源氏物語  総角 注釈

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名香みようごうの糸ひき乱りて  名香(仏前で焚く香)を供えた机の四隅に結び垂らす糸という(『河海抄』)。また、名香を紙に包んで、その上を結ぶ五色の糸とも(花鳥余情)。
あげまきに長き契りを結びこめ同じ所に縒りも会はなむ 総角結びの中に末長い契りを結びこめて、一つ所に結び合わされる、そのように一緒になりたいものです。「総角」は紐の結び方(新潮)/ あげまき結びの中に、末長い契りを固く結び込めて、いっしょになって会いたいもの(玉上)
ぬきもあへずもろき涙の玉の緒に長き契りをいかが結ばむ つなぐこともできずすぐ消えてしまう涙の玉の緒に、長い契りがどうして結べましょう(玉上)/ 貫きとめることもできない砕けやす涙の玉の緒ー悲しみに堪えず、いつ死ぬかも分からない私の命ですのに末長い契りなどどうして結べましょう(新潮)
もとより、かく人に違ひたまへる御癖どもにはべればにや、いかにもいかにも、世の常に何やかやなど、思ひよりたまへる御けしきになむはべらぬ。 (姫君たちは)もともと、ご覧のように、世間の人とは違ったご性格でいられますせいか、どのようにもあれ、世間並みにどうだこうだなどと、(結婚について)お考えになっているご様子ではございません。
おはしましし世にこそ、限りありて、かたほならむ御ありさまは、いとほしくもなど、古代なる御うるはしさに、思しもとどこほりつれ 八の宮在世中こそ、皇族としての格式もあるし、不釣り合いなご縁組みは困ったことだなどと、昔気質の律儀さからおためらいにもなりましたが(新潮)/ ご在世のうちこそ、釣り合いもあるし、いい加減なご結婚はかわいそうだ、などと、昔気質の御窮屈さでおためらいもなさったけれど(玉上)/ ご在世中にこそ、格式もあって、不釣合なご結婚は、お気の毒だわなどと、昔気質の律儀さから、おためらいになっていました(渋谷)/ 「かたほならむ」(片端なり)未熟な、不十分な、欠点がある。「かたほならむ御ありさまは」不釣り合いな縁組。
后の宮 明石の中宮。表向き薫の異母姉。姉とはいえ、身分柄、気軽に話あえないという。
かかる御心のほどを思ひよらで、あやしきまで聞こえ馴れにたるを、ゆゆしき袖の色など、見あらはしたまふ心浅さに、みづからの言ふかひなさも思ひ知らるるに、さまざま慰む方なく こんなお考えをお持ちだとは気づきませんで、自分でも不思議なほどお親しくしてまいりましたのに、縁起でもない喪服でやつれた姿をすっかりみておしまいになったおもいやりのないなさり方に、私の至らなさも思い知られますので、これもこれも心の慰めようもございません。
「いとかくしも思さるるやうこそはと、恥づかしきに、聞こえむ方なし 全くこうまで私をお嫌いになるのも訳のあることかと、気がひけまして、何とも言葉がございません。
山里のあはれ知らるる声々にとりあつめたる朝ぼらけかな 山里をしみじみとうったえるあれこれの物の音に、何もかもこめられているような朝の光ですね(玉上)/ 山里の風情が身にしみる様々の物の音にあれこれの思いも一つになって迫る明け方です(新潮)
鳥の音も聞こえぬ山と思ひしを
世の憂きことは訪ね来にけり
ここは鳥の音も聞こえぬ山奥と思っていましたのに、人の世のつらさだけは、あとを追ってくるのでした(新潮)/ 鳥の声も聞こえてこない山の中と思っていましたのに、世の中のつらいことだけは尋ねてきましたわ(玉上)
