源氏物語  若菜下 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 35 若菜下
うれたくも言へるかな 痛い所をついた言い分だ。「うれたし」腹立たしい。いまいましい。
いでや、なぞ、かく異なることなきあへしらひばかりを慰めにては、いかが過ぐさむ いやしかし、こんな通り一遍の返事で気休めにしていては、これからどうして過ごせよう。
なまゆがむ心や添ひにたらむ ややよこしまな気持ちがきざしたのだろうか。
殿上の賭弓() 殿上人による弓の競射の催し。正月十八日に弓場殿に帝が出御して行われる賭弓(のりゆみ)に対して同じく弓場殿で、臨時に行われる。二月、三月の例が多い、布、銭を賭物にするのによる。/
左右の大将 左大将は、髭黒、右大将は、夕霧。
艶なる賭物ども、こなたかなた人びとの御心見えぬべきを しゃれた賭物の数々は、あちらこちらとご婦人方の趣味のほども分かろうというもの。懸物は奥向きから調えて出されるのがしきたり。
女御の御方に参りて 弘徽殿の女御。柏木の妹。
ゆくりかに 思いがけないさま、突然に、不用意に。
春宮に参りたまひて 女三の宮の異腹の兄にあたる。
「論なう通ひたまへるところあらむかし」 当然、(女三の宮に)似ているところがあるだろう。
聞こし召しおきて、桐壺の御方より伝へて聞こえさせたまひければ、参らせたまへり(東宮は)聞き置かれた上で、桐壷の女御(東宮妃。明石の女御)を通じて、その猫をご所望なさったので、(女三の宮から)献上なさった。
恋ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とて鳴く音なるらむ 恋い慕ってもどうにもならぬあの方を偲ぶよすがと思って撫でいつくしんでいると、お前はどういうつもりでそんな鳴き声を立てるのか(新潮)
淑景舎などの、疎々しく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに、さま異なる御睦びにて 淑景舎は桐壷の女御の部屋。淑景舎などのよそよそしくてとても近づきがたく取り澄ましているのが心外で、一風変わったお付き合いで親しくしている。
心ばへのかどかどしく、気近くおはする君にて 気立てがはきはきしていて、気さくな方。
兵部卿宮、なほ一所のみおはして 蛍兵部卿の宮は、いまだに独身で。兵部卿宮は蛍兵部卿の宮。蛍兵部卿宮は、(藤壺の兄の兵部卿宮とは別人)。「蛍」の主要人物であることからこの名で呼ばれる。桐壺帝の皇子で、朱雀帝、光源氏の異母弟(恐らく第三皇子か[1])。「花宴」で帥宮として登場、「少女」で藤壺の兄宮が式部卿宮となった後を襲い兵部卿宮となる。当代きっての風流人として知られ、「絵合」「梅枝」などで判者をつとめた他、管弦の場面でもたびたび登場する。兄弟の中でも源氏とは特に仲がよく、源氏の不遇な時代にも交流を断たなかったこともあって(「須磨」)、その後も親しく交際を続けた。最初の正妻は桐壺帝の右大臣の娘(弘徽殿大后・朧月夜の姉妹。つまり頭中将とは相婿である)で、早くに死別。しばらく独身を通した後、「胡蝶」で源氏の養女玉鬘に求婚する。「蛍」で源氏の悪戯により玉鬘の艶やかな姿を目の当たりにした逸話は有名で、その後も文を取り交わしていたが、髭黒に奪われ思いは叶わなかった。その後女三宮の婿候補にも挙がったが果たせず、結局真木柱(髭黒の娘、式部卿宮の孫)を後妻としたものの、夫婦仲は芳しくなかった。蛍兵部卿宮(Wikipedia)
えしも言ひすべしたまはで、おはしましそめぬ 言い逃れることもできず、通うようになった。
宮は 兵部卿の宮。蛍兵卿の宮である。
すくよかに、なほなほしきをのみ、今の世の人のかしこくする 堅い一方でおもしろくもない連中ばかりを大事にする。
尚侍かむの君も 玉鬘の君も。
ただ、情け情けしう、心深きさまにのたまひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや、聞き落としたまひけむ 宮がいかにもやさしく、情け深げにお手紙を下さっていたのに、(髭黒とこんなことになって)張り合い抜けして無考えな女のようにお見下げになったであろうか。
これよりも、さるべきことは扱ひきこえたまふ 玉鬘の方からも、真木柱のいろいろなお世話をしてお上げになる。
せうとの君たちなどして、かかる御けしきも知らず顔に、憎からず聞こえまつはしなどするに、心苦しくて、もて離れたる御心はなきに、大北の方といふさがな者ぞ、常に許しなく怨じきこえたまふ 真木柱の弟たちなどを指し向けて、宮の冷たい仕打ちも知らぬげに、親し気に人をそらさぬお扱いをなさったりするので、宮も気の毒がって、縁を切るようなおつもりはないのに、大北の方という性悪女がいて、いつも人を許すことがなく恨み言を言う。「大北の方」式部卿の宮の北の方。「大」は札付きのという感じ。
親王たちは、のどかに二心なくて、見たまはむをだにこそ、はなやかならぬ慰めには思ふべけれ(大北の方の言)親王方を婿にするのは、おとなしく浮気もせずに娘を愛して下さるのを、せめて、ぱっとしない暮らしの代わりにと我慢するところなのに。親王には政治的権力がなく、婿取りしても世俗的な家の繁栄は望めないので、こうした愚痴もでる。
故里に 昔、北の方と仲睦まじく暮らした自邸。
はかなくて これという事もなく。
致仕ちじの表 辞職届け。
春宮も 朱雀院の皇子。母は承香殿(しょうきょうでん)の女御、髭黒の妹。三歳で立坊。この年二十歳。明石の姫君が、この春宮(後の今上帝)に輿入れした。/今上帝(きんじょうてい・きんじょうのみかど)は、『源氏物語』に登場する四番目の帝(在位:「若菜下」 - )。架空の人物。朱雀帝の第一皇子で、母は承香殿女御(髭黒の姉妹。今上帝即位前に没、即位後皇太后を追贈)。物語終了時をもって在位中のため、便宜的に今上帝と呼ばれることが多い。(Wikipedia)桐壷帝→朱雀帝→冷泉帝→今上帝。
