源氏物語 22 玉鬘 たまかづら

HOME表紙へ 源氏物語 目次 あらすじ  章立て  登場人物 玉鬘系図 pdf
原文 現代文
22.1 源氏と右近、夕顔を回想
年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つゆ忘れたまはず、心々こころごころなる人のありさまどもを、見たまひ重ぬるにつけても、「あらましかば」と、あはれに口惜しくのみ思し出づ。
右近は、何の人数ならねど、なほ、その形見と見たまひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり馴れたり。須磨の御移ろひのほどに、対の上の御方に、皆人びと聞こえ渡したまひしほどより、そなたにさぶらふ。心よくかいひそめたるものに、女君も思したれど、心のうちには、
「故君ものしたまはましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落としあぶさず、取りしたためたまふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列にこそあらざらめ、この御殿移りの数のうちには交じらひたまひなまし」
と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。
かの西の京にとまりし若君をだに行方も知らず、ひとへにものを思ひつつみ、また、「今さらにかひなきことによりて、我が名漏らすな」と、口がためたまひしを憚りきこえて、尋ねても訪づれきこえざりしほどに、その御乳母の男、少弐しょうにになりて、行きければ、下りにけり。かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。
年月はたったが、いとおしい夕顔のことを、源氏は片時も忘れることはなく、人それぞれの有様を見て経験を積んだのだが、「夕霧がいたらなあ」となつかしく残念に思うのだった。
右近は、何ほどの者でもないが、夕顔の形見と思っていて、目をかけていらっしゃるので、古参の女房の一人として、お仕えしている。須磨に流浪したとき、紫の上に女房たちは皆預けたときから、そちらに仕えている。気立てはよく控え目な性分と見られていたが、右近は心の内では、
「亡くなった姫君が健在でしたら、明石の君のご寵愛に劣ることはなかっただろう。さして深い愛着を持っていない方々も見捨てることがなく面倒を見て、心変わりのしない性分なので、高貴な方々と同列というわけにはいかないが、御殿への引越しの数のうちには入るだろう」
と思うと、いつまでも悲しく思うのだった。
あの西の京に預けられていた姫君の行方も知らず、ひたすら夕顔の死を秘匿し、また、「今さら、仕方ないことで、わたしの名を漏らすな」と、口止めされていたことを憚って、訪ねてお知らせすることもないままに、その乳母の夫が、少弐しょうに になって、一緒に下った。あの姫君が四歳の年に、筑紫へ行った。
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22.2 玉鬘一行、筑紫へ下向
母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して、夜昼泣き恋ひて、さるべき所々を尋ねきこえけれど、つひにえ聞き出でず。
「さらばいかがはせむ。若君をだにこそは、御形見に見たてまつらめ。あやしき道に添へたてまつりて、遥かなるほどにおはせむことの悲しきこと。なほ、父君にほのめかさむ」
と思ひけれど、さるべきたよりもなきうちに、
母君のおはしけむ方も知らず、尋ね問ひたまはば、いかが聞こえむ
「まだ、よくも見なれたまはぬに、幼き人をとどめたてまつりたまはむも、うしろめたかるべし」
知りながら、はた、率て下りねと許したまふべきにもあらず
など、おのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、ただ今から気高くきよらなる御さまを、ことなるしつらひなき舟に乗せて漕ぎ出づるほどは、いとあはれになむおぼえける。
幼き心地に、母君を忘れず、折々に、
「母の御もとへ行くか」
と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、娘どもも思ひこがるるを、「舟路ゆゆし」と、かつは諌めけり。
おもしろき所々を見つつ、
心若うおはせしものを、かかる路をも見せたてまつるものにもがな」
「おはせましかば、われらは下らざらまし」
と、京の方を思ひやらるるに、帰る浪もうらやましく、心細きに、舟子どもの荒々しき声にて、
「うらがなしくも、遠く来にけるかな」
と、歌ふを聞くままに、二人さし向ひて泣きけり。
舟人もたれを恋ふとか大島の
うらがなしげに声の聞こゆる

来し方も行方も知らぬ沖に出でて
あはれいづくに君を恋ふらむ

鄙の別れに、おのがじし心をやりて言ひける。
金の岬過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。
夢などに、いとたまさかに見えたまふ時などもあり。同じさまなる女など、添ひたまうて見えたまへば、名残心地悪しく悩みなどしければ、
「なほ、世に亡くなりたまひにけるなめり」
と思ひなるも、いみじくのみなむ。
乳母は、母君の行方を探そうと、よろずの神仏に拝んで、夜昼泣き慕い、思い当たるところを尋ねたが、見つけられなかった。
「それでは、姫君をせめて形見と思いましょう。筑紫のような田舎に連れて行って、都からはるか遠くに離れるのもとても悲しい。やはり父親に事情をお話しようか」
と思ったけれど、適当なつてもないまま、
「母君の行方も分からず、中将様から問われたら、何とお答えしよう」
「まだよく、なついてもいないのに、父君に幼い子をお預けするのも、心配です」
「わが子と知りながら、筑紫へ下るのは許可しないでしょう」
などそれぞれ話して、今からかわいらしく気高く美しい姫君を、格別な装備もない舟に乗せて筑紫のような遠くに漕ぎ出すのは、まことにいたわしく思われた。
子供心にも、母君を忘れず、折々に、
「母のところへ行くの」
と聞かれるにつれ、涙が絶える時がなく、娘たちも夕顔を慕うのを、「舟旅に涙など縁起でもない」と戒めた。
景色のよいところを見物しながら、
「夕顔は気が若かったので、こんな道中もお見せしたかった」
「おいでになられたら、われらは筑紫に下ることもないでしょう」
と京の方を思いやられるに、返る波もうらやましく、心細く感じ、舟子たちの荒々しい声で、
「うらがなしくも、遠く来にけるかな」
と歌うのを聞くと、娘たちと二人して差し向かいで泣くのだった。
(姉)「舟人は誰を恋うて歌うのでしょう
うらがなしい声が聞こえます」
(妹)「来し方も行く方もわからぬ沖に出て
どちらに向かってあなたを恋うたらいいでしょう」
都を離れて、それぞれ思いをはせて歌った。
筑前玄海の金の岬を過ぎて、「わたしは夕顔を忘れない」など言うのが口癖になり、大宰府に到着してからは、いっそう都を思って、泣き、乳母はこの姫を大切にお世話して暮した。
たまには夢に見えるときがあった。同じ様な女が寄り添っているのが見えて、夢のあとは気分が悪くなりわずらって、
「やっぱり、お亡くなりになったのだろう」
と思うのも、悲しかった。
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22.3 乳母の夫の遺言
少弐、任果てて上りなどするに、遥けきほどに、ことなる勢ひなき人は、たゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬほどに、重き病して、死なむとする心地にも、この君の十ばかりにもなりたまへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見たてまつりて、
「我さへうち捨てたてまつりて、いかなるさまにはふれたまはむとすらむ。あやしき所に生ひ出でたまふも、かたじけなく思ひきこゆれど、いつしかも京に率てたてまつりて、さるべき人にも知らせたてまつりて、御宿世にまかせて見たてまつらむにも、都は広き所なれば、いと心やすかるべしと、思ひいそぎつるを、ここながら命堪へずなりぬること」
と、うしろめたがる。男子おのこご三人あるに、
「ただこの姫君、京に率てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」
となむ言ひ置きける。
その人の御子とは、たちの人にも知らせず、ただ「孫のかしづくべきゆゑある」とぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづききこゆるほどに、にはかに亡せぬれば、あはれに心細くて、ただ京の出で立ちをすれど、この少弐の仲悪しかりける国の人多くなどして、とざまかうざまに、懼ぢ憚りて、われにもあらで年を過ぐすに、この君、ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。
少弐は五年の任期が終わって京へ上ろうとするに、たいして裕福でもないのに、ぐずぐずして、思い切って出発しないうちに、重い病を患い、死にそうになりながらも、この姫君が十ばかりになって、こわいほどかわいらしく美しくなったのを見て、
「わたしまでもこの姫を見捨ててしまったら、どんな姿で落ちぶれてしまうことだろう。辺鄙な田舎で成人なさるのも、恐れ多いことですが、一刻もはやく京にお連れして、しかるべき人にもお知らせして、あとは姫君の運勢に任せるとしても、都は広い所なのでひとまず安心だろうと心積りしていましたが、この地で命を落とすことになろうとは」
と心配するのであった。息子が三人いて、
「ただこの姫君を京にお連れすることを思え。わたしの供養など気にするな」
と言い残したのだった。
誰それの子とは役所の同僚にも言わず、ただ「孫で大切に育てる故があるのだ」とのみ言ってあるので、人に見せず、とても大切に育てていて、突然亡くなってしまったので、乳母は悲しく心細く思い、ひたすら京へ上がる支度をしていたが、少弐と仲の悪い国の人がたくさんいて、あれこれと恐れ憚って、つい年を過ごしているうちに、姫君は大きくなって、母君よりも清らかになり、父大臣の筋が加わっているからだろうか、気品があってかわいらしい。気立てはおおらかで申し分なかった。
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22.4 玉鬘への求婚
聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息がる、いと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰も誰も聞き入れず。
「容貌などは、さてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たらむ」
と言ひ散らしたれば、
「故少弐の孫は、かたはなむあんなる」
「あたらものを」
と、言ふなるを聞くもゆゆしく、
「いかさまにして、都に率てたてまつりて、父大臣に知らせたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたしと思ひきこえたまへりしかば、さりともおろかには思ひ捨てきこえたまはじ」
など言ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じける。
娘どもも男子どもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきにたり心のうちにこそ急ぎ思へど、京のことはいや遠ざかるやうに隔たりゆく。もの思し知るままに、世をいと憂きものに思して、年三ねそうなどしたまふ。二十ばかりになりたまふままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。
この住む所は、肥前国とぞいひける。そのわたりにもいささか由ある人は、まづこの少弐の孫のありさまを聞き伝へて、なほ、絶えず訪れ来るも、いといみじう、耳かしかましきまでなむ。
伝え聞いた田舎の好き者たちが、ちょっかいを出して文を送る者が多かった。とんでもないことだと思い、誰も聞き入れなかった。
「容貌などは人並みだが、ひどく不具なところがあるので、人にも見せず尼にして、わたしが生きている限りは面倒を見よう」
と乳母が言い散らしたので、
「故少弐の孫は不具者かたわものらしい」
「惜しいことに」
との噂を聞くのも腹立たしく、
「どうかして、都にお連れして、父大臣に知らせたいものだ。幼いころは、たいへんかわいらしいと思われていたので、いくらなんでも粗略に扱って見捨てることはしないでしょう」
などと言い嘆き、神仏に願を立てて祈願するのだった。
乳母の娘や息子たちも田舎に配偶者を得て住みついていた。乳母は心の中では早く上京したいと思っていたが、都はますます遠ざかっていった。娘は物心がつくにつれて、世の中を厭うようになり、年三ねそうの精進などをした。二十歳ばかりになるとすっかり成人して、たいへん美しくなった。
住んでいる所は、肥後の国といった。そのあたりで気の利いた者は、まずこの少弐の孫のことを伝え聞いて、絶えず尋ねてくるのは、たいへんなもので、うるさいほどであった。
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22.5 大夫の監の求婚
大夫監たいふのげんとて、肥後国に族広くて、かしこにつけてはおぼえあり、勢ひいかめしき兵ありけり。むくつけき心のなかに、いささか好きたる心混じりて、容貌ある女を集めて見むと思ひける。この姫君を聞きつけて、
「いみじきかたはありとも、我は見隠して持たらむ」
と、いとねむごろに言ひかかるを、いとむくつけく思ひて、
「いかで、かかることを聞かで、尼になりなむとす」
と、言はせたれば、いよいよあやふがりて、おしてこの国に越え来ぬ。
この男子どもを呼びとりて、語らふことは、
「思ふさまになりなば、同じ心に勢ひを交はすべきこと」
など語らふに、二人は赴きにけり
「しばしこそ、似げなくあはれと思ひきこえけれ、おのおの我が身のよるべと頼まむに、いと頼もしき人なり。これに悪しくせられては、この近き世界にはめぐらひなむや」
「よき人の御筋といふとも、親に数まへられたてまつらず、世に知らでは、何のかひかはあらむ。この人のかくねむごろに思ひきこえたまへるこそ、今は御幸ひなれ」
「さるべきにてこそは、かかる世界にもおはしけめ。逃げ隠れたまふとも、何のたけきことかはあらむ」
「負けじ魂に、怒りなば、せぬことどもしてむ」
と言ひ脅せば、「いといみじ」と聞きて、中のこのかみなる豊後介ぶごのすけなむ、
「なほ、いとたいだいしく、あたらしきことなり。故少弐ののたまひしこともあり。とかく構へて、京に上げたてまつりてむ」
と言ふ。娘どもも泣きまどひて、
「母君のかひなくてさすらへたまひて、行方をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見たてまつらむとこそ思ふに」
「さるものの中に混じりたまひなむこと」
と思ひ嘆くをも知らで、「我はいとおぼえ高き身」と思ひて、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の色紙、香ばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたりと思ひたる言葉ぞ、いとたみたりける。みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うち連れて来たり。
大夫たいふげんという者、肥後の国に一族が多く、肥後一円では声望もあり、勢いのある武士がいた。無骨な心に好き心が混じって、器量のいい女を集めてそばに置こうと思った。この姫君のことを聞きつけて、
「不具な所があっても、わたしは見ないことにしよう」
と、たいへん丁重に言ってくるのを、乳母はおそろしく思って、
「どうかして、縁談などに耳をかさず、尼にさせたい」
と言わせたので、いよいよ気になって、強いて肥前の国に来た。
乳母の三人の息子たちを呼び寄せて話をするに、
「わたしの思い通りになれば、同盟を結ぼう」
と持ちかけると、下の二人は仲間になった。
「最初は不釣合いで姫がかわいそうだと思ったが、我々それぞれの身の拠り所としては実に頼もしい人だ。この人に嫌われて憎まれたら、この近隣ではやってゆけない」
「血筋がいいと言っても、親に見離されて、世に知られずにいては、何の甲斐があろうか。この人がこうして熱心に思ってくれるのは、今が幸いと思うべきなのではあるまか」
「こうなるご縁があればこそ、こんな田舎に来たのでしょう。逃げ隠れしても何のよいことがありましょう」
「負けじ魂に火がついたら、どんな乱暴をはたらくかも」
と言って脅すので、「ひどい話だ」と聞いて、長兄の豊後介ぶごのすけが、
「やはり、厄介でもあるし、姫には惜しいことだ。故少弐の仰せになったこともある。なんとかして、上京させよう」
と言う。乳母の娘たちは泣きまどって、
「母君は、お世話もできずどこかへ行って、行方も知らないので、せめて娘は人並みな縁組をと思っていたのに」
「あんな田舎者の妻になろうとは」
と思い嘆いているのも知らずに、「わしには人望がある」と思って、大夫たいふげんは文などを書くのだった。手は見苦しくなく、唐の色紙に香をたきしめて、きれいに書いたと自分では思っているが、言葉は方言が交じっている。本人自ら乳母の次男を味方にして、一緒に来た。
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22.6 大夫の監の訪問
三十ばかりなる男の、丈高くものものしく太りて、きたなげなけれど、思ひなし疎ましく、荒らかなる振る舞ひなど、見るもゆゆしくおぼゆ。色あひ心地よげに、声いたう嗄れてさへづりゐたり。懸想人は夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、さまかへたる春の夕暮なり秋ならねども、あやしかりけりと見ゆ
心を破らじとて、祖母おばおとど出で会ふ
「故少弐のいと情けび、きらきらしくものしたまひしを、いかでかあひ語らひ申さむと思ひたまへしかども、さる心ざしをも見せ聞こえずはべりしほどに、いと悲しくて、隠れたまひにしを、その代はりに、一向に仕うまつるべくなむ、心ざしを励まして、今日は、いとひたぶるに、強ひてさぶらひつる。
このおはしますらむ女君、筋ことにうけたまはれば、いとかたじけなし。ただ、なにがしらが私の君と思ひ申して、いただきになむささげたてまつるべき。おとどもしぶしぶにおはしげなることは、よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを聞こしめし疎むななり。さりとも、すやつばらを、人並みにはしはべりなむや。わが君をば、后の位に落としたてまつらじものをや」
など、いとよげに言ひ続く。
「いかがは。かくのたまふを、いと幸ひありと思ひたまふるを、宿世つたなき人にやはべらむ、思ひ憚ることはべりて、いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず嘆きはべるめれば、心苦しう見たまへわづらひぬる」
と言ふ。
「さらに、な思し憚りそ。天下に、目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国のうちの仏神は、おのれになむ靡きたまへる」
など、誇りゐたり。
その日ばかり」と言ふに、「この月は季の果てなり」など、田舎びたることを言ひ逃る。
大夫たいふげんは三十位の男で、背が高くでっぷり太って、見苦しくはないが、何となく疎ましく、荒っぽい振る舞いなど、見るからに恐ろしげだった。 血色はよく、声はしわがれて方言混じりでしゃべっている。懸想人は夜隠れて来るので、夜這いというが、今は春の夕暮れだ。秋ではないが、懸想人のご入来だ。
気分を損ねてはいけないと、祖母乳母が対応した。
「故少弐殿は風雅を解し、立派な方であったが、親しくお付き合いをと思っておりましたが、その気持ちを申し上げることのないまま、実に悲しいことに、お隠れになったので、そのかわりに、わたしが一心にお仕えすべく、意を決して、今日は、ご無礼とは思いましたが、強いて参上しました。
ここにおわします姫君は、格別のお血筋とお聞きしており、恐れ多いことです。ただ、内々のわたしの君と思って、頭上にかかげて捧げまつりましょう。乳母様も気が進まぬお気持ちでしょうが、よからぬ女たちをたくさん世話しているのを聞いて疎んじるのでしょう。しかしあの女たちを姫君と同列にできましょうか。わが君を、后の位に劣る扱いはしません」
などうまい話を続ける。
「滅相もない。このような申し出は、たいへん幸せと思いますが、宿世が悪いのでしょう、ご遠慮したい事情がございまして、どうして縁組などできましょうかと、姫君は人知れず嘆いて、それがかわいそうなのです」
と言う。
「何のご遠慮には及びません。万一目がつぶれ、足が折れたとしても、わたしが治して進ぜましょう。国のうちの神仏は、わたしに靡いています」
など、得意であった。
「日取りは」と言うのだが、「この月は期の終わりですので」などと田舎びたことを言って逃れた。
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22.7 大夫の監、和歌を詠み贈る
下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、
君にもし心違はば松浦なる
鏡の神をかけて誓はむ

