源氏物語  藤裏葉 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 33 藤裏葉
ほれぼれしき ぼんやりしている。呆けている。うつろな感じがする。
おのづから軽々しきことやまじらむ 何かとはしたない噂の種にされよう。
忍ぶとすれど 隠しても
うちうちのことあやまりも 内輪の過失も、祖母大宮のもとで、一緒に育てられて相思相愛になった。
ゆくりなく言ひ寄らむもいかが きっかけもなしに言い出すのはいかが「ゆくりなく」思いがけず。偶然にも。
 見えたてまつるも、心づかひせられて、いといたう用意し、もてしづめてものしたまふを 顔を合わせるのも気になって、ひどく気をつけ、すましておられる。
などか、いとこよなくは勘じたまへる。今日の御法の縁をも尋ね思さば、罪許したまひてよや。残り少なくなりゆく末の世に、思ひ捨てたまへるも、恨みきこゆべくなむ どうしてそんなにひどくお咎めなさる。今日の法要のご縁も考えて、私の不行き届きは許してください。余命少ない身ですのに。私を見限るのも、尾恨みしたい気持ちです。どうしてひどいこと怒っておいでなのだ。今日の法事の縁故を考えて下されば、わたしのことは許してほしい。余命の少ない晩年に、あなたがお見捨てなさるのは、お怨み申したい。「勘じる」(勘・かんず)(他サ変)罪を調べ考えて罰する。罰をただす。お叱りを受ける。こうず。/ (勘・拷・こうず・他サ変)罪状を厳しく取り調べる。また拷問にかける。譴責する。ごうす。日本国語大辞典 少学 館
過ぎにし御おもむけも、頼みきこえさすべきさまに 亡き大宮のご意向も、あなたをお頼り申すように。
いかに思ひて、例ならずけしきばみたまひつらむ どういうお積りでいつもに似ず、許してもよいような言い方をなさったのか。
いつもと違ってあんな言い方をなさったのか。
世とともに心をかけたる御あたりなれば 絶えず気にかけていた内大臣家のことのなで。
ここらの年ごろの思ひのしるしにや、かの大臣も、名残なく思し弱りて 長の年月、雲井の雁を思い続けた甲斐があったのか、あちらの大臣もすっかり我を折りなさって。
つきづきしからむ (つきづきしい)『付き付きしい]似つかわしい。ふさわしい。
一日ひとひの花の蔭の対面の、飽かずおぼえはべりしを 先日の花の下での対面は、物足りなく思われたことですが。
わが宿の藤の色濃きたそかれに
尋ねやは来ぬ春の名残を
 わが家の藤の花のひとしお色深い夕暮れに、行く春の名残を求めておいでになりませんか。(新潮)/ 私の家の藤の花の色が濃いこの夕べにお出かけくださいませんか。暮れ行く春を惜しみに。(玉上)
なかなかに折りやまどはむ藤の花たそかれ時のたどたどしくは かえって藤の花を折るのにまごつくのではないでしょうか。夕暮れ時のはっきりしない頃では。(新潮)/ かえって藤の花を折ることもできずまごつくでしょう。薄暗い時のはっきりしないころでは(玉上)
口惜しくこそ臆しにけれ。取り直したまへよ 情けないほど気後れしてしまいました。(意を尽くせないところは)よろしく取り繕ってお伝えください。
>さも進みものしたまはばこそは、過ぎにし方の孝なかりし恨みも解けめ 先方からそうはっきり折れて出てこられたのなら、昔の不快な思いをした恨みも解けるというものだ。
御心おごり、こよなうねたげなり その得意げなご様子まったく憎らしいほどである。
二藍 「二藍」は、藍と紅(くれない)で染めた、紫に近い色。「非参議」は四位で、参議になる資格のある者。夕霧はすでに宰相で参議。
心やましきほどに 先方がいらいらする頃になって。相手が待ちかねる頃。
i色もはた、なつかしきゆかりにしつべし 色も色で、(紫のなで)なつかしい由縁のものといえましょう。「紫の火と一本(ひともと)ゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(『古今集』巻十七雑上、読み火と知らず)暗に結婚を申し出た言い方。
いかでか。昔を思うたまへ出づる御変はりどもには、身を捨つるさまにもとこそ、思うたまへ知りはべるを  どうしてそのような。今は亡き母葵の上や祖母大宮)を思い出しますお身代わりとしまして。どうしてそのような。今はなき方を思い出しお身代わりとして、身を捨ててま心に決めておりますものを、なんとご覧になってのことでしょう。/ 意味がよくわからん。管理人。
