源氏物語 53 手習 てならい

HOME表紙へ 源氏物語 目次 あらすじ  章立て  登場人物 手習系図 pdf
原文 現代文
53.1 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病
そのころ、横川に、なにがし僧都とか言ひて、いと尊き人住みけり。八十余りの母、五十ばかりの妹ありけり。古き願ありて、初瀬に詣でたりけり。
睦ましうやむごとなく思ふ弟子の阿闍梨を添へて、仏経ほとけきょう供養ずること行ひけり。事ども多くして帰る道に、奈良坂と言ふ山越えけるほどより、この母の尼君、心地悪しうしければ、「かくては、いかでか残りの道をもおはし着かむ」ともて騷ぎて、宇治のわたりに知りたりける人の家ありけるに、とどめて、今日ばかり休めたてまつるに、なほいたうわづらへば、横川に消息したり。
山籠もりの本意深く、今年は出でじと思ひけれど、「限りのさまなる親の、道の空にて亡くやならむ」と驚きて、急ぎものしたまへり。惜しむべくもあらぬ人ざまを、みづからも、弟子の中にも験あるして、加持し騒ぐを、家主人聞きて、
御獄精進みたけしょうじんしけるを、いたう老いたまへる人の、重く悩みたまふは、いかが」
とうしろめたげに思ひて言ひければ、さも言ふべきことぞ、いとほしう思ひて、いと狭くむつかしうもあれば、やうやう率てたてまつるべきに、中神塞がりて、例住みたまふ方は忌むべかりければ、「故朱雀院の御領にて、宇治の院と言ひし所、このわたりならむ」と思ひ出でて、院守、僧都知りたまへりければ、「一、二日宿らむ」と言ひにやりたまへりければ、
「初瀬になむ、昨日皆詣りにける」
とて、いとあやしき宿守の翁を呼びて率て来たり。
「おはしまさば、はや。いたづらなる院の寝殿にこそはべるめれ。物詣での人は、常にぞ宿りたまふ」
と言へば、
「いとよかなり。公所なれど、人もなく心やすきを」
とて、見せにやりたまふ。この翁、例もかく宿る人を見ならひたりければ、おろそかなるしつらひなどして来たり。
その頃、横川に何某の僧都とかいって、たいそう尊い僧が住んでいた。八十余りの母、五十ばかりの妹がいた。古い願果しに、初瀬に詣でた。
親しく思い重んじてもいる弟子の阿闍梨を同行させて、仏経ほとけきょう供養する儀を執り行った。いろいろな供養をして帰る道で、奈良坂という山越えをしたとき、母の尼君の気分が悪くなり、「こんな具合では帰りがおぼつかない」と大騒ぎになって、宇治のあたりに知り合いの家があったので、逗留して、今日は休むことにしたが、よくならないので、横川に連絡した。
僧都の山籠もりの志は深く、今年は山を出ないと決定していたが、「危篤の親が、旅の空で亡くなっては」と驚いて、急いで出かけた。相当の高齢だが、自身でも、弟子の中でも験ある者を、加持させて騒ぐのを、家の主人が聞いて、
御獄精進みたけしょうじんをしていますが、たいそう年老いた人が、重い病です、どうでしょう 」
と気がひけるように言えば、そう言うのも分かり、気の毒なので、狭くむさ苦しくもあり、ようやく母尼をお連れできるようになり、陰陽道の中神がふさがっていて、母尼の住んでいる方角は忌むべきなので、「故朱雀院の御領で、宇治の院という所がこの近くにある」のを思い出して、院守を僧都が知っていたので、「一、二日宿りたい」と使いを出して言いやると、
「初瀬に昨日出かけました」
とて、とても貧相な宿守の翁を呼んで連れてきた。
「お越しでしたら今すぐにも。誰も使っていない院の寝殿です。物詣の人たちがいつも泊まります」
と言えば、
「好都合だ。公所おおやけどころだが、誰もいなく気兼ねがもいらぬ」
とて、下見に使いを遣る。この翁はいつも宿る人を見馴れていたので、一通りの支度をして使いは戻って来た。
2021.4.2/ 2022.12.2/ 2023.11.7
53.2 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う
まづ、僧都渡りたまふ。「いといたく荒れて、恐ろしげなる所かな」と見たまふ。
「大徳たち、経読め」
などのたまふ。この初瀬に添ひたりし阿闍梨と同じやうなる、何事のあるにか、つきづきしきほどの下臈法師に、火ともさせて、人も寄らぬうしろの方に行きたり。森かと見ゆる木の下を、「疎ましげのわたりや」と見入れたるに、白き物の広ごりたるぞ見ゆる。
「かれは、何ぞ」
と、立ち止まりて、火を明くなして見れば、物の居たる姿なり。
「狐の変化したる。憎し。見現はさむ」
とて、一人は今すこし歩み寄る。今一人は、
「あな、用な。よからぬ物ならむ」
と言ひて、さやうの物退くべき印を作りつつ、さすがになほまもる。頭の髪あらば太りぬべき心地するに、この火ともしたる大徳、憚りもなく、奥なきさまにて、近く寄りてそのさまを見れば、髪は長くつやつやとして、大きなる木のいと荒々しきに寄りゐて、いみじう泣く。
「珍しきことにもはべるかな。僧都の御坊に御覧ぜさせたてまつらばや」
と言へば、
「げに、妖しき事なり」
とて、一人はまうでて、「かかることなむ」と申す。
「狐の人に変化するとは昔より聞けど、まだ見ぬものなり」
とて、わざと下りておはす。
かの渡りたまはむとすることによりて、下衆ども、皆はかばかしきは、御厨子所など、あるべかしきことどもを、かかるわたりには急ぐものなりければ、ゐ静まりなどしたるに、ただ四、五人して、ここなる物を見るに、変はることもなし。
あやしうて、時の移るまで見る。「疾く夜も明け果てなむ。人か何ぞと、見現はさむ」と、心にさるべき真言を読み、印を作りて試みるに、しるくや思ふらむ、
「これは、人なり。さらに非常のけしからぬ物にあらず。寄りて問へ。亡くなりたる人にはあらぬにこそあめれ。もし死にたりける人を捨てたりけるが、蘇りたるか」
と言ふ。
「何の、さる人をか、この院の内に捨てはべらむ。たとひ、真に人なりとも、狐、木霊やうの物の、欺きて取りもて来たるにこそはべらめと、不便にもはべりけるかな。穢らひあるべき所にこそはべめれ」
と言ひて、ありつる宿守の男を呼ぶ。山彦の答ふるも、いと恐ろし。
まず、僧都が中に入った。「たいそう荒れていて、恐ろし気な所だ」と見る。
「大徳たち、経を読め」
などと言う。初瀬に付き添った阿闍梨と、同じような僧が、何かあったのか、案内らしい下臈法師に火を灯させて、人気のない裏の方に行った。森かと見える木々の下を、「気味の悪い所だな」と見ると、白い物が広がっているのが見えた。
「あれは何だ」
と立ち止まって、火を明るくして見れば、何かが座っている姿だ。
「狐が化けたか。小癪な。正体を暴いてやろう」
とて、一人はもう少し歩み寄る。もう一人は、
「気を付けな。たちのよくない物かも」
と言って、そのような物が退散する印を作って、じっと見つめる。髪の毛の総毛だつ心地がして、火を持ったもう一方の僧が、恐れるふうもなく、近くに寄って見れば、髪は長くつやつやとしていて、大きな荒々しい木にもたれて、しきりに泣いている。
「珍しいこともあったものだ。まず僧都の御坊にご覧になっていただこう」
と言えば、
「確かに奇怪なことだ」
とて、一人は戻って、「このようなことがございます」と申し上げる。
「狐が人に化けるとは昔から聞いているが、 まだ見たこともない」
と言って、僧都は、わざわざ下りて来た。
母の尼君がこちらに移って来られるので、下働きの者たちは、台所など、必要なことをいろいろしなければならず、宿泊先での準備に忙しく、ひっそりして、ただ四、五人だけが、この魔性の物を見ていたが変わったこともない。
不思議でならず、見ていて時が過ぎていく。「早く夜が明けないか。人か何か正体が分かるだろう」と心に真言を唱え、印を作ったが、感得するところがあり、
「これは人です。怪しい魔性の物ではない。近くに寄って問うてみよ。亡くなった人ではないだろうと思うが。あるいは死んだ人を捨てたのが蘇ったのか」
と僧都が言う。
「どうしてそんな人を、この院の中に捨てたりしましょう。たとえ本当に人であっても、狐や木霊といった魔性の物がだまして連れて来たのでしょう。困ったことだ。穢れある所です」
と言って、先ほどの宿守を呼ぶ。山彦がこだまするのも、恐ろしい。
2021.4.3/ 2022.12.3/ 2023.11.7
53.3 若い女であることを確認し、救出する
妖しのさまに、額おし上げて出で来たり。
「ここには、若き女などや住みたまふ。かかることなむある」
とて見すれば、
「狐の仕うまつるなり。この木のもとになむ、時々妖しきわざなむしはべる。一昨年おととしの秋も、ここにはべる人の子の、二つばかりにはべしを、取りてまうで来たりしかども、見驚かずはべりき」
「さて、その稚児は死にやしにし」
と言へば、
「生きてはべり。狐は、さこそは人を脅かせど、ことにもあらぬ奴」
と言ふさま、いと馴れたり。かの夜深き参りものの所に、心を寄せたるなるべし。僧都、
「さらば、さやうの物のしたるわざか。なほ、よく見よ」
とて、このもの懼ぢせぬ法師を寄せたれば、
「鬼か神か狐か木霊か。かばかりの天の下の験者のおはしますには、え隠れたてまつらじ。名のりたまへ。名のりたまへ」
と、衣を取りて引けば、顔をひき入れていよいよ泣く。
「いで、あな、さがなの木霊の鬼や。まさに隠れなむや」
と言ひつつ、顔を見むとするに、「昔ありけむ目も鼻もなかりける女鬼にやあらむ」と、むくつけきを、頼もしういかきさまを人に見せむと思ひて、衣を引き脱がせむとすれば、うつ臥して声立つばかり泣く。
「何にまれ、かく妖しきこと、なべて、世にあらじ」
とて、見果てむと思ふに、
「雨いたく降りぬべし。かくて置いたらば、死に果てはべりぬべし。垣の下にこそ出ださめ」
と言ふ。僧都、
「まことの人の形なり。その命絶えぬを見る見る捨てむこと、いといみじきことなり。池に泳ぐ魚、山に鳴く鹿をだに、人に捕へられて死なむとするを見て、助けざらむは、いと悲しかるべし。人の命久しかるまじきものなれど、残りの命、一、二日をも惜しまずはあるべからず。鬼にも神にも、領ぜられ、人に逐はれ、人に謀りごたれても、これ横様の死にをすべきものにこそあんめれ、仏のかならず救ひたまふべき際なり。
なほ、試みに、しばし湯を飲ませなどして、助け試みむ。つひに、死なば、言ふ限りにあらず」
とのたまひて、この大徳して抱き入れさせたまふを、弟子ども、
「たいだいしきわざかな。いたうわづらひたまふ人の御あたりに、よからぬ物を取り入れて、穢らひかならず出で来なむとす」
と、もどくもあり。また、
「物の変化にもあれ、目に見す見す、生ける人を、かかる雨にうち失はせむは、いみじきことなれば」
など、心々に言ふ。下衆などは、いと騒がしく、物をうたて言ひなすものなれば、人騒がしからぬ隠れの方になむ臥せたりける。
宿守はだらしない格好で、烏帽子を阿弥陀にかぶって出て来た。
「ここには若い女が住んでいたのか。こんな妙なことがある」
と言って見せれば、
「狐の仕業でしょう。この木の元に、時々怪しいことをします。一昨年おととしの秋も、ここに仕える人の子の、二歳ばかりになる子を、正体を失わせてさらってきたけれど、別に不思議がる者もいません」
「それでその子は死んだのか」
と言えば、
「生きています。狐は、人を驚かせますが、何ということもない」
と言い方が馴れている。深夜の御厨子所の支度が気がかりなのだろう。僧都が、
「では、さような物の仕業か、よく見なさい」
と言って、物おじせぬ法師を近くへ呼んで、
「鬼か神か狐か木霊か。このように天下一の験者がおられるので、隠れることはできないぞ。名乗れ、名乗れ」
と衣を引っ張っると、顔を隠していよいよ泣くのだった。
「何と、たちの悪い木霊の鬼か。正体を隠しきれようか」
と言いながら、顔を見ようとすると、「昔話のある目も鼻もない女鬼かも知れない」と、気味が悪いが、頼もしいところを人に見せようと思って、衣を脱がそうとするが、うつ伏して声を上げて泣くのだった。
「何者であれ、こんな怪しいことは、普通にあることではない」
とて、正体を見極めようと思ったが、
「雨がひどくなりそうだ。このまま置いていたら、死んでしまうだろう。築地塀の外に捨てよう」
と言う。僧都が、
「まことの人の形だ。その命があるのを捨てるのは、大変なことだ。池に泳ぐ魚、山に鳴く鹿でさえ、人に捕らえられて死のうとするのを見て、助けないのは、悲しいものだ。人の命は久しくはないが、残りの命は、一、二日でも惜しむべきものである。鬼にも神にも取りつかれ、人に逐われたり、人に騙されたりして、この人は非業の死を遂げる定めのようだが、そういう者こそ仏が必ず救ってくださるべき際の人なのだ。
とりあえず、薬湯を飲ませて、助けよう。それでも死んでしまえばいたし方ない」
と言って、この大徳自ら抱いて中にいれるのを、弟子どもが、
「厄介なことをなさる。重い病人がいるのに、縁起でもない物を入れて、きっと死の穢れが必ず出てくるのでは」
と非難する者もいた。また、
「魔物の化身であれ、目の前で、生きている人を、こんな雨のなかで死なせるのは、ひどいことだから」
など、思い思いに言う。下衆などは、何でも騒がしく言い立てるので、人目につかない隠れた部屋に、女を臥せさせた。
2021.4.4/ 2022.12.3/ 2023.11.7
53.4 妹尼、若い女を介抱す
御車寄せて降りたまふほど、いたう苦しがりたまふとて、ののしる。すこし静まりて、僧都、
「ありつる人、いかがなりぬる」
と問ひたまふ。
「なよなよとしてもの言はず、息もしはべらず。何か、物にけどられにける人にこそ」
と言ふを、妹の尼君聞きたまひて、
「何事ぞ」
と問ふ。
「しかしかのことなむ、六十に余る年、珍かなるものを見たまへつる」
とのたまふ。うち聞くままに、
「おのが寺にて見し夢ありき。いかやうなる人ぞ。まづそのさま見む」
と泣きてのたまふ。
「ただこの東の遣戸になむはべる。はや御覧ぜよ」
と言へば、急ぎ行きて見るに、人も寄りつかでぞ、捨て置きたりける。いと若ううつくしげなる女の、白き綾の衣一襲、紅の袴ぞ着たる。香はいみじう香うばしくて、あてなるけはひ限りなし。
「ただ、わが恋ひ悲しむ娘の、帰りおはしたるなめり」
とて、泣く泣く御達ごたちを出だして、抱き入れさす。いかなりつらむとも、ありさま見ぬ人は、恐ろしがらで抱き入れつ。生けるやうにもあらで、さすがに目をほのかに見開けたるに、
「もののたまへや。いかなる人か、かくては、ものしたまへる」
と言へど、ものおぼえぬさまなり。湯取りて、手づからすくひ入れなどするに、ただ弱りに絶え入るやうなりければ、
「なかなかいみじきわざかな」とて、「この人亡くなりぬべし。加持したまへ」
と、験者の阿闍梨に言ふ。
「さればこそ。あやしき御もの扱ひ」
とは言へど、神などのために経読みつつ祈る。
車を近づけて降ろすと、母尼は大そう苦しがって、騒ぎになる。少し静まり、僧都が、
「あの人は、どうなったか」
と問うた。
「ぐったりして何も言いません。息もしていないようです。何か、魔性の物に取りつかれたのでしょう」
と言うのを、妹の尼君が聞いて、
「何のことですか」
と問う。
「これこれのことがあって、六十になって、珍しいものを見ました」
と答える。事の次第を聞くままに、
「わたしは寺で夢を見ました。どんな方ですか。まずその様を見たい」
と泣きながら言う。
「すぐそこの東の遣戸にいます。早くしてください」
と言えば、急いで行ってみると、人もおらず、捨て置かれていた。たいそう若く美しい女が、白い綾の衣一撃に、紅の袴を着ている。薫物は香ばしく、高貴な身分の方と思われた。
「わたしの恋しい悲しい娘が帰ってきたのだ」
とて、泣いて御達ごたちを呼んで、抱かせた。発見されたときの様子も知らないので、御達は恐がりもせず抱いた。生きているようにも見えず、目をかすかに開けて、
「何か言ってください。どんな事情で、こうなったのですか」
と言うが、何も覚えていないようだった。薬湯を取って、手ずからすくって口に入れられるが、弱って絶え入りそうで、
「これは大変だ」と妹尼君は言って、「この人死んでしまいます。加持してください」
と験者の阿闍梨に言う。
「さればこそ。もの好きなことをなさる」
とは言いながらも、神分じんぶんの読経し祈るのだった。
2021.4.5/ 2022.12.3/ 2023.111.8
53.5 若い女生き返るが、死を望む
僧都もさしのぞきて、
「いかにぞ。何のしわざぞと、よく調じて問へ」
とのたまへど、いと弱げに消えもていくやうなれば、
「え生きはべらじ。すぞろなる穢らひに籠もりて、わづらふべきこと」
「さすがに、いとやむごとなき人にこそはべるめれ。死に果つとも、ただにやは捨てさせたまはむ。見苦しきわざかな」
と言ひあへり。
「あなかま。人に聞かすな。わづらはしきこともぞある」
など口固めつつ、尼君は、親のわづらひたまふよりも、この人を生け果てて見まほしう惜しみて、うちつけに添ひゐたり。知らぬ人なれど、みめのこよなうをかしげなれば、いたづらになさじと、見る限り扱ひ騷ぎけり。さすがに、時々、目見開けなどしつつ、涙の尽きせず流るるを、
「あな、心憂や。いみじく悲しと思ふ人の代はりに、仏の導きたまへると思ひきこゆるを。かひなくなりたまはば、なかなかなることをや思はむ。さるべき契りにてこそ、かく見たてまつるらめ。なほ、いささかもののたまへ」
と言ひ続くれど、からうして、
「生き出でたりとも、あやしき不用の人なり。人に見せで、夜この川に落とし入れたまひてよ」
と、息の下に言ふ。
「まれまれ物のたまふをうれしと思ふに、あな、いみじや。いかなれば、かくはのたまふぞ。いかにして、さる所にはおはしつるぞ」
と問へども、物も言はずなりぬ。「身にもし傷などやあらむ」とて見れど、ここはと見ゆるところなくうつくしければ、あさましく悲しく、「まことに、人の心惑はさむとて出で来たる仮のものにや」と疑ふ。
僧都も覗き込んで、
「どんな具合か。何者の仕業か。よく調伏して問いなさい」
と言うが、女は今にも消え入りそうな様で、
「とても生きられないだろう。余計な忌籠いみごもりで、足止めされるとは」
「とても高貴な身分の人だろうから、死んでも、このまま捨てておくわけにもいかないでしょう」
と言い合うのだった。
「お静かに。口外しないように。面倒なことになったら、困ります」
などと口止めして、妹尼君は、母尼君の心配よりも、この人の命を生かしたいと気が気でなく、すっかりその気になっていた。見知らぬ人だけれど、顔立ちがこれほど整っているので、このまま死なせたくない、と介抱に懸命だった。さすがに、時々目を見開いて、涙を流しているのを、
「まあ、お気の毒な。可哀そうな娘の身代わりに、仏のお導きだと思います。このままお亡くなりになりましたら、つらくなります。このような宿世があって、こうしてお会いできたのです。どうか、何か仰ってください」
と言い続けたので、ようやく、
「生きていても、仕方のない者です。人目につかないように、夜この川に捨ててください」
とかろうじて言う。
「ようやく何か物言うのをうれしく思うが、何ということを。どうして、そんなことを言うのです。どんなわけであんな所にいたのです」
と問うたが、何も言わない。「身体にもし傷があるのか」と思って見るが、どこにも傷がなく美しいので、妹尼は気も動転して、「本当に、人を惑わそうとした何かの化身なのか」と疑う。
2021.4.5/ 2022.12.4/ 2023.11.8
53.6 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る
二日ばかり籠もりゐて、二人の人を祈り加持する声絶えず、あやしきことを思ひ騒ぐ。そのわたりの下衆などの、僧都に仕まつりける、かくておはしますなりとて、とぶらひ出で来るも、物語などして言ふを聞けば、
「故八の宮の御女、右大将殿の通ひたまひし、ことに悩みたまふこともなくて、にはかに隠れたまへりとて、騷ぎはべる。その御葬送の雑事ども仕うまつりはべりとて、昨日はえ参りはべらざりし」
と言ふ。「さやうの人の魂を、鬼の取りもて来たるにや」と思ふにも、かつ見る見る、「あるものともおぼえず、危ふく恐ろし」と思す。人びと、
「昨夜見やられし火は、しかことことしきけしきも見えざりしを」
と言ふ。
「ことさら事削ぎて、いかめしうもはべらざりし」
と言ふ。穢らひたる人とて、立ちながら追ひ返しつ。
大将殿は、宮の御女持ちたまへりしは、亡せたまひて、年ごろになりぬるものを、誰れを言ふにかあらむ。姫宮をおきたてまつりたまひて、よに異心おはせじ」
など言ふ。
二日ばかり籠りっきりで、母尼君とこの女の二人を祈り加持する声が絶えず、奇妙なことに心を痛めた。宇治近辺の下人が、僧都に仕えていて、こうして僧都が滞在していると聞いて、挨拶にやって来たときの話で、
「故八の宮の娘に、右大臣が通っていましたが、格別病気でもなく、急に亡くなったので、騒ぎになりました。その葬儀の雑事をお手伝いするため、昨日はこちらに来れませんでした」
と言う。「そのような人の魂を、鬼が取ってきたのか」とも思うが、女を見ながら、「現実のものとも思われず、怪しく恐ろしい」と思う。
「昨夜ここから見えた火は、そのような火葬の火とも見えなかったが」
と人々は言う。
「できるだけ簡略にして、盛大にはしなかったのです」
と言う。穢れた人なので、庭先で追い返す。
「大将殿は、八宮の娘を慕わしく思っていたが、お亡くなりになって、何年にもなるし、誰のことだろう、女二の宮を差し置いて、他の女に心を移すことはないだろうが」
などと言う。
2021.4.6/ 2023.11.8