この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」
と、うち笑みたるも、世づかずうひうひしや。あれにもあらねば、返しすべくも思はねど、娘どもに詠ますれど、
まろは、ましてものもおぼえず
とてゐたれば、いと久しきに思ひわびて、うち思ひけるままに、
年を経て祈る心の違ひなば
鏡の神をつらしとや見む

とわななかし出でたるを、
「待てや。こはいかに仰せらるる」
と、ゆくりかに寄り来たるけはひに、おびえて、おとど、色もなくなりぬ。娘たち、さはいへど、心強く笑ひて、
「この人の、さまことにものしたまふを引き違へはべらば、つらく思はれむを、なほ、ほけほけしき人の、神かけて、聞こえひがめたまふなめりや」
と解き聞かす。
「おい、さり、さり」とうなづきて、
をかしき御口つきかな。なにがしら、田舎びたりといふ名こそはべれ、口惜しき民にははべらず。都の人とても、何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。な思しあなづりそ」
とて、また、詠まむと思へれども、堪へずやありけむ、往ぬめり。
帰り際に、歌を詠みたくなったので、ややしばらく首をひねっていたが、
大夫たいふげん)「もしわたしが姫君に心変りすれば
どんな罰をも受けましょう松浦に鎮座する鏡の神にかけて
この和歌は、うまくできたと思います」
とにっこりするが、女のことは慣れていないようだ。乳母は気が動転し、返歌どころでなく、娘たちに詠ませようとしたが、
「わたしはもっと駄目、ぼうっとして」
と動かず、乳母は久しく思いあまって、思ったままを、
(乳母)「長年お祈りしている願いが叶わなければ
鏡の神をお恨みするでしょう」
と震える声で返歌すると、
「待てよ。何と仰せられる」
と、突然寄ってくる気配に、おびえて、乳母は顔色なかった。娘たちは、そうは言っても、気丈夫に笑って、
「姫に不具なところがあるので、縁談が御和算になったら、姫はつらく思うだろうと、何といってもボケた人ですから、神にかけて言い損ねたのです」
と説明した。
「おお、なるほど」とうなずいて、
「しゃれた詠みっぷりですな。わたしは、田舎者という評判だが、もののわからぬ土民ではござらぬ。都の人といっても、何ほどであろうか。わしはみな知っている。馬鹿にするでないぞ」
とて、また詠もうと思ったが、出来なかったのであろう、帰った。
2019.4.29/ 2021.9.16/ 2023.4.14
22.8 玉鬘、筑紫を脱出
次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく心憂くて、この豊後介ぶんごのすけを責むれば、
いかがは仕まつるべからむ。語らひあはすべき人もなし。まれまれの兄弟は、このげんに同じ心ならずとて、仲違ひにたり。この監に あたまれては、いささかの身じろきせむも、所狭くなむあるべき。なかなかなる目をや見む」
と、思ひわづらひにたれど、姫君の人知れず思いたるさまの、いと心苦しくて、生きたらじと思ひ沈みたまへる、ことわりとおぼゆれば、いみじきことを思ひ構へて出で立つ。妹たちも、年ごろ経ぬるよるべを捨てて、この御供に出で立つ。
あてきと言ひしは、今は兵部の君といふぞ、添ひて、夜逃げ出でて舟に乗りける。大夫の監は、肥後に帰り行きて、四月二十日のほどに、日取りて来むとするほどに、かくて逃ぐるなりけり。
姉のおもとは、類広くなりて、え出で立たず。かたみに別れ惜しみて、あひ見むことの難きを思ふに、年経つる故里とて、ことに見捨てがたきこともなし。ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。
浮島を漕ぎ離れても行く方や
いづく泊りと知らずもあるかな

行く先も見えぬ波路に舟出して
風にまかする身こそ浮きたれ

いとあとはかなき心地して、うつぶし臥したまへり。
弟たちが言いくるめられたのも、乳母には恐ろしく、この豊後の介ぶんごのすけを責めるので、
「姫をどうしたものか。相談する人もない。たった二人の兄弟は、自分がこのげんに同調しないので、仲違いした。この監ににらまれたら、少し身じろぎするにも、窮屈になるだろう。とてもひどい目に合うかも知れない」
と、思い煩っていたが、姫君が人知れず悩んでいる様子が、お気の毒で、生きてはいられないと沈んでいるのも、もっともなことと思われ、思い切った計画を立てて、出発した。妹たちも、長年連れ添った夫を捨てて、お供した。
あてきといっていた、今は兵部になった妹君は、姫に付き添って、夜逃げして舟に乗った。大夫の監は、肥後に帰っていて、四月二十日ころに日取りを決めて来るので、こうして逃げた。
姉君は、家族が多くなり、お供ができなかった。互いに別れを惜しみ、再び会うことの難しいのを思い、長年なじんだ土地といっても、格別見捨てがたいとも思わなかった。ただ松浦の宮の前の渚と、姉君と分かれることが、顧みて、悲しかった。
(兵部君)「つらかったこの地を離れて行く
どこに泊まるのか分かりません」
(姫君)「行く先も分からぬ波路に舟出して
風まかせのこの身こそ頼りないこと」
とても頼りない心地がして、姫はうつ伏せに臥した。
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22.9 都に帰着
「かく、逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、負けじ魂にて、追ひ来なむ」と思ふに、心も惑ひて、早舟といひて、さまことになむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、危ふきまで走り上りぬ。響の灘もなだらかに過ぎぬ。
「海賊の舟にやあらむ。小さき舟の、飛ぶやうにて来る」
など言ふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにやと思ふに、せむかたなし。
憂きことに胸のみ騒ぐ響きには
響の灘もさはらざりけり

