源氏物語 28 野分 のわき

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原文 現代文
28.1 八月野分の襲来
中宮の御前おまえ、秋の花を植ゑさせたまへること、常の年よりも見所多く、色種いろくさを尽くして、よしある黒木赤木のませを結ひまぜつつ、同じき花の枝ざし、姿、朝夕露の光も世の常ならず、玉かとかかやきて作りわたせる野辺の色を見るに、はた、春の山も忘られて、涼しうおもしろく、心もあくがるるやうなり。
春秋の争ひに、昔より秋に心寄する人は数まさりけるを、名立たる春の御前の花園に心寄せし人びと、また引きかへし移ろふけしき、世のありさまに似たり。
これを御覧じつきて、里居したまふほど、御遊びなどもあらまほしけれど、八月は 故前坊こぜんぼうの御忌月なれば、心もとなく思しつつ明け暮るるに、この花の色まさるけしきどもを御覧ずるに、野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。
花どものしをるるを、いとさしも思ひしまぬ人だに、あなわりなと思ひ騒がるるを、まして、草むらの露の玉の緒乱るるままに、御心惑ひもしぬべく思したり。おほふばかりの袖は、秋の空にしもこそ欲しげなりけれ。暮れゆくままに、ものも見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじと、花の上を思し嘆く。
中宮の前庭に、秋の花を植えていて、いつもの年より見所多く、色も種類も豊富で、趣のある黒木赤木の間垣を作って、同じ花の枝ぶりや姿ながら、朝夕露の光もすばらしく、玉と輝くように作っている野辺の色を見ると、春の山も忘れて、涼しく趣きがある秋に、心も浮き立つのであった。
春秋の争いに、昔から秋に心を寄せる人は多いが、名高い春の御前の花園に心を寄せた人びとも、取って代わって心変わりする様子は、世の有様に似ている。
これをご覧になりたくて、里居するうちに、管弦の遊びもしたいが、八月は 故前坊こぜんぼうの忌月なので、盛りがすぎるのを気にしながら暮らして、花の色がますます美しくなるのをご覧になっていると、野分が例年より勢いづいてやって来て、空の色が一変した。
花がしおれるのをそれほど気にしない人でも、まあどうしようと心を痛めるものなのに、まして草の玉の露が乱れるにつれて、中宮は心を惑わすのであった。空を覆うばかりの袖は、秋の空にこそほしいものだった。暮れゆくままに、物も見えなくなるほど吹き荒れて、とても不気味だったので、格子などを下ろすが、気がかりでたまらず、花の命を嘆くのであった。2019.816◎
28.2 夕霧、紫の上を垣間見る
南の御殿にも、前栽つくろはせたまひける折にしも、かく吹き出でて、 もとあらの小萩、はしたなく待ちえたる風のけしきなり。折れ返り、露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見たまふ。
大臣は、姫君の御方におはしますほどに、中将の君参りたまひて、東の渡殿の小障子の上より、妻戸の開きたる隙を、何心もなく見入れたまへるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて、音もせで見る。
御屏風も、風のいたく吹きければ、押し畳み寄せたるに、見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。 あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。
御簾の吹き上げらるるを、人びと押へて、いかにしたるにかあらむ、うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。花どもを心苦しがりて、え見捨てて入りたまはず。御前なる人びとも、さまざまにものきよげなる姿どもは見わたさるれど、目移るべくもあらず。
「大臣のいと気遠くはるかにもてなしたまへるは、かく見る人ただにはえ思ふまじき御ありさまを、いたり深き御心にて、もし、かかることもやと思すなりけり」
と思ふに、けはひ恐ろしうて、立ち去るにぞ、西の御方より、内の御障子引き開けて渡りたまふ。
「いとうたて、あわたたしき風なめり。御格子下ろしてよ。男どもあるらむを、あらはにもこそあれ」
と聞こえたまふを、また寄りて見れば、もの聞こえて、大臣もほほ笑みて見たてまつりたまふ。親ともおぼえず、若くきよげになまめきて、いみじき御容貌の盛りなり。
女もねびととのひ、飽かぬことなき御さまどもなるを、身にしむばかりおぼゆれど、この渡殿の格子も吹き放ちて、立てる所のあらはになれば、恐ろしうて立ち退きぬ。今参れるやうにうち声づくりて、簀子の方に歩み出でたまへれば、
「さればよ。あらはなりつらむ」
とて、「かの妻戸の開きたりけるよ」と、今ぞ見咎めたまふ。
「年ごろかかることのつゆなかりつるを。風こそ、げに巌も吹き上げつべきものなりけれ。さばかりの御心どもを騒がして。めづらしくうれしき目を見つるかな」とおぼゆ。
南の御殿にも、前栽を手入れをさせていて、野分が吹き始め、もとあらの小萩も及ばぬひどい風の吹きようだった。枝も折れ、露も吹き散らすのを、紫の上は側に寄ってご覧になっている。