53.7 尼君ら一行、小野に帰る
尼君よろしくなりたまひぬ。方も開きぬれば、「かくうたてある所に久しうおはせむも便なし」とて帰る。
「この人は、なほいと弱げなり。道のほどもいかがものしたまはむと、心苦しきこと」
と言ひ合へり。車二つして、老い人乗りたまへるには、仕うまつる尼二人、次のにはこの人を臥せて、かたはらにいま一人乗り添ひて、道すがら行きもやらず、車止めて湯参りなどしたまふ。
比叡坂本に、小野といふ所にぞ住みたまひける。そこにおはし着くほど、いと遠し。
「中宿りを設くべかりける」
など言ひて、夜更けておはし着きぬ。
僧都は、親を扱ひ、娘の尼君は、この知らぬ人をはぐくみて、皆抱き降ろしつつ休む。老いの病のいつともなきが、苦しと思ひたまへし遠道の名残こそ、しばしわづらひたまひけれ、やうやうよろしうなりたまひにければ、僧都は登りたまひぬ。
「かかる人なむ率て来たる」など、法師のあたりにはよからぬことなれば、見ざりし人にはまねばず。尼君も、皆口固めさせつつ、「もし尋ね来る人もやある」と思ふも、静心なし。「いかで、さる田舎人の住むあたりに、かかる人落ちあふれけむ。物詣でなどしたりける人の、心地などわづらひけむを、継母などやうの人の、たばかりて置かせたるにや」などぞ思ひ寄りける。
「川に流してよ」と言ひし一言より他に、ものもさらにのたまはねば、いとおぼつかなく思ひて、「いつしか人にもなしてみむ」と思ふに、つくづくとして起き上がる世もなく、いとあやしうのみものしたまへば、「つひに生くまじき人にや」と思ひながら、うち捨てむもいとほしういみじ。夢語りもし出でて、初めより祈らせし阿闍梨にも、忍びやかに芥子焼くことせさせたまふ。
母尼君はどうやら持ち直した。方塞がりも解けたので、「こんな気味の悪い所に、長くはいられない」とて帰ることになった。
「この人は、まだ弱弱しいです。道中ご無事でいらっしゃるか、とても心配です」
と口々に言う。車二台で、母尼君が乗る車には、お付の尼二人、もう一台の妹尼君の車にこの人を乗せて、付き添いにもう一人つけて、道行もはかどらず、車を止めて薬湯を飲ましたりしている。
比叡坂本に、小野という所があって、母尼君たちは住んでいた。そこまでかなり遠い道のりだ。
「途中一泊しよう」
などと言って、夜更けて着いた。
僧都は母親の世話をし、娘の尼君は、この知らぬ人の面倒をみて、皆で抱き下ろすのだった。母尼君は年老いて病気がちのところ、つらい長旅で、しばらくは具合が悪かったが、ようやく良くなってきたので、僧都は横川へ上った。
「こんな若い女性を連れてきた」など僧都としては不都合なことなので、事情を知らない人には教えない。妹尼君も、口止めして、「もし尋ねてくる人がいたら」と思うのも気が休まらない。「どうして、あんな田舎に、このような高貴な人がみじめな様でいたのだろう。物詣などをした人が、病気になって、継母などが、思い余って捨て置いたのか」などと思ったりした。
「川に流してください」の一言の他、何も言わないので、どうしたらいいか覚束なく、「どうかして人並みの身体に戻してあげたい」と思うが、ぼんやりして起き上がるふうもなく、まことに不思議な様子なので、「結局は生きてゆけない人か」と思いながら、ほおっておくのはかわいそうだ。夢物語も話して、初めから祈祷した阿闍梨にも護摩を焚かせるのだった。
2021.4.7/ 2022.12.4/ 2023.11.8
53.8 僧都、小野山荘へ下山
うちはへかく扱ふほどに、四、五月も過ぎぬ。いとわびしうかひなきことを思ひわびて、僧都の御もとに、
「なほ下りたまへ。この人、助けたまへ。さすがに今日までもあるは、死ぬまじかりける人を、憑きしみ領じたるものの、去らぬにこそあめれ。あが仏、京に出でたまはばこそはあらめ、ここまではあへなむ」
など、いみじきことを書き続けて、奉りたまへれば、
「いとあやしきことかな。かくまでもありける人の命を、やがてとり捨ててましかば。さるべき契りありてこそは、我しも見つけけめ。試みに助け果てむかし。それに止まらずは、業尽きにけりと思はむ」
とて、下りたまひけり。
よろこび拝みて、月ごろのありさまを語る。
「かく久しうわづらふ人は、むつかしきこと、おのづからあるべきを、いささか衰へず、いときよげに、ねぢけたるところなくのみものしたまひて、限りと見えながらも、かくて生きたるわざなりけり」
など、おほなおほな泣く泣くのたまへば、
「見つけしより、珍かなる人のみありさまかな。いで」
とて、さしのぞきて見たまひて、
「げに、いと警策なりける人の御容面かな。功徳の報いにこそ、かかる容貌にも生ひ出でたまひけめ。いかなる違ひめにて、損そこなはれたまひけむ。もし、さにや、と聞き合はせらるることもなしや」
と問ひたまふ。
「さらに聞こゆることもなし。何か、初瀬の観音の賜へる人なり」
とのたまへば、
「何か。それ縁に従ひてこそ導きたまはめ。種なきことはいかでか」
など、のたまふが、あやしがりたまひて、修法始めたり。
ずっと介抱して、四、五月も過ぎた。よくならないのでどうしていいか分からず、僧都の元へ、
「どうか山を下りてください。この人を助けてください。やはり今日まで生きているのは、死ぬはずのないひとを、魔性の物がとり憑いているのでしょう。どうか、京に出るのならともかく、ここまで下りてください」
など思い余って書いて、文を差し上げたので、
「不思議なことだ。ここまで生きた命を、あの時捨てていたら、大変な罪作りだった。然るべき前世の因縁があって、わたしに会わせたのだ。最後まで助けよう。それでだめなら、命数が尽きたのだと思える」
と思って山を下りた。
妹尼は喜んで、月ごろの様子を語るのだった。
「このように長く患う人は、むさくるしい感じがするものですが、少しもやつれずに、とてもきれいで、見苦しいところはなくて、もう駄目かと思えても、まだ生きています」
と泣く泣く率直に言うと、
「見付けたときから、不思議な様子だと思った。どれ」
と言って、覗いてみると、
「本当に、高貴な美しい容貌だ。前世の功徳の報いで、このような美しい容貌で生まれてきたのだ。何の間違いがあって、こんなひどいことになったか。あるいはそうか、と思い当たるような噂もないか」
と問うた。
「少しも聞きません。何か、初瀬の観音が賜った人だそうです」
と答えれば、
「何、縁に従ってこそ仏の導きです。因縁がなくて何の導きを」
など言うが、不思議に思いながら、修法を始めた。
2021.4.7/ 2022.12.4/ 2023.11.8
53.9 もののけ出現
「朝廷の召しにだに従はず、深く籠もりたる山を出でたまひて、すぞろにかかる人のためになむ行ひ騷ぎたまふと、ものの聞こえあらむ、いと聞きにくかるべし」と思し、弟子どもも言ひて、「人に聞かせじ」と隠す。僧都、
「いで、あなかま。大徳たち。われ無慚の法師にて、忌むことの中に、破る戒は多からめど、女の筋につけて、まだ誹りとらず、過つことなし。六十に余りて、今さらに人のもどき負はむは、さるべきにこそはあらめ」
とのたまへば、
「よからぬ人の、ものを便なく言ひなしはべる時には、仏法の瑕となりはべることなり」
と、心よからず思ひて言ふ。
「この修法のほどにしるし見えずは」
と、いみじきことどもを誓ひたまひて、夜一夜加持したまへる暁に、人に駆り移して、「何やうのもの、かく人を惑はしたるぞ」と、ありさまばかり言はせまほしうて、弟子の阿闍梨、とりどりに加持したまふ。月ごろ、いささかも現はれざりつるもののけ、調ぜられて、
おのれは、ここまで参うで来て、かく調ぜられたてまつるべき身にもあらず。昔は行ひせし法師の、いささかなる世に恨みをとどめて、漂ひありきしほどに、よき女のあまた住みたまひし所に住みつきて、かたへは失ひてしに、この人は、心と世を恨みたまひて、我いかで死なむ、と言ふことを、夜昼のたまひしにたよりを得て、いと暗き夜、独りものしたまひしを取りてしなり。されど、観音とざまかうざまにはぐくみたまひければ、この僧都に負けたてまつりぬ。今は、まかりなむ
とののしる。
「かく言ふは、何ぞ」
と問へば、憑きたる人、ものはかなきけにや、はかばかしうも言はず。
「朝廷からのお召しにも従わず、籠っている山を出て、行きずりの人のために行をして騒いでいると聞こえたら、外聞の悪いことになる」と妹尼は思って、弟子たちにも意見して、「人に言わない」と隠した。僧都は、
「いや、あれこれ言うまい。僧たちよ。わたしは破戒の僧だ、守るべき戒をたくさん破ったが、女については、まだ非難されず過ったことがない。六十になって、今さら人に非難されても、前世の因縁なら仕方ない」
と僧都が言えば、
「口さがない連中が、あれこれ悪く言いふらしたら、仏法の瑕疵となります」
とおもしろくないことと思って言う。
「この修法で効果がでなければ」
と一大決心をして、一晩中加持した暁に、物の怪を憑座よりましに移して、「何者か、このように人を惑わすのは」とその事情だけでも言わせたくて、弟子の阿闍梨が、それぞれに加持するのだった。今まで正体を現さなかった物の怪が調伏せられて、
「自分はここまで参じ来て、このように調伏される身ではない。昔は修業した法師であったが、いささか世に恨みを残していたので、中有に漂っていたが、よい女のたくさん住んでいる所に住みついて、一人は命を奪ったが、この人は、自分から世を恨んで、どうかして死にたいということを、昼夜言っていたのを手がかりにして、暗い夜、独りでいるのを奪ったのだ。けれども観音が、あれこれ手を尽くして守ったので、この僧都に負けました。今は退散します」
と大声で言う。
「そういうお前は、誰だ」
と問うが、憑座よりましが、しっかりした者でなかったので、はっきり言わない。
2021.4.8/ 2022.12.4/ 2023.11.8
53.10 浮舟、意識を回復
正身の心地はさはやかに、いささかものおぼえて見回したれば、一人見し人の顔はなくて、皆、老法師、ゆがみ衰へたる者のみ多かれば、知らぬ国に来にける心地して、いと悲し。
ありし世のこと思ひ出づれど、住みけむ所、誰れと言ひし人とだに、たしかにはかばかしうもおぼえず。ただ、
「我は、限りとて身を投げし人ぞかし。いづくに来にたるにか」とせめて思ひ出づれば、
「いといみじと、ものを思ひ嘆きて、皆人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、風は烈しう、川波も荒う聞こえしを、独りもの恐ろしかりしかば、来し方行く先もおぼえで、簀子の端に足をさし下ろしながら、行くべき方も惑はれて、帰り入らむも中空にて、心強くこの世に亡せなむと思ひ立ちしを、『をこがましうて人に見つけられむよりは、鬼も何も食ひ失へ』と言ひつつ、つくづくと居たりしを、いときよげなる男の寄り来て、『いざ、たまへ。おのがもとへ』と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞こえし人のしたまふ、とおぼえしほどより、心地惑ひにけるなめり。知らぬ所に据ゑ置きて、この男は消え失せぬ、と見しを、つひにかく本意のこともせずなりぬる、と思ひつつ、いみじう泣く、と思ひしほどに、その後のことは絶えて、いかにもいかにもおぼえず。
人の言ふを聞けば、多くの日ごろも経にけり。いかに憂きさまを、知らぬ人に扱はれ見えつらむ、と恥づかしう、つひにかくて生き返りぬるか」
と思ふも口惜しければ、いみじうおぼえて、なかなか、沈みたまひつる日ごろは、うつし心もなきさまにて、ものいささか参る事もありつるを、つゆばかりの湯をだに参らず。
浮舟はさわやかな気分で、いくらか意識を取り戻して見回したが、一人として知った顔はなく、皆、老法師、ゆがみ衰えた者ばかりが多く、知らぬ国に来た気がして、悲しかった。
昔のことを思い出そうとするが、住んでいた所、自分が誰だったか、はっきり覚えていない。ただ、
「自分は、もう最期と思って身を投げたのだ。どこに来たのか」と無理にも思い出そうとするが、
「ひどく悲しく、嘆きながら、皆人の寝たのをはかって、妻戸を開けて出たが、風が激しく、川波も荒れて聞こえて、ひとりぼっちで恐ろしく、来し方も行く先も分からず、簀子の端に足を下ろしたまま、どっちへ行ったらいいのか分からず、部屋に戻るのも中途半端な気持ちで、せっかく死んでしまおうと決心したのに、『見苦しい様で人に見付けられるよりは、鬼でも何でも食われて死にたい』と思いながら、じっと思い詰めていると、たいそう美しい男が寄って来て、『こちらへお出で』と言って、抱こうとするので、宮だろうと思ったところから、わけが分からなくなった。知らぬ所に置いておかれて、この男は消えたが、結局身投げすることもできなかった、と思って、激しく泣いていた、とまでは覚えているが、その後のことは、全く記憶になかった。
人の話を聞けば、多くの日数が経っていた。どんなに情けない姿を、知らぬ人に見せてしまったか、と恥ずかしく、ついにこうして生き返ったのか」
と思うのも残念で、とてもつらい気持ちで、かえって、物思いに沈んでいた日ごろは、正体もない様子で、少しは食事もとっていたが、今はほんのわずかな薬湯さえ取らない。
2021.4.9/ 2022.12.4/ 2023.11.8
53.11 浮舟、五戒を受く
「いかなれば、かく頼もしげなくのみはおはするぞ。うちはへぬるみなどしたまへることは冷めたまひて、さはやかに見えたまへば、うれしう思ひきこゆるを」
と、泣く泣く、たゆむ折なく添ひゐて扱ひきこえたまふ。ある人びとも、あたらしき御さま容貌を見れば、心を尽くしてぞ惜しみまもりける。心には、「なほいかで死なむ」とぞ思ひわたりたまへど、さばかりにて、生き止まりたる人の命なれば、いと執念くて、やうやう頭もたげたまへば、もの参りなどしたまふにぞ、なかなか面痩せもていく。いつしかとうれしう思ひきこゆるに、
「尼になしたまひてよ。さてのみなむ生くやうもあるべき」
とのたまへば、
「いとほしげなる御さまを。いかでか、さはなしたてまつらむ」
とて、ただ頂ばかりを削ぎ、五戒ばかりを受けさせたてまつる。心もとなけれど、もとよりおれおれしき人の心にて、えさかしく強ひてものたまはず。僧都は、
「今は、かばかりにて、いたはり止めたてまつりたまへ」
と言ひ置きて、登りたまひぬ。
「どうしたわけで、こんなにぐずぐずとはっきりしない具合ばかり続くのか。久しくあった熱も冷めて、さっぱりされたようで、うれしく思いますが」
と、妹尼君は泣きながらも、つきっきりで介抱した。お付きの人々も、改めてその姿・容貌を見て、一生懸命世話をした。浮舟は、心の中では、「やはりどうかして死にたい」と思い続けているが、あれほどの重体でありながら、生き長らえた命なので芯が強くて、ようやく頭を上げて、食事をとっているうちに、かえって顔がほっそりしていく。早くよくなればと思っていると、
「尼にしてください。それでどうにか生きられます」
と言えば、
「もったいないほどのご器量です。どうして尼になどさせられましょう」
とて、頭の頂ばかりを削ぎ、五戒ばかりを受けさせた。浮舟は、何だか気が進まなかったが、元来はきはきしたところのない人だったので、強くも言わない。僧都は、
「今はこれくらいで、介抱して直してください」
と言い置いて、山に上った。
2021.4.9/ 2023.11.8
53.12 浮舟、素性を隠す
「夢のやうなる人を見たてまつるかな」と尼君は喜びて、せめて起こし据ゑつつ、御髪手づから削りたまふ。さばかりあさましう、ひき結ひてうちやりたりつれど、いたうも乱れず、解き果てたれば、つやつやとけうらなり。一年足らぬ九十九髪多かる所にて、目もあやに、いみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふも、危ふき心地すれど、
「などか、いと心憂く、かばかりいみじく思ひきこゆるに、御心を立てては見えたまふ。いづくに誰れと聞こえし人の、さる所にはいかでおはせしぞ」
と、せめて問ふを、いと恥づかしと思ひて、
「あやしかりしほどに、皆忘れたるにやあらむ、ありけむさまなどもさらにおぼえはべらず。ただ、ほのかに思ひ出づることとては、ただ、いかでこの世にあらじと思ひつつ、夕暮ごとに端近くて眺めしほどに、前近く大きなる木のありし下より、人の出で来て、率て行く心地なむせし。それより他のことは、我ながら、誰れともえ思ひ出でられはべらず」
と、いとらうたげに言ひなして、
「世の中に、なほありけりと、いかで人に知られじ。聞きつくる人もあらば、いといみじくこそ」
とて泣いたまふ。あまり問ふをば、苦しと思したれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけむ竹取の翁よりも、珍しき心地するに、「いかなるものの隙に消え失せむとすらむ」と、静心なくぞ思しける。
「夢のような人をお世話することになった」と尼君は喜んで、無理に起こして座らせて、髪を手ずからくのだった。ひどい状態で結んで枕頭に投げ出してあったが、もつれてもいず、いてみれば、つやつやしてみごとな髪だ。白髪の老婆が多い所で、目に鮮やかに、天女が下ったように思われ、いついなくなるか危うい気持だが、
「どうして、これほど心配しているのに、頑なに何も仰ってくださらないのですか。何処の誰と申し上げる方が、あんな所におられたのですか」
と重ねて問うと、とても気がひけて、
「気を失っているうちに、皆忘れてしまいました。昔のことなども全く覚えておりません。ただ、かすかに思い出すのは、どうかしてこの世から消えてしまいたいと思いながら、夕暮れに端近くで物思いに沈んでいまして、前にある大きな木の下から、人が出て来て、連れていかれる気がしました。その他のことは、自分が誰とも思い出せないのです」
とたいそうかわいらしく言って、
「世に生きていると、人に知られたくありません。聞きつける人がいれば、とても困ります」
と言って泣くのだった。あまりに問えば、苦しそうなので、それ以上は問わない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも、珍しい心地がして、「どんな隙に消えてしまうかもしれない」と、妹尼は落ち着かなかった。
2021.4.9/ 2022.12.5/ 2023.11.8
53.13 小野山荘の風情
この主人もあてなる人なりけり。むすめの尼君は、上達部の北の方にてありけるが、その人亡くなりたまひてのち、娘ただ一人をいみじくかしづきて、よき君達を婿にして思ひ扱ひけるを、その娘の君の亡くなりにければ、心憂し、いみじ、と思ひ入りて、形をも変へ、かかる山里には住み始めたりけるなり。
「世とともに恋ひわたる人の形見にも、思ひよそへつべからむ人をだに見出でてしがな」、つれづれも心細きままに思ひ嘆きけるを、かく、おぼえぬ人の、容貌けはひもまさりざまなるを得たれば、うつつのことともおぼえず、あやしき心地しながら、うれしと思ふ。ねびにたれど、いときよげによしありて、ありさまもあてはかなり。
昔の山里よりは、水の音もなごやかなり。造りざま、ゆゑある所、木立おもしろく、前栽もをかしく、ゆゑを尽くしたり。秋になりゆけば、空のけしきもあはれなり。門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは、歌うたひ興じあへり。引板ひき鳴らす音もをかしく、見し東路のことなども思ひ出でられて。
かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは、今すこし入りて、山に片かけたる家なれば、松蔭茂く、風の音もいと心細きに、つれづれに行ひをのみしつつ、いつとなくしめやかなり。
母尼君は高貴な身分の出であった。娘の妹尼君は、上達部の北の方であったが、夫が亡くなってのち、その孫娘をたいそう大切に世話して、よい公達を婿にして面倒を見て来たが、その孫娘も亡くなったので、情けない、悲しい、と思って、尼になり、こんな山里に住み始めたのだった。
「恋しい娘の形見とも思える人を見付けたいものだ」と、所在ない暮らしを心細く思っていたので、このように、思いがけなく、容貌・気配も勝っている人を得たので、現実のこととも思えず、妹尼君は嬉しく思っていた。年を取っているが、とてもこざっぱりして風情があり、物越しもどことなく品があった。
以前の宇治の山里よりも水の音も和やかだ。家の造りも、立派な山荘で、木立もおもしろく、前裁も風情があり、手がかかっている。秋になれば、空の気色もあわれになる。近くの田の稲刈りでは、その土地々々の物まねをして、若い女たちは歌い合って興じている。鳴子の鳴る音も楽しく、昔見た東国のことが思い出された。
あの夕霧の巻の一条の御息所の住んでいた山里より、もう少し入ったところで、山の斜面に建てた家なので、松蔭が茂く、風の音も心細く、所在なく勤行などして、いつとなくもの静かだ。
2021.4.10/ 2022.12.5/ 2023.11.8
53.14 浮舟、手習して述懐 △ almost limited
尼君ぞ、月など明き夜は、琴など弾きたまふ。少将の尼君などいふ人は、琵琶弾きなどしつつ遊ぶ。
「かかるわざはしたまふや。つれづれなるに」
など言ふ。昔も、あやしかりける身にて、心のどかに、「さやうのことすべきほどもなかりしかば、いささかをかしきさまならずも生ひ出でにけるかな」と、かくさだ過ぎにける人の、心をやるめる折々につけては、思ひ出づるを、「あさましくものはかなかりける」と、我ながら口惜しければ、手習に、
身を投げし涙の川の早き瀬を
しがらみかけて誰れか止めし