六条の女御の御腹の一の宮、坊にゐたまひぬ 明石の姫君のお生みになった皇子。この年六歳。
帝、御心とどめて思ひきこえたまふ 新帝は、女三の宮の兄に当たる春宮時代、朱雀院から女三の宮について、依頼もあった。
今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行なひをも、となむ思ふ。この世はかばかりと、見果てつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべきさまに思し許してよ このような成り行き任せの暮らしではなく、心静かにお勤めもしたいと思います。この世は大方この程度のものと、見極めがついた歳になりました。この年三十六歳。源氏は四十六歳。若紫の巻きではs源氏十八歳のときに紫の上は「十ばかりにやあらむと見えて」とある。
とまりてさうざうしくおぼえたまひ、ある世に変はらむ御ありさまの、うしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにそのこと遂げなむ後に、ともかくも思しなれ「とまりて」(あなたが後に)留まって。あなたがあとに残されて物寂しく思うので、今までと打って変わった暮らしが、心配でならぬからそのままになっていたのです。わたしがいつかその望みを遂げたあとに、どうともお考え通りになさい。
御方は隠れがの御後見にて明石の上は陰のお世話役に甘んじて、遜っておいでなのが、
さるべきにて、しばしかりそめに身をやつしける、昔の世の行なひ人にやありけむ 前世の因縁で、人の姿に身をやつしたのだろう、遠い昔の世に修行僧でもあったのだろう、
このたびは、この心をば表はしたまはず 今回は、明石の女御のゆく末の祈願という趣旨は表に立てず、
東遊び もと東国の歌舞が宮廷に入り、神前で奏されたもの。一歌、二歌、駿河舞、求子歌(もとめごうた)、片降(かたおろし)の五曲それぞれに歌詞があり、駿河舞と求子歌に舞がある。
致仕の大臣をぞ 「致仕の大臣」退職し隠退した大臣。昔の頭中将。はるばる須磨まで訪ねて行ったことがある。
誰れかまた心を知りて住吉の>神代を経たる松にこと問ふ私の他に誰が、昔からのいきさつを知っていて年老いたあなた話かけるでしょうか(新潮)/ わたしの外に誰がまた昔の事情を知って住吉の 神代からの松に話しかけたりしましょうか(渋谷)
方々のひとだまひ それぞれのお供の女房の車。
さるべきにて、もとよりかく匂ひたまふ御身どもよりも、いみじかりける契り、あらはに思ひ知らるる人の御ありさまなり「さるべきにて」高い宿縁によって。高い宿縁によって、もとよりこのような栄える身の上の方々よりも、まことに素晴らしい宿縁のほどが、はっきり思い知られる尼君の身の上である。
住の江をいけるかひある渚とは年経る尼も今日や知るらむ この住吉の浜を生きていたかいのあった渚と、年老いた尼のわたしも今日の盛儀で思い知ることでしょう(渋谷)/ 住吉の浜を生きていた甲斐がある渚だと年とった尼も今日知ることでしょう(渋谷)
昔こそまづ忘られね住吉の神のしるしを見るにつけても 昔のことが何よりも忘れられないことです、こうして住吉のあらたかな霊験を目のあたりにして(新潮)/ 昔の事が何よりも忘れられない住吉の神の霊験を目の当たりにするにつけても(渋谷)
住の江の松に夜深く置く霜は神の掛けたる木綿鬘ゆうかずらかも住吉の浜の松にまだ夜の闇も深く置く露は、神様のおかけになったruby>木綿鬘ゆうかずらでしょうか(新潮)/ 住吉の浜の松に夜深く置く霜は神様が掛けた木綿鬘でしょうか(渋谷)
神人の手に取りもたる榊葉に木綿かけ添ふる深き夜の霜 神にお仕えする人々が手に取り持っている榊葉に木綿(ゆう)を掛けそえるかと見える夜深い霜です(新潮)/ 神主が手に持った榊の葉に木綿を掛け添えた深い夜の霜ですこと(渋谷)神主が手に持った榊の葉に木綿を掛け添えた深い夜の霜ですこと(渋谷)
祝子はふりこが木綿うちまがひ置く霜はげにいちじるき神のしるしか 神にお仕えする人々が手にする木綿かと見まがうばかり白く置く霜は(紫上の)仰せのように神がお喜びになったはっきりしたしるしでしょうか(新潮)/ 神に仕える人々の木綿鬘と見間違えるほどに置く霜は仰せのとおり神の御霊験の証でございましょう(渋谷)
なかなか出で消えして かえって、ぱっとしこともなくて。
松の千歳より離れて、今めかしきことなければ 「松の千歳」といった決まり文句以外は目新しいものもなくてdiv>
本末もたどたどしきまで 神楽は本方(もとかた)と末方とに分かれて、それぞれの歌詞を謡う。その分担もはっきりしなくなるほどに、
浅香せんこう折敷おしきに、青鈍の表折り沈香の四角い盆に、青味を帯びた縹色。折敷の上に青鈍の絹を折り畳んだ。
典侍ないしのすけ腹の君を 夕霧が藤典侍ないしのすけ(惟光の娘)との間にもうけた娘。花散里は夕霧の母代わりなので、義理の祖母という関係である。夕霧の三の宮。
今はむげに世近くなりぬる心地してもうすっかり生涯の終わりも近いような気がして、
げに、さるべきことなり。かかる御けしきなからむにてだに、進み参りたまふべきを まことにごもっともなことです。こうしたお申し入れがなくても、こちらから参上なさるべきなのに、
ついでなく、すさまじきさまにてやは 何のきっかけもなく、取り立てた趣向もなしに、気軽に参上なさるわけにもゆくまい。
 このたび足りたまはむ年、若菜など調じてや< この度ちょうど五十におなりになる年に、若菜など調進してお祝い申ししあげよう。
何心もなくて参りたまへらむついでに、聞こし召さむとゆるしなくゆかしがらせたまはむは、いとはしたなかるべきことにも そんなおつもりもなく、院がお聞きあそばそうとたってのご所望あそばしては、宮がなんともお困りになるでしょう。