昔物語にも、心もてやは、とあることもかかることもあめる。うちとくまじき人の心にこそあめれ 昔物語でも、姫君の一存で、とかくのことが起ころうか。皆女房の仲立ちによるものだ。/ 昔の物語にも、自分の気持ちで、とかくの事も起ころうか。気を許してはならない女房の考えなのだ。
一所おはせましかば、ともかくも、さるべき人に扱はれたてまつりて、宿世といふなる方につけて、身を心ともせぬ世なれば、皆例のことにてこそは、人笑へなる咎をも隠すなれ。 「一所おわしませば」ご両親のどちらか一方でもいらっしゃれば、どうなるにせよ、それが道筋の方にお世話いただいて、「さるべき人」娘の結婚の世話をするのが当然の人。親のこと。「身を心ともせぬ世なれば」自分の思い通りにならぬこの世なのだから。どうなっても、世間によくあることとして、物笑いになるような間違いも目立たぬものだが。親の言うままの結婚で失敗しても、世間から批判されずにすむ、の意。
山梨の花ぞ 「世の中を憂しいひてもいづこにか身をば隠さむ山梨の花」(『古今六帖』六、山なし)による。「山梨」に「山無し」を」掛ける。身を隠す山もない、の意。
同じ所に大殿籠もれるを、うしろめたしと思へど、常のことなれば、「ほかほかにともいかが聞こえむ。御けはひをも、たどたどしからず見たてまつり知りたまへらむ 大君が、中の君と同じ場所にお寝みになっているのを気がかりに思うけれど。(弁の心中)。「常のことなれば」いつも二人はならんで寝ているので、「ほかほかにともいかが聞こえむ」今夜は別々にお休み下さいと何で申せましょう。「御けはひをも、たどたどしからず見たてまつり知りたまへらむ」薫は、大君の気配も、今までに十分見ていらっしゃるであろう。
あらましごとにてだに、つらしと思ひたまへりつるを、まいて、いかにめづらかに思し疎まむ 「あらましごとにてだに」将来の心積りとして話しただけでも、ひどいと思っていらっしゃったのに。(前に、大君が中の君に薫との結婚を勧めた)「まいて、いかにめづらかに思し疎まむ」まして今夜のようなことになれば、どんなあきれた仕打ちと大君をお疎みになろろうかと。
うちつけに浅かりけりともおぼえたてまつら すぐに変わるような軽い気持ちだったと、思っていただきたくない。
この一ふしは、なほ過ぐして 今夜の一件は(中の君とのことは)やはり何ごともなくやり過ごして。
宮などの、恥づかしげなく聞こえたまふめるを、同じくは心高く、と思ふ方ぞ異にものしたまふらむ、と心得果てつれば、いとことわりに恥づかしくて 匂い宮などの、気のおけぬふうにお文をさし上げられるようですが、同じことなら望みは高くと、お目当ての筋が別におありなのでしょう。同じ結婚するなら、身分の高い匂宮の方を望んでいるのでしょう。薫の心中。
おなじ枝を分きて染めける山姫にいづれか深き色と問はばや 同じ枝を、片方だけ特別に紅く染めた山姫に、どちらが濃い色か尋ねたいものです(新潮)/ 同じ一本の枝を区別して染めた山神に、どちらが濃い色か問いたいもの(玉上)
山姫の染むる心はわかねども移ろふ方や深きなるらむ 山姫が片方だけ染めた気持ちは分かりませんが、紅葉した方に深い心を寄せているのでしょう。「うつろふ」は紅葉した意と、心変わりと両方かける(新潮)/ 山姫が分けて染める気持ちは分かりませんが、色変わりした方に深い思いを寄せているのでしょう(玉上)
「さもおはせなむ」と思ひなるやうのあれば そうなって下さればよい、と考えるようになった仔細があるので。薫は中の君を匂宮に結びつけて、大君の意図を逸らそうという気になっている。
女郎花咲ける大野をふせぎつつ
