源氏物語  明石 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 13 明石
はふらかしつるにや 「はふらかす」[放らかす]打ち捨てる。放り出す。
浦風やいかに吹くらむ思ひやる袖うち濡らし波間なきころ そちらの須磨の浦風はどんなに激しく吹いていることでしょう、遙かにお案じしている私の袖を濡らして涙が絶えない今日この頃です(新潮) /そちらの浦風はどんなに激しく吹いていることでしょう。遠くはるかに案じております私の袖も涙に濡れてかわく間もない今日この頃。(小学館古典セレクション)/ 須磨では浦風がどんな風に吹いていますかしら。遠くお思い申すわたしの袖を濡らす涙の絶え間もない今日このごろ。(玉上)
仁王会 鎮護国家のため、宮中で『仁王護国般若経』を講讃する行事。l
幣帛 (みてぐら)『土佐日記』にも海神に幣をささげることが見える。五色の絹布などを神にささげて神意をやすめる。
迹を垂れたまふ神 本地垂迹説。仏や菩薩の本体を本地といい、本地からいろいろな姿に変じて出現することを、垂迹という。住吉神の本地は大威徳明王である。
雨の脚しめり 「しめる」勢いがおとろえる。しずまる。引用
いへばおろかなり 「言えばおろかなり」慣用句。・・・どころの沙汰ではない、の意。
海にます神の助けにかからずは潮の八百会にさすらへなまし 海に鎮座増します神(住吉明神)のご加護をこうむらなかったなら、多く潮道(潮の流れの道)の集まり合う遙かの沖に行く方知らずになっていたことであろう(新潮)/ 海にいらっしゃる神のお助けにすがらなかったら、潮路の八重に集まる沖の海に漂っていたことだろう。(小学館古典セレクション)/ 海においでになる神のお助けがなかったならば、潮のうずまく沖合いはるかに漂っていたことだろう。(玉上)「潮のやほあい」潮流が四方から集まってくる所。
いりもみつる雷の騷ぎに 物を煎ったり、もんだりするようにはげしい音をたてた雷のさわぎ。
さこそいへ そうはいうものの。「さ」は、光る源氏が気を強くもっていた事をさす。
こうじたまひにければ 「困ずる」①こまる。苦しむ。②疲れる。
守新発意 (かみしぼち)播磨の国の元国主で、新たに発心して仏道に入ったもの。新発意(しんぼっち)発心して新たに仏門に入ったもの。
得意 親しい友。
おぼめく 不審に思う。いぶかしがる。
さらに後のあとの名をはぶくとても、たけきこともあらじ 「後の」 は、死後のこと。「あとの名」は、あとに残る名。「はぶく」は除く事。変人の明石入道の導きに従ったという、死後に噂される「あとの名」を除く、すなわち、そのような評判が立つことを恐れて、入道の申し出を拒絶すること。「たけきこと」気強いこと。気丈夫なこと。ましなこと。たとえ、「あとの名」をはぶいたところで、何にもならない。
退きて咎なし 控えめにしていれば、間違いない。『河海抄』に「孝経に曰く、退かざれば咎あり」引くが、現存本に見えない、。出展不明である。
後のそしり 源氏が(変人の)明石の入道の言うままになったという非難。
艶にまばゆきさま 「えん」は、生活のにおいとは逆方向の風流な非実用の美しさ。「眩き」はぴかぴか輝いたさま。/ ③(事物について)しゃれて趣あるさま。風流なさま。
かくおぼつかなながらや かようにお目にかからないままであろうか。/ このように不安のままで出家するのであろうかと。/ こうして遠く離れて逢えぬまま出家してしまうのかと思うと(その悲しみに比べれば)/ 「おぼつかない」・・・したいのだけれどできない。逢いたいが逢えない。
遥かにも思ひやるかな知らざりし浦よりをちに浦伝ひして 遙かなあなたのことかり思っていることです、知りもしなかった須磨の浦からさらに遠いこの明石の浦に移って来て(新潮) / 遥かにあなたの御身の上に思いを馳せているのです。見も知らぬ所であった須磨の浦から、なお遠い明石の浦に浦伝いに移って。(小学館古典セレクション) 初めて来た須磨の浦から浜伝いに、さらに遠く明石に来て、はるかに都のあなたの事をおもっております。(玉上)
都の人も、ただなるよりは 退去先で浮気となれば、都のときの浮気沙汰以上に。/ ただなる(何事もない)場合よりは。「都の人」紫の上。