きんの御琴 七絃のきん聖人の楽器として、中国ではもっとも重んぜられた。「琴」は弦楽器の総称。きんの他しょうの琴、和琴、琵琶など。
心しらひども 「心しらい」心遣い、心配り。配慮。
片なりにきびはなる「片なり」十分に成熟していない。未熟なこと。「きびは」年端もゆかない。「きびはなり」幼い。
赤色に桜の汗衫かざみ 赤色の表着に、桜襲(表白、裏赤)の汗衫かざみ。「汗衫」は童女が正装のとき、上に着ける。
薄色の織物のあこめ 薄紫色の織物のあこめ「衵」は表着の下に着るもの。
紅梅二人、桜二人、青磁の限りにて 紅梅襲二人、桜襲二人、四人とも青磁色の汗衫かざみを着て、
ここにまた疎き人の入るべきやうもなきを あなた以外の他人が立ち入るわけにもいかないから。
用意多くめやすくて いかにもたしなみ深く、非の打ちどころのない所作で。
壱越調いちこちちょう」の声に発の緒を立てて、ふとも調べやらでさぶらひたまへば 「壱越調いちこちちょう」は雅楽の六調子の一つで、「壱越」(洋楽のdに近い音)を宮(きゅう・主音)とする呂旋(りょせん)音階。「発の緒」は筝の琴の調弦で、各調子の宮にあたる弦をいい、壱越調いちこちちょうでは、第二弦が宮で、これを壱越の音にする。
さらに、今日の御遊びのさしいらへに、交じらふばかりの手づかひなむ、おぼえずはべりける 「さしいらえ」相手をすること。合奏などをすること。とても、今日の皆様方のご演奏のお相手としてお仲間入りするほどの腕前は、私としては自信ありません。
臥待ふしまちの月陰暦十九日の月。出るのが遅いので臥して待つ月。
げに律をば次のものにしたるは、さもありかし 律の奏法を、呂に次ぐものとしているのは、しかるべきことではある。呂は中国伝来の奏法、律は日本固有の俗楽の奏法にもとずくものなので、呂の方を重く見たのである。『河海抄』は「呂は春の調べ、律は秋の調べといふか」という。
あやしく、人の才、はかなくとりすることども、ものの栄ありてまさる所なる どういうわけか、(この六条の院は)婦人たちの才芸はもとより、さしたることもなし取りはからいも、見栄えがしてよそより優れている所なのだ/ 妙に、人々の才能は、ちょっと習い覚えた芸事でも、見栄えがして他より勝れているところである。
せめて我かしこにかこちなしたまへば、女房などは、すこしつきしろふ。 強引に何もかもかも自分の手柄のように自慢されるので、「つきしろう」互いに突っつきあう。
わが心地に飽くべき限りなく、習ひ取らむことはいと難けれど 自分がこれで十分学んだと思えるほど、習得するのは、難しいことだが。
片端をなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手触れにくきものはありける ほんの一端を無難に学んで身につけた人、そうしたわずかな技芸に自己満足していてもよいものだが、七絃の琴は、やはり厄介なものでして、うかつに手を出せないものなのだ。/古琴(こきん、クーチン、拼音: gǔqín)は、中国の古い伝統楽器。七弦琴(しちげんきん)とも呼ぶ。箏などと違い、琴柱(ことじ)はなく徽(き)と呼ばれる印が13あり、これに従い、左指で弦を押さえて右指で弾く。・・・古琴は中国の文人が嗜むべきとされた“琴棋書画”の一番目である。孔子、諸葛孔明、竹林の七賢の嵆康、陶淵明、白居易など、歴史上著名な多くの文人によって演奏された。日本でも菅原道真、重明親王が学んだことが知られる。 (
Wikipedia)
この琴は 琴(きん)のこと。 中国では皇帝の楽器と呼ばれ、日本でも宮中の大事な楽器とされていたようだが、演奏がむつかしくて平安中期には廃れたようです。 長さは約120㎝くらい、弦は7本。他と一番違うのは、琴柱が無く、13個の目印が付けられてる箇所を左手で押さえて右手で弾く。 光源氏は演奏の難しいこの楽器の名手とされており、後年正妻に向かえた女三の宮に手ほどきする場面も有名なところ。/ 箏(そう)は、まず今もその形が受け継がれていてよく見かける日本の楽器。 長さは180~190㎝、13本の弦。間に琴柱(ことじ)を置いて音の高さを決め、右手の親指・人差し指・中指に爪を付け弦をはじく。 因みに現代の筝は平安時代のものそのままではなく、江戸時代に整えられたもの(八橋検校)でこれを俗箏と呼び、平安時代のものを楽箏と呼んで区別す ることもある。/ 和琴(わごん) 日本古来の楽器で長さは筝とほぼ同じで190㎝、弦は6本。琴柱を置くことは筝と同じだが、爪を付けるのではなく琴軌(ことさぎ)というピックを持って 弾く。 今でも「神楽」などの催しで演奏されてるようです。 座って演奏するときは頭の方を膝に乗せて一人で演奏するが、立ったまま演奏することもあり、楽器は二人の琴持が左右で持つ。 源氏物語を読むから
琴の音を離れては、/ 琴はその七絃の各弦が音律(いわゆる呂旋音階)の基準とされた。
   
なのめにてそれほどまでにせずとも。「なのめ」通りいっぺん、目立たない、ありふれている。普通の。
りんの手 筝の奏法。静掻(しずがき・手を細かく静かに弾く)と早掻(はやがき・手を粗く早く弾く)を一曲の中に混ぜて用いること。輪説、臨説などという。
返り声に、皆調べ変はりて 呂旋の曲から、律旋の曲に移ること。今までの「葛城」は、呂である。律旋の曲は、わが国固有の俗楽に基づくものという。次の「なつかしく今めきたる」という。
律の掻き合はせども調弦ののち、弾く短い曲。それぞれの調子に、ひとつずつある。
いづれもいづれも、皆御手を離れぬものの伝へ伝へ どなたもどなたも、皆源氏の奏法を受け継いだので。