源氏は、明石の姫君の部屋にいたので、夕霧がやってきて、東の渡殿の小衝立の上から妻戸が開いている隙から、何気なく見入っていると女房がたくさんいて、じっと立ち止まって音も立てず見入っていた。
屏風も、風が強く吹いているので、折りたたんで寄せているので、すっかり見通せる廂の御座にいた人、紛れもない、気高く清らかで、さっと照り映える心地して、春の曙の霞の間から、風情のある樺桜の咲き乱れるのを見る心地がした。圧倒的に、見ている自分の顔に移ってくるような、愛嬌が匂い散って、実に珍しく稀有な人の有様であった。
御簾が吹き上げられるのを、人々が押えて、どうしたのか笑っている様子が、実に美しかった。吹き散っている花をいたわしく思い、見捨てて奥に入らないでいるのだった。御前にいる女房たちもさまざまに美しい姿が見えるが、目移りはしなかった。
「大臣が常日頃遠ざけて近寄らせないのは、見る人が無関心ではいられないので、深く配慮して、もしこういうことがあってはいけないと思っておいでだからだろう」
と思い、恐ろしくなって立ち去ろうとした時、内の障子を引き開けて源氏が来た。
「ひどくあわただしい風だな。格子を下ろしなさい。男たちがいるだろう、まる見えだ」
と源氏が言うのが聞こえて、また寄って見れば、何か喋って、源氏も微笑んで見ている。親とも思えず、若く美しく品があり、たいへんな男盛りに見えるのだった。
紫の上も女盛りで申し分なく、非の打ちどころのないお二人の様子は、夕霧は身にしみて感じたが、この渡殿の格子も吹き渡って、立っている所があらわになれば、と恐ろしくなって立ち退いた。今来たばかりのように声を作って、簀子の方に歩み出れば、
「やっぱり。見えたかもしれない」
とて、「あの妻戸が開いているよ」と、今見咎めるのだった。
「今まではこんなことはなかったのに。風こそ、実に岩をも吹き上げるものだ。お二人の心を騒がせて、珍しくうれしい気持ちになったかな」と思うのだった。2019.8.17◎
28.3 夕霧、三条宮邸へ赴く
人びと参りて、
「いといかめしう吹きぬべき風にはべり。艮の方より吹きはべれば、この御前はのどけきなり。馬場の御殿、南の釣殿などは、危ふげになむ」
とて、とかくこと行なひののしる。
「中将は、いづこよりものしつるぞ」
「三条の宮にはべりつるを、『風いたく吹きぬべし』と、人びとの申しつれば、おぼつかなさに参りはべりつる。かしこには、まして心細く、風の音をも、今はかへりて、若き子のやうに懼ぢたまふめれば。心苦しさに、まかではべりなむ」
と申したまへば、
「げに、はや、まうでたまひね。老いもていきて、また若うなること、世にあるまじきことなれど、げに、さのみこそあれ」
など、あはれがりきこえたまひて、
「かく騒がしげにはべめるを、この朝臣さぶらへばと、思ひたまへ譲りてなむ」
と、御消息聞こえたまふ。
道すがらいりもみする風なれど、うるはしくものしたまふ君にて、三条宮と六条院とに参りて、御覧ぜられたまはぬ日なし。内裏の御物忌などに、えさらず籠もりたまふべき日より外は、いそがしき公事、節会などの、暇いるべく、ことしげきにあはせても、まづこの院に参り、宮よりぞ出でたまひければ、まして今日、かかる空のけしきにより、風のさきにあくがれありきたまふもあはれに見ゆ。
宮、いとうれしう、頼もしと待ち受けたまひて、
「ここらの齢に、まだかく騒がしき野分にこそあはざりつれ」
と、ただわななきにわななきたまふ。
大きなる木の枝などの折るる音も、いとうたてあり。御殿の瓦さへ残るまじく吹き散らすに、「かくてものしたまへること
と、かつはのたまふ。そこら所狭かりし御勢ひのしづまりて、この君を頼もし人に思したる、常なき世なり。今もおほかたのおぼえの薄らぎたまふことはなけれど、内の大殿の御けはひは、なかなかすこし疎くぞありける。
中将、夜もすがら荒き風の音にも、すずろにものあはれなり。心にかけて恋しと思ふ人の御ことは、さしおかれて、ありつる御面影の忘られぬを、
「こは、いかにおぼゆる心ぞ。あるまじき思ひもこそ添へ。いと恐ろしきこと」
と、みづから思ひ紛らはし、異事に思ひ移れど、なほ、ふとおぼえつつ、
来し方行く末、ありがたくもものしたまひけるかなかかる御仲らひに、いかで東の御方、さるものの数にて立ち並びたまひつらむ。たとしへなかりけりや。あな、いとほし」
とおぼゆ。大臣の御心ばへを、ありがたしと思ひ知りたまふ。
人柄のいとまめやかなれば、似げなさを思ひ寄らねど、「さやうならむ人をこそ、同じくは、見て明かし暮らさめ。限りあらむ命のほども、今すこしはかならず延びなむかし」と思ひ続けらる。
人びとが来て、
「ひどく激しく吹きますね、この風は。東北の方から吹いていますから、この御殿は大丈夫です。馬場の御殿や釣殿の方は、危ないののではないか」
とて、あれこれ準備に騒がしい。
「中将はどちらから参りましたか」
「三条の宮におりましたが、『風が激しく吹いています』と人びとが言いますので、こちらが心配でお見舞いに上がりました。あちらでは、いっそう心細くしておられ、風の音にも、今は昔にかえって子どものように恐れております」
と夕霧が言いますと、
「そうだ、早く行きなさい。老いて再び若くなることは、世の道理でありえないが、気持ちはそんなこともあるだろう」
となどと、おいたわしくお思いなされて、
