源氏物語 29 行幸 みゆき

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原文 現代文
29.1 大原野行幸
かく思しいたらぬことなく、いかでよからむことはと、思し扱ひたまへどこの音無の滝こそうたていとほしく、南の上の御推し量りごとにかなひて、軽々しかるべき御名なれ。かの大臣、何ごとにつけても、きはぎはしう、すこしもかたはなるさまのことを、思し忍ばずなどものしたまふ御心ざまを、「さて思ひ隈なく、けざやかなる御もてなしなどのあらむにつけては、をこがましうもや」など、思し返さふ。
その師走に、大原野の行幸ぎょうこうとて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも、御方々引き出でつつ見たまふ。卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ。桂川のもとまで、物見車隙なし。
行幸といへど、かならずかうしもあらぬを、今日は親王たち、上達部も、皆心ことに、御馬鞍をととのへ、随身、馬副の容貌丈だち、装束を飾りたまうつつ、めづらかにをかし。左右大臣、内大臣、納言より下はた、まして残らず仕うまつりたまへり。青色のうえのきぬ葡萄染えびぞめ下襲したがさねを、殿上人、五位六位まで着たり。
雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶なり。親王たち、上達部なども、鷹にかかづらひたまへるは、めづらしき狩の御よそひどもをまうけたまふ。近衛の鷹飼どもは、まして世に目馴れぬ摺衣すりごろもを乱れ着つつ、けしきことなり。
めづらしうをかしきことに競ひ出でつつ、その人ともなく、かすかなる足弱き車など、輪を押しひしがれ、あはれげなるもあり。浮橋のもとなどにも、好ましう立ちさまよふよき車多かり。
源氏は、あらゆることを考えて、どうしたら良いか思いめぐらすのだが、このひそかな恋慕こそ、実に困ったことであって、紫の上の推量のとおりに、軽々しく浮き名をながすおそれがあった。あの内大臣は、 何ごとにつけても、はっきりさせたがり、少しの不手際でも、我慢するご性格ではないので、「一方的に、はっきりさせようとする態度に出られては、物笑いになるだろう」などと、思い返すのだった。
その年の師走に、大原野へ行幸があるというので、世間では皆騒いでいたが、六条院からもご婦人がたは見物に出かけた。卯の時に出発され、五条の大路を西に折れて行く。桂川のところまで、物見車が並んだ。
行幸といっても普通はこれほど盛大ではないが、今回は親王たちや上達部も、皆特別に、馬鞍をととのえ、隋身や馬副たちの顔立ち背丈や装束も飾りそろえて、見事であった。左右大臣、内大臣、納言より下は残らず皆が仕えていた。青色のうえのきぬ葡萄染えびぞめ下襲したがさねを、殿上人、五位六位まで着用していた。
雪がわずかながらちらついて、道中の空さえ趣があった。親王や上達部たちなども、鷹に関係ある者たちは、めずらしい狩の装いをしている。近衛の鷹飼たちは、世に珍しい思い思いの摺衣すりごろもをそれぞれが着ていて、格別の風情があった。
人びとは珍しい見物に競って出て、たいした身分でもなくお粗末な車で来ていた者は、輪をつぶされて往生しているのもいた。浮き橋のあたりにも優美な車がたくさん出ていた。
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29.2 玉鬘、行幸を見物
西の対の姫君も立ち出でたまへり。そこばく挑み尽くしたまへる人の御容貌ありさまを見たまふに、帝の、赤色の御衣たてまつりて、うるはしう動きなき御かたはらめに、なずらひきこゆべき人なし。
わが父大臣を、人知れず目をつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、盛りにはものしたまへど、限りありかし。いと人にすぐれたるただ人と見えて、御輿のうちよりほかに、目移るべくもあらず。
まして、容貌ありや、をかしやなど、若き御達の消えかへり心うつす中少将、何くれの殿上人やうの人は、何にもあらず消えわたれるは、さらに類ひなうおはしますなりけり。源氏の大臣の御顔ざまは、異ものとも見えたまはぬを、思ひなしの今すこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり。
さは、かかる類ひはおはしがたかりけり。あてなる人は、皆ものきよげにけはひ異なべいものとのみ、大臣、中将などの御にほひに目馴れたまへるを、出で消えどものかたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず、口惜しうぞ圧されたるや。
兵部卿宮もおはす。右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日のよそひいとなまめきて、やなぐひなど負ひて、仕うまつりたまへり。色黒く鬚がちに見えて、いと心づきなし。いかでかは、女のつくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。いとわりなきことを、若き御心地には、見おとしたまうてけり。
大臣の君の思し寄りてのたまふことを、「いかがはあらむ、宮仕へは、心にもあらで、見苦しきありさまにや」と思ひつつみたまふを、「馴れ馴れしき筋などをばもて離れて、おほかたに仕うまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかし」とぞ、思ひ寄りたまうける。
西の対の玉鬘もお出かけになった。大勢の人たちが妍を競って出てくるその容貌や衣装を見ていると、帝の、赤色の衣をお召しになって、じっと動かない美しい横顔に、比べられる人はなかった。
わが父内大臣を、人知れず注意して見たが、いかにも立派で美しく、男盛りではあったが、やはり限度があった。ただ誰よりも優れた臣下といった感じで、帝の御輿のなかより目を移すべくもない。
まして、美男だ、すてきだなどと、女房たちが死ぬほど慕っている近衛の若い中将少将や、だれそれの殿上人たちが、まったく目に入らないのは、帝がまったく類ない存在だからであった。源氏の大臣のお顔は、帝とは全く別人とは見えないが、帝はもう少し威厳があって、恐れ多くご立派であった。
してみると、このような類の方はめったにいないのだ。高貴な方たちは、皆きれいで気配も特別だと思い、源氏や夕霧の気配に慣れていたので、見栄えの悪いのは劣っていて、同じ人間の目鼻とも思えず、圧倒的に差があった。
兵部卿の宮もおられる。髯黒の右大将は、いかにも重々しくしておられるが、今日の装いは大層あでやかで、胡籙やなぐいを負って、参列していた。色黒でひげが濃く、とても好きにはなれない。どうして化粧した女の顔に似ることができよう。実に無理なことを、若い気持ちから見下す気持ちになっていた。
源氏が考えてお勧めするのを、「どうしたものか、宮仕えは、気持ちに反して、見苦しいことになりはしないか」と玉鬘は躊躇しているのだが、「帝の寵愛をうけるということではなく、一般職で仕えてお目通り願うのであれば、やりがいもあるであろう」と思った。
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29.3 行幸、大原野に到着
かうて、野におはしまし着きて、御輿とどめ、上達部の平張にもの参り、御装束ども、直衣、狩のよそひなどに改めたまふほどに、六条院より、御酒、御くだものなどたてまつらせたまへり。今日仕うまつりたまふべく、かねて御けしきありけれど、御物忌のよしを奏せさせたまへりけるなりけり。
蔵人の左衛門じょうを御使にて、雉一枝たてまつらせたまふ。仰せ言には何とかや、さやうの折のことまねぶに、わづらはしくなむ。
雪深き小塩山にたつ雉の
古き跡をも今日は尋ねよ

太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ。大臣、御使をかしこまりもてなさせたまふ。
小塩山深雪積もれる松原に
今日ばかりなる跡やなからむ

と、そのころほひ聞きしことの、そばそば思ひ出でらるるは、ひがことにやあらむ。
こうして大原野に着いて御輿をとめ、上達部の平張の仮設の御座で食事をし、装束など、直衣や狩衣の衣装に着替えているうちに、六条院から、酒、果物などが献上された。今日は源氏に出社されるよう、かねてから帝の意向があったが、物忌みのために不出仕を上奏していた。