心せばくやしめを結ふらむ
女郎花が咲いている広い野に、どうして人を入れまいと、心狭く囲いをめぐらすのか、独り占めしようとは欲張りすぎですよ。(新潮)/ 女郎花の咲いている大野を人を入れまいとして、なぜ心心狭くなわを張り巡らすのか(玉上)
霧深き朝の原の女郎花
心を寄せて見る人ぞ見る
霧の立ち込めるざしたの原の女郎花は、深く思いを寄せる人だけが見られるのです(新潮)/ 霧の深い朝の原の女郎花は、深く思いを寄せる人になら、あうのです(玉上)
異人と思ひわきたまふまじきさまに、かすめつつ語らひたまへる心ばへなど、いとあはれなり (中の君を)自分同様にお思いくださるようにと、それとなくお願いなさる(大君の)お心遣いなど、とてもいじらしい。薫の気持ちと地の文を重ねた書き方。
しるべせし我やかへりて惑ふべき心もゆかぬ明けぐれの道 ご案内した私が逆に道を踏み迷うのでしょうか、充たされぬ思いで帰る夜明けの仄暗い道に(新潮)/ 御案内した私が反対に踏み迷っていいものかしら、満ち足りない思いで帰るこの明け方の暗い道を(玉上)
かたがたにくらす心を思ひやれ人やりならぬ道に惑はば あれこれ思い悩む私の気持ちにもなってください。自分勝手なことでお嘆きなさるのならば(新潮)/ いくつも悩みをかかえた私の気持ちにもなってください。ご自分のせいで道にお迷いなのでしたら(玉上)
おろかならぬ宮仕への御心ざしとなむ思ひたまふる 並々でないお仕えぶりと存じます。中の君に対する匂宮の熱意をひやかして言う。(玉上)/ 並々ならぬご精勤ぶりと存じます。中の君に対する匂宮の熱意をひやかす。(新潮)† 意味がよく分からない。管理人。
世の常に思ひやすらむ露深き道の笹原分けて来つるも ありふれた志とお思いなのでしょうか、露のいっぱい置いた山路の笹原を分けて行きましたのに(新潮)/ ありふれた恋と思っておいででしょうか、露のいっぱいな山道の笹原を踏み分けて行きましたのを(玉上)
ただ今かく、思ひもあへず、恥づかしきことどもに乱れ思ふべくは、さらに思ひかけはべらざりしに 今すぐこう思いもかけず何やかやと身の縮む思いに心を乱すことになろうとは、夢にも考えませんでした。中の君と匂い宮が結ばれたこと。
まいてすこし世の常になよびたまへるは まして今夜は少し女らしくなまめかしい風情でいられるのには
小夜衣着て馴れきとは言はずとも
かことばかりはかけずしもあらじ
夜の衣を着て馴れ親しんだとは言わないまでも、言いがかりくらいはつけないでもありませんよ(新潮)/ 小夜衣を着て親しくなったとは言いませんがいいがかりくらいはつけないでもありません(渋谷)
隔てなき心ばかりは通ふとも馴れし袖とはかけじとぞ思ふ 何隔てない心のお付き合いばかりは、ずいぶん親しくさせていただいておりますが、馴染みを重ねた仲などと仰らないでください(新潮)/ 隔てない心だけは通い合いましょうとも馴れ親しんだ仲などとはおっしゃらないでください(渋谷)//
何事ももの好ましく、立てたる御心なつかひたまひそ 何ごとも風流が過ぎて、ことさらおのが好みを通そうとお考えますな。なお趣味に偏らぬことを貴族の理想とした(新潮)/ 何ごとにも風流ぶって、凝り性をお出しなさいますな(玉上)主義主張を持つのは最高階級としては避けるべきである。
そなたの心寄せと思せば、例よりもうれしくて 宇治に好意を寄せている者。(匂宮が)宇治の方々のお味方と思うと。
いとどものの聞こえや障り所なからむ いっそう世間の噂がうるさくなるでしょうが。「障り所」は妨げられることはない、の意。