「このように激しい風ですが、この中将がいればと思い、わたしは失礼します」
と文を託した。
道すがら風は激しく吹いていたが、夕霧は几帳面な性格なので、三条宮と六条院をお尋ねにならぬ日はなかった。内裏の物忌みなどで、やむを得ず籠る日以外は、忙しい公事や節会などに時間をとられて多忙であっても、まずはこの三条の宮を尋ね、ここから内裏へ出仕しているので、まして今日は、こんな空模様の時には、風の先に立ってあちこち顔を出すのも、実に感心なことであった。
宮は、うれしく頼もしき気持ちで待っていて、
「この齢になって、こんな激しい野分にあったことがない」
とわなないているのだった。
大きな木の枝が折れる音も、恐ろしかった。御殿の瓦も残りなく吹き飛ばされるのに、「こうしてわざわざお出でくださり」
とお言葉であった。あれほど権勢を誇った勢いは静まって、今はこの君を頼もしく思う、常なき世であった。今も世間の評判は薄れてはいないけれど、息子の内大臣の気持ちはすこし離れているのだった。
中将は、夜もすがら荒れ狂う風の音にも、気持ちが騒ぐのであった。心にかけて恋しいと思う人のことは差し置いて、あの面影が忘れられず、
「これは、一体どうしたことか。あってはならない思いがつのって、恐ろしいことだ」
と自ら思い紛らして他の事に思いを移したが、なお思い浮かべて、
「今までもこれからも、またとない美しさだろう。このような夫婦仲にあって、どうして花散里などのお方が、肩を並べているのだろう。比べようもない。まったくお気の毒だ」
と思った。大臣の心ばえは、及びもつかないと思い知った。
夕霧は真面目な人柄なので、自分に似合わないことは考えないが、「あのような人を、同じ人生なら、眺め暮らしたいものだ。限りある命も、いま少し延びるかもしれない」と思い続けるのだった。2019.8.20◎
28.4 夕霧、暁方に六条院へ戻る
暁方に風すこししめりて、村雨のやうに降り出づ。
「六条院には、離れたる屋ども倒れたり」
など人びと申す。
「風の吹きまふほど、広くそこら高き心地する院に、人びと、おはします御殿のあたりにこそしげけれ、東の町などは、人少なに思されつらむ」
とおどろきたまひて、まだほのぼのとするに参りたまふ。
道のほど、横さま雨いと冷やかに吹き入る。空のけしきもすごきに、あやしくあくがれたる心地して、
「何ごとぞや。またわが心に思ひ加はれるよ」と思ひ出づれば、「いと似げなきことなりけり。あな、もの狂ほし」
と、とざまかうざまに思ひつつ、東の御方に、まづまうでたまへれば、ごうじておはしけるに、とかく聞こえ慰めて、人召して、所々つくろはすべきよしなど言ひおきて、南の御殿に参りたまへれば、まだ御格子も参らず。
おはしますに当れる高欄に押しかかりて、見わたせば、山の木どもも吹きなびかして、枝ども多く折れ伏したり。草むらはさらにもいはず、桧皮ひはだ、瓦、所々の立蔀たてじとみ透垣すいがいなどやうのもの乱りがはし。
日のわづかにさし出でたるに、憂へ顔なる庭の露きらきらとして、空はいとすごく霧りわたれるに、そこはかとなく涙の落つるを、おし拭ひ隠して、うちしはぶきたまへれば、
「中将の声づくるにぞあなる。夜はまだ深からむは」
とて、起きたまふなり。何ごとにかあらむ、聞こえたまふ声はせで、大臣うち笑ひたまひて、
いにしへだに知らせたてまつらずなりにし、暁の別れよ。今ならひたまはむに、心苦しからむ
とて、とばかり語らひきこえたまふけはひども、いとをかし。女の御いらへは聞こえねど、ほのぼの、かやうに聞こえ戯れたまふ言の葉の趣きに、「ゆるびなき御仲らひかな」と、聞きゐたまへり。
明け方に風がすこし弱まって、村雨のように降っていた。
「六条院の離れの家屋が倒れた」
などと人びとが言う。
「風が吹き惑う間、広くて高くそびえる感じの院に、人びとは源氏のいる御殿のあたりこそ多くいるが、東の町などは人は少な目だろう」
と気がついて、まだ暗いうちに来た。
途中、雨は横に冷ややかに吹き込んだ。空の気色も荒涼としていたが、不思議と気持ちが高揚していて、
「どうしたことだ。わたしの心にまた物思いが加わったのか」と思うと、「わたしにまったく似合わなことだ。何と、気違いじみた」
と、あれこれと思いながら、まず東の御方に行くと、1花散里はおびえて着かれきっていたので、とにかく慰めて、人を呼び、あちこちなおすべき箇所を言い置いて、南の御殿行くと、まだ格子も上げていなかった。
部屋のあたりの高欄に寄りかかって庭を見わたすと、築地の木々を吹きなぐって、枝も多数折れたり倒れていた。草むらはいうまでもなく、屋根の桧皮ひはだや瓦、立蔀たてじとみ透垣すいがいなどが散乱していた。
日が少しばかり射しだして、愁え顔の庭の露がきらきらして、空は濃い霧がこもり、何ということもなく涙が落ちるのを、拭って隠してから、咳払いをすると、
「中将の声作りだ。まだ夜中なのに」
とて、起きた。何があったのか、紫の上の声はしないで、源氏が笑って、
「昔だって経験したことがなかった暁の別れだ。今経験するのはお気の毒だ」
などと言って、いあばし語らい合っている気配は、優雅だ。女の答えは聞こえなかったが、かすかに、このように言って戯れる言葉の趣に、「しっかりした仲だな」と、聞いていた。2019.8.20◎
28.5 源氏、夕霧と語る
御格子を御手づから引き上げたまへば、気近きかたはらいたさに、立ち退きてさぶらひたまふ。
