イエス伝

はじめに

これはイエスの物語である。

イエスは、今からおよそ二千年前にパレスチナで生まれ、そこで三十余年の生涯を生きた。およそ三十歳のころ、突然ユダヤの人々に 「悔い改めよ。天の国は近づいた」✽1 と説き始め、それからおそらく二年にも満たない短い間に、人々に知らしめるべき教えを説き終えると、 自らを予定された死に追いやるようにして、十字架上で死んでいった。 世界の罪✽2をあがなうために、 自らの命を犠牲にしたのである。 どうしてこのようなことができたのであろうか。イエスは何を説いたのか。イエスのいう「天の国」とはなんであったのか。

イエスは、自分からは決して「神の子」とは言わなかったが、彼を排除しようとした人々は、「神の子」または「メシア(救世主)」 を僭称したという理由で、イエスを告発して死刑にかけた。行く先々で人々を扇動し、既存の体制を危うくする危険人物 と見たのである。目の前の男が、「神の子」とはとても信じられなかったのである。ユダヤには、人を神の子と見る伝統はなかった のである。 一方イエスの信奉者たちからは、「神の子」と広く信じられて今日に至っている。だが、イエスの説いた「天の国」は どこへいってしまったのだろうか。

イエスという名は、ありふれた名前だそうである。原語に近い表記ではイェシュア(Yeshua 英語表記)といい、 ガリラヤ方言ではイェシュと言われていたそうです。 育ったのが、ガリラヤ地方のナザレという村だったので、他の町の人からはナザレのイエスと呼ばれていた。 また姓がなかった当時の習慣で、父の名をつけてヨセフの子イエスと 呼ばれるのであるが、イエスのことをよく知っている村の人たちは、なぜか母の名をとって、マリアの子イエスと 呼ぶこともあったようである。このことを根拠として、イエスは私生児であったとする説もある。

イエスの生涯を知る一番良い方法は、聖書の福音書を読むことである。著者名をとって、それぞれ『マタイによる福音書』 『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』『ヨハネによる福音書』と四冊あるが、それぞれに特徴があって、 専門的にはいろいろ議論もあるようですが、最初の三冊は伝記的に書かれており、類似の記述も多く、 イエスの言動を直接知るという目的から見ればわかりやすい。そのためこの三冊はひとくくりにして共観福音書と呼ばれている。 『ヨハネ伝』はヘレニズムの思想を取り入れて理念的に発展させた結果、独自の存在感を示しているが、 原石の手触りは失われている。人としてのイエスの姿をそこに見出すことはできない。私は専門家ではないし、 一読者として福音書を読んだだけなのであるが、同時代のイエスのことを書いた史的資料は他に皆無に等しいらしいから、 結局のところ福音書のみがほとんど唯一の手がかりなのである。

またイエスが生きた当時の時代背景、ユダヤの人々の歴史や生活習慣や信条などを知ることによって、 福音書をもっと深く理解できるという考え方もあり、それはその通りであろうが、それには膨大な学識が必要であり、 私にはとても望み得ないことである。またそれらを詳しく知ったからといって、イエスをよりよく理解できるとは限らない。 基本的には、イエスの言動をどう読むかにかかっているのである。

私は私心を交えずにイエスの生涯を描きだしたいと思っているのであるが、どう考えてもそれは無理というものであろう。 誰だって何かを語るときは私心が交じるものだし、イエスの言動をどう受け止めるかは、結局読者ひとりひとりに ゆだねられるからである。

ここまで読んで、もうすでに異議を唱える人たちが世の中にたくさんいるのを私は知っている。一方福音書を読んだこともなく、 イエスが何者かまったく知らない人たちも、 それはそれで支障なく生きているのであり、これが日本では圧倒的多数派であろう。従ってイエスを知ることが、 生きてゆくのに必須であるというわけではない。しかしイエスには何か本質的なものがあるのである。 私が「イエス伝」を書こうと思い立った理由である。


✽1 『マタイ伝』 4:17。ちなみに「天の国」という呼び方は『マタイ伝』にのみ使われています。 マタイ自身が好んだのだろうか、それともイエスが使った面影をとどめているのだろうか。 他の福音書ではすべて「神の国」となっている。英訳(NRSV) ではそれぞれ、the kingdom of heaven , the kingdom of God となっている。
✽2 「世界の罪」。出典の『ヨハネ伝』(1:29)では、共同訳・口語訳とも 「世の罪」となっている。英訳(NRSV)では"the sin of the world"となっている。
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公開日2007年9月1日
最終更新2009年11月10日