藤の裏葉の 「春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ」(『後撰集』巻三春下読み人知らず){藤の裏葉の」まで「うらとけて」を言う序。「藤の裏葉」は藤の若葉。「うらとけて」心を開いて隔てなくうちとける意。下の句は、あなたが熱意を示してくれるなら、私も心をひとつに合わせよう、の意。
紫にかことはかけむ藤の花 まつより過ぎてうれたけれども 紫の藤の花(雲井の雁)のせいにしておきましょう。、お申し込みを待ち受けておりましたのに、今日になったのは、つらく存じますが。「まつ」に「松」を掛け、「藤」の縁語。「うれたし」と縁語としての末(うれ)
いく返り露けき春を過ぐし来て 花の紐解く折にあふらむ 幾たび涙にくれた春を過ごしてきて、花咲くお許しのでた今日に逢うことでしょう。(新潮) /幾たびも湿っぽい涙の春を過ごしてきて、やっと今お許しを受けて花咲く楽しい春にあうことができました。 (玉上)
たをやめの袖にまがへる藤の花 見る人からや色もまさらむ なよやかな乙女の袖にも似た藤の花は、賞美する人によって、いっそう美しさを増すことでしょう。(新潮)/ うら若い女の袖にも似る藤の花は、見る人の立派さゆえにいっそう美しさもまさることでしょう(玉上)
葦垣 催馬楽。呂「葦垣」「葦垣真垣あしがきまがき 真垣かきわけ てふ越すと 負い越すと 誰か 誰かこの事を 親に まうよこし申しし とどろける この家 この家 弟嫁おとよめ まうよこしし申し 親に まうよこしけらしも (下略)」男が垣を越えて娘を背負って盗んでゆくと、誰が親に告げ口したのか、の意。内大臣が結婚を許したことが口惜しく、わが家の/娘をぬすんでゆくのは誰だろう、とあてこすったもの。
世の例にもなりぬべかりつる身を、心もてこそ、かうまでも思し許さるめれ/// 世間の噂の種にもなりそうな身だったが、心がけゆえにこそ、こうして許されたのだ。恋死にして世間の話題になりかねない。「恋ひわびて死ぬてふことはまだなきを世のためしにもなりぬべきかな(『後撰集』恋六)「恋しきに死ぬるおはものとは聞かねども世のためしにもなりぬべきかな」(『古今六帖』四)
いつかしう いかめしく立派である。尊い。箏重である。
あはれを知りたまはぬも、さま異なるわざかな それなのに情けを解してくださらないとは、風変わりな人だ。私の気持ちを分かってくださらないとは、並外れたお仕打ちですね。雲井の雁が恥らって打ち解けないのを言う。
浅き名を言ひ流しける河口は いかが漏らしし関の荒垣 あの時浮名を立てられたのは、一体どんな風に私たちのことをお漏らしになったからかしら(新潮)/ あなたのお口は軽々しい名を言い流した『河口』ですわ。どうしてお漏らしになったの。あなたは(玉上)
漏りにける岫田の関を河口の 浅きにのみはおほせざらなむ あんな騒ぎになったのは、お守り役の父君のせいです。わたしのせいとばかり言わないでください(新潮)/ 浮名はくきだの関(父大臣)の守りの隙から漏れたのに『河口』の口の軽さのせいにしないでください(玉上)
御文は 後朝きぬぎぬの手紙。新婚の翌朝、女の元へ届ける。
とがむなよ忍びにしぼる手もたゆみ 今日あらはるる袖のしづくを 咎 めないでください。隠れてそっとしぼる手もだるくなって、今日は人目に立つ袖の涙ですが、今日からは誰にも遠慮しませんよ(新潮) / とがめてくださるな。人目を忍んで絞っていた手もだるくなって、今日は人目につく袖のしずくなのだ(玉上)
薄き御直衣 薄い縹色の御直衣。高位、年配になるほど薄縹になる。
灌仏かんぶつを引いてきて 「灌仏」誕生仏を寺からお移し申し上げて。四月八日灌仏会といって、誕生間もない小さな釈迦仏像に、香水を灌ぐ法会。その功徳は広大とされた。
わざとならねど、情けだちたまふ若人は 取り立てたあつかいではないが、お情けをおかけになった若い女房たちは。深い関係ではないが、目をかけた女房たちは。「なさけだちたまふ」と敬語があるからこの主語は夕霧である。
女御の御ありさま 弘徽殿女御。冷泉帝の后。内大臣(頭中将)の娘で、母は桐壺帝の右大臣の四の君。雲井の雁の異母姉。
北の方、さぶらふ人びとなどは、心よからず思ひ言ふもあれど 内大臣の北の方。女御の実母。雲井の雁の継母。