蔵人の左衛門尉を使いに立てて、帝から雉一羽が下賜された。帝の御言葉は何とあったか、左様なことはもう面倒です。
(帝)「雪深い小塩山に雉が飛び立つが
古事にならって今日こちらへ参ればよかったのに」
太政大臣が、このような狩の行幸にお仕えした先例があったのかどうか。大臣は御使いに恐縮してもてなした。
(源氏)「雪の積もる小塩山の松原に昔も行幸はありましたが、
今日ほどの盛儀はなかったでしょう」
と、当時聞いたことを、思い出していますが、聞き違いがあるかもしれません。
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29.4 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める
またの日、大臣、西の対に、
「昨日、主上は見たてまつりたまひきや。かのことは、思しなびきぬらむや」
と聞こえたまへり。白き色紙に、いとうちとけたる文、こまかにけしきばみてもあらぬが、をかしきを見たまうて、
「あいなのことや」
と笑ひたまふものから、「よくも推し量らせたまふものかな」と思す。御返りに、
「昨日は、
うちきらし朝ぐもりせし行幸には
さやかに空の光やは見し

おぼつかなき御ことどもになむ」
とあるを、上も見たまふ。
「ささのことをそそのかししかど、中宮かくておはす、ここながらのおぼえには、便なかるべし。かの大臣に知られても女御かくてまたさぶらひたまへばなど、思ひ乱るめりし筋なり。若人の、さも馴れ仕うまつらむに、憚る思ひなからむは、主上をほの見たてまつりて、えかけ離れて思ふはあらじ」
とのたまへば、
「あな、うたて。めでたしと見たてまつるとも、心もて宮仕ひ思ひ立たむこそ、いとさし過ぎたる心ならめ」
とて、笑ひたまふ。
「いで、そこにしもぞ、めできこえたまはむ」
などのたまうて、また御返り、
あかねさす光は空に曇らぬを
などて行幸に目をきらしけむ

なほ、思し立て」
など、絶えず勧めたまふ。
次ぎの日、源氏は西の対の玉鬘に、
「昨日は、帝をご覧になりましたか。あのことは、ご決心されましたでしょうか」
と文をやった。白い色紙に、ごく親しげに、こまかく気を配っている風でもないが、趣があるのを見て、
「あらいやだ」
と笑いながら、「よく心のなかを見透かしたものだ」と玉鬘は思う。御返事には、
「昨日は、
(玉鬘)霧で朝曇りする行幸では
はっきり帝の顔も見えませんでした
まだはっきりしません」
とあるを、紫の上もご覧になる。
「そのようなことをお勧めしたのですが、中宮がいますし、ここの娘ということでは、具合が悪いでしょう。内大臣に打ち明けるにしても、 弘徽殿女御がいますので、玉鬘は悩んでいるのです。若い女房で、帝に親しくお仕えする場合、特段の事情がなければ、帝をご覧になって宮仕えを嫌がる者はいないでしょう」
と仰せになれば、
「あら、いやだ。ご立派だと思っても、自分から宮仕えを望むのは、出すぎたことでしょう」
と、笑うのだった。
「いや、そう言うあなたこそ、惚れるのではないか」
など仰せになり、また返しに、
(源氏)「光は空に満ちていたのに
どうして行幸では目が曇るのですか
さあ、ご決心を」
などと絶えず勧めるのだった。
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29.5 玉鬘、裳着の準備
「とてもかうても、まづ御裳着もぎのことをこそは」と思して、その御まうけの御調度の、こまかなるきよらども加へさせたまひ、何くれの儀式を、御心にはいとも思ほさぬことをだに、おのづからよだけくいかめしくなるを、まして、「内の大臣にも、やがてこのついでにや知らせたてまつりてまし」と思し寄れば、いとめでたくなむ。「年返りて、二月に」と思す。
† 「おんなは、聞こえ高く、名隠したまふべきほどならぬも人の御むすめとて、籠もりおはするほどはかならずしも、氏神の御つとめなど、あらはならぬほどなればこそ年月はまぎれ過ぐしたまへこの、もし思し寄ることもあらむには春日の神の御心違ひぬべきもつひには隠れてやむまじきものからあぢきなく、わざとがましき後の名まで、うたたあるべしなほなほしき人の際こそ、今様とては、氏改むることのたはやすきもあれ」など思しめぐらすに、「親子の御契り、絶ゆべきやうなし。同じくは、わが心許してを、知らせたてまつらむ」
など思し定めて、この御腰結には、かの大臣をなむ、御消息聞こえたまうければ、大宮、去年の冬つ方より悩みたまふこと、さらにおこたりたまはねば、かかるに合はせて、便なかるべきよし、聞こえたまへり。
中将の君も、夜昼、三条にぞさぶらひたまひて、心の隙なくものしたまうて、折悪しきを、いかにせましと思す。
「世も、いと定めなし。宮も亡せさせたまはば、御服あるべきを、知らず顔にてものしたまはむ、罪深きこと多からむ。おはする世に、このこと表はしてむ」
と思し取りて、三条の宮に、御訪らひがてら渡りたまふ。
「何はさておき、まずは玉鬘に裳着の儀式を」と思って、それに入用な調度に、細かな細工をほどこした立派な品々を加えて、何の儀式でもそうだが、源氏は大したことと思ってもいないのだが、自ずから盛大になってしまい、まして、「内大臣にも、この機会に知らせてやろう」と思っているので、実に立派にそろえた。「年が明けて、二月にしよう」と思う。
「一般に女は、評判が高いわけでもなく名を隠す必要などない者でも、姫君として深窓に籠っているときは、必ずしも氏神の務めなどで、表に出ることもないので、今までは源氏の姓で過ごしていたが、もしこの尚侍出仕が実現するのであれば、源氏姓では春日の神の御心に違い、いつまでも真相を伏せておけないので、不名誉にも、故意にしたのだと後々までも言われるのも、嫌なことだ。、並の身分の人たちは、今は気安く氏を改めるようだが」などと思いめぐらすと、「親子の契りは切れない。どうせなら、自分から内大臣に知らせよう」
などと思い定めて、この腰結は、あの大臣にお願いしようと文をさし上げたところ、大宮が去年の冬から病がちになり、さらによくもならないので、このように折柄、都合が悪い、との返事があった。
夕霧も昼夜、三条の宮に詰めていて、介護に専念しているので、時期が悪く、どうしたものかと思うのだった。
「世は無常だ。宮もお亡くなりになれば、喪に服する期間もあるだろうし、知らん顔をして通すのも、罪深いことだ。生きている間に、この事を公表しよう」
と思って、三条の宮に、お見舞いがてら尋ねた。
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29.6 源氏、三条宮を訪問
今はまして、忍びやかにふるまひたまへど、行幸に劣らずよそほしく、いよいよ光をのみ添へたまふ御容貌などの、この世に見えぬ心地して、めづらしう見たてまつりたまふには、いとど御心地の悩ましさも、取り捨てらるる心地して、起きゐたまへり。御脇息にかかりて、弱げなれど、ものなどいとよく聞こえたまふ。
「けしうはおはしまさざりけるを、なにがしの朝臣の心惑はして、おどろおどろしう嘆ききこえさすめれば、いかやうにものせさせたまふにかとなむ、おぼつかながりきこえさせつる。内裏などにも、ことなるついでなき限りは参らず、朝廷に仕ふる人ともなくて籠もりはべれば、よろづうひうひしう、よだけくなりにてはべり。齢など、これよりまさる人、腰堪へぬまで屈まりありく例、昔も今もはべめれど、あやしくおれおれしき本性に、添ふもの憂さになむはべるべき
など聞こえたまふ。
「年の積もりの悩みと思うたまへつつ、月ごろになりぬるを、今年となりては、頼み少なきやうにおぼえはべれば、今一度、かく見たてまつりきこえさすることもなくてやと、心細く思ひたまへつるを、今日こそ、またすこし延びぬる心地しはべれ。今は惜しみとむべきほどにもはべらず。さべき人びとにも立ち後れ、世の末に残りとまれる類ひを、人の上にて、いと心づきなしと見はべりしかば、出で立ちいそぎをなむ、思ひもよほされはべるに、この中将の、いとあはれにあやしきまで思ひあつかひ、心を騒がいたまふ見はべるになむ、さまざまにかけとめられて、今まで長びきはべる」
と、ただ泣きに泣きて、御声のわななくも、をこがましけれど、さることどもなれば、いとあはれなり。