「川尻といふ所、近づきぬ」
と言ふにぞ、すこし生き出づる心地する。例の、舟子ども、
「唐泊より、川尻おすほどは」
と歌ふ声の、情けなきも、あはれに聞こゆ。
豊後介、あはれになつかしう歌ひすさみて、
「いとかなしき妻子も忘れぬ」
とて、思へば、
「げにぞ、皆うち捨ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。我を悪しと思ひて、追ひまどはして、いかがしなすらむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで、出でにけるかな」
と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。
「胡の地の妻児せいじをば虚しく棄ててつ」
と誦ずるを、兵部の君聞きて、
げに、あやしのわざや。年ごろ従ひ来つる人の心にも、にはかに違ひて逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」
と、さまざま思ひ続けらるる。
「帰る方とても、そこ所と行き着くべき故里もなし。知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人もおぼえず。ただ一所の御ためにより、ここらの年つき住み馴れつる世界を離れて、浮べる波風にただよひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにしたてまつらむとするぞ」
と、あきれておぼゆれど、「いかがはせむ」とて、急ぎ入りぬ。
「こうして逃げたことが、誰言うとなく伝われば、負けじ魂で、追ってくるだろう」と思うと、心配になり、早舟といって特別仕立ての舟で、風も思うままに吹いたので危ないほど早く走った。難所の響きの灘も穏やかに過ぎた。
「海賊の舟ではないか。小さい舟が、飛ぶように来ます」
などと言う者がある。海賊の乱暴なのよりも、あの恐ろしい人が追いかけてくるのではないかと思うと、どうしよう。
(乳母)「心配で胸の動悸が騒ぐ響きにくらべれば
響きの灘も物の数ではない」
「川尻と言う所に、近づきました」
と聞いて、少し生き返った心地がする。例によって舟子たちが、
「唐泊から川尻へ来たので」
と歌う声の、無骨だが、心にしみる。
豊後の介はしんみりしてなつかしげに口ずんで、
「いとしい妻子も忘れた」
と思って、
「ほんとうに、皆捨ててきた。どうしているだろう。てきぱきと助けになる朗等たちは、皆連れてきた。大夫の監がわたしを憎んで、追ってきたらどうするか」と思うと、「幼稚にも妻子もかえりみずに出発してしまった」
と少し落ち着いて、とんでもないことをしたと思い込んで、心弱くも泣いた。
「胡の地の妻児せいじをば虚しく棄ててつ」
と兵部の君が誦ずるが聞いて、
「ほんとうに、とんでもないことをした。年頃従ってきた夫にも逆らって逃げ出したのを、何と思っているか」
とさまざまに思い続ける。
「落ち着く先も、ここと決まった所もない。知り合いで、身を寄せて頼れる人もいない。ただひとつ姫君のために、今までの長い年月に住み慣れた土地に別れを告げて、波風に浮かびただよって来た。姫君をどうしてあげたらいいだろうか」
と、途方にくれたが、「いまさらどうしよう」と、急ぎ京に入った。
2019.5.5/ 2021.9.16/ 2023.4.14
22.10 岩清水八幡宮へ参詣
九条に、昔知れりける人の残りたりけるを訪らひ出でて、その宿りを占め置きて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女、商人のなかにて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先、悲しきこと多かり。
豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれにならはぬありさまのたづきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類に触れて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。
住みつくべきやうもなきを、母おとど、明け暮れ嘆きいとほしがれば、
「何か。この身は、いとやすくはべり。人一人の御身に代へたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せなむに咎あるまじ。我らいみじき勢ひになりても、若君をさるものの中にはふらしたてまつりては、何心地かせまし」
と語らひ慰めて、
「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今、都に帰りて、かくなむ御験を得てまかり上りたると、早く申したまへ」
とて、八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師とて、早く親の語らひし大徳残れるを呼びとりて、詣でさせたてまつる。
九条に、昔知っていた人がいるのを尋ねあて、泊まるところを確保して、都とはいっても立派な方々が住んでいる所ではなく、賎しい市女や商人のなかにあって、世の中を憂うつな思いでみながら、秋になるまま、来し方行く末を思い、悲しいことばかりだった。
豊後ぶんごの介という頼もしい人も、ただ水鳥が陸に迷っている心地がして、することもなくなれない様子につてもなく、帰るのもきまりが悪いし、無分別に出てきたのを思い、従ってきた者どもも、親戚をたよって逃げて、肥後の国に帰るのだった。
住みつく手立てもなく、乳母は明け暮れ嘆き、気の毒に思うのだが、
「なあに。この身はご心配なく。姫おひとりに代わって、この身がどこへ行って失せても咎められることもないでしょう。もしわれらが権勢を得ても、姫君をあのような者のなかに捨ておいては、どんな気持ちがしましょう」
と語り慰めて、
「神仏こそは、しかるべき幸運に導いてくださることでしょう。近くには石清水八幡宮があり、あちらでもお参りしてお祈りした松浦、筥崎も同じ社です。肥前を離れたときも、たくさん願をかけました。今、都に帰って、このようにしてお験を得て都に上っておりますと、早く申し上げなさい」
といって、八幡に詣でさせた。その辺のことを知っている人を尋ねて、五師をしていて親とも知り合いだった僧がいたのを呼んで、詣でさせた。
2019.5.7/ 2021.9.16/ 2023.4.14
22.11 初瀬の観音へ参詣
「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、あらたなる験現したまふと、唐土にだに聞こえあむなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、年経たまへれば、若君をば、まして恵みたまひてむ」
とて、出だし立てたてまつる。ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地に、いとわびしく苦しけれど、人の言ふままに、ものもおぼえで歩みたまふ。
「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世に亡くなりたまへりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひたまへ。もし、世におはせば、御顔見せたまへ」
と、仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、「親おはせましかば」と、ばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ、からうして、椿市といふ所に、四日といふの時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。
歩むともなく、とかくつくろひたれど、足のうら動かれず、わびしければ、せむかたなくて休みたまふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三、四人、女ばらある限り三人、壺装束して、樋洗ひすましめく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。
いとかすかに忍びたり。大御燈明のことなど、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主人の法師、
「人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」
とむつかるを、めざましく聞くほどに、げに、人びと来ぬ。
「次は、仏のなかでは初瀬こそが、日の本のなかではあらたかな験を現すと、唐土にも聞こえているそうです。ましてわが国のなかです、遠い辺鄙な所といっても、長く日の本に住んでいますので、姫君には恵みを賜るでしょう」
と言って、出立させた。あえて徒歩で行くと決めた。姫君は、なれないことをやるので、すごくつらく苦しかったが、言われるままに、夢中で歩いた。
「どんな罪深い前世で、こうして世に惑うのだろう。わたしの親がもし亡くなっていても、わたしをあわれと思えば、母の元にお連れください。もし世にいるのなら、お顔をお見せください」
と仏を念じつつ、生前の面影も知らない母を、ただ、「親がいてくれれば」とばかりの悲しみを嘆いていたが、こうしてただ今のこの身の堪えがたい苦しさに、改めてそのつらさを身にしみながら、やっとのことで椿市というという所に四日目の午前十時ころに、生きた心地もせず、やっと着いた。
歩くともいえぬ体で、あれこれ手当てしたが、足のうらが痛んで動けず、つらいので、やむを得ず休んだ。頼もしい豊後ぶんごの介、弓矢を持った二人、下男や童たち三、四人、女たちは総勢三人、壺装束して、便器洗いらしい者、年取った下女二人ばかりであった。
ごく少人数で目立たぬ一行だった。大燈明などをここで用意しているうちに日が暮れた。宿の主人の法師は、
「他の人の宿になっているのに、どなたがやってきたのか。けしからぬ下女が、勝手に案内して」
とぶつぶつ言うので、機嫌を悪くしたが、そのうち、当の一行が来た。
2019.5.9/ 2021.9.16/ 2023.4.14
22.12 右近も初瀬へ参詣
これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四つ、五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。
法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻きありく。いとほしけれど、また、宿り替へむもさま悪しくわづらはしければ、人びとは奥に入り、他に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障ぜじょうなどひき隔てておはします。
この来る人も恥づかしげもなしいたうかいひそめて、かたみに心づかひしたり。
さるは、かの世とともに恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はしたなき交じらひのつきなくなりゆく身を思ひなやみて、この御寺になむたびたび詣でける。
例ならひにければ、かやすく構へたりけれど、徒歩より歩み堪へがたくて、寄り臥したるに、この豊後介、隣の軟障のもとに寄り来て、参り物なるべし、折敷手づから取りて、
「これは、御前に参らせたまへ。御台などうちあはで、いとかたはらいたしや」
と言ふを聞くに、「わが並の人にはあらじ」と思ひて、物のはさまより覗けば、この男の顔、見し心地す。誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、太り黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分かぬなりけり。
「三条、ここに召す」
と呼び寄する女を見れば、また見し人なり。
「故御方に、下人なれど、久しく仕うまつりなれて、かの隠れたまへりし御住みかまでありし者なりけり」
と見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、
「この女に問はむ。兵藤太ひょうとうだといひし人も、これにこそあらめ。姫君のおはするにや」
と思ひ寄るに、いと心もとなくて、この中隔てなる三条を呼ばすれど、食ひ物に心入れて、とみにも来ぬ、いと憎しとおぼゆるも、うちつけなりや。
あちらも歩いてきたようだ。卑しからぬ女二人、下人たち、男女、数多くいる。馬四、五頭に引かせて、目立たぬようにして、男たちの身なりはきちんとしていた。
法師は、この一行に泊まってほしくて、頭をなでている。気の毒であったが、また宿を変えるのも面倒なので、主客たちは奥に入れ、下男たちは他に隠して、もう半分は片側に寄せた。姫君は幕をしっかりめぐらして、隔てている。
新来客は、気が引けるような相手ではなかった。お互いに気をつかっている。
これは、亡き夕顔をしたい泣く右近であった。年月を経るにつれて、 中途半端な立場で身に余る処遇を受けて思い悩んで、この寺に度々詣でていたのであった。
いつものことなので、ごく軽装で来たのだが、歩いてきたので痛みが堪えがたく、体をもたせて臥していたが、豊後ぶんごの介が隣の軟障ぜじょうに近く寄って、食事であろう、自ら角盆をとって、
「これは御前にさしあげてください。お膳など整わなくて、恐れ多いですが」
と言うのを聞くと、「並の身分の人ではない」と思って、物のすきまから覗くと、その男の顔を見たことがある気がした。誰かは思い出せない。若い時だったので、太って日焼けしていて、長年の歳月を経た目には、とっさに見分けられなかった。
「三条、ここに来なさい」
と呼び寄せた女も、見たことがあった。
「亡き夕顔の処に、下人であったが、久しく仕えていて、あの隠れ家にもついてきた者ではないか」
と見て、まるで夢のようだった。姫君と思しき人は、すごく見たかったが、見れる構えではなかった。思い余って、
「この女に聞いてみよう。兵籐太ひょうとうたといっていたのも、この男か。姫君はいるのか」
と思うと、待ちきれずに中隔てにいる三条を呼んだが、一心に食事をしていて、すぐには来なかった。憎らしかったが、せっかちなのだろう。
2019.5.10/ 2021.9.16/ 2023.4.14
22.13 右近、玉鬘に再会す
からうして、
「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に、二十年ばかり経にける下衆の身を、知らせたまふべき京人よ。人違へにやはべらむ」
とて、寄り来たり。田舎びたる掻練に衣など着て、いといたう太りにけり。わが齢もいとどおぼえて恥づかしけれど、
「なほ、さし覗け。われをば見知りたりや」
とて、顔さし出でたり。この女の手を打ちて、
あが御許にこそおはしましけれ。あな、うれしともうれし。いづくより参りたまひたるぞ。上はおはしますや」
と、いとおどろおどろしく泣く。若き者にて見なれし世を思ひ出づるに、隔て来にける年月数へられて、いとあはれなり。
「まづ、おとどはおはすや。若君は、いかがなりたまひにし。あてきと聞こえしは」
とて、君の御ことは、言ひ出でず。
「皆おはします。姫君も大人になりておはします。まづ、おとどに、かくなむと聞こえむ」
とて入りぬ。
皆、驚きて、
「夢の心地もするかな」
いとつらく、言はむかたなく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよ」
とて、この隔てに寄り来たり。気遠く隔てつる屏風だつもの、名残なくおし開けて、まづ言ひやるべき方なく泣き交はす。老い人は、ただ、