按察使あぜちの北の方 按察使の大納言の北の方。雲井の雁の実母
六条院の御いそぎは 「いそぎ」支度。明石の姫君の入内。
御阿礼みあれ 賀茂の祭り。四月の中の申(さる)の日を国祭り、または御阿礼みあれの日という。上賀茂神社の祭神別雷(わけいかずち)んの神の降誕を再現する神事が深夜行われる。/もともとは賀茂の祭りであったとおぼしく、山城の国司が検察するので、国祭という。「みあれ」とは、神の降誕を意味する語。
こよなく思ひ消ちたりし人も (御息所を)頭から馬鹿にしていた人も。葵の上のこと。
近衛司このえずかさの使は、頭中将なりけり  賀茂の祭りの勅使。近衛の中少将が立つ。
うちとけずあはれを交はしたまふ御仲なれば  夕霧と藤典侍は、人目を忍んで情を交わす間柄。「うちとけず」は、心やすい公然の仲でないこと。
何とかや今日のかざしよかつ見つつ>おぼめくまでもなりにけるかな  何という名だったか、今日のかざしは、その「葵」を目の前に見ながら、思い出せないぐらいになってしまった。逢うこともなく日数を重ねたことをいう。(新潮)/ 何といったかしら、今日のこのかざし。目の前に見ながら名が浮かばないほどになってしまった(玉上)
はひまぎれたまふべき  こっそりお逢いになっているらしい。
かざしてもかつたどらるる草の名は桂を折りし人や知るらむ   頭にかざしても、なおはっきり思いだせない葵草の名は、桂を折られたあなたこそご存じでしょう。あなたの結婚のせいです/ 「桂を折る」進士に合格すること。賀茂の祭りには葵とともに桂もかざす(新潮)/ 髪にかざしていながらつい口に出てこない草の名は、かつらを折った方はご存じでしょうね(玉上)
常に長々しうえ添ひさぶらひたまはじ 「 添ひさぶらふ」は明石の姫君に付き添うのだから、姫に敬意をはらって、「さぶらひ」がついたのである。「たまは」は、紫の上に対する敬語。ここらは、源氏の心中。(玉上)
この御心にも 敬語は明石の姫君に対し紫の上がつけたのである。明石の御方には敬語を使っていない。(玉上)
添へたてまつりたまへ 「たてまつり」は姫に対する敬語表現。「たまへ」は源氏に対する敬語。(玉上)
見及ぶことの心いたる限りあるを 気をつけるといってもなかなか行き届きかねる。
尼君なむ 明石の尼君。姫君の祖母
まことにかかることもあらましかば」と思す 本当にこんなことがあったら。これが自分の娘だったら。
かくおとなびたまふけぢめになむ、年月のほども知られはべれば、疎々しき隔ては、残るまじくや 姫君がこんなに大きくなられた様子に、年月の長さも分かりますので、、水臭い遠慮は消えてしまうのではないでしょうか。(紫の上の思い)
かうまで、立ち並びきこゆる契り、おろかなりやは その紫の上と対等にお話申し上げる自分の運勢も並大抵ではない。
一つものとぞ見えざりける (悲しいときにも流す)同じ涙と思えない。
心およばぬことはた、をさをさなき人のらうらうじさなれば< 明石の君に対する形容。「らうらうじ」物にたくみであること。行き届いていること。
明けむ年、四十になりたまふ 四十の賀。当時は四十から十年ごとに長寿を祝う。桐壷の巻に源氏十二才で元服とあってより」、はじめて源氏の年齢について触れる。
太上天皇だいじょうてんのうに准らふ御位得たまうて 上皇に準ずる待遇。源氏はすでに太政大臣になっている。ここで臣下の域を超えた身分になった。報戸(ふこ)太上天皇二千戸、太政大臣千五百戸。この戸から租の半分、庸調の全部を被支給者(貴族)の収入とする。/ これを歴史に徴するに、天使の位につかずして、準太上天皇の待遇をたまわったのは、一条天皇の母君、藤原詮子が入道して皇太后を辞した後、太上天皇に准じられ、東三条院と号された正暦二年(991)九月の例のみである。男子としての例はない。これを物語に徴するに藤壺の宮は、その皇子の即位ののち「太上天皇になずらへて、御封(ふ)たまはらせたまふ、院司どもなりて、さまことにいつくしう」(澪標)
生母藤壺と実父光る源氏がともに准太上天皇になったのである。(玉上)
長からずのみ思さるる御世のこなたに< しきりに無常を感じるこの世に存命中に。
今は本意も遂げなむ 今はもうかねての念願を遂げたい。出家の志。
六位宿世 結婚相手が六位風情ではと、夕霧を不足に思った宵のことを。