思ひの外に心憂ければ、行く末もうしろめたく、疎ましきまで思ひやらる。
月の明かき夜な夜な、老い人どもは艶に歌詠み、いにしへ思ひ出でつつ、さまざま物語などするに、いらふべきかたもなければ、つくづくとうち眺めて、
我かくて憂き世の中にめぐるとも
誰れかは知らむ月の都に

今は限りと思ひしほどは、恋しき人多かりしかど、こと人びとはさしも思ひ出でられず、ただ、
「親いかに惑ひたまひけむ。乳母、よろづに、いかで人なみなみになさむと思ひ焦られしを、いかにあへなき心地しけむ。いづくにあらむ。我、世にあるものとはいかでか知らむ」
同じ心なる人もなかりしままに、よろづ隔つることなく語らひ見馴れたりし右近なども、折々は思ひ出でらる。
妹尼君は、月の明るい夜は、琴を弾いた。侍女の少将の尼君は、琵琶を弾き合奏した。
「このような遊びはなさいますか、所在ないときなどに」
などと妹尼君は言う。昔は、田舎育ちで、のんびりと、「音楽など習えなかったので、ほんのわずかなたしなみも身に付けずに育った」と、こんな年老いた尼たちが、気晴らしをしている折々にも、昔を思い、「本当にどうしようもない女だった」と、自分でも情けない思いで、手習いに、
(浮舟)「悲しみで、身投げした早瀬に
しがらみを作って誰が救ってくれたのでしょう」
思いがけず助けられて情けなく、行く末もどうなるか心配で、疎ましい。
月の明るい夜毎、老いた人たちはしゃれた気分で歌を詠み、昔を思い出し、さまざまな物語などをするので、相づちも打てず、思いにふけって、
(浮舟)「わたしがこうして世に生きていると
月が照る都の人の誰が知ろうか」
これで最期と思った時は、恋しい人がたくさんいたが、今その他の人々は思い浮かばない、ただ、
「母親がどんなに悲しんでいるだろう。乳母は、あれこれと、わたしを人並みに幸せにしようと、懸命だったのに、どんなにがっかりしているだろう。今どこにいるのか。わたしが生きているとどうして知るだろう」
気を許せる人もいなかったので、何でも話し合った右近なども、折々は思い出した。
2021.4.10/ 2022.12.5/ 2023.11.8
53.15 浮舟の日常生活
若き人の、かかる山里に、今はと思ひ絶え籠もるは、難きわざなりければ、ただいたく年経にける尼、七、八人ぞ、常の人にてはありける。それらが娘孫やうの者ども、京に宮仕へするも、異ざまにてあるも、時々ぞ来通ひける。
かやうの人につけて、見しわたりに行き通ひ、おのづから、世にありけりと誰れにも誰れにも聞かれたてまつらむこと、いみじく恥づかしかるべし。いかなるさまにてさすらへけむ」
など、思ひやり世づかずあやしかるべきを思へば、かかる人びとに、かけても見えず。ただ侍従、こもきとて、尼君のわが人にしたりける二人をのみぞ、この御方に言ひ分けたりける。みめも心ざまも、昔見し都鳥に似たるはなし。何事につけても、「世の中にあらぬ所はこれにやあらむ」とぞ、かつは思ひなされける。
かくのみ、人に知られじと忍びたまへば、「まことにわづらはしかるべきゆゑある人にもものしたまふらむ」とて、詳しきこと、ある人びとにも知らせず。
若い人がこのような山里に、世を諦めて籠るのは、難しいことなので、ただかなり年をとった尼、七、八人がいつも仕えていた。それらの娘や孫が、京に宮仕えしている者や、あるいは他のことをしている者が、時々通ってくる。
「この人たちが、かって自分の居た宇治に出入りして、わたしが生きていると洩らしたら、とても恥ずかしく身の置き所がないだろう。どんなみじめな様子でうろうろしていたのか」
などと薫や宮に悲惨な有様を想像されるのを思えば、このような人たちにも、姿を見せない。ただ侍従とこもきという童女の二人の妹尼君の付け人を、浮舟の付け人に割いてある。昔見た都の侍女たちとは全く似ていない。何ごとにつけ、こここそは「身を隠せる別世界」だ、と浮舟は思うのだった。
これほど、人に知られまいと気を使っているのは、「本当に、知れたら面倒になる方がいるのだ」と思って、妹尼君は、詳しいことは、女房たちにも知らせなかった。
2021.4.11/ 2022.12.5/ 2023.11.8
53.16 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問
尼君の昔の婿の君、今は中将にてものしたまひける、弟の禅師の君、僧都の御もとにものしたまひける、山籠もりしたるを訪らひに、兄弟の君たち常に登上りけり。
横川に通ふ道のたよりに寄せて、中将ここにおはしたり。前駆うち追ひて、あてやかなる男の入り来るを見出だして、忍びやかにおはせし人の御さまけはひぞ、さやかに思ひ出でらるる。
これもいと心細き住まひのつれづれなれど、住みつきたる人びとは、ものきよげにをかしうしなして、垣ほに植ゑたる撫子もおもしろく、女郎花、桔梗など咲き始めたるに、色々の狩衣姿の男どもの若きあまたして、君も同じ装束にて、南面に呼び据ゑたれば、うち眺めてゐたり。年二十七、八のほどにて、ねびととのひ、心地なからぬさまもてつけたり。
尼君、障子口に几帳立てて、対面したまふ。まづうち泣きて、
「年ごろの積もるりには、過ぎにし方いとど気遠くのみなむはべるを、山里の光になほ待ちきこえさすることの、うち忘れず止みはべらぬを、かつはあやしく思ひたまふる」
とのたまへば、
「心のうちあはれに、過ぎにし方のことども、思ひたまへられぬ折なきを、あながちに住み離れ顔なる御ありさまに、おこたりつつなむ。山籠もりもうらやましう、常に出で立ちはべるを、同じくはなど、慕ひまとはさるる人びとに、妨げらるるやうにはべりてなむ。今日は、皆はぶき捨ててものしたまへる」
とのたまふ。
「山籠もりの御うらやみは、なかなか今様だちたる御ものまねびになむ。昔を思し忘れぬ御心ばへも、世に靡かせたまはざりけると、おろかならず思ひたまへらるる折多く」
など言ふ。
尼君の亡くなった娘の婿が、今は中将になっている。その弟が禅師の君で、僧都の弟子であったので、山籠りの訪いに、兄弟の君たちで山に上るのが常だった。
横川に通う道すがら、中将が来た。前駆があり、身分のありそうな男が入ってくるのを見かけて、浮舟には、忍んで通ってきた人の様子が、はっきり思い出された。
この小野は心細い住まいだが、所在ない日々に住みついた人々は、こざっぱりして趣向を凝らした暮らしぶりで、垣根に植えた撫子も風情があり、女郎花、桔梗なども咲き始めていて、いろいろな狩衣姿の若い男たちがたくさん来て、中将も同じ装束で、南面に招じられて、外を眺めていた。年二十七、八ほどで、大人びて、たしなみのある物越しだった。
尼君は、障子口に几帳を立てて。対面する。まず泣いて、
「年月が経つにつれ、昔のことが段々と遠くなりますが、山里にお越しいただいて光を待つ思いを、忘れずにおりますのを不思議に思います」
と尼君が言うと、
「心のなかでは、昔のことを思い出さない時はないのですが、ひたすら俗世を避けてお暮しのことと推察しまして、ご遠慮しておりました。山籠もりもうらやましい、よく出かけて来ますが、どうせ行くならと、一緒についてきたがる人々に邪魔されるような具合になるのですが。今日は皆断ってこちらへ来ました」
と中将は言う。
「山籠もりへの羨望は、かえって当世流行りのお言葉のようにお聞きします。昔を忘れぬみ心は、世間の風潮に染まらぬ方と、並々ならずありがたく思います」
などと言う。
2021.4.11/ 2022.12.5/ 2023.11.8
53.17 浮舟の思い
人びとに水飯すいはんなどやうの物食はせ、君にも蓮の実などやうのもの出だしたれば、馴れにしあたりにて、さやうのこともつつみなき心地して、村雨の降り出づるに止められて、物語しめやかにしたまふ。
「言ふかひなくなりにし人よりも、この君の御心ばへなどの、いと思ふやうなりしを、よそのものに思ひなしたるなむ、いと悲しき。など、忘れ形見をだに留めたまはずなりにけむ」
と、恋ひ偲ぶ心なりければ、たまさかにかくものしたまへるにつけても、珍しくあはれにおぼゆべかめる問はず語りもし出でつべし。
姫君は、我は我と、思ひ出づる方多くて、眺め出だしたまへるさま、いとうつくし。白き単衣の、いと情けなくあざやぎたるに、袴も桧皮色ひはだいろにならひたるにや、光も見えず黒きを着せたてまつりたれば、「かかることどもも、見しには変はりてあやしうもあるかな」と思ひつつ、こはごはしういららぎたるものども着たまへるしも、いとをかしき姿なり。御前なる人びと、
「故姫君のおはしたる心地のみしはべりつるに、中将殿をさへ見たてまつれば、いとあはれにこそ。同じくは、昔のさまにておはしまさせばや。いとよき御あはひならむかし」
と言ひ合へるを、
「あな、いみじや。世にありて、いかにもいかにも、人に見えむこそ。それにつけてぞ昔のこと思ひ出でらるべき。さやうの筋は、思ひ絶えて忘れなむ」と思ふ。
人々に水飯すいはんなどを供し、君にも蓮の実などをだしたので、昔なじみなので、遠慮のいらない気がして、にわか雨に足止めされて、中将はしんみり話をする。
「あえなく死んでしまった娘よりも、この中将の性格がいかにも申し分ないので、もう他人と思うより他ないのを、悲しく思う。どうして忘れ形見の子を残してくれなかったのか」
恋しく忘れがたく思うので、たまに中将がこうしてお越しになるにつけ、珍しくあわれな話も自分から語ってしまいそうだった。
浮舟は、自分は自分で、思い出すことが多く、物思いにふけっている様子は、かわいらしい。白い単衣の、風情もないさっぱりしたのに、袴も桧皮色ひはだいろをいつも着けているからだろうか、つやもなく黒いので、「このような着物も、昔と違って、おもしろい」と思いつつも、こわごわした肌触りのよくない物を着ているのも、かえって風情があった。御前の人々は、
「故姫君が、よみがえったように思われるのに、中将さえお越しになっているので、たいそう感動的です。どうせのことなら昔のように婿君として通ってくだされば、お似合いですのに」
言い合っているのを、
「ああ、嫌なこと。この世でどうであれ契りを結ぶなんて。昔のことが思い出されて、その筋の男女のことは、さっぱりと忘れてしまいたい」と浮舟は思うのだった。
2021.4.12/ 2022.12.5/ 2023.11.8
53.18 中将、浮舟を垣間見る
尼君入りたまへる間に、客人、雨のけしきを見わづらひて、少将と言ひし人の声を聞き知りて、呼び寄せたまへり。
「昔見し人びとは、皆ここにものせらるらむや、と思ひながらも、かう参り来ることも難くなりにたるを、心浅きにや、誰れも誰れも見なしたまふらむ」
などのたまふ。仕うまつり馴れにし人にて、あはれなりし昔のことどもも思ひ出でたるついでに、
「かの廊のつま入りつるほど、風の騒がしかりつる紛れに、簾の隙より、なべてのさまにはあるまじかりつる人の、うち垂れ髪の見えつるは、世を背きたまへるあたりに、誰れぞとなむ見おどろかれつる」
とのたまふ。「姫君の立ち出でたまへるうしろでを、見たまへりけるなめり」と思ひ出でて、「ましてこまかに見せたらば、心止まりたまひなむかし。昔人は、いとこよなう劣りたまへりしをだに、まだ忘れがたくしたまふめるを」と、心一つに思ひて、
「過ぎにし御ことを忘れがたく、慰めかねたまふめりしほどに、おぼえぬ人を得たてまつりたまひて、明け暮れの 見物みものに思ひきこえたまふめるを、うちとけたまへる御ありさまを、いかで御覧じつらむ」
と言ふ。「かかることこそはありけれ」とをかしくて、「何人ならむ。げに、いとをかしかりつ」と、ほのかなりつるを、なかなか思ひ出づ。こまかに問へど、そのままにも言はず、
「おのづから聞こし召してむ」
とのみ言へば、うちつけに問ひ尋ねむも、さま悪しき心地して、
「雨も止みぬ。日も暮れぬべし」
と言ふにそそのかされて、出でたまふ。
妹尼君が奥へ入った間に、客人は雨の止まないのに帰りかねて、少将という女房の声を知っていたので、呼び寄せた。
「昔いた人たちは、今も皆この山里にいるのだろうか、と思いながらも、こうして久しくご無沙汰していると、薄情な奴と誰もが思っているでしょう」
などと、言うのだった。長く仕えた女房で、中将は、妻と睦び合った昔のことを思い出して、
「あの廊の西を入って来た時、風に吹かれて、簾の隙間から、並みの美しさではあるまいと思われる人の、長く後ろに垂れた髪が見えたが、世を背いた人々の住まいに、誰だろうと目を疑いました」
と言う。「浮舟の立った後姿を見たのだろう」と思って、「もっとよく見せたら、きっと気に入るに違いない。亡くなった姫君の容貌は、もっと劣っていたのに、まだ忘れがたく思っているのだから」と、少将は、ひとり決めして、
「尼君は、亡くなった娘を忘れがたく、慰めかねていましたところ、思わぬ人を得まして、明け暮れ 見物みものに思っておりますが、くつろいでいらっしゃるところを、どうしてご覧になれたのでしょう」
と言う。「こんなこともあるのだ」と興味を覚えて、「何人でしょうか。実に、美しい人だった」と垣間見ただけだったが、かえって印象に残った。細かく問うたが、少将は、詳しくは言わず、
「そのうちお耳に入るでしょう」
とだけ言うので、いきなり詮索するのも、ぶしつけな気がして、
「雨も止みました。日が暮れます」
と人々が言うのに促されて、帰った。
2021.4.12/ 2022.12.6/ 2023.11.9
53.19 中将、横川の僧都と語る
前近き女郎花を折りて、「何匂ふらむ」と口ずさびて、独りごち立てり。
人のもの言ひを、さすがに思しとがむるこそ
など、古代の人どもは、ものめでをしあへり。
「いときよげに、あらまほしくもねびまさりたまひにけるかな。同じくは、昔のやうにても見たてまつらばや」とて、
「藤中納言の御あたりには、絶えず通ひたまふやうなれど、心も止めたまはず、親の殿がちになむものしたまふ、とこそ言ふなれ」
と、尼君ものたまひて、
「心憂く、ものをのみ思し隔てたるなむ、いとつらき。今は、なほ、さるべきなめりと思しなして、晴れ晴れしくもてなしたまへ。この五年、六年、時の間も忘れず、恋しく悲しと思ひつる人の上も、かく見たてまつりて後よりは、こよなく思ひ忘られにてはべる。思ひきこえたまふべき人びと世におはすとも、今は世に亡きものにこそ、やうやう思しなりぬらめ。よろづのこと、さし当たりたるやうには、えしもあらぬわざになむ」
と言ふにつけても、いとど涙ぐみて、
「隔てきこゆる心は、はべらねど、あやしくて生き返りけるほどに、よろづのこと夢の世にたどられて。あらぬ世に生れたらむ人は、かかる心地やすらむ、とおぼえはべれば、今は、知るべき人世にあらむとも思ひ出でず。ひたみちにこそ、睦ましく思ひきこゆれ」
とのたまふさまも、げに、何心なくうつくしく、うち笑みてぞまもりゐたまへる。
中将は、山におはし着きて、僧都も珍しがりて、世の中の物語したまふ。その夜は泊りて、声尊き人に経など読ませて、夜一夜、遊びたまふ。禅師の君、こまかなる物語などするついでに、
「小野に立ち寄りて、ものあはれにもありしかな。世を捨てたれど、なほさばかりの心ばせある人は、難うこそ」
などあるついでに、
「風の吹き開けたりつる隙より、髪いと長くをかしげなる人こそ見えつれ。あらはなりとや思ひつらむ、立ちてあなたに入りつるうしろで、なべての人とは見えざりつ。さやうの所に、よき女は置きたるまじきものにこそあめれ。明け暮れ見るものは法師なり。おのづから目馴れておぼゆらむ。不便なることぞかし」
とのたまふ。禅師の君、
「この春、初瀬に詣でて、あやしくて見出でたる人となむ、聞きはべりし」
とて、見ぬことなれば、こまかには言はず。
「あはれなりけることかな。いかなる人にかあらむ。世の中を憂しとてぞ、さる所には隠れゐけむかし。昔物語の心地もするかな」
とのたまふ。
前裁の女郎花を折って、「女郎花が匂う」と口ずさむ。
「人の噂を気にされるのはさすがに奥ゆかしい」
などと古風な女房たちはほめるのだった。
「中将は、とてもきれいで、申し分なく立派になられた。昔のように婿として通ってきてほしいものです」と女房たちが言い合うと、
「藤中納言の姫君の所には、足しげく通っているようですが、あまり熱心ではないようです。親の邸に居ることが多い様です」
と妹尼君が言い、浮舟には、
「情けないことに、何ごとにもよそよそしくされているのが、つらいです。今はもう前世の定とおもって、明るく振舞ってください。この五年、六年は、束の間も忘れず、恋しく悲しく亡き娘を思っていましたが、あなたにお会いしてからは、それもすっかり忘れていました。あなたのことを案じる人々がいるとしても、亡くなってしまったと、今は思っておられるでしょう。どんなことでも、その当座の悲しみは自然に薄れるものです」
と言うにつけても涙ぐみ、
「隠し立てするつもりはありませんが、不思議に生き返りまして、すべてのことが、夢のように思われて別の世に生まれた人は、こんな気持ちがするものかと、思われますので、今は、親しい人がこの世にいても思い出せません。ひたすらお慕いしております」
と浮舟が返事をする様子も、実にかわいらしく、妹尼君は微笑んで見つめている。
中将は、山荘に着いて、僧都も珍しがって、世間話をする。その夜は泊まって、声のいい僧に経など読ませて、ひと晩過ごした。弟の禅師の君が、うちとけた話をするついでに、
「小野に立ち寄って、しみじみと感ずるところがありました。出家したのに、あれほどたしなみのある人は、そういません」
などと語るついでに、
「風が吹いて簾を揺らした隙に、髪の長い趣のある人が見えました。人目につくと思ったのでしょう、立ってあちらに行こうとした後ろ姿は、並みの人とは見えませんでした。あのような所に、品のある美しい女はいないでしょう。明け暮れ見るのは法師ばかりですから。いつの間にか馴れて染まってしまうものです」
と言う。禅師の君は、
「この春、初瀬に詣でて、不思議な経緯いきさつで見つけた人と聞いております」
とて、見ていないので、詳しいことは言わない。
「深いわけがありそうですね。どんな人なのでしょう。世を憂しと思って、宇治に隠れていたのでしょうか。昔話のようですね」
と中将は言う。
2021.14/ 2022.12.6/ 2023.11.9
53.20 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る
またの日、帰りたまふにも、「過ぎがたくなむ」とておはしたり。さるべき心づかひしたりければ、昔思ひ出でたる御まかなひの少将の尼なども、袖口さま異なれども、をかし。いとどいや目に、尼君はものしたまふ。物語のついでに、
「忍びたるさまにものしたまふらむは、誰れにか」
と問ひたまふ。わづらはしけれど、ほのかにも見つけてけるを、隠し顔ならむもあやしとて、
「忘れわびはべりて、いとど罪深うのみおぼえはべりつる慰めに、この月ごろ見たまふる人になむ。いかなるにか、いともの思ひしげきさまにて、世にありと人に知られむことを、苦しげに思ひてものせらるれば、かかる谷の底には誰れかは尋ね聞かむ、と思ひつつはべるを、いかでかは聞きあらはさせたまへらむ」
といらふ。
「うちつけ心ありて参り来むにだに、山深き道のかことは聞こえつべし。まして、思しよそふらむ方につけては、ことことに隔てたまふまじきことにこそは。いかなる筋に世を恨みたまふ人にか。慰めきこえばや」
など、ゆかしげにのたまふ。
出でたまふとて、畳紙に、
あだし野の風になびくな女郎花
我しめ結はむ道遠くとも