行なひさらぼひて 「行なひ」仏道修行。「さらぼふ」痩せ枯れた。がりがりに痩せる。
うちひがみほれぼれしきことはあれど 頑固で老いぼれたところはあるが。/ 「うちひがみとは、あしざまなる心にては有るばからず。よのつねの人にたがひたる所の、立てたる(頑固な)心ある人なるべし」(岷江入楚)「ほる」はぼけている。
ものきたなからず むさくるしいことがなく。きたなくぃ点はなく。
明石の入道 明石の入道は大臣の子で、源氏の母桐壷更衣の父按察大納言は叔父にあたる。入道は昔宮中に仕え、近衛中将であった。
くづし出でて 少しずつくずして(お話申しあげる)。
さうざうしくや 「そうぞうし」(あるべきものがなくて)物足りない。ものさみしい。
めやすき 「めやすし」見苦しくない。感じがよい。
ただなるよりはものあはれなり 縁談がなかった今までに比べて、源氏が身近にいるだけに、よけいに身分の隔絶を思い知らされ、わびしさを噛みしめる。/ 親たちが内々色々ともくろんでいるのを聞くにつけて、不釣合いの事だと思うと、なまじおそば近くなって悲しく切ない。
帷子 寝台の周囲の垂絹。三月までは練絹(ねりぎぬ)を用い、四月からは夏で生絹(すずし)を用いる。
すずろなり そんなことをしなくてもよいのであるが。「すずろ」やりすぎる。
あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月 あれはと目の前に望まれる淡路の島の悲しい情趣までをも(私の故郷を思う気持ちだけでなく)残る隈なく照らし出す今宵の月であることだ(新潮) / 昔の人が「あはれ」といって淡路島を眺めた折の風情までも、残るところなく味わわせる今夜の澄みわたった月よ。(小学館古典セレクション)/ 躬恒があはれとよんだ淡路島のあはれさえも残るくまなく照らす今宵の月である。(玉上)/ 「淡路にてあはと遥かに見し月の近き今宵は所がらかも」(新古今・雑上 躬恒)「あは」は「あれは」の意、驚いて発する声。
後の世に願ひはべる所のありさまも 極楽浄土。源氏の琴の音によって、極楽の妙音を連想した。
かき鳴らしたまへる声 「声」が元来動物の発する声音。のち楽器の音色。
夢の心地したまふままに 昔のはなやかな自分と比べて今の状態が。
しょうの琴 13絃の琴。源氏が京から持ってきたのは、琴(きん)で、7絃で琴柱がない。
水鶏のうちたたきたるは、「誰が門さして」と 
水鶏くいなのうちたたきたるは、「誰が門さして」と 水鶏は、「かんかんかんかん」と戸をたたくように、田植えごろから鳴く。「まだ宵に打ち来てたたく水鶏かな誰が門さして入れぬなるらむ」(伊行釈)
あいなくうち笑みて 「あいなく」よくわからない語である。意味もなく、何 にもならないのに。と、とれることも多い。/ 娘のことかと誤認して。(岩波大系)」「入道は娘のことを言われたと勘違いして笑顔になって。(瀬戸内寂聴訳)// 「(なにやら)意味ありげに」この語は、外部から見ると「意味もなく」に見えるが、当事者は「意図があり、意味がある」なのではないか。管理人。
琴を琴とも聞きたまふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな 「松風に耳なれにける山伏は琴を琴とも思わざりけり」(花月余情 寿玄法師)。それほどの名手がいるとも知らずに、うっかり弾いて恥をかいた。源氏の謙遜。
弾きしづむる 「ひきしずむ」[弾き鎮む]弾きこなす。引用。
好きゐたれば 風流がる。
げに、いとすぐしてかい弾きたり 延喜帝からの相伝だと言うだけあった、並々でなく上手に。
をかしきものの 話しぶりが面白いととる説もあるが、内容ととったほうがよかろう。入道の話は話自体としても興ある話なのだが、本人からこうして直接に聞くと、興あるというだけではすまされない、しみじみときかれる点もあるというものである。(玉上)
昼夜の六時の勤め 晨朝(じんじょう・午前六時頃)、日中、日没、初夜、中夜、後夜六回の定時の勤行。
はちすの上の願ひ 念仏の功深い行者は、その死に際して阿弥陀如来が聖衆とともに来迎し、行者は、観音菩薩のささげる宝蓮の台に乗って極楽浄土に引導される。(往生要集・大文第二・欣求浄土)