浅緑若葉の菊を露にても 濃き紫の色とかけきや 浅緑の六位の衣を着ている若年の私が、濃い紫の衣を着るようになろうとは、お前は夢にも思わなかったろう。(新潮)/ 若葉の菊の浅緑を見て、花を咲かせて、濃い紫色になろうとは、まるで思いもかけなかっただろうね(玉上
双葉より名立たる園の菊なれば浅き色わく露もなかりき) /小さいときから名門の若者ですもの、浅緑の色など分け隔てするものは、誰もいませんでした。(新潮)/ 双葉のときから名門の園に育つ菊ですもの、浅い色と区別する者などおりませんでした(玉上)
三条殿 故大宮の御殿。
なれこそは岩守るあるじ見し人の行方は知るや宿の真清水 真清水よ、お前こそはこの家を守っている主人だが、亡き人の行くへは知っているか(新潮) / お前こそは岩(ここ)を守ってきた主だが、亡き大宮の行くへを知っているであろう。宿の清水よ(玉上)
亡き人の影だに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水 亡き大宮のお姿も映らないのに、知らぬ顔で気持ちよさそうに流れている清水だこと(新潮)「いさらい」小さな泉。/ なき大宮はかげさえも見えずおまえだけが知らぬ顔でここちよげに流れているのね。小さな清水よ(玉上)
昔おはさひし御ありさまにも 昔亡くなった人々がお住まいであったご様子にも。「おはさふ」は、「おはしあふ」の約、「おはす」の複数形。主語は太政大臣の父、故摂政太政大臣と大宮。
そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ植ゑし小松も苔生ひにけり 昔の老木はなるほど朽ちてしまったでもありましょう、その当時植えた小松も苔が生るほどになったのですから。(新潮)/ 昔の老木が朽ちてしまうのも当然のこと。その老木の植えた小松も苔が生える程老いてしまったのだから(玉上)
いづれをも蔭とぞ頼む双葉より根ざし交はせる松の末々 どちらを様も蔭とお頼みしています。お小さいときから仲良くここでお育ちになったお二人ですから(新潮)/ お二方とも蔭とお頼みしています。双葉のときから仲良くして大きくなった二本松でいらっしゃるので(玉上)
巳の時 御前9時から11時頃まで。
わざとの御覧とはなけれども 帝が通る途中の慰みに/ 特別ご覧に入れるというのではないが
色まさる籬の菊も折々に袖うちかけし秋を恋ふらし 今日の行幸にひとしお色まさるわが家の菊も、折りに触れて、菊を手折って舞った昔の秋を恋しく思っていることでしょう。(新潮)/ 濃く色づいた籬の菊も、立身した大臣も、折々は、袖をうちかけて舞を舞ったあの秋を恋しく思っていような(玉上)
紫の雲にまがへる菊の花濁りなき世の星かとぞ見る 紫雲かと見まがうばかりの菊の花(格段に高い身分になられたあなた)は、濁りなき聖代の星かと思われます。紫雲は堯が生まれたときの瑞兆。
青き赤き白橡しらつるばみ蘇芳すほう葡萄染えびぞめめなど 青白橡しらつるばみの袍に葡萄染えびぞめ(薄紫)の下襲、赤白橡しらつるばみの袍に蘇芳すほう(やや暗い紅色)の下襲。それぞれ右方と左方の舞楽の童の装束。青白橡、赤白橡というのは、それぞれ青色、赤色というに同じとされるが、「白橡」は、媒染剤を用いない白茶色の染色とされるので、これの加わった染色であろう。
秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる紅葉の折をこそ見ね幾年の秋を経て、時雨とともに年老いた野人のわたしもこんな見事な紅葉の折を見たことがありません。(新潮) / 幾たびの秋を過ごし、時雨とともに年老いた田舎者もこんなに美しい紅葉の折にあったことがありません(玉上)
世の常の紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を世の常の紅葉と思ってご覧になるのでしょうが、昔の例に倣って引きめぐらしたこの庭の錦ですのに。(新潮)/ 世の常の紅葉と思ってご覧になるのですか。昔の御代ののためしに倣った今日の宴の紅葉の錦を(玉上)
なほさるべきにこそと見えたる御仲らひなめり。やはり前世からのしかるべき宿縁によって、このようにすぐれた方々がお揃いなのだと思われるご両家のようだ。草子地。
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公開日2019年3月1日