中絶えむものならなくに橋姫の片敷く袖や夜半に濡らさむ 二人の仲は絶えるはずもないのに、さぞかしあなたは、独り寝の袖を泣き濡らす夜もありましょう(新潮)「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つラム宇治の橋姫」(『古今集』巻十四恋四読み人知らず)/ 仲が切れるわけでもないのに、宇治のいとしい姫は、独り敷く袖を夜半に濡らすことだろうか(玉上)
絶えせじのわが頼みにや宇治橋の
遥けきなかを待ちわたるべき
私たちの仲が絶えないことを願いつつ、お越しのないあなたを幾夜も待たねばならないのでしょうか(新潮)/ 切れはしないと私は信じて、お越しのない長い幾夜を待たねばならないのでしょうか(玉上)
いと心尽くしに見じと思ひしものを、身にまさりて心苦しくもあるかな こんな心配の限りを尽くすような目には会わすまいと思っていたのに、わが身のこと以上につらいものだと、大君は嘆く・・・・/ まことに心配の限りを尽くすことはしまいと思っていたが、自分のこと以上においたわしいことだわ(渋谷)
中納言の君も、「待ち遠にぞ思すらむかし」と思ひやりて、我があやまちにいとほしくて、宮を聞こえおどろかしつつ、絶えず御けしきを見たまふに、いといたく思ほし入れたるさまなれば、さりともと、うしろやすかりけり。 薫は(宇治では宮のお越しを)さぞ待ちかねていらっしゃるだろうと、お察しになって、自分の責任と思って、(姫君たちが)お気の毒なので、匂宮に対していつもご警告申しては、絶えず匂宮を見ていて、ほんとうに中の君に打ち込んでいらっしゃる様子なので、いくら何でも(少々ご無沙汰が続いても)大丈夫だと薫は安心するのだった。
宮を、所につけては、いとことにかしづき入れたてまつりて、この君は、主人方に心やすくもてなしたまふものから、まだ客人居のかりそめなる方に出だし放ちたまへれば、いとからしと思ひたまへり。匂宮を、山里なりに、格別丁重に御簾(みす)の中に(中の君のお部屋に)お迎え申し上げて(婿君としての扱い)、こちらのお方(薫)は、主人側として内輪の気安いお扱とはいうものの、いまだに客間の落ち着かない席に遠ざけてお置きになので、(廂の間に招じられたのだろう)(薫は辛いと思う)
かすめつつ、「さればよ」とおぼしくのたまへば (大君は)それとなく、やはりそうだったのか(案の定匂宮のご無沙汰をお嘆きだったのか)と分かるようにおっしゃるので。
左の大殿の宰相中将 「左の大臣」となっているが、別の本では「右大臣」になっている。左大臣(夕霧)。「竹河」の巻で、「左大臣うせたまひて、右(夕霧)は左に、藤大納言は左大将かけたまへる右大臣になりたまふ。つぎつぎの人々なりあがりて、この薫中将は中納言に」とある。この時、夕霧は左大臣である。
宮の大夫 中宮職の長官。
いつぞやも花の盛りに一目見し
木のもとさへや秋は寂しき
先だっても花の盛りに一目見たあの木のもと-姫君たちも。この秋は寂しくお暮しでしょうか(新潮)/ いつだったか桜の花盛りにも、一目見ましたあの木のもとまでも、秋は寂しいことでしょうね(玉上)
桜こそ思ひ知らすれ咲き匂ふ
花も紅葉も常ならぬ世を
桜こそ悟らせてくれます。咲き誇る花であれ紅葉であれ同じく世は無常なのだということを(玉上) / すぐに散る桜が教えてくれます。美しく咲く桜も紅葉も同じこと、無常な世であると(新潮)
いづこより秋は行きけむ山里の紅葉の蔭は過ぎ憂きものを どこから秋は立ち去っていってしまったのか、私たちは、この山里の紅葉のもとを、こんなにも去りがたい思いでいるのに(新潮)/ どこから秋は去って行ってしまったのか。山里の紅葉の蔭は立ち去りにくいというのに(玉上)
