源氏物語  野分 注釈

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中宮の御前おまえ 六条院の西南の町、秋好む中宮の御殿のお庭。
故前坊こぜんぼう 亡き前皇太子。中宮の父。
おほふばかりの袖は、秋の空にしもこそ欲しげなりけれ 大空を覆うほどの袖は、この秋の空にこそほしいような様子だった。「大空をおほうばかりの袖もがな春さく花を風にまかせじ」(『後撰集』巻二春中、題知らず、読み人知らず)
三条の宮にはべりつるを 三条の宮邸とは。大宮(おおみや)は、一院の女三の宮(第三皇女)で、桐壺帝の同腹の姉妹。光源氏のおばにあたる。左大臣の正室として降嫁し、頭中将と葵の上を産んだ。三条殿に住んだことから、三条の大宮とも呼ばれる。娘・葵の上の死後、忘れ形見である夕霧を手元で育て、後に内大臣(元の頭中将)の脇腹の娘である雲居の雁も自邸に引き取り、二人を鍾愛した。「よろづのものの上手」(様々な楽器に長けている)で、夕霧や雲居の雁にも手ほどきをしている。しかし夕霧は元服後源氏の教育方針で三条殿を出、また雲居の雁も夕霧との恋仲を内大臣に知られて強引に引き取られたため、ひどく悲しんだ
南の御殿にも、前栽つくろはせたまひける折にしも 「南の御殿」紫の上の御殿。前栽の手入れをさせていたちょうどそのとき。
もとあらの小萩、はしたなく待ちえたる風のけしきなり 「もとあらの小萩」(下葉が散って根元のまばらな萩)は風を待つものだが、これでは立つ瀬がないほどのひどい風の吹きようだ。「宮城野のもとあらの小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て」(『古今集』巻十四恋四 読み人しらず)
さとにほふ心地して さっと照り映える心地して。
あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに どうにもならぬほど、見ているわたしの顔にも照り映えるように。「あじきない」①事の度合いがひどい。どうにもならない。②無意味である。③面白くない。あじけない。
飽かぬことなき御さまどもなるを 非の打ちどころのないお二人のご様子であるのを。
うるはしくものしたまふ君にて (夕霧は)几帳面な性格の方なので。「うるわしく」①端正だ、立派だ、壮麗だ。②(色彩が)見事である。整っていて美しい。③行儀が良い。礼儀正しい。きちんとしている。
かくてものしたまへること こうしてわざわざお出でくださったこと。
そこら所狭かりし御勢ひのしづまりて /あれほど大層なものだった権勢も今はひっそりして。大宮の夫、故太政大臣のことをいう。
来し方行く末、ありがたくもものしたまひけるかな 過去将来にわたってもあれほどの人はいないと思われる美しさだった。
かかる御仲らひに、いかで東の御方、さるものの数にて立ち並びたまひつらむ こんなすがらしいご夫婦仲に、どうして花散里が源氏の奥方の一人として肩を並べておいでなのだろう。
ごうじておはしけるに おびえて疲れきっていたので。「極(ごく)」の音便。疲れること
いにしへだに知らせたてまつらずなりにし、暁の別れよ。今ならひたまはむに、心苦しからむ 昔だってあなたにその悲しみを味わわせることのなかった明け方に別れですよ。今になって経験するのは、おかわいそうだ。
心の隈多く 思慮深く。
紫苑しおん撫子なでしこ、濃き薄きあくめどもに、女郎花の汗衫かざみなどやうの 「紫苑しおん表薄紫、裏青。襲(かさね)の色目。「撫子」表紅梅、裏青。「あくめ童女の表着。「女郎花」表、経(たて)青、緯(よこ)黄の織物に、裏青。「汗衫かざみ」正装のとき童女が上に着ける。
御参りのほどなど、童なりしに 中宮が入内した頃は、夕霧は幼かったので。
これはた、さいへど、気高く住みたるけはひありさまを見るにも この御殿はこの御殿で、何といっても気品高く暮らしている雰囲気や様子を見るにつけても。
見たまひけり (源氏と紫の上が)ご覧になっている。南の御殿は、紫の上の住いである。
あえかにおはする宮なり 「あえか」かよわく、なよなよとしたさま。頼りないさま。
