源氏物語  玉鬘 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 22 玉鬘
心々こころごころなる人のありさま 「心々こころごころ」人それぞれの心。人さまざまであるさま。
右近は 夕顔の侍女。某の院に行を共にして夕顔の死に遭い、そのまま源氏に仕えることになった。
かいひそめたるものに 「かい」接頭語。「ひそむ」目立たず控え目にする。
かの西の京にとまりし若君をだに行方も知らず あの西の京に残された若君ですら、その後の行方も分からず。「若君」夕顔と当時の頭の中将との間に生まれた女子。
少弐しょうに 太宰の少弐。大弐に次ぐ、大宰府の次官。定員二名。従五位下相当。
母君のおはしけむ方も知らず、尋ね問ひたまはば、いかが聞こえむ 母君の行方もしらないまま、(頭の中将から)問い聞かれたら、なんとお答えしよう。
知りながら、はた、率て下りねと許したまふべきにもあらず わが子と知りながら、筑紫へ連れて行ってよいと許可するはずもない。
舟路ゆゆし 船旅に涙は不吉と母の乳母は一方では娘たちを制したのだった。
心若うおはせしものを、かかる路をも見せたてまつるものにもが (夕顔は)気の若い方だったのに、こうした道中の気色もお見せしたかった。
舟人もたれを恋ふとか大島のうらがなしげに声の聞こゆる 船人も誰を恋しく思うとてか、心悲しげに舟唄の声が聞こえることです。姉の歌と見られる。「大島の浦」を「心(うら)悲しい」に言いかける。(新潮日本古典集成)/ 船頭も誰を恋うているのでしょうか、大島の浦でうらがなしい歌声がしますわ。(玉上)
来し方も行方も知らぬ沖に出でてあはれいづくに君を恋ふらむ きた方角も行方もわからぬ沖に漕ぎ出して、一体わたしたちはどちらに向かって、夕顔の君を恋い求めることなのでしょう。(新潮)/ 来た方向も行く先もわからぬ海原に出て、ほうとうにどちらに向かってあの方を恋うているのでしょう。(玉上)
ことなる勢ひなき人は 格別裕福でもない人なので。大した勢力もないこの人は。
娘どもも男子どもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきにたり (乳母の)娘や息子たちも田舎相応の配偶者もできて、生活の根をおろしている。
心のうちにこそ急ぎ思へど (乳母は)気持ちは早く京へ行きたいと思っていたが。
もの思し知るままに 物心がつくにつれて。
年三ねそうなどしたまふ 「年三」一年のうち、正月五月九月の三月のそれぞれ前般十五日間。持戒精進して仏菩薩の名号を称すること。この三月は帝釈天が衆生の善悪を記録するので、精進すれば、一切の罪業消滅し、災難にあわず、死後、浄土に往生すると信じられていた。
大夫監たいふのげん 大宰府の大監(大弐、少弐の次。正六位下相当)で、従五位に叙せられた者の称。
二人は赴きにけり 息子のうちの二人は(次郎と三郎)大夫の監の味方についてしまった。もうひとり豊後介(ぶんごのすけ)という息子がいる。
中のこのかみなる豊後介ぶごのすけ 三人兄弟のなかの長兄。太郎。「兄」(このかみ)長兄。
いとたいだいしく、あたらしきことなり 「たいだいし」厄介である。不都合である。「あたらし」このままにしておくのは惜しい。もったいない。
懸想人は夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、さまかへたる春の夕暮なり 恋人というものは夜こっそりやって来るからこそ「よばい」とは言ったものだが、これは一風変わった春の夕暮れだ。夜こっそりやって来るはずの求婚者が夕暮れにやって来たというのだが、大夫の監を馬鹿にした感じの草子地。
秋ならねども、あやしかりけりと見ゆ 「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり」(古今巻十一恋一、読み人しらず)
祖母おばおとど出で会ふ 乳母のこと。姫君を孫と一般に言っているので、こう言う。「おとど」は敬称。
おとどもしぶしぶにおはしげなることは 「おとど」婦人に対する敬称。乳母殿もお気が進まぬげにうけたまわっておりますが。
ただ、なにがしらが私の君と思ひ申して ただもう拙者めの内々の主君と思い申して。「なにがし」男性の自称。「ら」は接尾語。