見し人もなき山里の岩垣に心長くも這へる葛かな 昔、お目にかかったことのある八の宮もお亡くなりになった山荘の岩垣に、昔に変わらず這いかかっている葛なのか(新潮)/ お目にかかったことのある宮さまも今はいない山里の岩垣へるくずかな(玉上)
秋はてて寂しさまさる木のもとを吹きな過ぐしそ峰の松風 秋も終わって紅葉も散り果て、寂しさのまさる木の下(もと)を、あまり激しく吹き払ってくれるな、峰の松風よ(新潮)/ 秋が終わって、寂しさのまさる木の下を、吹き抜けてくれるな、峰の松風よ(玉上)
在五が物語 在五中将(在原業平)の物語。『伊勢物語』のこと。
若草のね見むものとは思はねどむすぼほれたる心地こそすれ 若草のように美しいあなたと、共寝しようとは思いませんが、やはり悩ましく晴れぬ思いがします(新潮)/ 若草と寝て見ようなどと思うのではないけれども、もやもやした気分にはなりますよ(玉上)
御心の移ろひやすきは、めづらしき人びとに、はかなく語らひつきなどしたまひつつ (匂宮は)気の多いお方なので、新参の女房たちに、ほんのたわむれにお手をつけたりなさりながら、
衛門督 夕霧の長男。宇治の遊覧中宮よりお迎えに遣わされている。
わが思ふ方は異なるに、譲らるるありさまもあいなくて 私は大君を慕っているのに、その大君が中の君を私に譲ろうとしたのも不本意で。
女一の宮 匂宮同腹の姉。母中宮とともに宮中にいる趣。六条の院南の町東の対が居所。
思ひ隈なくのたまはむもうたてあれば、さすがに、ながらへよと思ひたまへる心ばへもあはれなり 人の気持ちを顧みないかのように(御修法)をお断わりなさるのもいやなので、それでも、やはり、長生きせよと願っていられる(薫の)気持ちもうれしく思われる。
左の大殿 「竹河」「左大臣亡せたまひて、右は左に、藤大納言、左大将かけたまへる右大臣になりたまふ。次々の人びとなり上がりて、この薫中将は、中納言に、・・・・」とあり、夕霧はここで、右大臣から左大臣になっていはずだが、河内本は、右大臣とする。そしてこの後の巻々で、「右大臣」とする本と「左大臣」とする本が、入り交る。「右」と「左」は、写本では紛れる写体であるからかも知れない。当時の人の官位についての関心は、いまのわれわれの想像を絶するものがあるから、誤写で片付けるわけにもゆかない。なお古系図は、九条本・為氏本・正嘉本、みな「夕霧左大将」である。(玉上)ちなみに「新潮日本古典集成」も右大臣のままになっている。:管理人
眺むるは同じ雲居をいかなればおぼつかなさを添ふる時雨ぞ 心あくがれ眺めているのはいつもこの同じ空なのに、どうしてこうも悲しさの募る今日の時雨なのか(玉上)/ 悲しい思いに沈んで、じっと見つめる空はいつもと同じ空なのに、どうして今日に限ってひとしお逢いたい思いをそそり、涙を誘う時雨なのだろう(新潮)
なほあらじことと見るにつけても 「なほあらじ」で一語と見る。「藤壺わたりをわりのなう忍びてうかがいありけど、かたらふべき戸口も鎖してければ、うち嘆きて、なおあらじ・・・・に、弘徽殿の細殿に立ち寄りたまへれば」(花宴)そのまますまされない意。黙って放ってもおけまいということで、通り一遍の義理で。(玉上)
霰降る深山の里は朝夕に眺むる空もかきくらしつつ 霰の降る奥深い山里では、朝に夕に、憂いに沈んで眺める空もかき曇っています。私の胸の中も真っ暗です(新潮)/ あられの降る山深い里では、朝に夕にいつ眺める空もかきくもっています。今日だけではございません(玉上)