箏の琴そうのこと   箏と琴 かつては絃楽器を総称して「こと」と呼んでおり、「箏(そう)のこと」、「琴(きん)のこと」と区別されていました。 「箏」と「琴」は別の楽器です。「箏」が13本の絃を可動の柱(じ)で調律するのに対し、「琴」は柱を用いず、音の調節は絃を押さえて行います。(一絃琴・二絃琴など)平安時代以降、琴はほとんど演奏されなくなりますが、当初、常用漢字に「箏」の字が含まれていなかったことから、「琴」と書かれる事が多いですが、現在「おこと」というと「箏(そう)のこと」を差し、「箏」の字を使い、その音楽を「箏曲(そうきょく)」と読んでいます。  「琴」という漢字で「きん」と呼ばれる楽器は、古代中国の「七絃琴」として知られる絃楽器を指します。琴柱や琴爪は用いず、徽と呼ばれる13個の目印により左手の指で絃の長さを区切って音程を作り、右手の指で絃を弾きます、奈良時代に中国の唐から十三本の絃を持つ楽器が日本に伝来しました。それが「箏」で、現在一般的に知られているものになります。 箏の胴の上に立てられた柱という可動式ブリッジを動かして音の高さを決めるのが特徴です。そして、右手の親指・人差し指・中指に箏爪を付けて演奏します。 なお、「箏」という字は訓読みで「こと」、音読みで「そう」と読みますが、楽器の名称としては「こと」と読むのが一般的です。確かに平安時代には「箏」あるいは「箏のこと」と呼ばれていました。当時、「こと」というのは、絃楽器の総称を意味する言葉で、他にも「琴のこと」、「琵琶のこと」、「和琴のこと」というような使われ方をしていました。いつから楽器の名称としての「箏」を「こと」と呼ぶようになったのか、正確なところは不明ですが、少なくとも筑紫箏曲が誕生した安土桃山時代には「こと」と呼ばれるようになったようです。ただし、「箏曲」の場合は、「こときょく」ではなく「そうきょく」と読みます。 このように「箏」と「琴」は、本来異なる楽器ですが、「箏」という字が常用漢字ではないことから、訓読みで「こと」と読まれる「琴」の字が一般的に用いられるようになり、十三本の絃を持ち柱を立て、箏爪を付けて演奏する「こと」を「琴」と書くことが定着してしまったと考えられます。 基本的には柱があるのが「箏」、ないのが「琴」(ただし和琴や伽耶琴のような例外あり)と覚えておくと良いでしょう。 箏と琴は異なる楽器
我罪ある心地して止みにし慰めに 私の方が悪かったという気がしたまま終わってしまった、その罪滅ぼしに。
異人ことびとは見ねば知らぬを ほかの人は、会ったことがありませんので、知りませんが。
取り集め足らひたることは 総てにつけて難がないことにかけては。/たら・う たらふ 【足らふ】( 動ハ四 ) 〔動詞「たる」に継続の助動詞「ふ」が付いたものから〕① 十分である。すべて備わっている。 ② その資格がある。
なほ、思しめぐらして、大きなることどももしたまはば、おのづからせさせてむ あなたの方でいろいろ考えられて、大がかりな仏事でもお営みになさるのでしたら、当然わたしの方でさせましょう。
思ふ人にさまざま後れ かわいがってくださった人々にそれぞれ先立たれ・三歳で母桐壷の更衣、六歳で祖母、二十三歳で父桐壷院に先立たれた。
さはみづからの祈りなりけるわたしの心にはどうしても堪えきれない悲しみの気持ちがつきまとって離れませんのは、それでは、それが私のためのお祈祷になって今まで生きながらえているのかもしれません。源氏が「それに代へてや、思ひしほどよりは、今までもながらふるならむとなむ、思ひ知らるる」と言ったのにすがった形で、女三の宮の宮降嫁後の苦渋を訴える。
なほ思ふさま異なる心のほどを見果てたまへ やはりあなたを人とは違って深く愛している私の気持ちを、最後まで見届けてください。
これは、まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしきありさましるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見たまふらむと、つつましけれど、女御は、おのづから思し許すらむとのみ思ひてなむ 「これは」明石の上。はっきりとではありませんが、何かと様子を目にする機会もありまして、とても馴れ馴れしくできず、気の置けるたしなみ深い様子がよく分かりますが、わったしの途方もない単純なところを、明石の上がどう見ているか、気の引けることですが、女御は長い間お育て申したよしみから、大目に見てくださるだろうと、安心に思っております。
人の忍びがたく飽かぬことにするもの思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ 世間の女が、堪えがたく、不満なこととする、女の悩みの付きまとって離れない身の上で終わるのであろうか。女三の宮のことを思う女の悲しみがにじむ。
さばかりめざましと心置きたまへりし人を あれほどけしからぬ人と不快に思っていた人を。「めざまし」身分の低いくせに生意気だと見下す気持ち。
いとけしきこそものしたまへ とても余人に代えがたい感心なお人柄です。
中宮の母の御息所は 秋好む中宮の御母(六条の御息所)皇太子の妃として姫君(中宮)を産んだので「御息所」と呼ぶ。
大将の母君 大将(夕霧)の母君(葵の上)。源氏は十二歳で元服、その夜葵の上と結婚した。
いささかもの思し分く隙には 紫の上は多少とも意識の確かな折には。「隙」は病気の隙の意。
聞こゆることを、さも心憂く かねてお願い申し上げていることを、お許しもなく情けのう存じます。////
限りありて別れ果てたまはむよりも (寿命で)仕方なくお亡くなりになってしまうよりも。以下源氏の心中。
目の前に、わが心とやつし捨てたまはむ御ありさまを見ては ご自分から出家してしまわれるお姿を見ては。「やつす」は、地味な尼姿に姿を変える意。
ただにもおはしまさで、もののけなどいと恐ろしきを 普通のお身体でないのですから、自分に取りついるかもしれない物の怪が女御に移るかもしれない。見舞いに来た身重の女御を案じている。
