女房は睦ましと思すべき。女だにかく心やすくはよもあらじかし。さすがにさるべからむこと、教へきこえぬべくもあり。やうやう見知りたまふべかめれば、いとなむうれしき」
とのたまへば、いといらへにくくのみ思ふ中に、弁の御許とて、馴れたる大人、
†「そも睦ましく思ひきこゆべきゆゑなき人の、恥ぢきこえはべらぬにや。ものはさこそはなかなかはべるめれ。 かならずそのゆゑ尋ねて、うちとけ御覧ぜらるるにしもはべらねど、かばかり面無くつくりそめてける身に負はざらむも、かたはらいたくてなむ
と聞こゆれば、
恥づべきゆゑあらじ、と思ひ定めたまひてけるこそ、口惜しけれ
など、のたまひつつ見れば、唐衣は脱ぎすべし押しやり、うちとけて手習しけるなるべし、硯の蓋に据ゑて、心もとなき花の末手折りて、弄びけり、と見ゆ。かたへは几帳のあるにすべり隠れ、あるはうち背き、押し開けたる戸の方に、紛らはしつつゐたる、頭つきどもも、をかしと見わたしたまひて、硯ひき寄せて、
女郎花乱るる野辺に混じるとも
露のあだ名を我にかけめや

心やすくは思さで」
と、ただこの障子にうしろしたる人に見せたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、
花といへば名こそあだなれ女郎花
なべての露に乱れやはする

と書きたる手、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、誰ならむ、と見たまふ。今う上りける道に、塞げられてとどこほりゐたるなるべし、と見ゆ。弁の御許は、
「いとけざやかなる翁言、憎くはべり」とて、
旅寝してなほこころみよ女郎花
盛りの色に移り移らず

さて後、定めきこえさせむ」
と言へば、
宿貸さば一夜は寝なむおほかたの
花に移らぬ心なりとも

とあれば、
「何か、恥づかしめさせたまふ。おほかたの野辺のさかしらをこそ聞こえさすれ」
と言ふ。はかなきことをただすこしのたまふも、人は残り聞かまほしくのみ思ひきこえたり。
「心なし。道開けはべりなむよ。分きても、かの御もの恥ぢのゆゑ、かならずありぬべき折にぞあめる
とて、立ち出でたまへば、「おしなべてかく残りなからむ、と思ひやりたまふこそ心憂けれ」と思へる人もあり。
東の渡殿の、開いている戸口に、女房たちが集って、話している処に、薫は行って、
「わたしと親しくしてください。女だって私ほど気安くないでしょう。女の知らないことを、教えることもできますよ。いずれわたしを知って下されば、うれしく思いますが」
と薫が言えば、答えずらく困っているとき、弁の御許という、物馴れた年輩の女房が、
「そも、睦まじくなりたいと思っていない人なら、平気でお相手することができます。物事はそうしたものです。わたしは、必ずしも事情を調べてから、打ち解けるわけでもありませんが、これほど厚かましくなっても、恥じて尻込みしてしまうのも、柄にもないことです」
と言うので、
「初めから恋の相手にならない、と決めているのが残念です」
と薫が言いながら見ると、唐衣は脱ぎ捨てて脇へ押しやり、くつろいで手習していたのだろう、硯の蓋に置いたわずかな草花を手折って、愛でていたと見える。半ばは几帳の陰に隠れ、あるは背を向け、開いた戸の方へ向かないようにしている、それぞれの髪形も、美しいと見て、硯を引き寄せて、
(薫)「女郎花が咲き乱れる野辺にいたからといって
私を浮気者と言えましょうか
気やすく見てくれない」
と、側の襖の後ろにいた女房に見せれば、身じろぎもせず、落ち着いて、すぐに、
(女房)「花といえば移ろいやすい女郎花ですが
その花はすぐに靡いたりしません」
と書いた筆跡は、ただ一首だったけれど、趣があって、どこといって難がない、誰だろう、と思う。たった今寝殿の方に行こうとして、塞がれて動けずにいる女房だろう、と思われる。弁の御許は、
「年寄りじみた言葉が憎らしう存じます」と言って、
(弁)「旅寝して試してごらんなさい
花の盛りにも心が移らないかどうか
その後にお決めになったら」
と言えば、
(薫)「宿を貸してくださるなら一夜は泊まりましょう
大概の花には心を移さぬわたしですが」
とあれば、
「まあ、恥をかかせないでください。おしなべての野辺のこと、生意気を言いました」