霜さゆる汀の千鳥うちわびて鳴く音悲しき朝ぼらけかな 霜も冷たく凍る岸辺の千鳥が、寒さに堪えかねて鳴く声も悲しく響く明け方です(新潮)/ 霜が冷たく凍る汀の千鳥が堪えかねて寂しく鳴く声が悲しい、明け方ですね(渋谷)
暁の霜うち払ひ鳴く千鳥もの思ふ人の心をや知る 明け方の霜を払って鳴く千鳥も悲しんでいる人の心が分かるのでしょうか(渋谷)/ 明け方の、羽に置く霜を払って鳴く千鳥は、悲しみに沈む私の心を知っていて、あんなにあわれな声で鳴くのでしょうか(新潮)
さりとて、かうおろかならず見ゆめる心ばへの、見劣りして、我も人も見えむが、心やすからず憂かるべきこと といって、今はこんな並み大抵でないかに見える愛情だが、(結婚後)思ったほどではなかったと、私もあの方もお互い相手にそう思われるのは(新潮)/ といって、こんな並大抵でないみたいに見える愛情だが、思ったほどでないと、私もあの人もいつか感じることになりそうなのが、安心できずつらいことにちがいない(玉上)/ そうかといって、このように並々ならず見える愛情だが、思ったほどでないと、自分も相手もそう思われるのは、つらく情けないことであろう(渋谷)
もし命しひてとまらば、病にことつけて、形をも変へてむ。さてのみこそ、長き心をもかたみに見果つべきわざなれ もしどうでも生き永らえたら、病にかこつけて、尼にでもなろう。そうしてはじめて、変わらぬ気持ちもお互いに行く先長く見届けることができるのだ(新潮)/ もし命を取りとめるなら、病気にかこつけて、姿を変えてしまおう、そしてこそ変わらない心を互いに見届けることができるのだ(玉上)/もし寿命が無理に延びたら、病気にかこつけて、姿を変えてしまおう。そうしてだけ、末長い心を互いに見届けることができるのだ(渋谷)
かき曇り日かげも見えぬ奥山に心をくらすころにもあるかな 空もかき曇って、日の光も射さぬ奥山に、悲しみに暮れて明け暮れる日々であることよ(新潮)/ くもって日ざしも見えない奥山に、心も暗くあけくれる日々であることよ(玉上)
ものおぼえずなりにたるさまなれど (大君は)もはや意識も朦朧とした容態であられるけれど。
心とけず恥づかしげに (薫に)気を許そうともせず、気高い気品があって。「恥ずかしい」相手がすぐれていて気おくれするさま。立派である。「御息所は、心ばせのいと—・しく」〈源・葵〉(デジタル大辞林)
こまかに見るままに、魂も静まらむ方なし ことこまかに見ていると、魂も身から抜け出してゆきそうな気がする。気もそぞろの思い。物思いなどのため魂が身体から遊離すると考えられていた。
くれなゐに落つる涙もかひなきは形見の色を染めぬなりけり 悲しみに血の涙を流しても、かいもないことには、わが袖を亡き人を偲ぶ喪の色に染められないのだった。悲しみに涙がつきたあと血の涙が出るとされた。(新潮)/ 悲しみに紅に染めてこぼす涙も何にもならないのは、あの人の形見の喪の色を染めえないことだ(玉上)
聴し色 薄紫、薄紅をいう。禁色(きんじき・濃い紫、濃い紅)に対する。
おくれじと空ゆく月を慕ふかなつひに住むべきこの世ならねば 亡き人に後れまいと空行く月を慕う、いつまでも住むべきこの世ではないから(新潮)/ 死におくれまいと空行く月を慕うことだ。いつもでも住むべきこの世ではないゆえ(玉上)
恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にや跡を消なまし 恋しさに堪えかねて、死ぬ薬が欲しいので、雪の山に跡をくらましてしまおうか(新潮)/ 恋いわびて死ぬ薬がほしいゆえ、雪の山にでも分け入ってしまおうか(玉上)