まねぶべくもあらぬことどもを 「まねぶ」は、入道の話の内容が異様なことばかりなので、とても語り手がそのまま伝えられない、の意。
いたづら人をばゆゆしきものにこそ 「いたづら人」いたずらな人間。駄目な人。役立たず。源氏自身を自虐的に言う。「ゆゆしき」忌むべき。
一人寝は君も知りぬやつれづれと思ひ明かしの浦さびしさを 「ひとり寝」とおっしゃいますが、あなた様もおわかりでしょうか、所在なく物思いに夜を明かすこの明石の浦のものさびしさをー娘のわびしい気持ちを(新潮) / 独り寝のつらさはあなたもお分かりになったでしょうか。明石の浦で所在なく夜明かしする寂しい娘の気持ちを察してください。(小学館古典セレクション)/ ひとりねの寂しさは君もおわかりになったでしょうか。なすこともなく思いあかす、この明石の浦の娘心のわびしさを。(玉上)
さすがにゆゑなからず 「ゆえなし」趣がない、風情がない、の否定。さすがに品位を保っている。
旅衣うら悲しさに明かしかね草の枕は夢も結ばず この明石の浦の旅寝の悲しさに夜を明かしかねて、安らかな夢を結ぶこともできません(新潮) / この明石の浦で旅寝の悲しさに夜を明かしかねている私は安らかな夢を見ることもできません。(小学館古典セレクション)/ 旅寝の寂しさに夜をあかしかねて夢の結ぶ夜とてありません。(玉上)
隈にぞ 「隈」は物陰で暗くなった所。ここでは田舎の人目につかない場所の意。
高麗こま胡桃くるみ色の紙 高麗産の丁子(ちょうじ)色の紙。黄色に赤みを帯びた紙。
をちこちも知らぬ雲居に眺めわびかすめし宿の梢をぞ訪ふ ここかしこもわからず遙かにお噂を聞くのみなのに思いあぐねて、入道がちらりとほのめかされたあなたの家の梢を目指してお便りさしあげます「をちこち」は、遠近。(新潮) / どちらとも分からない旅の空に目をやり、物思いに沈んでは、ほのかにお噂にうかがった宿の梢を霞のかなたにおたずねするのです。(小学館古典セレクション)/ 何も分からない土地にわびしくながめ暮らしておりましてちらとほのめかされたあなたのお宿を訪う事です。(玉上)/ 「かすめし」入道か、ちらと娘のことを話した、ほのめかした、意。
思ふには 「思ふには忍ぶることぞまけにける色にはいでじと思ひしものを」(古今巻十一恋一読み人しらず)あなたを思う心には、たえ忍ばなければならないという自制心が負けてしまいました。外に出すまいと思っていたのに。
しるければ 「しるし」[著し]②予想通りの結果になる。①きわだっている。はっきりしている。
眺むらむ同じ雲居を眺むるは思ひも同じ思ひなるらむ 物思わしく眺めていらっしゃるというその同じ空を眺めているのは、娘も同じ思いなのでしょう(新潮) / あなた様が眺めていらっしゃると仰せられる、その同じ空を娘も眺めやっておりますのは、きっと同じ思いからなのでございましょう。(小学館古典セレクション)/ 君が眺めておいでになる同じ空を娘も眺めておりますが、きっと娘の思いも同じ思いなのでございましょう。(玉上)
いぶせくも心にものを悩むかなやよやいかにと問ふ人もなみ  胸もふさがる思いで悩んでいます、いかがですかと尋ねてくれる人もなく(新潮)/ やりばのない気持ちで思い悩んでおります。そし、どうしたのですか、と尋ねてくれる人もいないのですから。(小学館古典セレクション)
太政大臣おおきおとど亡せたまひぬ  帝の外祖父。大后の父。元右大臣。
言ひがたみ 「恋しともまだ見ぬ人の言いがたみ心にもののなげかしきかな。(花鳥余情  一条院)
埋れいたからむ 内気だ、引き籠もりすぎる。「うもれ」引きこもりがちであること。
なずらひならぬ身のほどの 身分があまりにも違いすぎる。「なずらう」肩を並べる。類する。
いみじうかひなければ 源氏をめでたしと思うのも甚だしく甲斐がないから。
動なきを 「どうなし」[動無し]動ずる様子がない。心を動かす」気色がない。
世にあるものと、尋ね知りたまふにつけて (入道の娘が)こんな処にいたと尋ね知ってくれて。