「いかにぞ。昨夜、宮は待ちよろこびたまひきや」
「しか。はかなきことにつけても、涙もろにものしたまへば、いと不便にこそはべれ」
と申したまへば、笑ひたまひて、
「今いくばくもおはせじ。まめやかに仕うまつり見えたてまつれ。内大臣は、こまかにしもあるまじうこそ、愁へたまひしか。人柄あやしうはなやかに、男々しき方によりて、親などの御孝をも、いかめしきさまをば立てて、人にも見おどろかさむの心あり、まことにしみて深きところはなき人になむ、ものせられける。さるは、心の隈多く、いとかしこき人の、末の世にあまるまで、才類ひなく、うるさながら。人として、かく難なきことはかたかりける」
などのたまふ。
「いとおどろおどろしかりつる風に、中宮に、はかばかしき宮司などさぶらひつらむや」
とて、この君して、御消息聞こえたまふ。
「夜の風の音は、いかが聞こし召しつらむ。吹き乱りはべりしに、おこりあひはべりて、いと堪へがたき、ためらひはべるほどになむ」
と聞こえたまふ。
源氏が格子を自分で上げるので、あまり近くできまりが悪いので、夕霧は退いている。
「どうであった。昨夜、宮はよろこんでいたであろう」
「はい、なんでもないことにも、涙もろくなっていますので、かわいそうです」
と申し上げると、笑って、
「先は長くはないのだ。丁重にお仕えしてくれ。内大臣は、細かな配慮がないと、宮は嘆いています。人柄が実に派手で、男性的な性格で、親の追悼にあっても、大げさにしたてて、人を驚かそうとの気持ちがあり、まことに心にしみる深いところのない人なのです。そうは言っても、思慮深く、賢い人で、この末世にはもったいなく、学問もできる、気難しいところはあるが。人として、これだけ欠点がないのはちょっといない」
と仰せになった。
「おそろしい風であったので、中宮にしっかりした宮司がついているのだろうか」
とて、夕霧をして、お見舞いに伺わせた。
「昨夜の風の音は、いかがお聞きでしたでしょうか。吹き荒れていましたときに、持病があって堪え難かったので、伺いできませんでした」
と仰せになった。2019.8.21◎
28.6 夕霧、中宮を見舞う
中将下りて、中の廊の戸より通りて、参りたまふ。朝ぼらけの容貌、いとめでたくをかしげなり。東の対の南の側に立ちて、御前の方を見やりたまへば、御格子、まだ二間ばかり上げて、ほのかなる朝ぼらけのほどに、御簾巻き上げて人びとゐたり。
高欄に押しかかりつつ、若やかなる限りあまた見ゆ。うちとけたるはいかがあらむ、さやかならぬ明けぼののほど、色々なる姿は、いづれともなくをかし。
童女下ろさせたまひて、虫の籠どもに露飼はせたまふなりけり。紫苑しおん撫子なでしこ、濃き薄きあくめどもに、女郎花の汗衫かざみなどやうの、時にあひたるさまにて、四、五人連れて、ここかしこの草むらに寄りて、色々の籠どもを持てさまよひ、撫子などの、いとあはれげなる枝ども取り持て参る、霧のまよひは、いと艶にぞ見えける。
吹き来る追風は、紫苑ことごとに匂ふ空も、香のかをりも、触ればひたまへる御けはひにやと、いと思ひやりめでたく、心懸想せられて、立ち出でにくけれど、忍びやかにうちおとなひて、歩み出でたまへるに、人びと、けざやかにおどろき顔にはあらねど、皆すべり入りぬ。
御参りのほどなど、童なりしに、入り立ち馴れたまへる、女房なども、いとけうとくはあらず。御消息啓せさせたまひて、宰相の君、内侍など、けはひすれば、私事も忍びやかに語らひたまふ。これはた、さいへど、気高く住みたるけはひありさまを見るにも、さまざまにもの思ひ出でらる。
夕霧は下りて、中の渡りの戸を通って行った。朝ぼらけの容姿は、じつに美しく優雅であった。東の対の南側に立って、御前の方を見れば、格子は二間ばかりが上がって、ほのかな朝ぼらけのなかに、御簾と巻き上げて女房たちがいた。
高欄に寄りかかって、若い女房たちがたくさんいた。くつろいだ様子はどうだろう、明けきらない曙のなか、色とりどりの姿は、どれもが鮮やかだ。
童女を下ろさせて、虫の籠を露にあてているのであった。紫苑しおん撫子なでしこ、濃き薄きあくめどもに、女郎花の汗衫かざみなど、季節に合った衣装で、四五人が連れ立って、あちこちの草むらに寄って、色とりどりの籠を持ってさまよって、撫子などの風に傷んだ枝を持って霧の中をさまよっている様子は、風情があった。
吹き渡る追風も、紫苑の花がいっせいに匂っているような空も、中宮が香に触れたせいだろうかと想像するのもめでたく、緊張してしまい、立ち去りがたく、静かに咳払いをして歩み出ると、女房たちはひどく驚いた風は見せなかったが、皆すばやく中に入った。
中宮が入内した頃は、夕霧は幼かったので、御簾の中に入って馴れ親しんだ女房たちもよそよそしくはない。源氏の消息を告げて、宰相の君や内侍など中にいる気配がして、女房たちと私事を語らったりした。この御殿は御殿で、気品高く暮らしている有様を見るにつけても、いろいろと思い出されるのだった。2019.8.22◎
28.7 源氏、中宮を見舞う
南の御殿には、御格子参りわたして、昨夜、見捨てがたかりし花どもの、行方も知らぬやうにてしをれ伏したるを見たまひけり。中将、御階にゐたまひて、御返り聞こえたまふ。
「荒き風をも防がせたまふべくやと、若々しく心細くおぼえはべるを、今なむ慰みはべりぬる」