と書きて、少将の尼して入れたり。尼君も見たまひて、
「この御返り書かせたまへ。いと心にくきけつきたまへる人なれば、うしろめたくもあらじ」
とそそのかせば、
「いとあやしき手をば、いかでか」
とて、さらに聞きたまはねば、
「はしたなきことなり」
とて、尼君、
「聞こえさせつるやうに、世づかず、人に似ぬ人にてなむ。
移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花
憂き世を背く草の庵に

とあり。「こたみは、さもありぬべし」と、思ひ許して帰りぬ。
翌日、帰りのとき、「通り過ぎ難く」立ち寄った。そうもあろうと気を配っていたので、昔を思い出して給仕していた少将の尼も、袖口は違って鈍色だが、風情があった。尼君は涙ぐんだ目でいらっしゃる。話のついでに、
「世を忍んでこちらにおられる方は、誰ですか」
と中将は問うた。厄介だと思ったが、ふと目にされたのを、隠すのも変だと思い、
「亡き娘が忘れられず、その執着が罪深く覚えて慰めのために、この幾月か世話をしております。どうしたわけか悩みごとが多いらしく、世に生きていると知られるのを、苦し気に避けていますので、こんな谷底に誰が来よう、と思っておりましたが、どうしてお知りになりましたか」
と答える。
「思いつきで参ったように思われましょうが、山深い道を尋ねるわけがあります。まして、亡き方を思って世話しているのなら、全く関係ないこともないでしょう。どうして世を恨んでいるのか。慰めたい」
事情を知りたそうに言う。
帰り際に、懐中の紙を取り出して、
(中将)「世間の風に咲く女郎花よ
道は遠くともしめを結ってわたしのものにしたい」
と書いて、少将の尼に託して奥に入れた。尼君もご覧になって、
「ご返事を書いてください。とても奥ゆかしい人ですから、心配いりません」
と勧めると、
「とても下手な字ですから、書けません」
と浮舟は言って、承知しないので、
「失礼になりますよ」
とて、尼君、
「先ほど申し上げましたように、一風変わった人ですから。
(尼君)女郎花を引き取って困っているのでしょう
憂き世に背く草の庵ですから」
とあった。「今回は、仕方あるまい」と、思って中将は帰った。
2021.4.15/ 2022.12.7/ 2023.11.10
53.21 中将、三度山荘を訪問
文などわざとやらむは、さすがにうひうひしう、ほのかに見しさまは忘れず、もの思ふらむ筋、何ごとと知らねど、あはれなれば、八月十余日のほどに、小鷹狩のついでにおはしたり。例の、尼呼び出でて、
「一目見しより、静心なくてなむ」
とのたまへり。いらへたまふべくもあらねば、尼君、
待乳まつちの山、となむ見たまふる」
と言ひ出だしたまふ。対面したまへるにも、
「心苦しきさまにてものしたまふと聞きはべりし人の御上なむ、残りゆかしくはべりつる。何事も心にかなはぬ心地のみしはべれば、山住みもしはべらまほしき心ありながら、ゆるいたまふまじき人びとに思ひ障りてなむ過ぐしはべる。世に心地よげなる人の上は、かく屈じしたる人の心からにや、ふさはしからずなむ。もの思ひたまふらむ人に、思ふことを聞こえばや」
など、いと心とどめたるさまに語らひたまふ。
心地よげならぬ御願ひは、聞こえ交はしたまはむに、つきなからぬさまになむ見えはべれど、例の人にてはあらじと、いとうたたあるまで世を恨みたまふめれば。残りすくなき齢どもだに、今はと背きはべる時は、いともの心細くおぼえはべりしものを。世をこめたる盛りには、つひにいかがとなむ、見たまへはべる」
と、親がりて言ふ。入りても、
「情けなし。なほ、いささかにても聞こえたまへ。かかる御住まひは、すずろなることも、あはれ知るこそ世の常のことなれ」
など、こしらへても言へど、
「人にもの聞こゆらむ方も知らず、何事もいふかひなくのみこそ」
と、いとつれなくて臥したまへり。
客人は、
「いづら。あな、心憂。秋を契れるは、すかしたまふにこそありけれ」
など、恨みつつ、
松虫の声を訪ねて来つれども
また萩原の露に惑ひぬ

「あな、いとほし。これをだに」
など責むれば、さやうに世づいたらむこと言ひ出でむもいと心憂く、また、言ひそめては、かやうの折々に責められむも、むつかしうおぼゆれば、いらへをだにしたまはねば、あまりいふかひなく思ひあへり。尼君、早うは今めきたる人にぞありける名残なるべし。
秋の野の露分け来たる狩衣
葎茂れる宿にかこつな

となむ、わづらはしがりきこえたまふめる」
と言ふを、内にも、なほ「かく心より外に世にありと知られ始むるを、いと苦し」と思す心のうちをば知らで、男君をも飽かず思ひ出でつつ、恋ひわたる人びとなれば、
かく、はかなきついでにも、うち語らひきこえたまはむに、心より外に、よにうしろめたくは見えたまはぬものを。世の常なる筋には思しかけずとも、情けなからぬほどに、御いらへばかりは聞こえたまへかし
など、ひき動かしつべく言ふ。
文をわざわざ遣るのは、さすがに気がひけるし、垣間見た様子が忘れられず、姫が何を悩んでいるのか知らないが、気になるので、八月十余日のころ、小鷹狩りのついでに寄った。例の少将尼を呼び出し、
「ひと目見たときから、気もそぞろで」
と言う。浮舟が返事するはずもないので、妹尼君は、
「誰を待つのか、女郎花でしょうか」
と言い出すのであった。対面して中将は、
「お気の毒な人とお聞きしている人の身の上について、なお詳しく伺いしたい。憂き世は、何につけても望み通りにならない心地がして、出家して山里に籠りたいと思いながら、出家を許さない人々に気兼ねして過ごしています。世に心地よく生きている人には、この鬱屈した気持ちは、わからないでしょう。物思いする人に、わたしの思いを話したいのです」
などと思い詰めたように話す。
「物思う人を得たいと思うのは、お互いに話しも合うでしょうし、お似合いのようだけれど、出家したいと願うほど、世を憂しと思い込んでいるので、余命いくばくもないわたしでも、出家するときは心細かったです。若い女の身では、終いまで出家を通せるかどうか、心配しております」
と妹尼君は、親めいて言う。奥に入っても、
「つれないですね。どうか少しでもご返事しなさい。わび住まいでは、何でもないことでも、あわれを知ることが世の常ですよ」
などとなだめすかすが、
「男の方に物の言い方を知りません。何もできないのです」
と、その気を見せず臥している。
客人は、
「どうされたか。ああ、情けない。秋に契ると、わたしを騙した」
などと、恨み言を言って、
(中将)「尼君がわたしを待っていると思って来たけれど、
萩原のつれない方に涙しました」
「まあ、おいたわしい。この返歌だけでも」
などと責めるが、そのような色恋めいた歌を詠むのも嫌で、また一度返したら、このような折にまた求められるのも面倒なので、返事もしないのを、女房たちは張り合いがないと皆思った。尼君は、出家前は当世風の人だったので若い頃の名残りだろう。
(妹尼君)「秋の野の露を分けて狩衣が濡れたといって
葎の茂る宿のせいにしないでください
と、迷惑に思っているようです」
と言うが、部屋の中でも、やはり「不本意にも世に生きているのを知られのがつらい」と思っている浮舟の心中を知らずに、婿殿をまだ恋しく思っている人たちなので、
「こんなちょっとした折に、親しく相手をされても、油断のならぬ振舞いをされる方ではないのに。男女のことでなくても、失礼にならぬように、お返事はさし上げてください」
などと、尼君はゆすって言うのだった。
2021.4.15/ 2022.12.8/ 2023.11.10
53.22 尼君、中将を引き留める 〇 almost limited
さすがに、かかる古代の心どもにはありつかず、今めきつつ、腰折れ歌好ましげに、若やぐけしきどもは、いとうしろめたうおぼゆ。
「限りなく憂き身なりけり、と見果ててし命さへ、あさましう長くて、いかなるさまにさすらふべきならむ。ひたぶるに亡き者と人に見聞き捨てられてもやみなばや」
と思ひ臥したまへるに、中将は、おほかたもの思はしきことのあるにや。いといたううち嘆き、忍びやかに笛を吹き鳴らして、
「鹿の鳴く音に」
など独りごつけはひ、まことに心地なくはあるまじ。
「過ぎにし方の思ひ出でらるるにも、なかなか心尽くしに、今はじめてあはれと思すべき人はた、難げなれば、 見えぬ山路にもえ思ひなすまじうなむ
と、恨めしげにて出でなむとするに、尼君、
「など、あたら夜を御覧じさしつる」
とて、ゐざり出でたまへり。
「何か。遠方なる里も、試みはべれば」
など言ひすさみて、「いたう好きがましからむも、さすがに便なし。いとほのかに見えしさまの、目止まりしばかり、つれづれなる心慰めに思ひ出づるを、あまりもて離れ、奥深なるけはひも所のさまにあはずすさまじ」と思へば、帰りなむとするを、笛の音さへ飽かず、いとどおぼえて、
深き夜の月をあはれと見ぬ人や
山の端近き宿に泊らぬ

と、なまかたはなることを、
「かくなむ、聞こえたまふ」
と言ふに、心ときめきして、
山の端に入るまで月を眺め見む
閨の板間もしるしありやと

など言ふに、この大尼君、笛の音をほのかに聞きつけたりければ、さすがにめでて出で来たり。
ここかしこうちしはぶき、あさましきわななき声にて、なかなか昔のことなどもかけて言はず。誰れとも思ひ分かぬなるべし。
「いで、その琴の琴弾きたまへ。横笛は、月にはいとをかしきものぞかし。いづら、御達。琴とりて参れ」
と言ふに、それなめりと、推し量りに聞けど、「いかなる所に、かかる人、いかで籠もりゐたらむ。定めなき世ぞ」、これにつけてあはれなる。盤渉調をいとをかしう吹きて、
「いづら、さらば」
とのたまふ。
娘尼君、これもよきほどの好き者にて、
「昔聞きはべりしよりも、こよなくおぼえはべるは、山風をのみ聞き馴れはべりにける耳からにや」とて、「いでや、これもひがことになりてはべらむ」
と言ひながら弾く。今様は、をさをさなべての人の、今は好まずなりゆくものなれば、なかなか珍しくあはれに聞こゆ。松風もいとよくもてはやす。吹きて合はせたる笛の音に、月もかよひて澄める心地すれば、いよいよめでられて、宵惑ひもせず、起き居たり。
さすがに、このような古風な心配りではなく、当世風に、下手な歌を詠み、はしゃぐ女房たちもいて、浮舟には気がかりだった。
「限りない憂き身と、見切りをつけたこの命でさえ、いつまで生きて、どんな境遇になるだろう。全く死んだと世間から見捨てられて終わりたい」
と浮舟が思いながら伏していると、中将は、元来、何か思い悩むことがあるのだろう。深いため息をついて、忍びやかに笛を吹き鳴らして、
「鹿の鳴く音に」
などと口ずさむ様子は、思慮の浅い人ではなさそうだ。
「昔の妻のことを思い出せば、かえって悲しみの種になるし、今新たに思いを寄せる人はつれなくて、ここが世の憂さのない山路とも思えない」
と恨めし気に帰ろうとするのを、尼君は、
「どうして、せっかくの良夜をご覧にならずに」
とて、いざり出でれば、
「いえ、何、あちらの気持ちもわかりましたので」
と中将は軽く言って、「あまり好色がましくするのも、具合が悪い。ちらりと垣間見て、目が止まって、つれづれの慰めに思って来たが、姫があまりによそよそしく、奥に引き籠っているのも、場所柄には相応しくない」と思って、帰ろうとするので、笛の音さえとても名残りおしく覚えて、
(妹尼)「夜も更けて月をあわれと見ない人は、
山の端のこの宿には泊まらないのかしら」
とうまくもない歌を、
「こう言ってますよ」
と浮舟にかこつけると、中将は心ときめいて、
(中将)「山の端に入るまで月を眺めましょう
月影のようにわたしも閨に入れるように」
などと言うと、母尼君が、笛の音をかすかに聞きつけて、ぼけながらも愛でて出てくる。
物を言うたびに咳を交えて、ひどい震え声で話すが、かえって昔のことは言わない。中将も誰か分からないらしい。
「さあ、その琴を弾いてご覧。横笛は月に似合います。どうしました。お前がた、琴を持って参れ」
と言うのは母尼君らしい、中将は聞いて察するが、「こんなところに、こんな老人が、住んでいる。定めなき世だ」、それで、盤渉調を風情ある調子で吹いて、
「さあ、それでは」
と中将が言う。
娘の尼君も、そうとうな趣味人で、
「昔聞いたのより、よい趣があります。山風ばかり聞きなれている耳せいなのかな」と言って、「さあ、わたしのはどんなものか、ひどいでしょう」
と言いながら弾く。今は、一般の人は、好まないので、かえって珍しくあわれを感じる。松風も琴を引き立てる。吹き合わせた琴の音に、月も感じて澄み渡るような気がして、大尼君はますます感じ入って、宵に眠くならず、起きていた。]
2021.4.16/ 2022.12.8/ 2023.11.10
53.23 母尼君、琴を弾く
「女は、昔は、東琴をこそは、こともなく弾きはべりしかど、今の世には、変はりにたるにやあらむ。この僧都の、『聞きにくし。念仏より他のあだわざなせそ』とはしたなめられしかば、何かは、とて弾きはべらぬなり。さるは、いとよく鳴る琴もはべり」
と言ひ続けて、いと弾かまほしと思ひたれば、いと忍びやかにうち笑ひて、
「いとあやしきことをも制しきこえたまひける僧都かな。極楽といふなる所には、菩薩なども皆かかることをして、天人なども舞ひ遊ぶこそ尊かなれ。行ひ紛れ、罪得べきことかは。今宵聞きはべらばや」
とすかせば、「いとよし」と思ひて、
「いで、主殿のくそ、東取りて」
と言ふにも、しはぶきは絶えず。人びとは、見苦しと思へど、僧都をさへ、恨めしげにうれへて言ひ聞かすれば、いとほしくてまかせたり。取り寄せて、ただ今の笛の音をも訪ねず、ただおのが心をやりて、東の調べを爪さはやかに調ぶ。皆異ものは声を止めつるを、「これをのみめでたる」と思ひて、
「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」
など、掻き返し、はやりかに弾きたる、言葉ども、わりなく古めきたり。
「いとをかしう、今の世に聞こえぬ言葉こそは、弾きたまひけれ」
と褒むれば、耳ほのぼのしく、かたはらなる人に問ひ聞きて、
「今様の若き人は、かやうなることをぞ好まれざりける。ここに月ごろものしたまふめる姫君、容貌いとけうらにものしたまふめれど、もはら、かやうなるあだわざなどしたまはず、埋れてなむ、ものしたまふめる」
と、我かしこにうちあざ笑ひて語るを、尼君などは、かたはらいたしと思す。
「わたしは昔は、東琴が得意だったけれど、今の世は弾き方も変わったのでしょう。僧都が、『聞きにくいです。念仏より他のことはしないでください』とたしなめられたので、弾くのは止めました。それでも、よく鳴る琴もあるのですよ」
と言って、自分で弾きたそうにしているので、中将はひそかに微笑んで、
「おかしなことを僧都が言ったものですね。極楽という所は、菩薩などが皆こういう遊びをして、天人なども舞って遊んでいるのが尊いのです。勤行を怠って、罪になるのでしょうか。今宵は聞いてみたい」
と勧めるので、「それでは」と思って、
「さあ、主殿とのもりさん、東琴を持ってきてくだされ」
と言うのも咳き込んでいる。人々は見苦しいと思ったが、僧都のことさえ持ち出して、恨めし気に言い出すので、お気の毒に思ってするに任せた。琴を取り寄せて、今、中将の吹いていた曲も気にせず、自分の弾きたいように琴を鳴らした。他の楽器は止って、「琴だけを愛でている」と思い込んでいて、
「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」
などと、急な調子で弾く、その文句はどうしようもなく古めかしい。
「いやあ、趣がありますね。今ではあまり聞かぬ言葉ですね」
とほめると、耳も遠くなっているので、側にいる女房に問うて確かめ、
「今の若い人は、こういう文句は好まないでしょう。ここにだいぶ前からいる姫君は、容貌はたいそう美しいが、このようなつまらぬ遊びはしないで、ひっそりと何もしていない」
と自分ひとりが偉そうに笑って言うので、妹尼君などは、はらはらしている。
2021.4.17/ 2023.11.10
53.24 翌朝、中将から和歌が贈られる
これに事皆醒めて、帰りたまふほども、山おろし吹きて、聞こえ来る笛の音、いとをかしう聞こえて、起き明かしたる翌朝、
「昨夜は、かたがた心乱れはべりしかば、急ぎまかではべりし。
忘られぬ昔のことも笛竹の
つらきふしにも音ぞ泣かれける

なほ、すこし思し知るばかり教へなさせたまへ。忍ばれぬべくは、好き好きしきまでも、何かは」
とあるを、いとどわびたるは、涙とどめがたげなるけしきにて、書きたまふ。
笛の音に昔のことも偲ばれて
帰りしほども袖ぞ濡れにし

あやしう、もの思ひ知らぬにや、とまで見はべるありさまは、老い人の問はず語りに、聞こし召しけむかし」
とあり。珍しからぬも見所なき心地して、うち置かれけむ。
荻の葉に劣らぬほどほどに訪れわたる、「いとむつかしうもあるかな。人の心はあながちなるものなりけり」と見知りにし折々も、やうやう思ひ出づるままに、
「なほ、かかる筋のこと、人にも思ひ放たすべきさまに、疾くなしたまひてよ」
とて、経習ひて読みたまふ。心の内にも念じたまへり。かくよろづにつけて世の中を思ひ捨つれば、「若き人とてをかしやかなることもことになく、結ぼほれたる本性なめり」と思ふ。容貌の見るかひあり、うつくしきに、よろづの咎見許して、明け暮れの見物にしたり。すこしうち笑ひたまふ折は、珍しくめでたきものに思へり。
これに皆興ざめになって、帰る道すがら、山おろしが吹いて、中将が吹く笛の音が、趣があって、尼君たちが起き明かした翌朝、文があり、
「昨夜は、あれこれ心が乱れましたので、急ぎ退出しました。
忘れられない妻のことも、あの方のつれない仕打ちにも、
声を上げて泣きました
何とか人の情けが分かるように教えてやってください。我慢できることでしたら、好色がましいことを何で言いましょう」
とあるので、ますます困って、涙が止めなく流れる気がして、返事を書くのだった。
(妹尼)「笛の音に昔のことが思い出されて
お帰りになったあとも涙で袖が濡れました
不思議なほどに、浮舟が物の情けも知らない、と見える様子は、老母君がそれとなく言う通りでしょう」
とあった。つまらない気がして、すぐ下に置いたことだろう。
萩の葉に吹く秋風のように絶えず来る文に、「何とも煩わしい。男の心というものはむやみといちずなものだ」と浮舟は思い知った折々のこともようやく思い出して、
「どうか、色恋のことを,人にも諦めさせるように、早く出家させてください」
と浮舟は思って、経を習い読んでみる。心の中でも念じる。このように何につけても世の中に無関心なので、「若い女らしく華やかなところもなく、陰に籠った性格なのだろう」と妹尼君は思う。顔立ちはほれぼれするほど可愛らしく、よろずの欠点を許しても、明け暮れ見物にしていた。少し笑ったりするときは、うれしく思うのであった。
2021.4.18/ 2023.11.10
53.25 九月、尼君、再度初瀬に詣でる
九月になりて、この尼君、初瀬に詣づ。年ごろいと心細き身に、恋しき人の上も思ひやまれざりしを、かくあらぬ人ともおぼえたまはぬ慰めを得たれば、観音の御験うれしとて、返り申しだちて、詣でたまふなりけり。
「いざ、たまへ。人やは知らむとする。同じ仏なれど、さやうの所に行ひたるなむ、験ありてよき例多かる」
と言ひて、そそのかしたつれど、「昔、母君、乳母などの、かやうに言ひ知らせつつ、たびたび詣でさせしを、かひなきにこそあめれ。命さへ心にかなはず、たぐひなきいみじきめを見るは」と、いと心憂きうちにも、「知らぬ人に具して、さる道のありきをしたらむよ」と、そら恐ろしくおぼゆ。
心こはきさまには言ひもなさで、
「心地のいと悪しうのみはべれば、さやうならむ道のほどにもいかがなど、つつましうなむ」
とのたまふ。「物懼ぢはさもしたまふべき人ぞかし」と思ひて、しひても誘はず。
はかなくて世に古川の憂き瀬には
尋ねも行かじ二本の杉