すやつばらを、人並みにはしはべりなむや そんな奴らを姫と同じように扱いましょうや。「すやつ」そいつ。「ばら」複数。
やめてむ 「やむ」治す。
その日ばかり 何日頃に、と結婚の日取りを迫った。
この月は季の果てなり 今月(三月)は、季節(春)の終わりだなどと、田舎らしい迷信を立てて逃れる。季の終わりの月は結婚を忌む習慣があったらしい。
君にもし心違はば松浦なる鏡の神をかけて誓はむ 姫君に万一わたしが心変わりしましたなら、(どのような罰を受けようと)松浦にまします鏡の神にかけて誓いましょう。「鏡の神」は肥前の国松浦郡(今の唐津市)鏡に鎮座する鏡の宮。祭神は神功皇后。(新潮)/姫君に対しもしわたしが心変わりしましたら、どんな罰でもうけますと、松浦の鏡明神にかけて誓いましょう。(玉上)
年を経て祈る心の違ひなば鏡の神をつらしとや見む 長年お祈りしています念願が叶えられませんでしたら、鏡の神をひどいとお思い申すことでしょう。上の句は、姫が大夫の監ような田舎者と結婚することになったら、の意。/ 長年願をかけていたことがかなわないことになったら、鏡の明神をお恨み申すことでしょう。(玉上)
あれにもあらねば 気もそぞろで。「あれ」は、われ。気が動転していた。
まろは、ましてものもおぼえず わたしはなおさら気も遠くなりそうで。「まろ」は親しい者同志が使う自称。男女とも使う。
さまことにものしたまふを (姫は)普通ではないお身体でいられますから。
引き違へはべらば、つらく思はれむを この縁談が駄目になったら、ひどいとお思いであろう気持ちを。「引き違へば」は歌の「たがひなば」を無理に解釈したもの。「れ」は軽い敬語。
ほけほけしき人の 「ほけほけし」ひどくボケている。/
をかしき御口つきかな しゃれた詠みっぷりですな。
いかがは仕まつるべからむ 姫をどうしてさし上げたものであろうか。
あたまれては にらまれては。「あたむ」は、「あた」(こちらに害をなすもの、敵)を活用させた語。
あてきと言ひしは 「妹たち」のうちの一人。乳母の娘二人のうちの妹娘の方だけが上京する。昔、童女としての名を、「あてき」(貴君)といった娘が今は兵部の君と名のっている。
浮島を漕ぎ離れても行く方やいづく泊りと知らずもあるかな 寄るべもないこの土地を漕ぎ離れても、これから行く所はどこが泊りとも分からぬ身の上ですこと。「浮島」は、歌枕としては奥州塩竃の浦の島々をいうが、ここはその意味はない。「浮」に「憂き」が響く。(新潮)/ つらかったあの地を去り、浮島を漕ぎ離れはしたものの、この先どこに泊まるかも分からないのですね。(玉上)
行く先も見えぬ波路に舟出して風にまかする身こそ浮きたれ 行く先も見えぬ遠い波路に船出して風にまかせてさすらうこの身の上の頼りないこと。(新潮)/ 行く先も見えないこの広い波間に船出して風に行方をまかせているわたしたちこそつらいことです。(玉上)
憂きことに胸のみ騒ぐ響きには響の灘もさはらざりけり あの大夫の監が追ってくるかもしれないと胸が波立っているその響きには、響きの灘の荒い波音も物の数ではないことです。(新潮)/ 心配事でひやひやしているこの胸の動機には、ひびきの灘の響きくらいはこたえません。(玉上)
げに、あやしのわざや ほんとに、おかしなことをしてしまった。
八幡の宮と申すは 石清水八幡宮(いわしみず)。山城の国綴喜郡(つづき)八幡の男山に鎮座。清和天皇の貞観二年(860)宇佐八幡宮を勧請したもの。歴朝の尊崇があつかった。
かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ こうして(馴れぬ旅路で)つらくてたまらないままに、また改めて悲しい思いを噛みしめながら。/ こうさしあたって今の難儀に、改めてつらく思いつつも。
女ばらある限り三人 女たちは総勢三人。姫君と乳母と兵部の君。
軟障ぜじょうなど 幕。
恥づかしげもなし 気の引ける相手でもない。こちらが恥ずかしくおもうようなところがない。
いたうかいひそめて ひどくひっそりして。
はしたなき交じらひのつきなくなりゆく身を思ひなやみて 中途半端なご奉公が、居心地悪なってゆくわが身を案じて。身の置き所のないご奉公がそぐわなくなってゆく身の上を。源氏があまりに立派だからである。