いときよらになむおはします 大層おきれいでいらっしゃいます。帝(朱雀院)が大事にお育てしておいでの様子などを、はじめは乳母が柏木に向かって語る直接話法のような書き方で、すぐ関節話法に転じている。
いで、あな、おほけな。それをそれとさし置きたてまつりたまひて、また、いかやうに限りなき御心ならむ まあ、何と大それたことを。女二の宮を押しのけて、またどのような途方もないことをお考えなのでしょう。
さこそはありけれ。宮にかたじけなく聞こえさせ及びけるさまは、院にも内裏にも聞こし召しけり。などてかは、さてもさぶらはざらましとなむ、ことのついでにはのたまはせける。いでや、ただ、今すこしの御いたはりあらましかば そういうものだよ。女三の宮との結婚を、恐れ多いことながら若輩の私がお望み申し上げた次第は、、朱雀院にも帝にも当時ご承知だったのだ。どうして柏木が夫になっても不足なことがあろう、と院も何かのついでに仰せになったのだ。
かの院の言出でてねむごろに聞こえたまふに、立ち並び妨げきこえさせたまふべき御身のおぼえとや思されし 源氏のことをお口に出して熱心にお望みになったのに、それに張り合ってお妨げ申し上げることができるほどの、貫禄がご自分におありだと思いましたか。
院の、あまたの御中に、また並びなきやうにならはしきこえたまひしに、さしもひとしからぬ際の御方々にたち混じり、めざましげなることもありぬべくこそ 朱雀院のたくさんの御子たちのなかで、ほかに肩を並べる方もないように大切にお育て申し上げなさったのに、同列に扱えない婦人方にまじって、失礼なこともあったのではないか。
よその思ひやりはいつくしく、もの馴れて見えたてまつらむも恥づかしく推し量られたまふに はたから想像したところでは、威厳があって、近づきがたいが、馴れ馴れしくお会い申し上げることなど、気の引けつことと思われ。
なかなかかけかけしきことはなくて止みなむ なまじ色めいた振舞いには及ばないでおこう、とおもっていたけれども。「かけかけし」(多く男女間のことをいう) 好色めいている。
出でむ方なく、なかなかなり 帰ってゆく気にもなれず、なまじな逢瀬である。せっかく思いは遂げたが、かえってつらい思いでいると。柏木の気持ちを述べる。/かえって逢わないほうがましであったほどである。
さらば不用なめり。身をいたづらにやはなし果てぬ。いと捨てがたきによりてこそ、かくまでもはべれ。今宵に限りはべりなむもいみじくなむ それならもう駄目なのですね。いっそ死んだ方がましです。何としても命に未練があればこそ、こうしてお逢いもしたのです。あなたの好意を得ることができないのですね。今夜限りの命と覚悟を決めますのも、悲しい限りです。
秋の空よりも心尽くしなり (今は四月であるが)秋の空よりもありとあらゆる悲しみをそそる。「木の間より漏りくる月の影見れば心尽くしの秋は来にけり」(『古今集』巻四秋上)
起きてゆく空も知られぬ明けぐれにいづくの露のかかる袖なり 起き出でてあなたとお別れしてどこに帰って行ったらよいかわからぬこの夜明けの暗い頃に、一体どこからの露がかかってしとどに濡れるこの袖なのでしょう(新潮)
明けぐれの空に憂き身は消えななむ夢なりけりと見てもやむべく/ この夜明けの暗い空に悲しいわが身は消えてしまってほしい。あのことは夢だったのだと思ってすまされもしますように。
聞きさすやうにて出でぬる魂は、まことに身を離れて止まりぬる心地す 聞きも果てぬありさまで帰って来た魂の、「出でぬる」には、身体を離れて出て行った魂の意も掛けられる。「飽かざりし袖のなかにや入りにけむわが魂のなきここちする」(『古今集』巻十八雑下、女友だちと物語して別れてのちにつかわしける、みちのく)。これを別れともない女と別れてきた男の歌に取りなして踏まえる。/ 聞きも終わらぬありさまで出てしまった魂は、ほんとうに体から離れ出て、女三の宮のもとにとどまってしまった気持ちがする。「出でぬる」は柏木が出て行くことと、魂が体から出てゆくことの両方をいう。(岩波新古典大系)
夢に、この手馴らしし猫の 『細流抄』に「懐妊の事也」といい、『岷江入楚』に「獣を夢見ることは懐妊の相也」という。
悔しくぞ摘み犯しける葵草神の許せるかざしならぬに/あのお方に無理無体のお会いするという大それた過ちを犯して、悔やまれることだ。神様が大目にみて下さる・世間に許される・ではないのに(新潮)/ 悔しい事に罪を犯してしまったことよ神が許した仲ではないのに(渋谷)
もろかづら落葉を何に拾ひけむ名は睦ましきかざしなれども ご姉妹のなかで、どうしてつまらない落ち葉のような方を頂いたのだろう。どちらも同じ朱雀院のご息女だけれども。後の読者が女二の宮を落葉の宮と呼ぶのはきおの歌による(新潮) / 劣った落葉のような方をどうして娶ったのだろう同じ院のご姉妹ではあるが(渋谷)
いみじく調ぜられて 物の怪は、ひどくこらしめられて。物の怪が駆り出され、移された憑坐(よりまし)ましの女の童を僧たちが祈り責めた結果、物の怪は素性の告白に及ぶ。
わが身こそあらぬさまなれそれながらそらおぼれする君は君なり わたしの身の上は昔と打って変わったあさましい姿になっていますが、昔通りのお姿のまま空とぼけていらっしゃるあなたは、あなたなのですね。(新潮)/ わたしはこんな変わりはてた身の上となってしまったが知らないふりをするあなたは昔のままですね(渋谷)