半ばなる偈教へむ鬼もがな、ことつけて身も投げむ 半偈(はんげ)を教えたという鬼でもいてくれたらよいのに、それにかこつけて身も投げ捨てるのに。「偈」は、仏の功徳をほめる韻文。普通四句からなる。釈迦が修行中、雪山童子といったとき、羅刹(鬼)から、「諸行無常しょぎょうむじょう是生滅法ぜしょうめっぽう」という偈の半分を聞いて歓喜し、さらに残りの半分を聞こうとしたところ、餓えて力なく言えない。食するものは人肉と人血のみと答えたので、童子は、その身を与えることを約束し、残りの「生滅滅已しょうめつめつい寂滅為楽じゃくめついらく」を教えられた。童子は偈を石壁に刻し、衣服を木にかけて谷に身を投げたが、羅刹は帝釈天に変じ、童子を受け取り助けた(『大般涅槃経』第十四。その他)
御ありさまに違ひて、心浅きやうなる御もてなしの、昔も今も心憂かりける月ごろの罪は、さも思ひきこえたまひぬべきことなれど、憎からぬさまにこそ、こうごえへたてまつりたまはめ。かやうなること、まだ見知らぬ御心にて、苦しう思すらむ こちらのお嘆きもよそに、薄情とも思えるお扱いぶりが、大君生前の昔も亡き今も、ずいぶんひどいと思われる、ご無沙汰の罪は、可愛げの失せぬ程度にお責め申されて、匂宮はまだこんな手厳しいお咎めを受けられたことがないので、困っておられましょう。/ かりそめのお情けにも満足しているお相手が多いからである(新潮)/ お気持ちに反して薄情に思えるなさりようで、前も今度もひどかった一月あまりのあやまりは、そうお考えなさるのも当然のことですが、可愛げのなくならないように叱ってさしあげなさいませ。こんなことはまだ経験がないあなたゆえ、たまらなくお思いでしょうが(玉上)/ お気持ちに反して、薄情なようなお振る舞いで、以前も今も情けなかった一月余りのご無沙汰の罪は、きっとそうもお思い申し上げなさるのも当然なことですが、憎らしくない程度に、お懲らしめ申し上げなさいませ。このようなことは、まだご経験のないことなので、困っておいででしょう(渋谷)
人やりならず嘆き臥したまへるも、さすがにて、例の、もの隔てて聞こえたまふ ご自分のせいとはいえ、(対面もできずに)嘆きながら横になっている(匂宮が)さすがにおいたわしくて。中の君の気持。「例の」昨夜のように、襖を隔ててお話申し上げる。
来し方を思ひ出づるもはかなきを行く末かけてなに頼むらむ 今までの約束を思い出してみましても、頼りないことでしたのに、今また将来のことを、何を頼みにするのでしょう(新潮)/ 過ぎ去ったことを思い出しますのも頼りない気がしますのに、将来までもどうして頼むのでしょう(玉上)
行く末を短きものと思ひなば目の前にだに背かざらなむ 行く先を短くはかないものとお思いなら、せめて今現在なりとも、私の言うことを聞いてください(新潮) / 将来を短いものと思うなら、せめて今のあいだだけでも、わたしの言うことを聞いてほしい(玉上)/ 将来が短いものと思ったらせめてわたしの前だけでも背かないでほしい(渋谷)
おほかたの御後見は、我ならでは、また誰かはに背かざらなむ そのほかの(夫婦としてでない)大抵のお世話は、自分を措いてほかに誰がいよう、と思っていられるとか。「おぼすとや」は、物語の結末を示す草子地。
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公開日2020年11月14日