源氏は、以前にもまして、今は目立たぬように振舞っていたが、行幸に劣らす美しく装っていたので、ますます光り輝く容姿になり、この世のものとも思われぬ心地がして、久し振りにお会いすると、大宮は気分の悪さも吹き飛んでしまい、起きていた。脇息にもたれて、弱々しかったが、お話はよくされた。
「それほど悪くはないと思っておりましたが、夕霧の朝臣が心配して、大げさに嘆いていましたので、どのようにお過ごししていらっしゃるか、案じておりました。 内裏にも、特別のことがない限りは参りませんので、朝廷に仕える人らしくなく籠っておりましたので、 何ごとにもとまどいがちで、おっくうになりました。齢などわたしより上のひとが、腰をまげて歩くまで宮仕えする例が、今も昔もおりますが、私の場合、生来の愚かさにものぐさが加わったのでしょう」
などと(源氏が)仰せになる。
「齢のための病気と思いながら、日を過ごしておりましたが、今年になって余命少ないと感じましたので、今一度お会いしてお話することもできないのかと、心細く思っておりましたが、今日こそ少し命が延びた気がいたします。今は命も惜しくありません。親しい人びとにも遅れて、世にひとり残されるのを、他人の身の上でも、嫌なことだと思っておりまして、急いで出立の準備 をしなければと気はせいているのですが、この夕霧の中将が、本当に真心こめて不思議なほど世話をしてくれて、心配してくれるので、あれこれに引き留められまして、今まで生き永らえていました」
と、大宮は泣きに泣いて、声をふるわせて語るだが、愚かに思われるだろうが、事が事だけに、大変あわれだった。
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29.7 源氏と大宮との対話
御物語ども、昔今のとり集め聞こえたまふついでに、
「内の大臣は、日隔てず参りたまふことしげからむを、かかるついでに対面のあらば、いかにうれしからむ。いかで聞こえ知らせむと思ふことのはべるを、さるべきついでなくては、対面もありがたければ、おぼつかなくてなむ」
と聞こえたまふ。
「公事のしげきにや、私の心ざしの深からぬにや、さしもとぶらひものしはべらず。のたまはすべからむことは、何さまのことにかは。中将の恨めしげに思はれたることもはべるを、『初めのことは知らねど、今はけに聞きにくくもてなすにつけて、立ちそめにし名の、取り返さるるものにもあらず、をこがましきやうに、かへりては世人も言ひ漏らすなるを』などものしはべれば、立てたるところ、昔よりいと解けがたき人の本性にて、心得ずなむ見たまふる」
と、この中将の御ことと思してのたまへば、うち笑ひたまひて、
いふかひなきに、許し捨てたまふこともやと聞きはべりてここにさへなむかすめ申すやうありしかど、いと厳しう諌めたまふよしを見はべりし後、何にさまで言をもまぜはべりけむと人悪う悔い思うたまへてなむ
よろづのことにつけて、清めといふことはべれば、いかがは、さもとり返しすすいたまはざらむとは思うたまへながら、かう口惜しき濁りの末に、待ちとり深う住むべき水こそ出で来がたかべい世なれ。何ごとにつけても、末になれば、落ちゆくけぢめこそやすくはべめれ。いとほしう聞きたまふる」
など申したまうて、
お話は、昔のこと今のことに及んで語り合ったついでに、
「内大臣は、毎日お越しになるでしょうから、その時にお会いできれば、どんなにうれしいことか。何とかして内大臣のお耳に入れたいことがございますが、適当な折がなければ、お会いすることもないので、どうしたものか」
と源氏が仰る。
「内裏の仕事が忙しいのか、孝心が薄いのか、それほど見舞いには来ません。仰ることは、どんなことでございましょうか。中将が恨めしく思っていることですが、『初めの頃は知りませんでしたが、今になって二人を離したとしても、いったん立った噂が、元に戻せる訳でもなく、かえって世間の人の物笑いになってしまう』などと説得したのですが、一旦決めたことは昔から譲らない性分でして、わたくしも納得のゆかぬ思いでいおります」
と夕霧の中将のことを思っておっしゃるので、源氏は笑って、
「もう言ってもしょうがないので、許そうとしていると聞いたことがありまして、わたしまでもがそれとなくお願い申し上げましたが、たいへん厳しく諌めたとお聞きしましたので、口出しして、面目なく後悔しております。
何事につけ、清めということがありますので、どうかしてすすいで汚れを洗い流そうと思いましたが、このようにひどく濁ってしまっては、それを受けてすっかり洗い流す深い清水は出てこない世です。何ごとも、後になれば段々悪くなっていくようです。内大臣にはとてもお気の毒ですが」
などと源氏は仰せになって、
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29.8 源氏、大宮に玉鬘を語る
† 「さるは、かの知りたまふべき人をなむ、思ひまがふることはべりて、不意に尋ね取りてはべるを、その折は、さるひがわざとも明かしはべらずありしかば、あながちにことの心を尋ね返さふこともはべらで、たださるものの種の少なきを、かことにても、何かはと思うたまへ許して、をさをさ睦びも見はべらずして、年月はべりつるを、いかでか聞こしめしけむ、内裏に仰せらるるやうなむある。
尚侍ないしのかみ、宮仕へする人なくては、かの所のまつりごとしどけなく、女官なども公事を仕うまつるに、たづきなく、こと乱るるやうになむありけるを、ただ今、主上にさぶらふ古老の典侍すけ二人、またさるべき人びと、さまざまに申さするを、はかばかしう選ばせたまはむ尋ねに、類ふべき人なむなき。
なほ、家高う、人のおぼえ軽からで、家のいとなみたてたらぬ人なむ、いにしへよりなり来にける。したたかにかしこきかたの選びにては、その人ならでも、年月の労になりのぼる類ひあれど、しか類ふべきもなしとならば、おほかたのおぼえをだに選らせたまはむとなむ、うちうちに仰せられたりしを、似げなきこととしも、何かは思ひたまはむ。
宮仕へは、さるべき筋にて、上も下も思ひ及び、出で立つこそ心高きことなれ公様おおやけざまにて、さる所のことをつかさどり、まつりごとのおもぶきをしたため知らむことは、はかばかしからず、あはつけきやうにおぼえたれど、などかまたさしもあらむ。ただ、わが身のありさまからこそ、よろづのことはべめれと、思ひ弱りはべりしついでになむ
齢のほどなど問ひ聞きはべれば、かの御尋ねあべいことになむありけるをいかなべいことぞとも、申しあきらめまほしうはべる。ついでなくては対面はべるべきにもはべらず。やがてかかることなむと、あらはし申すべきやうを思ひめぐらして、消息申ししを、御悩みにことづけて、もの憂げにすまひたまへりし。
げに、折しも便なう思ひとまりはべるに、よろしうものせさせたまひければなほ、かう思ひおこせるついでにとなむ思うたまふる。さやうに伝へものせさせたまへ」
と聞こえたまふ。宮、
「いかに、いかに、はべりけることにか。かしこには、さまざまにかかる名のりする人を、厭ふことなく拾ひ集めらるめるに、いかなる心にて、かくひき違へかこちきこえらるらむ。この年ごろ、うけたまはりて、なりぬるにや」
と、聞こえたまへば、
「さるやうはべることなり。詳しきさまは、かの大臣もおのづから尋ね聞きたまうてむ。くだくだしき直人の仲らひに似たることにはべれば、明かさむにつけても、らうがはしう人言ひ伝へはべらむを、中将の朝臣にだに、まだわきまへ知らせはべらず。人にも漏らさせたまふまじ」
と、御口かためきこえたまふ。
「実は、内大臣が世話すべき人で、思い違いがありまして、思いがけず尋ね出したのでわたしが引き取ったのですが、そのときは、それが間違いだと分かりませんでしたので、強いて事情を調べませんで、ただ自分には子が少ないのを口実に、何のかまうものかと大目にみまして、大して世話もせず、年月がたちましたが、どこからお聞きしたのか、帝から仰せがありました。
尚侍ないしのかみは、宮仕えする女がいなくては、内侍所の事務にとどこおりが生じ、女官なども公事をするにも、拠りどころがなく、仕事が順調に進まず、今は帝付きの高齢の典侍すけが二人、またそれ相当な人を、推薦しているが、しっかりした人を選ぶように、との帝のお言葉に、叶う人がいなかった。
なお、家柄がよく、評判も悪くなく、家の仕事をしなくてよい人が、昔から選ばれていた。しっかりして賢い人というなら、家柄を問わず、年月の功で昇進する人もあるが、そのような人もいないとなれば、世間一般の評判で選ぼうということになり、内々に帝から仰せがあったのですが、内大臣にしたってその娘が相応しくないとは思わないでしょう。