人より落として思し捨てしよりも、思ふどちの御物語のついでに、心善からず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いと恨めしく「人より落として思し捨てしよりも」直接には葵の上を指す。仲の良いお方同士のお話の折に。女神楽の後、源氏が紫の上に御息所のことを語ったこと。「中宮の御母御息所なむ、さま異に心深くなまめかしき例には、まづ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。怨むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか」(六条の御息所は、人並み優れてたしなみ深い方としてまず思い出されるが、付き合いにくく、気づまりなことも多かった。恨むのも当然と思われることを、長く思いつめて、深く恨むようになったのは、とてもつらかった )と語っている。
何か憂き世に久しかるべき 「散ればこそ、いとど桜はめでたけれ憂き世に何か久しかるべき」(『伊勢物語』八十二段『源氏釈』は「なごりなく散るぞめでたき櫻花何か憂き世に久しかるべき」という歌を引く。
むくつけかりし 「むくつけし」おそろしい。気味が悪い。
世の中に亡くなりなむも、わが身にはさらに口惜しきこと残るまじけれど、かく思し惑ふめるに、空しく見なされたてまつらむが、いと思ひ隈なかるべければ この世からいなくなってしまうしまうのも、自分としては何一つ未練に思い残すことはないであろうが、源氏がこれほどご心痛のご様子なのに、はかなくなった自分の姿をお目にかけるのは、いかにも思いやりがないことであろうと思われる。「思い隈なし」考えが至らない。/ 紫の上は意識のない状態の中からも、かえって源氏の身の上を案じる。/ 気配りの極みー管理人
消え止まるほどやは経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを 露が消えないで残っているつかの間ほどもこれから生きられるでしょうか、ほんのたまたま蓮の露がこうして消え残っているそれだけのはかない命ですのに(新潮)/ 露が消え残っている間だけでも生きられましょうかたまたま蓮の露がこうしてあるほどの命ですから(渋谷)
契り置かむこの世ならでも蓮葉に
玉ゐる露の心隔つな
お約束しておきましょう、この世だけでなく来世も極楽の同じ蓮の上にと、その蓮の葉と置く露ー露ほども心の隔ても私に対してお持ちにならないでください(新潮)/ お約束して置きましょう、この世ばかりでなく来世に蓮の葉の上に玉と置く露のようにいささかも心の隔てを置きなさいますな(渋谷)
あやしく。ほど経てめづらしき御ことにも女三の宮が源氏に降嫁してすでに7年たつ。「めずらしき御こと」は、懐妊を婉曲にいう言い方。
夕露に袖濡らせとやひぐらしの鳴くを聞く聞く起きて行くらむ<  夕霧(涙)に袖を濡らして泣けというおつもりで、ひぐらしの鳴くのを聞きながらも、起きて行かれのでしょうか(新潮)/ 夕露に袖を濡らせというつもりで、ひぐらしが鳴くのを聞きながら起きて行かれるのでしょうか(渋谷)
いで、さりとも、それにはあらじ。いといみじく、さることはありなむや。隠いたまひてけむ いいえ、まさか、昨日の柏木の手紙ではあるまい、あの時宮がお隠しになったに違いない。
かく悩ましくせさせたまふを、見おきたてまつりたまひて、今はおこたり果てたまひにたる御扱ひに、心を入れたまへること こちらはこんなに具合が悪いのに、源氏の君は放置なさって、今はすっかり快方したあちらの方の世話をなさっている。
なほざりのすさびと、初めより心をとどめぬ人だに、また異ざまの心分くらむと思ふは、心づきなく思ひ隔てらるるを、ましてこれは、さま異に、おほけなき人の心にもありけるかな 軽い気持ちの浮気ということで、初めからたいして愛してもいない女でも、他の男に気がありそうに秋波を送れば、けしからぬ女と気持ちが覚めるものだが、まして、これはお話にもならぬ、身の程わきまえぬ柏木は大胆なことをやったものだ。
おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは、さても交じらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし 重大な、はっきりした不始末が人目につかない間は、そのまま宮仕えを続けるということもあろうから、それで、密通して、すぐには表沙汰にならないこともあるであろう。「おぼろけの」「おぼろけならぬ」(並々でない)
かくばかり、またなきさまにもてなしきこえて、うちうちの心ざし引く方よりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかることは、さらにたぐひあらじ これほどまでに正室として、並ぶもののない丁重な扱いをしてさし上げて、自分が大事にしている人をさしおいて、大切な恐れ多いお方として大事にお世話しているこの自分をさしおいて、こうしたことを引き起こすとは、世間に例がないことであろう。
同じけしからぬ筋なれど、寄る方ありや 同じ密通という不届きな所業でも、まだ許せる所がある。
えもどくまじき御心まじりける「もどく」②非難する。咎める。誰しも心を狂わす恋の山路は、非難することもできないだろうというお気持ちもなさる。
すこしおろかになどもあらむは、こなたかなた思さむことの、いとほしきぞや すこしでも宮を疎略にでもお扱いしようものなら、帝も院もどう思うであろうか、困ったことなのです。
†げに、あながちに思ふ人のためには、わづらはしきよすがなけれど、よろづにたどり深きこと、とやかくやと、おほよそ人の思はむ心さへ思ひめぐらさるるを、これはただ、国王の御心やおきたまはむとばかりを憚らむは、浅き心地ぞしける なるほど、わたしがひたすらいとしく思うあなたには、別に、文句をつける面倒な縁者は控えていないが、そのかわり、あなたは、何かにつけまことに深く思慮をめぐらすことといったら、あれこれと、まわりの人がどう思うかその思惑までもいろいろ考えられるが、私はただ、帝がご機嫌を損ねなさらぬかということだけを気にしているのは、われながら考えが浅いことでした。
