イエス伝

22 エルサレムへ

イエスの一行がエルサレムへ向かったとき、どの道を通って行ったのだろうか。これははっきり書かれていませんので 推定するしかありません。唯一、参考になるのは次の箇所です。

1711 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 12 ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 13 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 14 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。 彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 15 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 16 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 17 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 18 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 19 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」 (『ルカ伝』17:11-19)

これはエルサレムへの途上の出来事ですが、よく読むとかなり奇妙な情景が浮かんできます。まず重い皮膚病者が、 十人そろってイエスの一行を待っていたということです。十人もそろって、彼らはそこで何をしていたのでしょう。何故イエスがここを 通るということを彼らは知っていたのでしょう。古来、重い皮膚病はよごれたもの、悪霊が取り付いたものとユダヤでは信じられて いましたので、ユダヤに限ったことではありませんが、一般の居住地から隔離されていました。 またこの病が治ったかどうかの判定は祭司の仕事でした。それでイエスは、「祭司のところに行って、体を見せなさい」 と言っているわけです。つまり、もう治っているよと言っているのです。また十人ともユダヤ人ではなさそうです。 戻ってきたひとりはサマリア人でしたし、しかもサマリア人をイエスは外国人といっています。イエスは、きっと皆ユダヤ人だ と思っていたのでしょう。重い病のために、イエスも判別がつかなかったのだろう。そして 病を治した病人の行動について、イエスの思惑がはずれたことも珍しいことです。十人がそろって待っていたのは、 イエスがこの方面に来るといううわさが流れたのだ、と考えれば納得がいきます。イエスは他で同じ病気を治していましたから、 その病をもった人々はイエスのうわさに敏感だったでしょう。

イエスがエルサレムへ行った道の地図
イエスのエルサレムへの道
地図出典:Bible History Online http://www.bible-history.com/maps/palestine_nt_times.html
Ein Harod はハロド(ギデオン)の泉。Aenon(Salim)はアイノン(サリム)。洗礼者ヨハネの活動の場所。ここはサマリアに なります。橙色がイエスの一行がたどった道の推定ルート。緑色の太い点線はガリラヤの境界。
画像はクリックすると拡大します。

しかしここでのポイントは「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」という記述です。サマリアと ガリラヤの間となると、ガリラヤの南部に位置し、サマリアとの境界をなしているイズレル平野(エスドレロン平野 Plain of Esdraelonともいう)しかありません。この平原は地中海に面したカルメル山から始まる尾根が南東に伸びて、 その尾根に沿った北側に広がる平原です。ナザレの南に広がり、東端はギルボア山とタボル山の鞍部の辺りになり、 更にハロド平原✽1をスキトポリスへと 下ってヨルダン川西岸にいきます。またギルボア山の麓にはハロドの泉(Ein Harod ギデオンの泉) があります。イズレル平野のこの地点ではギルボア山が、サマリアとガリラヤの境界をなしていました。 イエスはガリラヤから「海の道」へ至る街道の道を取り、イズレル平野で東に折れてギルボア山の 麓を通ってハロド平原に入り、ヨルダン川の西岸の道をエリコへ向かった思われます。エリコへの途中、洗礼者ヨハネが活動の 場としたアイノン(Aenon)を通ります✽2。 十人の重い皮膚病者と会ったのは、ギルボア山の麓でハロド平原に入る辺りであったかと思われます。 ここはデカポリス地方になり、ユダヤ人ではなく ヘレニズムの異邦人が多く住んでいました。おそらくデカポリス地方のはずれ辺り、サマリアとガリラヤの境界に近く、 ハロドの泉の近くに彼らの居住地があったと思われます。泉の水を飲んで回復を願っていたのかもしれません。

イエスは、ハロドの泉の手前、かってイズレルの町✽3 があった辺りで南の道をとり、「尾根の道」をエルサレムへ行くこともできた。 ガリラヤからエルサレムへ行くにはこの道が一番近いのである。しかしイエスたちはこの道は通らなかったと思われます。 それはサマリア地方を通り抜けなければならなかったからである。ユダヤ人はサマリア人とは付き合わない不文律が あったので、その地域を通ることも避けるのである。

時は春、ガリラヤの野辺に野の花は咲き、丘陵地の畑は麦の穂が黄金色に色づき始めていた。日は高く、暖かい春の陽光が一面に ふりそそいでいた。そのなかに、イズレル平原の道を歩いて行く一団の人々がいた。十二人の弟子たちと数人の女性たちを 伴ったイエスの一行であった。右手にギルボア山を望み、左手はモレ山とタボル山が重なって見えていた。一行がハロドの泉の 近くに来ると、遠くで、手を振って何か懸命にこちらに向かって叫んでいる集団がいた。こちらへ近づいてくる風もなく、 一定の距離を置いて、イエスを呼んでいるらしかった。こうした風景のなかで十人の重い皮膚病を患っている人々に出会ったであろうか。 この道中、イエスはなぜか心が高揚して先に立ってどんどん歩いて行くのであった。一方弟子たちは明るい陽光のなかにあっても、 なぜか気持ちが沈みがちで、心の隅に残る不安を払いのけることが出来なかった。エルサレムへ行けば、イエスの身に恐ろしいことが 起きるのを感じていたのである。それが具体的にはどのようなことなのか、想像できなかった。それは世界の終末と同時に 起きるのであろうか。ヘルモン山の雪解け水で、ヨルダン川の流れは早く、勢いを増していた。


✽1ハロド平原(Harod Valley)。この地図には載っていませんが、ギルボア山の 麓から東側、スキトポリスを含めたヨルダン川まで続いている平地のこと。肥沃な土地です。
✽2「他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。」(『ヨハネ伝』3:23)
✽3イズレル(Jezreel)。ハロドの泉のおよそ3km西にある。地図には載せていない。イズレル平野の東端にあって、 平野の名前の由来にもなっている。この町は、トランスヨルダンと「海の道」を結ぶ要所にもなっていて、旧約では名を残している。 イエス時代は遺跡が残り、住む人もあまりなかったと思う。十人の重い皮膚病者はここに住んでいた かも知れない。
頁をめくる
次頁
頁をめくる
前頁

公開日2009年10月8日
更新2010年1月31日