兵藤太ひょうとうだといひし人も豊後の介の若い頃の通称。
あが御許にこそおはしましけれ あなた様でいらしたのですね。「「あが御許」は婦人を親しみ呼ぶ言い方。
いとつらく、言はむかたなく思ひきこゆる人に 本当にひどい、なんという人かと恨めしくお思いするお人に、とうとう会えるだなんて。夕顔のお供をして出てから、何の音沙汰もなかったからである。
またたきはべる 生きて目をまたたいている。まだ目もつぶれないでいます。
昔その折、いふかひなかりしことよりも、応へむ方なくわづらはしと思へども 昔、あの時、言っても詮ない夕顔の急死に、どうしようもなく困り果てた時よりも、今の方が返事のしようもなく言いづらいと思うけれど。
初夜そや行なふほどにぞ 一日を六時(晨朝じんちょう、日中、日没、初夜、中夜、後夜ごや)に分けた。
大弐の北の方 太宰の大弐。従四位相当。大宰府の次官。帥(そち)は多く親王が任ぜられ赴任しないので、大弐が実質的に長官に等しい。大宰府は西街道(九州)全体を管理するから、地方官中の最要職であり、三条が実際に知る限り、最高権力者である。
「 
あなかま。たまへ あなかま」うるさい。「たまえ」静かにせよ。命令形のとき動詞を省略して用いることがある。
藤原の瑠璃君 頭中将の子なので藤原氏である。「瑠璃君」は、姫君の幼名かともいうが、おそらく右近の作った仮名であろう。
大弐の御館みたちの上の 大弐様の北の方が。/
当代の御母后と聞こえし 今上(冷泉帝)の御母后と申し上げたお方と。藤壺のこと。
我に並びたまへるこそ、君はおほけなけれ わたしと夫婦でいるなんて、貴女はだおそれたお方だ。源氏が紫の上に言う冗談。わたしと並んでいるなんて、貴女は分に過ぎてますよ。「おおけなし」分不相応だ、身の程をわきまえない。
かかる御さまを こんな姫君を。このように美しい姫を。
あたらしく悲しうて 「あたらし」(可惜し)このままにしておくのは惜しい。惜しむべきである。
二本の杉のたちどを尋ねずは古川野辺に君を見ましや この二本の杉の立っている所を尋ねてこなければ、古い川のここであなたさまにお会いしたでしょうか。(玉上)/ 二本の杉の立っているこの初瀬にお参りしなかったら、この古川(初瀬川)のほとりで姫君にお会いできたでしょうか。(新潮)/「初瀬川古川の辺に二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」(古今集巻十九雑体歌、旋頭歌 読み人知らず)「祈りつつ頼みぞわたる初瀬川うれしき瀬にも流れ合ふやと」(古今六帖 三 川、兼輔) 
初瀬川はやくのことは知らねども今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ 以前のことは知りませんが、今日の逢瀬のうれし涙に身体まで流れてしまいます。(新潮)/ 昔のことは知りませんが、今日のめぐりあいにこの身までも流れるほどに、涙をせきかねます。(玉上)
こちこちしうおはせましかば 「こちこちし」洗練されていない。無骨である。
こまがへるやうもありかし 「こまがえる」老いて再び若返る。
今聞こえさせはべらむ 「今」⑤そのうち。
kikoesasitu">聞こえさしつ 「聞こえさす」「さす」は途中で止める。「言ひさす」の謙譲語。申し上げるのを途中でやめる。
をかしきけさへ添ひたまへり 「をかしきけ」おかしみのある所。味のある所。/ 冗談を言って、人を笑わせる一面もこのところおありになるのだった。
かならずさしもいかでかものしたまはむと思ひたまへりしを (お子様だからとて)お方様ほどのお美しさでいらっしゃるとは限るまいと思っておりましたが。
大臣に知らせたてまつらむとも、誰れかは伝へほのめかしたまはむ 内大臣にお知らせ申し上げようにも、一体どなたが先様のお耳に入れることができましょう。源氏をおいて他にない、の意。
いたづらに過ぎものしたまひし代はりには 空しくお亡くなりになったお方様のお身代わりには。
いたうもかこちなすかな 人のせいにする。人に押し付ける。「かこつ」①他のせいにする。口実とする。②愚痴を言う。うらんで言う。
さてものしたまはば 姫がここでお暮らしになることになったら。