と聞こえたまへれば、
「あやしくあえかにおはする宮なり。女どちは、もの恐ろしく思しぬべかりつる夜のさまなれば、げに、おろかなりとも思いつらむ
とて、やがて参りたまふ。御直衣などたてまつるとて、御簾引き上げて入りたまふに、「短き御几帳引き寄せて、はつかに見ゆる御袖口は、さにこそはあらめ」と思ふに、胸つぶつぶと鳴る心地するも、うたてあれば、他ざまに見やりつ。
殿、御鏡など見たまひて、忍びて、
「中将の朝けの姿は、きよげなりな。ただ今は、きびはなるべきほどを、かたくなしからず見ゆるも、心の闇にや
とて、わが御顔は、古りがたくよしと見たまふべかめり。いといたう心懸想こころげそうしたまひて
「宮に見えたてまつるは、恥づかしうこそあれ。何ばかりあらはなるゆゑゆゑしさも、見えたまはぬ人の、奥ゆかしく心づかひせられたまふぞかし。いとおほどかに女しきものから、けしきづきてぞおはするや
とて、出でたまふに、中将ながめ入りて、とみにもおどろくまじきけしきにてゐたまへるを、心疾き人の御目にはいかが見たまひけむ、立ちかへり、女君に、
「昨日、風の紛れに、中将は見たてまつりやしてけむ。かの戸の開きたりしによ」
とのたまへば、面うち赤みて、
「いかでか、さはあらむ。渡殿の方には、人の音もせざりしものを」
と聞こえたまふ。
「なほ、あやし」とひとりごちて、渡りたまひぬ。
御簾の内に入りたまひぬれば、中将、渡殿の戸口に人びとのけはひするに寄りて、ものなど言ひ戯るれど、思ふことの筋々嘆かしくて、例よりもしめりてゐたまへり。
南の御殿では、格子を上げて、昨夜見捨て難かった花々が、見るかげもなく折れ臥しているのを、源氏と紫の上は眺めていた。夕霧は御階に腰かけて、中宮のご返事を申し上げた。
「荒い風も防いでくださいましょうかと、子どものように心細く感じておりましたが、今ようやく安心しました」
と中宮のご返事を申し上げると、
「ひどく怖がりな宮です。女だけでは、ものおそろしいく思った夜だったろうから、実にわたしとしては行き届かなかったな」
とて、源氏はすぐ向かった。直衣などと着るために、御簾を引き上げて入ったが、「短い几帳を引き寄せている端からちらりと見える袖口は、紫の上に違いない」 と思うと、夕霧は胸がどきどき鳴るのもいやなので、他の方を見ていた。
源氏は鏡などを見て、小声で、
「中将の朝の姿は美しいな。今は幼さの残る年頃だが、見苦しくないのは、親の欲目かな」
とて、自分の顔は老けずによしと見ているようだ。良く見せようと大変な気づかいをして、
「宮にお会いすいるのは、実に気づかわされるよ。何か特に目立った風情があるようには、見えない人だが、奥の深い感じで気づかいをさせられる。じつにおおらかで女らしいのだが、どこか人とは違ったところがおありだ」
とて、出かけようとすると、中将がどこかをぼんやり眺めていてすぐには気がつかない様子なので、心さとい人の目にはどう見えたのだろう、引き返して、女君に、
「昨日、風にまぎれて、中将は覗いたのではないか。あの妻戸の開いたところから」
と仰せになると、紫の上は顔を赤らめて、
「どうしてそんなことがありましょう。渡殿の方に、人の音もしなかったですから」
とおおせになった。
「いや、あやしいな」と独り言を言って、出て行った。
中宮の御簾の中に入ったので、中宮は渡殿の戸口に女房たちの気配を感じて寄って行き、冗談など言って戯れるが、思いのそれぞれが嘆かわしくて、いつもより沈んでいた。2019.8.25◎
28.8 源氏、明石御方を見舞う
こなたより、やがて北に通りて、明石の御方を見やりたまへば、はかばかしき家司だつ人なども見えず、馴れたる下仕ひどもぞ、草の中にまじりて歩く。童女わらわべなど、をかしき衵姿うちとけて、心とどめ取り分き植ゑたまふ龍胆りんどう、朝顔のはひまじれるませも、みな散り乱れたるを、とかく引き出で尋ぬるなるべし。
もののあはれにおぼえけるままに、箏の琴を掻きまさぐりつつ、端近うゐたまへるに、御前駆追ふ声のしければ、うちとけ萎えばめる姿に小袿こうちきひき落として、けぢめ見せたる、いといたし。端の方についゐたまひて、風の騷ぎばかりをとぶらひたまひて、つれなく立ち帰りたまふ、心やましげなり。
おほかたに荻の葉過ぐる風の音も
憂き身ひとつにしむ心地して

とひとりごちけり。
中宮の所からそのまま北へ抜けて、明石の方の御殿を見れば、これといって家司なども見えず、ものなれた下働きの女たちが、草の中をあちこち歩いている。童女など、しゃれたあくめ姿でくつろいで、明石の上が丹精こめて植えた龍胆りんどうや朝顔の交じった垣もみな散り乱れたのを調べているらしい。
明石の上は物のあわれを感じて、筝の琴を掻きまさぐりつつ、端近くにいたが、前駆の声が聞こえたので、着慣れた不断着に小袿こうちきを下ろして着る、けじめを見せるところは、すばらしい。源氏がちょっと座って、風の騒ぎのお見舞いをして、つれなく立ち去ったのは、意に満たぬ思いであった。
「一様に荻の葉を吹きすぎる風の音も
この憂き身にはひとしおしみる心地がします」
と独り言を言うのだった。2019.8.25◎
28.9 源氏、玉鬘を見舞う
西の対には、恐ろしと思ひ明かしたまひける、名残に、寝過ぐして、今ぞ鏡なども見たまひける。
「ことことしく前駆さき、な追ひそ」