宮仕えというものは、女御や更衣になって、身分の高い者も低い者も、帝寵を望むのが理想なのだ。それでなく一般職で、その役所の事務をし、公の用向きを整えるといったことは、なんでもなく軽いことのようにも思えますが、どうしてそうとは限りません。何ごとも、人柄次第で、すべてが決まるものですが、宮仕えに気持ちが傾いてきたので。
年齢などをお聞きしましたら、あの内大臣が引き取るべき人と分かりました、どんな状況だったか、はっきり事情を申し上げ たいのです。何かの機会がなくてはお会いできません。そのうち、これこれのことがございましたと、はっきり申し上げようと思いまして、文を出したのですが、宮様のご病気を理由に、お断りされました。
いかにも、ご病気とあれば折が悪いと思い止まりましたが、今ご気分も良いようですので、こうして一旦決心しましたので。そのように内大臣にお伝えください」
と仰るのだった。宮は、
「一体それはどうして、そんなことが起こったのでしょう。どんなことだったのでしょうか。内大臣の方では、さまざまに申し出る人を厭わず拾い集めているのに、その娘はどういうつもりで間違えて申し出たのでしょう。最近引き取ったのですか」
と仰せになるので、
「それにはわけがあるのです。詳しい事情は、あの内大臣も自分から玉鬘に聞くでしょうし、身分の低い者たちの間によくあるごたごたですから、事情を明かしてみても、世間では好色な噂が広まるでしょうし、夕霧の中将にもまだ言っていません。人に漏らさないでください」
と、口止めをするのだった。
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29.9 大宮、内大臣を招く
内の大殿、かく三条の宮に太政大臣渡りおはしまいたるよし、聞きたまひて、
「いかに寂しげにて、いつかしき御さまを待ちうけきこえたまふらむ。御前どももてはやし、御座ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし。中将は、御供にこそものせられつらめ」
など、おどろきたまうて、御子どもの君達、睦ましうさるべきまうち君たち、たてまつれたまふ。
「御くだもの、御酒など、さりぬべく参らせよ。みづからも参るべきを、かへりてもの騒がしきやうならむ」
などのたまふほどに、大宮の御文あり。
「六条の大臣の訪らひに渡りたまへるを、もの寂しげにはべれば、人目のいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことことしう、かう聞こえたるやうにはあらで、渡りたまひなむや。対面に聞こえまほしげなることもあなり」
と聞こえたまへり。
「何ごとにかはあらむ。この姫君の御こと、中将の愁へにや」と思しまはすに、「宮もかう御世残りなげにて、このことと切にのたまひ、大臣も憎からぬさまに一言うち出で恨みたまはむに、とかく申しかへさふことえあらじかしつれなくて思ひ入れぬを見るにはやすからず、さるべきついであらば、人の御言になびき顔にて許してむ」と思す。
「御心をさしあはせてのたまはむこと」と思ひ寄りたまふに、「いとど否びどころなからむが、また、などかさしもあらむ」とやすらはるる、いとけしからぬ御あやにく心なりかし。「されど、宮かくのたまひ、大臣も対面すべく待ちおはするにや、かたがたにかたじけなし。参りてこそは、御けしきに従はめ」
など思ほしなりて、御装束心ことにひきつくろひて、御前などもことことしきさまにはあらで渡りたまふ。
内大臣も、このように三条の宮に太政大臣が見舞いに行かれたことを聞いて、
「大宮がどんなに人手が少ないなかで、御威光輝くお方をお迎えすることになるか。前駆たちをお迎えし、御座を用意する人も十分にいない。中将はご一緒にお供しているだろうし」
などと驚いて、息子の君達たちや、親しく出入りしてしかるべき殿上人たちなどを差し向けた。
「おつまみや御酒など、さりげなく持ってゆけ。わたしもゆくべきであるが、かえって大げさになるので」
などと言っているうちに、大宮から文が届いた。
「六条の大臣がお越しになっておりますが、人手も少なく、はた目も気になりますし、恐れ多くもありますので、このような要請があったからではなく、さりげなく来てください。お会いしてお話したいこともあるそうです」
と文にあった。
「何の話だろう。雲居の雁と中将のことかな」とあれこれ考え、「宮も余命少ないのに、切にこのことを願い、また大臣も穏やかに一言恨み言を申してきたら、そうなれば反対することはしまい。夕霧が、平気でいるのを見るのは、穏やかでないし、何かの折に、二人の頼みに折れたことにして許してやろう」と内大臣は思っていた。
「二人そろって申してくるのか」と考えると、「どうして断ることができようかと思う一方で、簡単に許してしまっては」と考え直す。実にけしからん、憎らしい意地っ張りだ。「しかし宮もこう仰り、大臣も会うべく待っておられるのは、実に恐れ多いことになった。行ってからその場の気色に従おう」
などと思って、装束を念入りにして、前駆も大げさにならない程度にして行かれた。
2019.9.14/ 2021.10.7/ 2023.5.9
29.10 内大臣、三条宮邸に参上
君達いとあまた引きつれて入りたまふさま、ものものしう頼もしげなり。丈だちそぞろかにものしたまふに、太さもあひて、 いと宿徳しゅくとく面もち、歩まひ、大臣といはむに足らひたまへり。
葡萄染えびぞめくの御指貫さしぬきく桜の下襲、いと長うは裾尻引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらしと見えたまへるに、六条殿は、桜の唐のの御直衣、今様色の御衣ひき重ねて、しどけなき大君姿、いよいよたとへむものなし。光こそまさりたまへ、かうしたたかにひきつくろひたまへる御ありさまに、なずらへても見えたまはざりけり。
君達次々に、いとものきよげなる御仲らひにて、集ひたまへり。藤大納言、春宮大夫など、今は聞こゆる子どもも、皆なり出でつつものしたまふ。おのづから、わざともなきに、おぼえ高くやむごとなき殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中、少将、弁官など、人柄はなやかにあるべかしき、十余人集ひたまへれば、いかめしう、次々のただ人も多くて、土器あまたたび流れ、皆酔ひになりて、おのおのかう幸ひ人にすぐれたまへる御ありさまを物語にしけり
息子たちを大勢引き連れて入る様子は、堂々として貫禄があった。背丈もすらりと高く、程よく太っていて、老成した威厳があり、顔付や歩き方も、大臣というに相応しかった。
薄紫の指貫に桜の下襲を着、裾を長く引いて、ゆっくりとことさらに改まった所作は、実に立派だと見えるが、源氏の方は、桜襲の唐織のの直衣に、濃い紅梅色のうちきを何枚も重ねて、くつろいだ皇子らしい姿で、まったくたとえようもなく美しかった。その光り輝く様子は、内大臣のこうした大げさなに装った有様とは、比べようもない姿であった。
息子たちが次々と来て、まことに美しい兄弟たちが、集うのだった。藤大納言、春宮大夫など、今や名だたる息子たちは、皆昇進してしかるべき地位についていた。自ずと、自然に、名だたる高貴な殿上人や蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中、少将、弁官など、人柄のはなやかで立派な人たちが、十余人集っていたので、堂々たるもので、並の身分の供のものも多く、酒の盃が何回も座に回って、皆酔い、口々に大宮の特に優れた幸いの多い生涯を語り合うのだった。
2016.9.16/ 2021.10.7/ 2023.5.6
29.11 源氏、内大臣と対面
大臣も、めづらしき御対面に、昔のこと思し出でられて、よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、挑ましき御心も添ふべかめれ、さし向かひきこえたまひては、かたみにいとあはれなることの数々思し出でつつ、例の、隔てなく、昔今のことども、年ごろの御物語に、日暮れゆく。御土器など勧め参りたまふ
「さぶらはでは悪しかりぬべかりけるを、召しなきに憚りて。うけたまはり過ぐしてましかば、御勘事や添はまし」
と申したまふに、
「勘当は、こなたざまになむ。勘事と思ふこと多くはべる」
など、けしきばみたまふに、このことにやと思せば、わづらはしうて、かしこまりたるさまにてものしたまふ。