と手習に混じりたるを、尼君見つけて、
「二本は、またも逢ひきこえむと思ひたまふ人あるべし」
と、戯れごとを言ひ当てたるに、胸つぶれて、面赤めたまへる、いと愛敬づきうつくしげなり。
古川の杉のもとだち知らねども
過ぎにし人によそへてぞ見る

ことなることなきいらへを口疾く言ふ。忍びて、と言へど、皆人慕ひつつ、ここには人少なにておはせむを心苦しがりて、心ばせある少将の尼、左衛門とてある大人しき人、童ばかりぞ留めたりける。
九月になって、この妹尼君は、初瀬に詣でた。年頃、心細く過ごしていて、亡き娘を思いやって、このように別人とも思えない慰めを得たので、観音の霊験がうれしく、お礼参りの積りで、詣でることを思い立った。
「さあ、ご一緒に詣でましょう。誰も知る人はおりますまい。あのような所で勤行すれば、霊験があって良いことが多くあります」
と言って、勧めるが、「昔、母君、乳母などが、そのように勧めて、たびたび詣でましたが、何の効き目もありませんでした。死ぬことも思うにまかせず、ひどい悲しい目を見ているので」と、浮舟はとても心憂く、「知らぬ人と一緒に、遠い道中を旅したらどうなるのか」と、空恐ろしく思った。
強情に同行を拒む言い方はしないで、
「気分がたいそう悪いので、そのような遠い道のりはどうなりますか、心配です」
と言うのだった。「そんなふうに恐がるのももっともだ」と思って、強いて誘わなかった。
(浮舟)「はかなく世を過ごしているわたしには
初瀬の古川に立つ二本の杉を尋ねて行く気になれません」
と手習いに書いてあるのを、尼君が見つけて、
「二本とは、再び逢いたい人がいるのだろう」
と戯れに言い当てたので、浮舟は胸がつぶれて、面赤めている様子は、たいそう愛敬があって美しい。
(妹尼)「あなたの昔の経緯は知りませんが
亡くなった娘の代わりと思っています」
別段のこともない歌をすぐ返した。小人数で行こうと思っていたが、皆お供したがったので、残る人が少なくなるので、気の利いた少将の尼、左衛門という年輩の女房につけて、童たちを留守にした。
2021.4.19/ 2023.11.10
53.26 浮舟、少将の尼と碁を打つ
皆出で立ちけるを眺め出でて、あさましきことを思ひながらも、「今はいかがせむ」と、「頼もし人に思ふ人一人ものしたまはぬは、心細くもあるかな」と、いとつれづれなるに、中将の御文あり。
「御覧ぜよ」と言へど、聞きも入れたまはず。いとど人も見えず、つれづれと来し方行く先を思ひ屈じたまふ。
「苦しきまでも眺めさせたまふかな。御碁を打たせたまへ」
と言ふ。
「いとあやしうこそはありしか」
とはのたまへど、打たむと思したれば、盤取りにやりて、我はと思ひて先ぜさせたてまつりたるに、いとこよなければ、また手直して打つ。
「尼上疾う帰らせたまはなむ。この御碁見せたてまつらむ。かの御碁ぞ、いと強かりし。僧都の君、早うよりいみじう好ませたまひて、けしうはあらずと思したりしを、いと棋聖大徳になりて、『さし出でてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし』と聞こえたまひしに、つひに僧都なむ二つ負けたまひし。棋聖が碁には勝らせたまふべきなめり。あな、いみじ」
と興ずれば、さだ過ぎたる尼額の見つかぬに、もの好みするに、「むつかしきこともしそめてけるかな」と思ひて、「心地悪し」とて臥したまひぬ。
「時々、晴れ晴れしうもてなしておはしませ。あたら御身を。いみじう沈みてもてなさせたまふこそ口惜しう、玉に瑕あらむ心地しはべれ」
と言ふ。夕暮の風の音もあはれなるに、思ひ出づることも多くて、
心には秋の夕べを分かねども
眺むる袖に露ぞ乱るる
皆が出立するのを見送って、情けない身の上だと思いながら、「今さらどうしようもない」と、「頼みとしてる人がいないので、心細く思いながら」、所在なくしていると、中将の文があった。
「ご覧になってください」と少将が言うが、聞いてもいない。人も少なく、所在なく来し方行く末を思ってふさぎ込んでいる。
「ひどく物思いに沈んでいらっしゃいますね。碁を打ちませんか」
と少将が言う。
「とても下手なのですが」
と言うと、打つ気になったので、盤を取りにやり、少将は自分が強いだろうと思い先に打たせたが、とても強いので、次は先手を替えて打つ。
「尼君が早く帰ってきてほしい。この碁を見せてあげたい。尼君は、大変お強いです。僧都の君は、以前から碁が好きで、下手ではないと思っていたが、棋聖大徳を気取って、『進んで打つのではありませんが、あなたには負けませんよ』と言っていましたが、僧都は妹尼君に二番負けました。棋聖大徳に勝ったのだから。尼君はとてもお強いでしょう」
と興じて、年老いて尼額の見苦しく、おもしろがるので、「厄介なことに手を出してしまった」と思ったので、「気分が悪い」と言って、伏してしまった。
「時々は、陽気に振舞ってくださいませ。せっかくの若さで、物思いに沈んでいては残念です、玉に瑕の心地がします」
と言う。夕暮れの風の音もしるく、思い出すことも多くて、
(浮舟)「わたしには秋の夕べの風情は分からないが
もの思いにふけっていると何故か袖が涙で濡れています」
2021.4.19/ 2023.11.10
53.27 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む
月さし出でてをかしきほどに、昼文ありつる中将おはしたり。「あな、うたて。こは、なにぞ」とおぼえたまへば、奥深く入りたまふを、
「さも、あまりにもおはしますものかな。御心ざしのほども、あはれまさる折にこそはべるめれ。ほのかにも、聞こえたまはむことも聞かせたまへ。しみつかむことのやうに思し召したるこそ」
など言ふに、いとはしたなくおぼゆ。おはせぬよしを言へど、昼の使の、一所など問ひ聞きたるなるべし、いと言多く怨みて、
「御声も聞きはべらじ。ただ、気近くて聞こえむことを、聞きにくしともいかにとも、思しことわれ」
と、よろづに言ひわびて、
「いと心憂く。所につけてこそ、もののあはれもまされ。あまりかかるは」
など、あはめつつ、
山里の秋の夜深きあはれをも
もの思ふ人は思ひこそ知れ

おのづから御心も通ひぬべきを」
などあれば、
「尼君おはせで、紛らはしきこゆべき人もはべらず。いと世づかぬやうならむ」
と責むれば、
憂きものと思ひも知らで過ぐす身を
もの思ふ人と人は知りけり

わざといらへともなきを、聞きて伝へきこゆれば、いとあはれと思ひて、
「なほ、ただいささか出でたまへ、と聞こえ動かせ」
と、この人びとをわりなきまで恨みたまふ。
「あやしきまで、つれなくぞ見えたまふや」
とて、入りて見れば、例はかりそめにもさしのぞきたまはぬ老い人の御方に入りたまひにけり。あさましう思ひて、「かくなむ」と聞こゆれば、
「かかる所に眺めたまふらむ心の内のあはれに、おほかたのありさまなども、情けなかるまじき人の、いとあまり思ひ知らぬ人よりも、けにもてなしたまふめるこそ。それ物懲りしたまへるか。なほ、いかなるさまに世を恨みて、いつまでおはすべき人ぞ」
など、ありさま問ひて、いとゆかしげにのみ思いたれど、こまかなることは、いかでかは言ひ聞かせむ。ただ、
「知りきこえたまふべき人の、年ごろは、疎々しきやうにて過ぐしたまひしを、初瀬に詣であひたまひて、尋ねきこえたまひつる」
とぞ言ふ。
月が出て趣ある夕べ、昼文を遣った中将が来た。「まあ、嫌な、何としたことか」と浮舟が気がついて、奥深く入ってしまったのを、
「ほんとうに、あまりにもなさりようです。中将のみ心のほども、あわれが深い折に来られたのです。少しでも仰ることをお聞きになったらどうですか。それだけで深い仲になってしまうと思っているのですか」
などと言っているのを聞くと、不安になる。不在の旨を言うが、昼の文使いから、浮舟が一人でいるのを聞いていたので、中将は言葉多く、
「お返事もいりません。ただ近くで申し上げているのを、聞きにくいとも何とでも、思ってください」
と、あれこれ説得に困って、
「何と、あきれた。場所柄、もののあわれも勝るものを。これはひどいな」
などと、なじりながら、
(中将)「山里の秋の夜更けのあわれさは
もの思う人なら分かるはずです
自ずとこちらの気持ちも通ずるはずですが」
などとあれば、
「尼君が不在ですので、気の利いた返事もできず、不調法な点お許しください」
と少将は詫びて、
「世の中を憂きものとも思わないで暮らしているこの身を
もの思う人と言われるのですね」
改まった返事ではなく、自ずと口にしたのを伝えると、あわれを感じて、
「どうか、少しでも出てください、と言ってください」
と、お供の人々を責めるのだった。
「あまりにもつれない仕打ちだ」
と思って、奥へ入ってみると、普段は仮にも覗たりしない母尼の部屋に入っている。あきれてしまって、「このような様子です」と中将に言うと、
「こんな所でもの思いに沈んでいる心の内があわれで、大方お見受けするところも情のない人ではないし、全く情の分からない人よりつれない仕打ちです。何かに懲りたのか。どうして世を怨んで、いつまでもそうしているのか」
などと、様子を問うが、中将は事情を知りた気だったけれど、細かなことは、どうして話ができよう。ただ、
「お世話するべき筋合いのお方ながら、年ごろ、疎遠にしていて、初瀬に詣でたときお会いして、お迎え申し上げたのです」
と少将は言う。
2021.4.20/ 2023.11.10
53.28 老尼君たちのいびき
姫君は、「いとむつかし」とのみ聞く老い人のあたりにうつぶし臥して、寝も寝られず。宵惑ひは、えもいはずおどろおどろしきいびきしつつ、前にも、うちすがひたる尼ども二人して、劣らじといびき合はせたり。いと恐ろしう、「今宵、この人びとにや食はれなむ」と思ふも、惜しからぬ身なれど、例の心弱さは、一つ橋危ふがりて帰り来たりけむ者のやうに、わびしくおぼゆ。
こもき、供に率ておはしつれど、色めきて、このめづらしき男の艶だちゐたる方に帰り去にけり。「今や来る、今や来る」と待ちゐたまへれど、いとはかなき頼もし人なりや。中将、言ひわづらひて帰りにければ、
「いと情けなく、埋れてもおはしますかな。あたら御容貌を」
などそしりて、皆一所に寝ぬ。
「夜中ばかりにやなりぬらむ」と思ふほどに、尼君しはぶきおぼほれて起きにたり。火影に、頭つきはいと白きに、黒きものをかづきて、この君の臥したまへる、あやしがりて、いたちとかいふなるものが、さるわざする、額に手を当てて、
「あやし。これは、誰れぞ」
と、執念げなる声にて見おこせたる、さらに、「ただ今食ひてむとする」とぞおぼゆる。鬼の取りもて来けむほどは、物のおぼえざりければ、なかなか心やすし。「いかさまにせむ」とおぼゆるむつかしさにも、「いみじきさまにて生き返り、人になりて、またありしいろいろの憂きことを思ひ乱れ、むつかしとも恐ろしとも、ものを思ふよ。死なましかば、これよりも恐ろしげなる者の中にこそはあらましか」と思ひやらる。
姫君は、「気味悪い」とのみ言われる老婆たちのあたりにうつ伏して、容易に寝られない。宵のうちから寝たがり恐ろしい鼾をかいて、年老いた尼が二人で、互いに劣らじと鼾をかき合うのだった。たいそう恐ろしく、「今夜は、この人たちに食われるのではないか」と思うのも、惜しくはない身だが、生来の気の弱さから、丸木橋が怖くて帰って来た者のように、侘しく思う。
童のこもきを、供に連れていたが、色気ずいて、この珍しい気取った男の方へ行って、「今来るか、今来るか」と待っていたが、頼りにならない付け人だ。中将は言い寄れないので根負けして帰ってしまったので、
「とても残念だ。引っ込み思案では。あの美しい容貌が」
などと悪口を言って帰った。皆同じ所に寝た。
「深夜ころだったか」と思われたが、母尼君が咳き込んで起きた。火影に頭は白髪なのに、黒いものをかぶって、浮舟が伏しているのを見付けると、怪しがって、いたちがするというような仕草で、寝ている浮舟の額に手を当てて、
「おや、誰だ」
としつこそうな声でこちらを見ているのは、ただもう、「今取って食おうとする」との気がする。鬼が自分をさらって来たのは覚えていないが、かえって不安もなかった。「今はどうするのだろう」と不気味に思い、「みじめな様に生き返り、人になって、もう一度昔のぶざまな嫌なことを思い出し、気味が悪いとも恐ろしいとも、思うのだった。死んでしまえば、これより恐ろしい者の中にいるのか」と思いやられるのだった。
2021.4.20/ 2023.11.10
53.29 浮舟、悲運のわが身を思う
† 昔よりのことを、まどろまれぬままに、常よりも思ひ続くるに、
「いと心憂く、親と聞こえけむ人の御容貌も見たてまつらず、遥かなる東を返る返る年月をゆきて、 たまさかに尋ね寄りて、うれし頼もしと思ひきこえし姉妹の御あたりをも、思はずにて絶え過ぎさる方に思ひ定めたまひし人につけて、やうやう身の憂さをも慰めつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば宮を、すこしもあはれと思ひきこえけむ心ぞ、いとけしからぬ。ただ、この人の御ゆかりにさすらへぬるぞ
と思へば、「小島の色をためしに契りたまひしを、などてをかしと思ひきこえけむ」と、こよなく飽きにたる心地す。初めより、薄きながらものどやかにものしたまひし人は、この折かの折など、思ひ出づるぞこよなかりける。「かくてこそありけれ」と、聞きつけられたてまつらむ恥づかしさは、人よりまさりぬべし。さすがに、「この世には、ありし御さまを、よそながらだにいつか見むずる、とうち思ふ、なほ、悪ろの心や。かくだに思はじ」など、心一つをかへさふ。
からうして鶏の鳴くを聞きて、いとうれし。「母の御声を聞きたらむは、ましていかならむ」と思ひ明かして、心地もいと悪し。供にて渡るべき人もとみに来ねば、なほ臥したまへるに、いびきの人は、いと疾く起きて、粥などむつかしきことどもをもてはやして、
「御前に、疾く聞こし召せ」
など寄り来て言へど、まかなひもいとど心づきなく、うたて見知らぬ心地して、
「悩ましくなむ」
と、ことなしびたまふを、しひて言ふもいとこちなし。
†昔のことを、眠れないままに、いつもより思い続けて、
「何と、情けない身の上か。父親がどんな人か知らず、遙かな東国を行き来して月日が経って、たまたまお会いした、うれしくも頼もしい姉とも縁が切れて、わたしをしかるべく処遇してくださるお方にも出会えて、ようやくこの身の不幸も報われようとした矢先に、何もかもめちゃめちゃにしてしまったのは、匂宮を少しでもあわれと思ったことが、すべてだったのだ。この方とのご縁のゆえにみじめな境遇に落ちたのだ」
と思えば、「橘の小島の常盤木の色に倣って、変わらぬ愛を誓ったのを、どうして素敵だと思ったのだろう」すっかり嫌気がさす心地がする。初めから、それほど深い心ではないにしても、気長に愛してくださった、その折々を、思い出すと、格別のものがあった。「こんな所にいます」と薫に知られるのはとても恥ずかしい。それでも「この世に生きていれば、在りし日の薫様の姿を見られるだろう、と思う。しかし、いけない。こんなことは思うまい」などひとり思い直す。
やっとのことで、鶏の鳴くのを聞いて、うれしくなった。「母の声を聞いたら、どんな気持ちだろう」と思い明かして、気分もよくない。お供の童も戻ってこないので、伏していると、いびきをかいていた老婆たちは、すでに起きていて、粥などうっとおしい朝の食膳を勧めて、
「早く召し上がって」
など寄って来て言うが、老人の給仕では気が進まず、嫌な見知らぬ気がして、
「気分が悪い」
と、それとなく断るのを、無理に勧めるのも気が利かない。
2021.4.21/ 2023.11.10
53.30 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る
下衆下衆しき法師ばらなどあまた来て、
「僧都、今日下りさせたまふべし」
「などにはかには」
と問ふなれば、
一品いっぽんの宮の、御もののけに悩ませたまひける、山の座主、御修法仕まつらせたまへど、なほ、僧都参らせたまはでは験なしとて、昨日、二度なむ召しはべりし。右大臣殿の四位少将、昨夜、夜更けてなむ登りおはしまして、后の宮の御文などはべりければ、下りさせたまふなり」
など、いとはなやかに言ひなす。「恥づかしうとも、会ひて、尼になしたまひてよ、と言はむ。さかしら人少なくて、よき折にこそ」と思へば、起きて、
「心地のいと悪しうのみはべるを、僧都の下りさせたまへらむに、忌むこと受けはべらむとなむ思ひはべるを、さやうに聞こえたまへ」
と語らひたまへば、ほけほけしう、うちうなづく。
例の方におはして、髪は尼君のみ削りたまふを、異人に手触れさせむもうたておぼゆるに、手づからはた、えせぬことなれば、ただすこし解き下して、親に今一度かうながらのさまを見えずなりなむこそ、人やりならず、いと悲しけれ。いたうわづらひしけにや、髪もすこし落ち細りたる心地すれど、何ばかりも衰へず、いと多くて、六尺ばかりなる末などぞ、いとうつくしかりける。筋なども、いとこまかにうつくしげなり。
「かかれとてしも」
と、独りごちゐたまへり。
暮れ方に、僧都ものしたまへり。南面払ひしつらひて、まろなる頭つき、行きちがひ騷ぎたるも、例に変はりて、いと恐ろしき心地す。母の御方に参りたまひて、
「いかにぞ、月ごろは」
など言ふ。
「東の御方は物詣でしたまひにきとか。このおはせし人は、なほものしたまふや」
など問ひたまふ。
「しか。ここにとまりてなむ。心地悪しとこそものしたまひて、忌むこと受けたてまつらむ、とのたまひつる」
と語る。
下臈の法師たちがたくさんやって来て、
「僧都が今日山を下ります」
「どうして急なことに」
と問うている。
「女一の宮が、物の怪に悩んでおられます、天台座主が修法しましたが、やはり、僧都でなければ験がないので、昨日、再度お召しがありました。右大臣殿の子息の四位少将が昨夜、夜更けに山に上って来て、后の宮の文を持参しましたので、山を下りたのです」
面目あり気に言う。「気がひけるが、会って、尼にしてください、とお願いしよう。うるさい人がいなくて、ちょうどいい折だ」と浮舟は思って、起きて、
「このところずっと気分が悪いのですが、僧都が山を下ります折に、五戒を受けたいと思いますので、そのようにお伝えください」
と語ると、母尼君はわけもわからずうなずく。
いつもの部屋に戻って、髪は妹尼君がいつもは漉くのだが、他の人にやってもらうのも嫌なので、自分では、できないことなので、少しだけ解きほぐし、親に今一度このような姿を見せることができないのは、自分のせいとはいえ、悲しい。いろいろ悩んだので、髪も少し少なくなった気がするが、少しも衰えず、豊かで、六尺ばかりの末など、たいそう美しい。毛筋などもつやつやして美しい。
「母は髪を剃るべしとて」
と独り言をいうのだった。
暮れ方に、僧都が立ち寄った。山里の南面をきれいに整えて、丸い頭が、行違って騒々しい。いつもと違って、恐ろしい心地がする。母尼君の処に参上して、
「この頃お加減はいかがですか」
などと言う。
「東の御方は物詣でに行かれたとか。ここにいた方はまだおいでなのでしょうか」
などと問う。
「はい、ここにいます。気分が悪いそうですが、僧都から五戒を受けたいと言っておられます」
と母尼君は語るのだった。
2021.4.22/ 2023.11.20
53.31 浮舟、僧都に出家を懇願
立ちてこなたにいまして、「ここにや、おはします」とて、几帳のもとについゐたまへば、つつましけれど、ゐざり寄りて、いらへしたまふ。
「不意にて見たてまつりそめてしも、さるべき昔の契りありけるにこそ、と思ひたまへて。御祈りなども、ねむごろに仕うまつりしを、法師は、そのこととなくて、御文聞こえ受けたまはむも便なければ、自然になむおろかなるやうになりはべりぬる。いとあやしきさまに、世を背きたまへる人の御あたり、いかでおはしますらむ」
とのたまふ。
「世の中にはべらじと思ひ立ちはべりし身の、いとあやしくて今まではべりつるを、心憂しと思ひはべるものから、よろづにせさせたまひける御心ばへをなむ、いふかひなき心地にも、思ひたまへ知らるるを、なほ、世づかずのみ、つひにえ止まるまじく思ひたまへらるるを、尼になさせたまひてよ。世の中にはべるとも、例の人にてながらふべくもはべらぬ身になむ」
と聞こえたまふ。
「まだ、いと行く先遠げなる御ほどに、いかでかひたみちにしかば、思し立たむ。かへりて罪あることなり。思ひ立ちて、心を起こしたまふほどは強く思せど、年月経れば、女の御身といふもの、いとたいだいしきものになむ」
とのたまへば、
「幼くはべりしほどより、ものをのみ思ふべきありさまにて、親なども、尼になしてや見まし、などなむ思ひのたまひし。まして、すこしもの思ひ知りて後は、例の人ざまならで、後の世をだに、と思ふ心深かりしを、亡くなるべきほどのやうやう近くなりはべるにや、心地のいと弱くのみなりはべるを、なほ、いかで」
とて、うち泣きつつのたまふ。
僧都は浮舟の部屋までやって来て、「こちらにおいででしょうか」とて、几帳のもとに座ったので、恥ずかしいけれど、にじり寄って、答える。
「思いがけずお会いしましたのも、そうした昔の定めがあるからだと思いまして、お祈りなども心をこめてやりましたのですが、法師は、格別の用事がなくて、文をやりとりする便もないので、自然にご無沙汰するようになっております。とても不似合いと思われますが、世に背いた尼たちの中で、いかがお過ごしですか」
と言う。
「この世に生きていますまいと思い立った身ですから、どうしたことか今まで生きていますのを、心憂く思い、あれこれと手を尽くされた御心は、至らぬわたくしでも、身にしみてありがたく思いますが、それでも、普通の人のようではなく、終にはこの世に生きてゆけないと思いますので、尼にさせてください。世の中に生きていても、普通の人のように長生きできません」
と浮舟は申し上げるのだった。
「まだ行き先長い若い身空で、どうして一途に決心されたのでしょう。かえって罪作りになりましょう。仏道に発心した当座は強い思いでしょうが、年月が経てば、女の身ですので、まことに不都合なこともありましょう」
と僧都が言えば、
「幼いときから、何かと苦労が多く、親なども、尼にして面倒を見よう、などとも思い言っておりました。まして、少し世間の事情が少し分かるようになってからは、普通の俗世の人のようではなく、後の世を思う心が深くなり、死期が近づいたら、気持ちが弱くなっていきますので、是非ともどうか」
と言って、泣きながら訴えるのであった。
2021.4.22/ 2023.11.10
53.32 浮舟、出家す
「あやしく、かかる容貌ありさまを、などて身をいとはしく思ひはじめたまひけむ。もののけもさこそ言ふなりしか」と思ひ合はするに、「さるやうこそはあらめ。今までも生きたるべき人かは。悪しきものの見つけそめたるに、いと恐ろしく危ふきことなり」と思して、
「とまれ、かくまれ、思し立ちてのたまふを、三宝のいとかしこく誉めたまふことなり。法師にて聞こえ返すべきことにあらず。御忌むことは、いとやすく授けたてまつるべきを、急なることにまかんでたれば、今宵、かの宮に参るべくはべり。明日よりや、御修法始まるべくはべらむ。七日果ててまかでむに、仕まつらむ」
とのたまへば、「かの尼君おはしなば、かならず言ひ妨げてむ」と、いと口惜しくて、
「乱り心地の悪しかりしほどに見たるやうにて、いと苦しうはべれば、重くならば、忌むことかひなくやはべらむ。なほ、今日はうれしき折とこそ思ひはべれ」
とて、いみじう泣きたまへば、聖心にいといとほしく思ひて、
「夜や更けはべりぬらむ。山より下りはべること、昔はことともおぼえたまはざりしを、年の生ふるままには、堪へがたくはべりければ、うち休みて内裏には参らむ、と思ひはべるを、しか思し急ぐことなれば、今日仕うまつりてむ」
とのたまふに、いとうれしくなりぬ。
鋏取りて、櫛の筥の蓋さし出でたれば、
「いづら、大徳たち。ここに」
と呼ぶ。初め見つけたてまつりし二人ながら供にありければ、呼び入れて、
「御髪下ろしたてまつれ」
と言ふ。げに、いみじかりし人の御ありさまなれば、「うつし人にては、世におはせむもうたてこそあらめ」と、この阿闍梨もことわりに思ふに、几帳の帷子のほころびより、御髪をかき出だしたまひつるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし、鋏をもてやすらひける。
「不思議なことだ、これほどの器量、容姿でありながら、どうしてわが身を厭わしく思ったのだろう。物の怪もそんなことを言っていた」と思い合わすと、「何か深い仔細があるのだろう。今まで生きているはずもない人だ。悪い霊が目をつけたのは、恐ろしく危ういことだ」と思って、
「事情はともあれ、決心されたのだから、三宝がほめることではある。法師が反対することではない。五戒を授けるのは、たやすいことだが、火急の用件で出て来たので、今宵は、かの宮に参上しなければならぬ。明日からは、修法が始まる。七日が過ぎてから、また来ます。それからやることにしましょう」
と僧都が言うと、浮舟は、「あの妹尼君が居ると、必ず出家を止めるだろう」と、残念に思い、
「以前気分がすぐれなかった時と同じように、苦しく感じるので、重くなったら、五戒を受けられなくなりそうです。やはり、今日こそ願ってもない日と思います」
と言って、激しく泣いたので、聖心にもかわいそうに思い、
「夜が更けました。山から下りるのは、昔は何でもなかったが、年を重ねると、堪えがたくなりましたので、一息して内裏に参ろうと思ってましたが、そのように思っていて、また急ぐのであれば、今日これからやることにしょう」
と僧都が言うので、浮舟はうれしくなった。
浮舟が、鋏を出して、櫛箱の蓋を几帳の外に出したので、
「さあ、お前たち、こちらへ」
と僧都が呼んだ。宇治で会った二人とも、供に来ていたので、呼び入れて、
「髪を下ろしなさい」
と言う。なるほど、あのようなひどい有様では、「俗の姿のままで世を過ごすのも危険だろう」と、この阿闍梨も当然と思って、几帳の隙間から、髪を掻き出したのだが、いかにも切るには惜しく美しかったので、しばし鋏をもってためらうのだった。
2021.4.23/ 2023.11.10
53.33 少将の尼、浮舟の出家に気も動転
かかるほど、少将の尼は、兄の阿闍梨の来たるに会ひて、下にゐたり。左衛門は、この私の知りたる人にあひしらふとて、かかる所にとりつけては、皆とりどりに、心寄せの人びとめづらしうて出で来たるに、はかなきことしける、見入れなどしけるほどに、こもき一人して、「かかることなむ」と少将の尼に告げたりければ、惑ひて来て見るに、わが御上の衣、袈裟などを、ことさらばかりとて着せたてまつりて、
「親の御方拝みたてまつりたまへ」
と言ふに、いづ方とも知らぬほどなむ、え忍びあへたまはで、泣きたまひにける。
「あな、あさましや。など、かく奥なきわざはせさせたまふ。上、帰りおはしては、いかなることをのたまはせむ」
と言へど、かばかりにしそめつるを、言ひ乱るもものしと思ひて、僧都諌めたまへば、寄りてもえ妨げず。
流転三界中るてんさんがいちゅう
など言ふにも、「断ち果ててしものを」と思ひ出づるも、さすがなりけり。御髪も削ぎわづらひて、
「のどやかに、尼君たちして、直させたまへ」
と言ふ。額は僧都ぞ削ぎたまふ。
「かかる御容貌やつしたまひて、悔いたまふな」
など、尊きことども説き聞かせたまふ。「とみにせさすべくもあらず、皆言ひ知らせたまへることを、うれしくもしつるかな」と、これのみぞ仏は生けるしるしありてとおぼえたまひける。
こうしている間、少将の尼は、兄の阿闍梨が来たので会っていて、自分の部屋にいた。年輩の女房の坐衛門は、自分たちの知り合いをもてなすべく、こうした寂しい所では、皆とりどりに、親しくしている人がきたら、簡単なもてなしをするので、あれこれ指図していると、こもきが来て、「こんなことになってます」と少将の尼に告げたので、驚いて来てみると、自分の上着、袈裟などを、仮に着せて、
「親の方向を向いて拝みなさい」
と僧都が言っているが、浮舟はどちらを向いていいのか分からず、堪えられず泣いていた。
「まあ、何ということを。どうしてこんな軽はずみなことを。妹尼君がお帰りになったら、何と言うでしょう」
と少将が言って、これほど進行中なのを、とやかく言われるのを制して、僧都が諫めたので、近づいて止めることもできない。
流転三界中るてんさんがいちゅう
などと唱えるのも、「自分は恩愛を断ってしまったのに」と思い出すのも、悲しい。髪も削ぎかねて、
「ゆっくり、尼君に直してもらいなさい」
と言う。額は僧都が削いだ。
「これほどのご器量を尼削ぎして、後悔なさるな」
などと、尊い教えを説き聞かせた。「すぐに許してもらえず、皆が反対する出家を、うれしくもすることができた」と浮舟は、これのみが生きている甲斐があったと思うのだった。
2021.4.24/ 2023.11.10
53.34 浮舟、手習に心を託す
皆人びと出で静まりぬ。夜の風の音に、この人びとは、
「心細き御住まひも、しばしのことぞ。今いとめでたくなりたまひなむ、と頼みきこえつる御身を、かくしなさせたまひて、残り多かる御世の末を、いかにせさせたまはむとするぞ。老い衰へたる人だに、今は限りと思ひ果てられて、いと悲しきわざにはべる」
と言ひ知らすれど、「なほ、ただ今は、心やすくうれし。世に経べきものとは、思ひかけずなりぬるこそは、いとめでたきことなれ」と、胸のあきたる心地ぞしたまひける。
翌朝は、さすがに人の許さぬことなれば、変はりたらむさま見えむもいと恥づかしく、髪の裾の、にはかにおぼとれたるやうに、しどけなくさへ削がれたるを、「むつかしきことども言はで、つくろはむ人もがな」と、何事につけても、つつましくて、暗うしなしておはす。思ふことを人に言ひ続けむ言の葉は、もとよりだにはかばかしからぬ身を、まいてなつかしうことわるべき人さへなければ、ただ硯に向かひて、思ひあまる折には、手習をのみ、たけきこととは、書きつけたまふ。
なきものに身をも人をも思ひつつ
捨ててし世をぞさらに捨てつる