思ふらむ心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きか悩まむ  私を思ってくださるというあなた様の心の深さのほどは、さて、どの程度なのでしょう、まだ私を見たこともない人が噂だけで悩むということがあるものなのでしょうか(新潮)/ お思いくださるあなた様のお心のほどは、さてどれくらい深くいらっしゃるのでしょうか。この私をまだごらんになったことのないお方が、噂だけでお悩みになるものでしょうか。(小学館古典セレクション)
上衆 (じょうず)身分のよい人。下衆(げす)の反対。
良清がろうじて言ひしけしきもめざましう 良清が明石の娘を自分のもののようにいっていた。「めざましう」気にさわる。目が覚めるが原義。あまりいい意味には使われない。目が覚めるほどけばけばしかったり、目ざわりだったり。
目の前に思ひ違へむもいとほしう思しめぐらされて 目の前でがっかりさせるのも気の毒だと御案じになり。娘と結婚して良清に失望させるのも。
人進み参らば、さる方にても、紛らはしてむ 娘の方から伺候(出仕)してくるならそれはそれでごまかせる。人は娘のこと。先方からもちかけてきたら、そういう方向でごまかせる。
ねたげにもてなしきこえたれば 「ねたげ」は源氏にいまいましく(憎らしく)感じさせる相手の態度。
たはぶれにくくもあるかな 「ありぬやとこころみがてら逢い見ねば戯れにくきまでぞ恋しき」(古今雑躰・諧謔歌、読み人知らず)。ためしに逢わないことを続ける、これが戯れなのである。
もののさとし 神仏のお告げ。前兆である怪異。
口惜しき際 取るに足りない身分。賎しい身分。
仮に下りたる人 任期四年で都から来た国司などに。
かく及びなき心を思へる親たち 「およびなし」分不相応な。
世籠もりて過ぐす年月 「世ごもる」年が若く将来が長い。未婚の女の状態。
あいな頼みに 頼むべきでないことを頼みとすること。あてにもならぬことを頼みとすること。
行く末心にくく思ふらめ 行く末が楽しみだと期待する。「こころにくし」期待をよせる。
ゆくりかに見せたてまつりて 「ゆくりかに」突然。思いがけなく。「見す」は結婚させることを暗に言う。
思し数まへざらむ時 人並みに遇してもらえなかった時は。相手にしてくれなかったら。
弟子ども 出家のあとは、つかえる人びとを弟子という。
立ちゐ 立ったり座ったりすること。熱心に世話を焼くこと。
あたら夜の 「月のおもしろかりける夜、桜の花を見はべりて、 源信明 あたら夜の月と花とを同じくは心知られむ人にみせばや」(後撰集三、春下)娘を源氏に逢わせたい意をほのめかす。
秋の夜の月毛の駒よ我が恋ふる雲居を翔れ時の間も見む 私の乗るつきげの馬よ、月という名を負うならば、私が都と思って眺める大空を飛んでおくれ、つかのまでもあの人の姿を見ようものを(新潮) / 秋の夜の月毛の駒よ、わたしが恋い慕っている空を駆けておくれ、ほんのつかの間でも恋しい人の姿を見ようものを。(小学館古典セレクション)/ 秋の夜の月光の下、わが乗る月毛の駒よ、空を翔ってなつかしい都に行っておくれ、ほんの暫くでも恋しい人に会おうから。(玉上)/ 月毛の駒よ、私が恋しいと思っている、遠い雲居の空(都)に駈けて行ってくれ、私は恋しいい人(紫の上)を暫しの間でも見たいと思っている。(岩波大系)「秋の夜」は月毛というための序。「月毛」鴇の羽のような赤味のある毛色の馬。
いたき所まさりて 「いた(甚)し」は、強く感心するほどすぐれている、の意。
ここにゐて、思ひ残すことはあらじ 「色々と物思いをし残す事はあるまい」と思う程、物思いをするであろう。(岩波大系)さぞありうる限りの物思いをしつくす事であろうと想像もされて。(玉上)ある限りの物思いをし尽くすことだろうと、住む人の心も思いやられて。(瀬戸内)/ こういう所で暮らしていたらいかにも風雅のありたけを味わい尽くすことであろうと、住む人の心も思いやられて。(谷崎)
うちやすらひ 「やすらう」①躊躇する。ぐずぐずする。②立ち止まる。③休む。/ しばしたたずんで。ためらいがちに。躊躇して。
見えたてまつらじ 光る源氏に見られ奉られじ、である。
人めきたるかな 「人めく」人らしい。ほめる詞。一人前、人数にはいる、貴族らしい。(玉上)/ 上品ぶってすましている。(岩波大系)/ 一人前のような態度に出る。身分柄にそぐわずお高くかまえている。(小学館古典セレクション)