と言う。何でもないことを、少し言っても、女房はその先何と言うか聞きたいと思っている。
「失礼しました。道を開けましょう。とりわけ、恥じるのは、きっと訳があるのでしょう」
と、立ち退いたので、「誰もが弁のようにあけすけに言う、と思われるのも心配だ」と思う女房もいる。
2021.3.30/ 2022.11.30/ 2023.11.6
52.39 薫、断腸の秋の思い
東の高欄に押しかかりて、夕影になるままに、花の紐解く御前の草むらを見わたしたまふ。もののみあはれなるに、「中に就いて腸断ゆるは秋の天」といふことを、いと忍びやかに誦じつつゐたまへり。ありつる衣の音なひ、しるきけはひして、母屋の御障子より通りて、あなたに入るなり。宮の歩みおはして、
「これよりあなたに参りつるは誰そ」
と問ひたまへば、
「かの御方の中将の君」
と聞こゆなり。
「なほ、あやしのわざや。誰れにかと、かりそめにもうち思ふ人に、やがてかくゆかしげなく聞こゆる名ざしよ」と、いとほしく、この宮には、皆目馴れてのみおぼえたてまつるべかめるも口惜し。
おりたちてあながちなる御もてなしに、女はさもこそ負けたてまつらめ。わが、さも口惜しう、この御ゆかりには、ねたく心憂くのみあるかな。いかで、このわたりにも、めづらしからむ人の、例の心入れて騷ぎたまはむを語らひ取りて、わが思ひしやうに、やすからずとだにも思はせたてまつらむ。まことに心ばせあらむ人は、わが方にぞ寄るべきや。されど難いものかな。人の心は」
† と思ふにつけて、対の御方の、かの御ありさまをば、ふさはしからぬものに思ひきこえて、いと便なき睦びになりゆくが、おほかたのおぼえをば、苦しと思ひながら、なほさし放ちがたきものに思し知りたるぞ、ありがたくあはれなりける
「さやうなる心ばせある人、ここらの中にあらむや。入りたちて深く見ねば知らぬぞかし。寝覚がちにつれづれなるを、すこしは好きもならはばや」
など思ふに、今はなほつきなし。
薫は、寝殿の東の高欄に寄りかかって、夕日が落ちるまで、秋草の咲き乱れる草むらを見ていた。もののあわれを感じ、「中に就いて腸断ゆるは秋の天」の詩句を、静かに誦じていた。先ほどの女房の衣擦れの音が、はっきり聞こえて、寝殿の襖を通って、あちらに入ってゆく。匂宮が歩いてきて、
「今あちらに行ったのは誰か」
と問うと、
「一の宮の御方の中将の君でございます」
と言うのが聞こえる。
「何と、怪しからん。誰かと、かりそめにも心を動かす人に、すぐにあからさまに名を教えるとは」と中将の君を気の毒に思い、匂宮には、皆目馴れていているのも口惜しい。
宮のすぐ行動する強引さが、女を負かしてしまうのだろう。わたしは口惜しい、この一族には情けない思いをするばかりだ。どうかしてこの御殿の中で、すばらしい美人がいて、例によって宮が熱心に心を寄せている女を口説き落として、自分がつらかったように、宮に、苦しみを味わわせてやりたい。本当に物の分った女なら、わたしの方に靡くはずだ。だが難しいものだ。人の心は」
と思うにつけ、中君が、宮の浮気を相応しくない振舞いと思って、わたしとの親しい付き合いが気まずくなってゆくのが、世間の思惑を気にしながらも、なお中君はわたしを大切な方と思ってくださるのが、ありがたく胸にしみるのだった。
「そのような深い心遣いのできる人が、ここの中にいるだろうか。親しく出入りしていない。物思いに所在ないので、少しは色ごとでもしてみようか」
などと思うが、今はその気になれない。
2021.3.31/ 2022.11.30/ 2023.11.6
52.40 薫と中将の御許、遊仙窟の問答
例の、西の渡殿を、ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし。姫宮、夜はあなたに渡らせたまひければ、人びと月見るとて、この渡殿にうちとけて物語するほどなりけり。箏の琴いとなつかしう弾きすさむ爪音、をかしう聞こゆ。思ひかけぬに寄りおはして、
「など、かくねたまし顔にかき鳴らしたまふ」
とのたまふに、皆おどろかるべけれど、すこし上げたる簾うち下ろしなどもせず、起き上がりて、
「似るべき兄やは、はべるべき」