いみじげにのみ言ひわたれども ひどくせつなさそうに小侍従に手引を頼み続けるけれども。
 まめごとにもあだことにも<何かのご用向きでも遊びでも。
人よりはこまかに思しとどめたる御けしきの、あはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに心おかれたてまつりては 特別こまごまと目をかけていただいた源氏の気持ちがありがたく身に染みるので、あきれた不届き者よ、不快の念をだかれては。
かの御心にも思し合はせむことのいみじさ 源氏もやはりそうかと思い合わせることになる、のがたまらなく恐ろしい。
憂きに紛れぬ恋しさの苦しく思さるれば 情けない思いだけではごまかし切れない、宮恋しさの思いが、せつないまでにこみあげて。
おほかたのことは、ありしに変らず、なかなか労しくやむごとなくもてなしきこゆるさまをましたまふ 宮の日常のお世話については、以前と変わらず、かえって思いやり深く大切にお世話申し上げる有様はこれまで以上であった。
さること見きとも表はしきこえたまはぬに、みづからいとわりなく思したるさまも、心幼し そうした手紙を見たともはっきり申し上げなさらないのに、宮が自分から悩んでいらっしゃるのも、愚かしく思われた。
いとかくおはするけぞかし。良きやうといひながら、あまり心もとなく後れたる、頼もしげなきわざなり まったくこうしたお人柄でいらっしゃるせいなのだ。高貴なお方の常とはいいながら、あまりにもしっかりせず、気が利かないのは。「後る」は、劣っている。
女御の、あまりやはらかにおびれたまへるこそ、かやうに心かけきこえむ人は、まして心乱れなむかし あまり素直で おっとりしていられるのは、柏木のような思いを寄せる男は、いっそう理性を失ってしまうだろう。
女は、かうはるけどころなくなよびたるを、人もあなづらはしきにや、さるまじきに、ふと目とまり、心強からぬ過ちはし出づるなりけり 女は内気一方で、強い所がないのを、男も甘く見るからだろうか、あってはならないが、ふと目が止まって、自制心のない過失を犯すことになるのだ。「はるけどころ」気持ちのはけ口。「あなずらう」見くびる。馬鹿にする。
かどかどしく労ありて 人柄が利発で思慮も深く。
ことさらに許されたるありさまにしなして わざわざ、源氏や実の父の内大臣に許されての結婚という風に事を運んで。
   
心もてありしこととも玉鬘も心を交わしてああなったのだという風にでも。
二条の尚侍ないしのかみの君 朧月夜。弘徽殿の皇太后の住んでいた二条の宮(父太政大臣の旧邸)に住む。
海人の世をよそに聞かめや須磨の浦に>藻塩垂れしも誰れならなくに あなたが出家なさったことを、他人事とお聞きしましょうか、あの須磨の浦に、海女同様の悲しい詫び住まいをしましたのも、ほかならぬこのわたしですから。
回向えこう自分の出家修行の功徳を他に及ぼすこと。
海人舟にいかがは思ひおくれけむ明石の浦にいさりせし君< 私の出家にどうして後れをお取りになったのでしょう、あの明石も浦に海士同様の詫び住まいなさったあなたが。
斎院とこの君とこそは残りありつるを 朝顔の前斎院とこの朧月夜の君だけが、今この世に残ってしまった。
かの人 朝顔の前斎院のこと。
生ひ立たむほどの心づかひは、なほ力入るべかめり しかし一人前になるまでの親の配慮は、やはり力を入れねばならぬものと思います。
よくこそ、あまたかたがたに心を乱るまじき契りなりけれ 考えてみれば、よくぞ、たくさんそれぞれに女の子の身の振り方について、心配しなくても、よかった運命でした。
御子たちなむ、なほ飽く限り人に点つかるまじくて、世をのどかに過ぐしたまはむに、うしろめたかるまじき心ばせ、つけまほしきわざなりける 御子たちは、やはりどこまでも人に後ろ指をさされるようなことなく、安穏に生涯をお送りになる上で、心配しなくてすむほどの心の持ち方を、身につけさせてさしあげたい。皇女は独身が建前なので、男とのことで世間の指弾を受けることがないような気構えを身につけさせたい、と言う。「点つかる」非難される。
若宮を紫の上が養育している。明石女御腹の女一の宮。
山の帝 朱雀院。西山の寺に在るのでいう。
いと幼き御心ばへを見おきたまひて、いたくはうしろめたがりきこえたまふなりけりと、思ひあはせたてまつれば、今より後もよろづになむ< (源氏の言)いかにも頼りないあなたのご気性を、院はよくご承知の上で、これほどひどくご心配申し上げていらっしゃるのだと、院のお気持ちが痛いほどよく拝察されますから、今後とも心配でなりません。
かうまでもいかで聞こえじと思へど、上の、御心に背くと聞こし召すらむことの こんなことまでは申し上げたくないと思いますが、院のの上が、噂を耳になさって私がご意向に背いているとお思いになろうことが、不本意であり気にかかりますいので。
ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ せめてあなたにだけは、申し上げなくてはと思いまして。////
いたり少なく、ただ、人の聞こえなす方にのみ寄るべかめる御心には 考えが浅く、ただ、人が悪しざまに申し上げるままにそうお考えになるらしいあなたとしては。
ただおろかに浅きとのみ思し (私が)冷淡で愛情が浅いとばかりお考えで、
いにしへより本意深き道にも、たどり薄かるべき女方にだに皆思ひ後れつつ 昔から深く願っていた仏の道にも、思慮浅いはずの女君たちにも、皆後れをとりまして。朝顔の前斎院や朧月夜のことを思って言う。
今はと捨てたまひけむ世の後見に譲りおきたまへる御心ばへの 院がいよいよ思い立って出家なさったそのあとのあなたがあなたのお世話役として私をお決めになった、そのお気持ちが、身に染みてうれしく思われましたのに。