知らずとも尋ねて知らむ三島江に生ふる三稜の筋は絶えじを あなたに心当りはなくても、辿ってみればお分かりのなずです。あなたとわたしの間には、切っても切れないご縁があるはずですから。(新潮)/ なぜかはご存知なくても、やがて人に尋ねてお分かりになるでしょう。三島江に生えている三稜の筋のように、ご縁は続いていましょうから。(玉上)
数ならぬ三稜や何の筋なれば憂きにしもかく根をとどめけむ 数ならあぬこの私は、どうした因縁でつらいこの世に生まれたのでしょう。(新潮)/ 物の数でもないこの身はどういうわけで、三稜が沼底に根をおろすように、このつらい世に生まれてきたのでしょう。(玉上)
はかなだち、よろぼはしけれど たよりなげで、たどたどしいけれど。
あてはかにて口惜しからねば 品があって見苦しくない。
さてさぶらふ人のつらにや聞きなさむ そこに仕える人と同列に思われるかもしれない。
世にある人の上とてや、問はず語りは聞こえ出でむ。 もう死んでしまった人のことを、聞かれもしないのにお話することがありましょうか。(亡き人のことを)世にある人のことのように・・・の意。
大臣、東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ 源氏は、花散里に玉鬘のお世話をお頼みになる。
つきづきしく後む人なども、こと多からで 夕霧の世話も格別のこともしてないという謙遜の言葉。
年ごろのうひうひしさに 長年都の暮らしには縁がなかったので。「ういういしさ」見慣れないこと。
この戸口に入るべき人は、心ことにこそ この戸口から入れる人は、特別な間柄なのだね。恋人を迎え入れるような右近のとの開け方に、冗談を言う。/この戸口を入るような人は、心がときめくね。
げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり なるほどと思われるお目元のご立派さだ。灯火にはっきり照らし出された源氏の顔の容姿。
いささかも異人と隔てあるさまにものたまひなさず 少しも他人行儀によそよそしいおっしゃり方もなさらず。
ものうひうひしく、若びたまふべき御ほどにもあらじを もの馴れず恥ずかしがられるようなお年でもあるまいに。
脚立たず沈みそめはべりにけるのち、何ごともあるかなきかになむ 幼い頃母に先立たれて田舎に暮すようになりましてから、何事も見る影もない有様でございます。「かぞいろ(父母)はあわれと見ずや蛭の児は三歳になりぬ脚立たずして」(『日本紀/宴和歌』大江朝綱)/ 足もまだ立たないうちに落ちてゆきましてから後は、何事もたよりないことでして。
 
いかにいとほしげならむとあなづりしを どんなに見るに見かねる有様だろうと見くびっていたが。「いとおしい」見ていられないほどかわいそうである。気の毒である。いたわしい。
いとうるはしだちてのみ 至極真面目くさって。「うるわしだつ」まじめな様子をする。折り目正しく振舞う。
 
兵部卿宮などの 源氏の弟宮。この宮は、「絵合」で判者となったり、「乙女」で琵琶をひいたり、風流人である。
なほうちあはぬ人のけしき見集めむ 「なほあり」は、。そのままでいる、平気でいる。平気ではいられない男どもの様子を見てやろう。
 
まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。いと無心にしなしてしわざぞかし ほんとうにあなたこそ、わたしが今のような気持ちだったら、そんな風に大事にして(娘分として)、男たちの心を惑わしたかった。/「いと無心にしなしてしわざぞかし」全く心ないやりかたをしてしまったものです。しゃにむに妻として我が物としてしまった、という。
恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ< 亡き夕顔を恋しく思い続ける自分は昔のままだが、この娘はどのような縁に引かれて自分の元に頼って来たのだろうか。(新潮)巻名、この人の呼称、この歌による。「玉かづら」は「鬘(かづら・かもじ)の美称。「絶えぬ」にかかる枕詞だから、「筋」に、絶えぬ筋の意がこめられる。「筋」(毛筋)は「玉かづら」の縁語。「いづくとて尋ね来つらむ玉かづら我が身は昔の我くに」(後撰集巻十八雑四 源善朝臣)のよる。/ あれを思い続けてきたこの身は昔のままだけれど、あの娘はどういう縁をたどって訪ねてきたのだろう。(玉上)