「昔より、公私おおやけわたくしのことにつけて、心の隔てなく、大小のこと聞こえうけたまはり羽翼はねを並ぶるやうにて、朝廷おおやけの御後見をも仕うまつるとなむ思うたまへしを、末の世となりてそのかみ思うたまへし本意なきやうなること、うち交りはべれど、うちうちの私事にこそは
おほかたの心ざしは、さらに移ろふことなくなむ。何ともなくて積もりはべる年齢に添へて、いにしへのことなむ恋しかりけるを、対面賜はることもいとまれにのみはべれば、こと限りありて、世だけき御ふるまひとは思うたまへながら親しきほどには、その御勢ひをも、引きしじめたまひてこそは、訪らひものしたまはめとなむ、恨めしき折々はべる」
と聞こえたまへば、
「いにしへは、げに面馴れて、あやしくたいだいしきまで馴れさぶらひ、心に隔つることなく御覧ぜられしを、朝廷に仕うまつりし際は、羽翼を並べたる数にも思ひはべらでうれしき御かへりみをこそ、はかばかしからぬ身にて、かかる位に及びはべりて、朝廷に仕うまつりはべることに添へても、思うたまへ知らぬにははべらぬを、齢の積もりには、げにおのづからうちゆるぶことのみなむ、多くはべりける
などかしこまり申したまふ。
そのついでに、ほのめかし出でたまひてけり。大臣、
「いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな」と、まづうち泣きたまひて、「そのかみより、いかになりにけむと尋ね思うたまへしさまは、何のついでにかはべりけむ、愁へに堪へず、漏らし聞こしめさせし心地なむしはべる。今かく、すこし人数にもなりはべるにつけて、はかばかしからぬ者どもの、かたがたにつけてさまよひはべるを、かたくなしく、見苦しと見はべるにつけても、またさるさまにて、数々に連ねては、あはれに思うたまへらるる折に添へても、まづなむ思ひたまへ出でらるる」
とのたまふついでに、かのいにしへの雨夜の物語に、いろいろなりし御睦言の定めを思し出でて、泣きみ笑ひみ、皆うち乱れたまひぬ。
内大臣も、久し振りの対面に、昔のことが思い出され、離れていては些細なことにも競い合う気持ちが生じるが、差し向かいでお話すると、お互いに昔なつかしいことの数々が思い出され、昔のように隔てなく、長年の積もる昔話に、すっかり日が暮れてゆくのであった。お酒などを内大臣がお勧めした。
「参上しなければ失礼になりますが、お招きがないので憚って。知っていて参じないのは、お叱りが増すでしょう」
と申し上げると、
「お叱りを受けるのはこちらです。それはたくさんあります」
などと、気色ばむと、内大臣はあのことではと思い、面倒なことになると思って、かしこまっていた。
「昔から公私につけて、包み隠さず、大事なことも些細なことも話しまたお聞きし、翼を並べるようにして、朝廷の後見をつとめていると思っていましたが、長い年月を経て、その頃思っていたことと違うことが、交じってくることがありますが、それは個人的な家同士のことです。
わたしの気持ちは、昔と少しも変わっていません。さしたることもなせずに年を重ねましたが、昔のことは恋しく思い出されますが、お会いするのもごく稀になってしまいましたので、立場上、威儀を張ったお振る舞いも必要かと存じますが、どうか親しい者にはその威儀も少し控えめにして、お訪ねくだされば、と恨めしく思う折もありました」
と源氏が仰せになると、
「昔は、仰るようによくお会いして、身分もわきまえず失礼なほど親しくしていただき、隔てなく御一緒させていただきましたが、朝廷に仕えるような立場になった当初は、翼を並べる同じ仲間のひとりとも思いませず、ありがたいお引き立ていただき、大した才能もない身で、このような地位に昇りつめてお仕えできるのも、あなた様のお陰と思っておりますが、年をとってからはつい締りがなくなることも多いのです」
などと内大臣はかしこまって申し上げる。
折を見て、源氏は玉鬘のことをほのめかした。内大臣は、
「胸が痛みます。またとないことを仰せになりますな」と、まずは泣いてから、「当時から、どうなったのか気になって探していましたが、何のついでだったのだろうか。心配でたまらずにふと話しに出したことがありました。今はこうしてひとかどの者になりまして、つまらぬ縁であちこちにいた子供たちを集めては、体裁が悪く見苦しいとは思いますが、またそんな子どもたちでも大勢並べてみますと、可愛いと思いますし、行方不明になってしまった子も自ずと思い出さずにはいられませんでした」
と話すついでにも、あの若かりし頃の雨夜の物語で、いろいろと打ち明けた話を思い出して、泣き笑いして、二人はすっかり打ち解けた。
2019.9.19/ 2021.10.7/ 2023.5.6
29.12 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去
夜いたう更けて、おのおのあかれたまふ
「かく参り来あひては、さらに、久しくなりぬる世の古事、思うたまへ出でられ、恋しきことの忍びがたきに、立ち出でむ心地もしはべらず」
とて、をさをさ心弱くおはしまさぬ六条殿も、酔ひ泣きにや、うちしほれたまふ。宮はたまいて、姫君の御ことを思し出づるに、 ありしにまさる御ありさま、勢ひを見たてまつりたまふに、飽かず悲しくて、とどめがたく、しほしほと泣きたまふ尼衣は、げに心ことなりけり。
かかるついでなれど、中将の御ことをば、うち出でたまはずなりぬ。ひとふし用意なしと思しおきてければ、口入れむことも人悪く思しとどめかの大臣はた、人の御けしきなきに、さし過ぐしがたくて、さすがにむすぼほれたる心地したまうけり
「今宵も御供にさぶらふべきを、うちつけに騒がしくもやとてなむ。今日のかしこまりは、ことさらになむ参るべくはべる」
と申したまへば、
「さらば、この御悩みもよろしう見えたまふを、かならず聞こえし日違へさせたまはず、渡りたまふべき」よし、聞こえ契りたまふ。
御けしきどもようて、おのおの出でたまふ響き、いといかめし。君達の御供の人びと、
「何ごとありつるならむ。めづらしき御対面に、いと御けしきよげなりつるは」
「また、いかなる御譲りあるべきにか」
など、ひが心を得つつ、かかる筋とは思ひ寄らざりけり。
夜がひどく更けて、それぞれがお別れになる。
「こうして来られて、その上、久しい昔のことを思い出され、すっかりなつかしい気持ちになってしまい、立ち出でる気になれません」
とて、気持ちが弱い源氏ではないが、酔って泣いたのか、しおれたようになってしまった。大宮はまた、葵の上のことを思い出し、源氏のお姿や勢いが当時よりもいっそう立派になったのを見て、とにかく悲しく、涙がとまらず、泣いている尼僧姿は、格別なものがあった。
このような折だったが、夕霧のことは出さなかった。源氏は、内大臣のやり方は配慮が足りないと思い、口を挟むのは外聞が悪いと思い、内大臣の方は、先方から話がないのに出すぎたことはできないと思い、さすがに胸の晴れぬ思いだった。
「今宵はお供してお送りすべきところですが、突然に騒がせてしまっては。今日のお礼は、日を改めて参上いたします」
と内大臣が申すと、
「されば、大宮の病もよろしいようですので、必ずお伝えした日を間違わずお越しください」と、お約束なさるのだった。
お二人の機嫌がよく、それぞれがお帰りになる響きに、勢いがあった。君達の供の人たちは、
「何があったのだろう。滅多にないご対面だし、機嫌もしごく良いのだから」
「また、何か譲られたのかな」
など、邪推して、このような話とは思いもよらなかった。
2019.9.19/ 2021.10.7/ 2023.5.6
29.13 大臣、源氏の意向に従う
大臣、うちつけにいといぶかしう、心もとなうおぼえたまへど
「ふと、しか受けとり、親がらむも便なからむ。尋ね得たまへらむ初めを思ふに、定めて心きよう見放ちたまはじやむごとなき方々を憚りて、うけばりてその際にはもてなさず、さすがにわづらはしう、ものの聞こえを思ひて、かく明かしたまふなめり」
と思すは、口惜しけれど、
「それを疵とすべきことかは。ことさらにも、かの御あたりに触ればはせむに、などかおぼえの劣らむ。宮仕へざまにおもむきたまへらば、女御などの思さむこともあぢきなし」と思せど、「ともかくも、思ひ寄りのたまはむおきてを違ふべきことかは
と、よろづに思しけり。