とのたまへば、ことに音せで入りたまふ。屏風びょうぶなども皆畳み寄せ、ものしどけなくしなしたるに、日のはなやかにさし出でたるほど、けざけざと、ものきよげなるさましてゐたまへり。近くゐたまひて、例の、風につけても同じ筋に、むつかしう聞こえ戯れたまへば、堪へずうたてと思ひて、
「かう心憂ければこそ、今宵の風にもあくがれなまほしくはべりつれ」
と、むつかりたまへば、いとよくうち笑ひたまひて、
「風につきてあくがれたまはむや、軽々しからむ。さりとも、止まる方ありなむかし。やうやうかかる御心むけこそ添ひにけれ。ことわりや」
とのたまへば、
「げに、うち思ひのままに聞こえてけるかな」
と思して、みづからもうち笑みたまへる、いとをかしき色あひ、つらつきなり。酸漿ほおずきなどいふめるやうにふくらかにて、髪のかかれる隙々うつくしうおぼゆ。まみのあまりわららかなるぞ、いとしも品高く見えざりける。その他は、つゆ難つくべうもあらず。
玉鬘の西の対では、恐ろしいと思い明かした名残で、寝過ごして今鏡を見て化粧していた。
「大げさに前駆さき追いしてはいけない」
と源氏が仰せになり、音もたてずに入った。屏風なども皆たたんで寄せ、物が取り散らかったなかで、日がはなやかにさし出てくるなかで、際立って、きれいに身つくろいして座っている。源氏は近くに寄って、例によって、台風の見舞いをしても、色めいた冗談を言うので、玉鬘は嫌がって、
「いやなことばかり仰せですから、昨夜の風にのって行きたかったですわ」
と機嫌を悪くしたので、面白そうに笑って、
「風とともに行ってしまうとは、また軽率な。それとも、泊まるところがあるのかな。ようやくそのような気持ちになってきたのですね。ごもっともです」
と仰せになれば、
「ほんとう、思ったとおり言ってしまったわ」
と思って、自分で笑っているところは、実に可愛らしい色合い、顔つきであった。ほおずきのようにふっくらして、髪がかかっている隙々が美しいと思う。目元がにこやかすぎるのが、あまり上品には見えないのだった。その他は、難点がない。2019.8.25◎
28.10 夕霧、源氏と玉鬘を垣間見る
中将、いとこまやかに聞こえたまふを、「いかでこの御容貌見てしがな」と思ひわたる心にて、隅の間の御簾の、几帳は添ひながらしどけなきを、やをら引き上げて見るに、紛るるものどもも取りやりたれば、いとよく見ゆ。かく戯れたまふけしきのしるきを、
「あやしのわざや。親子と聞こえながら、かく懐離れず、もの近かべきほどかは」
と目とまりぬ。「見やつけたまはむ」と恐ろしけれど、あやしきに、心もおどろきて、なほ見れば、柱隠れにすこしそばみたまへりつるを、引き寄せたまへるに、御髪の並み寄りて、はらはらとこぼれかかりたるほど、女も、いとむつかしく苦しと思うたまへるけしきながら、さすがにいとなごやかなるさまして、寄りかかりたまへるは、
「ことと馴れ馴れしきにこそあめれ。いで、あなうたて。いかなることにかあらむ。思ひ寄らぬ隈なくおはしける御心にて、もとより見馴れ生ほしたてたまはぬは、かかる御思ひ添ひたまへるなめり。むべなりけりや。あな、疎まし」
と思ふ心も恥づかし。「女の御さま、げに、はらからといふとも、すこし立ち退きて、異腹ぞかし」など思はむは、「などか、心あやまりもせざらむ」とおぼゆ。
昨日見し御けはひには、け劣りたれど、見るに笑まるるさまは、立ちも並びぬべく見ゆる。八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露のかかれる夕映えぞ、ふと思ひ出でらるる。折にあはぬよそへどもなれど、なほ、うちおぼゆるやうよ。花は限りこそあれ、そそけたるしべなどもまじるかし、人の御容貌のよきは、たとへむ方なきものなりけり。
御前に人も出で来ず、いとこまやかにうちささめき語らひ聞こえたまふに、いかがあらむ、まめだちてぞ立ちたまふ。女君、
吹き乱る風のけしきに女郎花
しをれしぬべき心地こそすれ

詳しくも聞こえぬに、うち誦じたまふをほの聞くに、憎きもののをかしければ、なほ見果てまほしけれど、「近かりけりと見えたてまつらじ」と思ひて、立ち去りぬ。
御返り、
下露になびかましかば女郎花
荒き風にはしをれざらまし

なよ竹を見たまへかし」
など、ひが耳にやありけむ、聞きよくもあらずぞ。
中将は、源氏が親しく話しているのを見て、「どうかして玉鬘の容貌を見たいものだ」と思って、隅の間の御簾の几帳が乱れていたので、そっと引き上げて見ると、見通しをさえぎる調度も取り払っていて、よく見えた。こうして戯れている様子がよく見えたので、
「おかしなことだ。親子といっているのに、懐に寄って、馴れ馴れしくしてよいものか」
と目にとまった。源氏が「見つけるのではないか」と恐ろしかったが、不思議なのですっかり驚いてなお見ていると、玉鬘が柱に隠れて横を向いている、源氏が引き寄せると、髪が寄ってはらはらとこぼれかかるほどに、女も、とても迷惑でつらいと思っている様子ではあったが、結局はおだやかな様子で寄りかかっているので、
「こんなに馴れ馴れしいのか。全く何ということだ。どうしたことなのだろう。女については抜け目のないお人ゆえ、生またときから育てていないので、こんな思いもだくようになったのだろうか。無理もないのか。ああ、いやだ」
と思う心も恥ずかしい。「女の美しさは、実に姉弟といっても、すこしさがって、腹違いだと」と思えば、「どうして、心得違いをしない事があろうか」と思うのだった。