「わが君は、いかがなりたまひにし。ここらの年ごろ、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、遥かなる世界にて、風の音にてもえ聞き伝へたてまつらぬを、いみじく悲しと思ふに、老いの身の残りとどまりたるも、いと心憂けれど、うち捨てたてまつりたまへる若君の、らうたくあはれにておはしますを、冥途のほだしにもてわづらひきこえてなむ、またたきはべる
と言ひ続くれば、昔その折、いふかひなかりしことよりも、応へむ方なくわづらはしと思へども
「いでや、聞こえてもかひなし。御方は、はや亡せたまひにき」
と言ふままに、二、三人ながらむせかへり、いとむつかしく、せきかねたり。
ようやく
「おぼえておりません。筑紫の国に、二十年もいた下衆の身ですから、知っているという京人よ。お人違いでしょう」
と言って、こちらに来た。田舎じみた掻練りの衣を着て、すごく太っていた。自分の齢も知られて恥ずかしかったが、
「もっと、よくご覧。わたしを知っているでしょう」
と言って、顔をさし出した。女は手を打って、
「あなた様でしたか。あら、うれしいこと。どちらから参りましたか。御方様はおられますか」
と大げさに泣くのだった。女が若いときに見たことを思い出すと、遥かにきた年月を思って、実に感無量の思いだった。
「まず、乳母様はお元気か。姫君は、どうなられました。あてきと言っていた坊は」
と言って、夕顔のことは言い出さない。
「皆、元気ですよ。姫君も大きくなられました。まず乳母様にこのことを報告しなければ」
と言って、中に入った。
皆、驚いて、
「夢のようだ」
「ほんとうにひどく言いようもなくうれしい人に、お会いしました」
と言って、隔てに寄ってきた。よそよそしい屏風の様なものを、みな押し開いて、まず言葉もなく泣き交わすのだった。老いた乳母はただ、
「御方様はどうなりました。最近は夢の中だけでもお姿を見たいと、大願を立てますが、遥かなる筑紫の田舎で、風の便りにもお聞きしないので、たいへん悲しく思っておりましたが、老いの身になって、情けないありさまですが、母君が残していった若君が、かわいらしくもあわれに思いますのが、冥土の旅の妨げになっておりますので、まだ目もつぶれず余命をかこっています」
と乳母が言うので、右近は、その昔急死したことが言えずに困った時より、答えづらいと思ったけれど、
「いえ、申し上げようもない。御方様はお亡くなりになりました」
と言うと、二、三人が皆涙にむせ返り、どうしようもなく泣きくずれた。
2019.5.11/ 2021.9.16/ 2023.4.14
22.14 右近、初瀬観音に感謝
日暮れぬと、急ぎたちて、御燈明の事どもしたため果てて、急がせば、なかなかいと心あわたたしくて立ち別る。「もろともにや」と言へど、かたみに供の人のあやしと思ふべければ、この介にも、ことのさまだに言ひ知らせあへず。われも人もことに恥づかしくはあらで、皆下り立ちぬ。
右近は、人知れず目とどめて見るに、なかにうつくしげなるうしろでの、いといたうやつれて、卯月の単衣めくものに着こめたまへる髪の透影、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しう悲しと見たてまつる。
すこし足なれたる人は、とく御堂に着きにけり。この君をもてわづらひきこえつつ、初夜そや行なふほどにぞ上りたまへる。いと騒がしく人詣で混みてののしる。右近が局は、仏の右の方に近き間にしたり。この御師は、まだ深からねばにや、西の間に遠かりけるを、
「なほ、ここにおはしませ」
と、尋ね交はし言ひたれば、男どもをばとどめて、介にかうかうと言ひあはせて、こなたに移したてまつる。
「かくあやしき身なれど、ただ今の大殿になむさぶらひはべれば、かくかすかなる道にても、らうがはしきことははべらじと頼みはべる。田舎びたる人をば、かやうの所には、よからぬ生者どもの、あなづらはしうするも、かたじけなきことなり」
とて、物語いとせまほしけれど、おどろおどろしき行なひの紛れ、騒がしきにもよほされて、仏拝みたてまつる。右近は心のうちに、
「この人を、いかで尋ねきこえむと申しわたりつるに、かつがつ、かくて見たてまつれば、今は思ひのごと、大臣の君の、尋ねたてまつらむの御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、幸ひあらせたてまつりたまへ」
など申しけり。
豊後介一行は、日が暮れるので、急いで出発し、燈明のことなどすっかり用意して、ずいぶんあわただしい別れだった。「ご一緒にどうですか」と右近が誘ったが、互いの供の者たちがあやしむので、豊後の介ぶんごのすけにもことの次第を言っていない。どちらも格別気をつかうことなく、皆出発した。
右近は、ひそかに目をやって見ると、一行のなかに美しげな後姿で、ごく質素なお忍び姿で、四月の単衣めいたものをかずいた髪が透けて見えて、すばらしく立派に見えた。右近は、おいたわしく思う。
少し歩きなれた右近一行は、早くお堂についた。乳母たちは姫君の世話をしながら、初夜の勤行のころにお堂に着いた。 騒がしく混んで、大声を出している。右近の場所は、仏の右の方で、近い間だった。乳母の一行を案内する法師は、不慣れで、遠い西の間に案内する、
「こちらにいらっしゃい」
と探しあてて言うと、男どもはそのままで、豊後の介に事情を話し、こちらへ移って来た。
「こんな取るに足らない者ですが、今は大殿に仕えているので、こんなちょっとした旅でも、ひどい扱いは受けぬと頼みにしています。田舎びた人を、このような所では、素性の分からぬ連中が、馬鹿にするのも、恐れ多いことです」
と言って、話をもっとしたかったが、大声の勤行に紛れて、騒がしいなかを、仏を拝むのだった。右近は心の内で、
「この姫君を、どうにかして探し当てたいと願っていましたが、とうとう、見つけましたので、今は念願どおり、大臣の君が、姫の行方をお探ししたいお気持ちが強いので、お知らせして、姫君に幸いが来ますように」
などと祈るのであった。
2019.5.11/ 2021.9.16/ 2023.4.15
22.15 三条、初瀬観音に祈願
国々より、田舎人多く詣でたりけり。この国の守の北の方も、詣でたりけり。いかめしく勢ひたるをうらやみて、この三条が言ふやう、
「大悲者には、異事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方、ならずは、当国の受領の北の方になしたてまつらむ。三条らも、随分に栄えて、返り申しは仕うまつらむ」
と、額に手を当てて念じ入りてをり。右近、「いとゆゆしくも言ふかな」と聞きて、
「いと、いたくこそ田舎びにけれな。中将殿は、昔の御おぼえだにいかがおはしましし。まして、今は、天の下を御心にかけたまへる大臣にて、いかばかりいつかしき御仲に、御方しも、受領の妻にて、品定まりておはしまさむよ」
と言へば、
あなかま。たまへ。大臣たちもしばし待て。 大弐の御館みたちの上の、清水の御寺、観世音寺に参りたまひし勢ひは、帝の行幸にやは劣れる。あな、むくつけ」
とて、なほさらに手をひき放たず、拝み入りてをり。
筑紫人は、三日籠もらむと心ざしたまへり。右近は、さしも思はざりけれど、かかるついで、のどかに聞こえむとて、籠もるべきよし、大徳呼びて言ふ。御あかし文など書きたる心ばへなど、さやうの人はくだくだしうわきまへければ、常のことにて、
「例の藤原の瑠璃君といふが御ためにたてまつる。よく祈り申したまへ。その人、このころなむ見たてまつり出でたる。その願も果たしたてまつるべし」
と言ふを聞くも、あはれなり。法師、
「いとかしこきことかな。たゆみなく祈り申しはべる験にこそはべれ」
と言ふ。いと騒がしう、夜一夜行なふなり。
地方から田舎人がたくさん詣でていた。この国の国主の北の方も詣でていた。仰々しく装っているのをうらやんで、この三条が言う。
「観音様には他のことは申しません。わが姫君を、大弐の北の方、でなければ、この国の受領の北の方にお願いします。三条らも栄えましたら、お礼参りします」
と額に手を当てて祈っている。右近が、「あら、縁起でないお願いね」と言って、
「ずいぶん、田舎者になってしまったのね。頭中将殿は、昔のご威勢もたいへんなものでした。まして今は、天下を心のままにしている大臣であって、申し分のない立派な親子ですから、その姫君が受領の妻になどになるなんて」
と言えば、
「うるさい。お黙り。大臣のこともしばし待って。大弐様の北の方が、清水の御寺の観世音寺に参拝した時の勢いは、帝の行幸に劣りませんよ。まあいやだ」
と言って、なおさら手を離さず、拝んでいるのだった。
筑紫の一行は、三日籠る予定だった。右近は、そのつもりではなかったが、ついでにゆっくり話をしようと、籠るべきことを大徳を呼んで伝えた。願分などに書いた趣旨は、このような法はよくわきまえていたので、いつものことで、
「例の藤原の瑠璃君のためにお願いします。よく祈ってください。その人は、この頃お会い出来ました。その願果たしもいたしますのでお願いします」
と言うのを聞くのもうれしい。法師は、
「たいへんありがたいことです。怠りなくお祈り申し上げた験でしょう」
と言う。ずいぶん騒々しく、一晩中勤行するのだった。
2019.5.12/ 2021.9.16/ 2023.4.15
22.16 右近、主人の光る源氏について語る
明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ。物語、心やすくとなるべし。姫君のいたくやつれたまへる、恥づかしげに思したるさま、いとめでたく見ゆ。
「おぼえぬ高き交じらひをして、多くの人をなむ見集むれど、殿の上の御容貌に似る人おはせじとなむ、年ごろ見たてまつるを、また、生ひ出でたまふ姫君の御さま、いとことわりにめでたくおはします。かしづきたてまつりたまふさまも、並びなかめるに、かうやつれたまへる御さまの、劣りたまふまじく見えたまふは、ありがたうなむ。
大臣の君、父帝の御時より、そこらの女御、后、それより下は残るなく見たてまつり集めたまへる御目にも、当代の御母后と聞こえしと、この姫君の御容貌とをなむ、『よき人とはこれを言ふにやあらむとおぼゆる』と聞こえたまふ。
見たてまつり並ぶるに、かの后の宮をば知りきこえず、姫君はきよらにおはしませど、まだ、片なりにて、生ひ先ぞ推し量られたまふ。
上の御容貌は、なほ誰か並びたまはむと、なむ見えたまふ。殿も、すぐれたりと思しためるを、言に出でては、何かは数へのうちには聞こえたまはむ。『我に並びたまへるこそ、君はおほけなけれ』となむ、戯れきこえたまふ。
見たてまつるに、命延ぶる御ありさまどもを、またさるたぐひおはしましなむやとなむ思ひはべるに、いづくか劣りたまはむ。ものは限りあるものなれば、すぐれたまへりとて、頂きを離れたる光やはおはする。ただ、これを、すぐれたりとは聞こゆべきなめりかし」
と、うち笑みて見たてまつれば、老い人もうれしと思ふ。
明ければ、知っている大徳の坊に下りた。話がゆっくりできる。姫君がごく質素ななりをしているのを、恥ずかしく思っている様子が、とても美しい。
「思いもかけず高貴な方々に交じらい、多くの人を見ましたが、紫の上の容貌ほどの人はいないだろうと、年ごろ見ておりますが、また、お育てしている姫君も、当然ながらすばらしいです。大切にお育てしている様子は、またとない程ですが、こちらの姫君がこうしてごく質素にしている様子も、あちらに劣らずに見えるのは、すばらしいです。
源氏の君は、父桐壺帝のころから、たくさんの女御、后、それより下の者たちを残りなく見てきた中で、当代の藤壺と申したお方と、このお育てしている姫君の容貌を、『美人とはこの方々のことを言うのだ』と仰っておりました。
わたしが見ますところ、かの后の宮は知りませんが、姫君は確かに清らかですが、まだ幼くて、これからの成長が想像されます。
紫の上の御容貌は、やはり誰も及ばない、と見えます。殿も、美しいと思っているが、自分から口に出して、どうして美人の数のうちに入れられましょう。『わたしと並んでいるのが、分に過ぎている』と戯れています。
わたしが見ますところ、命が延びるほどの美しさで、こんなすばらしい夫婦があるだろうかと思われますが、それにどちらが劣ることでしょう。ものには限度というものがございますので、頭光ずこうが輝くわけでもないでしょう。ただこのお二人を、美しいというのでしょう」
と笑みを浮かべて言えば、乳母もうれしく思った。
2019.5.13/ 2021.9.16◎
22.17 乳母、右近に依頼
かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈めたてまつりぬべかりしに、あたらしく悲しうて、家かまどをも捨て、男女の頼むべき子どもにも引き別れてなむ、かへりて知らぬ世の心地する京にまうで来し。
あが御許、はやくよきさまに導ききこえたまへ。高き宮仕へしたまふ人は、おのづから行き交じりたるたよりものしたまふらむ。父大臣に聞こしめされ、数まへられたまふべきたばかり、思し構へよ」
と言ふ。恥づかしう思いて、うしろ向きたまへり。
「いでや、身こそ数ならねど、殿も御前近く召し使ひたまへば、ものの折ごとに、『いかにならせたまひにけむ』と聞こえ出づるを、聞こしめし置きて、『われいかで尋ねきこえむと思ふを、聞き出でたてまつりたらば』となむ、のたまはする」
と言へば、
「大臣の君は、めでたくおはしますとも、さるやむごとなき妻どもおはしますなり。まづまことの親とおはする大臣にを知らせたてまつりたまへ」
など言ふに、ありしさまなど語り出でて、
「世に忘れがたく悲しきことになむ思して、『かの御代はりに見たてまつらむ。子も少なきがさうざうしきに、わが子を尋ね出でたると人には知らせて』と、そのかみよりのたまふなり。
心の幼かりけることは、よろづにものつつましかりしほどにて、え尋ねても聞こえで過ごししほどに、少弐になりたまへるよしは、御名にて知りにき。まかり申しに、殿に参りたまへりし日、ほの見たてまつりしかども、え聞こえで止みにき。
さりとも、姫君をば、かのありし夕顔の五条にぞとどめたてまつりたまへらむとぞ思ひし。あな、いみじや。田舎人にておはしまさましよ」
など、うち語らひつつ、日一日、昔物語、念誦などしつつ。
「このように美しい姫君を、辺鄙な田舎にうずもれさせてしまうところでしたが、それが口惜しくて悲しくて、家やかまども捨てて、頼るべき息子や娘にも別れて、見も知らぬ世界のような京に来ました。
どうかあなた、早く良い方に姫を導いてください。高貴な宮仕えするあなたは、自然とつてもおありでしょう。父大臣のお耳に入り、お子のひとりに数えられるようにはかってください」
と言う。姫は恥ずかしく思って、うしろに向いた。
「いいえ、物の数にも入らぬ身ですが、殿の御前近くにお仕えしていますので、折々に、『姫君はどうされてますでしょう』と言うと、お耳にとどめられて、『わたしも探しだそうと思っていたの、お前が聞いたら知らせてくれ』と仰っておりました」
と言うと、
「源氏の君は、ご立派ですが、それなりに高貴な方々を妻にしておられるでしょう。まず、本当の父親である大臣にお知らせくださいませんか」
などと乳母が言うと、右近は昔あったことを語りだして、
「源氏の君は、忘れがたく悲しいことと思って、『亡き母に代わって世話をしましょう。子も少なく物足りないので、自分の子を探している言ってください』と、当時から仰っておりました。
わたしは至らぬ年頃でして、何事にも控えめでしたので、尋ねてお話することもできずに過ぎていったのですが、少弐になったことは御名で知りました。赴任の挨拶で、二条院へお越しの日、ちらっと拝見しましたが、お話できないでしまいました。
それでも姫君は、夕顔が住んでいた五条にいるものと思っておりました。まあ、滅相もない。姫君が田舎人でいらっしゃったとは」
などと、語らいながら、一日中昔話をして、念誦するのだった。
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22.18 右近、玉鬘一行と約束して別れる
参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり。前より行く水をば、初瀬川といふなりけり。右近、
二本の杉のたちどを尋ねずは
古川野辺に君を見ましや