かくのたまふは、二月朔日ついたちこごろなりけり。十六日、彼岸の初めにて、いと吉き日なりけり。近うまた吉き日なしと勘へ申しけるうちに、宮よろしうおはしませば、いそぎ立ちたまうて、例の渡りたまうても、大臣に申しあらはししさまなど、いとこまかにあべきことども教へきこえたまへば、
「あはれなる御心は、親と聞こえながらも、ありがたからむを」
と思すものから、いとなむうれしかりける。
かくて後は、中将の君にも、忍びてかかることの心のたまひ知らせけり
「あやしのことどもや。むべなりけり」
と、思ひあはすることどもあるに、かのつれなき人の御ありさまよりも、なほもあらず思ひ出でられて、「思ひ寄らざりけることよ」と、しれじれしき心地す。されど、「あるまじう、ねじけたるべきほどなりけり」と、思ひ返すことこそは、ありがたきまめまめしさなめれ。
内大臣は、さっそく会いたいと、気が急いていらいらしたが、
「しかし、それを信じて、親ぶるのも変なものだ。尋ねあてて手に入れて、源氏の君が手をつけずにおくことはまずないだろう。 高貴なご婦人方に憚って、それと同列に扱うこともできず、そのままでは面倒なことになる、世間体もあり、本当のことを明かしたのだろう」
と思ったが、なんとも口惜しいので、
「それは娘が疵物になったということだろうか。あえてあちらにさし上げたとしたら、何か体裁の悪いことがあろうか。宮仕えにやったとしても、女御などが、面白からず思うだろうから、ともかく源氏が考えてきめたことに従うべきだろう」
とあれこれ思うのだった。
この話は、二月の上旬の頃であった。十六日は彼岸の初めで、吉日であった。その前後では、吉日はないと占いなので、大宮の具合も悪くないので、急いで準備をし、例によって玉鬘のところへゆき、内大臣に打ち明けた時の様子など、詳しく話して心得るべきことを教えたので、
「行き届いた心遣いは、実の親でもこれほどではないだろう」
と玉鬘は思い、父と会えるのもうれしかった。
こうなった後では、夕霧にも内々にこうした事情を説明された。
「あやしいと思った。しかし無理もない」
と思い合わすのだが、あのつれない雲居の雁よりも、いっそう玉鬘の様子が思い出されて、「思いもしなかった」と自分の馬鹿さ加減を思い知るのだった。そして、「雲居の雁がありながら他の女に思いを寄せるの、間違ったことだ」と思い返すのは、世にも稀な誠実さであろう。
2019.9.22/ 2021.10.7/ 2023.5.6
29.14 二月十六日、玉鬘の裳着の儀
かくてその日になりて、三条の宮より、忍びやかに御使あり。御櫛の筥など、にはかなれど、ことどもいときよらにしたまうて、御文には、
聞こえむにも、いまいましきありさまを、今日は忍びこめはべれどさるかたにても、長き例ばかりを思し許すべうや、とてなむあはれにうけたまはり、あきらめたる筋をかけきこえむも、いかが御けしきに従ひてなむ
ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥
わが身はなれぬ懸子かけごなりけり

と、いと古めかしうわななきたまへるを、殿もこなたにおはしまして、ことども御覧じ定むるほどなれば、見たまうて、
「古代なる御文書きなれど、いたしや、この御手よ。昔は上手にものしたまひけるを、年に添へて、あやしく老いゆくものにこそありけれ。いとからく御手ふるひにけり」
など、うち返し見たまうて、
「よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。三十一字の中に、異文字は少なく添へたることのかたきなり」
と、忍びて笑ひたまふ。
こうして裳着の日となり、大宮から、目立たぬように使いがあった。化粧道具の箱など、急なことだったが、それぞれすばらしく、文には、
「お祝いを申し上げるにも、憚られる尼の姿では、今日はご遠慮すべきですが、そうであっても、長く生きた例もありお許しを。お話に感動しまして、ここで繰り返すのも、どうかと思いまして。あなたのお気持ち次第です。
(大宮)どちらから申し上げても
わたしにとっては縁の深い孫なのです」
と、古風な筆が震えているのを、源氏もこちらに来られて、あれこれ指図しながらも、宮の文をご覧になって、
「古風な文であるが、立派なものだ、この筆跡は。昔は上手の手であったが、年を経てあやしく老成してゆくものだなあ。大そう手が震えているのはとても痛々しい」
など何度もご覧になって、
「たくさん玉櫛笥の縁語をそろえましたね。三十一文字のなかに、縁語でない言葉を少なく詠うのはむつかしい」
とそっと笑うのだった。
2019.9.23/ 2021.10.7/ 2023.5.6
29.15 玉鬘の裳着への祝儀の品々
中宮より、白き御裳、唐衣、御装束、御髪上の具など、いと二なくて、例の、壺どもに、唐の薫物、心ことに香り深くてたてまつりたまへり。
御方々、皆心々に、御装束、人びとの料に、櫛扇まで、とりどりにし出でたまへるありさま、劣りまさらず、さまざまにつけて、 かばかりの御心ばせどもに、挑み尽くしたまへれば、をかしう見ゆるを東の院の人びとも、かかる御いそぎは聞きたまうけれども、訪らひきこえたまふべき数ならねば、ただ聞き過ぐしたるに、常陸の宮の御方、あやしうものうるはしう、さるべきことの折過ぐさぬ古代の御心にて、いかでかこの御いそぎを、よそのこととは聞き過ぐさむ、と思して、形のごとなむし出でたまうける。
あはれなる御心ざしなりかし。青鈍あおにび細長一襲ほそながひとかさね落栗おちぐりとかや、何とかや、昔の人のめでたうしける袷の袴一具、紫のしらきり見ゆる霰地の御小袿と、よき衣筥に入れて、包いとうるはしうて、たてまつれたまへり。
御文には、
「知らせたまふべき数にもはべらねば、つつましけれど、かかる折は思たまへ忍びがたくなむ。これ、いとあやしけれど、人にも賜はせよ」
と、おいらかなり。殿、御覧じつけて、いとあさましう、例の、と思すに、御顔赤みぬ。
「あやしき古人にこそあれ。かくものづつみしたる人は、引き入り沈み入りたるこそよけれ。さすがに恥ぢがましや」とて、「返りことはつかはせ。はしたなく思ひなむ。父親王の、いとかなしうしたまひける、思ひ出づれば、人に落さむはいと心苦しき人なり」
と聞こえたまふ。御小袿の袂に、例の、同じ筋の歌ありけり。
わが身こそ恨みられけれ唐衣
君が袂に馴れずと思へば

御手は、昔だにありしを、いとわりなうしじかみ、彫深う、強う、堅う書 きたまへり。大臣、憎きものの、をかしさをばえ念じたまはで、
この歌詠みつらむほどこそ。まして今は力なくて、所狭かりけむ
と、いとほしがりたまふ。
「いで、この返りこと、騒がしうとも、われせむ」
とのたまひて、
「あやしう、人の思ひ寄るまじき御心ばへこそ、あらでもありぬべけれ」
と、憎さに書きたまうて、
唐衣また唐衣唐衣
かへすがへすも唐衣なる

とて、
「いとまめやかに、かの人の立てて好む筋なれば、ものしてはべるなり」
とて、見せたてまつりたまへば、君、いとにほひやかに笑ひたまひて、
「あな、いとほし。弄じたるやうにもはべるかな」
と、苦しがりたまふ。ようなしごといと多かりや
中宮からは、白い裳、唐衣、その他の装束、髪上げの用具一式など極上のもので、いつものように壺に唐の薫物の香りの深いものが添えられていた。
ご婦人方は、皆それぞれに、玉鬘の装束、お付きの女房たちのもの、櫛や扇までそれぞれに用意なさるものは、優劣がつけられず、源氏の寵を受けたご婦人方が競ったので、どの品もすばらしかったが、末摘花や空蝉が住む東の院にもこうした準備は聞こえていたけれど、お祝いする数に入っていないので聞き過ごしたが、末摘花は変に折り目正しくて、どうしてこのような支度を見過ごせようかと思って、決まりどおりに用意された。
殊勝な心がけではある。青鈍の細長一襲、落栗色とかなんとか、昔の人が好んだ袷の袴一式、紫色が白っぽくなっている霰模様の小袿をたいそう立派な箱に入れて、美しく包んで、祝いの品として贈ってきた。
文には、
「お知らせ頂く数にも入りませんが、このような時はお祝いせずにはいられません。粗末なものですが、お付きの方にでも賜ってください」
とおっとりしている。源氏は、それを見てあきれ、例によってまたかと思い、顔を赤らめた。
「ごく昔風の人なのです。これほど引っ込み思案の人は、引きこもっているのがいいのです。さすがに恥ずかしい」として、「返事は出しなさい。気まずい思いをさせないように。父親王はたいへん可愛がっていたのを思うと、人より軽く扱ってはお気の毒です」
と仰せになる。小袿の袂に、例の、同じ趣向の歌があった。
(末摘花)「わが身を恨みたくなります 唐衣の