昨日見た方の美しさには劣るが、見ていると微笑みたくなる美しさは、肩も並べそうに見える。八重山吹の咲き乱れ盛りに、露のかかる夕映えをふと思い出される。折に合わぬたとえではあるが、印象のままに言うのです。花の美しさには限りがあるが、ほうけたしべもまじったりするが、人の容貌の美しさは、たとえようもないものだ。
御前に人も来ないので、細やかに語っていたが、どうしたのだろう、真面目になって立ち上がった。女君は、
「吹き荒れる風に女郎花は
しおれてしまいそうなです」
はっきりとは聞こえなかったが、源氏が口ずさむのをかすかに聞くと、憎いが興味がひかれるので、最後まで見届けたいけれど、「近くにいただろう」と気づかれそうで、立ち去ったのだった。
ご返事、
「人目につかぬ下葉の露になびいたら
荒い風にしおれることもないでしょう
なよ竹をご覧なさい」
などと、聞き違いであろうか、ひどい仰りようだ。2019.8.27◎
28.11 源氏、花散里を見舞う
東の御方へ、これよりぞ渡りたまふ。今朝の朝寒なるうちとけわざにや、もの裁ちなどするねび御達、御前にあまたして、細櫃めくものに、綿引きかけてまさぐる若人どもあり。いときよらなる朽葉の羅、今様色の二なく擣ちたるなど、引き散らしたまへり。
「中将の下襲か。御前の壺前栽の宴も止まりぬらむかし。かく吹き散らしてむには、何事かせられむ。すさまじかるべき秋なめり」
などのたまひて、何にかあらむ、さまざまなるものの色どもの、いときよらなれば、「かやうなる方は、南の上にも劣らずかし」と思す。御直衣、花文綾を、このころ摘み出だしたる花して、はかなく染め出でたまへる、いとあらまほしき色したり。
「中将にこそ、かやうにては着せたまはめ。若き人のにてめやすかめり」
などやうのことを聞こえたまひて、渡りたまひぬ。
花散る里の東の御方へ、ここから渡って行った。今朝の肌寒さに思い立った家事か、裁ち物などする古女房が御前に大勢いて、細櫃のようなものに綿を引っかけてまさぐっている若い女房たちもいる。美しい朽葉色の羅や、今風の色に見事に艶出しした絹など、広げている。
「中将の下襲ですか。宮中の壺前栽の宴も中止になったらしい。こんなに激しく吹いては、何が出来よう。すさまじい秋ですね」
などと仰せになって、なんであろうか、様々な物の色が実に美しいので、「このような方面の技は、南の上にも劣らないな」と思うのだった。直衣はこの頃摘み出した露草で花文様に薄く染めあげた、こうありたいと思う見事な色だった。
「中将にこそ、このようなものは着せてください。若い人のものとしては無難でしょう」
などと仰せになって、渡って行った。2019.8.27◎
28.12 夕霧、雲井雁に手紙を書く
むつかしき方々めぐりたまふ御供に歩きて、中将は、なま心やましう、書かまほしき文など、日たけぬるを思ひつつ、姫君の御方に参りたまへり。
「まだあなたになむおはします。風に懼ぢさせたまひて、今朝はえ起き上がりたまはざりつる」
と、御乳母ぞ聞こゆる。
「もの騒がしげなりしかば、宿直も仕うまつらむと思ひたまへしを、宮の、いとも心苦しう思いたりしかばなむ。雛の殿は、いかがおはすらむ」
と問ひたまへば、人びと笑ひて、
「扇の風だに参れば、いみじきことに思いたるを、ほとほとしくこそ吹き乱りはべりしか。この御殿あつかひに、わびにてはべり」など語る。
「ことことしからぬ紙やはべる。御局の硯」
と乞ひたまへば、御厨子に寄りて、紙一巻、御硯の蓋に取りおろしてたてまつれば、
「いな、これはかたはらいたし」
とのたまへど、北の御殿のおぼえを思ふに、すこしなのめなる心地して、文書きたまふ。
紫の薄様なりけり。墨、心とめておしすり、筆の先うち見つつ、こまやかに書きやすらひたまへる、いとよし。されど、あやしく定まりて、憎き口つきこそものしたまへ。
風騒ぎむら雲まがふ夕べにも
忘るる間なく忘られぬ君

吹き乱れたる苅萱かるかやにつけたまへれば、人びと、
「交野の少将は、紙の色にこそととのへはべりけれ」と聞こゆ。
「さばかりの色も思ひ分かざりけりや。いづこの野辺のほとりの花」
など、かやうの人びとにも、言少なに見えて、心解くべくももてなさず、いとすくすくしう気高し。
またも書いたまうて、馬の助に賜へれば、をかしき童、またいと馴れたる御随身などに、うちささめきて取らするを、若き人びと、ただならずゆかしがる。
気疲れのする方々を源氏のお供で歩いて、中将は、何となく気が晴れず、書きたい文など日が高くなるのをおもいつつ、姫君の所に来た。
「まだあちらにおります。風に怖じて、今朝は起きることができませんでした」
と乳母が言う。
「ひどい風でしたから、宿直をしに来ようかと思いましたが、大宮が大層怖がっておりましたので。お人形の御殿は、無事でしたか」
と問えば、女房たちも笑って、
「扇の風でも、あたれば一大事と思っていのに、壊れそうなほどに吹き荒れましたので。この御殿の世話には困っております」など言う。
おおげさでない紙がありますか。硯もお貸しください」
と頼めば、厨子に行って、紙一巻を硯の蓋にのせて差し上げると、
「いや、これは恐縮です」
と言ったが、明石の上の出自の低さ考えると、そう気を遣うこともないと思い、文を書いた。