といらふる声、中将の御許とか言ひつるなりけり。
「まろこそ、御母方の叔父なれ」
と、はかなきことをのたまひて、
「例の、あなたにおはしますべかめりな。何わざをか、この御里住みのほどにせさせたまふ」
など、あぢきなく問ひたまふ。
「いづくにても、何事をかは。ただ、かやうにてこそは過ぐさせたまふめれ」
と言ふに、「をかしの御身のほどや、と思ふに、すずろなる嘆きの、うち忘れてしつるも、あやしと思ひ寄る人もこそ」と紛らはしに、さし出でたる和琴を、たださながら掻き鳴らしたまふ。律の調べは、あやしく折にあふと聞く声なれば、聞きにくくもあらねど、弾き果てたまはぬを、なかなかなりと、心入れたる人は、消えかへり思ふ。
わが母宮も劣りたまふべき人かは。后腹きさいばらと聞こゆばかりの隔てこそあれ、帝々の思しかしづきたるさま、異事ならざりけるを。なほ、この御あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ。明石の浦は心にくかりける所かな」など思ひ続くることどもに、「わが宿世は、いとやむごとなしかし。まして、並べて持ちたてまつらば」と思ふぞ、いと難きや。
薫が、かいま見た西の渡殿に、あの時に倣って行ったのも怪しい。一の宮は、夜は中宮の処に移るので、女房たちが月を愛でるため、この渡殿に集まって、うちとけて話をしている。筝の琴をなつかしく弾きすさむ爪音は、風情があった。思いもかけず近寄って、
「どうして人を焦らすように弾くのですか」
と薫が言うと、女房たちは皆が驚いて、簾を下げるのも忘れて、起き上がって、
「美男の兄もおりませんのに」
と返事をする声、中将の女房とかいう者だった。
「わたしこそ、姫宮の母方の叔父ですよ」
と薫が戯れに仰って、
「姫宮は、あちらにおられるのでしょう。里下がりには、どのようなことをなさいますか」
と聞かでものことを問う。
「どちらにいらしても、別段これといって。ただ、こうして過ごしております」
と聞くと、「優雅にお暮しのご身分だ、と思うと、ついうっかりため息がでて、怪しいと人が気づいては」と紛らわすため、差し出された和琴をそのまま弾き鳴らすのだった。律の調べは、不思議とこの季節に合うので、聞きにくくはないが、終わりまで弾かなかったのを、かなりのもの、と音楽を好む女房は、死ぬほど残念がる。
「わたしの母宮は劣っている身分だろうか。后腹きさいばらの違いがあるだけではないか。それぞれの帝が慈しんだのに違いはなかった。やはりこの姫宮は、格別高貴な感じがするのは不思議だ。明石の浦は格別な所だ」などと思い続けるあれこれに、「わたしの宿世はまことに恵まれている。まして女一の宮をも頂戴できたら」と思うが、難しいだろう。
2021.3.31/ 2022.12.1/ 2023.11.6
52.41 薫、宮の君を訪ねる
宮の君は、この西の対にぞ御方したりける。若き人びとのけはひあまたして、月めであへり。
「いで、あはれ、これもまた同じ人ぞかし」
と思ひ出できこえて、「親王の、昔心寄せたまひしものを」と言ひなして、そなたへおはしぬ。童の、をかしき宿直姿にて、二、三人出でて歩きなどしけり。見つけて入るさまども、かかやかし。これぞ世の常と思ふ。
南面の隅の間に寄りて、うち声づくりたまへば、すこしおとなびたる人出で来たり。
「人知れぬ心寄せなど聞こえさせはべれば、なかなか、皆人聞こえさせふるしつらむことを、うひうひしきさまにて、まねぶやうになりはべり。まめやかになむ、言より外を求められはべる」
とのたまへば、君にも言ひ伝へず、さかしだちて、
「いと思ほしかけざりし御ありさまにつけても、故宮の思ひきこえさせたまへりしことなど、思ひたまへ出でられてなむ。かくのみ、折々聞こえさせたまふなり。御後言をも、よろこびきこえたまふめる」
と言ふ。
故式部卿の宮の姫君は、この西の対の局にいる。そこでは、若い女房たちが大勢集って、月を愛でていた。
「ああ、何とおいたわしい。この方も同じ皇族だったのに」
と思い出して、「式部卿が、昔好意を寄せてくれた」と口実にして、そちらに行った。童の、かわいい宿直姿で、二、三人が御簾から出て来て歩き回る。薫を見て、入っていくのも、恥ずかしそうだ。これが普通だと思う。