あなづらはしきにや 「あなずる」(侮る)あなどる。
情けなうおし立たむも 情も容赦なく無遠慮な振る舞いをするとしても。思いやりなく無理強いするのも。女の意思を無視して無理強いするのも。
むつごとを語りあはせむ人もがな憂き世の夢もなかば覚むやと 閨(ねや)の語らいの相手の人が欲しいのです、このつらい世間の夢かと思われる数々の辛酸も、それで半ばは慰められようかと思いまして。「むつごと」「夢」は縁語。(新潮) / 親しい言葉を交わし合える人がほしいのです。憂き世の悲しい夢も半ばは覚めようかと存じまして。(小学館古典セレクション)/ 恋の睦言を語り合う相手がほしいのです。この浮世のつらい夢が幾分でも覚めるように。(玉上)
明けぬ夜にやがて惑へる心にはいづれを夢とわきて語らむ 明けることのない長夜の闇をそのままに迷っておりますこの私には、どれを夢と知り分けてお話することができましょう。(小学館古典セレクション)/ 闇の夜にそのまま迷っておりますわたくしには、何が夢やら現やら、どうわかってお話相手できましょう。(玉上)
されど、さのみもいかでかあらむ。 けれども、いつまでもそんなことをしているわけにもいかない。とうとう部屋に入ったことをいう。
かうあながちなりける契り 「あながち」[強ち]あまりに強引であるさま。
ただこの御けしきを待つことにはす 待つことといっては、ただひたすら源氏のお通いだけである。出家の身で今さら入道が娘のことを思い悩むのも、まことに気の毒な有様である。入道の「待つこと」は、本来聖衆の来迎であるはずなのに、という気持ち。「は」は強意の助詞。
近まさりする 遠くで見るよりも近くで見る方が勝っていること。引用。
さればよ 案の定、男は通って来なくなった、だから逢いたくなかったのだ。
あいなき御心の鬼なりや 訳もなく気が咎めるからだろうか。「御心の鬼」良心の呵責。
心の隔てありけると、思ひ疎まれたてまつらむ 隠し立てをしたのだと、不愉快な思いをおさせ申すことになるのは
あながちなる御心ざしのほどなりかし あまりといえばあまりなご愛情の深さというものだ。草子地。/ 紫の上にたいしてあまりに深刻な源氏のご愛情のほどであるよ。/ よくよくご愛情が深いからだろう。/ 「あながち・なり」 [強ちなり]①無理だ。身勝手だ。強引だ。②ひたすらだ。ひたむきだ。一途(いちず)だ。③はなはだしい。ひどい。
さ思はれたてまつりけむ そんな思いをおさせ申したのだろう。
取り返さまほしう 昔を今に取り返したい思いで。
人のありさまを見たまふにつけても、恋しさの慰む方なければ 入道の娘にお逢いなさるにつけても、紫の上への恋しさはつのる一方なので。
心より外なるなほざりごとにて そんなつもりもなかったつまらない浮気沙汰で。
あやしうものはかなき夢をこそ見はべりしか またしても妙にとりとめもない夢を見たことです。娘と逢ったことをそれとなく知らせたもの。
しほしほとまづぞ泣かるるかりそめのみるめは海人のすさびなれども しっとり涙に濡れて、まずあなたのことを思って泣けます、ほかの女とのかりそめの逢瀬は私の慰みごとであるようにしても(新潮) / あなたを思い出してしほしほとまず泣かずにはいられません。かりそめにほかの女に逢ったのは、海人の戯れごとのようなものに過ぎないのですけれども。(小学館古典セレクション)/ ここで仮初に女の人と会ったのは、いわば海人のわたしの遊びですけれども、それにつけてもまずあなたのことが思い出されてとめどもなく涙がこぼれて泣いてしまいます。(玉上)
うらなくも思ひけるかな契りしを松より波は越えじものぞと 何の疑いもなく信じていました、末の松山を波は越えることはないと―心変わりはないと(新潮) / 思えば正直に信じていたものです。お約束したのですから、よもや浮気心をお持ちになることなどありますまいと。(小学館古典セレクション)/ 堅いお約束をいたしましたので末の松山より波が高くなることはあるまいと、正直に信じていたのでございます。(玉上)/ 「うらなく」何の疑いもなく。/ 「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなむ」(古今東歌)心変わりはしないという愛の誓いの歌。「待つ」「松」をかける。