今は、かくて限りつるぞかし」
と書きても、なほ、みづからいとあはれと見たまふ。
限りぞと思ひなりにし世の中を
返す返すも背きぬるかな
僧都の一行は、出立して、静かになった。夜風の音に、尼たちは、
「心細い住まいも、しばしのことだ。そのうち良縁に恵まれる、と期待された身が、こんな姿になってしまって、残り多い人生を、どうやって過ごしていくつもりなのだろう。老い衰えた人でも、これが最期という思いになって、とても悲しいことなのに」
と言い聞かすが、浮舟は「今は気が休まる気持ちだった。この世に生きていかなくてもいい、と思うとほんとにすばらしい」と胸の晴れる気がした。
翌朝は、さすがに反対を押し切って出家したので、変わった姿を見せるのも気がひけて、髪の裾の、急に広がったような感じで、不揃いで削がれているのを、「小言を言わずに、整えてくれる人がいないものか」と、何ごとにつけても気兼ねして、あたりを暗くするのだった。思うことを人にはっきり告げるのは、できない性分であったので、まして親しく話せる人がいないので、ただ硯に向かって、思い余るところを、歌のすさびに書くばかりが、精一杯であった。
(浮舟)「この世にないものとわが身も人も思ったが
出家して一度捨てた世をまた捨てたのだ
今はこうして一切を終わりにしたのだ」
と書いても、なお自ら悲しい思いでご覧になるのだった。
(浮舟)「これが最期と思った世の中を
また世に背いてしまった」
2021.4.25/ 2023.11.12
53.35 中将からの和歌に返歌す
同じ筋のことを、とかく書きすさびゐたまへるに、中将の御文あり。もの騒がしう呆れたる心地しあへるほどにて、「かかること」など言ひてけり。いとあへなしと思ひて、
「かかる心の深くありける人なりければ、はかなきいらへをもしそめじと、思ひ離るるなりけり。さてもあへなきわざかな。いとをかしく見えし髪のほどを、たしかに見せよと、一夜も語らひしかば、さるべからむ折に、と言ひしものを」
と、いと口惜しうて、立ち返り、
「聞こえむ方なきは、
岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に
乗り遅れじと急がるるかな

例ならず取りて見たまふ。もののあはれなる折に、今はと思ふもあはれなるものから、いかが思さるらむ、いとはかなきものの端に、
心こそ憂き世の岸を離るれど
行方も知らぬ海人の浮木を

と、例の、手習にしたまへるを、包みてたてまつる。
「書き写してだにこそ」
とのたまへど、
「なかなか書きそこなひはべりなむ」
とてやりつ。めづらしきにも、言ふ方なく悲しうなむおぼえける。
物詣での人帰りたまひて、思ひ騒ぎたまふこと、限りなし。
「かかる身にては、勧めきこえむこそは、と思ひなしはべれど、残り多かる御身を、いかで経たまはむとすらむ。おのれは、世にはべらむこと、今日、明日とも知りがたきに、いかでうしろやすく見たてまつらむと、よろづに思ひたまへてこそ、仏にも祈りきこえつれ」
と、伏しまろびつつ、いといみじげに思ひたまへるに、まことの親の、やがて骸もなきものと、思ひ惑ひたまひけむほど推し量るるぞ、まづいと悲しかりける。例の、いらへもせで背きゐたまへるさま、いと若くうつくしげなれば、「いとものはかなくぞおはしける御心なれ」と、泣く泣く御衣のことなど急ぎたまふ。
鈍色は手馴れにしことなれば、小袿、袈裟などしたり。ある人びとも、かかる色を縫ひ着せたてまつるにつけても、「いとおぼえず、うれしき山里の光と、明け暮れ見たてまつりつるものを、口惜しきわざかな」
と、あたらしがりつつ、僧都を恨み誹りけり。
同じような気持ちを、あれこれ書きすさんでいると、中将から文があった。尼たちは気が動転していたので、「こんなことがありました」などと告げた。中将は、がっかりして、
「こういうことを深く思っていたので、ちょっとした返事も出さないと、距離を置いていたのだ。それにしてもあっけないなあ。たいそう美しく見えた髪を、もっと見せよ、と先夜も頼んだところ、然るべき折に、と言っていたのに」
と口惜しく、折り返し、
「何とも申し上げようもないですが、
(中将)岸から離れた海女の小舟に
わたしも乗り遅れまいと急がれます」
浮舟はいつもと違って手に取って見る。出家の感慨にひたっていて、これで終わりと思うのも胸にしみて、 何を思ったのか、紙の端に、
(浮舟)「心だけは憂き世を離れましたが
行方も知らぬ海女の浮き木のようです」
と、あの手習をした紙に包んで出すのだった。
「せめて書き写してさし上げて」
と浮舟は頼むが、
「かえって書き損じますので」
とそのまま出した。初めての文を見て、言いようもなく悲しく思った。
物詣の人たちが帰って来て、悲しみ驚かれること、この上ない。
「出家の身としては、むしろ勧めるのが当然と思うが、若く残り多い人生を、どのように過ごすのか。わたしは世に生きているのも、今日とも明日とも知れぬ命だが、どうかして安心のできるようにしてやりたい、とあれこれ思って、仏にも祈りました」
と身をよじって、悲しんでいるのを見ると、まことの親が、骸もないまま、思い乱れた御心のほども、推し量られ、とても悲しい。いつものように、返事もせずに背を向けているのが、若く美しい娘なので、「ほんとうに考えもなくやってしまうお方なのですね」と泣く泣く衣の支度などを急ぐのだった。
鈍色の衣は、手馴れていたので、小袿、袈裟などを用意した。仕える尼たちもこのような色の衣を縫い着せるのも、「思いもしなかった、うれしい山里の光と、明け暮れ見ていたものを、口惜しい」
と、口惜しがって、僧都を恨むのだった。
2021.4.25/ 2023.11.13
53.36 僧都、女一宮に伺候
一品いっぽんの宮の御悩み、げに、かの弟子の言ひしもしるく、いちじるきことどもありて、おこたらせたまひにければ、いよいよいと尊きものに言ひののしる。名残も恐ろしとて、御修法延べさせたまへば、とみにもえ帰り入らでさぶらひたまふに、雨など降りてしめやかなる夜、召して、夜居にさぶらはせたまふ。
日ごろいたうさぶらひ極じたる人は、皆休みなどして、御前に人少なにて、近く起きたる人少なき折に、同じ御帳におはしまして、
「昔より頼ませたまふなかにも、このたびなむ、いよいよ、後の世もかくこそはと、頼もしきことまさりぬる」
などのたまはす。
「世の中に久しうはべるまじきさまに、仏なども教へたまへることどもはべるうちに、今年、来年、過ぐしがたきやうになむはべれば、仏を紛れなく念じつとめはべらむとて、深く籠もりはべるを、かかる仰せ言にて、まかり出ではべりにし」
など啓したまふ。
女一の宮の病気は、あの弟子が言った通り、すぐに効験があって、良くなったのだが、世間では僧都をいよいよ尊い方と誉めるのだった。物の怪の病後の動きも心配なので、修法を延して、すぐに山へ帰らなかったので、雨が降ってしめやかな夜、中宮が僧都を召して、 夜居をさせた。
日頃の看病で仕えていた女房たちは、休みをとって、御前に人は少なく、近くで起きている人も少ない折に、同じ御帳のなかで、
「昔から頼りにしていましたが、この度は、いよいよ後の世もこのように救ってくださると、思いが深まりました」
と中宮が仰る。
「この世に長く生きられないと、仏からも夢のお告げがありまして、今年、来年、と生きながらえて過ごし難くて、仏を一心に念じて勤めるべく、深く山に籠っていましたが、このような仰せがありまして、罷り出ました次第です」
などとご挨拶する。
2021.4.27/ 2023.11.13
53.37 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る
御もののけの執念きことを、さまざまに名のるが恐ろしきことなどのたまふついでに、
「いとあやしう、希有のことをなむ見たまへし。この三月に、年老いてはべる母の、願ありて初瀬に詣でてはべりし、帰さの中宿りに、宇治の院と言ひはべる所にまかり宿りしを、かくのごと、人住まで年経ぬる大きなる所は、よからぬものかならず通ひ住みて、重き病者のため悪しきことども、と思ひたまへしも、しるく」
とて、かの見つけたりしことどもを語りきこえたまふ。
「げに、いとめづらかなることかな」
とて、近くさぶらふ人びと皆寝入りたるを、恐ろしく思されて、おどろかさせたまふ。大将の語らひたまふ宰相の君しも、このことを聞きけり。おどろかさせたまふ人びとは、何とも聞かず。僧都、懼ぢさせたまへる御けしきを、「心もなきこと啓してけり」と思ひて、詳しくもそのほどのことをば言ひさしつ。
「その女人、このたびまかり出ではべりつるたよりに、小野にはべりつる尼どもあひ訪ひはべらむとて、まかり寄りたりしに、泣く泣く、出家の志し深きよし、ねむごろに語らひはべりしかば、頭下ろしはべりにき。
なにがしが妹、故衛門督の妻にはべりし尼なむ、亡せにし女子の代りにと、思ひ喜びはべりて、随分に労りかしづきはべりけるを、かくなりたれば、恨みはべるなり。げにぞ、容貌はいとうるはしくけうらにて、行ひやつれむもいとほしげになむはべりし。何人にかはべりけむ」
と、ものよく言ふ僧都にて、語り続け申したまへば、
「いかで、さる所に、よき人をしも取りもて行きけむ。さりとも、今は知られぬらむ」
など、この宰相の君ぞ問ふ。
「知らず。さもや、語らひたまふはべらむ。まことにやむごとなき人ならば、何か、隠れもはべらじをや。田舎人の娘も、さるさましたるこそははべらめ。龍の中より、仏生まれたまはずはこそはべらめ。ただ人にては、いと罪軽きさまの人になむはべりける」
など聞こえたまふ。
そのころ、かのわたりに消え失せにけむ人を思し出づ。この御前なる人も、姉の君の伝へに、あやしくて亡せたる人とは聞きおきたれば、「それにやあらむ」とは思ひけれど、定めなきことなり。僧都も、
「かかる人、世にあるものとも知られじと、よくもあらぬ敵だちたる人もあるやうにおもむけて、隠し忍びはべるを、事のさまのあやしければ、啓しはべるなり」
と、なま隠すけしきなれば、人にも語らず。宮は、
「それにもこそあれ。大将に聞かせばや」
と、この人にぞのたまはすれどいづ方にも隠すべきことを、定めてさならむとも知らずながら、恥づかしげなる人に、うち出でのたまはせむもつつましく思して、やみにけり。
この物の怪の執念深いこと、さまざまに恐ろし気なことをする話のついでに、
「不思議な稀有のことを見ました。この三月に、年老いた母が、初瀬に詣でたのですが、帰りの中宿りに、宇治の院というところに宿りましたが、このように、人が長く住んでいない大きな邸は、よからぬものが必ず住みつくものですが、重い病人にはよくないと思いましたが、果たしてその通りで」
と言ってあの時見つけたものの話をするのだった。
「ほんとに何とも珍しいお話ですこと」
と言って、近くで寝入っている女房たちを、恐ろしくなって、起こすのだった。薫が親しくしている宰相の君も、これを聞いていた。あとから目を覚ました女房たちは、何のことか分からない。僧都は、恐がった中宮の気色に、「不用意なことを言ってしまった」と思って、それ以上言うのを控えた。
「その女人は、この度罷り出るついでに、小野にいる尼たちに会うために訪れたところ、寄ったその機会に、泣く泣く、出家の志が深く、熱心に頼まれましたので、頭を下ろしました。
わたしの妹、故衛門督の妻でありました尼で、亡くなった娘の代わりと、喜んで、大そうかわいがっておりましたので、出家させたことで、わたしを恨んでいます。実に、容貌は美しく、墨染めの衣にやつすのも痛々しく見えました。どんな身分の人だったのか」
と話好きな僧都なので、語り続けていると、
「そのような所に、身分のある人をさらって行くとは。それとも、今は素性は知れているのかしら」
とこの宰相の君が問うのだった。
「知りません。素性は打ち明けているのかも知れません。本当に身分の高い人なら、知れないはずもない。田舎の娘でも、そのように美しい人はいるでしょう。龍の中から、仏になった龍女成仏の例もあります。普通の人なら、前世の罪は軽かったのでしょう」
などと語った。
その頃、宇治のあたりで消え失せた人のことを中宮は思い出した。御前の宰相の君も、不思議な事情で亡くなった人のことを姉から聞いていて、「それだろうか」と思ったが、不確かだった。僧都も、
「あの女人は、この世に生きているのを知られまいと、たちの悪い敵でもいるかのようにして、隠れ忍ぶので、事情がいかにも怪しいので、話すのです」
と隠そうとする気色なので、宰相の君は人にも話さない。中宮は、
「その人かもしれません。薫殿に言ってあげたら」
とあえて薫と情が通じている少将に言うのも、女も薫も世間に秘密にしておきたいことで、はっきりそうだと言い切れないので、気おくれするほど立派な薫に言うのも憚られて、そのままになった。
2021.4.28/ 2023.11.14
53.38 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る
姫宮おこたり果てさせたまひて、僧都も登りたまひぬ。かしこに寄りたまへれば、いみじう恨みて、
「なかなか、かかる御ありさまにて、罪も得ぬべきことを、のたまひもあはせずなりにけることをなむ、いとあやしき」
などのたまへど、かひもなし。
「今は、ただ御行ひをしたまへ。老いたる、若き、定めなき世なり。はかなきものに思しとりたるも、ことわりなる御身をや」
とのたまふにも、いと恥づかしうなむおぼえける。
「御法服新しくしたまへ」
とて、綾、羅、絹などいふもの、たてまつりおきたまふ。
「なにがしがはべらむ限りは、仕うまつりなむ。なにか思しわづらふべき。常の世に生ひ出でて、世間の栄華に願ひまつはるる限りなむ、所狭く捨てがたく、我も人も思すべかめることなめる。かかる林の中に行ひ勤めたまはむ身は、何事かは恨めしくも恥づかしくも思すべき。このあらむ命は、葉の薄きがごとし」
と言ひ知らせて、
「松門に暁到りて月徘徊す」
と、法師なれど、いとよしよししく恥づかしげなるさまにてのたまふことどもを、「思ふやうにも言ひ聞かせたまふかな」と聞きゐたり。
女一の宮はすっかり良くなって、僧都も山に帰った。小野に立ち寄ると、ひどく恨まれて、
「なまじ、若い身空で尼になって、かえって罪作りかもしれず、わたしに相談もなく、おかしなことをしてくれました」
などと妹尼君は言ったが、もう仕方ない。
「今はただ勤行しなさい。老いも若きも、いつ死ぬか分からぬ世です。この世をはかないと思ったのも、もっともです」
と僧都が言うのも、浮舟は身のすくむ思いだった。
「法服を新調するように」
と言って、綾、うすもの、絹などを差し上げるのだった。
「わたしがいる限りは、お世話しましょう。何も心配いりません。この世に生まれて、世間の栄華を願っている限りは、身の自由もきかずこの世を捨てがたいと誰もが思うようです。このような山林のなかで勤行を積めば、一体何を恨めしく引け目に思うことがありましょう。我々の命は木の葉のように薄いものです」
と僧都は言って、
「松門に暁に到りて月徘徊す」
と、法師だが、優雅で気おくれするするような、立派なことを言うので、「望んでいることを教えてくれる」と浮舟は聞いている。
2021.4.28/ 2023.11.14
53.39 中将、小野山荘に来訪
今日は、ひねもすに吹く風の音もいと心細きに、おはしたる人も、
「あはれ、山伏は、かかる日にぞ、音は泣かるなるかし」
と言ふを聞きて、「我も今は山伏ぞかし。ことわりに止まらぬ涙なりけり」と思ひつつ、端の方に立ち出でて見れば、遥かなる軒端より、狩衣姿色々に立ち混じりて見ゆ。山へ登る人なりとても、こなたの道には、通ふ人もいとたまさかなり。黒谷とかいふ方よりありく法師の跡のみ、まれまれは見ゆるを、例の姿見つけたるは、あいなくめづらしきに、この恨みわびし中将なりけり。
かひなきことも言はむとてものしたりけるを、紅葉のいとおもしろく、他の紅に染めましたる色々なれば、入り来るよりぞものあはれなりける。「ここに、いと心地よげなる人を見つけたらば、あやしくぞおぼゆべき」など思ひて、
「暇ありて、つれづれなる心地しはべるに、紅葉もいかにと思ひたまへてなむ。なほ、立ち返りて旅寝もしつべき木の下にこそ」
とて、見出だしたまへり。尼君、例の、涙もろにて、
木枯らしの吹きにし山の麓には
立ち隠すべき蔭だにぞなき