うれしき瀬にも」
と聞こゆ。
初瀬川はやくのことは知らねども
今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ

と、うち泣きておはするさま、いとめやすし。
「容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎び、こちこちしうおはせましかば、いかに玉の瑕ならまし。いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ」
と、おとどをうれしく思ふ。
母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりし。これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり。筑紫を心にくく思ひなすに、皆、見し人は里びにたるに、心得がたくなむ。
暮るれば、御堂に上りて、またの日も行なひ暮らしたまふ。
秋風、谷より遥かに吹きのぼりて、いと肌寒きに、ものいとあはれなる心どもには、よろづ思ひ続けられて、人並々ならむこともありがたきことと思ひ沈みつるを、この人の物語のついでに、父大臣の御ありさま、腹々の何ともあるまじき御子ども、皆ものめかしなしたてたまふを聞けば、かかる下草頼もしくぞ思しなりぬる。
出づとても、かたみに宿る所も問ひ交はして、もしまた追ひ惑はしたらむ時と、危ふく思ひけり。右近が家は、六条の院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり。
参拝する人たちの様子が、下の方に見える。前を流れる川を、初瀬川という。右近は、
(右近)「二本の杉が立っている初瀬川ここを
尋ねなかったら あなたにお会いできなかった
うれしい逢瀬です」
と申し上げる。
(姫君)「昔の初瀬川は知りませんが
今日お会いできて涙でこの身まで流れそうです」
と泣いている様は、見た目に美しかった。
「容貌が美しく清らかであっても、田舎びて洗練されていなかったら、玉の瑕であった。ほんとに、まあ、どうやってこのようにお育てしたのでしょう」
と、乳母に感謝したいと思う。
母の夕顔は、ただ若々しくおっとりして、もの柔らかな方であった。姫君の方は気高く、所作に気品があって、風情があった。筑紫という国を奥ゆかしい所と思うが、昔の知り合いは皆田舎っぽくなっているので、合点がゆかない。
日が暮れれば、お堂に上って、翌日も参拝し勤行した。
秋風が谷から吹き上がって、たいそう肌寒く、まことに感無量でいる乳母たちは、何かと次々に思い出されて、人並みの暮らしも難しいと悲観していたのが、右近の話で、父大臣の様子や、あちこちの女が生んだ並みの子らを、皆それなりの者に引き立てているのを聞くと、日陰者でも望みがありそうに思った。
出立に際し、互いの宿を交換し、またもし探すことになったらと、心配するのだった。右近の家は、六条の院の近くなので、遠くなくて、相談するにも便利だった。
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22.19 右近、六条院に帰参する
右近は、大殿に参りぬ。このことをかすめ聞こゆるついでもやとて、急ぐなりけり。御門引き入るるより、けはひことに広々として、まかで参りする車多くまよふ。数ならで立ち出づるも、まばゆき心地する玉の台なり。その夜は御前にも参らで、思ひ臥したり。
またの日、昨夜里より参れる上臈、若人どものなかに、取り分きて右近を召し出づれば、おもだたしくおぼゆ。大臣も御覧じて、
「などか、里居は久しくしつるぞ。例ならず、やまめ人の、引き違へ、こまがへるやうもありかし。をかしきことなどありつらむかし」
など、例の、むつかしう、戯れ事などのたまふ。
「まかでて、七日に過ぎはべりぬれど、をかしきことははべりがたくなむ。山踏しはべりて、あはれなる人をなむ見たまへつけたりし」
「何人ぞ」
と問ひたまふ。「ふと聞こえ出でむも、まだ上に聞かせたてまつらで、取り分き申したらむを、のちに聞きたまうては、隔てきこえけりとや思さむ」など、思ひ乱れて、
今聞こえさせはべらむ
とて、人びと参れば、聞こえさしつ
大殿油など参りて、うちとけ並びおはします御ありさまども、いと見るかひ多かり。女君は、二十七八にはなりたまひぬらむかし、盛りにきよらにねびまさりたまへり。すこしほど経て見たてまつるは、「また、このほどにこそ、にほひ加はりたまひにけれ」と見えたまふ。
かの人をいとめでたし、劣らじと見たてまつりしかど、思ひなしにや、なほこよなきに、「幸ひのなきとあるとは、隔てあるべきわざかな」と見合はせらる。
右近は、 六条院へ出仕した。このことを少しでも話す機があればと急いだ。門を入ると、すごく広々としていて、出入りの車が沢山あった。数ならぬ身で出仕するのは、まばゆい玉の御殿であった。その夜は、御前に出ず、出会いを思い休んでいた。
翌日、昨夜里から帰った上臈、若い女房たちのなかから、取り分け右近を召したので、晴れがましく思った。源氏もご覧になって、
「どうした、里居は長かったね。いつもと違って、ひとり者が見違えるほど若返ることもあるからな。おもしろいことがあったか」
など、例によって、返事に困る戯れごとを仰る。
「お暇を頂いて、七日が過ぎましたが、おもしろいことなどわたしにはなかなかございません。山に入って、美しい人を見つけました」
「誰か」
とお問いになる。「ここでお話ししたら、まだ紫の上に話していないので、先に殿にお話したら、後でお方さまが、隠し立てしたと思うだろう」など思い乱れて、
「すぐ後でお話します」
と言って、人びとが来たので、途中でやめた。
部屋の明かりがともされて、お二人が並んでくつろいでいる有様は、とても美しかった。女君は二十七八にはなっているだろう、女盛りでさらに美しくなられていた。少し日がたって見たのだが、「またその間に、いっそう、美しさが増している」と見えた。
筑紫の姫を、めでたい、劣らないと見ていたが、思いなしか、お方様はいっそう美しく、「幸福であるかないかで、違いがでるのだろうか」と比べるのだった。
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22.20 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る
大殿籠もるとて、右近を御脚参りに召す。
「若き人は、苦しとてむつかるめり。なほ年経ぬるどちこそ、心交はして睦びよかりけれ」
とのたまへば、人びと忍びて笑ふ。
「さりや。誰か、その使ひならいひたまはむをば、むつからむ」
「うるさき戯れ事言ひかかりたまふを、わづらはしきに」
など言ひあへり。
「上も、年経ぬるどちうちとけ過ぎ、はた、むつかりたまはむとや。さるまじき心と見ねば、危ふし」
など、右近に語らひて笑ひたまふ。いと愛敬づき、をかしきけさへ添ひたまへり
今は朝廷に仕へ、忙しき御ありさまにもあらぬ御身にて、世の中のどやかに思さるるままに、ただはかなき御戯れ事をのたまひ、をかしく人の心を見たまふあまりに、かかる古人をさへぞ戯れたまふ。
「かの尋ね出でたりけむや、何ざまの人ぞ。尊き修行者語らひて、率て来たるか」
と問ひたまへば、
「あな、見苦しや。はかなく消えたまひにし夕顔の露の御ゆかりをなむ、見たまへつけたりし」
と聞こゆ。
「げに、あはれなりけることかな。年ごろはいづくにか」
とのたまへば、ありのままには聞こえにくくて、
「あやしき山里になむ。昔人もかたへは変はらではべりければ、その世の物語し出ではべりて、堪へがたく思ひたまへりし」
など聞こえゐたり。
「よし、心知りたまはぬ御あたりに」
と、隠しきこえたまへば、上、
「あな、わづらはし。ねぶたきに、聞き入るべくもあらぬものを」
とて、御袖して御耳塞ぎたまひつ。
「容貌などは、かの昔の夕顔と劣らじや」
などのたまへば、
かならずさしもいかでかものしたまはむと思ひたまへりしを、こよなうこそ生ひまさりて見えたまひしか」
と聞こゆれば、
「をかしのことや。誰ばかりとおぼゆ。この君と」
とのたまへば、
「いかでか、さまでは」
と聞こゆれば、
「したり顔にこそ思ふべけれ。我に似たらばしも、うしろやすしかし」
と、親めきてのたまふ。
源氏はおやすみになるので、右近に脚をもむように仰せになる。
「若い人は、つらいので嫌がるよ。年寄り同士の方が、気があって仲良くできるのだ」
と仰せになれば、人々はくすくす笑う。
「そうでしょうか。誰が、そのようなお召しを嫌がりましょう」
「返事もできない戯れ言を言われるのが、嫌なのだ」
などと言い合う。
「上も、年寄り同士でも仲良くし過ぎたら、機嫌が悪くなる。そんな方ではないとは思うが、危ないね」
などと、右近に言って笑うのだった。すごく魅力的で、味のある風さえ感じられた。
今は朝廷へ出仕して、忙しい身でもないので、世の中がのんびりしているままに、ただ他愛のない冗談を言って、女房たちをからかっているので、このような年寄りの女房にさえ戯れるのであった。
「あの見つけたというのは、どういう人か。修行を積んだ山伏とでも仲良くなって、連れて来たのか」
と問うと、
「あら、人聞きの悪い。行方の分からなくなった夕顔の御子を見つけました」
と申し上げた。
「本当か、思いがけないな。今までどこにいたのか」
と仰せになると、ありのままには言えなくて、
「辺鄙な山里におりました。昔の女房も一部は変わらずおりましたので、当時の話などして、がまんできずなつかしく思いました」
などと言うのだった。
「もうよい、事情を知らぬお方もいらっしゃるので」
隠すように言うので、上は、
「あら、面倒なお話しですこと。眠たいので、聞こえませんよ」
と言って、袖で耳ふさぎをした。
「容貌などは、昔の夕顔に劣らないか」
などと仰せになると、
「必ずしもそうはならないと思っておりましたが、もっと美しく育っていると見ました」
と申し上げると、
「すばらしい。誰くらいと思うか。この君くらいか」
と仰せになれば、
「まさか、それほどでは」
と言うと、
「得意顔だな。わたしに似ていれば、安心だが」
と親のように仰せになる。
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22.21 源氏、玉鬘を六条院へ迎える
かく聞きそめてのちは、召し放ちつつ、
「さらば、かの人、このわたりに渡いたてまつらむ。年ごろ、もののついでごとに、口惜しう惑はしつることを思ひ出でつるに、いとうれしく聞き出でながら、今までおぼつかなきも、かひなきことになむ。
父大臣には、何か知られむ。いとあまたもて騒がるめるが、数ならで、今はじめ立ち交じりたらむが、なかなかなることこそあらめ。我は、かうさうざうしきに、おぼえぬ所より尋ね出だしたるとも言はむかし。好き者どもの心尽くさするくさはひにて、いといたうもてなさむ」
など語らひたまへば、かつがついとうれしく思ひつつ、
「ただ御心になむ。大臣に知らせたてまつらむとも、誰れかは伝へほのめかしたまはむいたづらに過ぎものしたまひし代はりには、ともかくも引き助けさせたまはむことこそは、罪軽ませたまはめ」
と聞こゆ。
いたうもかこちなすかな
と、ほほ笑みながら、涙ぐみたまへり。
「あはれに、はかなかりける契りとなむ、年ごろ思ひわたる。かくて集へる方々のなかに、かの折の心ざしばかり思ひとどむる人なかりしを、命長くて、わが心長さをも見はべるたぐひ多かめるなかに、いふかひなくて、右近ばかりを形見に見るは、口惜しくなむ。思ひ忘るる時なきに、さてものしたまはば、いとこそ本意かなふ心地すべけれ」
とて、御消息たてまつれたまふ。かの末摘花のいふかひなかりしを思し出づれば、さやうに沈みて生ひ出でたらむ人のありさまうしろめたくて、まづ、文のけしきゆかしく思さるるなりけり。ものまめやかに、あるべかしく書きたまひて、端に、
「かく聞こゆるを、
知らずとも尋ねて知らむ三島江に
生ふる三稜みくりの筋は絶えじを