おろかなりとも思いつらむ 「おろか」(疎か)実が十分にはこもっていない。いい加減。
ただ今は、きびはなるべきほどを、かたくなしからず見ゆるも、心の闇にや 今はまだ幼稚な感じのする年頃だが、結構見苦しくなく見えるのも、親の欲目だろうか。「きびわ」幼い、か弱い。「かたくなし」(頑し)頑固だ、見苦しい。「心の闇」「人の親の心は闇にあらねども子を思う道にまどいぬるかな」(『後撰集』巻十五雑一 藤原兼輔)
心懸想こころげそうしたまひて 良く思われたいと思う相手に対して、心をつくろい構えること。(人によく思われようと)言動に気を配ること。
けしきづきてぞおはするや どこか人とは違ったところがおありだ。「気色付く」どこか普通と違っている。一風変わっている。どこかちょっと変わった趣がそなわる。
をかしき衵姿うちとけて しゃれたあくめ姿でくつろいで。
うちとけ萎えばめる姿に くつろいで糊気の落ちた不断着を着ている上に、小袿をはおって。小袿は略礼装。
おほかたに荻の葉過ぐる風の音も憂き身ひとつにしむ心地して ただ普通に秋になれば荻の葉を吹き通る風の音もーどなたにも一通りなさるお見舞いも、しがない身の上のわたしには、飽かれたのかとしみじみと悲しく思われます。(新潮)/ ひととおりに荻の葉をすぎてゆく風の音も、哀しいわが身にだけしみこむ気がして。(玉上)
風につけても同じ筋に、むつかしう聞こえ戯れたまへば 風の見舞いにかこつけても、今までと同じように、うるさく色めいた冗談をお言いになるので。
やうやうかかる御心むけこそ添ひにけれ 段々こうしたお気持ち(私を嫌う気持ち)が出てきたのですね。
思ひ寄らぬ隈なくおはしける御心にて、もとより見馴れ生ほしたてたまはぬは、かかる御思ひ添ひたまへるなめり 女にかけては抜け目のないご性分ゆえ、生まれたときからお側で育てなかった娘だから、こうした色めいたお気持ちも抱くようになられたのだろう。
吹き乱る風のけしきに女郎花しをれしぬべき心地こそすれ 激しく吹く風の勢いに、女郎花はもう折れ伏してしまいそうな気がいたします。(新潮)/ 吹き荒れる風に様子に女郎花はしおれてしまいそうな気がします。(玉上)
下露になびかましかば女郎花荒き風にはしをれざらまし /人目につかぬ下葉に宿る露になびいたなら、女郎花は荒い風には折れ伏すことがないでしょうに。(新潮)/ ひそかに従うなら女郎花、荒い風にしおれることはないであろうに。(玉上)
御前の壺前栽の宴も止まりぬらむかし 宮中の壺前栽の宴も中止になりましたろう。「壺前栽」は清涼殿と後涼殿の間の中庭の植え込み。
なま心やましう 何やら元気をなくし。何となく気が晴れず。「やましい」気分がすぐれない。
北の御殿のおぼえを思ふに、すこしなのめなる心地して 「北の御殿」明石姫君の生母。明石の上の世評を思うと。出自の低さを言っている。「なのめ」際立たない。ありふれている。
風騒ぎむら雲まがふ夕べにも忘るる間なく忘られぬ君 風が吹き荒れ、むら雲の乱れるもの騒がしい夕方でも、片時も忘れられないあなたです。(新潮)/ 風が騒ぎむら雲が飛び散る夕べでも忘れる時はなく忘れられないあなただ。(玉上)
渡らせたまふとて 明石の姫君がこちらにお帰りになるということで。
見つる花の顔どもも、思ひ比べまほしうて、例はものゆかしからぬ心地に 樺桜にたとえられた紫の上、八重山吹を思わせた玉鬘を思い比べたくて、普段は覗き見など関心がない人なのに。
かの見つる先々の、桜、山吹といはば あの前に見た紫の上と玉鬘を、桜、山吹と言うならば。
心のみなむ尽くされはべりける 心配ばかりされるものでございました。/ 心配ばかりかけるものです。
なほ心解けず思ひおきたるけしきしてのたまへば いまだに不快に思ってこだわっている面持ちでおっしゃるので。「思ひおく」根に持っている。残念だという気持ちを残す。未練を残す。
むすめといふ名はして、さがなかるやうやある あなたの娘と名のるものが、出来が悪いはずがありましょうか。

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公開日2019年8月31日