とのたまへば、
待つ人もあらじと思ふ山里の
梢を見つつなほぞ過ぎ憂き

言ふかひなき人の御ことを、なほ尽きせずのたまひて、
「さま変はりたまへらむさまを、いささか見せよ」
と、少将の尼にのたまふ。
「それをだに、契りししるしにせよ」
と責めたまへば、入りて見るに、ことさら人にも見せまほしきさましてぞおはする。薄き鈍色の綾、中に萱草など、澄みたる色を着て、いとささやかに、様体をかしく、今めきたる容貌に、髪は五重の扇を広げたるやうに、こちたき末つきなり。
こまかにうつくしき面様の、化粧をいみじくしたらむやうに、赤く匂ひたり。行ひなどをしたまふも、なほ数珠は近き几帳にうち懸けて、経に心を入れて読みたまへるさま、絵にも描かまほし。
うち見るごとに涙の止めがたき心地するを、「まいて心かけたまはむ男は、いかに見たてまつりたまはむ」と思ひて、さるべき折にやありけむ、障子の掛金のもとに開きたる穴を教へて、紛るべき几帳など押しやりたり。
「いとかくは思はずこそありしか。いみじく思ふさまなりける人を」と、我がしたらむ過ちのやうに、惜しく悔しう悲しければ、つつみもあへず、もの狂はしきまで、けはひも聞こえぬべければ、退きぬ。
今日は、一日中吹く風の音も心細く、立ち寄られた僧都も、
「ああ、山伏でもこんな日は声を上げて泣きたくなるらしい」
と言うのを聞いて、浮舟は、「わたしも今は山伏のようです。道理では止まらない涙だ」と思いながら、端の方に立って出て見れば、遙かな谷の端から、狩衣姿で色様々に立ち交じっているのが見える。叡山に上る人でも、こちらの道から上る人は稀だ。黒谷という方から、往来する法師が稀に見えるだけで、世俗の人が通るのは、珍しく、あの恨みがましい中将であった。
今さら言っても仕方ないことだが言いたくて、紅葉がすばらしく、他の紅葉よりあざやかなので、分け入るのもあわれを感じた。「こんな所で、心地よい人を見つけたら、かえって怪しい感じがするだろう」などと思って、
「暇があって、所在ないので、紅葉もどうかと思いまして。昔に戻って木の下でかりそめの宿もしてみたい」
と言って、外を見ている。尼君は、いつものように、涙もろく、
(妹尼)「木枯らしの吹きすさんだ山の麓には
身を隠す木陰もございません」
と詠えば、
(中将)「待ってくれる人もいないと思う山里の
木々の梢を見ては素通りはできません」
言う甲斐のない人のことを、まだ言って、
「尼の姿になったのを、見せてください」
と少将の尼に言うのだった。
「せめてそれぐらいのことは、約束通りしてくれ」
と責めるので、入って見ると、あえて人に見せたいほど美しい様子でおられるのだった。薄い鈍色の綾、中に萱草かんぞう色の澄んだのを着て、とてもほっそりと姿つき美しく、はなやいだ容姿に、髪は五重の扇を広げたように、たっぷりした末の様であった。
こまやかに美しい顔だちで、化粧をたいそうしたように、明るくかがやいていた。勤行をなさるが、数珠は近くの几帳にかけて、心を込めて読経している様子など、絵に描いて残したいほどだ。
少将尼は、見るたびに涙が止まらないのだった、「まして思いをかけている男は、この様子を見て何と思うだろう」ちょうどよい折だったのか、障子の掛け金の穴を中将に教えて、見通しを悪くする几帳などを押しやった。
「こんなに美しい人だったのか。すばらしく申し分ない美しい人だ」と、自分の過ちでもあるかのように、残念で悲しければ、涙をこらえきれず、狂おしくなり、自分の気配が聞こえそうだったので、退出した。
2021.4.28/ 2023.11.15
53.40  中将、浮舟に和歌を贈って帰る
「かばかりのさましたる人を失ひて、尋ねぬ人ありけむや。また、その人かの人の娘なむ、行方も知らず隠れにたる、もしはもの怨じして、世を背きにけるなど、おのづから隠れなかるべきを」など、あやしう返す返す思ふ。
「尼なりとも、かかるさましたらむ人はうたてもおぼえじ」など、「なかなか見所まさりて心苦しかるべきを、 忍びたるさまに、なほ語らひとりてむ」と思へば、まめやかに語らふ。
「世の常のさまには思し憚ることもありけむを、かかるさまになりたまひにたるなむ、心やすう聞こえつべくはべる。さやうに教へきこえたまへ。来し方の忘れがたくて、かやうに参り来るに、また、今一つ心ざしを添へてこそ」
などのたまふ。
「いと行く末心細く、うしろめたきありさまにはべるに、まめやかなるさまに思し忘れず訪はせたまはむ、いとうれしうこそ、思ひたまへおかめ。はべらざらむ後なむ、あはれに思ひたまへらるべき」
とて、泣きたまふに、「この尼君も離れぬ人なるべし。誰れならむ」と心得がたし。
「行く末の御後見は、命も知りがたく頼もしげなき身なれど、さ聞こえそめはべるなれば、さらに変はりはべらじ。尋ねきこえたまふべき人は、まことにものしたまはぬか。さやうのことのおぼつかなきになむ、憚るべきことにははべらねど、なほ隔てある心地しはべるべき」
とのたまへば、
人に知らるべきさまにて、世に経たまはば、さもや尋ね出づる人もはべらむ。今は、かかる方に、思ひきりつるありさまになむ。心のおもむけも、さのみ見えはべりつるを」
など語らひたまふ。
こなたにも消息したまへり。
おほかたの世を背きける君なれど
厭ふによせて身こそつらけれ

ねむごろに深く聞こえたまふことなど、言ひ伝ふ。
「兄妹と思しなせ。はかなき世の物語なども聞こえて、慰めむ」
など言ひ続く。
「心深からむ御物語など、聞き分くべくもあらぬこそ口惜しけれ」
といらへて、この厭ふにつけたるいらへはしたまはず。「思ひよらずあさましきこともありし身なれば、いとうとまし。すべて朽木などのやうにて、人に見捨てられて止みなむ」ともてなしたまふ。
されば、月ごろたゆみなく結ぼほれ、ものをのみ思したりしも、この本意のことしたまひてより、後すこし晴れ晴れしうなりて、尼君とはかなく戯れもし交はし、碁打ちなどしてぞ、明かし暮らしたまふ。行ひもいとよくして、法華経はさらなり。異法文ことほうもんなども、いと多く読みたまふ。雪深く降り積み、人目絶えたるころぞ、げに思ひやる方なかりける。
「これほどの美しい人を行方不明にして、探さぬ人があろうか。また、名の知れた人の娘で、行方知らずで姿を隠したか、もしくは、何か恨んで、世に背いて尼になったか、自ずから世間の噂になるものだ」と不思議に思った。
「尼であっても、これほど美しい人なら嫌な気持ちもしないだろう」などと、「かえって俗のときより、見栄えがして愛おしく思われる、秘かに、自分の物にしてしまおう」と思って、真剣に話を持ちかける。
「世の常の男女の仲では、憚ることもありましょうが、このような尼姿になって、気兼ねなくお話しできます。そのように言ってください。亡き妻とのことが忘れがたく、こうして来ているのですが、それに私の気持ちも添えて」
などと言う。
「行く末は心細く、後のことが心配ですが、こんな状態になっても忘れずに、気安く尋ねてくれるのがうれしいのです。わたしが亡くなっ後、あの子があわれに思います」
と妹尼が言って泣くので、「この尼君も縁者なのであろう。一体どういう人だろう」と合点がゆかなかった。
「先々のお世話は、明日の命も知れぬ頼りにならないわたしであるが、色恋抜きの付き合いをするようになれば、変わらずやり遂げましょう。尋ねてくる男は本当におられないのか。その辺のことがまだはっきりしないが、気を遣う必要はないが、まだ何か隠しているでしょう」
と中将が、言えば、
「人に知られるような普通の暮らしをするなら、そのように尋ねる人もありましょう。今は、仏道諸行に、心に決めた暮らしぶりです。本人の志も、そのように見受けられます」
などと妹尼君は言うのだった。
中将は浮舟にも言葉をかけた。
(中将)「世間を厭って出家したあなたですが、
それにつれてわたしも厭っているのがつらいです」
中将が熱心に言うことを、取り次ぎが浮舟に言い伝える。
兄妹はらからと思ってください。無常なこの世の話でもして、慰めとしたい」
などと言うのだった。
「深いみ心のお話など、理解できないのが残念です」
と浮舟は答えて、厭うの歌の返歌はされない。浮舟は、「思いもかけずとんでもないことが起こった身だから、厭わしい。もう山奥に捨てられた朽木のように、人に見捨てられて終わろう」という態度だった。
それで、月ごろふさぎこんで、もの思いにふけっていたのが、出家という本意を遂げてから、晴れ晴れしくなり、尼君とはとりとめのない冗談も言い、碁を打ったりして過ごしていた。勤行もよくして、法華経はもちろんだった。他の経典なども多く読んでいた。雪が深く降り積もって、人目も絶え、ほんとに寂しさを紛らしようもなかった。
2021.4.29/ 2023.11.15
53.41 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す
年も返りぬ。春のしるしも見えず、凍りわたれる水の音せぬさへ心細くて、「君にぞ惑ふ」とのたまひし人は、心憂しと思ひ果てにたれど、なほその折などのことは忘れず。
かきくらす野山の雪を眺めても
降りにしことぞ今日も悲しき

など、例の、慰めの手習を、行ひの隙にはしたまふ。「我世になくて年隔たりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし」など、思ひ出づる時も多かり。若菜をおろそかなる籠に入れて、人の持て来たりけるを、尼君見て、
山里の雪間の若菜摘みはやし
なほ生ひ先の頼まるるかな

とて、こなたにたてまつれたまへりければ、
雪深き野辺の若菜も今よりは
君がためにぞ年も摘むべき

とあるを、「さぞ思すらむ」とあはれなるにも、「見るかひあるべき御さまと思はましかば」と、まめやかにうち泣いたまふ。
閨のつま近き紅梅の色も香も変はらぬを、「春や昔の」と、異花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりし匂ひのしみにけるにや。後夜に閼伽奉らせたまふ。下臈の尼のすこし若きがある、召し出でて花折らすれば、かことがましく散るに、いとど匂ひ来れば、
袖触れし人こそ見えね花の香の
それかと匂ふ春のあけぼの
年も改まった。春の兆しも見えず、凍って水の音さえしないのが心細く、「君にぞ惑う」と仰せになった匂宮のことは、心底嫌だと思ったが、その時の宮とのことは忘れない。
(浮舟)「空を暗くして降っている野山の雪を眺めても
昔のことが今日も悲しく思われる」
などと、慰めの手習いを、勤行の合間にするのだった。「自分が姿を消して年も改まったが、思い出す人がいるだろうか」など、思い出す時もしばしばあった。若菜を粗末な籠に入れて、持ってきてくれたのを、尼君は見て、
(妹尼)「山里の雪の間から若菜を摘んで祝いました
生い先を期待します」
と、浮舟にさし上げたので、
(浮舟)「雪深い野辺の若葉も今からは
君がために長寿を祈って摘みましょう」
と返歌があっのを、「そう思っているのか」と心をうたれて、「これが見甲斐のある姿だったら」と、心底泣くのだった。
閨の近くの紅梅の色も香も変わらぬのを、「春や昔の」と、他の花よりも心がひかれるのは、はかない逢瀬だった匂宮が忘れられないのだろうか。後夜ごや閼伽あかを奉る。下臈の尼で少し若いのがいて、召し出して、紅梅を折らすと、恨みがましく散って、匂いがただよってくるので、
(浮舟)「袖を触れた人の姿は見えないが梅の香が
その人かと思うほど匂ってくる春の曙です」
2021.4.30/ 2023.11.15
53.42 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪
大尼君の孫の紀伊守なりける、このころ上りて来たり。三十ばかりにて、容貌きよげに誇りかなるさましたり。
「何ごとか、去年、一昨年」
など問ふに、ほけほけしきさまなれば、こなたに来て、
「いとこよなくこそ、ひがみたまひにけれ。あはれにもはべるかな。残りなき御さまを、見たてまつること難くて、遠きほどに年月を過ぐしはべるよ。親たちものしたまはで後は、一所をこそ、御代はりに思ひきこえはべりつれ。常陸の北の方は、訪れきこえたまふや」
と言ふは、いもうとなるべし。
「年月に添へては、つれづれにあはれなることのみまさりてなむ。常陸は、久しう訪れきこえたまはざめり。え待ちつけたまふまじきさまになむ見えたまふ」
とのたまふに、「わが親の名」と、あいなく耳止まれるに、また言ふやう、
「まかり上りて日ごろになりはべりぬるを、公事のいとしげく、むつかしうのみはべるにかかづらひてなむ。昨日もさぶらはむと思ひたまへしを、右大将殿の宇治におはせし御供に仕うまつりて、故八の宮の住みたまひし所におはして、日暮らしたまひし。
故宮の御女に通ひたまひしを、まづ一所は一年亡せたまひにき。その御おとうと、また忍びて据ゑたてまつりたまへりけるを、去年の春また亡せたまひにければ、その御果てのわざせさせたまはむこと、かの寺の律師になむ、さるべきことのたまはせて、なにがしも、かの女の装束一領、調じはべるべきを、せさせたまひてむや。織らすべきものは、急ぎせさせはべりなむ」
と言ふを聞くに、いかでかあはれならざらむ。「人やあやしと見む」とつつましうて、奥に向ひてゐたまへり。尼君、
「かの聖の親王の御女は、二人と聞きしを、兵部卿宮の北の方は、いづれぞ」
とのたまへば、
「この大将殿の御後のは、劣り腹なるべし。ことことしうももてなしたまはざりけるを、いみじう悲しびたまふなり。初めのはた、いみじかりき。ほとほと出家もしたまひつべかりきかし」
など語る。
大尼君の孫の紀伊の守であった者が、この頃上京した。三十ばかりで、容貌は美しく意気盛んな様子だった。
「お元気でしたか、去年一昨年と」
などと問うが、ぼけている様子なのでので、妹尼君の処に来て、
「ひどく訳が分からなくなっていますね。おいたわしいことです。先も長くないのに、お会いするのが難しく、遠い所で過ごしていました。親に死別してからは、大尼君を親代わりと思っておりました。常陸の北の方は、時折はお便りがあるのですか」
と言うのは妹のことだろう。
「年月がたつにつれて、所在なくあわれなことばかり多い様子です。常陸へは、久しく便りしてません。あちらの帰京まで待っているのは難しそうです」
と言うのを聞いて、浮舟は「自分の親の名」を耳にしたが、また聞こえて、
「上京して日が経ちますが、公事が忙しく、いろいろとございましてそれにかまけています。昨日もお尋ねしようと思いましたが、薫殿が宇治に参るお供を仕って、故八の宮の住んでいた所に行きまして、日を過ごしました。
故宮の娘に通っていましたが、一人は先年亡くなりました。その妹君を、また秘かに住まわしていましたが、去年の春また亡くなったので、その法要を営むことについて、あの寺の律師に、その支度を申し付けているので、わたくしもその布施で女の装束一領調達することになりまして、こちらで作ってくれませんか。織物はこちらで急いで用意しますので」
と言うのを聞くと、浮舟は激しく心を打たれた。「尼君たちが不審に思う」と気がひけて、奥を向いている。尼君は、
「あの聖の親王の御子は、二人と聞いたが、兵部卿宮の北の方は、どの方ですか」
と言うと、
「薫殿の二人目のお方は、身分の低い方にお生まれのようです。正式な扱いをしなかったのですが、薫殿はたいそう悲しんでいます。初めのお方の時は大変なお悲しみでした。出家もしかねなかった」
などと語る。
2021.4.30/ 2023.11.15
53.43 浮舟、薫の噂など漏れ聞く
「かのわたりの親しき人なりけり」と見るにも、さすが恐ろし。
「あやしく、やうのものと、かしこにてしも亡せたまひけること。昨日も、いと不便にはべりしかな。川近き所にて、水をのぞきたまひて、いみじう泣きたまひき。上にのぼりたまひて、柱に書きつけたまひし、
見し人は影も止まらぬ水の上に
落ち添ふ涙いとどせきあへず