となむありける。
御文、みづからまかでて、のたまふさまなど聞こゆ。御装束、人びとの料などさまざまあり。上にも語らひきこえたまへるなるべし、御匣殿みくしげどのなどにも、設けの物召し集めて、色あひ、しざまなど、ことなるをと、選らせたまへれば、田舎びたる目どもには、まして珍らしきまでなむ思ひける。
このように聞いてからは、右近を召して、
「では、その人をこちらに来ていただこう。年頃、ことある度に、残念にも行方不明になったことが思い出され、うれしいことに消息が分かって、お互いに知らずにいるのも、おかしな話だ。
父大臣には、知らせることはないだろう。子沢山なので、数ならぬ身で、今はじめて仲間入りするのも、苦労することだろう。わたしは子が少なく寂しいので、思いがけない所から探し出したとでも言っておこう。好き者どもに気苦労をさせる種だ、大切にしよう」
など語らえば、ともかくもうれしく思い、
「み心のままに。内大臣にお知らせしようにも、源氏の君のほかに誰が言えましょう。空しくお亡くなりになったお方様の身代わりには、ともかくも引き取って助けることが、罪滅ぼしにもなりましょう」
と右近は申し上げる。
「ずいぶん人のせいにするね」
と微笑みながら、涙ぐむのであった。
「悲しく、はかない契りだったな、と年頃思い出すのだ。こうして集う女方のなかに、あの時の心ざしほどに思い込んだ女はなく、長生きして、わたしの長く変わらぬ気持ちを見届ける人も多い中に、言ってもしようがないが、右近だけを形見で見るのは、残念なことだ。思い忘れる時なく、姫と一緒に住めれば、まことに本意です」
とて、手紙をしたためた。あの末摘花の期待はずれだったことが思い出され、そのように落ちぶれた境遇で育った人が心配で、まず、どんな文を書くのか見たいと思った。生真面目に、この場にふさわしく書いて、端に、
「こう申し上げるのを、
(源氏)ご存知なくても辿ってみれば分かるでしょう
三稜みくりのように切れずに縁は続いています」
とあった。
御文を持ち、右近は自ら出かけて、源氏の君の言葉をお伝えした。装束、女房たちの衣料などさまざまあった。紫の上にも話したのだろう、御匣殿みくしげどのなどで、用意の品を取り集めて、色合い、仕立て具合などがとりどりのを選んだので、田舎人の目にはたいへん珍しいと思うのだった。
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22.22 玉鬘、源氏に和歌を返す
正身そうじみは、
「ただかことばかりにても、まことの親の御けはひならばこそうれしからめ、いかでか知らぬ人の御あたりには交じらはむ」
と、おもむけて、苦しげに思したれど、あるべきさまを、右近聞こえ知らせ、人びとも、
「おのづから、さて人だちたまひなば、大臣の君も尋ね知りきこえたまひなむ。親子の御契りは、絶えて止まぬものなり」
「右近が、数にもはべらず、いかでか御覧じつけられむと思ひたまへしだに、仏神の御導きはべらざりけりや。まして、誰れも誰れもたひらかにだにおはしまさば」
と、皆聞こえ慰む。
「まづ御返りを」と、責めて書かせたてまつる。
「いとこよなく田舎びたらむものを」
と恥づかしく思いたり。唐の紙のいと香ばしきを取り出でて、書かせたてまつる。
数ならぬ三稜や何の筋なれば
憂きにしもかく根をとどめけむ