薫が、南面の隅の間に近づいて、咳払いすると、少し年配の女房が出て来た。
「人知れずお慕いしておりましたと申し上げれば、かえって言い古した言葉を、馴れない有様で口真似することになりましょう。心から、お慕いしていると申す以外に言葉がありません」
と仰せになれば、宮の君にも伝えず、出しゃばって、
「思ってもいなかった境遇になって、故父宮の希望されていたことなど、思い出されてなりません。こうして時々お聞きしますお言葉も、姫宮はうれしく思っておいでです」
と言う。
2021.4.1/ 2022.12.1/ 2023.11.7
52.42 薫、宇治の三姉妹の運命を思う
なみなみの人めきて、心地なのさまや」ともの憂ければ、
「もとより思し捨つまじき筋よりも、今はまして、さるべきことにつけても、思ほし尋ねむなむうれしかるべき。疎々しう人伝てなどにてもてなさせたまはば、えこそ」
とのたまふに、「げに」と、思ひ騷ぎて、君をひきゆるがすめれば、
松も昔のとのみ、眺めらるるにも、もとよりなどのたまふ筋は、まめやかに頼もしうこそは
と、人伝てともなく言ひなしたまへる声、いと若やかに愛敬づき、やさしきところ添ひたり。「ただなべてのかかる住処の人と思はば、いとをかしかるべきを、ただ今は、いかでかばかりも、人に声聞かすべきものとならひたまひけむ」と、なまうしろめたし。「容貌もいとなまめかしからむかし」と、見まほしきけはひのしたるを、「この人ぞ、また例の、かの御心乱るべきつまなめると、をかしうも、ありがたの世や」と思ひゐたまへり。
「これこそは、限りなき人のかしづき生ほしたてたまへる姫君。また、かばかりぞ多くはあるべき。あやしかりけることは、さる聖の御あたりに、山のふところより出で来たる人びとの、かたほなるはなかりけるこそ。この、はかなしや、軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしか」
と、何事につけても、ただかの一つゆかりをぞ思ひ出でたまひける。あやしう、つらかりける契りどもを、つくづくと思ひ続け眺めたまふ夕暮、蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを、
ありと見て手にはとられず見ればまた
行方も知らず消えし蜻蛉

あるか、なきかの」
と、例の、独りごちたまふ、とかや。
「世間並みの扱いで、失礼ではないか」とおもしろくないので、
「もとより、わたしを見捨てられない間柄であるし、何かのご用につけて、親しくしていただければうれしいです。取り次ぎなどして、疎ましくされるのは、とても嫌です」
と言うと、「その通りだ」と、驚きあわてて、宮の君をゆさぶれば、
「松も昔の、物思いに沈んでいます、元からの縁でと仰せられるのは心強く」
と宮の君が、直接話かけるように言った声は、若く愛嬌があり、やさしい感じも備わっている。「ただ普通の宮仕えの人と思えば、風情もあるが、ただ今は親王の姫君だった方がどうして直接応答するようになったのか」と、心配な気がする。「顔立ちもさぞきれいな方だろう」と、見たい気がするのを、「この方が、また例によって、匂宮の心を乱すようになりそうだと、興味があり、しっかりした女は滅多にいないものだ」と思った。
「宮の君は、高貴なお方が大切に慈しんだ姫君。この程度の女なら普通にいるだろう。不思議なことには、あの聖のような八宮の宇治の山ふところで育った人々に、難のある人はいなかったということである。あのはかなく亡くなった浮舟も、ちょっと会った感じは、たいそう風情があった」
と、何ごとにつけ、あの八宮の一族を思い出した。どういうわけかみな悲しい結果に終わったご縁を、つくづくと思い続けて物思う夕暮れに、蜻蛉のはかなげに飛び交うのを、
(薫)「いると思って手を出すといなくなる、また見ると
行方が分からなくなり消えてしまった蜻蛉
あるかないかのはかなさ」
と、例によって独り言を言っていた、とか。
2021.4.2/ 2023.11.7
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読書期間2021年3月11日 - 2021年4月2日