中将の君にも 夕霧のこと。
おほぞうなるは、ことも怠りぬべし いい加減にしておいては、十分に行き届かないこともあろうということで。
擣殿うちどのより参らせたる擣物うちもの 艶を出すために絹を砧でうつ所。その絹。
紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿 紅梅の襲(かさね)で模様がくっきりと織り出された葡萄染(えびぞめ・薄紫色)の御小袿。
今様色の 濃い紅梅色。禁色(濃い紅)に対するゆるし色と大体同じという。
かの御料 紫の上のお召し料。
桜の細長に、つややかなる掻練取り添へては、姫君の御料なり 桜襲(さくらがさね)。表白、裏紫、または蘇芳(すおう・染色の名。蘇芳の煎汁で染めた黒味をおびた紅色、赤色・赤紫・紫色にも染められる)。「掻練」薄紅の練って柔らかくした絹。「姫君の御料」明石の姫君の御料。
浅縹あさはなだ海賦かいふの織物、織りざまなまめきたれど、匂ひやかならぬに、いと濃き掻練具して、夏の御方に 薄い縹色(藍色)の海賦(大波・海松・貝・松など、海辺の風物を様式的な模様にしたもの)を織り出した織物。花散里の御料に。
曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対にたてまつれたまふを 山吹襲。表薄朽葉(くちば・赤味のある黄色)、裏黄。西の対は玉鬘の御料。/ 紫の上には落ちついた上品な紫系統。幼い姫君は桜やかいねりの紅と赤の勝ったかわいい色。夏の御方つまり花散里は、浅縹のいささか地味な系統のもの。西の対の姫君は、山吹色の明るくてぱっとした黄系統の色が基調になっているようである。(玉上)
内の大臣の 玉鬘の父。内大臣。
いで、この容貌のよそへは、人腹立ちぬべきことなり いやこの容貌の見立ては人の機嫌をそこないかねない。
おくれたるも、またなほ底ひあるものを 美人でなくても、やはり格別の深みあるものだから。
空蝉の尼君に 関屋の巻末に尼になったことが見える。源氏の庇護の下にあることが、ここにはじめてみえる。二条院の東の院にいるのである。
今すこしさし離れ、艶なるべきを 少しは違いがあるので、つつましくするべきなのに。「さしはなれ」違いがある、差がある。「えん」ここでは控え目な態度。遠慮すること。/ もう少し他人行儀に、しゃれた趣向があるべきだが。
着てみれば恨みられけり唐衣返しやりてむ袖を濡らして 着てみますとお恨みに思われてなりませぬ。この立派なお着物もお返し申してしまいましょう。わたしの涙を袖に濡らして。(新調)/ 着てみれば恨めしく思えてきます。ですからこの衣はおl返ししましょう。涙で袖を濡らしまして。(玉上)
常陸の親王の 末摘花の亡くなった父親。常陸守だった。
すべて女は、立てて好めることまうけてしみぬるは、さまよからぬことなり 表看板にするものをわざわざ作ってそれに打ち込んだのは、見よいものではありません。とくに気に入ったことを見つけて、これに凝ってしまうのは、みっともないことだ。
何ごとも、いとつきなからむは口惜しからむ まったく不案内というのでは仕方がないでしょう。少しも知らないのは感心しない。
ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける< 心構えだけをふらふらしないようにしっかり持っておいて、うわべはおっとりしているというのが、見た目にも無難というもののだ。心の内を、ふらふらさせず落ちつけて、うわべは穏やかにしているのこそ、感じのいいものなのだ。
返さむと言ふにつけても片敷の夜の衣を思ひこそやれ 着物を返そうとおっしゃるにつけても、ひとり寝のわびしさに、夢にでもわたしと逢いたいというあなたの気持ちをお察しすることです。「片敷」は、自分だけの着物を敷いて寝る独り寝のこと。(新潮)/ 返そうとおっしゃるにつけてもその衣を敷いてひとり寝をするあなたに同情します。(玉上)

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公開日2019年5月31日