とのみ、ほのかなり。手は、はかなだち、よろぼはしけれどあてはかにて口惜しからねば、御心落ちゐにけり。
住みたまふべき御かた御覧ずるに、
「南の町には、いたづらなる対どもなどなし。勢ひことに住み満ちたまへれば、顕証に人しげくもあるべし。中宮おはします町は、かやうの人も住みぬべく、のどやかなれど、さてさぶらふ人のつらにや聞きなさむ」と思して、「すこし埋れたれど、丑寅の町の西の対、文殿にてあるを、異方へ移して」と思す。
「あひ住みにも、忍びやかに心よくものしたまふ御方なれば、うち語らひてもありなむ」
と思しおきつ。
玉鬘本人は、
「このようなことであっても、本当の父親からの文であればうれしいのですが、どうして知らぬ人の邸に世話になれましょう」
と言って、困ったと思ったが、どうしたらいいか、右近が諭し、乳母たちも、
「自ずから、姫が成長してゆけば、大臣のお耳にも入り知られるだろう。親子の契りは、絶えるものではありません」
「右近のような物の数にも入らぬ者にも、どうかして姫のお目に止まりますようにと願ったので、神仏のお導きがありました。どちらも無事でおりましたなら」
と皆が言って慰めた。
「まず、ご返事を」と強いて書かせるのだった。
「ひどく田舎びていないものを」
と玉鬘は恥ずかしく思うのだった。唐の紙の香りの高いのを選んで、書かせた。
(玉鬘)「数ならぬこの身はどんな因縁で
この憂き世に生まれ根を張ったのでしょう」
とだけ薄く書いてある。手は、たよりなげでたどたどしいけれど、品があり見苦しくはないので、源氏は安心した。
住む場所を考えると、
「紫の上の住む南の町には、余っている対はない。女房も大勢いるので、人目に立つし出入りも多いたろう。中宮の住いの西南の町は、姫が住めそうで閑静ではあるが、仕える女房たちと同じに見られるおそれがある」と思って、「すこし引っ込んでいるが、花散里の住む東北の町の西の対の図書を移して」と思う。
「相住みでも、花散里は控え目で気立ての良いお方だから、仲良くやってゆけるだろう」
とお決めになった。
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22.23 源氏、紫の上に夕顔について語る
上にも、今ぞ、かのありし昔の世の物語聞こえ出でたまひける。かく御心に籠めたまふことありけるを、恨みきこえたまふ。
「わりなしや。世にある人の上とてや、問はず語りは聞こえ出でむ。かかるついでに隔てぬこそは、人にはことには思ひきこゆれ」
とて、いとあはれげに思し出でたり。
「人の上にてもあまた見しに、いと思はぬなかも、女といふものの心深きをあまた見聞きしかば、さらに好き好きしき心はつかはじとなむ思ひしを、おのづからさるまじきをもあまた見しなかに、あはれとひたぶるにらうたきかたは、またたぐひなくなむ思ひ出でらるる。世にあらましかば、北の町にものする人の列には、などか見ざらまし。人のありさま、とりどりになむありける。かどかどしう、をかしき筋などはおくれたりしかども、あてはかにらうたくもありしかな」
などのたまふ。
「さりとも、明石の列には、立ち並べたまはざらまし」
とのたまふ。なほ北の御殿をば、めざましと心置きたまへり。姫君の、いとうつくしげにて、何心もなく聞きたまふが、らうたければ、また、「ことわりぞかし」と思し返さる。
紫の上にも今になって、あの昔の二人の話を話した。こんなに長く胸に秘めていたのを、恨みがましく言った。
「仕方ありません。亡くなった人について、聞かれもしないことは言わないものです。こうしてお話するのは、あなたは格別なのです」
と、とてもなつかしそうに思い出していた。
「他人の場合もたくさん見ましたが、思いが深くなくても、女というものの執念をたくさん見聞きしましたので、もう好き心は使うまいと思ったが、自ずからそうもいかない女もありまして、心からただもう可愛いということでは、他に類のない人です。もし生きていれば、北の町にお住いの明石の君と同列に見ることでしょう。女の気立ては、人さまざまです。才気だったり気の利いたことはなかったけれど、品があってかわいらしかった」
などと仰せになる。
「でも、明石の君と同列にはできないでしょう」
と紫の上が言われる。やはり北の御殿の方に一目置いているのだった。明石の姫君がたいへんかわいくて、無心に聞いている様子が、あどけないので、「もっともだ」と思い直した。
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22.24 玉鬘、六条院に入る
かくいふは、九月のことなりけり。渡りたまはむこと、すがすがしくもいかでかはあらむ。よろしき童女、若人など求めさす。筑紫にては、口惜しからぬ人びとも、京より散りぼひ来たるなどを、たよりにつけて呼び集めなどしてさぶらはせしも、にはかに惑ひ出でたまひし騷ぎに、皆おくらしてければ、また人もなし。京はおのづから広き所なれば、市女などやうのもの、いとよく求めつつ、率て来。その人の御子などは知らせざりけり。
右近が里の五条に、まづ忍びて渡したてまつりて、人びと選りととのへ、装束ととのへなどして、十月にぞ渡りたまふ。
大臣、東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ
「あはれと思ひし人の、ものうじして、はかなき山里に隠れゐにけるを、幼き人のありしかば、年ごろも人知れず尋ねはべりしかども、え聞き出ででなむ、女になるまで過ぎにけるを、おぼえぬかたよりなむ、聞きつけたる時にだにとて、移ろはしはべるなり」とて、「母も亡くなりにけり。中将を聞こえつけたるに、悪しくやはある。同じごと後見たまへ。山賤めきて生ひ出でたれば、鄙びたること多からむ。さるべく、ことにふれて教へたまへ」
と、いとこまやかに聞こえたまふ。
「げに、かかる人のおはしけるを、知りきこえざりけるよ。姫君の一所ものしたまふがさうざうしきに、よきことかな」
と、おいらかにのたまふ。
「かの親なりし人は、心なむありがたきまでよかりし。御心もうしろやすく思ひきこゆれば」
などのたまふ。
つきづきしく後む人なども、こと多からで、つれづれにはべるを、うれしかるべきこと」
になむのたまふ。
殿のうちの人は、御女とも知らで、
「何人、また尋ね出でたまへるならむ」
「むつかしき古者扱ひかな」
と言ひけり。
御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あれば、田舎びず仕立てたり。殿よりぞ、綾、何くれとたてまつれたまへる。
このような話は、九月のことだった。六条邸に移るのは、すんなりいくわけではない。適当な童女、若い女房などをさがすのだった。筑紫では京から流れてきたそれなりの女房を、つてをたよりに集めて仕えさすなどしていたが、あわてて上京した騒ぎに、皆おいてきたので、人もいない。京はなんといっても広いところなので、市女などがよく知っていて、連れて来た。どなたの姫君に仕えるかは伏して集めたのだった。
右近の里の五条に、まずひっそり移ってから、女房を選んでととのえたり、装束をととのえたりして、十月に移った。
源氏は、花散里に玉鬘のお世話をお頼みになる。
「昔思いを交わした人が、嫌なことがあって、辺鄙な山里に隠れたのだが、幼い子があって、年頃人知れずさがしていたが、見つからず、女に成長するまで経ってから、思わぬ方から、聞きつけましたので、移ってもらったのです」とて、「母親も亡くなりました。息子の夕霧のお世話してもらって、上々です。同じように後見をお願いしたい。山がつのような所で育ったので、田舎びたところが多々ありましょう。折に触れて教えてくれ」
と細かくご説明する。
「このようなお方がいらっしゃるとは、知りませんでした。姫君おひとりではおさびしいでしょうから、良いことですね」
とおっとりして言う。
「親だった人は、まことにすばらしく気立ての良い方でした。あなたなら安心です」
などと仰せになる。
「お世話など格別なこともしてませんので、所在なくしておりましたのでうれしいことです」
と言うのだった。
邸内の人たちは、姫とも知らずに、
「誰だろう、また見つけてきた」
「面倒な骨董趣味だ」
と言うのであった。
車三つで、供の人の身なりなども、右近がいるので、田舎風ではなかった。源氏からは、綾や、何くれとなく支度にさし上げた。
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22.25 源氏、玉鬘に対面する
その夜、やがて大臣の君渡りたまへり。昔、光る源氏などいふ御名は、聞きわたりたてまつりしかど、年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳のほころびよりはつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞおぼゆるや。
渡りたまふ方の戸を、右近かい放てば、
、「この戸口に入るべき人は、心ことにこそ
と笑ひたまひて、廂なる御座についゐたまひて、
「燈こそ、いと懸想びたる心地すれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け。さも思さぬか」
とて、几帳すこし押しやりたまふ。わりなく恥づかしければ、そばみておはする様体など、いとめやすく見ゆれば、うれしくて、
「今すこし、光見せむや。あまり心にくし」
とのたまへば、右近、かかげてすこし寄す。
「おもなの人や」
とすこし笑ひたまふ。げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなりいささかも異人ことひとと隔てあるさまにものたまひなさず、いみじく親めきて、
「年ごろ御行方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆きはべるを、かうて見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のことども取り添へ、忍びがたきに、えなむ聞こえられざりける」
とて、御目おし拭ひたまふ。まことに悲しう思し出でらる。御年のほど、数へたまひて、
「親子の仲の、かく年経たるたぐひあらじものを。契りつらくもありけるかな。今は、ものうひうひしく、若びたまふべき御ほどにもあらじを、年ごろの御物語など聞こえまほしきに、などかおぼつかなくは」
と恨みたまふに、聞こえむこともなく、恥づかしければ、
脚立たず沈みそめはべりにけるのち、何ごともあるかなきかになむ
と、ほのかに聞こえたまふ声ぞ、昔人にいとよくおぼえて若びたりける。ほほ笑みて、
「沈みたまひけるを、あはれとも、今は、また誰れかは」
とて、心ばへいふかひなくはあらぬ御応へと思す。右近に、あるべきことのたまはせて、渡りたまひぬ。
その夜、早速源氏がやって来た。昔、光る源氏などという御名は、供の者たちは聞いていたが、長年都を離れて初めてのことで、それほど思ってもいなかったが、ほのかな大殿油で、几帳の隙間からわずかに見て、その美しさにそら恐ろしさをおぼえた。
こちらに来る方の妻戸を、右近が押し開けば、
「この戸口に入る人は、特別な人だね」
と笑って、廂の間の座について、
「灯火こそ、恋人同士の心地がするね。親の顔を見てみたいと聞いている。そうだろう」
とて、几帳を少し押した。玉鬘がとても気が引けて横を向いている様子など、源氏は感じがいいと見てうれしくなり、
「もう少し、明るくしてくれ。あまりに慎み深い」
と仰せになると、右近は燈芯を掻き立てて寄せる。
「遠慮のない人だね」
と少し笑う。実に美しいと思える、源氏の目元がすばらしかった。少しも他人行儀のところを見せずに仰せになり、すっかり親気取りで、
「年頃行方を知らず、いつも思って嘆いていましたが、こうしてお目にかかるにつけても、夢のような心地がして、過ぎにし方が思い出されて、堪えきれず、物も言えません」
とて、目を拭うのだった。まことに悲しい思いがこみ上げてくる。姫の御齢のほどを数えて、
「親子の仲で、こんなに長い年月を離れていたことはないだろう。つらい前世の因縁だ。今は、幼くて恥ずかしがる年でもあるまいに、今までの話をしたいと思っているのに、どうしてよそよそしいのか」
と恨みがましく、玉鬘は言うこともなく、気おくれして、
「蛭の児よろしく、幼い頃に田舎に下って、頼りない有様です」
と、か細い声でものを言う様子が、昔の人に実によく似ていて、若々しい。微笑んで、
「田舎の苦労を、あわれと、今は誰が思ってくれますか」
とて、心ばえは悪くはない返事だと思う。右近に、いろいろ指図して、お帰りになった。
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22.26 源氏、玉鬘の人物に満足する
めやすくものしたまふを、うれしく思して、上にも語りきこえたまふ。
「さる山賤のなかに年経たれば、いかにいとほしげならむとあなづりしを、かへりて心恥づかしきまでなむ見ゆる。かかる者ありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮などの、この籬のうち好ましうしたまふ心乱りにしがな。好き者どもの、いとうるはしだちてのみ、このわたりに見ゆるも、かかる者のくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。なほうちあはぬ人のけしき見集めむ
とのたまへば、
「あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを先に思すよ。けしからず」
とのたまふ。
まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。いと無心にしなしてしわざぞかし
とて、笑ひたまふに、面赤みておはする、いと若くをかしげなり。硯引き寄せたまうて、手習に、
恋ひわたる身はそれなれど玉かづら
いかなる筋を尋ね来つらむ