おいらかなるものから おおようにかいてある/ものの。
名残久しう 手紙を読んだ後いつまでもその気分が尾を引いて。
ただならずうち思ひおこせたまふらむが 一途に自分に思いを寄せているので。
承香殿しょうきょうでん 後宮十二舎の一つ。清涼殿の東北、仁寿殿(じじゅうでん)に接して北にある殿舎。
いとあたらしう 「あたらし」惜しい。もったいない。
夜離よがれなく 「夜離れ」は、男が女の元へ通わなくなること。
心苦しきけしき 気の毒になるようなこと。懐妊のきざし。
あやにくなるにやありけむ 憎らしい、困った。具合が悪い、意地が悪い。
ほどほどにつけては (妻子のある者ない者)それぞれの立場に応じて。
すずろなること つまらぬこと。くだらぬこと。
むつかるめり 「むずかる」[憤る]ぶつぶつ文句を言う。機嫌を悪くする。
いとよしよししう 「よしよしし」[由由し]いかにも由緒ありげで奥ゆかしい。いかにも風情がある。
めざましうもありけるかな 身分に似合わぬすぐれた女なのだった。「めざまし」①気に食わない、目に余る。②思いのほかすばらしい。意外にたいしたものだ。※平安時代の仮名文学では、多く、上位の者が下位の者の言動や状態を見て、身の程を越えて意外であると感じたときに、①のようにけなしたり、②のようにほめたりして用いられるが、現代語とは異なり、むしろ①の意に用いられることが多い。(学研全訳古語辞典web版)
このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じ方になびかむ 今度は別れ別れになっても、藻塩を焼く煙が同じ方にたなびくように、やがてはあなたを都に迎えよう(新潮) / 今度はお別れすることになっても、あの藻塩を焼く煙が同じ方向になびくように、いずれは必ずいっしょになりましょう。(小学館古典セレクション)/ 今度は一応分かれはしても、藻塩焼くけぶりが同じ方向なびくように、やがてまた一緒になりましょう。(玉上)
かきつめて海人のたく藻の思ひにも今はかひなき恨みだにせじみづからも いろいろと悲しみは胸にいっぱいでございますが、悲しんでも、及ばぬ身の上ではどうしようもないことゆえ、お恨みも申し上げますまい(新潮) / 海人がかき集めて焼く藻塩の火のように物思いの種は多うございますが、今はかいのないお恨みさえ申しますまい。(小学館古典セレクション)/ あれこれと何とも悲しい気持ちでいっぱいですが   今は申しても甲斐のないことですから、お恨みはいたしません。(渋谷)
みづからも 入道の君本人も。
心やましきほどに もっと聞きたいとじれったくなる(心やましき)ほど。
なほざりに頼め置くめる一ことを尽きせぬ音にやかけて偲ばむ 軽い気持ちでうれしいことを仰ってくださるのでしょうが、私はその言葉を、いつまでも悲しみにくれて思い出すのでしょうか(新潮) / かりそめのお約束なのでしょうが、そのお一言を、私はいつまでも声を上げて泣きながら心にかけてお慕いしておりましょう。尽きぬ形見の琴を頼りとして。(小学館古典セレクション)/ 気休めに頼もしそうなことをおっしゃるのでございましょうが、その気休めの一言を当てにして、泣きながらあなた様のことを、お偲び申します。(玉上)/ 「なおざり」いいかげん。おろそか。かりそめ。
聞く人の心ゆきて 「心ゆく」[心行く]気が晴れる。満足する。
逢ふまでのかたみに契る中の緒の調べはことに変はらざらなむ 再び逢うまでの形見とお約束するこの琴のの中の緒の調子ー私たち二人の仲の愛情ーは格別変わることなくあってほしいものです(新潮) / また逢う日までの形見の品にと、お互いに約束するこの琴のなかの緒の調子ーわたしたちの仲は、特に変わることなくあってほしいものです。(小学館古典セレクション)/ 再び会う日までの形見にと二人の約束を残して行く琴の中の緒の調子も、あなたの心も、共に変わらないでほしいと思う。(玉上)
人まをはからひて 「ひとま」[人間]人のいないすき。