袂のようにいつもあなたの側にいられないので」
筆跡は昔もそうだったが、ひどくちじかんで、深く彫るように、強く、堅く書いている。源氏は、憎いと思うが可笑しいのを堪えきれずに、
「この歌を詠むのも大変だったろう、お側に頼る人もなく、困ったはず」
と可哀想に思うのだった。
「さて、この返事は、忙しくても、自分でやろう」
と仰せになって、
「人の思いもつかないような心づかいは、なさらなくてもよいのです」
と憎らしさのあまり書いて、
(源氏の歌)「唐衣、また唐衣唐衣と、
唐衣の繰り返しですね」
と書いて、
「真面目にあの人のたいへんく好むやり方なので、作ってみました」
と言ってお見せになると、玉鬘は、実にまことにあでやかに微笑んで、
「あら、かわいそうに。からかったようにも見えますよ」
と気の毒に思う。つまらぬお話が多くなりました。
2019.9.30/ 2021.10.7/ 2023.5.8
29.16 内大臣、腰結に役を勤める
内大臣うちのおとどは、さしも急がれたまふまじき御心なれど、めづらかに聞きたまうし後は、いつしかと御心にかかりたれば、疾く参りたまへり。
儀式など、あべい限りにまた過ぎて、めづらしきさまにしなさせたまへり。「げにわざと御心とどめたまうけること」と見たまふも、かたじけなきものから、やう変はりて思さる
の時にて、入れたてまつりたまふ。例の御まうけをばさるものにて、内の御座いと二なくしつらはせたまうて、御肴参らせたまふ。御殿油おんとのあぶら、例のかかる所よりは、すこし光見せて、をかしきほどにもてなしきこえたまへり。
いみじうゆかしう思ひきこえたまへど、今宵はいとゆくりかなべければ、引き結びたまふほど、え忍びたまはぬけしきなり。
主人の大臣、
今宵は、いにしへざまのことはかけはべらねば、何のあやめも分かせたまふまじくなむ。心知らぬ人目を飾りて、なほ世の常の作法に」
と聞こえたまふ。
げに、さらに聞こえさせやるべき方はべらずなむ
御土器参るほどに、
限りなきかしこまりをば、世に例なきことと聞こえさせながら、今までかく忍びこめさせたまひける恨みも、いかが添へはべらざらむ」
と聞こえたまふ。
恨めしや沖つ玉藻をかづくまで
磯がくれける海人の心よ

とて、なほつつみもあへずしほたれたまふ。姫君は、いと恥づかしき御さまどものさし集ひ、つつましさに、え聞こえたまはねば、殿、
よるべなみかかる渚にうち寄せて
海人も尋ねぬ藻屑とぞ見し

いとわりなき御うちつけごとになむ」
と聞こえたまへば、
「いとことわりになむ」
と、聞こえやる方なくて、出でたまひぬ。
内大臣は、気は進まなかったが、珍しい話を聞いてからは、いつか会ってみたいと気にかかっていたので、早めに出かけた。
儀式など、仕来たり通りのものに新しい風を加えて、珍しいものに仕立てた。「源氏が格別に心を込めた儀式」と見て、内大臣は恐れ多いとは思うものの、やはり変わっていると思うのだった。
午後九時頃に、御簾のなかに入った。型どおりのしつらえはもとより、内の御座はこの上なく立派に整えられ、肴が饗せられた。灯火は、この種の通常の時より少し明るくして、実に細かい行き届いた配慮だった。
とにかく見たい会いたいと思うが、今宵では急すぎると思うので、裳の腰紐を結びながら、涙をこらえきれないようだ。
主人の源氏は、
「今宵は昔のことは出さないので、何の仔細も知らぬようにやってください。事情を知らぬ人びとの手前、普通に腰結びの役として」
と仰せになる。
「まったく何と申し上げていいか言葉もありません」
盃が来るほどに、
「言葉に尽きせぬ感謝の気持ちは、世にまたとないほどですが、今までこうして隠しておられたことへの恨みも申し添えざるをえません」
と内大臣は仰せになる。
(内大臣)「恨めしいことだ。裳を着る日まで
隠れて打ち明けてくれなかった心よ」
とて、堪えきれず涙ぐむのだった。姫君は、大層気後れする方々がお揃いなので、気恥ずかしく、返事ができないでいると、源氏が、
(源氏)「寄る辺がなくこのような所に打ち寄せたので
誰も尋ねてくれない藻屑だったのです
まったく無体なお言葉ですね」
と仰せになると、
「もっともだ」
と、内大臣はそれ以上言葉もなく、退去された。
2019.10.2/ 2021.10.8/ 2023.5.8
29.17 祝賀者、多数参上
親王たち、次々、人びと残るなく集ひたまへり。御懸想人もあまた混じりたまへれば、この大臣、かく入りおはしてほど経るを、いかなることにかと疑ひたまへり。
かの殿の君達、中将、弁の君ばかりぞ、ほの知りたまへりける。人知れず思ひしことを、からうも、うれしうも思ひなりたまふ。弁は、
「よくぞうち出でざりける」とささめきて、「さま異なる大臣の御好みどもなめり。中宮の御類ひに仕立てたまはむとや思すらむ」
など、おのおの言ふよしを聞きたまへど、
なほ、しばしは御心づかひしたまうて、世にそしりなきさまにもてなさせたまへ何ごとも、心やすきほどの人こそ、乱りがはしう、ともかくもはべべかめれこなたをもそなたをも、さまざま人の聞こえ悩まさむ、ただならむよりはあぢきなきを、なだらかに、やうやう人目をも馴らすなむ、よきことにははべるべき」
と申したまへば、
「ただ御もてなしになむ従ひはべるべき。かうまで御覧ぜられ、ありがたき御育みに隠ろへはべりけるも、前の世の契りおろかならじ」
と申したまふ。
御贈物など、さらにもいはず、すべて引出物、禄ども、品々につけて、例あること限りあれど、またこと加へ、二なくせさせたまへり。大宮の御悩みにことづけたまうし名残もあれば、ことことしき御遊びなどはなし。
兵部卿宮、
今はことづけやりたまふべき滞りもなきを
と、おりたち聞こえたまへど、
内裏より御けしきあること、かへさひ奏し、またまた仰せ言に従ひてなむ、異ざまのことは、ともかくも思ひ定むべき」
とぞ聞こえさせたまひける。
父大臣は、
「ほのかなりしさまを、いかでさやかにまた見む。なまかたほなること見えたまはば、かうまでことことしうもてなし思さじ」
など、なかなか心もとなう恋しう思ひきこえたまふ。
今ぞ、かの御夢も、まことに思しあはせける。女御ばかりには、さだかなることのさまを聞こえたまうけり。
親王たちや、それ以下の人びとはすべて集っていた。懸想人たちもたくさん混じっていたので、内大臣が御簾の中に入って相当経つと、どうしたのだろうと疑った。
内大臣の息子たち、中将、弁の君だけは、うすうす知っていた。人知れず慕っていたので、つらいとも嬉しいとも思うのだった。弁は、
「よく言い出さなかったものだ」とささやいて、「風変わりな大臣の好みでしょう。中宮のようにしたいと思っていたのでしょう」
など、それぞれが言っているのを耳にしたが、
「今しばらく、用心して、世間のそしりを受けないようにしてください。何ごとも、身分の低い人は、きちんとしないことがあってもいいでしょうが、あなたもわたしも様々な人が申し出てきて悩ませられるのは、並の人たちよりも頻繁にあるでしょうが、少しずつ人目に馴らしてゆくのが得策だろうと思います」
と源氏が仰せになれば、
「仰せの通りにいたしましょう。こうまでお世話をしていただき、ありがたくも世間に隠れて育てられたのも、ただならぬ前世の因縁でしょう」
と内大臣がおっしゃる。
内大臣への贈り物はいうに及ばず、それぞれの引出物、禄など、身分に応じて、通例の程度はあるが、それに加えてこの上ないものを用意した。 大宮の病のこともあるので、おおげさな管弦遊びはなさらなかった。
兵部卿の宮は、
「もう口実になるような支障もないのですから」
と熱心に言うが、
「帝からご内意があり、そのご辞退の奏上にたいして、何と仰せられるかそれによって、他の話はそれからきめましょう」
と仰せられた。
内大臣は、
「ほのかに見たことを、もっとはっきりみたいものだ。どこか欠点があれば、こうまで盛大にもてなすことはしないだろう」
などと、かえってじれったく恋しく思うのだった。
今は、あの夢も、本当だったのだと思うのだった。女御には、はっきりした事情を伝えた。
2019.10.4/ 2021.10.8/ 2023.5.8◎
29.18 近江の君、玉鬘を羨む
世の人聞きに、「しばしこのこと出ださじ」と、切に籠めたまへど、口さがなきものは世の人なりけり。自然に言ひ漏らしつつ、やうやう聞こえ出で来るを、かのさがな者の君聞きて女御の御前に、中将、少将さぶらひたまふに出で来て、
「殿は、御女まうけたまふべかなり。あな、めでたや。いかなる人、二方にもてなさるらむ。聞けば、かれも劣り腹なり」