あはれ」
と、やがて独りごちたまへば、「げに、深く思しける人の名残なめり」と見たまふ。
玉鬘の好ましい感じに、すっかりうれしくなって、紫の上にも話をする。
「あんな田舎に長年いたので、どんなにひどい有様だろうと侮っていたが、かえってこちらが恥ずかしくなるほど美しい。こんな姫がいると、是非とも人に知らせて、兵部卿宮などが、この邸の風流に引かれて来る心を乱してやりたい。好き者たちが、真面目くさってこの邸に来るのも、このような者がいなかったからだ。大切にしてな。平気ではいられぬ男どもの顔が見たい」
と仰せになると、
「悪い親ですね。男の心を掻き立てることを先に思うとは。いけない方」
と紫の上が言う。
「実にあなたこそ、わたしが今のような気持ちだったら、そうやって男たちの心を惑わしたかった。しゃにむに娶ったからな」
と笑うと、紫の上は顔を赤らめている。実に若く美しい。硯を引き寄せて、手習いに、
(源氏)「夕顔を慕う気持ちは変わらないが、
この美しい髪の娘はどんな筋でわたしの処に来たのだろう」
ああ」
とひとり言を言うので、紫の上は「深く愛した人の形見なのだろう」と見るのだった。
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22.27 玉鬘の六条院生活始まる
中将の君にも
「かかる人を尋ね出でたるを、用意して睦び訪らへ」
とのたまひければ、こなたに参うでたまひて、
「人数ならずとも、かかる者さぶらふと、まづ召し寄すべくなむはべりける。御渡りのほどにも、参り仕うまつらざりけること」
と、いとまめまめしう聞こえたまへば、かたはらいたきまで、心知れる人は思ふ。
心の限り尽くしたりし御住まひなりしかど、あさましう田舎びたりしも、たとしへなくぞ思ひ比べらるるや。御しつらひよりはじめ、今めかしう気高くて、親、はらからと睦びきこえたまふ御さま、容貌よりはじめ、目もあやにおぼゆるに、今ぞ、三条も大弐をあなづらはしく思ひける。まして、監が息ざしけはひ、思ひ出づるもゆゆしきこと限りなし。
豊後介の心ばへをありがたきものに君も思し知り、右近も思ひ言ふ。「おほぞうなるは、ことも怠りぬべし」とて、こなたの家司ども定め、あるべきことどもおきてさせたまふ。豊後介もなりぬ。
年ごろ田舎び沈みたりし心地に、にはかに名残もなく、いかでか、仮にても立ち出で見るべきよすがなくおぼえし大殿のうちを、朝夕に出で入りならし、人を従へ、事行なふ身となれば、いみじき面目と思ひけり。大臣の君の御心おきての、こまかにありがたうおはしますこと、いとかたじけなし。
夕霧にも、
「こういう方を引き取ったから、そのつもりで仲良くするように」
との仰せなので、夕霧がご挨拶にいらして、
「お役に立てないかもしれませんが、こういう者がいると、まず呼び出してください。お移りのときは、参上せず失礼しました」
と実にまじめに申し上げたので、事情を知る者たちは、実にはらはらしていた。
筑紫の住いは、精一杯贅を尽くしたものだったが、そうとうに田舎びていたのと思い比べられるのだった。調度類からして、はなやかで気高くて、親兄弟として親しくする人の様子や、容貌など目にも鮮やかで、今では三条は大弐もそれほどのものではなかったと思うのだった。まして、監の鼻息の荒い様子など思い出すのも嫌だった。
豊後の介ぶんごのすけの決断は正解だったと姫も右近も思うのだった。「いい加減では、行き届かないこともあろう」とて、こちらの家司を定め、必要なことを決めてやらせる。豊後の介も家司になった。
長い間、田舎住まいになれていたのが、突然打って変わって、どうして自分などが出仕して拝見することができようかと思う大殿に、朝夕出入りして、人に指図し、事を行う身となれば、非常な名誉と思うのだった。大臣の君の心遣いが、細かく配慮されているのも、実に恐れ多いことだった。
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22.28 歳末の衣配り
年の暮に、御しつらひのこと、人びとの装束など、やむごとなき御列に思しおきてたる、「かかりとも、田舎びたることや」と、山賤の方にあなづり推し量りきこえたまひて調じたるも、たてまつりたまふついでに、織物どもの、我も我もと、手を尽くして織りつつ持て参れる細長ほそなが小袿こうちきの、色々さまざまなるを御覧ずるに、
「いと多かりけるものどもかな。方々に、うらやみなくこそものすべかりけれ」
と、上に聞こえたまへば、御匣殿みくしげどのに仕うまつれるも、こなたにせさせたまへるも、皆取う出させたまへり。
かかる筋はた、いとすぐれて、世になき色あひ、匂ひを染めつけたまへば、ありがたしと思ひきこえたまふ。
ここかしこの擣殿うちどのより参らせたる擣物うちものども御覧じ比べて、濃き赤きなど、さまざまを選らせたまひつつ、御衣櫃みそびつ衣筥ころもばこどもに入れさせたまうて、おとなびたる上臈どもさぶらひて、「これは、かれは」と取り具しつつ入る。上も見たまひて、
「いづれも、劣りまさるけぢめも見えぬものどもなめるを、着たまはむ人の御容貌に思ひよそへつつたてまつれたまへかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」
とのたまへば、大臣うち笑ひて、
「つれなくて、人の御容貌推し量らむの御心なめりな。さては、いづれをとか思す」
と聞こえたまへば、
「それも鏡にては、いかでか」
と、さすが恥ぢらひておはす。
紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿今様色のいとすぐれたるとは、かの御料桜の細長に、つややかなる掻練取り添へては、姫君の御料なり
浅縹あさはなだ海賦かいふの織物、織りざまなまめきたれど、匂ひやかならぬに、いと濃き掻練具して、夏の御方に
曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対にたてまつれたまふを、上は見ぬやうにて思しあはす。「内の大臣の、はなやかに、あなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるなめり」と、げに推し量らるるを、色には出だしたまはねど、殿見やりたまへるに、ただならず。
いで、この容貌のよそへは、人腹立ちぬべきことなり。よきとても、物の色は限りあり、人の容貌は、おくれたるも、またなほ底ひあるものを
とて、かの末摘花の御料に、柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れるも、いとなまめきたれば、人知れずほほ笑まれたまふ。
梅の折枝、蝶、鳥、飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかなる重ねて、明石の御方に。思ひやり気高きを、上はめざましと見たまふ。
空蝉の尼君に、青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまひて、御料にある梔子くちなしの御衣、ゆるし色なる添へたまひて、同じ日着たまふべき御消息聞こえめぐらしたまふ。げに、似ついたる見むの御心なりけり。
年の暮れになって、玉鬘の調度や女房たちの装束など、高貴な方々と同列にと思って、「こんなに美しくとも、どこか田舎びたところが」と、山里育ちを懸念して新調した衣装をさし上げたついでに、織物どもの、われもわれもと人びとが工夫を凝らして織った細長や小袿が色さまざまなのをご覧になって、
「ずいぶんたくさんありますね。それぞれの方に恨みなく分けあげてください」
と紫の上に仰るので、御匣殿みくしげどので調達したものも、こちらで作ったのも、皆取り出した。
紫の上は染色裁縫の技量は、たいへん勝れていて、色合や艶がすばらしく見事なので、源氏はありがたいお方と思うのであった。
あちらこちらの擣殿うちどのから集まった絹織物をご覧になって、濃い紫色などの様々なものを選んで、御衣櫃みそびつ衣筥ころもばこなどを用意し、年輩の上席の女房たちが御前で「これはかれは」とそれぞれに取り揃えて入れる。紫の上もそれを見て、
「どれも優劣のつけがたいものですが、着る人の容貌を思い浮かべてその人に合いそうなのを選んでください。着ているものが似合わないのは、とてもみっともないものです」
と言うと、源氏も笑って、
「さりげなく、玉鬘の容貌を推し量るおつもりか。さて、どれをご自分にとお思いか」
と仰せになると、
「それも鏡だけでは決められません」
とさすがに恥じらいながら言う。
紅梅のかさねで模様が浮いた薄紫の小袿と、鮮やかな紅梅色のうちきは紫の上の御料。桜襲の細長に、薄紅の艶のある掻練のうちきを添えて、明石姫君の御料。
浅い縹色はなだいろ海賦かいふの織物は、美しい織りだが、派手なところはなく、濃い紅の掻練のうちきを添えて、夏のお方花散里の御料に。
鮮やかな紅のうちきと、山吹色の細長は、あの西の対の玉鬘に差し上げるのを、紫の上は見ぬようにして想像する。「父の内大臣がはなやかで美しい方なのだが、優美なところが欠けている点が父に似ている」と紫の上が想像しているのを、顔には出さないが、源氏は見ていて、紫の上のただならぬ関心を感じた。
「いや、この容貌の見立ては、人のご機嫌を損ねる。良しとしても、衣装の色など限りがあり、人の容貌は美人でなくても、深みがあるものです」
と源氏は言って、あの末摘花の御料に、柳襲で由緒ある唐草模様を織り込んで、たいへん優美なのを選び、人知れずほほ笑んだ。
梅の折枝に蝶、鳥が飛び交っている唐めいた白い小袿に、濃紺の艶のあるのを重ねて、明石の御方の御料で、実に気品があり、憎らしいとご覧になる。
空蝉の尼君の御料には、青い鈍色の織物でとても気の利いたのを見つけて、黄色い梔子くちなし色の袿を添えて、御料とし、同じ日に着るよう文をつけた。本当に似合ったところを見ようとの心づもりだった。
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22.29 末摘花の返歌
皆、御返りどもただならず。御使の禄、心々なるに、末摘、東の院におはすれば、今すこしさし離れ、艶なるべきを、うるはしくものしたまふ人にて、あるべきことは違へたまはず、山吹の袿の、袖口いたくすすけたるを、うつほにてうち掛けたまへり。御文には、いとかうばしき陸奥紙の、すこし年経、厚きが黄ばみたるに、
「いでや、賜へるは、なかなかにこそ。
着てみれば恨みられけり唐衣
返しやりてむ袖を濡らして

御手の筋、ことに奥よりにたり。いといたくほほ笑みたまひて、とみにもうち置きたまはねば、上、何ごとならむと見おこせたまへり。
御使にかづけたる物を、いと侘しくかたはらいたしと思して、御けしき悪しければ、すべりまかでぬ。いみじく、おのおのはささめき笑ひけり。かやうにわりなう古めかしう、かたはらいたきところのつきたまへるさかしらに、もてわづらひぬべう思す。恥づかしきまみなり。
女たちの、お礼の返事は尋常ではない。使いへの禄もそれぞれで、末摘花は、二条院の東の対にいたので、少し他人行儀で、しゃれた趣向があってしかるべきだが、律儀な人で、作法通りのことをして、山吹襲の袿の袖口がひどくよごれているのを、裏衣なしで与えた。文は香の強い陸奥紙で古く厚く黄ばっていて、
「もう、晴れ着を頂きまして、かえってどうも。
(末摘花)立派な衣ですが着てみれば恨みに思います、
袖を涙でぬらしてお返ししましょう」
筆跡は、ことさら古めかしていた。源氏の君は、いたく微笑んですぐには文を置かなかったので、紫の上は何事かとこちらを見るのだった。
末摘花が使いに与えた禄が、とても情けなくいたたまれなかったので、源氏は機嫌が悪く、使いはそっと退出した。ひどいこと、と女房たちもささやき合って笑うのだった。末摘花が、こんな古めかしい振舞いをするのを、源氏の君はもてあました。まなざしが美しい。
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22.30 源氏の和歌論
「古代の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』かことこそ離れねな。まろも、その列ぞかし。さらに一筋にまつはれて、今めきたる言の葉にゆるぎたまはぬこそ、ねたきことは、はたあれ。人の中なることを、をりふし、御前などのわざとある歌詠みのなかにては、『円居』離れぬ三文字ぞかし。昔の懸想のをかしき挑みには、『あだ人』といふ五文字を、やすめどころにうち置きて、言の葉の続きたよりある心地すべかめり」
など笑ひたまふ。
「よろづの草子、歌枕、よく案内知り見尽くして、そのうちの言葉を取り出づるに、詠みつきたる筋こそ、強うは変はらざるべけれ。
常陸の親王の書き置きたまへりける紙屋紙こうやがみの草子をこそ、見よとておこせたりしか。和歌の髄脳いと所狭う、病去るべきところ多かりしかば、もとよりおくれたる方の、いとどなかなか動きすべくも見えざりしかば、むつかしくて返してき。よく案内知りたまへる人の口つきにては、目馴れてこそあれ」
とて、をかしく思いたるさまぞ、いとほしきや。
上、いとまめやかにて、
「などて、返したまひけむ。書きとどめて、姫君にも見せたてまつりたまふべかりけるものを。ここにも、もののなかなりしも、虫みな損なひてければ。見ぬ人はた、心ことにこそは遠かりけれ」
とのたまふ。
「姫君の御学問に、いと用なからむ。すべて女は、立てて好めることまうけてしみぬるは、さまよからぬことなり何ごとも、いとつきなからむは口惜しからむただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける
などのたまひて、返しは思しもかけねば、
「返しやりてむ、とあめるに、これよりおし返したまはざらむも、ひがひがしからむ」
と、そそのかしきこえたまふ。情け捨てぬ御心にて、書きたまふ。いと心やすげなり。
返さむと言ふにつけても片敷の
夜の衣を思ひこそやれ

ことわりなりや」
とぞあめる。
「古風な歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』などの恨み言が決まり文句になっている。わたしもその類だろう。この一筋と思い込んで、今風な言葉に見向きもしないのが、立派と言えば立派なものだ。列座の中にいて、時には、帝の御前で集まる歌詠みのなかでは、『円居』の三文字が決め手だ。昔の恋のしゃれたやりとりでは、『あだ人』という五文字を、三句めに置いて、調子がおさまる心地がするのでしょう」
と笑うのだった。
「たくさんの草子を読み、歌枕などよく使い方を知って、その中の言葉を取り出して、歌を詠むやり方は、そうは変わらないのだ。
亡くなった常陸の宮の書き残した上質な紙に書かれた草子を、見てくださいと寄こした。和歌の真髄がたいそう窮屈で、歌の病を避けるべく多々説かれていたが、元々不得意な方面なので、かえって不自由になってしまって、面倒で返してしまった。よく精通した人にしては、ありきたりの歌ですな」
と面白がっていたのには、お気の毒であった。
紫の上はまじめに、
「どうしてお返しになったのですか。書き留めておいて、姫君にも見せてあげればよいものを。ここのも、しまっておいたのは虫食いで駄目になって、読んでいない人は、何も知らないのです」
と言う。
「姫君の学問には、向かないでしょう。女というものは、好きなことを取り立てて一生懸命になるのか、その様は良いものではない。何事もまったく知らないのは良くない。ただ、心持を、ふらふらさせず落ち着かせて、うわべは穏やかなのがいいのです」
などと仰せになって、返事を書こうとしないので、
「お返しします、とあるのに、返事を出さないのは、礼儀にはずれますでしょう」
と返事を書くようおすすめする。やさしい心根なので、文を書いた。すごく気楽そうだ。
(源氏)「返そうとおっしゃるが衣を独り敷いて
寝るあなたを思いやります
もっとものことです」
とあった。
2019.5.30/ 2021.9.17/ 2023.4.16

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読書期間2019年4月21日 - 2019年5月30日