となむはべりし。言に表はしてのたまふことは少なけれど、ただ、けしきには、いとあはれなる御さまになむ見えたまひし。女は、いみじくめでたてまつりぬべくなむ。若くはべりし時より、優におはしますと見たてまつりしみにしかば、世の中の一の所も、何とも思ひはべらず、ただ、この殿を頼みきこえてなむ、過ぐしはべりぬる」
と語るに、「ことに深き心もなげなるかやうの人だに、御ありさまは見知りにけり」と思ふ。尼君、
「光君と聞こえけむ故院の御ありさまには、並びたまはじとおぼゆるを、ただ今の世に、この御族ぞめでられたまふなる。右の大殿と」
とのたまへば、
「それは、容貌もいとうるはしうけうらに、宿徳にて、際ことなるさまぞしたまへる。兵部卿宮ぞ、いといみじうおはするや。女にて馴れ仕うまつらばや、となむおぼえはべる」
など、教へたらむやうに言ひ続く。あはれにもをかしくも聞くに、身の上もこの世のことともおぼえず。とどこほることなく語りおきて出でぬ
「薫様に親しく仕える人なのだ」と浮舟は思うが、さすがに恐ろしい。
「不思議に、二人とも、あそこの邸で亡くなったのです。昨日も、見ていられぬようでした。川近い所で、水を覗き込んで、たいそう泣いていました。上の部屋に上って、柱に書きつけていました。
(薫)親しくした人は、姿も見えず水の上に
落ちる涙は堰き止められない
とありました。言葉数は少ないが、ただ全体の様子は、たいそうあわれを誘うもののように見えました。女なら誰しもすばらしいお方と誉めそやすに違いありません。わたしは若い頃から、すばらしいお方と心酔しておりまして、世間の最高の権力者もなんとも思わず、ただこの殿を頼みにして、やってきました」
と語って、「格別深く分かる人ではなくとも、薫殿のお人柄はよく分かっているのだ」と浮舟は思う。尼君は、
「光君と聞いている故院のご威勢には、及ばないと思うが、今のこの世では、このご一族が隆盛を誇っています。右の大殿の夕霧様と」
と言うと、
「夕霧様は、容貌も美しく、堂々として、格別の風采があります。兵部卿宮)は、何とも美しくていらっしゃる。女の身になってお仕えしたいくらいです」
など教えるように言い続けた。浮舟は悲しくも興味深くも、わが身のこともこの世にあったこことは思えない。よどみなく喋って帰った。
2021.4.30/ 2023.11.15
53.44 浮舟、尼君と語り交す
「忘れたまはぬにこそは」とあはれに思ふにも、いとど母君の御心のうち推し量らるれど、なかなか言ふかひなきさまを見え聞こえたてまつらむは、なほつつましくぞありける。かの人の言ひつけしことどもを、染め急ぐを見るにつけても、あやしうめづらかなる心地すれど、かけても言ひ出でられず。裁ち縫ひなどするを、
「これ御覧じ入れよ。ものをいとうつくしうひねらせたまへば」
とて、小袿の単衣たてまつるを、うたておぼゆれば、「心地悪し」とて、手も触れず臥したまへり。尼君、急ぐことをうち捨てて、「いかが思さるる」など思ひ乱れたまふ。紅に桜の織物の袿重ねて、
「御前には、かかるをこそ奉らすべけれ。あさましき墨染なりや」
と言ふ人あり。
「尼衣変はれる身にやありし世の
形見に袖をかけて偲ばむ」
と書きて、「いとほしく、亡くもなりなむ後に、物の隠れなき世なりければ、聞きあはせなどして、疎ましきまでに隠しけるなど、とや思はむ」など、さまざま思ひつつ、
「過ぎにし方のことは、絶えて忘れはべりにしを、かやうなることを思し急ぐにつけてこそ、ほのかにあはれなれ」
とおほどかにのたまふ。
「さりとも、思し出づることは多からむを、尽きせず隔てたまふこそ心憂けれ。身には、かかる世の常の色あひなど、久しく忘れにければ、なほなほしくはべるにつけても、昔の人あらましかば、など思ひ出ではべる。しか扱ひきこえたまひけむ人、世におはすらむ。やがて、亡くなして見はべりしだに、なほいづこにあらむ、そことだに尋ね聞かまほしくおぼえはべるを、行方知らで、思ひきこえたまふ人びとはべるらむかし」
とのたまへば、
「見しほどまでは、一人はものしたまひき。この月ごろ亡せやしたまひぬらむ」
とて、涙の落つるを紛らはして、
「なかなか思ひ出づるにつけて、うたてはべればこそ、え聞こえ出でね。隔ては何ごとにか残しはべらむ」
と、言少なにのたまひなしつ。
「薫様はわたしをお忘れではないのだ」と浮舟が心を打たれるにつけても、母君の心の内を推し量ると、なまじこの世の望みもない尼姿をお目にかけるのは、気がひけるのだった。紀伊の守が頼んでいった布施の布地を、染める支度をするにつけ、奇妙な気がするが、とても口にできることではない。裁ち縫いなどするにも、
「手伝ってくれませんか。丁寧に折り込んでいますので」
と言って、小袿の単衣を渡すが、浮舟は嫌な気がして、「気分が悪い」と言って、手も触れず臥してしまった。尼君は、支度を止めて、「どんな気分なのか」などと心配される。紅のあこめに桜がさねの袿を重ねて、
「姫には、このようなものをお召しになってほしい。墨染めなどを着て」
と言う女房もいる。
(浮舟)「尼衣に変わったこの身だが昔を思い
形見に袖を通して偲びましょう」
と書いて、「お気の毒に、わたしが亡くなった後も、隠すことができない世の習いで、聞いたりして、わたしが身元を隠している、と思っておられる」などと、さまざまに思って、
「昔のことは忘れましたが、このような衣装の支度をなさるのを拝見して、何か物悲しい気がします」
とさりげなく言う。
「それでも、思い出すことは多いでしょうに、頑なに隠されているのは残念です。わたしには、このような世の常の色合いは、久しく忘れましたので、平凡な物しかできないし、娘が生きていたら、などと思います。あなたをお世話していた人も、世に生きているでしょう。わたしのように、娘を亡くしても、まだどこかにいる、そこに行って見たいと思っていますのに、行方知らずで、忘れがたく思っている人々がいるはずです」
と言えば、
「終わりの頃は、一人いました。もう今頃は亡くなってしまったかも知れません」
と言って、涙が落ちるのを紛らわして、
「なまじ思い出すと、つらいので、申し上げられません。隠しごとなど何もありません」
と言葉少なに言うのだった。
2021.5.1/ 2023.11.15
53.45 薫、明石中宮のもとに参上
大将は、この果てのわざなどせさせたまひて、「はかなくて、止みぬるかな」とあはれに思す。かの常陸の子どもは、かうぶりしたりしは、蔵人になして、わが御司の将監になしなど、労りたまひけり。「童なるが、中にきよげなるをば、近く使ひ馴らさむ」とぞ思したりける。
雨など降りてしめやかなる夜、后の宮に参りたまへり。御前のどやかなる日にて、御物語など聞こえたまふついでに、
「あやしき山里に、年ごろまかり通ひ見たまへしを、人の誹りはべりしも、さるべきにこそはあらめ。誰れも心の寄る方のことは、さなむある、と思ひたまへなしつつ、なほ時々見たまへしを、所のさがにやと、心憂く思ひたまへなりにし後は、道も遥けき心地しはべりて、久しうものしはべらぬを、先つころ、もののたよりにまかりて、はかなき世のありさまとり重ねて思ひたまへしに、ことさら道心起こすべく造りおきたりける、聖の住処となむおぼえはべりし」
と啓したまふに、かのこと思し出でて、いといとほしければ、
「そこには、恐ろしき物や住むらむ。いかやうにてか、かの人は亡くなりにし」
と問はせたまふを、「なほ、続きを思し寄る方」と思ひて、
「さもはべらむ。さやうの人離れたる所は、よからぬものなむかならず住みつきはべるを。亡せはべりにしさまもなむ、いとあやしくはべる」
とて、詳しくは聞こえたまはず。「なほ、かく忍ぶる筋を、聞きあらはしけり」と思ひたまはむが、いとほしく思され、宮の、ものをのみ思して、そのころは病になりたまひしを、思し合はするにも、さすがに心苦しうて、「かたがたに口入れにくき人の上」と思し止めつ。
小宰相に、忍びて、
「大将、かの人のことを、いとあはれと思ひてのたまひしに、いとほしうて、うち出でつべかりしかど、それにもあらざらむものゆゑと、つつましうてなむ。君ぞ、ことごと聞き合はせける。かたはならむことはとり隠して、さることなむありけると、おほかたの物語のついでに、僧都の言ひしことを語れ」
とのたまはす。
「御前にだにつつませたまはむことを、まして、異人はいかでか」
と聞こえさすれど、
「さまざまなることにこそ。また、まろはいとほしきことぞあるや」
とのたまはするも、心得て、をかしと見たてまつる。
薫は、この一周忌の法事を執り行い、「はかなく亡くなってしまった」とあわれを感じた。あの常陸の子たちは、元服してから、蔵人にさせて、右近衛府の将監ぞうに任命し、目をかけていた。まだ元服前の子は、見苦しからぬ者は身近に仕えさせようと思う。
雨など降ってもの静かな夜、明石の中宮に参上した。御前に人が少なかったので、お話をするついでに、
「辺鄙な山里に、年頃通って逢っていましたが、人がとやかく申しますので、宿世の定だろうと思っていたが、誰にも好みの方は、そうしたものと、通っておりましたが、場所柄のせいか、とても悲しいことが続いてからは、道も遙か遠い気がして、久しく行かなかったのですが、先ごろ、ちょっとした用件で行きまして、はかない世の有様をあれこれ思いめぐらしていましたところ、ことさら道心を起こすように造った、聖の住まいなのだと了解しました」
と話をすると、中宮は思い出して、気の毒に思い、
「そこには、恐ろしいものが住んでいませんか、どうやってその人は亡くなったのですか」
と中宮が問うのを、「続いて不幸があったことを言っている」と思って、
「そうかも知れません。そのように人里離れた所は、魔物が必ず住みつくものです。亡くなった様子も、とても怪しいのです」
と言っても、詳しくは語らない。「薫殿が隠したがっていることを、聞き出そうとしているのだ」と思うと、お気の毒に思い、匂宮ももの思いに沈んで、その頃は病になったことも、思い合わせて、さすがにかわいそうに感じ、「どちらにとっても言いずらいことなのだ」と思いとどめた。
宰相の君に、秘かに、
「薫殿は、あの姫のことを、とても忘れがたく思っているので、おいたわしくて、お話しようかと思いましたが、その人かどうか分からないので、遠慮しました。あなたは、あれこれ事情を聞いています。都合の悪いことは話さないで、このようなことがありましたと、世間話のついでに、僧都の言ったことを語りなさい」
と中宮が言うのだった。
「中宮様が言わずにいることを、他人が申し上げるのは」
と申し上げるが、
「事情によりけりです。わたしでは具合が悪いこともあるのです」
と言うのも、察して、中宮の心遣いをいかにもと思うのだった。
2021.5.2/ 2023.11.15
53.46 小宰相、薫に僧都の話を語る
†立ち寄りて物語などしたまふついでに、言ひ出でたり。珍かにあやしと、いかでか驚かれたまはざらむ。「宮の問はせたまひしも、かかることを、ほの思し寄りてなりけり。などか、のたまはせ果つまじき」とつらけれど、
† 「我もまた初めよりありしさまのこと聞こえそめざりしかば、聞きて後も、なほをこがましき心地して、人にすべて漏らさぬを、なかなか他には聞こゆることもあらむかし。うつつの人びとのなかに忍ぶることだに、隠れある世の中かは」
など思ひ入りて、「この人にも、さなむありし」など、明かしたまはむことは、なほ口重き心地して、
「なほ、あやしと思ひし人のことに、似てもありける人のありさまかな。さて、その人は、なほあらむや」
とのたまへば、
「かの僧都の山より出でし日なむ、尼になしつる。いみじうわづらひしほどにも、見る人惜しみてせさせざりしを、正身の本意深きよしを言ひてなりぬる、とこそはべるなりしか」
と言ふ。所も変はらず、そのころのありさまと思ひあはするに、違ふふしなければ、
「まことにそれと尋ね出でたらむ、いとあさましき心地もすべきかな。いかでかは、たしかに聞くべき。下り立ちて尋ねありかむも、かたくなしなどや人言ひなさむ。また、かの宮も聞きつけたまへらむには、かならず思し出でて、思ひ入りにけむ道も妨げたまひてむかし。
† さて、『さなのたまひそ』など聞こえおきたまひければや、我には、さることなむ聞きしと、さる珍しきことを聞こし召しながら、のたまはせぬにやありけむ。宮もかかづらひたまふにては、いみじうあはれと思ひながらも、さらに、やがて亡せにしものと思ひなしてを止みなむ。
うつし人になりて、末の世には、黄なる泉のほとりばかりを、おのづから語らひ寄る風の紛れもありなむ。我がものに取り返し見むの心地、また使はじ」
など思ひ乱れて、「なほ、のたまはずやあらむ」とおぼゆれど、御けしきのゆかしければ、大宮に、さるべきついで作り出だしてぞ、啓したまふ。
薫が局に立ち寄って世間話をしていると、小宰相がそのことを語り出した。世にも珍しい、何と驚くべきことだろう。「中宮がお訊ねになったのも、この話のことだろうか。どうして、はっきり言ってくれなかったのか」とつらく思い、
「自分もはじめからその女のことは、中宮に申し上げなかったので、小宰相からその話を聞いても、自分が笑い者になりそうで、誰にも一切話さなかったので、かえって噂も出たのだろう。うつつのこの世では、秘密の事柄も、隠せないから」
と思って、「小宰相にも、こういうことがあった」などと、明かさず、口が重く、
「どうも怪しい、よく似ている人のようです。それでその人は無事でいるのですか」
と言えば、
「あの僧都が山を下りた日に尼にしました。ひどくふさいでいた時にも、人々は惜しんで出家させなかったが、本人の強い希望で出家したようです」
と言う。場所も同じ宇治だし、その頃の状況と思い合わせると、ぴったり符合するので、
「本当にその人を捜し出したら、大変なことだろう。どうやって、確かめよう。わたしが捜し歩けば、馬鹿なことをしていると、噂になるだろう。また、あの匂宮が聞きつけたら、また夢中になって、仏道修行を妨げてしまうだろう。
それで、匂宮が『そのことは仰らないでください』などと頼んでいるからだろう、中宮はわたしには、たいそう珍しいことを聞きながら、このようなことを聞きました、と直截には言わなかった。匂宮がかかわっているので、とても逢いたいが、あの時亡くなったと思って女を諦めよう。
再びこの世の人となっても、末の世では、黄泉のほとりを歩いて、自ずから語らい合えることもあろう。我がものにして世話をするという気持ちはもう起こすまい」
などと思い乱れて、「やはり中宮は仰せにならないだろう」と思うが、中宮は奥ゆかしい気色の方なので、その機会を作って、申し上げるのであった。
2021.5.2/ 2023.11.17
53.47 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く
「あさましうて、失ひはべりぬと思ひたまへし人、世に落ちあぶふれてあるやうに、人のまねびはべりしかな。いかでか、さることははべらむ、と思ひたまふれど、心とおどろおどろしう、もて離るることははべらずや、と思ひわたりはべる人のありさまにはべれば、人の語りはべしやうにては、さるやうもやはべらむと、似つかはしく思ひたまへらるる」
とて、今すこし聞こえ出でたまふ。宮の御ことを、いと恥づかしげに、さすがに恨みたるさまには言ひなしたまはで、
「かのこと、またさなむと聞きつけたまへらば、かたくなに好き好きしうも思されぬべし。さらに、さてありけりとも、知らず顔にて過ぐしはべりなむ」
と啓したまへば、
「僧都の語りしに、いともの恐ろしかりし夜のことにて、耳も止めざりしことにこそ。宮は、いかでか聞きたまはむ。聞こえむ方なかりける御心のほどかな、と聞けば、まして聞きつけたまはむこそ、いと苦しかるべけれ。かかる筋につけて、いと軽く憂きものにのみ、世に知られたまひぬめれば、心憂く」
などのたまはす。「いと重き御心なれば、かならずしも、うちとけ世語りにても、人の忍びて啓しけむことを、漏らさせたまはじ」など思す。
「住むらむ山里はいづこにかはあらむ。いかにして、さま悪しからず尋ね寄らむ。僧都に会ひてこそは、たしかなるありさまも聞き合はせなどして、ともかくも問ふべかめれ」など、ただ、このことを起き臥し思す。
月ごとの八日は、かならず尊きわざせさせたまへば、薬師仏に寄せたてまつるにもてなしたまへるたよりに、中堂には、時々参りたまひけり。それよりやがて横川におはせむと思して、かのせうとの童なる、率ておはす。「その人びとには、とみに知らせじ。ありさまにぞ従はむ」と思せど、うち見む夢の心地にも、あはれをも加へむとにやありけむ。さすがに、「その人とは見つけながら、あやしきさまに、形異なる人の中にて、憂きことを聞きつけたらむこそ、いみじかるべけれ」と、よろづに道すがら思し乱れけるにや。
「意外なことで死なせてしまったと思った人が、世に落ちぶれて生きていると、人が話してくれまして、驚きました。どうしてそんなことがあろうか、と思うが、自ら思い切って大胆なことをして、自分から離れることはあるまい、と思っているような気立の人なので、人が話してくれたような事情では、さもあらんと、その人に似つかわしい思いもしました」
とて、薫は今少し詳しく中宮に申し上げるのであった。匂宮のことは、泰然として、恨みがましくは少しも言わず、
「宮のことは、その女が生きていると聞きつけたら、一途に好色沙汰になるでしょう。もし、そんなことになっても、わたしは知らない顔をしていましょう」
と中宮に申し上げれば、
「僧都が語ったことは、恐ろし気な夜だったので、よく聞いていませんでした。宮に聞こえたはずはありません。何とも言いようのない性格なので、聞きつけたら、困ったことになりましょう。この方面では、世間では身分にふさわしくない軽はずみな行動をすることで知れていますので、心配なのです」
と中宮は仰る。「中宮はとても慎重な人柄だから、打ち解けた世間話でも人がこっそり言上したことは、漏らすことはあるまい」と薫は思う。
「浮舟が住んでいる山里はどこだろうか。どうやって、不体裁にならずに尋ねたらいいか。僧都に会って、確かなことを聞き合わせて、ともかく訊ねてみよう」などと、このことばかりを起き伏し思うのだった。
毎月の八日は、ありがたい供養をされるので、薬師如来に寄進するので、根本中堂には、時々参詣していた。そのまますぐに横川に行こうと思って、あの兄弟の童を連れて出かけた。「家来たちにはすぐには知らせずその時々に応じよう」と思っていたが、会えば夢のような心地がするだろうし、よりいっそうの感慨を添えようと思ったのであろうか。さすがに、「当の本人と突き止めても、見すぼらしい姿で、尼姿の人々の中で、嫌なことを聞きつけたらつらいだろう」と、あれこれと、道すがら思い乱れた。
2021.5.3/ 2023.11.17
次頁へ 52 蜻蛉
次頁へ 54 夢浮橋

HOME表紙へ 源氏物語 目次 あらすじ 章立て 登場人物 手習系図 pdf
読書期間2021年4月2日 - 2021年5月3日