紫の薄い紙であった。墨を心をとめてすり、筆の先によく見て、気をくばって書いたのが、すばらしい。けれど、妙に型にはまって、おもしろくない詠みっぷりであった。
「風が騒ぎむら雲が飛ぶ夕べでも
あなたのことは忘れません」
咲き乱れた刈萱につけると、女房たちが、
「交野の少将は、紙の色に合わせたそうですよ」と言う者がいる。
「それくらいの色のことも気がつかなかったか。どこの野辺の花をつけたらいいのか」
など、このような親しい女房たちにも、言葉は少なく、気を許さず、きまじめで気品が高い。
もう一つ文を書いて、馬の助に渡すと、可愛らしい童女と、なれた随身にささやいて渡すのを、若い女房たちは、相手を知りたがるのだった。 2019.8.29◎
28.13 夕霧、明石姫君を垣間見る
渡らせたまふとて、人びとうちそよめき、几帳引き直しなどす。見つる花の顔どもも、思ひ比べまほしうて、例はものゆかしからぬ心地に、あながちに、妻戸の御簾を引き着て、几帳のほころびより見れば、もののそばより、ただはひ渡りたまふほどぞ、ふとうち見えたる。
人のしげくまがへば、何のあやめも見えぬほどに、いと心もとなし。薄色の御衣に、髪のまだ丈にははづれたる末の、引き広げたるやうにて、いと細く小さき様体、らうたげに心苦し。
「一昨年ばかりは、たまさかにもほの見たてまつりしに、またこよなく生ひまさりたまふなめりかし。まして盛りいかならむ」と思ふ。「かの見つる先々の、桜、山吹といはば、これは藤の花とやいふべからむ。木高き木より咲きかかりて、風になびきたるにほひは、かくぞあるかし」と思ひよそへらる。「かかる人びとを、心にまかせて明け暮れ見たてまつらばや。さもありぬべきほどながら、隔て隔てのけざやかなるこそつらけれ」など思ふに、まめ心も、なまあくがるる心地す。
明石の姫君がこちらに戻ってくるので、女房たちは動き回り、几帳を整えたりする。見てしまった美しい顔を、比べてみたくて、普段は覗き見する性格ではないが、無理して妻戸の御簾に体を入れて、几帳の隙間から見れば、調度類の端にほんのわずか通るのが見えた。
女房たちがたくさん動くので、細かいところは何も見えないので気が気でない。薄紫の衣に、髪はまだ丈までのびていないが、ふっさりと広がって、細く小さい体つきは、可愛らしく痛々しい。
「一昨年までは、時々はちらりと見ていたが、またずいぶん美しくなられたようだ。このまま成長すればどんなに美しくなるだろうか」と夕霧は思うのだった。「先に見た紫の上と玉鬘を、桜、山吹にたとえるなら、これは藤の花だろう。小高い木から咲いて、風になびいた美しさは、こんなだろう」と思うのだった。「こんな人たちを思いにままにいつも見ていたい。そうできる立場にいながら、それぞれの隔てがきびしいのが恨めしい」などと思うに、生真面目な心も何やら落ち着かない。2019.8.29◎
28.14 内大臣、大宮を訪う
祖母おば宮の御もとにも参りたまへれば、のどやかにて御行なひしたまふ。よろしき若人など、ここにもさぶらへど、もてなしけはひ、装束どもも、盛りなるあたりには似るべくもあらず。容貌よき尼君たちの、墨染にやつれたるぞ、なかなかかかる所につけては、さるかたにてあはれなりける。
内の大臣も参りたまへるに、御殿油など参りて、のどやかに御物語など聞こえたまふ。
「姫君を久しく見たてまつらぬがあさましきこと」
とて、ただ泣きに泣きたまふ。
「今このごろのほどに参らせむ。心づからもの思はしげにて、口惜しう衰へにてなむはべめる。女こそ、よく言はば、持ちはべるまじきものなりけれ。とあるにつけても、心のみなむ尽くされはべりける
など、なほ心解けず思ひおきたるけしきしてのたまへば心憂くて、切にも聞こえたまはず。そのついでにも、
「いと不調なる娘まうけはべりて、もてわづらひはべりぬ」
と、愁へきこえたまひて、笑ひたまふ。宮、
「いで、あやし。むすめといふ名はして、さがなかるやうやある
とのたまへば、
「それなむ見苦しきことになむはべる。いかで、御覧ぜさせむ」
と、聞こえたまふとや。
夕霧が、祖母の大宮の下へ再び来ると、のどかにお勤めなどしていた。若い女房たちがここにもいたが、物腰や様子、装束なども、今が盛りの六条院には比べようもない。容貌のよい尼君たちが、墨染めの衣に身を包んで、かえってこのような所にしては、それなりにしみじみとした趣があった。
内大臣もお見えになって、灯りをともして、のんびりとお話をしている。
「姫君に久しく会っていないのはあまりのことです」
といって、ただ泣いている。
「いずれそのうちお目にかけましょう。自分からふさぎ込んでしまって、すっかりやつれています。女こそ、はっきり申せば、持つものではありませんね。何かにつけて、心配ばかりかけるものです」
などと、内大臣は今でもわだかまり根に持っているので、大宮は情けなくて、強くも申し上げない。話のついでに、
「たいへんできの悪い娘を引き取りまして、手を焼いております」
と、心配をこぼして、笑うのだった。大宮は、
「あら、おかしい。あなたの娘が、出来が悪いはずがないですわ」
と申し上げれば、
「それが実に見苦しい有様でして。ぜひお目にかけましょう」
と申し上げるのだった。

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読書期間2019年8月16日 - 2019年8月31日