と、あふなげにのたまへば、女御、かたはらいたしと思して、ものものたまはず。中将、
「しか、かしづかるべきゆゑこそものしたまふらめ。さても、誰が言ひしことを、かくゆくりなくうち出でたまふぞ。もの言ひただならぬ女房などこそ、耳とどむれ」
とのたまへば、
「あなかま。皆聞きてはべり。尚侍ないしのかみになるべかなり。宮仕へにと急ぎ出で立ちはべりしことは、さやうの御かへりみもやとてこそ、なべての女房たちだに仕うまつらぬことまで、おりたち仕うまつれ。御前のつらくおはしますなり」
と、恨みかくれば、皆ほほ笑みて、
尚侍あかば、なにがしこそ望まむと思ふを、非道にも思しかけけるかな
などのたまふに、腹立ちて、
めでたき御仲に、数ならぬ人は、混じるまじかりけり。中将の君ぞつらくおはする。 さかしらに迎へたまひて、軽めあざけりたまふ。 せうせうの人は、え立てるまじき殿の内かな。あな、かしこ。あな、かしこ」
と、後へざまにゐざり退きて、見おこせたまふ。憎げもなけれど、いと腹悪しげに目尻引き上げたり。
中将は、かく言ふにつけても、「げにし過ちたること」と思へば、まめやかにてものしたまふ。少将は、
かかる方にても、類ひなき御ありさまを、おろかにはよも思さじ。御心しづめたまうてこそ。 堅き巌も沫雪になしたまうつべき御けしきなれば、いとよう思ひかなひたまふ時もありなむ」
と、ほほ笑みて言ひゐたまへり。中将も、
「天の岩門鎖し籠もりたまひなむや、めやすく」
とて、立ちぬれば、ほろほろと泣きて、
「この君達さへ、皆すげなくしたまふに、ただ御前の御心のあはれにおはしませば、さぶらふなり」
とて、いとかやすく、いそしく下臈童女げろうわらわべなどの仕うまつりたらぬ雑役をも、立ち走り、やすく惑ひありきつつ、心ざしを尽くして宮仕へしありきて、
「尚侍に、おれを、申しなしたまへ」
と責めきこゆれば、あさましう、「いかに思ひて言ふことならむ」と思すに、ものも言はれたまはず。
世間の人の耳に、「当分入らないように」と伏せていたのだが、口さがないのは世間の常である。自然と漏れてとうとう世間の評判になると、あの困り者の近江の君が、弘徽殿の女御の御前に柏木中将や弁の少将がいる所にやってきて、
「お殿様は姫君をお迎えなさるそうね。なんと、おめでたい。どんな人かしら、お二人の殿に世話されて。卑しい生まれだそうね」
と無遠慮に言うので、女御はあまりに聞き苦しいので、黙っている。中将が、
「そのように大切にされる訳がおありなのでしょう。しかし誰かが言ったことを、出し抜けにお話になるのですか。口うるさい女房たちが聞いたらたいへんです」
と言うと、
「お黙りなさい。みんな知っています。尚侍ないしのかみになるのですね。わたしも宮仕えにと急ぎ 出て参りましたのは、そのようなお世話があるだろうと期待しておりまして、普通の女房たちがやらないことまで、お仕えしています。御前も冷たいです」
と恨み言を言えば、皆笑って、
尚侍ないしのかみに欠員が出れば、わたしこそ自分が願い出たいと思っていますよ」
などと、柏木中将が言うと、腹をたてて、
「立派なご家族の中に、数ならぬ者は、入ってはいけないことでした。中将の君は薄情ですね。お節介にもわたしを迎えて、馬鹿にする。並の者ではやってゆけないお邸ですこと。ああ怖いこと、恐ろしい」
と、後へいざり退いて、こちらをじっと見ている。可愛らしい顔付だが、意地悪そうに目じりを上げていた。
中将は、こう言われるにつけても、「その通り失敗だった」と思って、真面目な顔で聞いている。少将は、
「尚侍を望んでいることにしても、またとないお勤めぶりですから、女御も疎かには思わないでしょう。心を静めてお待ちください。堅い岩も抹雪にしてしまうほどの勢いなので、思いの叶う時もありましょう」
と弁の少将は微笑んで言うのだった。中将も、
「天の岩戸を閉じて籠ってしまうのが、いいでしょう」
と言って立ち上がったので、ほろほろと泣いて、
「この君達さえ皆冷たくされるので、ただ御前のみ心だけが優しくしてくださるので、仕えているのです」
とて、とても身軽にかいがいしく、下働きの童女たちの嫌がる雑役も、尻軽に立ち走り、あちらこちらをうろうろしては、一心に心を尽くして宮仕えして、
「尚侍にわたしを推薦してください」
と催促するので、あきれて、「どんなつもりで言っているのだろう」と思うが、女御は相手にせずに黙っていた。
2019.10.12/ 2021.10.8
29.19 内大臣、近江の君を愚弄
大臣、この望みを聞きたまひて、いとはなやかにうち笑ひたまひて、女御の御方に参りたまへるついでに、
「いづら、この、近江の君。こなたに」
と召せば、
「を」
と、いとけざやかに聞こえて、出で来たり。
「いと、仕へたる御けはひ、公人にて、げにいかにあひたらむ。尚侍のことは、などか、おのれに疾くはものせざりし」
と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしと思ひて、
「さも、御けしき賜はらまほしうはべりしかど、この女御殿など、おのづから伝へ聞こえさせたまひてむと、頼みふくれてなむさぶらひつるを、なるべき人ものしたまふやうに聞きたまふれば、夢に富したる心地しはべりてなむ、胸に手を置きたるやうにはべる」
と申したまふ。舌ぶりいとものさはやかなり。笑みたまひぬべきを念じて、
「いとあやしう、おぼつかなき御癖なりや。さも思しのたまはましかば、まづ人の先に奏してまし。太政大臣の御女、やむごとなくとも、ここに切に申さむことは、聞こし召さぬやうあらざらまし。今にても、申し文を取り作りて、びびしう書き出だされよ。長歌などの心ばへあらむを御覧ぜむには、捨てさせたまはじ。主上は、そのうちに情け捨てずおはしませば」
など、いとようすかしたまふ。人の親げなく、かたはなりや。
「大和歌は、悪し悪しも続けはべりなむ。むねむねしき方のことはた、殿より申させたまはば、つま声のやうにて、御徳をもかうぶりはべらむ」
とて、手を押しすりて聞こえゐたり。御几帳のうしろなどにて聞く女房、死ぬべくおぼゆ。もの笑ひに堪へぬは、すべり出でてなむ、慰めける。女御も御面赤みて、わりなう見苦しと思したり。殿も、
「ものむつかしき折は、近江の君見るこそ、よろづ紛るれ」
とて、ただ笑ひ種につくりたまへど、世人は、
恥ぢがてら、はしたなめたまふ
など、さまざま言ひけり。
内大臣は、近江の君の望みを聞いて、陽気に笑って、女御の御殿に来たついでに、
「どうしているか、近江の君は。ここに呼びなさい」
呼びだすと、
「はい」
と、はっきり返事をして、出て来た。
「たいそうよく勤めているそうだが、宮仕えは、適任だろう。尚侍のことは、どうしてわたしに早く言ってくれなかったのだ」
真面目くさって言えば、近江の君はうれしく思って
「殿様からそのような内意を承りたかったのですが、この女御殿が、自ずとお伝え申し上げるだろうと、御頼りしておりましたので、ほかに決まった人がいるようにお聞きしましたときは、驚いて夢で金持ちになって、夢覚めてはっとしたような心地です」
と言うのだった。弁舌ははきはきしていた。笑いそうになるのを堪えて、
「まことに妙ですね。分からない気性だ。そんな希望をお持ちなら、まず先に奏上したのに。太政大臣の娘がどんなに身分が高くても、わたしが切にお願いすれば、帝もお聞きになるだろう。今からでも申し文を作って、立派に書きなさい。長歌など上手に詠んであれば、捨てずに取り上げられることでしょう。帝は風流にはとりわけ目がないですから」
などと、うまく言いくるめた。人の親らしくなく、見苦しいことです。
「大和歌は下手でも何とか作れましょう。表向きの文は殿様にお願いできるなら、わたしの言葉も添えて、殿のお力をお借りしたいのですが」
と両手をすり合わせて頼むのだった。御几帳の後ろで聞いている女房は、死にそうなほどおかしい。我慢ができぬ者はその場から抜け出し、一息ついている。女御も顔を赤らめ、見苦しいと思っている。殿も、
「気が晴れない時は、近江の君を見ると、何かと紛れるな」
と言って、もっぱら笑い者にしているが、世間では、
「自分でも恥ずかしく思って、ひどい目にあわせている」
など、様々に言う。
2019.10.9/ 2021.10.9/ 2023.5.8

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読書期間2019年9月1日 - 2019年10月9日