うち捨てて立つも悲しき浦波の名残いかにと思ひやるかな  あなたをこの浦に残して出立する私の心も悲しくてなりませんが、そのあとどんなに嘆かれるかと案じられるからです(新潮) / あなたを残して、この浦を立ち去って行くのも悲しくて、その後はどうなるのやらと思いやられます。(小学館古典セレクション)/ あなたを打ち捨てて立ち去るのさえ悲しい、この明石の浦に、どんな思いで過ごされるかと、立ち去った後を察する。(玉上)
年経つる苫屋も荒れて憂き波の返る方にや身をたぐへまし ご出立のあとは、長年住みなれたこの浦の苫屋も荒れてつらいことでしょう、あなたのお帰りになる海に身を投げてしまいましょうか(新潮) / 久しく住みなれたこの苫屋も、君のお立ちのあとは荒れはてて憂き思いをしましょうから、お帰りのあとを追い、帰る波に身をまかせましょう。(玉上)/ 「たぐう」連れだつ。伴う。
何かはとてなむ それをいちいち申す必要もあるまい。/ いちいち書きとめる必要もあるまいと思うので・・・。/ 「何かは(書かむ)とてなむ(省きぬ」省筆の技法と言われるもの。
 
寄る波に立ちかさねたる旅衣しほどけしとや人の厭はむ ご用意したこの旅のお着物は、私の悲しみの涙でしとど濡れているとお厭いでしょうか(新潮) / 裁ち重ねてあるこの旅衣は涙に濡れているとて、お厭いになるでしょうか。(小学館古典セレクション)「寄る波に」 は、「裁ち重ね」の「たち」を導く助詞。「しほどけし」は「潮どく」で、涙に濡れる。/ ご用意申し上げました旅の御装束は寄る波に濡れておりますので、お気持わるいとおっしゃるでしょうか。(玉上)
かたみにぞ換ふべかりける逢ふことの日数隔てむ中の衣を 形見としてお互いに着物を取り換えることにしよう、また逢うまで多くの日数を隔てる仲なのだから(新潮) / お互いに形見として取り替えるべきなのですね。また逢う日までの間二人の仲を隔てる中の衣を。(小学館古典セレクション)/ 会うまでの形見に、いま着ている衣をあなたの贈物の衣と交換しよう。再開まで何日かかるかわからない二人の仲の、この中の衣を。(玉上)/ 「中の衣」上着と下着の間に着る衣。この言葉は男女の仲を隔てるという意に用いられることが多い。
/
かひをつくるも 口をへの字にするのが、蛤に似ていることから、泣きべそになる意。
世をうみにここらしほじむ身となりてなほこの岸をえこそ離れね 世間がいやになって、もう長年この海辺に暮らす身の上となりましても、やはりここ世への執着は捨てきれません(新潮) / 世間を厭い離れて長年この海辺に暮らす身となりましても、やはりまだこの岸をー穢土を離れることができません。(小学館古典セレクション)/ 世の中が嫌でこの海辺に逃れ長年潮風にしみた身ですが、未だにこの岸を離れられず煩悩の世界を解脱できずにおります。(玉上)/ 「ここら」たくさん、長年。「しおじむ」潮水にしみる。潮風あたる。
心の闇は 「人の親の心は闇にあらねども子を思う道にまどいぬるかな」(後撰雑一 藤原兼輔)
思ひ捨てがたき筋もあめれば、今いととく見直したまひてむ 「思ひ捨てがたき筋もあめれば」明石の君の懐妊のことを指している。「今いととく見直したまひてむ」(都に立ち去るわたしを冷淡だと恨んでいようが、近いうちに娘を都へ引き取ることで)すぐにわたしを見直すことだろう。/
都出でし春の嘆きに劣らめや年経る浦を別れぬる秋  都を出たときのあの春の嘆きに劣ろうか、何年も住みなれたこの明石の浦と別れる秋の悲しみは。京を出たのは一昨年の「三月二十日あまり」(新潮) / 先年都を出た春の嘆きに劣るだろうか。年経て住んだ浦と年老いたあなたに別れてしまうこの秋の嘆きはこれに劣りはしない。(小学館古典セレクション)/ 都を逃れ出たあの春の嘆きに決して劣りません。年月住みなれたこの明石の浦に別れる今年の秋も悲しい事です。(玉上)
正身 当の本人。
身の憂きをもとにて、わりなきことなれど 「身の憂きをもとにて」明石は身分が違い過ぎると思い、それが根本の悲しさであった。
たけきこととは 「たけ(猛)きこととは」できることといったら。
行道 元来、法会のとき僧が列を作って読経しながら、仏や仏殿の周囲を回ること。ここは入道がたまたま庭先で念仏を唱えていたのを、大袈裟に茶化したものだろう。