心苦しと思ひし人びとも、今はかけとどめらるるほだしばかりなるもはべらず 私が出家した後のことが、心配でした人々も、今は私がこの世に引き留められる足手まといになるほどの人はおりません。「ほだし」馬の脚をつなぐなわ。足かせ手かせ。自由を束縛するもの。
この世はいとやすし。ことにもあらず。後の世の御道の妨げならむも、罪いと恐ろしからむ この現世については、何の気にかけることもありません。どうということはないのです。現世だけのことなら問題はない、の意。
人の上にても、もどかしく聞き思ひし古人のさかしらよ。身に代はることにこそ。いかにうたての翁やと、むつかしくうるさき御心添ふらむ 他人のことでも、話に聞いて 良くないことと思っていた年寄りのおせっかいというもの、しかし今は私がするようになってしまいました。
かのこまかなりし返事は、いとかくしもつつまず通はしたまふらむかし あのこまごまと書いてあった柏木の文への返事は、こんな気後れすることもなく進んでやりとりなさるのであろうと想像なさると。
霜月はみづからの忌月なり 十一月は、源氏の父乳桐壷院の忌月。
見むにつけても、いとどほれぼれしきかた恥づかしく、見むにはまたわが心もただならずや 会えばそれにつけても、自分のまぬけさ加減を相手の目にさらすようで、気が引けるし、会えば自分の気持ちも平静ではいられまい。「ほれぼれし」ぼんやりしたさま。ぼけたさま。
  
好色者は、さだめてわがけしきとりしことには、忍ばぬにやありけむ あの多情な柏木は、きっと、自分の気づいた、女三の宮への恋心を押さえかねたのであろう。夕霧は六年前の蹴鞠の日、柏木の執心に気づいていた。
いとかく定かに残りなきさまならむとは、思ひ寄りたまはざりけり まさかこんなにはっきり事が源氏に知れるところまでいっていようとは、想像もしなかった。
の気近き御簾の内に入れたまひて、母屋の御簾下ろしておはします今までどおり、御座所に近いお部屋うちにお呼びになって。廂の間である。源氏は母屋の御簾の中である。/ 前者の「御簾」は簀子と廂の間とを仕切る御簾、後者の「御簾」は廂の間と母屋を仕切る御簾である。柏木は廂の間、源氏は母屋の御簾の中にいる。光の関係で、柏木の表情は源氏から見えるが、母屋の中の源氏の表情は柏木から見えない。
ただことのさまの、誰も誰もいと思ひやりなきこそ、いと罪許しがたけれ  ただ今回の一件については、どちらも(柏木も女三の宮)いかにも分別の足りないところが。柏木が自分の恩寵を忘れて正室を犯し、女三の宮も源氏の配慮を考慮しない点を許しがたく思う。
人よりさだかに数へたてまつり仕うまつるべきよし 人一倍はっきりと数えてお祝い申すべきだという意向を。ちゃんとしたお祝いをすべきだ、の意。到仕の太政大臣は、母の大宮との関係で朱雀院のいとこにあたり、北の方四の君は朱雀院の母弘徽殿の大后の妹であり、長男の柏木は、女二の宮の婿である。
いかめしく聞きし御賀の事を、女二の宮の御方ざまには言ひなさぬも、労ありと思す 盛大だったと聞いていた二の宮の御賀のことも、女二の宮の夫として自分が取り仕切ったとは言わぬのも、しっかりしたものだと思うのだった。
  
今は、いよいよいとかすかなるさまに思し澄まして院は、今はまことにひっそりとした日常で仏道に余念がなく、
いかめしき御よそひを待ちうけたてまつりたまはむこと、願はしくも思すまじく見たてまつりはべしを、事どもをば削がせたまひて、静かなる御物語の深き御願ひ叶はせたまはむなむ、まさりてはべるべき 盛大な御賀の儀をお持ち申し上げていますようなことは、お望みでもないように拝察します。諸事簡略にして、しみじみとした父娘のご対面をという心からのお望みを遂げれました方が。
物の師などいふものは、ただわが立てたることこそあれ、いと口惜しきものなり 音楽の師などとというものは、ただ自分の専門についてはともかくも、他はまったくどうしようもないものです。
母御息所も 女二の宮の母御息所。「御息所」は。皇子、皇女を産んだ方の称。
心尽くしなるべきことを 「こころづくし」[心尽くし]さまざまに物思いすること。気をもませられること。
とまりがたき心地にも、え行きやるまじく思ひたまへらるる」 この世に生き残れまいと思われるほどの苦しい気分のうちにも、とても安心してあの世には行けないという思いがいたします。 / この世に残り留まり(助かり)難い気持ちにも、私は(死んでゆくにしましても)行くことができないとと思わずにはいられない。
今はと頼みなく聞かせたまはば もう最後、と望みもなくなったことをお耳になさいましたら、そっと父の邸をお出になって、お会いくださいませ。きっともう一度お目にかからせていただきます。全体が女二の宮への言葉の趣。
あやしくたゆくおろかなる本性にて、ことに触れておろかに思さるることありつらむこそ どうしたわけか、気がつかない、なおざりな性分の人間で、何かにつけて疎略にお扱い申したとお思いのことがおありだったでしょうと、今に後悔されます。「たゆし」遅鈍、の意。
いとどしき親たちの御心のみ惑ふ いよいよ深まるご両親の悲しみは、気も狂わんばかりである。
 
例の、五十寺の御誦経 しきたり通り、五十の寺に、息災延命の読経をご依頼になり。五十の賀にちなんでのことである。
 
摩訶毘盧遮那まかびるさな  大日如来。真言密教で至上の絶対的存在とされる。その供養の読経が行われたという文意に読める。朱雀院の西山の寺には仁和寺が擬せられているが、その本尊は大日如来である。なお、こうした中断の形で擱筆したとするのが古来の通説であるが、この帖の終わりの一葉が何らかの事情で失われた可能性もあろう。次の柏木の巻きの末尾にも同じような状況がある。
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源氏物語  若菜下

公開日2020年6月2日