平らかにて 住吉の神の加護により、今まで無事に過ごし帰京することができて、の意。
いろいろの願果たし申すべきよし 源氏は暴風雨にあったとき、住吉の神にさまざまの願を立てた。「願果たす」とは、その願がかなえられたことに対して、お礼に参詣し、神前に供物を捧げること。
かひなきものに思し捨てつる命 「惜しからぬ命にかえて目の前の別れをしばしとどめてしかな」「須磨」 で別れに際し、紫の上が詠んだ歌。
ねびととのほりて 大人び美しく整って。
所狭かりし御髪のすこしへがれたるしも かってはたくさんあった御髪が少し減ったこと。「へぐ」は少し減ること。
身をば思はず 「忘らるる身をば思わず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」(拾遺・恋四 右近)わたしがあなたに忘れられるのは気にしないが、神仏に愛を誓ったあなたに罰が当たって命をなくされるのは惜しい、の意。忘れられた我が身のことよりもまず、命をかけて契った人の生命のほどが案じられる」ことだ。
ねびまさりて 「ねびまさる」年齢よりも大人びてみえる。年齢とともに美しくなる。年をとっていっそう立派になる。
わたつ海にしなえうらぶれ蛭の児の脚立たざりし年は経にけり 海辺にうちしおれ心細い思いで、動きのとれない三年を過ごして来たことです(新潮)/ 海辺でうちしおれて、落ちぶれながら、蛭の子のように立つことできない年月を過ごしました。(小学館古典セレクション)/ 海辺に流浪して侘しい思いで、あの蛭の子の足の立たなかった年数、三年を過ごしました。(玉上)/ 「蛭の子」イザナギ・イザナミのの二神の子で、三歳まで足が立たず岩楠船に乗せて海に流したという。『日本書紀』神代紀の故事による。
宮柱めぐりあひける時しあれば別れし春の恨み残すな こうして互いに再会の時があったのだから、あの別れた春の恨みは忘れてほしいものです(新潮) 「宮柱」は「めぐりあう」の助詞。/ こうしてめぐり会うこともあるのだから、別れた春の恨みは忘れてほしいのです。(小学館古典セレクション)/ 諾冊(だくさく)の二神が宮柱をめぐって行き会われたように再会のときになったのだから、別れた春の恨みは忘れてもらいたい。(玉上)
入道の宮にも 藤壺のこと。
嘆きつつ明石の浦に朝霧の立つやと人を思ひやるかな あなたが(毎夜どんなにか)嘆きながら夜を明かす明石の浦に、あなたの嘆きの息が朝霧となって立っていようかと思いやることです(新潮) / あなたが嘆き嘆きして夜を明かす明石の浦には、その嘆きの息が朝霧となって立っていようかと思いやられます。(小学館古典セレクション)/ 嘆きつつあかし暮らすあなたの嘆きが明石の浦に朝霧となって立っていはしまいかと、あなたの悲しみを遠く想像しています。(玉上)/ 「波のよるよるいかに」波の打ち寄せる明石の浦では如何、と波の寄る、夜々は如何、をかけている。
まくなぎつくらせて 使者に誰からとも言わせず、ただ目配せだけさせて文を源氏の元に届けさせた。
須磨の浦に心を寄せし舟人のやがて朽たせる袖を見せばや 須磨の浦で心をお寄せした船人が、その時以来涙で朽ちさせてしまった袖をお見せしたいことです(新潮) / 須磨の浦で心をお寄せた船人が、あのまま涙に朽ちさせてしまった袖をお見せしたいものです。(小学館古典セレクション)/ 須磨の浦であなたにお便り申し上げた船人がそのまま涙で朽ちさせてしまった袖をお見せ申しとうございます。(玉上)
帰りてはかことやせまし寄せたりし名残に袖の干がたかりしを かえってこちらから苦情を申し上げたいくらいです。あのときお手紙を頂いたそのあと涙に袖がなかなか乾かなかったのですから(新潮) / こちらの方からかえって、恨み言を言ってみたいところです。あなたがお手紙くださった後、涙に濡れたわたしの袖がかわきにくかったのですから。(小学館古典セレクション)/ あなたがあの時お便りくださったそのあと、泣き濡れていっこう袖が乾かなかったので、かえって此方から愚痴を申し上げたいくらいです。(玉上)

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公開日2018年5月13日